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独立と自由のラマ5世像を後にして、とぼとぼと歩いて行くと、駐車場には多くの車が。人っ子一人いないのに、なぜ??いぶかしく思いつつも次の目的地に到着しました!軍艦メークローン号博物館と看板にあります。1996年に退役するまで、実に60年の長きに渡りタイ海軍で活躍した軍艦です。左舷に回ってみましょう。正確に言うと、海防艦という種類の艦とのこと。船首には、これは「ガルーダ」でしょうか。タイ軍艦らしさが漂っています。さて、いよいよ艦に上がってみます!階段を上り甲板を船首のほうへ進みます。で、振り返ってみると、おぉー!この光景を目にした瞬間、心の中では無意識のうちに「宇宙戦艦ヤマト」のテーマ曲が流れ始めました。実はそれもそのはず。この船、日本製なのです!浦賀船渠で造られ、三井物産経由でタイ側へ納入されました。1937(昭和12)年のことです。そう、戦前の日本製です!戦前の日本で建造された軍艦は、現在の日本では目にすることができません。しかし、はるばる海を越えたタイの地で、こんなに素晴らしい状態で保存されているんです!改めてメークローン号の雄姿を眺めてみます。なんとも感慨深いものがあるではないですか。そしてメークローン号の主砲が向く先は・・・チャオプラヤー川河口です。113年前に2隻のフランス軍艦が遡上してきたまさにその先に目を光らせているかのようです。戦時中にタイ湾の哨戒に当たっていたこの艦は、戦後は海軍練習艦となり、多くの士官候補生が代々乗り組んだのだそうです。保存状態が素晴らしいのは、ひとえにタイ海軍軍人にとって思い出の艦だからでしょう。甲板上には、メークローン号の歴史を説明したパネル展示もありました。その中には、日本語の説明文も。タイ人が書いたようです。日本へ留学した海軍士官が書いたのかもしれませんね。艦を下り、船尾に回ってみます。船尾の光景もまた格好いいではないですか!なんというか、こんな果ての果てで日本の面影に出会えて嬉しく、そしてなぜか心強さを授けられたような気がしました。感謝の気持ちでいっぱいです。ところで・・・さすがに空腹が限界です。先ほどの甲板上で主砲を眺めた際に、その右側後方に赤い屋根の建物が見えていました。あそこはレストランらしいのです。早速行ってみましょう!!<交通費>徒歩なので:0バーツここまでの合計:108.5バーツつづく・・・<参考文献>『タイ国情報』第42巻第6号、日本タイ協会、2008年
2009/01/31
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今年もいよいよこの日やってきました。今日1/30(金)は、平成20年度通訳案内士試験の最終合格者発表の日です!日本政府観光局サイトに最終合格者の受験番号が発表されています。タイ語合格者を数えると・・・ 6名。一次試験合格者は6名だったので、見事全員合格!!本当におめでとうございます!!今年の二次口述試験は、昨年度に比べてかなり突っ込まれたようなので、その難関を突破なさったなんて、本当に凄いです!!ぜひ早めに書類を準備して、合格証到着後すぐに都道府県へ通訳案内士登録申請をなさってください。これでタイ語通訳案内士は、通算14名。まだまだ少ないです。でも日本で唯一のタイ語国家試験ですから、今年も受験者・合格者が増えそうです。楽しみになってきました!!
