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部屋の中で缶詰になって朝から晩までほとんどメール営業していた。150社から200社の間くらいの数になった。3日間天気がずっと雨だった。今日は、またガソリンの値段が上がるというので、ガソリンを入れにスタンドに出かけた。それだけが外出。5300円以上もとられた。ほとんど入っていなかった。満タンにした。今一生さんというフリーライターの方が、返信をくれて、アドバイスをいただいたが、動きにはならなかった。しかし営業のアドバイスをいただけただけでもありがたいことであった。社会起業家やネオニートと呼ばれる概念を取材されたりしている人のようだが、ベーシック・インカムよりは実現しているものだが、なかなかやる気がないとできないことのようでもあるが、リンクさせていただいた。昼は3日続けて即席ラーメンとその後にごはんを入れて食べるというものである。いろいろ会社のサイトをみてまわるうちに、昆虫食というサイトをみたが、昔は昆虫を食べていたそうだが、見ているとグロテスクに見える。慣れや習慣というものだろう。ブタや牛だって慣れてないとグロテスクに見えるはずだと思う。なぜ昆虫を食べなくなったんだろう。目や肩が疲労してしまった。150から200もの会社にメール営業できたのだから、その行為だけでもがんばったと思おう。メールした内容が今すぐにというわけでもないのかも知れないし、送信したということは、もしかしたらとっておいてくれるところもあるかも知れない。こうやってリアルタイムに反応も書いているのはどうなのかとも思うが、失礼なことは書かないよう配慮していく。当たり前のことであるが。明日から履歴書書いて、折込ちらしで職探しをするが、それでも一日はかからないと思うので、「文化の調べ屋」の営業もなんらかのことをする予定である。今日は目や肩にきているので、パソコンを閉じようと思う。かなり運動不足になってしまった。
2008.05.31
メール営業中に、行方市麻生商工会のブログを見つけた。メンバーに、10年来、世話になっているHさんのお店があるのだが、エリザベスとか、すごい内容である。アメリカナマズの肉だったか、霞ヶ浦の生態系を破壊するということだったが、料理にすると美味しいらしい。すごい活動だと思う。私もがんばってはやく社会復帰して、面白いことをしたい。
2008.05.31
雨が依然として降り続いている。部屋に3日間こもりきりで、サイトを調べ、ネット営業をしている。タウンページから出版社に148社、今日ネットからリンク集をみつけ、編集プロダクションに34社くらいメール営業していると思う。断られたのが4社。こうやって状況をリアルタイムに書いていることが良いのか悪いのかまるで検討がつかない。もちろん、具体名は出さない。あまりにプロの世界だと何千通出しても私の能力不足なのかも知れないが、地元のおじいちゃん、おばあちゃんなど、「文化の調べ屋」の需要はどこかにあるんじゃないかと思うのだが。普通の再就職先も同時に見つけないと、生活費でアウトになりそうなので、そこは注意しないといけない。あと30分くらい、他のところも考えて、メール営業を続け、昼休みにしようと思う。
2008.05.31
言論統制があるわりに、なんだか人を傷つけるようなコメントや、エロトラックバックは容認しているので、楽天さんはちょっと固いような気がする。固いので、逆におかしな統制になってしまっていて、統制したほうがいいようなものが流出してしまっている。そういうこともあるが、ブログを出させてもらっている感謝のほうが莫大なのもある。
2008.05.31
楽天ブログは使い心地が良い感じを直感で受けたり、携帯からも送信できるなどがあって、3年ブログを書かせてもらっているが、これで2回目だが、わいさつ、もしくは公序良俗に反するという書き込みがあるというのでいくら調べて変えてみても送信できず、1年4カ月ぶりに、それを、アメーバブログの、左下の「歌手と野菜と取材」のほうに書き直したら、別になんともなく出てしまった。楽天ブログの場合は、言論統制が厳しいのだろうか。どの単語がひっかかっているのだろうか。わからない。この文章は投稿できるのだろうか?
2008.05.31
出版社へのメール営業140社を2日間で流したけれど、なにか反応があって欲しい。それから、インターネットのいろいろなサイトをみていたけど、テレアポと飛び込み訪問も併用しないといかないのかと思い、地元のタウンページをこれから見て想像してみようかと思う。月曜から従来のハローワークへも行く予定で、再スタートだが、明日は、『文化の調べ屋』オンリーの最終の日ではある。だが土曜日なので企業は休みのところが多いと思う。来週からはハローワークと並行して『文化の調べ屋』の営業もする予定であるが、失業保険をもらう場合は、営業をして売り上げがあがった日は就職活動をした日に加算されないという決まりがあったと思うので、それもハローワークの人に相談して法律違反にならないように注意する必要があるとも思っている。正社員で無い生き方をするには、選択の幅や情報がネットにも少ないか、自分が見つけられないかのどちらかに思う。怪しかったり悪徳のような情報も載っていたりするようである。とにかく存在を知ってもらわないかぎり、進まないのは確かだ。
2008.05.30
72社に『文化の調べ屋』として、なにか仕事がありませんかというメールを今日は72社にした。スピードが昨日より俄然速くなっていた。これで昨日とあわせて142社にメールで応募した。そのうち、今日は2メールがアドレスが違っていたのか、アンノウンになって戻ってきた。動きにつながる反応は無いが、やらなければ全く可能性は無いのだから、やったということを満足しよう。まだ離職票が郵送されてこないので気を揉むが、日曜から履歴書を書いて、月曜からハローワークに行き、いままでどおりの再就職活動もしないと、なにしろ、反応が無いのだから、生活につまってしまっては今後なにもできない。絶対、生活の危機感をいちおう脱することができたら、平日に国会議員さんへの陳情とか、なにかやりたいだけのことをし残したい。こう社会不適応では、結婚もできず子どもも育てられず、人生を終えてしまいそうで、母や祖母に申し訳がない。会社の仕事が続かず、年収の無い自分みたいな人でも生きられる社会になんとかしてしなければならない。昼は今日も5パックの即席ラーメンを1パック食べて、キャベツを入れた。麺を食べ終わったらスープにご飯を入れて食べた。これが好きである。今は東京の出版業界にメール営業させてもらっているが、分野を変えたり、地元に営業したり、『文化の調べ屋』の軌道を作らねばと思う。やったことの無いことなので自分でいったいなにをしようとしているかという不安もあるが、いままでやってきたことの集大成をすれば、いろんな新しいことができるかも知れない。あとはお金が入ってくればいいだけだ。それまでが難しく思えるが、いままで採用してくれたところがあるからこうしていられる。そこを辞めてきたわけだけど、それでも生きてい続けたい。自分のことばかり書いてつまってしまうので、残り時間はいろいろ他の人が何をしているかを見にいこうと思う。明後日からは、従来の方法の再就職活動を再開するので、履歴書も書かねばならなかったり、折込ちらしを丹念に読まねばならない。だから、今日明日は、『文化の調べ屋』をどう軌道に乗せていくか念頭に置きながら、いろいろな人を探しにネットを旅しようと思う。
2008.05.30
営業メールは30社になった。これで昨日とあわせると100社になる。少し休憩する。動きは無い。風が強い。音がしている。寒い日。
2008.05.30
マガジンハウスのHPに行ったら、バレーボールで高校生で全日本に選ばれて、北京オリンピックにも出られていたかも知れない、横山友美佳選手という人が、高校の途中でガンの闘病生活に入り、この4月に無くなり、マガジンハウスからその人の手記が出版されたということを知った。ウィキペディアを読んだりして知ったが、バレーボールファンのサイトには詳しく書かれていて、ファンのコメントはとてお人間味あふれるものだった。そして思った。人間は、老若とか、男女とかではなく、心のある人間と心を失ってしまっている人間があるということ。まず最初にこの分類を人間の分類の最初にもっていくべきではないか。多くの人の哀しみに心あるコメントができる人がいると同時に、なぜか人の死でさえひねくれた冷笑を発言できてしまう人間がいる。匿名だからできるのか?冷笑してしまうような人間がいるとはとても怖ろしいことである。そういうことが匿名でさえできない、壁が普通は機能するはずなのだが。そういうことをしてしまう人はなんらかのストレスがかかってしまっているんだろうか。横山選手は、闘病中に早稲田大学に入学できたり、文武両道の優秀な人だったのに、病魔がオリンピックや教育の将来性を芽を摘んでしまった。才能がありながらこういう残念なことになってしまう人がいる。その人は一冊の本を残した。本のタイトルは、『明日もまた生きていこう 十八歳でがん宣告を受けた私』という。高校の1年先輩で一緒に試合をした木村沙織選手とのエピソードや、横山選手が北京生まれで帰化した人であることなど、北京オリンピックと開催される年ということもなんというタイミングなんだろうと思わせられる話である。私と比べるところは何もないけれど、私が人生に困ってしまうのは、自ら会社を辞めてしまうことで苦労してしまうのに、横山選手のように、健康だったならずっと続けられて文武両道で人より秀でているのに、病気のために、オリンピックや、大学や、本の出版に間に合わなかったことなど、そういう運命になってしまった人もいるのかと、悲しい気持ちになった。生命にかかわる病気になってしまった人の人生の今というのは、失業、お金、に関わる不安と比べ物にならないほどの不安かも知れない。それでも生命を輝かせようとしている人たちがいる。そういう人たちやそういう人たちを心配してくれる人がいる一方で、隣人を性的暴行を加えるような目的で殺害し、テレビのインタビューで知らないなどと平気で嘘をついていられて、逮捕されるような、人間性を失ってしまった人も報道される。人間ほど極端に、人間らしい人と、人間性を失ってしまっている人に分かれる生物もいないのかもしれない。人間らしいというか、他の生命をいとおしむことのできる能力というか、それは、表ざたにならなくても、地位や名誉や金銭的には問題がないと思われているような人々の中に、実は、他者の生命をいとおしむ性質の欠けてしまっている多くがいるのかも知れない。仕事に紛れながら。それは勉強ができるとか、仕事ができるとかそういう能力とは決して比例していないように思える。3社に営業メールを送った。少し明るく外がなってきているようだ。
2008.05.30
雨はかろうじてやんでいるようだが、風があり音がしている。深い曇り。天気のよくない日が続き、今日も上着をきて、電気ストーブをかけている。配置薬の勤務時と同じような動きでスタートした。6時40分頃起きた。しかし朝から勤務時はお茶漬けしか食べられなかったのが、たまごかけごはんを食べられた。昨日のように5時起きができなかった。昨日は7時から営業メールをはじめたが、今日はこれから行う。50社を超えることを目標にする。あれから断りのメールなどはこない。断りでもなんでも反応があったことだけでも嬉しい。たくさん、通知すれば誰か今後の人生に協力してくれる人があらわれると思う。
2008.05.30
朝7時頃から夕方5時すぎまでで70社でちょうど1枚分のメール営業をした。今のところ反応がきたのは、どれも断りのメールだったけど、4社、メールアドレスが不正確だったのか、2社。今日の営業の残りの64社は、明日以降になにか返事をいただけるか、返事がこないかのいずれかであろう。目と首のあたりが疲労してきた。今日はここでストップしよう。会社に所属していても、メール営業で一日70社こういう風にやらせてくれる会社もあるんだろうか。営業というとだいたい会社勤務だと外に出て会ってくる。電話アポからなんて方法になることが多い。だけど個人でやっている人は営業方法は集中しているんじゃないんだろうか。わからない。売り上げ達成してしまえば、あとは遊んでいる人の話もきいたことがあるが、会社に所属していながら活動している状態では、他人はやっているなとしか思わない。自営の人が失敗したり、所属なしでうまく行っていない場合などは、なぜか自己責任論を振りかざしてくる人が出てくる場合がある。文句だけ言い残す人というのは人を偏った見方で見ているか、普通は嫉妬というのは自分より状態の良い人に向けるものだが、ひねくれた性質をもってしまい、状態の悪い場合の人に嫉妬のような感情を向けてしまうのではないだろうか。そういう性根がある人を私が関わってないところでも見受けたりしてきた。そういう性質の研究も、どこかでなされているのだと思う。調べてみようと思う。現存している会社というのはすごいものだということが、こういう状態でいると思い起こされる。所属する人に生活を維持する給与を払い続けることができるということは大変なことだ。前回に失業した時は、草刈や引越しなどをさせてもらい、お金が動いたが、今回は動かすことができていない。お金をもらえるというのは大変なことである。一日中今日は雨模様のままだった。寒い日になった。どんなに変わっているようでも、それをまだ出会ったことのない多くの人にアプローチすると不思議なことに共感してもらえる人もいるものだ。そういう共感してくれる人から広がるものである。ただ変わっていることが倫理観に反していることだとすると、いくら共感者を得ようとしてもそれは害毒である。そこを考えて発表しなければいけないと思う。なにか、牧歌的でほのかな香りがしたりさわやかだったり明るく楽しかったりするイメージのあること。そういう感覚だろうか。それも難しい捉え方をしてしまう人がいたりするのだろう。自分の間違いも多々あるだろうが、相手が間違えていたり気づきの無い場合もある。多くの人にアプローチして問い直していかねばならないのかも知れない。
2008.05.29
