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「2010年夏クイズここはどこ? シリーズ」のスイス編のBack numberをラストに入れました。ずいぶん長いクイズシリーズをしていたようで、改めて驚きです。本当はスイスでまとめたいですけどね。スイスに来た日本人のほとんどが訪れるというユングフラウヨッホは日本人の人気No1。通常案内標識はドイツ語と英語で書かれているが、その横に日本語もしっかり書かれているどれだけ日本人が多いのか?実はインターラーケンと滋賀県大津市が姉妹都市、グリンデルワルドと長野県安曇村が姉妹都市となっていて、その為かここはスイスにあっても別格なのかも知れない。親切丁寧な日本語の標識・・日本人びいのようでちょっとうれしいしかし、「犬にエサをあげないで下さい。」・・なんて・・日本語のもあったゾ・・・( ̄_ ̄|||) 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 4 (ユングフラウ鉄道 1)クライネシャイデック(Kleine Scheidegg)とユングフラウ鉄道(JB・・・Jungfraubahn)スイスは国土の2/3がアルプス山脈などに囲まれた山岳地帯であるにもかかわらず、鉄道が多いのです。山岳地帯に荷物を運ぶのはもっぱら列車の仕事です。中には自動車を輸送する車両もかなり走っています。(そのうち紹介。)そんなスイスに初めて自国の鉄道が走ったのは1847年。そして、19世紀後半からは観光目的の登山鉄道の建設がどんどん進んだそうです。このユングフラウ登頂の鉄道も1860年代から構想はあったそうですが、実際に建設が始まるのが1896年、山頂までの完成は1912年の8月で、およそ17年かかった工事だった。着工まで時間がかかったのは資金繰り、工事に時間がかかったのは、トンネル工事が大変だったからです。(次回にまた詳しく紹介します。)クライネシャイデック(Kleine Scheidegg)の駅は前回上からの写真で紹介したようにヴェンゲルンアルプ鉄道(WAB・・・ WengernAlpBahn)とユングフラウ鉄道(JB・・・Jungfraubahn) の駅を兼ねています。今回はユングフラウ鉄道(Jungfraubahn)側の紹介です。車両は旧型、新型いろいろです。ユングフラウ鉄道側がユングフラウやユングフラウヨッホが正面に見える側です。ユングフラウ鉄道(JB)は、シュトループ式のラックレールヴェンゲルンアルプ鉄道(WAB)はリッゲンバッハ式のラック式のレール登山電車に欠かせない、ラック式レール(Rack Railway)は、当時は急勾配を登る為ではなく、機関車の空転防止が目的だった。ロヒャー式のラック式レールについては、昨年の7月に「登山電車・ピラトゥス鉄道 1 」で紹介しています。リンク 登山電車・ピラトゥス鉄道 1 (歯軌条、ラックレール)リンク 登山電車・ピラトゥス鉄道 2 トラバーサー(Traverser)リンク 登山電車・ピラトゥス鉄道 3 (ピラトゥス山頂)車両庫見えるのはアイガー(Eiger) これから乗る乗客で人だかり。実はこの鉄道はアイガーの中も走るのですホームとは思えない。ちょっと路面電車の感覚かもしれない。安全は個人の注意によって守るもの。子供が電車にひかれたらそれは親の責任・・それが欧州流の考え方です。すぐ訴訟を起こして賠償請求するのはアメリカ式の考え方。駅舎と言うより建物はほぼレストラン。ホームに広がるパラソルはレストランのテーブル。建物の中でも食べられるけれど、欧州の人は太陽にあたりたがる傾向があるようです。北壁を見ながら食べるのは素敵・・でもアルプスにビーチパラソルはいかがなものか・・・。前回載せ忘れたヴェンゲルンアルプ鉄道側からのユングフラウ。車両が多い時はこのあたりにも停車。メンヒとユングフラウの間、ユングフラウヨッホをめざして・・・次回につづく。リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 5 (ユングフラウの四季)back numberリンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-1 (車窓から)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-2 (ディセンティス駅)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-3 (解答)グレンシャー・エクスプレス(Glacier Express)氷河急行リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-4 (オーバーアルプ峠界隈)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 1 (宿題)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 2 (戻ってきました)ヴェンゲルンアルプ鉄道(WAB・・・・ WengernAlpBahn)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 3 (クライネシャイデック) 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 4 (ユングフラウ鉄道 1)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 5 (ユングフラウの四季)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 6 (アイガーグレッチャー界隈)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 7 (アイガーグレッチャーと駅)ユングフラウ鉄道(JB・・・Jungfraubahn)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 8 (アイガーヴァンドから)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 9 (ユングフラウヨッホ駅)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 10 (グロッサー・アレッチ氷河)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 11 (ユングフラウ)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 12 (スフィンクス展望台)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 13 (ユングフラウ終章)リンク スイス・カートレイン 1 (レッチェベルク線)リンク スイス・カートレイン 2 (レッチュベルクトンネル)
