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2021年04月05日
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テーマ: ニュース(99416)
カテゴリ: ニュース
​専門医「退院後1年余で回復、極めて異例」…池江の寛解までの早さは「高い身体能力とは無関係」4/4(日) 20:03 読売​
 池江璃花子選手は急性リンパ性白血病と診断され、抗がん剤投与などを続ける化学療法を始めた。合併症による体調悪化で断念し、19年夏、「造血幹細胞移植」を行ったところ、翌年3月にプールに入れるまでになった。

 造血幹細胞移植は、血液細胞のもととなる造血幹細胞を健康なドナー(提供者)から採取し、点滴で投与する。合併症の恐れもあり、一般的に移植後も検査や治療を長く続ける必要がある。

 国立がん研究センター中央病院の福田隆浩・造血幹細胞移植科長(56)は「退院後、1年余でトップアスリートの域まで回復するのは極めて異例だ」と驚く。症状が出なくなる「寛解」状態に至る早さは、高い身体能力とは関係がないといい、「競技レベルをここまで戻したのは、治療の順調さに加え、本人の努力とチームの支援があるからだろう。患者を含む多くの人に勇気をくれた池江選手を心から応援したい」と話す。


彼女の姿に、日本中が感動したことと思う。
特に、同じ病で苦しい思いをしている人たちにとっては、どれほどの勇気と励ましになったことだろう。
ただ一つの心配は、頑張りすぎてまた体調が悪化すること。
気を抜かないで、くれぐれも注意してくださいね。


​田中邦衛さん逝く 9年前、体調が悪くても地井武男さんの告別式に参列した優しさ4/4(日) 11:02配信 デイリー報知​


「また昭和の名優が逝ってしまいました…」
 中島貞夫監督(86)は声を落とした。

 田中さんとは60年以上の付き合い。映画版「木枯し紋次郎 関わりござんせん」(1972年)「暴動島根刑務所」(1975年)「暴力金融」(同)などに出てもらった。

「出会ったころの邦さんは俳優座にいたんですけど、一番ユニークな役者さんでした。なにしろ演技で口を尖らせたりするのですから」(中島監督)

 田中さんなりの顔芸だった。ご記憶だろう。役作りに心血を注ぐ人だったという。

 だから悪党も善人も出来たのかと思いきや、中島監督はそれを否定する。「邦さんが演じていたのは本当のワルじゃない」と振り返る。

「邦さんは性格が素直で、とても良い人。彼を悪く言う人はいません。映画で観たまま。あんな人に本当のワルは出来ません」(中島監督)

 確かにそう。故・松方弘樹さんが服役囚役で主演した「暴動島根刑務所」で演じたのも豚の飼育を生きがいにしている心優しき無期懲役囚だった。

 中島監督と共に東映ヤクザ映画を支えた故・深作欣二監督による「仁義なき戦い」で演じた槙原政吉は狡猾そのものなのだったが、それでいて人間くさく、憎めなかった。故・菅原文太さんが演じた主人公・広能昌三から怒鳴られると、たちまち縮み上がってしまい、観客を笑わせた。

「こういった役は邦さんにしか出来ませんでした。真面目な人がヤクザを演じるから面白いのです」(中島監督)

 名コメディリリーフだった。東宝 「若大将シリーズ」 (1961年)でもそう。誰の目にも格好良い若大将役の加山雄三(83)に対抗し、プレイボーイを気取ったが、まったくサマにならず、侮蔑の意味を込めて青大将と呼ばれてしまう始末。格好を付ければ付けるほど笑われた。

 だが、青大将は嫌われなかった。田中さんの人柄が透けていたからだろう。

「北の国から」の黒板五郎役 はシリアスだったが、これも中島監督は「邦さんだから出来たのです」と解説する。

 五郎は東京を捨てて2人の子供と北海道で暮らし始めた。電気やガスも捨てた。あのころはバブル期前夜。文明と決別した五郎はある種、変人である。それを違和感なく視聴者に見せられたのは田中さんの力だろう。真面目な人柄と俳優座で体得した高い演技力だ。