ある来客がきた。何十年ぶりというくらいに久しぶりに会った。平日には何度もきていたのかも知れないが、私はほとんど家にいたことがなかった。雨は依然として降り続いている。55社のうち、はやくも4社から断りのメールがきた。反応していただいただけでもありがたいことである。1000人くらいの社長と新たに会わないと事は進まないくらいの感じでいくべきと思う。ちらしがあまり良くないなどアドバイスもいただいた、苦言を呈してくれる人はヒントをくれる人でもあり、難しいところだが、昨日の飛び込み営業で理解してくれた人も覚えていてくれたらいいなと思う。ちょっとブログが変かも知れないので、これを見たら引いてしまったらと心配である。トラップしてくるトラックバックなどがなにかするとしてくる人がいるが、それは良くないと思う。犯罪に近いと思う。そういうこともまた国会事務所にいけたら、陳情してみたくなってきた。今はある業種に集中してメールしているが、違う業種や違う方法でも認知を広めていくつもりである。このペースだと月曜からのハローワーク通いと並行するのは目に見えているが、たとえ週1日の活動になったとしても、「文化の調べ屋」は活動して行く。お金さえあれば、「文化の調べ屋」は良い仕事だと思っている。
2008.05.29
朝7時頃からはじめて、メール営業を55社まで送信したが、さすがにぼおっとしてきた。休憩を入れたほうがいいかも知れない。しかし可能性がやればやるほど出るかと思うとなかなかストップできない。小ぶりみたいだが依然として雨が降っている。配置薬の営業の場合、ずっとまだお客さんまわりをしていたことになる。今、こうしてメール営業をしている。配置薬の場合は日給が入ってくるという安心感の中でやっていたが、今日は、可能性と夢を信じて、不安定の中に希望をみようとしている。
2008.05.29
今34社にメールしたところ。その間に80歳の祖母と即席ラーメンを食べた。雨は依然として降っている。三好達治の詩がなぜか頭の中から浮かぶ、雨がショウショウと降っている。歌謡曲が頭をめぐる時があるが、今は宇多田ヒカルのフレーバーオブライフが巡っている。まだ50分の1も終えていない。とても多くの会社があるものだ。
2008.05.29
自動車税と携帯電話代を銀行に行ってはらってきた。43061円。貧血を起しそうになる。この失業の状態で、これは痛い。雨は依然として降り続いている。もう11時に近づいてしまった。朝5時からすでに6時間近くになる。20社に、「文化の調べ屋」の営業メールを送った。1社でもいいので、相手にして欲しいとつらい気持ちを抑えながら、もっとメールしなければ。これが人生の変化につながると信じながら。20代の頃、父の病気のために、名古屋にある出版社の営業所から帰郷するように言われた時に、なにがなんだかわからない自分は、抵抗感も少しあって、東京で何日か帰る前にふらついたことがあったと思う。もう最初から滅茶苦茶だった。それから17年くらい経ってしまい、いまだにこれだが、しかしその間にいろいろなことがあったが、なんとか自分色に社会に溶け込まなければ。私だけではなく、あらゆる年代で社会のレールからはずれてしまい迷っている人がいる。昨日削除したコメントには年代のことが書いてあったので、そんなの関係ないと思ったのでそれも頭にきたことだった。20代だろうが、30代だろうが若かろうが、精神的に年老いてしまっている人がいるし、50代だろうが、60代だろうが再チャレンジしようとしている人がいる。失敗したって。物知り顔になり落ち着いていていいってもんじゃない。それはそれで素晴らしいことだとは思うけれど。営業メール続けます。
2008.05.29
朝5時からもう4時間半が経とうとしている。10時頃からいろいろ動きだすと思うのでようやく、「文化の調べ屋」のメール営業が18社に送信できたけど、なんだか希望がわいてきて、こういう状態が好きだ。こういう心境さえブログに同時進行でアップすることが良いのか悪いのかわからないが、インターネットが無かった時代にはこういうアプローチは不可能だった。直接飛び込みや手紙でアピールする人はすごいと思うが、資金不足ではじめてしまっているので、インターネットというのは多くの人に奇跡をもたらしてきたのだろう。飛び込み営業もメール営業も広告も、あらゆる営業のアプローチは経験してきたのだから、会社勤務でできたのだから、同じ手法なのだから個人でやっていても何かは起きるはずだと信じている。今日の自分はなんとかこうやって他者へ自分の存在を知ってもらいたいという意欲と方法を持ち合わせているが、私より意欲や希望を失ってしまった人はこういうアプローチさえできなくなってしまい、部屋に存在を知らせる方法もわからないまま、または意欲を失ったまま一日を過ごしてしまうのかも知れない。ホームレスの人もパソコンというツールを使えないのでSOSを通知することができない。自分がある程度助かっていなければ、生活不安を払拭できている状態でなければ、視野が怖ろしいほどに狭くなってしまう。脳科学者(農家学者と変換された。農業は大切)の茂木健一郎さんも、安心感があってこそ冒険ができると書かれていた。毎日新聞の余録か社説にもそのことを受けていたと思う。
2008.05.29
10社に営業メールをするのに90分かかっている。その間休憩したりしているが、サイトの無い会社もある。こういう、ターゲット業種にひたすらメールで営業するという営業代行も需要があるかも知れないと思いながら、文化の調べ屋がなんとかならないか不安の中メールしている。ものすごい数の出版社が載っているので、メールだけで一日終えてしまうかも知れない。1社でも声をかけてくれるところがあればいいのだと思っている。雨は降り続いている。車の税金で貧血を起しそうになったが、携帯電話料も支払わなければならない。急速の自分の人生を変身させなければならない。そのためには自分独りだけで変身はできない。だれか拾ってください。ブタ猫みたいですけど。やっているうちに、本田信一さんとか、田中優さんとか出てきた。いろいろな活動をしている人がいる。多様性の中で生きてみたい。配置薬会社だとしたら今ごろ朝礼か出発の用意だろうか。自分は長時間労働から解放というか、自ら職を辞し、こうしているわけだが、このほうが自分らしい活動をしていると思っている。お金が入っていないだけだ。しかし、それが致命的なことだが、それが多くの人を束縛していると思う。ネットができてからこそ、こんなスピードでいろんな人にメッセージを送信することが可能になった。残念ながら英語を習得してこなかったので世界的には無理かも知れないが、日本の多くの人に私のやりたいことに力を与えて欲しい。どのくらいの会社にメールできるだろう。以前はハローワークに登録されているところとか、内容が練れていない(今回もそうかも知れないが)などで数も少なかったが、今回はほぼ東京の全てに近いような数の会社にアプローチしている。それも正社員ではなく、文化の調べ屋としてである。可能性を信じながら、おそらくブログを見てくれる人もいるであろうところで、同時進行的な不思議な行為ではある。このブログがどう作用するのか。なにも作用しないかも知れないが、なにか希望だけは感じる。新たな自分を発見するということは新たな人に見つけてもらうということで可能性は高まるのではないか。もちろん以前から世話になってきた人も大切です。
2008.05.29
出版社に“文化の調べ屋”の通知をはじめたが、まだ電話は時間帯で使えないので、サイトのあるところにメールではじめた。しかしまだ2通しか出していない。その間にたまごかけごはんと味噌汁を食べた。80歳を超えた祖母とは40年来のつきあいだ。まだ生きている。これは幸福な関係だ。でもだいぶ枯れてしまっている。朝7時20分。配置薬の営業をしていたとしたら、そわそわ着替えをして、出発間近という時間帯だ。このブログをこの時間帯に書くことはなかっただろうし、苦痛の感覚で出発していたのだった。お金という実際の危機は忘れさせてくれていたが、苦痛だった。配置薬の会社が悪いわけではなく、自分の感覚が苦痛だった。こういうことを書くのが読者にとってもマイナス情報なのかも知れないが、こういうことをあえて書いているブロガーは少ないかも知れない。ネットに真実が全てかかれているわけなんてない。都合の悪いことは書く必要もないかも知れないが、えてして隠されているものだ。だからブログであっても明るいテーマが多くなっているに違いない。もっとひどいとあまりに苦痛な生活に感じてしまう場合は、ブログがストップしてしまう。なんとか書けるまでは書き残したい。プロバイダとの契約がストップするとこの楽天ブログに3年間書いてきたことも削除されてしまうんだろうか。残るのだろうか。楽天さんに聞いて見たい気もするが、それは怖いことでもある。できれば残したい。でも、続けたい。そうそのためになにか動くんだ。雨。暗い。電気ストーブをつけてしまった。極端な寒暖の差だ。また営業メールを続けよう。京野ことみが29歳で30歳の舞台スタッフと結婚したとズームインで知った。京野ことみに似ていた女性と文通したことがあって懐かしい。その人も結婚してしまった。『白線流し』、消防庁のポスターになったこともあったかも知れない。女性のほうが前線に出ていて、男性のほうが裏方である。そういうケースもあるんだなと思った。派手な世界にみえても人一倍真面目な人がいる世界なのかも知れない。そんなイメージがある。
2008.05.29
昨日11時前には確かに眠ってしまったのもあり、朝5時すぎに起きたがもう20分以上経ってしまった。同じところに住んでいながら、所属先が変わったり、生活状態が変わると感覚も変わるような気がする。なにか旅行に行っているような感覚だ。朝から雨である。とても配置薬のルートセールスをしている時はこんな朝5時に起きてしまうということは出来ないことだった。だから今日一日になにか残して、生活状態を回復させるための行動をしなければ。定期収入が入っていない最悪の状態であるが、それ以外はなにか見つけようとしている最高に近い状態である。起きたい時に起きて、眠りたい時に眠る。すると、こういう早朝に起きることができる。お金を得なければならないということが不安を兼ね備えたモチベーションとして機能するのかも知れないが、それでもなにか新しいことをしてみたいという希望は自分はもっている。昨日、飛び込み訪問したところのご主人と話をしたことの一つに、モチベーションのもてなくなった人も生活が維持していけるためにはどうなればいいのかという話もした。自己責任論者たちは、社会のせいにするなと言うが、どう考えても、社会の構造の影響に左右されているのは客観的なものだと思う。どんなに真面目な人でも汚染された環境にいたら心が破壊されるし、無いものは無い。水や空気が生理的に摂取できなくなればどんな超人も生きていかれない。自己責任論者たちは自分の正当性を教科書的に主張するが、それに気づかずただ他者を責めるばかりである。誰もが自分と同じように頑張れると思っているところで他者を傷つける。しかし他者もこの現実の中ではなにかしら社会適応というものを得なければ生存できない。そこに向かおうとするだけでも大変である。保護してくれる人が一生いてもらえるわけではない。しかし社会に適応するだけのノウハウの蓄積がない場合どうすればいいのか。それは今の椅子取りゲームの椅子が少ない状況では非常に市場経済だけでは難しい。政治関連のほうから、社会不適応者の生存の維持に関して、多様性を与えるしかない。好きなことをしていると努力を努力と思わなくなるという。また、王子として生まれた人は貯めがあるためにワーキング・プアと違った安心した立場でいられる。しかし、非難されるのは失敗した状況の時のワーキング・プアであり、その存在は意識されないことが多い。他者非難というのははじめからバイアスがかかっている。言い訳と言い返してくる自己責任論者たちがいるとする場合、そう言い返してくるのは言論の自由、言論での精一杯の力を封じ込めようとする犯罪みたいなものである。その自分の恐ろしさに気づかない。そういう隠れた他者殺しが、目に見えないために、目に見えるような犯罪を引き起こしてしまう人の表裏に関連している可能性もないとも言えないのではないか。だから商品経済だけの経済しか生きられない構造は変えなければならないのだと思う。いろんな理由はあろうが、働けていない状態の人が自らを責めることなく、社会に何度でも復帰できるようなセーフティーネットが完全に構築された時に、その国やその場所は素晴らしい場所と言えるのだろう。商品経済の発達のために、東京でもどこでも川はドブ川のまま流れ、ペットボトルで水が販売されるようになった。空気は汚れ続けている。無言の圧力をかけてくる税金にしても、なぜか国の借金は800兆円にもなるのだという。そしてそこに所属するスタッフは高い給与をそこから得て、自殺者3万人やホームレスを無くす仕事をしているはずなのにそれを達成していない。自殺者やホームレスを見殺しにすることで減らそうとしているのだろうか。人間関係や、自然を加工して他者に配布していくという商品、経済関係において、それが上手な人はお金という物質と引き換えに生活が人間関係の中において近視眼的にはしやすいということである。ズームインスーパーは朝5時20分からはじまっているのか。スタートをはじめてみた。女性がみたら羽鳥さんもとても輝いて見えるのかも知れないが、自分にとっては西尾アナウンサーは朝はやくから凛としてすごく輝いて見える。しかし報道されるニュースは数え切れないある人間や自然が起す出来事の中から選択された一部のものであるが、船場吉兆という料亭が料理を使いまわししていたことが発覚したり、何度も食品衛生上のお客様への騙しをしてしまったいうことで、3度目のそういう発覚から客足が激減して倒産になり、おばあさんの社長が苦痛なお詫びの会見をした。負債総額が9億円残ってしまったのだという。こういう大きなマイナスを背負ってしまった人もいる。ホームレスになってしまっている人もいろいろな理由はあるだろうが、ニートで労働世界に出ていない人もいるだろうが、自己責任論みたいなどうにもならない責めだけのことではなく、市場経済の仕組みが生き辛い人を作ってしまうということを踏まえて、もっとそれを解決する思想を行為に結びつけて実現しなければいけないのだが、今の状態では自分自身のことで精一杯になってしまっている状態で、それ以上に難しい人生の状態になってしまった人たちが報道されたり、どこまでも難しい段階が情報として入ってきてしまう。自分自身が今ここ、この状況にどっしりと構えられず、働いている時には働いていない時の自分が本当に見えて、今日いまここでは、お金をはやく得られる状態を再開しなければ、と考えて今ここをないがしろにしているから、その浮遊している、今から意識が逃げている感覚が自分をブレイクスルーさせないのかも知れない。今ここの状態をもっと意識すること。ぎりぎりだが今日はまだ貯めが機能できる状態だと思う。そしてこのエッジの状態の時になにを起そうとするか。まだ配置薬の営業を続けていたら、寝ている時間だ。自分はそれよりもブログを書きたかった。配置薬の営業を続けている先輩元同僚の人たちは今日雨の中、一日中、お客さんをまわり営業する。それはとても大変だ。1年弱しかしなかったが、雨の日も営業を経験したのでその大変さがわかる。定期収入が無い状態という不安状態ではあるが、こうして部屋の中に雨にぬれずいられることや、今はインターネットがあり、こうしてなにかしていられることが24時間あるのだから、お金がなにかしら入れば脱出でき、自分のような我慢の弱いものでもなにかしらお金を得て生存を続けられる方法はまだ発見、発掘、発明できると思っているし、そうでないと、死を待っているだけの状況ということになってしまうので、なにかしらもがこうと思う。これからネット、電話などを使って昨日コピーしてもらった出版社に、営業をはじめようと思う。またブログは自分にとって最高の発表の場所であるので、並行して思ったことを記録したい。