2009/01/30
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年末のバンコク滞在中、クイッティアオ・ルアが無性に食べたくなりました。そうなったら行くのは戦勝記念塔ですよね!戦勝記念塔北東側の運河を渡ったところにクイッティアオ・ルア屋がひしめく一角があるのをご存知の方も多いと思います。ちょうど昼時でどの店も混んでましたがすぐに席へ案内されました。しかし一人で食べに来るのは初めてですよー。センレック・ナムトック・ムー・5チャーム(豚肉入りナムトックの中太麺、5杯)とオーダー。さほど時間がかからずにやってきました!1杯の量が少ないから、どんどんイケちゃうんですよね。で・・・結局2杯追加注文して、7杯。この日の成果です!男性なら10杯はイケると思いますけど、お腹の成長も心配なので、これぐらでとどめておきました(笑)1杯9バーツ×7杯 = 63バーツ(それにコーラも注文しましたが)会計して外に出たところで看板をまじまじと読んでみると・・・1テーブルにつき20杯で、1リットルのコカコーラ1本無料。1テーブルにつき150バーツで、次回に使える1リットルのコカコーラ1本無料交換券進呈。と二段書きされています。20杯は180バーツですよね。ってことは、150バーツ分食べた時点で無料交換券が貰えて、さらに30バーツ分食べたら、もう1本コーラを貰えるってことでしょうか??どなたかチャレンジして真相を究明して来てください!(笑)
2009/01/29
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強烈な日差しを遮るものがまったくない中を歩いて「独立と自由のラマ5世像」の前まで来ました。早速上ってみます!チュラロンコン大学と同じマーク(?)が。ラマ5世=チュラロンコン大王ですから当然と言えば当然ですが、ちょっと嬉しくなりました。そして、像の後ろ側へ回って下を見下ろすと・・・ありました!この一帯の地名の由来となった「ポム・プラジュン」です!正式名称は、「ポム・プラジュンジョームクラオ」。ポムは「要塞」。プラジュンジョームクラオは、ラマ5世のもう一つのお名前。なので、意味的には「ラマ5世要塞」となります。でもここでは、通称に合わせて「プラジュン要塞」と呼ぶことにします。早速下に降りて向かってみます!入口の石碑には、築造工事の遅れを見たラマ5世が王庫の国王財産から資金を提供して工事を急がせたということが刻まれています。1893年完成という、この要塞の入口をくぐると、そこには、まるでスペインのアルハンブラ宮殿にでも迷い込んだかのような光景が!!(あ、行ったことないですけど。想像です 汗)さらに進んでみます。この先には狭いトンネルが伸びていて、暗いトンネルを抜けると…ジャーン!巨大な大砲が現れました!!プレーンファイファー要塞の大砲とは比べ物になりません!イギリス製のアームストロング砲というんだそうです。当時最新式でタイに輸入された10門のうち7門がここ、プラジュン要塞に配備されたんだとか。この大砲、実は実戦で使われた歴史があるのです。時は要塞の完成と同年の1893年7月13日夕刻。チャオプラヤー川を遡上しようとしたフランス軍艦2隻との間で砲撃をし合いました。プラジュン要塞は全門で総攻撃をかけてフランス軍艦に損害を与えたのです。しかし遡上を食い止めることはできず…。いわゆる「パークナム事件」です。タイでは「ラッタナコーシン暦112年危機」と呼ばれています。この結果、タイは多くの領土をフランスに割譲することになります。しかしその代りに独立と自由は守ったのです。ラマ5世像の名の由来は、そこから来ているのでしょう。そんな歴史的な活躍をした大砲の横のはしごを昇って外に出てみます。こんなトーチカの中に大砲は収められているんですね。歴史的価値のある要塞を興奮とともに十分に満喫できました。個人的なことですが、パークナム事件は私の修士論文でもちょっと触れたので、この地に来ることができ、とても感慨深いです。さて、次に進みましょう。もう一度ラマ5世像に上って確認します。次に向かう場所は、あそこです!<交通費>徒歩なので:0バーツここまでの合計:108.5バーツつづく・・・
2009/01/27