2010年08月31日
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「2010年夏クイズここはどこ? シリーズ」のスイス編のBack numberをラストに入れました。ずいぶん長いクイズシリーズをしていたようで、改めて驚きです。本当はスイスでまとめたいですけどね。2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 3 (クライネシャイデック)クライネシャイデック(Kleine Scheidegg)とオーバーラント三山アイガーグレッチャー方面から撮影クライネシャイデックの駅と背後の山は左・・Lauberhorn(2472m)右・・Tschuggen(2520m)クライネシャイデック駅をズームさらに駅をズーム駅舎は片面が前回紹介したヴェンゲルンアルプ鉄道(WAB)のホームであり、反対(こちら側)をがユングフラウ鉄道が使用し、始発駅となっています。クライネシャイデックは「小さな峠」の意。ここを拠点にクライマーやハイカー、スキーヤーなどが集まっては別れていく場所なのです。ユングフラウ鉄道側上の写真と反対方面からの駅舎を撮影ユングフラウ鉄道駅ホームの正面にある山がユングフラウ(Jungfrau)です。今回の答えはユングフラウ(Jungfrau)です。左の尾根の上が Top of Europeと言われるユングフラウヨッホ(Jungfraujoch)の駅があるユングフラウヨッホです。ヨッホとは山間の尾根の鞍のようになった所を指すそうです。左方向、下方にはグリンデルワルト(Grindelwald)の街。ヴェンゲルンアルプ鉄道(WAB)はこの山沿いに街まで下る。左・・ Wetterhorn(3701m)中・・ Schreckhorn(4078m)右一部・・ Eiger(3970m)Eigerオーバーラント三山左・・アイガーEiger中・・メンヒ・Monch(4099m)「修道士」の意右・・ユングフラウ・Jungfrau(4158m)アイガー北壁のアタック。ルートの絵はがきがあったのでおまけに紹介です。アイガー北壁は、高さ1800mの岩壁。グランドジョラスのウォーカー側稜とマッターホルン北壁と共に困難な、三大北壁てです。以前マッターホルンの時に紹介した気がします。休み明けなのに疲れていて手抜きで申し訳ありませんが・・・ユングフラウ鉄道につづくリンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 4 (ユングフラウ鉄道 1)back numberリンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-1 (車窓から)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-2 (ディセンティス駅)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-3 (解答)グレンシャー・エクスプレス(Glacier Express)氷河急行リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-4 (オーバーアルプ峠界隈)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 1 (宿題)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 2 (戻ってきました)ヴェンゲルンアルプ鉄道(WAB・・・・ WengernAlpBahn) 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 3 (クライネシャイデック)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 4 (ユングフラウ鉄道 1)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 5 (ユングフラウの四季)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 6 (アイガーグレッチャー界隈)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 7 (アイガーグレッチャーと駅)ユングフラウ鉄道(JB・・・Jungfraubahn)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 8 (アイガーヴァンドから)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 9 (ユングフラウヨッホ駅)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 10 (グロッサー・アレッチ氷河)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 11 (ユングフラウ)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 12 (スフィンクス展望台)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 13 (ユングフラウ終章)リンク スイス・カートレイン 1 (レッチェベルク線)リンク スイス・カートレイン 2 (レッチュベルクトンネル)
2010年08月30日