2008.05.29
長時間労働、拘束が嫌で辞職したものの不安で気が立ちやすくなっているようだ。でも、次の仕事を見つけてから退職するという方法がどうしても出来ない。湯浅誠さんのいう、「貯め」がない人はホームレスにさえなってしまうという危機的状態である。この構造はどうにかならないのかと思ってしまう。湯浅さんの生活保護を申請する人に同行するといった活動は、そのおかげでホームレスにならなくて済んだ人を生み出しているという活動らしい。素晴らしい活動である。それとともにホームレスにまでなってしまう人がいるという、セーフティーネットの欠如した国の構造の現実を直視すべきだ。全員で。はやく生活の危機感から脱出してそこから違うことも考えたいが、一念三千という天台思想の入門をしてみたいと思う。なにかヒントがありそうな考え方だと思っている。明日から雨だという。今日も雨が降りそうだった。夕方から寒くなった。生活保護、ベーシック・インカム周辺は一生関わるが、個人としてははやく金銭危機を再び抜け出して、時間の問題や、シンクロニシティーの問題、仏教思想や、深層心理や集合的無意識など、当たり障りの無い状態で、どういうものか知っていきたい。なんだかそういう方面の読書もまったくやらなくなってしまった。
2008.05.28
削除した失礼なコメントに布団販売は法律違反と書いてあったが、布団屋さんから頼まれてちらしを配って違反ではないと思う。アルバイトである。人が一生懸命やっていることや、調べて書いたものを読みながら文句や皮肉のみ書き残す人は泥棒みたいなものである。そういう人の気が知れない。どういう人間性なのだろう。こちらからなにか意地悪を相手にしたとかそういうのならわかるが、なにもしていなくても文句のみしていく人の人間性とは全くわからない。自分はそういうことをしかけないし、批判がある時はよくよく丁重に書く。それが普通ではないのだろうか。実際に会うことの無い人だとしても、慮りながらやっていくものではないのだろうか。良くも悪くも情報は調べたり経験したりして書いているものなのに、よく読んでくれている人も何人もいてくれるから書きたいけれど、文句や批判のみで関わろうとする、関わりたくない人に調べたことを読まれていると思うと悔しい。相手プロバイダの人に知らせて対処して行きたい。こちらが文句や批判を仕掛けてもいないのに、一方的な名誉毀損だからである。30枚配ったが残念ながらアルバイトのほうは売り上げがなかった。車から自転車を降ろして配ったりした。置き薬屋の営業ではどんなに少なくても一日の売り上げがゼロなんてことは一度もなかったので、企業の既存のお客様のルートセールスはすごいことなんだなといまさら思う。「文化の調べ屋」のことを理解してくれた人が一人いて、もしかしたら調べてくれといわれたのがとても嬉しかった。ありがとうございました。夕方、図書館で東京の出版社を電話帳から調べてもらい、コピーしてもらった。230円かかった。あと、他のちらし代80枚で800円。あとガソリンがかかる。昼はおむすびをもっていけば良かったかも知れないが、すき屋の豚丼350円を消費した。そのコピーからどんどんこのブログやなにか仕事がないか問い合わせてみるつもりである。全滅でもいい。自分はアホかも知れないが、真剣にやりたいことを見つけようと思っている。ベーシック・インカムの陳情を東京へ行き、9人の政治家の方に提出したことや、今日も社会の仕組みのことなどについて熱心に話し合ってくれた人に何人か会えた。生活状態については上がり下がりで不調のところかもしれないが、信じていることは続けていれば良いこともあると信じたい。文句、批判のコメントを書く人は本名かブログなど背景のわかることを出してもらいたい。そうすればなぜ赤の他人に文句を言えるほど図々しくなってしまった人なのかわかるかも知れないからである。プロバイダには連絡しなければならない。名誉毀損だからだ。批判や文句は丁重に行うのが筋道である。他人に文句を言うというのは大変におこがましいことだからである。反省すべき点も人間それぞれあるのだが、気づかせるためには言い方がある。自営したいのはやまやまだが、残念ながら資金の用意と実力が伴っていないのがよくわかるので、離職票が届いて来週月曜からハローワークに通って近いところで再就職活動をする。日曜は履歴書を書く。土曜日までは『文化の調べ屋』をネットから紹介していき、やれるだけやる。車の税金が35000円というのに眩暈がした。税金に殺されてしまうような気さえした。なかなか思い通りの仕事などない。だから自分で考えてみたが、それも難しい。よくよく現実には直面している。でも、なにかに進みなおし続けるしかない。
2008.05.28
人間、うまくいかない時もあるのに、うまく行かない時に文句を言ってくる人間の人間性のほうが低いと思う。素晴らしい経営者と出会いまた這い上がりたいと思う。人間は、暗い面や愚かな面やひどい面もあるが、それは隠してしまうことが多いし、それでいいのかも知れない。わざわざ批判を受けることを書くこともないのかも知れないが、うわべばかり良く書かれていることがほとんどなのだろう。匿名で文句を言うような人間は国会事務所に行き陳情したり一人でできるのか。関わりたくもないのに来るのはストーカーのようだ。また名前を変えてきてもアクセスネットというところから来ていたら調べてもらおうと思う。こちらから相手を非難したわけでもなんでもないのに、相手のほうから名誉毀損をしてくるのだから。証拠はコピーしてとっておく。
2008.05.28
アクセスネットというところから、ひどいコメントがあり削除させていただきました。またひどいことを言われるようならアクセスネットさんやネット警察などに届けたり、対処しようと思います。名誉毀損です。人間なので悪いところもあり、反省すべきところも多いですが、社会的にうまくいかなくても這い上がろうとしているところに文句を言ってくるような心情の人がなぜわざわざ見にきてコメントするのか。見にこなければいいし、コメントにも言い方があると思います。そういう人は文句を言うだけで助けてはくれません。赤の他人です。無責任だからああいう書き方ができるのです。関わりたくない人に書き込まれて迷惑でした。
2008.05.28
布団の営業中、軒並み訪問、三軒動きなし。文化の調べ屋です。といって訪問。これで利益が生活費を追い越せば自営だが。朝、母親の除草剤撒きを手伝おうとしたが、自営は無理といわれ、それが正しいとしてもアタマにきて手伝うのをやめて飛び出した。生まれてから母親には否定語のシャワーを浴びてきた。性格の弱さを与えられた。7万ずつ入れていた家計費も、就職活動費にするので最後の給料からはあげないと書き置きして飛び出した。ここ数日何人かの方からいい人そうと言ってもらえたが私は欲と悪意の固まりだ。つらい。嫌な気分だ。悪意をもったまま営業していては今日も0だろう。無心になるまで軒並みしよう。ガソリン代やコピー代、車が痛む、年を一日とるなどのエントロピーが増大する。不可能でも自分で計画したフリー飛び込みに生きている感じがする。
2008.05.28
なぜ工業製品を作れたり、創造できる人がいるのか自分にはわからない。その違いが生活費にせよ、人生の違いを生んでしまう。私よりは全ての面において、他人のほうが現状の社会の方法に乗っている科学技術などの知識や智恵があると思うが、現状の構造の中でもがいても乗ってしまって一生を終えてしまう人は、この現状の枠組みの中で喜怒哀楽して死んでいける人だった。しかし、企業社会不適応者という現存や、年間自殺者でさえ3万人を超え続けるこの構造が永遠に続きそうだということは、森永さんのように、弱者の側の意識がある人でさえ、年収300万円の確保をというアプローチだけでは全ての人を救えない。森永さんもベーシック・インカムについてはたぶん昨日まで言及していないだろう。ベーシック・インカムを提言している学者の小沢修司先生や山森亮先生などの人たちは別格で社会をバージョン1からAに変えたいと理念を持っている人たちであるとしても、(これから社会に巣立ち、政治家を目指すであろう学生たちにベーシック・インカムの可能性を授業で説いている方々なのである。)湯浅誠さんみたいな、生活保護という現実にある制度をもっと活用できるように、貧窮者のバックアップをしている人が、『雨宮処凛のオールニートニッポン』という本の中でもベーシック・インカムという言葉を発言されていることはもっとも現実的に、この企業、お金の誘導する社会の中で、それへの不適応者まで考えようとしてくれている思想実践家だと思う。今の政治家やテレビのレベルでは、でもテレビは、社会保険庁などのスタッフの犯罪行為や、官僚の犯罪行為などをすっぱ抜いてくれるけれども、瞬間にベーシック・インカムなどの思想を伝授して一気に社会のイメージを変えてしまおうというもくろみはしてくれない。大企業や大組織という上の言うことを段階的に忠実に構成していく仕組みの中の優秀な人たちは順番を踏むことで年収に支えられながら、変わっていくまでには多くの間に合わなかった犠牲者をたくさん出しながら、タイミングで英雄になってしまう。小泉さんの改革の時にも、自動車関係の経営者が3人自殺したという事件などを思い出す。痛みを伴うなどと言っても、政治家官僚などの高所得のクラスの人は助かっても、サラ金の返済などで取り立てる人にひどいことをされ、自殺に追い込まれた人もいたらしい。テレビもこのところ、理由の不確かな男性が女性を殺害してしまうようなニュースを取り上げているが、なんの解決にもならない。その恐ろしさもあるにせよ、ニュースの順番を、経済の変なところで自殺や夜逃げをせざるを得ないおかしな、憲法25条が守られていない現実を直視する報道をトップニュースにすべきである。自殺にしても、なにか化学物質を発生させて死ぬという事件の例ばかり取り上げてその背景である、おそらく生活に困ってしまったとか、愛やつながりを見失ってしまったというところは今のテレビの製作側は言っていないし、その解決策をどこまでも伝えようとはしない。おそらく、生活に困窮する立場にない人たちが、ホラー映画やサスペンス映画に興じるというのは、その出演者が儲かるような構造というのは、働いて申し分のないように思えている層にも実は隠されて気づかれていない病巣があるということではないかと勘ぐってしまっている。機械化、企業化がいびつさを発生させてしまっている。それに適応しやすい人としにくい人を出してしまっている。オプティミスム、楽観、お笑いブーム、前向きなどの直線的な生き方とマネーが直結している人は競争に勝つという視野が入ってくるから、今日も東京のビルの真ん中で精力的に突き進んでいくことだろうと思う。森正弘先生が『エサしか見えない蛙』と表現されたように。前向きさはたしかに大切で、元気があればなんでもできる。アントニオ猪木や、気合だ。気合だのアニマル浜口親子などの雰囲気も好きだが、ノーベル賞を日本ではじめて受賞した湯川秀樹博士は当時の著作ではしきりにペシミズムということの大切さを語っていた。今はもう、アメリカ型というのかわからないが2分割思考法によって、800兆円も借金を背負った国という組織の従業員の官僚が1000万円とか年収をいただきながら、年収100万に満たない人や、売り上げがあがらずもがく人や餓死や自殺者まで出している。キムタクが「チェンジ」という新人議員が総理になるというドラマの中で、年金制度を税制にするという他候補の持論に反論するために、年金を真面目に払った人が2重払いになってしまうんじゃないかというのを阿部寛が指図すると言う場面があったようだが、それはエリート側から見た立場だと思う。自己責任論者や都会の年収400万以上もらっている構図の中にいる人の感覚では、年収100万で働いていても、1万7千円年金に払うしかない重さが感じれない。2重払いしようが生活に困らない人はいっぱいいる。フジテレビにはペシミズムを一番感じられないし、日本テレビは猟奇的な番組が多くあるような気がして、気づかれない悪意が都会人の斜にかまえたような感覚とか、田舎へも世話にはなっているが、コンビニやチェーン店の侵入など、矛盾した私の能力では解くことのできないものが侵入してしまっているのかも知れない。山内議員のブログに、昭和30年代のほうが犯罪数は多かったようなことが書かれているし、昭和58年の松原泰道さんの『法華経入門』にも犯罪が増えてしまってと親族を殺害してしまう事件などの嘆きがかかれている。山内議員も歴史も踏まえて、真実を冷静に見る必要性を語られていたのだと思うが、努力することと怠けることの意味合いの捉えなおし、湯浅誠さんが『反貧困』で書かれていたように、努力しても金銭的にどうにもならない不公平な構造は存在しているというところからの捉えなおしなどが、進歩という概念を持つはずの人間ならば、戦争中ではないのだし、むしろ繁栄を通り過ぎた後には、もっとどんな人にもかけることのできるセーフティーネットのある社会や、経営者側もつまっているから、労働者がワーキング・プアになったり希望ももてなくなるような構造をつくってしまうのであろうから、私自身も答えが出てないので、文章が長くなるわりには自分自身がなんの解決もできないまま失敗と挫折を繰り返しているが、今日ははやめに外出して、現物セールスにまわってみようと思う。