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まずは取り敢えず、ここプラサムット・ジェーディーの見物でもしますか。せっかく来たことですし。バスを降りた目の前にはワット・プラサムット・ジェーディーが。その敷地の一番端のほうに、この地名の由来となったジェーディー(仏塔)のプラサムット・ジェーディーが建っていました。サムット・プラーカーンの町を建設したラマ2世が、1819年にこの地へ行幸された際、チャオプラヤー川の小島にジェーディーの建立を指示したことが始まり。「プラサムット・ジェーディー」と名付けたのも、ラマ2世です。その後ラマ3世が完成させ、1859年にラマ5世が元のジェーディーを覆うかたちで高く作り直して現在の姿になったのだとか。サムット・プラーカーン県の県章は、このジェーディーになっています。・・・と、帰ってから知りました(笑)時代が下って、小島は陸地につながりましたが、今でもジェーディーの横にはチャオプラヤー川の流れがあります。しかし日差しが強いです!首がジリジリと焼かれているのが分かるほど。先を急ぎますか。ここでもポム・プラジュン行きの20番バスは見当たらず。ならソンテオはどうか、とちょっと探したものの見つかりません。時刻は12:10。さすがに腹減りました…。一応スックサワット通りまで戻ってみようかと、20番バスに乗り、ジェーディー三叉路で下車。そこでもやはりソンテオも見当たりません。こうなれば最後の手段。客待ちで停まっていたトゥクトゥクを使うことに。ポム・プラジュンに行けますか?「観光?」はい。いくらですか?「60」12:20に乗車したトゥクトゥクは、ほぼまっすぐなスックサワット通りを疾走!しばらく行くと、いきなり検問が出現。そこから先は、なんと海軍の管理するゾーンなのです。一応パスポートを持参したのですが、トゥクトゥクは速度を緩めただけでそのまま通過。でも外へ出る乗用車が、トランクを開けてチェックされているのが見えました。運転手がなぜ「観光?」と尋ねてきたかというと、観光か海軍施設に用事があるかで行き先が違うからなんでしょうね。ということで、無事に海軍の管理ゾーンに入ったトゥクトゥクは、何度か道を曲がった後、おもむろに停車。「ローハー」ポツリとそれだけ言って、運転手さんは右手を伸ばし指差しました。その先には銅像が見えます。ローハー?あ、ロー5 → ラッチャカーン・ティー・5ラマ5世か!60バーツを払い、トゥクトゥクが去って行きます。鳥のさえずりしか聞こえない静寂と強烈な日差しの中、ポツンと一人残された現実に、正直多少の不安が襲いました。まあ、なんとかなるだろう!気を取り直し、早速見物を始めることに。看板のタイ語は、日本語にあえて訳すなら「独立と自由のラマ5世像」って感じでしょうか。像のところまで歩いてみましょう!時刻は12:35。<交通費>20番エアコンバス:11バーツトゥクトゥク :60バーツここまでの合計 :108.5バーツつづく・・・
2009/01/25
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今さらながら、バンコクで過ごした大晦日のディナーの写真でも(汗)年越し蕎麦とかといった日本人らしいことは思いつかず、久しぶりにタイスキを食べたいと思って、COCAへ。このチェーンで食べるのも何年ぶりでしょう。下手したら8,9年ぶりぐらいかも。タイスキはごくフツーに堪能しました。が、メニューを見ていて面白そうなものを発見。「ポ・ピア・シーフーッ・トゥリアン」えっ、ドリアン・シーフード春巻き!?(笑)これは注文するしかないでしょう~。早速運ばれてきたドリアン・シーフード春巻きは・・・揚げてあるんですね。口に運び、ひと噛みした瞬間に口の中に広がる味は・・・間違いなくドリアンのあの味!一瞬「ぐえっ」っと感じましたが、不思議とすぐにその味に慣れちゃいました。というか、意外と美味しいです。これは面白いメニューですね。COCAへ行かれたら、ぜひチャレンジしてみてください!
2009/01/22
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プレーンファイファー要塞を後にし、プラプラデーン市生鮮市場をまっすぐ突っ切ると目抜き通りにまた出ることができました。ちょうど82番のミニバスがノロノロとやって来たので乗車。次なる目的地へ行くバスが通るバス停まで向かうためです。時刻は10:30。バスはプラプラデーン三叉路を右折してスックサワット通りへ。車窓から目を凝らして大きめのバス停に着いたところで飛び降りました。商店の看板などから、ここは「ワット・ソン」というところのようです。