 このドラマは2002年の最終作「遺言」まで続いた。人気があったからだ。評価も高く、菊池寛賞や向田邦子賞など20以上の賞を受賞した。

「ほかにも五郎の候補がいた」などと報じられたこともあるものの、信憑性は疑わしい。また、田中さん以外でこれほどの成功は得られなかったのは間違いない。

 脚本を書いた倉本聰さん(86)のドラマには悪人が登場しないことで知られる。

「悪人が書けない。悪人の一部の利を書こうとしちゃうと膨れ上がって善人になってしまう。性善説が強い。“越後屋”でもいいことを書いてしまう」(倉本さん*1)

 誰もが良い人と評する田中さんだからこそ倉本作品と同化し、21年も続いたのだ。

地井武男さんの告別式に参列
 田中さんは晩年、長く体調がすぐれず、2009年の時点で認知症の症状が出ていた。田中さんと親しい過去の映画共演者から聞いた。もちろん書かなかったが、ほかの共演者たちも知っていたはずだ。

 にもかかわらず、「北の国から」など数々のドラマで共演した地井武男さんが2012年に亡くなると、田中さんは葬儀委員の1人となり、東京・青山葬儀所で営まれた告別式に参列する。「北の国から」で息子の純を演じた吉岡秀隆(50)に体を支えられてのことだった。

 誰の目にも田中さんの健康状態が悪いのは明らかだった。それでも、たどたどしい口調で弔辞を読んだ。

「昨年秋に我が家に来てくれたけど…あれは別れを言いにきたのか…4月には電話や手紙もくれた…ちぃ兄、会いたいよぉ~」

 田中さんは泣いていたが、田中さんの病を知る人たちからも嗚咽が漏れた。

 死因は老衰。葬儀は家族で営まれた。ちなみに長女の田中淳子さん(56)はNHK広報局長である。報道局出身のエリートが就くポストだ。お別れの会などの予定はない。コロナ禍のせいもあるだろう。

 田中さんの家族は次の文章をマスコミ各社に送った。

「俳優・田中邦衛は、2021年3月24日午前11時24分、老衰のため、息を引き取りました。家族に見守られながら、安らかな旅立ちでした。88歳でした。

 長年、応援してくださったファンの皆様をはじめ、多くの方々に支えられ、心に残る数々の作品に出会い、幸せな役者人生を歩むことが出来ました。ここに、生前の御厚誼を心より感謝いたしますとともに、謹んでお知らせ申し上げます(以下略)」

 田中さんが世に広く知られた「若大将シリーズ」の第1作「大学の若大将」の公開から、ちょうど60年での旅立ちとなった。

*1西日本新聞2020年1月10日付夕刊

高堀冬彦(たかほり・ふゆひこ)
放送コラムニスト、ジャーナリスト。1990年、スポーツニッポン新聞社入社。芸能面などを取材・執筆(放送担当)。2010年退社。週刊誌契約記者を経て、2016年、毎日新聞出版社入社。「サンデー毎日」記者、編集次長を歴任し、2019年4月に退社し独立。

デイリー新潮取材班編集

2021年4月4日 掲載



私が田中邦衛さんを知ったのは、「北の国から」の黒板五郎からだったと思う。
私の息子たちは、純君と蛍ちゃんと同世代であったし、舞台は富良野のさらに僻地。
私の子ども時代の記憶と重なることも多かったので、ドラマを見ながらそんな話を家族で話したこともあったと思う。
あのドラマ、少なくても二回は見ているはずだ。
たまたま土曜日に来ていた次男と一緒に『北の国から’87初恋』を見たのだが、彼は「三回は見ている」と言っていた。

田中邦衛さん、あちらの世界からも北の国を見守ってくださいね。





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最終更新日  2021年04月05日 08時54分50秒
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