私はまだ外出できる気持ちが出るけれども、外出もままならない人がいることも脳裏に浮かべられなければいけない。自分よりもっと動けなくなってしまっている人がいて、そういう人が20年も30年もいるというのに、政府や自治体はそれを前面解決できない。突発的事件も起きているが、目立つからそれがトップニュースになるが、その背景にある、成人病的な忍び寄るような、大勢が我慢しながらなんとか一日すぎるような、そういう危険性に及ぶ前の、シグナルをもっと、お金には困っていない立場の人が見据えないと、競争に勝った人が、負けた人を追いやる構造では、負けた人が死んでいなくなったら、勝った人どうしで勝負になり、勝者の間で負ける人がまた死においやられる。そして最後に勝ち残った人ばかりになった時、孤独が勝者を襲うのみとなる。お金と努力と仕事というものの捉えなおしが必要だ。自分は、言い訳と言われたが、会社には不適応を続けても努力というか、生きようとしてきたし、生きていたい。起きている間じゅう、どうしようかとは考えたりしている。こうやってブログを使って、発信もしたい。人にはいろいろな考え方があるが、ある人が全て正しいということはありえない。もちろん、私のこの文章にはかなり間違った考えがあるのかも知れない。ただ、救ってくれるのは結局他人である。ここのところ、人は助けてくれないよなどという言葉をきいたが、どう考えてみても、一人で全て生きられるわけがない。誰かとの気づき、出会いが必要だ。ワークライフ・バランス、ワークシェアリング、生活保護の普及からベーシック・インカムそして生きて動けることの多様性、人への思い。それらが、企業主義や拝金主義を超えるなにかを現実に持ち込まなければならない。そしてそういう達成を輸出していけば、最初からアフリカまで行ってしまう人もいるし、U2のボノが慶応大学から貧困者解決のために活動していることで名誉を受けたと毎日新聞に出ていたが、アメリカや日本の病気をまず解決して欲しい。隣人愛というのはアメリカの多くが信奉するキリスト教の思想であっただろうし、生まれたところの貧困を解決する延長からアフリカも本当に助けられるのではないのか。アフリカを助けている人は日本を助けているどころか自己責任論で片付ける人が多いのかも知れない。こういう怒られるようなことも書いてはいるが、生まれたところが貧困地域で都会や別の場所に出てしまうという人もある意味適応能力があるのだと思う。自分も会社ではつまってしまい、仲間から離れてしまうということを繰り返してきた点では同じなのかも知れない。だが、良い場所に移動して良い思いをしたということと、取り残されている人が苦しいということを忘れてしまうということはどういうことかということも察するだけでも察すると人はどうなるのだろう。私自身が苦手な人間関係、集団との関係が、このところ、個人主義でどんどん共同体や農村的関わりが滅亡していった。だがある意味行き辛くなった。どこに行っても地獄のような意味合いに取られてしまうのは自分の我欲があるから?小学生の頃はエゴイズムということが、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』などが国語の教科書に載っていたり、なんだか気になっていた。私自身がエゴイズムの固まりのために、せっかく入社させてくれたところをことごとく辞職してきて、それで自業自得と言うのかもしれない。しかしなぜ「得」という漢字なのだろう。自業自損となぜ熟語を作った人はしなかったのだろう。セレブの幸福は庶民の幸福とリンクしていないと思う。ある程度の中流の感覚の楽しみのために冨が集中するのだろう。でも、原節子の時代からキャンディーズの時代になって、いまさら富の集中している人にあこがれるような時代なのだろうか。いまだに大リーグなどに行った人がもてはやされる時代だったのだろうか。格差を生じながら。自分自身の企業や組織に留まれないということはまた別の問題を含んでいると思うのでそれもどういうことか心の決着をなんとか生きながらえて考え抜きたい。しかし、わが身の近くの生じた現象として萩本欽一さんが大リーグの松坂などともつきあえる人が、国民の多くに親しまれている人が、アルバイトをしながらクラブ野球をするというあり方を創ったということ、企業チームを4年目にして破ったという現象。これを社会構造のアナロジーとして捉えることのできる人が現れたならば。二宮清純さんという人などはあまりに新自由主義的な見方しかしないようなエリートにしか見えていない。そんなに書いたことを読んでもいないけれど。そして朝8時になった。今日は曇りだというが、雨は降らないという。明日から雨みたいだ。誰かに助けてもらわなければなにかに所属しなければ今度も生活が維持できないだろうと思いながら、今日はフリーに飛び込み訪問してみます。
2008.05.28
5時すぎには目が覚めてしまったが、はやくも1時間30分が経とうとしている。一日ははやい。今日は昨日のMさんからの現物を訪問セールスしてみる予定。8時台には外出しようと思う。7時台に出ても訪問先が驚いてしまうような気がする。それも先入観だろうか?失業してから1週間ということは、日給が入らなくなって1週間たってしまったことになる。湯浅誠さんの言葉では「貯め」がわずかではあるがあるのと、『文化の調べ屋』をやりたいので母親には離職票が届いたら就職活動をすると了解を得ている。たぶん今日明日にでも郵送されてくる状態だと思う。ハローワークは土日は休みなので本格的な再就職活動は来週月曜日にははじめる予定である。前日の日曜日には新聞の折込ちらしに求職が入ってくる。そこから真剣に見てみる。だから今度の日曜朝から再就職活動としてははじめる予定である。コメントで前日批判を受けたように、自分は怠け者である。社会の仕組みと合っていない。ノルマに挫折する。しかしそうして会社を何度も辞めてしまうと、生活が苦しくなるし、41歳に近づくというのにいまだに独身である。計画性が無いのが失敗だが、結婚相談サイトも簡単に解約するとダメージだけ残るので定期収入の無い中、継続しているが、14人以上の人から断られている。人間の価値が仕事や収入や安定感で判断されているのであれば今の状態では結婚を考えてくれる人は皆無なのであろう。企業社会不適応者でもあり、自営の能力や資金も無いなら、どう生活維持していくか、家族という『貯め』の協力者も本当に年老いてきてしまって、危機である。それでも朝8時から夜9時までルートセールスと事務処理というルーチンに耐えられなかった。ここ1週間のような、売り上げ利益は全くでていないが、東京へ行き、ベーシック・インカムの陳情を9人の政治家事務所にできたり、情報誌の企画営業時代にお世話になった方々と再会できたり、昨日のように生分解性プラスチックの関係の人たちにアプローチできたり、Mさんに相談したりと、そっちの行動のほうが自分にとって楽しい。ルーチンではなく、企画営業時間自由型のほうがとても楽しい。一日が理論的には世界中全ての人に会える。こうやってインターネットもそのツールである。あとは生活維持のためのお金があるかないかだけである。しかし、置き薬屋さんのように地域ルーチンの大切さも覚えている。一人暮らし老人のみまわりというか、話をするだけでも楽しみにしている人がいたかも知れない。むしろ公務員や議員さんよりもそういう人たちと話をする機会はある仕事だったと思う。それに家族のために、夜までまわり、週の拘束時間が72時間を超えることもあるような状態でさえ何年も勤めている人たちがいて、いろいろなルールを教えてもらった。しかし、自分はワークライフバランスやワークシェアリングのほうを目指すべきだと絶対に思うし、長時間労働、拘束に耐えることができなかった。第2次世界大戦経験者の90代前後のお客さんも生きていてかくしゃくとしていて、6年間逃げられず上官に叩かれたりとすさまじい内容を聞かされた。狂ったり脱走しようとしてもどうにもならず自殺してしまった人が出ていたらしい。しかし、時代というのは楽しいほうに創るものだと信じている。戦争状態や管理状態が人間の自然の姿だとは思えない。多くはお金が生活維持のためにリンクしてしまっていることから生じていることだと思っている。なかなか毎日新聞にこのところ、自分自身にフィットしてくる内容が感じられなくなっているが、本の広告の欄に、経済アナリストの森永卓郎さんの新刊『緊急版 年収120万円時代 生き抜くための智恵と工夫 なにがなんでも年収300万は確保せよ!!』1470円(あ・うん)とある。森永さんの言う、年収300万円でさえ、田舎では週72時間の拘束にも及ぶことのあった、会社でも最初の一年だけということもあっただろが届かなかったし、給料格差を述べているに過ぎないように思う。著者が年収300万以上の人だろうから、こういう額を述べてしまうのだと思う。年収300万円というのはたぶん、自分は得たことのない数字だと思う。社会人になってから。だから、自分は社会的には劣っているのだろうか。劣っていると言われた場合、そう思った人は経済を固定枠で考えるところの人なんだろうと思う。それはそれでいい。そういう人が大勢いてもそれで済む。しかし、そういう状態をもう一歩踏み込んで考えてくれる人に私は出会いたいし、話を聞きたいしつきあいたいと思う。生活苦の人がいるところで、セレブで金余りの人がいる状態は異常に思うし、マスコミはごった煮だから白も言えば黒も言う。金持ち喧嘩せずというが、お金に困っていない場合、自分周辺は良いのだが、税金などを多く支払っている人たちだから自動的に社会に還元はしているのだろうが、社会不適応者や、ワーキング・プアの領域に入り込んでいる人生を送ってしまっている場合、努力などと言われても、そのお金の蓄積の価値が違ってしまうのである。例えば、年収500万の人が一年働いてリタイアした場合と年収200万の人が一年働いてリタイアした場合に、失業時に残っている金額は同じくらいの消費の場合、500万円の人のほうがたくさん残っているはずだ。それが次のステップへ行くまでの貯金になる。しかし、年収200万くらいの社会の領域で働いた人は、辞めても貯金もないからずっとはたらき続けることになる場合が多くなる。転職も厳しくなるからである。そこら辺からスタートから違ってしまっている。森永さんが年収300万を確保しろと言っても、本を読んでいないので意図はわからないが、年収300万円に届かない生活領域に入り込んでいる人にとっては長時間労働したって無理である。中小企業の経営者が年収300万に満たない場合も有るのかもしれない。だから森永さんは東京の一部の人を念頭に置いて書かれているに過ぎない本なのだろう。森永さんが見えてない社会があるのだ。むしろ、東京という、住居代や駐車代や物価が全て高くなっているところで、お金の額が生活のために必要になってしまっている構造のところが異常な自然から離れた構造の場所なのだろう。その蓄積がセレブの存在になるのだろう。そのいびつさが生き辛い人をつくりだしてしまうのだろう。政治家や官僚や公務員や企業家のように現状を進んでいくことで生きやすいリーダーは、または行き辛くても我慢して進んでしまった人は、既存の枠組みの中でコンマ1くらいのバージョンアップをするくらいの観念の中で改革と思っているので、バージョンが1から2どころか、Aにしてしまうくらいの本当の意味での改革を思いつくことができない。その構造の中に入り込んでしまっているからである。良くも悪くも、明治維新とか、農村を疲弊させ人々を都市化、工場で働く人やサラリーマン化させた池田勇人のようなのが本当の意味でのバージョンアップ1から2というものだと思う。そこからバージョン3にしなければいけない。
2008.05.28
今日は、Sさんにお招きいただき、Sさんの活動を教えていただいた。Sさんに訪問する直前に配置薬の会社から電話があり、給与明細が届いたというのでSさんに挨拶して、すぐ戻って明細書をとってきて、またSさんに訪問した。とても商品を気に入られていて、それが基本なのだなと思った。その後、無料でネットができる公共の施設に行き、生分解性プラスチックについて調べていた。従来のプラスチックはそのまま残ってしまうが、生分解性プラスチックは水と二酸化炭素に分解され環境を汚染することもないらしいのである。しかし、コストがまだ従来のプラスチックより高く、普及は大きくないらしい。しかし、熱心にメーカーや調べている人たちがいて、茨城県でも協会があった。グリーンプラなどというらしい。取り入れられている製品にはマークが貼ってあったりするらしい。原料はとうもろこしなどが多いようだが、コメや籾殻を一部使用して作っている会社に問い合わせると、具体的に商売として進めてくれる人があれば説明してくれるという。Mさんの店にまたお伺いし、頻繁で恐縮と思いながらも、またいろいろ相談に乗ってもらった。一人もしかしたらという人を考えてくれて、探してくれた。そしてMさんの商品を預かり、いちおう訪問活動を明日からにでもすることになった。しかし、Mさん読んでいるかも知れないが、ちょっと商品が大きいので、折りたたみ自転車には乗せられない。バイオディーゼルなど、なにかモニターとしてただで自動車が動く燃料をいただけないかななどと都合の良いことを考えている。『文化の調べ屋』もまだ売り上げさえ1円もあがってないが、やりたいと思ったことを少しずつ調べてはいる。離職票が郵送されてきたら再就職活動もはじめると母親に言ってあるので、それももう明日にでも届くのかも知れない。そうしたらいちおう再就職手当ての手続きを所定のハローワークでしておくつもりである。法律も、なにか働いた日は除外して自己都合の場合、3ヶ月たったら手当てがもらえるのだと思うが、なにか働いてももらえたほうがいいし、それで悪いことなのかなとも少し思う。その3ヶ月の間に、湯浅誠さんの言葉で言えば、「貯め」の無い人は、ホームレスにまでなってしまう人がいる。それに失業保険が切れても就職できないでホームレスにまでなってしまう人がいる。なにもできない自分でなんとも悔しいところだが、なにか余裕がないと、物事を進めることができない。金銭的に余裕のある人たちも大勢いるのに、生活保護の強化や、ベーシック・インカムなど、最低層の困惑を助けてあげたいと取り組んでいる人が非常に少なすぎるほど少ないことがとても残念である。そういう意味では自分は莫大なお金や権力が欲しかった。