あとで知ったのですが、ワット・ソンはちょっと変わった造り(リンク先サイトの上から4つめの写真)のようなので行ってみればとかったとちょっと後悔。歩道橋を渡り反対側のバス停へ。次に乗る20番バスを待ちます。すると、オレンジ色車体のエアコンバス20番がやってきました。が、行先表示板には「ジェーディー」と。これは途中までしか行かないバスです。またやって来ました。今度はミニバスの20番。しかしこれも途中の「Big C」までしか行かないようです。目的地である終点まで行く20番は少ないと予想はしていたので、意地でも乗ってやる! と待ち続けることに。どんどん20番はやって来ますが、どれも途中止まりのものばかり。突っ立って待ちながら、ふと後ろを振り向くとカオマンガイ屋がありました。これがお客さんが後から後から引っ切り無しに買って行くんですよ。終いには行列に。美味しそうだなぁ。時計を見ると11時を回っていました。食べたいなぁ。でも、これから行く目的地で食べたいからここはガマンガマン…。が・・・待つこと50分経過。平日は走ってないのか?という不安と空腹と疲れを感じ始めたところで、「ジェーディー」行き20番が来たのでとりあえず乗っちゃえ! と飛び乗ってしまいました。時刻は11:30。車掌に「ジェーディー」と告げ料金を支払います。快適なエアコンバス車内でついウトウトしているうちにバスは早くも終点に到着。一歩車外に降りると・・・アッチ~!!日差しがバンコクのそれとは明らかに違います!眩しくて刺すような強烈な日差しです。滞在中涼しい日が多かったのに、なんでこの日に限ってこんなに暑いんだ~!あ、そうそう、「ジェーディー」とは、「プラサムット・ジェーディー」の略称なのです。地元民はみんなそう呼んでいるようですね。さて、ここからどうしよう…(汗)<交通費>82番ミニバス :6.5バーツ20番エアコンバス:18バーツここまでの合計 :37.5バーツつづく・・・
2009/01/20
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プラプラデーン市生鮮市場のアーケードを抜けたところにはいかにも古い石造りの門が立っていました。プレーンファイファー要塞の入り口です。早速中に入ってみることに!門をくぐると、ちょっとした広場とその先に高台が見えます。高台へは坂道が作られています。その坂を登ってみると・・・ワンワン!私を見つけた2匹の犬が一斉に威嚇を始めました。ま、またかよ・・・(汗)でも落ち葉を集めて焚き火をしていた方(市の職員?)が犬を静かにしてくれました。ありがとうございます~。こんな感じで大砲もそのままで公開されているプレーンファイファー要塞は、1815年に時の国王ラマ2世の命により築造され、その後ラマ5世期の1893年に改修を受けています。ラマ1世~5世期に、西洋列強の攻撃からタイを守るためにチャオプラヤー川河口地域に設けられた24の要塞の一つなのです。築造にはこのプラプラデーン(当時の地名はクアンカン)に移住してきたモン族が従事したとか。市民の憩いの場になっているんでしょうね。手入れのいき届いた芝生とつつじのような花が奇麗でした。<交通費>徒歩なので0バーツここまでの合計:13バーツつづく・・・
2009/01/18
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タイ語初級テキストの定番として長らく人気のあった『実用タイ語会話1』(泰日経済技術振興協会)が新たに模様替えして、 『場面で役立つ使えるタイ語 1』800バーツ『場面で役立つ使えるタイ語 2』800バーツの2冊となりタイで出版されたと昨年4/4の日記でご紹介いたしました。そうしたらなんと、この本の日本版が昨年末に出版されてました!! 『タイ語レッスン初級(1)』ブッサバー・バンチョンマニー/ワッタナー・ウティチャムノン 著スリーエーネットワーク、2008年12月、税込2,625円 『タイ語レッスン初級(2)』ブッサバー・バンチョンマニー/ワッタナー・ウティチャムノン 著スリーエーネットワーク、2008年12月、税込2,625円タイトルが違いますが、内容は同じです(見比べた限りでは)。値段がタイとほとんど変わらない上に、B5版のタイ版に比べて日本版はA5版とコンパクトになっているので、もうわざわざタイで買ってくる必要はないでしょう!このテキストは、内容が素晴らしいことに加えて付属CDがリスニングの練習にとても効果的なんです。市販書籍の中ではこれが、タイ語初級テキストの決定打かな、と私は思っています!
