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昨日、若い頃に出会った人から、寒中見舞いをいただいた。
心身障害児の療育指導員をしていた頃に出会った人で、
娘さんはダウン症候群だった。
私がその仕事をやめてからは、隣市にお住まいだったこともあり、年賀状のやりとりだけは続いていた。
しかし、今年は年賀状が来なかったので、どうしたのだろうと気になっていた。
お手紙によると、娘さんは昨年春から体調を崩して入院していて、年末に41歳で亡くなったのだという。
初めて出会った時は、多分3歳前後だったと思う。
高齢出産で生まれたNちゃんは、ダウン症候群であった。
心臓疾患があり(この障害には多い)、やせっぽちでいつも紫色の唇をしていた。
「3歳くらいまでしか生きられないと言われたんだけど…」というお母さんだったが、
「いつまでの命かわからないから」と、いつもとても可愛い服を着せていた。
待ち望んだ女の子だったからなのかもしれない。
それでも、よく体調を崩して入院などもしていたと思うが、元気になって会うときにはいつもニコニコしていて、音楽が大好きで、歩けない時でも体全体でリズムをとって、全身でリズムをとっていた姿が目に浮かぶ。
そうか、41歳まで頑張ったのだな…。
お母さんもNちゃんも本当によく頑張ったね。
そんな思いが胸の中に渦巻いた。
きっと、「いつまでの命かわからないから」との思いで、ずっと在宅で介護していたのだろう。
施設入所をしたという話は聞かなかったから。
お母さんだって、もう80歳近くになっていると思う。
Nちゃんは、亡くなる二日前までは意識もあったが、食事を受付けなくなり点滴のみで頑張ったようだが、最後は眠るように旅立ったという。
きっと最後まで、子どもの頃と同じような笑顔をお母さんに見せていたのではないだろうか。
お母さんに、「今まで本当にありがとう」との思いを笑顔に託して…。
障害を持つ子を育て介護するのは、間違いなく人並み以上の苦労はあるだろう。
しかし、その分だけ人並み以上の喜びや感動の経験も重ねるし、苦労ではあっても不幸とイコールではない。
初めて一人で立ったとき、初めて歩いた時、初めて靴を履いて散歩した時、どれだけの感動と喜びがあっただろう。
三歳までと言われた命を、41歳まで支えたという誇りや喜びは、健康な子を持つ親には決して味わうことができないだろう。
あの当時に出会った重い障害を持つ親の願いは、「子どもを私の手で見送りたい」ということだった。
使命感で生きてきたであろうお母さんが、これからガックリとならなければいいと思う。
Nちゃん、本当によく頑張りました。
そちらの世界には、あの頃一緒に遊んだお友達もいるはずだから、きっと寂しくはないよね。
これからは、お母さんをしっかり見守ってあげてくださいね。
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