とさえ思う。私には無理だが、誰か力のある人が、生活保護のもっと受けやすい感覚にしてくれるとか、ベーシック・インカムを言い出し続けてくれるのが念願だ。ドイツでは、巨大チェーンのオーナーのヴェルナーさんという人がベーシック・インカムをアピールしていて、翻訳が出ていて、『ベーシック・インカム』とそのものずばりの名前だが、もっとその知名度が国民に広く知らされる時が急にきて欲しいと思う。あと、ガソリンの消費が失業者を苦しめる。なにか、車にかかる費用が少なくなる方法はないものだろうか。そこらへんに、儲かる人は儲かり、儲からない人は儲からないといういびつな不公平な構造が見え隠れしているように思えてしまう。日銭の稼げるような安価な商品をなにか見つけたかったのと、せっかく見つけるならエコ製品かなどと思い、生分解性プラスチックの日用品かなと思ったわけだが、なかなかあまり聞かない話でもあり、難しいところもある。でも、それに携わっている人が実際いるわけだし、やっている人はやっているんだなと思う。政治家への陳情だって、やっている人は平日の国会期間中に、国会事務所へ出向き、陳情しているのがわかった。あまりテレビなどではそういうことは伝えない。かえって、伝えて気づくような人たちが大挙押し寄せてしまうようになると、政治の質が落ちてしまうのかも知れない。お金に最低限度困らない社会になることと、国民の人間性が高まることが、多くの問題解決の糸口なのだろうが、今日もまた商品経済の中で、あまりなにも変わらないまま一日を日本は終えてしまう。だがこう思っているだけでは、自分自身も救われないし、どうにも世界も変わらない。なにか見つけてしていかねばならないという実感は今強い。叫んでも届かない。叫んで届くようなら、ホームレスにまでなる人はいなくなるだろう。そういう最低限度の抑えのない状態の経済社会の中にいる。ホームレスや経済苦自殺者、借金に追われたり、夜逃げなどが実際におき続けているということは国や自治体の恥であり、憲法25条が守られていない現実である。同朋であるはずの国民同士でさえ、自己責任論で弱っている人を責めたりしてしまう。それに大して自分は無力であり、自分の余裕も無い状況に自ら追いやったといえば追いやった。明日ははやめに外出して、Mさんが貸してくれた現品をみせながら販売できればいいなと思っているが、雨になったらやりづらい商品である。気がつくと蛙が大声で鳴いていたり、自動車の通る音が聞こえてきた。そういう風に実際に聞こえるはずの物音でさえ、意識が違うところに、文章の入力などにいっていると気づかないで過ぎる時間がある。ということは、そのほかにも気づかないのに、流れている何かがあるのかも知れないと想像する。この時間帯にも楽しい場所で歓談している人はいるだろうし、お金に困らない仕組みの中で生きている人もいる。そして夜勤している人もいる。だが、それは考えないと思い浮かばない。無である。気づかないと無だが、実際にはある。そして実際にはあるのに、気づいていないことが私の今に多々あるのだろう。ここで何か気がつけば、お金への不安感も脱出できるのかも知れない。一瞬に。しかしわからない。気づかない。
2008.05.27
朝5時30分起床。ごみ出しなどしてきて、もう40分くらいそれから経ってしまったが、近所のKさんが犬と散歩していた。ずっとKさんは早朝犬の散歩をしている。すでに暑さを感じるくらいの陽がのぼっている。「もし」ということなど本当はわからないことかも知れないが、たぶん置き薬の営業をもし続けていたら、6時45分頃まで、遅刻しないぎりぎりまで横になっていただろう。気持ちも陰鬱なものだったはずで、気合を無理に入れなければならなかっただろう。置き薬の営業は、健康製品をすすめたり、立派にやっている人は健康アドバイザーとしてお客様に喜ばれたりしていたが、理念も良いものだったが、私が続かなかった理由は複数あるとしても、朝8時頃に出社して、夜暗くなっても冬などは2時間くらい訪問活動を続け、夜9時頃まで事務処理をして帰り、そのほか付随することがあり、休日出勤も要求され、ルートセールスを縛りだと感じてしまったりしたことだろうと何回も反芻している。そして短い瞬間になるかどうかわからないが、現在は、お金という束縛を除けば、時間という自由を手に入れている。それにブログを発信できる状態にまだある。ここで変身しなければ。置き薬屋さんに勤め続けることはできなかっただろうが、勤め続けながらライフスタイルを変えて、潜在的にやりたいと思っている方向にもっていくことはできなかっただろう。ただお金は定期的に入っていて、貯金をもっとすべきだったのが挫折である。でも、お金さえ入るならば、この、時間にそんなに縛られない状態のほうが良いに決まっている。疲れなければ眠らず何かしていればいいし、疲れれば昼でもバタンキューという状態でなにか社会とリンクできるものが見つかれば。『茨城王』のサイトの青木さんや、リンクさせていただいている、『半農半X』の塩見さんなどは自分のスタイルを切り開いて、発信している人たちである。そういう人も現にいるのだ。自分には欠けているところだらけだが、41歳間近という年齢的な不安もあるが、もっと変身したい。置き薬屋さんでは、数字や軒数のノルマを自ら意識しすぎて、せせこましいことにこだわったり、お客様をモノとして扱ってしまうような変な考えがでたり、お客さんが嫌だというのに会社の命令どおりにしてしまったり、それが交渉なのかも知れないが、ルート営業のスタイルの縛りとともに、なんだか自分が疲弊していた。置き薬屋さんを続けている人はすごいと思うが、姿勢も素晴らしい人がいて、心のバランスも大切だと言われていたが、自分は続かなかった。いまだに反芻する。しかし、これからも生きていかねばならない。新たな生活維持のスタイルを構築しないと。だから、前をみて、これからをみよう。昨日も、おもいがけず、3000円で折りたたみ自転車をゆずってもらったりできることが起こるのだから。なにに関わるか、誰と関わるかで人生は変わってしまうし、決まっていくのだと、ルーティンから離れた時に必ず思い出す本、『単純な成功法則』中島薫も手もとにある。再読して考え方を前向きにしたいと思う。環境保護グッズで自分が本物だと思ったものなどを調べればいいのかななどとも思う。
2008.05.27

4時頃まで外出する気が無かったが、家の中にいても気が滅入ってきて、ネットでなにを探そうとか、どこをみにいこうとかいうことがつまっていたので、外出してしまった。そして、自転車のタイヤの調子が悪いんじゃないかと思い、自転車屋さんに見てもらおうと思い、市内の仲内輪業さんにいった。そうしたら普通なら10000円は超えるであろう、ホームセンターでも15000円近くしていたが、折りたたみ自転車の使われていたものを3000円でゆずってもらえた。たしかに今出費するのはとても痛いことだが、車に自転車を載せて営業するというのは夢というか希望だったから、折りたたみ式のほうが頻繁にやっていくことを考えると家にあった自転車は車への乗せたり降ろしたりがかなり大変で車の中いっぱいいっぱいなのでいいと思った。その他、鍵が500円仲内さんから購入。そしてカゴがついていなかったので、ホームセンターで1980円で購入。6000円近く出費してしまい、家から出てなければその出費は無かったということだが、それよりも、折りたたみ自転車はひとつの勝負の象徴のように思えた。仲内さんへのインタビューを、「取材したのはここだ」(左側の下にリンク)に掲載した。
2008.05.26
午後1時から2時すぎまで疲れが出て昼寝した。知らなかったが元TBSでフリーアナウンサーの川田亜子という人が自殺したというのをネットニュースで知り、こういうタイミングで他人の情報が入ってくるものなのかと思った。彼女のブログをみると、疲れていて鬱病のような感じになっていたみたいだ。削除されていたが、週刊誌に母の日に悪魔になったみたいなことを書いていて精神的に疲れていたらしい。でも自殺はいけない。でも、鬱病だと発作的に悩んでしまうのかも知れない。そういうのもみたり、朝から痛烈なコメントがあったり、母親などからむやみに外へ出るななど、否定的な情報ばかり飛び込んできたので3時を過ぎてしまったが、もう遅い時間ではあるが、部屋の中にいてもつまっているばかりなので外出しようかと思ってきた。昼寝している間夢をみて、夢の中で2軒ばかり営業が最後になるからとお詫びしてきた。配置薬のお詫びの続きだろうか。ネットでどこへいけば面白い展開になりそうかなどと思って調べていたが今日は調べ方がわからなかった。わからない場合は外へ出てみるか。出るのが遅いか。自転車屋さんに行き、タイヤがパンクしてないか聞いてみたい。なんだか走りにくかった。2、3日、『文化の調べ屋』でまわってみて、布団の打ち直し、カーテン、ステンドグラスの社長たちが、売り上げがあったら歩合給与をくれるという話があり、さっき電話があり、情報誌時代にお世話になった人の店にちらしを入れておいたら返事がきて、明日なにかの話をきいてみてくれというので行くことにした。明日はそこら辺の地域の営業をしていればいいか。できれば、自営で生活維持したいが、それなら今日は朝から営業に出るべきだったんだろうか。いろいろスムーズに展開しない。否定的な情報が入るからだろう。否定的な情報の人は人をコントロールしたい人なんだろうか。それだけでも無さそうだが、普通の精神状態でも今はない。やはりサラリーマンとして固定給をもらっている時期が一番深く考えないでいられる。与えられた仕事に進んでいればいいのだから。それに会社が生活維持レベルの給与をくれるから。でも、時間に拘束されるには嫌だった。茨城王というサイトの、『いばらぎじゃなくていばらき』を書いた青木さんも時間に縛られるのが嫌で、フリーランスになって、今は講演などでいそがしいと書かれているが、フリーランスになってすぐ事故で入院したりはじめはさんざんだったらしい。とにかく誰かとは一日一人でも新たに会わないと何も進まないのだろう。それも商品がらみでである。逆説的だが、それが進むための道としか思えない。出かけることにした。すでに3人の方々から、固定給ではないが商談はもちかけられた。それにプラスして、本当に自分が売りたい、商品やサービスを見つけることかも知れない。
2008.05.26
さっきのコメント、「努力しないで怠けたいだけなんだろ」という言葉が突き刺さっていてどう考えようかと思ったが、このサイトにヒントがあるように思った。他人からみれば、努力に見えていても、本人は好きにやっているだけで全然努力している気にならないうちに、うまく行くというものだ。だから、長時間労働にしがみついているんじゃなくて、好きに流れを待っていれば、もっと自分に合った生活の方法が見つかるという過渡期である場合ではないかということだ。コメントしてくれた人は、「努力」の意味を苦を共にするものという意味で捉えて使ったか、私がそう捉えてしまったに過ぎないのだろう。融通無碍に生きていたり、何か好きなことを求めようとしていたりすると、なにかが進んでいくのかもしれない。母親もポリシーを曲げないで、そんなにあせらないで、見つかるまで待つ時間も必要だというようなことを言っていた。ネット内でも自分に閉じこもらないで、良いサイトを探しに行こう。それも出会いへの方向である。今後なにに進めばいいか質問してみようかとも思う。
2008.05.26
うちでずっととってるのが毎日新聞でそれで毎日新聞の話題になるのだが、中に、アメリカでは3億以上の銃がでまわっていて、3万人が銃関連で死亡しているとか書かれていた。日本の年間の自殺者数も3万だが、アメリカの銃社会は怖ろしい。ライフル協会というのが銃を賞賛しているらしいが、怖ろしい。読売オンラインでは、心の病の労災者数という話題が出ている。これはリンクできるだろうか。長時間労働やノルマ、パワーハラスメントなどが原因なのだろうが、職場の心労、ストレスが原因の労災認定が、268人いるのだという。そして自殺と自殺未遂にまでなってしまった人が81人もいるのだと書かれている。2003年の倍になっているという。過労で、心臓や脳に障害が起きた人が392人、そのうちの死者142人(過労死)だと書かれている。こういうことが1例でも起きている企業社会という構造の中では、(学校のいじめなどの問題の延長としての職場なのだろう。)どうしてもなじめない人はでてきて当然だと思える。しかし、今の企業社会偏重の世の中では、企業社会に向いていない人は排除されてひきこもりになってしまう。インターネット社会や内職でもそういう企業不適応の人が対応できる方法がもっと生じてくれれば生き抜ける人が増えるのではないかと思う。これも憲法25条で全ての人が最低限度の安心した生活を維持できるということに対して正確な方向の考え方だと思いたいのだが。企業内労働だけではない、もっと多様化した労働を、その実例が無いのだろうか。自分もベーシック・インカムが無い現在なにか基本生活費維持のための活動を探さねばならないけれど、自分もこんなに不安になるのだから、しかし自分は潰しはきいているので今後はわからないが、いままでは採用してくれたところがあるが、長期間ニートの人はもっと大変だと思う。困った人を批判したり罵声してさよならという人は犯罪である。もっと生きることを楽しく、そうすれば天国になる。こんなに機械化されていて、それでまだ苦しませるというのはおかしい。旧来の固執型の考えで責めてくる人のことばかり信じてはいけない。社会生活の不適応の人のほうが楽しい社会にもっと進むためのヒントを持っている場合もある。全身全霊を使ってである。生活維持のための多様性を一緒に考えてくれるような人のほうが、上手だ。批判者は思考の限界の中で考えてしまう人だ。しかし、その中には教訓が含まれているのかも知れないとも思えてしまう。もっと考えて、そして近いうちに外に出る。転職は恥ではない。100回以上やってもいいと思う。そういう社会にしてもいいと思う。それならフリーターでも良いはずだ。だが、ベーシック・インカムなどの併用があればもっと良い。正社員を求めるという点で、湯浅誠さん周辺の人たちは、伝統的な考え方に則っているが、自分はもう少し違う方向で、正社員には縛られたくない。でもそういう怠け者の生き方や考え方が、長時間労働で死ぬ人が200人にも年間にのぼるという現状から解放する鍵を握っているかも知れないじゃないのか。お金になることだけが努力なのか?