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「2010年夏クイズここはどこ? シリーズ」のスイス編のBack numberをラストに入れました。ずいぶん長いクイズシリーズをしていたようで、改めて驚きです。本当はスイスでまとめたいですけどね。戻ってきました のんびりしずきた為に逆にやる気が・・・イケナイ イケナイ今回の宿題場所は最後の旗で解ったと思いますが、今回もスイスの山のどこか・・になっています。スイスの山は写真が膨大だし、カットだけではどこか解らないので写真の絞り込みも大変なのです。実は3日前から始めていたのですが・・肩こり酷くて・・もうめげています2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 2 (戻ってきました)ヴェンゲルンアルプ鉄道(WAB・・・・ WengernAlpBahn)クライネシャイディック(Kleine Scheidegg)写真はいろいろ含めて載せています。最終的な答えは持ち越しです今回はそこに向かう・・またまた本格的な登山鉄道からの紹介です。ヴェンゲルンアルプ鉄道(WAB・・・・ WengernAlpBahn)この駅はラウターブルンネン(Lauterbrunnen)ヴェンゲルンアルプ鉄道(WAB)はラウターブルンネン(797m)からクライネシャイディック(2061m)を経てグリンデルワルト(1034m)を結ぶ全長19.1kmのスイスの山岳鉄道です。但し、全行程を走破する鉄道ではなく、そもそもクライネシャイディックに行く事を目的とした鉄道なのです。距離は短いけれど高低差が非常にあるので全行程ラックレールを用いています。運転席やはり参考に地図を乗せます。見にくいですが、黄色のライン左からABC。左A・・グリンデルワルト(1034m)中B・・クライネシャイディック(2061m)右C・・ラウターブルンネン(797m)一つの尾根にある駅がクライネシャイディックの駅と言えます。さて、クライネシャイディックに行く目的は、ここからまた別の鉄道に乗り換えてさらに高い山に登る為なのですクライネシャイディック(Kleine Scheidegg)インディアンのテントのようなのはレストラン・・意味は不明。反対側からの駅舎駅舎の向こうの上にズーム・・・山が・・・これが今回のクイズの答えです。ところでこの駅舎は手前がヴェンゲルンアルプ鉄道(WAB)で、向こう側が×××鉄道です。(名前がそのまま鉄道になっているので次回に・・。)下の写真はクライネシャイディックに近いグリンデルワルト(Grindelwald)方面です。写真は6月のものグリンデルワルト(Grindelwald)方面にかぎりなく近い写真ですが8月のもの。標高が2000mを越えるので上の方は8月でも雪・・どころかスキーができます。グリンデルワルトからの方がものすごいものが見えるのです。(おすすめ)どちらからクライネシャイディックにアクセスするかは、ツアーのスケジュール次第です。この山の下をしっかり通過するのです。さて、この山は・・・標高3970mのアイガー(Eiger)です。しかもアイガー北壁・・がこの向きなのだそうです。つづくback numberリンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-1 (車窓から)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-2 (ディセンティス駅)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-3 (解答)グレンシャー・エクスプレス(Glacier Express)氷河急行リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-4 (オーバーアルプ峠界隈)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 1 (宿題) 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 2 (戻ってきました)ヴェンゲルンアルプ鉄道(WAB・・・・ WengernAlpBahn)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 3 (クライネシャイデック)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 4 (ユングフラウ鉄道 1)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 5 (ユングフラウの四季)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 6 (アイガーグレッチャー界隈)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 7 (アイガーグレッチャーと駅)ユングフラウ鉄道(JB・・・Jungfraubahn)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 8 (アイガーヴァンドから)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 9 (ユングフラウヨッホ駅)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 10 (グロッサー・アレッチ氷河)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 11 (ユングフラウ)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 12 (スフィンクス展望台)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 13 (ユングフラウ終章)リンク スイス・カートレイン 1 (レッチェベルク線)リンク スイス・カートレイン 2 (レッチュベルクトンネル)
2010年08月29日
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「2010年夏クイズここはどこ? シリーズ」のスイス編のBack numberをラストに入れました。ずいぶん長いグイズシリーズをしていたようで、改めて驚きです。本当はスイスでまとめたいですけどね。休み前の宿題です。2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 1 (宿題)やっぱり涼しい所にしました車窓から・・とは言え、電車に乗っているほとんどの時間はトンネル内です。欧州一、高台にある駅に向かいます。頂上は冬並みの寒さ。駅の上にはスフィンクス展望台。展望台の眼下にはアルプス山脈最大のアレッチ氷河。アレッチ氷河を取り囲む9つの山頂はいずれも4000m級。ヒント載せすぎましたか・・・。考えてから解答を見てね。リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 2 (戻ってきました)Back numberリンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-1 (車窓から)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-2 (ディセンティス駅)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-3 (解答)グレンシャー・エクスプレス(Glacier Express)氷河急行リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-4 (オーバーアルプ峠界隈) 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 1 (宿題)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 2 (戻ってきました)ヴェンゲルンアルプ鉄道(WAB・・・・ WengernAlpBahn)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 3 (クライネシャイデック)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 4 (ユングフラウ鉄道 1)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 5 (ユングフラウの四季)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 6 (アイガーグレッチャー界隈)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 7 (アイガーグレッチャーと駅)ユングフラウ鉄道(JB・・・Jungfraubahn)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 8 (アイガーヴァンドから)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 9 (ユングフラウヨッホ駅)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 10 (グロッサー・アレッチ氷河)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 11 (ユングフラウ)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 12 (スフィンクス展望台)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 13 (ユングフラウ終章)リンク スイス・カートレイン 1 (レッチェベルク線)リンク スイス・カートレイン 2 (レッチュベルクトンネル)
2010年08月22日
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「2010年夏クイズここはどこ? シリーズ」のスイス編のBack numberをラストに入れました。ずいぶん長いクイズシリーズをしていたようで、改めて驚きです。本当はスイスでまとめたいですけどね。さて、アンデルマットまでの車窓からの景色をもう少し紹介してラストです。2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-4 (オーバーアルプ峠界隈)スイス・アルプスの山岳地帯を走る山岳鉄道グレンシャー・エクスプレス(Glacier Express)氷河急行フルカ峠と新フルカ・トンネル氷河急行の名称で列車が初めて運行したのは1930年の事、今年で80年目。当初から電気機関車ではあったものの11時間かかっていたそうです。現在は新フルカ・トンネルの開通(1982年)と最新式の動力車により7時間半くらいまでに短縮されていると言う事です。夏場が人気だと言う事ですが、冬の景色も良いそうですよ。フルカ峠と新フルカ・トンネル新フルカ・トンネル(15407m)が開通した事で、今まで夏期のみだった氷河急行は通年運行になったと言う事です。フルカ峠は最大勾配110パーミルのアプト式で、冬季は豪雪による雪崩の破損を防止する為に秋になると運休して鉄橋を取り外し、6月からまた設置して再開していた・・と言う難所だったそうです。さて、いらなくなったフルカ峠(2160m)越えルートですが、そのルートは、ローヌ氷河の先端まで進む美しい景観を持ったラインだった為に熱心な鉄道愛好家の嘆願があったそうです。現在そのラインは2000年代はじめから順次復活してフルカ山岳蒸気鉄道(DFB)(Dampfbahn Furka-Bergstrecke)により、、夏期のみ、蒸気機関車を走らせて運行しているようです。(ダブルでおいしい路線です)反対方面から山を下ってきている氷河急行。これが撮影できると言う事は線路が対面するくらいこれからカーブがあると言う事。たぶんカミショラス(Camischolas)の村だと思います。山の谷間には村があり、その規模は案外大きいのでビックリ。こんなへんぴな所に? 鉄道が通年運行になったからなのでしょうか?ディーニ(Dieni)駅 標高1452m地点ウインター・スポーツのメッカだそうです。ここから最高標高のオーバー・アルブ・パスヘーエ駅をさらに越えて下ったアンデルマットの駅まではラック・レールになっています。要するに歯形式のレールをかみ合わせてズリ下がらないようにしっかりとレールを捕まえながら走行する為のレールとなっているわけで、それだけ急勾配だと言う事です。セルヴァ村かもしれない・・・。このあたりがチャムトかもしれない・・・。 (はっきりしなくてすみません)眼下にながれる小さな川がトマ湖から流れた川で、これもライン川の支流の一つです。このあたりからオーバーアルプ峠に入るのだと思います・・・オーバーアルプ湖(Oberalp)・・・オーバーアルプ峠越え湖に沿って列車は走る。写真右に見えるのが雪崩よけのトンネル。オーバーアルプ湖(Oberalp)の水はアンデルマットでロイス川となりやがてライン川に合流するようです。トマ湖の水といい、このオーバーアルプ峠あたりの水系はラインの源流があつまっているので「ラインのゆりかご」と呼ばれるそうです。アンデルマット(Andermatt)超田舎に見えますが、スイスの南北交通・東西交通が交わる十字路なのだそうです。そして余談ですが、現在スイス陸軍の訓練施設であり、戦時にはスイス連邦陸軍の司令部となる街だそうです。このあとツェルマットに向かうのですが、あまり良い写真もないのでこんなところで氷河急行を終わります。事故で亡くなられた方のご冥福を祈りつつ二度と事故が起きないように祈るばかりです。back numberリンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-1 (車窓から)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-2 (ディセンティス駅)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-3 (解答)グレンシャー・エクスプレス(Glacier Express)氷河急行 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-4 (オーバーアルプ峠界隈)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 1 (宿題)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 2 (戻ってきました)ヴェンゲルンアルプ鉄道(WAB・・・・ WengernAlpBahn)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 3 (クライネシャイデック)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 4 (ユングフラウ鉄道 1)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 5 (ユングフラウの四季)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 6 (アイガーグレッチャー界隈)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 7 (アイガーグレッチャーと駅)ユングフラウ鉄道(JB・・・Jungfraubahn)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 8 (アイガーヴァンドから)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 9 (ユングフラウヨッホ駅)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 10 (グロッサー・アレッチ氷河)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 11 (ユングフラウ)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 12 (スフィンクス展望台)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 13 (ユングフラウ終章)リンク スイス・カートレイン 1 (レッチェベルク線)リンク スイス・カートレイン 2 (レッチュベルクトンネル)
2010年08月21日
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「2010年夏クイズここはどこ? シリーズ」のスイス編のBack numberをラストに入れました。ずいぶん長いグイズシリーズをしていたようで、改めて驚きです。本当はスイスでまとめたいですけどね。2010年 7月23日の事、日本人の死傷者をたくさん出したスイスの鉄道事故。その人気鉄道路線が今回の答えです。あれだけの死傷者を出していながら、翌日再開していた・・と言う驚きの鉄道路線はスイスの中でもドル箱路線・・しかも共同運行便の為に「休業できない理由」があったのだと思います。運転士の過失・・・そうしておけば丸く収まる・・と言う裏がある・・と思ったのは私だけでしょうか・・・。本当に運悪く亡くなった方はお気の毒です。運良く1日ずれた人達が喜んで列車に乗っていく姿にはちょっと腹立たしさがありました。自分の事しか考えない人達・・自分は大丈夫・・と思う人達が世の中に多い・・と言う事なのでしょう。さて、氷河急行は昨年5月「アルプス山脈 マッターホルン 1 」でマッターホルン・ゴッタルド鉄道「アルプス山脈 マッターホルン 4 (鉄道)」でゴルナグラート鉄道を紹介した時に紹介する予定が、違う方向に行ったので保留にしていた分です。尚、これから急勾配を登るラック式については、昨年7月「登山電車・ピラトゥス鉄道 1」でラック式鉄道(Rack Railway)について多少紹介していますから参考に・・。2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-3(解答)スイス・アルプスの山岳地帯を走る山岳鉄道グレンシャー・エクスプレス(Glacier Express)氷河急行スイスの2大アルペンリゾートのツェルマットとサンモリッツを結ぶこの路線はヨーロッパ大陸の分水嶺をなす場所でもあります。北海、黒海、地中海に注ぐ川の源流ともいえる場所、そこがコースです。風光明媚なアルプスの景色の中を平均30kmで鑑賞しながら走る・・氷河急行は超人気の観光列車です。鉄道好き、山好きが一度は乗りたい・・そんな列車です。ルート・マップから・・・今回はクールから乗車してツェルマットに向かって紹介しています。ツェルマット ~ブリーク ~ディセンティス ~クール ~ダヴォス ~サンモリッツ下は同じように右がサンモリッツ、左がツェルマットでグラフは標高を現しています。クール駅の標高が585m。オーバーアルプ峠の標高が2033mでその差1448m。下ったり上ったりの高低差がもっともある鉄道かもしれません。最近のパノラマ車両1等車確かに、景色は良く見えるけど、一度列車が転覆すれば上は無防備状態・・トロッコ列車にのっているのと同じように危険・・です。転覆するなんて誰も想定していなかったでしょうが・・・。車両後方に多少荷物が積めます。以前にも紹介していますが、これから向かうツェルマットの街はガソリン車乗り入れ禁止。荷物も自分で運搬。余談ですが、マッターホルン・ゴッタルド鉄道にはカートごと積める車両もあるのです。写真はクールだと思います。Glacier Expressの「Glacier」が氷河の意ディセンティス/ミュステア(Disentis/Muster)駅が眼下にあるのですが・・・。ちょと見えない・・。下がディセンティスの街です。デイセンティスからが一気に標高があがる所です。おまけ・・・アルプス山脈は欧州の分水嶺ローヌ(Rhône)川・・・スイスからフランスを通り地中海に注ぐフランス4大河川は、ローヌ氷河とフルカ峠あたりが源流です。ライン(Rhein)川・・スイスアルプスのトーマ湖を源流としてスイス、リヒテンシュタイン、オーストリア、ドイツ、フランス、オランダを抜けて北海に注ぐ国際河川です。(クールの先にラインの支流フォルダーライン川が流れていました。)イン(Inn)川・・・ドナウ川の支流で源流はクール、ダボスあたりのアルプスにあり、やがてドナウ川に合流。17カ国を通過して黒海に注ぐ。back numberリンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-1 (車窓から)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-2 (ディセンティス駅) 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-3(解答)グレンシャー・エクスプレス(Glacier Express)氷河急行リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-4 (オーバーアルプ峠界隈)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 1 (宿題)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 2 (戻ってきました)ヴェンゲルンアルプ鉄道(WAB・・・・ WengernAlpBahn)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 3 (クライネシャイデック)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 4 (ユングフラウ鉄道 1)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 5 (ユングフラウの四季)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 6 (アイガーグレッチャー界隈)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 7 (アイガーグレッチャーと駅)ユングフラウ鉄道(JB・・・Jungfraubahn)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 8 (アイガーヴァンドから)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 9 (ユングフラウヨッホ駅)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 10 (グロッサー・アレッチ氷河)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 11 (ユングフラウ)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 12 (スフィンクス展望台)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 13 (ユングフラウ終章)リンク スイス・カートレイン 1 (レッチェベルク線)リンク スイス・カートレイン 2 (レッチュベルクトンネル)
2010年08月20日
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「2010年夏クイズここはどこ? シリーズ」のスイス編のBack numberをラストに入れました。ずいぶん長いクイズシリーズをしていたようで、改めて驚きです。本当はスイスでまとめたいですけどね。久しぶりの鉄道ネタ前回車窓の景色をのせましたが、今回は国及び鉄道がクイズになっています。まだ車窓は序章ですが、今回は駅を一つ取り上げて紹介します。2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-2 (ディセンティス駅)ディセンティス/ミュステア(Disentis/Muster)駅この路線の運行は高級保養地サンモリッツあるいはダヴォスからツェルマット間の全長280km。その区間をまる8時間と言うダイヤで超スロー走行する観光列車です。そろそろ解ったと思いますが・・・。最近話題になったし・・・ディセンティスの街です。駅は右端・・赤いのが停車中の列車です。さて、ディセンティスの駅は、鉄道会社の異なる区間の運行の接続駅となる。つまり、この駅では、機関車の車両入れ替えが行われるのです。ディセンティス/ミュステア(Disentis/Muster)駅構内路線別運行会社を簡単に紹介前回紹介したようにこの路線は3つの会社が合同で運行。1.レーティッシュ鉄道(RhB)( Rhatische Bahn )ダヴォス ~クール・・・・・・・・・レーティッシュ鉄道(ダヴォス線)サンモリッツ ~クール・・・・・・レーティッシュ鉄道(アルブーラ線)クール ~ディセンティス・・・・レーティッシュ鉄道(ビュントナーオーバーランド線)2.フルカ・オーバーアルプ鉄道(FO)(Furka-Oberalp-Bahn)ディセンティス ~ブリーク・・・フルカ・オーバーアルプ鉄道3.ブリーク・フィスプ・ツェルマット鉄道(BVZ)(Brig Visp Zermatt Bahn)ブリーク ~ツェルマット・・・・・ブリーク・フィスプ・ツェルマット鉄道※ 地球の歩き方もウィキペディアも間違っています。上り線も下りも線もここで機関車を交換。運行会社が異なるので、乗務員もチェンジです。車内販売のグッズや飲食物もチェンジです。レーティッシュ鉄道(RhB)( Rhatische Bahn )前回紹介した路線がレーティッシュ鉄道(RhB)です。クールに本社を置くスイス最大級の私鉄で、スイス国鉄がほとんど路線を持たないこの国で、レーティッシュ鉄道がほぼ国の路線をカバーしている。それ故に株式の半分近くをスイス連邦と州が所有しているらしい。フルカ・オーバーアルプ鉄道(FO)(Furka-Oberalp-Bahn)これから走る区間がフルカ・オーバーアルプ鉄道(FO)(なので、こちらの会社の使用に変更されている。前回紹介したようにこの路線の最高標高はオーバーアルプ峠の2033m。アルプスの分水嶺越えで、このディセンティスの標高は1130m。標高差903mを登るのがフルカ・オーバーアルプ鉄道(FO)です。(ブリークからオーバーアルプ峠登りの方がもっと差がありますが・・・。)要するに(FO)はラック方式(部分アプト)の山岳列車となる。因みに今回事故のあったのはこの路線のツェルマット寄りなのです。外される食堂車さて、機関車の交換だけではなく、ここでは食堂車の連結、解除も行われています。実はこの鉄道路線では、食堂車は全線連結はされていません。(ツェルマット行きはクール発便のみ)車両数が足りないのか? とも思いましたが、たぶんこの鉄道路線で最も険しい路線なので、山を登るのに無理があるからなのかも・・。従ってクールで乗車して食事をすると、ここで食堂車は外されるのです。(折り返し使われるのでしょう。)今回のルートはサンモリッツでなく、クールからの乗車です。因みに食堂車は事前予約制で、食堂車以外に車内販売は来ますが、全員分はカバーする数はないようなので、お弁当を持ち込むツアーもあるそうです。ちょっとめずらしい乗車記念のお土産を紹介。ワイン・グラスですが、傾いている特殊な作りです。(今はデザインは変わったかも・・・)急勾配を走る列車なので、グラスが傾きに合うように考案されているのです。