2009/01/15
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17番ミニバスの終点まで歩いて戻り旅を先へと進めます。時刻は09:45。6番のミニバスに乗車しました。「トンブリー路線バスの旅」でラストに乗ったバスです。その時の最終地点だったワット・クラーンを通過。いよいよ未知の地に足を踏み入れます!運河を渡りほどなくして道の両側が賑やかになってきました。雰囲気からして古くからある街並みのよう。そしてチャオプラヤー川べりに出たところが終点。こここそがプラプラデーンです。ピカピカに磨かれた(意外!)6番バスが何台も停まっていて、これだけ集まるとミニバスでもなかなかの貫禄を感じます。後ろに見えるのは、ウォンウェーン・ウッサーハカム南橋。ジェーンローン船着場から見えたあの橋が、プラプラデーンの半島部付け根を横切って、再度チャオプラヤー川を渡る部分になります。この橋で対岸へ渡るとスクンビット通りへと抜けることができるようですね。川岸へ上って下流側を眺めると…遠くに見えるのは、チャオプラヤー川で最も下流に架かる橋、カーンチャナーピセーク橋です。川面には、渡し船が2隻見えますが、右奥のはバイクなども載せていました。目抜き通りを改めて見物してみます。反対側にはプラプデーン市庁舎が。やはりここがプラプラデーンの中心部なんですね。ノンタブリー船着場やバーンブアトーンでもいた人力サムローがここでも現役で活躍中。これを見るとバンコクの外に来たんだという実感が湧きます。川べりへ戻って下流側へ少し歩くと「プラプラデーン市生鮮市場」と書かれたアーケードを発見。ついでなので入ってみることに。生臭さ満点のアーケード内は、奥に行くにつれて活気が増していきます。ここはアーケードが十字型になってるんですよ。面白いですね。中心から左側に進むことにしました。きっと次なる目的地への近道のはずです!<交通費>6番ミニバス:6.5バーツここまでの合計:13バーツつづく・・・
2009/01/13
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ワット・ジェーンローンの境内をさらに奥へ進むとこんな仏像が鎮座してました。なんともシュールな・・・。そんな仏像の見つめる先に目をやると・・・おぉーっ!目の前にはチャオプラヤー川の雄大な流れが広がっていました。思わず声を出してしまう景色です。左、上流側に見える橋は、ラマ9世橋。ここから先に桟橋が伸びていて、先端には「ジェーンローン船着場」との看板があります。でも定期船は発着していないようです。桟橋を少し進んで、続いて右、下流側を向くと、ちょうど小舟が目の前を通っていきました。遠くにややかすんで見える橋は、ウォンウェーン・ウッサーハカム北橋です。ラマ3世通りから伸びるウォンウェーン・ウッサーハカム(産業環状)道路がチャオプラヤー川を渡る箇所になります。さらに桟橋を進もうとしたところ、桟橋に横付けされている住居を兼ねた舟から子犬が数匹飛び出して来て、ワンワン!と取り囲まれてしまいました(汗)な、なんなんだよ~。仕方なく子犬たちを刺激しないようにそろりそろりとその場を退散し、元来た道を戻ることにした私でした(T T)<交通費>徒歩なので0バーツここまでの合計:6.5バーツつづく・・・
2009/01/10
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今回タイでドラマのVCDを買って来ました!10月に行った時にTVで見てハマッてしまったGOLF&MIKE主演ドラマ「ウバット・ラック・カーム・コープファー」(LOVE BEYOND FRONTIER)です。わざわざアソークのGRAMMY地下のCDショップまで買いに行ったんですよ。だって、街中のショップでは売ってるのをついぞ見かけなかったので。鑑賞を楽しみにしてたんですが、なかなかまとまった時間が取れませんなぁ(T T)しかも買った後に、放送したチャンネル9がネットで全25話の動画を公開しているのを発見(T T)まあ、ネット動画よりは多少画質いいでしょうけどね。で、このドラマに関してもう一つ数日前に知ったことが。今度は嬉しいニュースです。なんと、このドラマの続編製作が決まったそうです!新聞『デイリーニュース』に、MIKEの相手役ヒロインを演じたトゥイさんのインタビューとともに載ってました。なんでも、視聴者の反応が良かったからなんだとか。続編でもMIKEの日本語を聞けるんでしょうか。そして彼のタイ語は上達するのか!?(笑)放送を楽しみに待っていたいと思います!