2008.05.26
今日は、新聞とネットニュースで自分のフィルターに止まったものを書いて、それからどうしようとスタートしようと思ったが、痛烈なコメントがきて、それで3時間がはやくも過ぎてしまった。でも自分の偽善性というのか、別に悪でも善でも無いのかも知れないが、あぶりだされたような、確実に自分は怠け者だということはまた確認できた。怠けたいというよりは、楽しい事を見つけたいと思うことや、ワークライフバランス、長時間労働からは逃げたいということから、今の状況になっている。批判はそうやって自分をあぶりだしてくれるが、できれば、チクセントミハイという学者さんが言うようなフローな感覚で、それに反自然的なことではあるが、その活動と共にお金が入ってくれば最高なのだろう。商品経済に自分は魅力を感じなくなってしまった。それよりも生活保護の受けやすさやベーシック・インカムの実現など、そういうところに興味が最大限にある。しかし今の「時」では、その実現のために、なにか商品経済を選ばねばならない。怠け者とは何かについても研究してみたい。それが敷衍すれば、長時間労働や、労働者は搾取されているのかとか、労働感とか、意識を変えることができるかも知れない。寿司屋さんの経営者が以前、とことん本を読みまくってみるのもいいんじゃないかと言われていた。母親には、離職票が届いてからスタートしてもいいから、あせらず動き回らないでじっとしていればといわれた。今日の卦は沢雷随が出た。東京の大企業に飛び込み訪問すると受付の壁に跳ね返されてしまうので、ネットでメールで読んでもらえるかどうかはわからないが入っていくほうがトレンドなのだろう。手紙を手書きで書いたほうが丁寧なのかも知れない。だから一日中部屋の中でも社会とつながることは不可能では無い。私自身がうまく社会を営んでいる人からみれば、わからず屋なのだろうが、それでも、自分自身がこの人はわからず屋だろうと思うような批判や文句ばかりの人よりも、導いてくれるような人、メンターに会いたい。私自身が、批判や文句に怒るような人なので、メンターではないのだ。メンターは寛容性で懐の中に含めてしまう。労働だって努力だっていろいろあるし、一つのところに留まるだけが能ではないのだと思っている。ろくでなしに見えたって、駄目に見えたって、それがなにかインパクトになって、社会の居心地の悪さを変えることができればいいとさえ思っている。1984年。私が17歳の時に浅田彰の『逃走論』が出た。その最初の「逃走する文明」は前年の1月に雑誌『ブルータス』に掲載されたものだが、人間にはパラノ型とスキゾ型のタイプがあって、パラノは偏執型(パラノイア)で、過去のすべてを積分=統合化(インテグレート)して背負っているようなのを言い、スキゾは分裂型(スキゾフレニー)で、そのつど時点ゼロで微分=差異化(ディファレンシェート)してるようなのを言う。とある。浅田さんは、パラノの例として、十億円もっている吝嗇家があと10万、あと5万と血眼になっているみたいな、スキゾは、つねに《今》の状況を鋭敏に探りながら一瞬一瞬にすべてを賭けるギャンブラーみたいなと言っている。リクルートが、フリーアルバイター、フリーターという言葉のイメージを作り出してから、最初は正社員より自由なイメージの明るい時代の先取りみたいなイメージでその生き方が現れたのが、今は、ワーキング・プアにイメージチェンジされてしまった。湯浅誠さんなどが生活保護申請の手伝いなど、反貧困の活動は実務的に最高の仕事だと思っているが、就職氷河期の学生たちが、フリーターで一生過ごすというイメージを正社員に対して嫉妬的な方向で、(たしかにそうであるにしても)思想されているところは、イメージチェンジをベーシック・インカムの併用で出来ないのかと思う。正社員の長時間労働のほうが格好悪い。パラノなのだ。浅田さんなどの仲間の思想が今、なんだったのだろうと書かれている本もあるみたいだが、浅田さんの逃走論で書かれたようなイメージをベーシック・インカムでプラスすれば、8万の給与のフリーターがベーシック・インカムの8万円で16万になり、週4日働いて、今より余裕のある生活が持てるようになる。そして長時間労働者が長時間働くことが馬鹿らしくなり、ワークシェアリングが生まれる。こういう設計図になれずに今もいる。しかし、失敗したら、忘れてしまうのではなく、思い出して、何度もチャレンジしていくのなら。本も書けるような有識者という人が、浅田彰さんは昔の自分の書いた文章を恥じているみたいなことを書いていたように思うが、その有識者も頭はいいかも知れないが、その人と違う考えもある。執筆者の意図を離れてテキストはもういるのだから、そのテキストを読み返し、何十年か後で実現することもできるではないか。ベーシック・インカムを中核とした、やりたい時にやりたいことができる社会。それがお金より時間の自由を大切にしたい性質を持ってしまった人の目指す社会ではないかと思う。このブログだって、文字ではあるが、新しい社会の設計図、提案文を社会にオープンに出していると思うと、今の周囲にある規格的な仕事の(それも大切なのは言うまでもないが)上を行くくらいの価値のある仕事なのかも知れない。遊びが仕事になり、仕事が遊びになる。糸井重里さん(この人は忙しいのか、返信はくれたことがないから、それでもいいけど、腹の底はわからないが、でも返信くれないから悪い人というのも誤解だ)も、公私混同が仕事は当たり前なんだということを最近言われているようである。そして昔は農家というのは、全てが一体だった、生産から消費まで家族労働だった。企業社会人ばかり生活しやすくなるという、お金中心社会から脱却するために、私のような怠け者のろくでなしでも、自己責任論にさいなまれないような社会に脱構築していくことをこのブログを信じて、続けていきたい。
2008.05.26
貧乏人さんという人のコメントで、思い出したが、数日前に、ネットカフェ難民って?ホームレスって?というコメントが書かれて、その時は、どういう意味だ。ホームレスのことは知っているだろう。馬鹿にしてるのかと思ってしまって削除してしまったが、そう書き残してくれるということは、関心をもってくれているということなので、悪かったなと思う。でも、最近の人の反応は、斜にかまえるとか、ねじれたような感性で反応がなされることが多い。もっと素直に丁寧にストレートに意見がなされないと、難しくてそれをする返信も複雑になってしまう。だから本当に知らなかったり、疑問に思ったコメントだったかも知れないのに勘ぐってしまったのだ。ごめんなさい。ネットカフェ難民は、失業などでお金が無くなり、ネットカフェに寝泊りしながらぎりぎりの生活をしている人のことです。私も今年2回泊まってきましたが、2回ともそういう人がかなりいたのに驚きました。私では2泊連続はとても持たないと思うくらい寝辛い。でも、他に寝場所がないと、ホームレス。駅のホームや公園で寝泊りすることになってしまう。そこまで日本の構造というのは、ノンストップに死まで追い詰められるようにされている。餓死者も昨年60人くらいいたと報道ステーションで報道されたような記憶がある。信じられないことではないか。それを国や自治体は無視してるからそういうことが起こっているのは事実だろう。国民の側も、自己責任論がまとわりついていて、経済的に弱い立場になってしまった人をむしろ責めてしまう側にまわってしまい、非難すべきところを間違ってしまい、責める側も同じ過ちに落ち込んでいく。私自身の問題は、結果的にはお金に苦しむことではあるが、生業が続けられないというところにある。それに罪悪感をなぜか感じる。自分自身も自己責任論の洗礼を受けてしまっているからだともっと気づかねば。現在は多くが管理された企業化社会である。だから企業に向いていない性向の人たちが苦しむ。そして管理化された社会を賞賛する人、一面でみようとする人たちは、その人たちを責めてしまう。もっと人生が多様化した方法で生きられるということになってくれれば、そういうことが起きなくなる。私自身も責められる状況にいるときに書くのはエネルギーがいるから、責められない状態の時に書いていたほうがいいのかも知れないが、その時は時間が違うほうに使われる。前にもこういう状態の時に人間という全身情報が非難という形でやってきたことがある。これは、なんらかのパターンなのか、仏教で言えば、阿頼耶識のような深層の世界からの全身メッセージなのかと思う。でも同じことを繰り返すことがなんなのか、それを脱皮したほうがいいのか、輪廻なのかわからない。努力してこなかった人なんてない。生きてきただけで努力である。そうでなければ、ブログもこんなに続けられなかった。しかし、商品経済的に生活維持の程度を続けていられる状態の人は、それほど人生については考えなくても進んでしまう。だから商品や仕事とリンクしていた自分の人生が、実は商品やその仕事だったんだと決まりきってしまうと怖いから、何もしていない状態の人に攻撃をしてしまうのかも知れない。特に自己犠牲になって、家族のためや子供の学校費用のためということで好きでは無くなってしまった仕事をつづけていく人は、不満がたまる。でももっと上の人は、仕事が好きでは無くなっても耐えて、文句も言わず、仕事のよさを見つけるのだろう。私に反論してくるような人は、優しい人か、同じようなところで逡巡している人かも知れない。それなら、自分はなんとか、変わらなければ。長時間労働や平日の束縛が嫌で辞めたんだから、今は天国状態である。しかし、お金という現世の現実が別の苦しみを生み出してくる。これも解決しなければ。労働にもいろいろあるが、体を使って外で雇用されるというのが一般的なイメージだが、ワープロ入力していることだって、行為としては、事務所で数字を打ち込んでいる人と同じ行為である。問題は場所がお金がとれているかどうかなどの違いである。貧乏人さんという人のコメントの中で、言い訳という言葉が出てきたが、貧乏人さんという人の人生の範囲で語られているだけで、私のいままでの人生の体験も知らないくせに簡単に人の人生を批判されてたまるかという怒りも出てくる。プロバイダーはわかったので、今後も失礼なことを続けるようなら、プロバイダーからネット警察などの方法で名誉毀損で追求したいとどうしても私は思ってしまう。そういう性質が、国会事務所に陳情まで向かわせる原動力になる。だから自分自身はとても狭量な人間なのだ。どうしてこんなに心が狭いんだろうと思う。ひどい事や失礼な事はいけないことだと思うが、自分自身の偽善性をえぐられる感じがひどいと自分が思わされる言葉使いやコメントから導き出される。これは一体どういうことなんだ?セールスマンというのは、嫌いになられたら買ってもらえないという怖い仕組みである。商品経済というのは怖い仕組みである。貧乏人さんという人のコメントは深いものを私につきつけてきたのではないか。そして、前日の、ネットカフェ難民って?という質問の人も根が深いものをもっていたのではないか。私自身が深く理解してない人なので、よくわかってないが、それでも、良い言葉や素直な反応のほうが、社会はよりよく進むと思う。ネットの言葉のやりとりだけではなく、仕事場でも受け取る感覚の違いが相当居心地を悪いものにしてしまうのではないか。実際には、お金をくれる人こそ救ってくれる人に思ってしまうけれども。
2008.05.26
「貧乏人」さんへのコメントからブログを読んでくれてありがたいけれど、もっと言い方があるでしょう。見ず知らずの人にどうしてそんなに偉い風に言えるのか。そんなにあんたは偉い人なのか?それに初対面なのに挨拶が無い。挨拶も無くコミュニケーションが進むわけがない。貧乏人さんのほうの質が丸出しである。貧乏人さんは、人の世話も好きな人なんだと思うけど、ことばづかいがひどいと遠のきたくなる。コメントには言い方があると思う。丁寧なコメントのほうが、こちらもコメントを返そうという気持ちになる。わかってもらえるだろうか。でも、勉強になる意見でもあるので、コメントに応えたいと思う。それに何かを発言するということは、匿名であろうが、その人の課題を実は提供してくれている。生身で。だから内容のあるコメントだと思うので、本文のほうでコメントします。>誤字・脱字があると管理人の質が問われる!誰かが何かに反応するというのは、実はそれを書いた人の状況を示しているので、(鏡の法則とか、ミラー細胞などというアナロジー)「貧乏人」さんも誤字・脱字に注意されている仕事とか、アバウトでは動かないものを作っている仕事とかそういう立場に立たされている人なのだろうと推測する。だいたい、仕事はそういうものだけど。私の質は悪いだろうが、誤字・脱字が無い様にという指摘はありがたいと思う。誤字・脱字という概念も「決まりに従う」ことという深層心理を表わすことなのかも知れないとも思った。>貧困に苦しんでる人、特に若者の半数は自業自得なんだよ!これについては、私では考えがまとまらないので、湯浅さんの『反貧困』から引用させていただく。これは前回本文に書いたことと全く同じところだが、「自助努力をしても結果が出ないことはあるのだから、過度の自助努力とそれを求める世間一般の無言の圧力がこうした結果をもたらすことは、いわば理の当然である。自己責任論の弊害は、貧困を生み出すだけでなく、貧困当事者本人を呪縛し、問題解決から遠ざける点にある」「自業自得」という言葉も「自業自損」にどうして言葉を作った人はしなかったかということも興味がある。もしかしたら、「自業自得」という言葉ははじめは、マイナス思考に見えるかも知れないが、実は良いことの前触れなのかも知れない。半数というか、たしかに半分は自分の運命と会社社会、管理社会とのズレが生み出しているので自業自得ということなんだろうが、その「自業自得」ということは未来に得をするための働きかけなのかも知れない。卵の殻が割れる時は、親鳥が外から小鳥が内から殻をつつきあい、ある瞬間に出てくるという。「自業自得」ということで誰かが苦しんでいても見逃しているということは貧乏人さんの冷徹さを示していることになる。>あんたも、何だかんだ言い訳してるけど、努力せずに怠けたいんだろ?その通りだと思います。無理な努力をしなくてももっと楽に生きていけたほうがいいと思います。「怠ける」ということが悪いイメージでとってしまうことがどういうことなのか、もっと考えてみたいと思います。怠けるとはどういうことを含んでいるんだろう。自分自身、怠けてると言われると罪悪感がある。自分も自己責任論の洗礼を受けてしまっているからであると思う。努力にもいろいろある。好きなこととか、好きな人へアプローチすることは、努力のようで、本人は努力と思っていない。>同じ職種にこだわって転職するならまだしも、違う職種を転々としてるんじゃ社会的に堪え性ない駄目人間と思われてもしょうがないぜ!同じ職種に転職すると、前の職場とライバル関係になります。すると前の職場の裏切り行為みたいに思えるので、違う職種を選んできました。でも職種も限られてきますね。出版、経営コンサルタントのアシスタント、病院薬、野菜卸、産業給食、種苗店、情報誌、置き薬などですが、それらの経験をあわせて統合して、なにか生み出せないかとは思っています。何をしたいのがはっきりすれば猪突猛進するほうなのでそれが商品やサービスと絡めば売り上げにも繋がると思っています。社会とお金と仕事を繋げて考えるからそう思われるんだと思う。「ダメ連」という活動もあったみたいだが、駄目なら駄目人間だと自分は自覚して、なにか変えなければ。>どうせ履歴書を誤魔化して面接するんだろう?履歴書より、このブログを見てもらった出会いのほうが良くも悪くも自分のことを見てもらえると思えるので、そっちのほうを重視した出会いをしたいと思っています。石田比呂志さんの短歌に、履歴書に嘘をつくことの悲哀をモチーフにしたものがありますが、ここに書きたかったけど、本が埋もれてしまって残念です。履歴書を誤魔化して書かざるを得ない心境の後ろめたさ、悲哀がわかるかどうかということも人間性の不思議なところですね。>モラルという意味をよく勉強してからブログのタイトルにして日記を書きなよ。タイトルは「モラルを忘れていませんか 自戒も込めて」です。自分だってモラルを守って生きているばかりではないと自戒も含めている意味合いです。自分はろくでなしですが、なにも「貧乏人」さんみたいな、偉そうな言い方で言われなくてもいいのにと思いました。誤字・脱字を直すことも大切ですが、「貧乏人」さんのような高いところから見下すような言い方は特に匿名メールでは辞めたほうがいいと思います。そういう言い方でこられると、話し合おうとする気持ちも薄らいでしまいます。ただ、言葉遣いは悪いけど、関心を持ってくれたのでコメント残してくれたんだと思うので、ありがとう。このままいられることは不可能なので変化して行きます。貧乏人さんの指摘は鋭い指摘だと思う。なぜか、こういう状態になると、貧乏人さんみたいな反応をくれる人がいつも出てくる。実は私自身が、自己責任論者の洗脳を受けてしまっているから、自己責任論を被ってしまう。免疫と同じで、それがないと生きられないが、多くなるとアレルギーを起す。貧乏人さんのコメントで、私自身の偽善性がすごく表に出てきた。
2008.05.26
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湯浅誠さんの『反貧困』を読んだ。必読書だと思う。政府や国民は生活に苦しむ人たちの現実に目を向けなければいけない。131ページに、湯浅さんのいる、NPOのもやいへ送られたメールの内容が書かれているが、『「このままでは自殺を考えるしかありません。」「仕事も底をつき資金も底をつき路上生活となってしまった」「お金もなく野宿も限界です」「毎日の生活に困っていて、明日どうしようという状況です」「漫画喫茶で朝の数時間の暖をとるのも最後です」「行く所もなく着る物もなく困っています」「今の所全財産が七円しかありません」「所持金が五百円になりました」「生活に限界を感じています」「三ヵ月ほどネットカフェ生活をしていますが、所持金も底をつきました。もう限界です」「もう死ぬことばかり考えています」~』というメールが実際来ているのだという。これを政府や国民は自覚しなければならない。それに、生活保護申請の手伝いや付き添いをしてきた湯浅さんの団体のようなところや、湯浅さんたちが、反貧困ネットワークというネットワークを立ち上げたということから、生活保護からベーシック・インカムの提唱者の人たちがつながるチャンスが大きく開かれればいいなと念じたい。132ページ『しかし、ほとんどの人が自己責任論を内面化してしまっているので、生活が厳しくても「人の世話になってはいけない。なんとか自分でがんばらなければいけない」と思い込み、相談メールにあるような状態になるまでSOSを発信してこない。彼/彼女らは、よく言われるように、「自助努力が足りない」のではなく、自助努力にしがみつきすぎたのだ。自助努力をしても結果が出ないことはあるおだから、過度の自助努力とそれを求める世間一般の無言の圧力がこうした結果をもたらすことは、いわば理の当然である。~生活保護は、誰にとっても「望ましい」選択肢とは言えない。しかし、他に方法がない。目の前にいる人に「残念だけど、もう死ぬしかないね」とは言えない以上、残るは生活保護制度の活用しかない。それを「ケシカラン」という人に対しては、だったら生活保護を使わなくても人々が生きていける社会を一緒に作りましょう、と呼びかけたい。そのためには雇用のセーフティーネット、社会保険のセーフティーネットをもっと強化する必要がある』そのセーフティーネットのかなりの理想形としてベーシック・インカムがあるのではないだろうか。205ページ『失業を主たる原因とする野宿者の存在は、日本のセーフティーネットの機能不全を告発していた。一人前の福祉国家であれば、失業と野宿の間には膨大な「距離」がある。社会保険・公的扶助のセーフティーネットがあり、さまざまな福祉サービス・民間団体のネットがあるからだ。つまり野宿者の存在は、日本社会の「底抜け」ぶりを裏側から立証していた』219ページ『貧困の最大の特徴は「見えない」ことであり、そして貧困の最大の敵は「無関心」です。どうか貧困問題に関心を寄せてもらいたい。それが、今日からでもできる「反貧困」の活動の第一歩です~』反貧困
2008.05.25
厚生労働省が全国のホームレスの数を今年4月頃に調べて発表しているみたいだが、なぜその16000人いるのを調べているのなら、その人たちをリアルタイムに救ってあげられないのか、そこら辺が根本の根本から間抜けでおかしなことなんじゃないかと、他の国民の皆さんは誰も思わないのだろうか。思わないのだろう。思っていたらもっとどこかでそういう話題が出ているはずだからだ。憲法25条の「1 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。という取り決めは、本当になされているのだろうか?なされていると思いますか?この人たちが助かるならば、きっと私の未来も助かるという安心感が得られる。でも、助からないなら、もしかしたら私も、そしてあなたにも、そういうどこまでも死へ向かわせられてしまうノンストップな状態まで考えられてしまうかも知れない。それは自堕落だったからとか、理由など実はいらないことなのではないのか。理由よりもその存在の現状を直視して、最低限度の生活が果たしてホームレス状態でいいのかと問うことが国民なのではないのか。たしか、湯浅誠さんだったか、養老孟司さんが、『バカの壁』で、ホームレスが糖尿病になるほど、コンビニの弁当を捨てたのをあされるようなというような記述があって、養老さんのエリート臭というのか、人権無視というか、わかってないというか、養老さんが、ホームレスの人たちに対しては、バカの壁がさえぎって正しく見えてない、偽善的というのか、本当に悪い考えにしか至ってない考えの持ち主だと思わされたおかしな記述の部分があったが、国民はそれをベストセラーとして読んでいる。
2008.05.25
人生を生きているのには変わらないのに、収入の入っていない日々は休憩しているような、そして悪いことをしているような、変な気分になっているのが、お金と生活のリンクに洗脳されてしまっているからなのがわかる。それにしてもこの20年はいったいなんなのだろう。本を整理しているうちに、20年前後前くらいの写真などが見つかり、一緒に勉強したり仕事をしたりしていた人たちの写真や手紙などを見たが、また社会的にゼロになってしまったような自分と、その人たちの遭遇は一体なんだったんだろうと思う。一人で生きられるわけがないので、誰かに拾ってもらいつづけなければならないのだが、誰に拾ってもらえることになるのか、ならないのか検討もつかない。ならなかったら死なのか。ピンとこない。今までこの社会不適応者を守ってくれていた、残りの家族もかなり年老いてしまった。そう人間が変えられるわけではなく、どうしたらいいのか。社会生活にこんなに危機を自作自演なのか、周囲とのずれなのか、こんなになってしまっている。お金を稼ぐことより、安心して生き抜けること、考えたりすること、そういうほうに関心があるが、そうそうこういう状態を長くは続けられない。ブログを閉鎖したくない。本当は一日たりとも、お金を得ることを念頭からはずしては致命傷なのかもどうなのかもわからないが、離職票があと数日で届くと思うので、それがきたら、再就職先を必死で見つけるのだと思う。『文化の調べ屋』のちらしも配りながら。ただ、午前8時から午後9時近くまで、日曜はほぼ休めたが、土曜も休日出勤を自由とはいいながらやらざるを得ない心境にされる会社からの解放は絶対に正解だったのだ。それに平日に休みを取れなかったので、出会えないところが出来てしまうところだったから。次の生活の維持の検討がついて、そして平日に東京にいけるような立場になれれば、気持ちは前向きに変わっているだろうと思う。そしてそれは達成しなければならない。達成できなければ死なのか?湯浅誠さんの『反貧困』によると、どうにも困ってしまい、200円くらいのものをひとつ盗んで刑務所に入る人がいるのだという。これは明らかに国の考え方が間違っている。ベーシック・インカムにせよ、万引きして刑務所に入らないと居場所がないのだという人まで出してしまうまで、資本主義と国民の心は麻痺したまま変わらない。ベーシック・インカムにしても、国会機関中は、毎日陳情に行くくらいのことでもないと正常にはならない。憲法25条は、最低限度の国民の生き方を保障しているはずなのに、ホームレスが、ネットカフェ難民が25条をクリアできるとはとても思えないではないか。政治家や公務員だけではないのだ。国民が無関心だからだ。だから、私もなにかお金になることを見つけないとどこまでも無視されていくだろう。こんな制度でいいのか。戦争中や全ての人が飢餓地域ならどうしようもないが、こんなに、電気や機械があって、高層ビルがあって飛行機が飛んでいて、それを利用している人がいるというのに。仏教の足るを知るという考え方や、キリスト教の、貧しきものが幸いであれというような言葉は、お金に困らず、しかしそれを苦労したからとか、仕事をしたからという理由に変えることができて、人生を良いものだと死んでいける人が実は、多くの人を見殺しにしてきた人生だと思うこともせずに死んでいける人だったという人が本当に理解できていた言葉なのかは疑問である。性善説か性悪説かという極端な二者択一があったなら、良い人と悪い人がいるのだというのもかなり確かに思えていたが、もしかしたら、無関心でいられるというところで、全ての人は悪なのかも知れない。
2008.05.25
昨日お会いした、「カフェ 丘の家」を、「左下の取材したのはここだ」という私の別サイトにアップしました。そこでお会いしたステンドグラス達風さんは「応援していますよ」のところにサイトリンクさせていただきました。久しぶりにあるお店で岩塚製菓株式会社の「ふわっと」をみかけ、買いました。昔から「ふわっと」は大好きで、コンビニやスーパーにあったりなかったり、とても久しぶりに再会する製品です。
2008.05.25

東京で、福島みずほさんが、演説していて、後期高齢者医療制度を廃止しようという会の人が集まっていた。写真は遠くからで福島さんが写ってないのでよくわからないと思う。早朝の新宿駅のそばの路上に寝ていたホームレスの人が2人。どうして日本という国はこの人たちがこんなに苦労してしまうようなところまで置いてけぼりにしてしまうんだろう。国や自治体、他人の、無関心という犯罪である。この2人は犠牲者である。東京駅で、抗議をしていたのが、蛇の目ミシンの社長に対する労働組合の人たちの抗議だった。ちらしをもらった。経営が苦しいと外部委託するような形になり、社員への待遇が悪くなったり直営店が閉鎖されたりという抗議のちらしだと思う。いろんなことが東京で起きていた。平日に。土日休みの会社勤務でずっとやっていたらわからずに遭遇せずにいたことが平日の東京には起きているのがわかった。法律を作ることができるレベルの政治家への直接の陳情も、平日でないとできないんじゃ無いかと思う。ああいう風にまとめて、それは東京に日帰りでいこうと思えばいける距離にいるということもあるが。今度、生活維持のための就職をどこかでできるとするなら、平日が休めるところでないと、平日のほうがいろいろな人が東京に働いているのだから、そういう人と遭遇するのが不可能になる。よくよく次の立場はどうするか、どこに所属を頼むか、考えて選ばないとまた置き薬屋さんみたいに教わったことをやめて無にしてしまうことになってしまう。
2008.05.25
夕方5時近くになり、ようやく読書とインターネットに集中できる感じになってきた。母親が、ジタバタしないでせっかくの就職活動前なら、部屋にいて読書とかネットとか掃除しろという指令をして、ある経営者が、とことんひきこもって本やネットをしてみるのもいいかもよと言っていたことを思い出した。今度どこか勤めるとしても、平日休みがとれるところで、そうすれば議員会館に行き、また陳情にいけるし、置き薬屋さんよりも時間がとれて疲れないところを選べば、給与は減ったとしても『文化の調べ屋』を週末起業として並行できないかとも思う。このブログの質というか、視点のレベルを高めれば、ひきこもっても、このブログの内容や、ネットでいろいろな人に訪問することで新たな出会い、自分の発見にもつながるのかも知れない。他人からみたら狂ってると思われることが、実は自分自身の独自性かも知れないし、誰もやらないんなら自分がやらなければという領域かも知れない。他人が分からないだけなのかも知れない。ベーシック・インカムを現実化したいという行為だって、東京のフリーペーパーの『ぱど』や茨城の『常陽ウイークリー』に意見広告を載せてもらったことだって、他の人はやろうとしていなかったかも知れない。あとは、お金を再び手に入れる方法を見つけ再開することが大切だと思う。フリーパーパーも、お店が不況や人口減少で、広告するところが少なくなってきた場合、社会的な意見広告が新たな収入源として台頭してくるかも知れない。自転車だって、自家採取だって、あまりにお金が生活に必要になってしまった構造に一矢報いる方策が埋もれているかも知れない。知らず知らずに便利にしてくれている親切が、他の人の能力を奪い、お金で代替し、メーカーのメンバーが一番お金を得るのに得をする仕組みになっていやしないのか。あながち、自分がエリートや中流の層になれず、社会的に不適合なことが、従来の社会の壁を破壊するための運命と感じてみるのは負け惜しみか。大企業経営者やセレブ層や、サラリーマンの上層がどういう隠された差別や、他人の生命力を奪っている思想や行為をしているかこのブログで暴露してやりたいというか、批判の文章も、引用して感想を書いて残しておきたい気がする。餓死者や自殺者3万人を出し続けているということは、そうで無い人たちのせいだからだ。そうでなければありえない。ホームレスだって、企業の面接不採用だって、ワーキング・プアへのひどい労働提供だって、そうしている層がいるからで、直接そうさせている層もいれば、無関心層という、自分はそういう下層でないからいいやで済ませていられる層(ほどんど大部分の人たち)がそうしているから数字として死ななければならない人が3万人という数字で出続けているのである。
2008.05.25
提案というか、疑問なのだが、今は種苗メーカーの次の種が生じなかったり、品種の質が崩れたりする種が販売されているんだろうけど、自家採取してずっと買わずに済むならコストダウンになるはず。ガソリンがいらない自転車とか、住宅とかにお金がかからないなど、現代社会が企業中心主義になってしまってから、多くのお金が無いといられない社会になってしまって、お金が無くて餓死や自殺する人まで出ている日本である。
2008.05.25