2009/01/09
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今朝ふと思い出し、そういえば正月にはどんな格好になっているのだろうと例の場所へ。こんなでした↓この遊び心、見習いたいです(笑)まったくタイと関係なくてすんません・・・。
2009/01/08
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チャオプラヤー川を渡った17番バスはすぐ左折。ほどなくして、見覚えのある運河の風景が通り過ぎて行きました。「あっ、ダーオカノーン運河だ!」ということは、ここから前回の「トンブリー路線バスの旅」のルートに戻ったことになります。ラートブーラナ通りを疾走するバスは、ラマ9世橋の下をくぐり、いよいよ終点に到着!ジェーンローンです。17番はこんなところまで来ているんですね。ほかに37番バスもここが終点。何台も停車しています。降りた私は、来た道を歩いて少々戻ってみることに。運河に架かる橋のところまで来ました。ジェーンローン運河です。なんとこの運河が都県境になっています。左側がバンコク都、右側がサムット・プラーカーン県。終点のほうに少し戻ると、ソイの入り口に「ワット・ジェーンローン」と「ジェーンローン船着場」との看板を発見。どうせなのでちょっと行ってみますか。くねくねとしたソイを奥まで進んで行くと、スピーカーの女性の声が聞こえてきました。奥に学校があるようです。先生なんでしょうね。その声が段々大きくなっていき、小学校の前に出ました。学校の前にはこんな駄菓子屋さんが。下校時間には小学生たちが群がるんでしょうね。想像するとなんだか微笑ましいです。ソイをさらに奥へ進むと、ようやくワット・ジェーンローンに到着です!アユタヤ時代の15世紀創建と、かなり古いお寺だそうです。でも現在の本堂は20世紀のものだとか。<交通費>徒歩なので0バーツここまでの合計:6.5バーツつづく・・・
2009/01/06
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年末年始のタイ滞在で楽しみにしていたことがあります。それは、昨年4月にした「トンブリー路線バスの旅」の続きに行くこと!というワケで12月30日(火)に決行した旅の模様を早速日記に書きたいと思います。名付けて「チャオプラヤー川河口への旅」。前回同様スタート地点は、戦勝記念塔。乗るバスは、17番。伊勢丹前などでよく見かけるこのバス、終点はいったいどこなんだろう!?と前々から興味を持っていたのですが、バス路線説明書を眺めていて、前回の旅の通過点が終点であることが判明。それでまずは17番に乗ることに。08:03発車。パヤタイ通り→シーアユタヤ通り→ラチャプラロップ通りと進んだバスは、プラトゥーナムを過ぎ、伊勢丹(セントラル・ワールド・プラザ)前に到着。ここから大勢の人が乗ってきて、小さなバスの車内はたちどころにぎゅうぎゅう詰めに!タイではこの日が仕事納めの会社が多いようで、それでまだ通勤客が多いんですね。ルンピニー公園北側からウィッタユ通りに入り、ラマ4世通りを越えたらサートーン通りです。BTSスラサック駅を出る頃には、車内はガラガラに戻っていました。そして左折してチャルーンクルン通りへ。この通りは、ラマ4世期に開通したタイ初の近代式道路。西洋人が馬を走らせ易いようにと、当初はレンガ舗装されたんだとか。路線バスの1番も、この通りを走っています。ほどなくして右手にジャンク船のかたちをした変わったお寺が見えました。ワット・ヤーンナーワーです。こんなところにあったんですね。てっきりヤーンナーワー区にあるんだと思ってたので、発見できて嬉しいです。17番バスは右折して、いよいよチャオプラヤー川に架かるクルンテープ橋を渡ります!が、シャッターチャンスを逃してしまい、こんな写真でスミマセン(汗)<交通費>17番バス:6.5バーツつづく・・・ ※濃いグレーの道は、昨年4月の「トンブリー路線バスの旅」で通ったところです。
2009/01/04
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あけましておめでとうございます!1月2日夕方に日本へ帰ってきました。今回は久し振りにやや長めのバンコク滞在。なので張り切って予定てんこ盛りにしたら、さすがに後半はヘトヘトでした(笑)正月はバンコクも東京も空気が澄んでいて空がいつもより青いし、景色が奇麗に感じますね。夕焼けに映える富士山が車窓から見え、やっぱり日本もいいな~としみじみ思いました。取りあえず今日のところは、元旦のディナー写真をUPしておきます。サイアムの「バーン・イン」にて。右上から時計回りに、ヤム・プーニム(カニの柔らかいヤツのヤム)ゲーンパー・ムー(豚肉のゲーンパー)ミー・パット(焼きビーフン)どれも美味しかったです!昨年1年なんとかブログを続けられたのも、読んでくださっているみなさまのお陰だと思っています。どうぞ今年もよろしくお願いいたします!
2009/01/02
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