雷天大壮の卦が出た。なにを意味しているんだろう。なにも勢いにのっているとは思えないのだが。雨。ようやくあがって曇り模様。朝からずっと本を整理してしまった。読まないと意味はないし、どこかにアウトプットしないと余計意味は無いように思う。お金が入らない行為が一切なにも意味しないような気持ちにさえなってしまう。まして無職の時には。そういう気持ちを入れ替えなければいつまでも同じ。どころが死がせまってきそうとさえ感じる。母親がなにも無職の時にじたばたしないで少し休んでいろと言う。どちらが正しいのかわからないが、気概は削がれた。サラリーマンが一番確実でいいと思っている人間である。マイナス志向の言葉ばかり浴びせられる。自分自身もどうでもいい気になる。本の整理をしていたら、20年近く前の学生時代の関係者の写真や、一番最初に社会人をした会社の関係者の写真や年賀状などが出てきた。あこがれていた同級生からの年賀状もきていた。私のほうから出したので返事がきたのだった。忘れていた名前も年賀状から思い出した。いまごろみんな20年ずつ加齢しているんだな。母親と一緒に撮った、卒業式なのか、入社式なのかわからなくなってしまった写真が出てきた。あれからスタートラインどころか、マイナス近くにもどってしまっているとは。それも何度も。この社会の仕組みがとても悔しい。社会不適応というか、長続きしない人間で自分があるとは予測もできなかっただろう。もう何度も気の済むまで繰り返すが、今回は長時間労働で休日に何もやる気が起きないくらい疲労してしまう会社ではしょうがなかったし、平日に休みが取れないと、平日にしか営業していないところと会えないということや、国会事務所へ陳情ができないと思うので、今回のお金をもらっていくところは、平日が休みのところを見つけていきたい。会社生活が合ってないのは明らかなのに、それをしなければ生活維持できない。悔しい。母親がどういおうが、お金さえ入れば自由なのに、その力や気力も失せる。でも、明日からはまた出かけてしまうような気がする。アルバイトでも週に4日くらいでも入れば、残りの日々で、『文化の調べ屋』やベーシック・インカムの告知活動や、他のこともできればいいのだが。会社というお金を得る方法は全くダメな人生だが、今にみていろ、違うことでなにか書き間wしてやるからなとはいつも思っている。もちろん犯罪では無い。良いと思えることでなにかかき回してやりたい。そうすれば今までのダメな人生が全て逆転できる。それを夢みて。離職票がきたら、履歴書も書こうと思うが、履歴書なんか出さなくてもこのブログで判断してもらいたいのだが、余計ダメか。とにかく、生活保護が取れることが当たり前であったり、ベーシック・インカムが実現したり、どんづまりにならない、社会構造で死に至らされるようなとてもおかしい間違いを是正できる人間になりたい。残念ながら現実的なそういう力を持てるような立場を構築できなかった自分だが、こう思えるだけでも他の人と違う。他の人はそんなことを思わない。だから年間自殺者が3万人を超え続ける。会社で給与をちゃんともらって貯金できているからといって、それ以上の段階へは考えが及ばない人ばかりだ。復讐のために必ず近いうち立ち直る。商品経済の仕組みだけが肥大化しては絶対いけない。排除されてしまう人間が出てしまうからだ。そして多くの人たちは見捨てる。
2008.05.25
今日は午後から出かけて『文化の調べ屋』の営業をした。Mさんにもご意見をきいた。作家名、安藤零さんのHさんから紹介を受けた、情報誌の会社の時にお世話になったOさんの店へ行った。そこにFさんがきていて、紹介を受け、OさんとFさんからアドバイスをいただいた。今日は紙パックのデリカメゾンを飲んでしまうと脱力してしまい、明日、今日のことをアップしようと思う。「ごくせん」6話を感動しながらみた。23時すぎに今知ったが、ブルガリア出身の琴欧州が大相撲の優勝をしたそうである。明日はまた進むぞ。訪問より、いろいろ部屋の中で調べたり、今日のことをまとめたりしようと思う。
2008.05.24
『文化の調べ屋』です。営業中です。さっき、福祉の地元サイトみたけど、生活保護は、とことん絞られてひあがってからきてねみたいな内容に感じて気分わるかった。気付かせたい。そのサイトをアップできたら皆さんのご感想をコメントほしいです。
2008.05.24
水火既成という卦が出た。ピークは過ぎたという意味もあるらしい。6時起床。曇りだが太陽が出ている。これから天気は下り坂か。ヒーローで買ったパック入りのデリカメゾンの少し辛口を夕食と同時に大量に飲んでしまい、パソコンをインターネットにつなげたまま、扇風機もまわしたまま寝てしまった。5分ほど横になろうとして結局寝てしまった。少しでも横になったら特に酒が入っているとそのまま寝てしまう。インターネットはADSLで常時接続ということになっているので良かったが、昔の常時接続が無い時代にこれをしていたらもう大変な電話料になっていただろう。すごく美味しい時は美味しく感じるたまごかけご飯だが、今日はあまり美味しく感じなかったのが残念だった。でも、通勤している時はたまごかけご飯が食べられず、お茶漬けばかりだった。今日は配置薬の会社も連休なのかも知れない。長時間労働と、休日出勤を要求される会社の仕組みについていけず辞めてしまったのは自分にとっては正解だったんだとはっきり断言すべきだが、給与が入らなくなっているのと、自動車も配置薬の会社は貸与だったので、その恩恵を自ら捨ててしまったことが自然にペナルティーになっている。でも、それでも辞めたことは正解である。一昨日、昨日とただちに東京へ向かい、訪問したかったところに訪問したことも正解である。正解というか、そうしたかったのだから。自分の行った一昨日、昨日の訪問での流れはなにも結果は動いてないようではあるが、国会に参加している政治家9人と、ベーシック・インカムを知るきっかけになった著者の一人に存在を知らせるちらしを配れたこと、日本テレビの馬場アナウンサーにベーシック・インカムと面と向かっていえたこと、作家の風樹茂さんにベーシック・インカムについてなにか発表してもらえないか言えたこと。労働組合のデモの参加者にベーシック・インカムのちらしを渡せたこと、托鉢の僧に渡せたことなど、一昨日、昨日はたしかにがんばったんだ。これから一昨日、昨日のレシートや使った金額をこづかい帳に書くことなど整理をして、『文化の調べ屋』の作業にとりかかりたい。昨日、東京からの帰宅後に、車に自転車を載せて、10軒訪問したのも41歳目前にしては元気なことをしたかも知れないが、もうはやくも3日前になってしまうが、4時に会社の整理を終えてから歩いて10キロかもっとかわからないが2時間30分かけて重い荷物を持ちながら2万3千歩歩き、一昨日は東京で2万歩を超え、昨日も東京で1万歩を超え、その後自転車をこいだのだから、運動不足は解消している状態だ。腿の筋肉などがかすかに痛い。それでも6時には起床できるのだから、あとは生活できるお金さえ入っているなら、この状態は最高の状態なのだが、その願いが叶っていない。お金だ。他の多くの人が収入を得ることを長く続けられて結婚できているということが自分にはできない。そしてすぐに41歳をむかえようとしている。社会的に失敗ばかりしている人生で、我慢できないし、社会不適応ということだが、今日もまだブログは書くのを継続できている。作家という仕事まであるのだから、このブログを書くことだってなにか可能性は含んでいることなのだと信じたい。ブログを書くのが好きだから、書き続けられる。ひとつの会社で仕事を続けるのは人間関係につまってしまったり、仕事がマンネリ化したり、面白くなくなってしまったり、住み心地が悪くなってしまったりするからだが、ブログは3年間、90パーセントを超える割合の日数で書いているし、人生そのものは家族の協力や、やめたけれども働いた期間があるからなんとか続けてこられた。それにパソコンも買えたから、今危機ではあるが、プロバイダ代も払って、そしてブログをしている。今日の毎日新聞には、自分が発見できなかったということと同時だろうが、身辺を変えてくれそうな情報は一度みただけだが見つからなかった。毎日新聞より茨城新聞のほうが身辺が変わるような情報が載っているような思いを持っているのだが、自分の考えが正しいかどうかわからない。時流に乗っていないから、(その時流というのは、生活経済的な意味あいに過ぎないのだが、それが生命にかかわるから過ぎないことが一番の重大事だ。お金のために生きているのか自分は。たぶん、そうだろう。)地元の人たちには私という存在が現れるのが迷惑かも知れないが、自分も誰かに会い続けないと、ひきこもっていては生命が維持できない。今日明日と天気が味方しないし、ガソリン代も危機を迫らせるが、そのハザマで、エッジの部分で物事が進む。これを楽天的な人は、楽しむことができるのだろうか。昨日のNHKのニュースで、タンクローリーの運転手が長時間労働で休日出勤もあり、休めず、奥さんが起きてこないのでみにいくと心臓麻痺で無くなっていた人の労災関連のことを言っていた。長時間労働か、貧困かという極端に日本社会がなっているのだと書かれている本が幾つか出ている。こういう情報は自分の今の存在にリンクしている。毎日新聞にもこういう記事が出てくるが、今日は残念ながら発見できなかった。毎日、毎秒、期待するのも難しい、不自然だ。とにかく、長時間労働や、ノルマを意識してしまうところからは解放され、それは願っていたことである。しかし、お金の不安定は望んでいないことであるから、次は、今のような時間にあそこまで縛られることなく、生活維持できるような、お金に振り回されない状態にもっていくことがここからの課題である。置き薬屋さんから1年弱だが生活維持をさせてもらえたし、しかし長時間労働、営業形態も拘束感の強いものだったので、そこから逸脱したのは自分としては満足な行動なのだ。ただ、お金の安定状態を捨ててしまったことが今罰ゲームになってしまっている。一番現実的な直面だ。なんとかしなければ生命が危ない。現実だ。だから整理したあと、『文化の調べ屋』の行動を今日もすべきだ。お金とガソリンの絡みから、比較的地元のほうで開始せざるを得ないが、地元にも面白い人が発見できるかも知れない。迷惑だと思わず、なにしろ誰かに出会って助けてもらわないとアウトなのだから今日も新たな出会い探しをしなければ現実的にいけない。探さなければ生きられない運命だ。朝7時40分をこの状態で超えた。一昨日、昨日の整理に入ろう。
2008.05.24
東京から帰宅後に、12軒くらい、『文化の調べ屋』についての名刺を渡した。昨日今日とすごく暑かった。今も扇風機をまわしている。ベーシック・インカムの紹介に関しては、いろいろな人に紹介したので自分でよくやったと思おう。作家の風樹茂さんにも、ベーシック・インカムについて書いてもらいたいと言ってきたし、政治家9人の方々や日テレの馬場アナウンサーにもベーシック・インカムということを伝えてきたし、よくやったと思おう。昨日ネットカフェで3時間も眠っていないと思うので、帰りの電車も今も眠くなっている。政治家に陳情できるのが平日なら、平日休みの雇用先を見つけるしかないのかなと少し悩んでいる。明日からは『文化の調べ屋』をどうするかでだ。離職票がきたら、再就職活動もまたまたやらねば。
2008.05.23
東京訪問をほぼ1時に終え、地元に帰る電車の中である。もやいさんは電話したが、生活保護を受けない場合は当日は無理ということで、生活保護に関しては湯浅さんの書いた本があり、それは収入の無い状態だが買った。今日も日中暑い。作家の風樹茂さんが会ってくれた。『文化の調べ屋』についてのちらしをみてもらった。食事をおごっていただいた。ベーシック・インカムの話もした。世界をかけまわっていてすごい生き方のできる人である。 ネットカフェで熟睡できず睡魔が襲ってきた。今携帯を落として気付いた。これからどうなるのだろう。
2008.05.23
日本テレビ水島宏明さん、フジテレビ、テレビ朝日報道ステーションには、インターネットのサイトからご意見欄から送った。これなら家でやれば済んだのに。テレビが閉鎖的なわけではなく、ネットで通知できるようになっていた。実際体を運んでアピールするほうが正常な気もしたが、メールのほうが読んでくれるかどうかはわからないにせよ、家からでも通知できてしまうのだった。東京から帰ったら離職票が家にくるまでひきこもって、ベーシック・インカムの通知をしまくったほうが速いんだろうか。『文化の調べ屋』は近場でやるべきだし、どこかに雇用されないとお金は入手するのが自分には難しいかもしれない。休みが多いのと、平日休んでもよいようなところを選びなおして、再スタートきれるだろうか。朝6時すぎにはでなくては延長料金になってしまうが、11時頃まで予定先が開いてないみたいなのでどうしよう。10時には店屋が開くだろうが。『文化の調べ屋』については地元でやったほうがよいので、やはり明日もベーシック・インカムについての方向を進めたいのだが、どこに行けばいいのだろう。もう少し予定先を考えてから横になるか。
2008.05.22
某ネットカフェから。元日以来のネットカフェ宿泊。場所は違うところ。1800円。違うパソコンで、2回内容を消してしまった。疲れた。空振り。日テレの馬場アナウンサーは人が良い感じの人で、遭遇してしまったが、ぜひベーシック・インカムの原稿を読まれる日がきますように。有名な人は相手を知らなくても話しかけられるので迷惑だったかも知れない。母親から、お前は強引なところがあるから気をつけろといわれて上京したが、これがその一例かも知れない。回りの反応が自分の感覚からすると遅すぎる。自分の感覚のスピードならとっくにベーシック・インカムは日本で実現していて、そのノウハウを外国向けに設定しようとしているところである。夜は吉野家の豚丼とビールを注文してしまい、730円。立ち食いソバ屋みたいなところでカレーとかけそばを注文して梯子してしまい、460円。これで今日から失業した人が、東京でこんなに食べていいのか。こんなに使うなら変ったレストランで食べてもよかったのに、相変わらず自分は馬鹿である。旅の恥はかき捨てのごとく、もう会わないかもしれない人ばかりの中でも自分の小心者の性格が表れたところがあった。東京めぐりの後半の明日はどこへ行こう。置き薬屋のルートな日常ではお金は加算されるが今日のような行動はできなかった。馬場アナウンサーとも一生話しかけることはなかったかも知れない。もっと自分はベーシック・インカムを知らせることができる方法があるのかも知れないが、今日はがんばったと思う。現実には、生活保護の普及しやすさを狙ったほうが可能性が高く、ベーシック・インカムまでこぎつけるのはかなり難しいのかも知れないが、なにもしなければ、なにも進まない。ダメ元でもなにか進ませる。それは他人に通知することだ。すべて人生がお金にならないと無駄、無為と自分がそういう考えに染まらせられた社会の構造や、実際お金がなくなると死ななければならないところまで追い込まれるような錯覚まで起こすような現実だ。生活保護とか、弁護士さんとの相談とか、わかっていれば、解決できて死は免れるのかも知れないではないか。東京から帰ったら地元で貧困問題、基本的人権、生命の安全をお金に左右されることなく全うできるような出会いと教えを乞いたい。もっとできたように思えるし、明日もなかなかどう選択すればいいか難しそうだが、よくやったと自分をほめてやろう。小心者なのによくやった。
2008.05.22
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