シャレでしょうけど・・・ ちょっと試してみました。右が平らな時 左が勾配角度25度です。ほぼ正解は解っているとは思いますが、次回解答編です。リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-3back numberリンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-1 (車窓から) 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-2 (ディセンティス駅)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-3 (解答)グレンシャー・エクスプレス(Glacier Express)氷河急行リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-4 (オーバーアルプ峠界隈)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 1 (宿題)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 2 (戻ってきました)ヴェンゲルンアルプ鉄道(WAB・・・・ WengernAlpBahn)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 3 (クライネシャイデック)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 4 (ユングフラウ鉄道 1)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 5 (ユングフラウの四季)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 6 (アイガーグレッチャー界隈)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 7 (アイガーグレッチャーと駅)ユングフラウ鉄道(JB・・・Jungfraubahn)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 8 (アイガーヴァンドから)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 9 (ユングフラウヨッホ駅)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 10 (グロッサー・アレッチ氷河)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 11 (ユングフラウ)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 12 (スフィンクス展望台)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 13 (ユングフラウ終章)リンク スイス・カートレイン 1 (レッチェベルク線)リンク スイス・カートレイン 2 (レッチュベルクトンネル)
2010年08月19日
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「2010年夏クイズここはどこ? シリーズ」のスイス編のBack numberをラストに入れました。ずいぶん長いグイズシリーズをしていたようで、改めて驚きです。本当はスイスでまとめたいですけどね。欧州は、昔はそんなに暑くなかたのか? クーラーも入れていないホテルがけっこうあるようです。2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-1 (車窓から)一般的にその国のイメージは、「涼しそう」。何しろヨーロッパ中央部を東西に横切るアルプス山脈が横切っているからです。それ故に標高により気候はかなり異なり、標高の高い地帯の冬は厳しく、逆に南部は地中海の影響で熱帯の植物もはえていたりと、かなり温暖らしい。今回は写真の景色で推測してみて下さいたぶんライン川です。この先から支流のフォルダーライン川に移ります。造山運動の跡が見える山の岩肌・・・。恐竜の背中みたい・・。他のラインから来た鉄道と合流する駅です。この国は意外に鉄道が発達しているのですが、その4割は私鉄なのだそうです。ただ相互乗り入れも多く、時刻表でも国鉄と区別無く扱われているので、ちょっと見区別が付きにくい。しかも、私鉄同士も相互乗り入れ、あるいは共同運行をしている。今回の鉄道ラインは全長280kmなのに3社の会社の共同運行です。知っている人なら、これを見ればすぐ解っちゃうか・・この共同運航便は特別な名称を持っている。この鉄道区間の中ではこのあたりはまだ標高の低い方です。おそらく800mくらい。この鉄道路線は、最大標高は2033mまで行く。列車は景色を見せる為にとてもゆっくり走行してくれる。つづくリンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-2 back number 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-1 (車窓から)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-2 (ディセンティス駅)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-3 (解答)グレンシャー・エクスプレス(Glacier Express)氷河急行リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ3-4 (オーバーアルプ峠界隈)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 1 (宿題)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 2 (戻ってきました)ヴェンゲルンアルプ鉄道(WAB・・・・ WengernAlpBahn)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 3 (クライネシャイデック)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 4 (ユングフラウ鉄道 1)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 5 (ユングフラウの四季)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 6 (アイガーグレッチャー界隈)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 7 (アイガーグレッチャーと駅)ユングフラウ鉄道(JB・・・Jungfraubahn)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 8 (アイガーヴァンドから)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 9 (ユングフラウヨッホ駅)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 10 (グロッサー・アレッチ氷河)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 11 (ユングフラウ)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 12 (スフィンクス展望台)リンク 2010年夏クイズここはどこ? シリーズ 4 - 13 (ユングフラウ終章)リンク スイス・カートレイン 1 (レッチェベルク線)リンク スイス・カートレイン 2 (レッチュベルクトンネル)
2010年08月18日
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今年の2月から3月にかなり詳しく取り上げています。実は例の祭りがもうすぐなので思い出したのです。今年は9月6日らしいですよ2010年夏クイズここはどこ? シリーズ2-3 (ゴジェスカ)この階段はある所の階段です。今回もこの街のイメージから・・。景色よりもこちらの方が有名なのです。スペイン(Espana)アンダルシア(Andalucía)州マラガ(Málaga)県ロンダ(Ronda)ここはスペイン闘牛を芸術の域にまで高めたスペインの生んだ英雄的闘牛士、ロメロ・ファミリーの発祥の地。ロンダ(Ronda)です。答えはマラガのロンダです。ロンダの闘牛場・・橋のたもと、パラドール・デ・ロンダの近くの新市街にあります。そしてここはスペイン最古の闘牛場であり、スペインで一番大きいアリーナ(闘技場)を持つ闘牛場なのです。観客数5000人。直径66m。ここは騎馬闘牛もできる広さです。砂はアレーナではなく、セビリアの黄色い砂でアルベーロです。ソンブラ(Sombra)・・・日陰席(闘牛士に近くj眩しさを防いで観戦ができるので一番高額)写真下が気品席なのは言うまでもない。「闘牛場の座席」、「闘牛の起源」、「ロメロ・ファミリー」、「スペイン闘牛」など・・・2月、3月に「スペイン・ロンダ」シリーズの中で細かくかいているので見てね。ここでは簡単に・・・闘牛の起源スペイン闘牛の原点は、野生の牛を槍で突く貴族の狩猟の風習にあったと考えられます。その牛がひょっとするとかつてイベリア半島にも生息していた原牛のオーロックス(Aurochs)だったのでは? 何て事も書いていますが・・。もともと馬に乗った騎馬闘牛が始まりだったようです。18世紀になってフランスから来て即位したフェリペ5世( 1683年~1746年)によって、宮廷での闘牛のスポーツは無くなっていきます。しかし、騎馬闘牛は、庶民の娯楽の中で生きて文化として残り、祭りの時に興業されていたのです。現在の闘牛・・・闘牛の様式美・・・ロメロ・ファミリーの貢献最初に馬から降りて地上でムレータ(ヒラヒラ布)をかざして牛と対等に戦ったのがロンダに登場したフランシスコ・ロメロ(1698年~1793年)です。その息子ファン・ロメロはそれを継承してチームで戦う現在の闘牛のスタイルを確立。さらに孫のペドロ・ロメロ(1754年~1839年)は、闘牛のルール、スタイルを様式美として組み込み、芸術性を高めた崇高なスポーツに仕上げたのです。街では、肉屋が解体する前の牛を捕えて、殺す所を、お金を取って見せ物にした者がいます。それが闘牛のショー化になったとも考えられています。闘牛士が祈りを献げる競技場内の礼拝堂ロメロ家に並ぶ、2大名闘牛士一族の1つがオルドニアス家。下はアントニオ・オルドニアス(Antonio Ordonez)(1932年~1998年)闘牛場の入口の記念碑?このアリーナにはアントニオ・オルドニアスが埋葬されているらしい。因みに彼の死因は肝がんだそうです。「ゴジェスカ」は、ゴヤの絵の中の時代の服・・・と言う意味でそう呼ばれ、この日はゴジェスカを着用して闘牛が行われる為にゴジェスカ闘牛と呼ばれます。3日だけの興業で、伝統的な闘牛の一つです。闘牛士だけでなく、観客もゴジェスカのコスプレでかけつける所も面白い所なのです。ゴジェスカの衣装は白地に黒の刺繍です。(写真は前のを見てね。)今年は9月6日開催のロンダのゴジェスカ闘牛(Corrida Goyesca)。今年、闘牛士カエタノ・リヴェラ・オルドニアス(Cayetano Rivera Ordonez)(1977年~)の為の衣装デザインを担当したのはジョルジョ・アルマーニ。(闘牛士カエタノ・リヴェラ・オルドニアスはアントニオ・オルドニアスの孫です。)2008年にもジルジョ・アルマーニはゴジェスカの衣装をデザインしていますからここのところずっとかな?過去にはバブロ・ピカソもデザイン。頼まれるデザイナーにとっても本来は栄誉な事のようでが、動物愛護団体の攻撃が、今や衣装デザイナーのアルマーニにも向けられていると言います。ロンダの街のゴジェスカ闘牛はスペインで最も熱い祭りかも・・・。「シリーズ 2」おわりです。
2010年08月17日
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最近・・と、あるサイトで、サイト内の多数の方と日記のようなミニ・メールをしています。文章からして、おそらく若い人が多いのですが、驚いたのは盆の入りに家族とお墓参りに行く・・と言う方が案外多かった事です。皆さんどこの出身かはわかりませんし、どこからアクセスしているのかも解りませんが、若者もちゃんと盆をしているのだ・・と言う・・何だか日本の未来に安堵を感じました。(私自身が先祖参りをしていないのですが・・・)さて、第二弾のクイズのつづき・・今日もヒントです。2010年夏クイズここはどこ? シリーズ2-2 (岩山にある街)意外な話ではありますが、紀元621年頃、この土地は西ゴート王国(415年~711年)が治めていたそうです。その西ゴート王国は、ウマイヤ朝(イスラーム王朝)との戦いで王が戦死し、王国もそこで消滅。今やその王国の存在自体が伝説のようになっています。その後はイスラムの支配を受けて最終的にこの国はカトリック支配の政体に変わり。今に続きます。この街はイスラムの支配時代に、都市としての外観の大部分が建築されたそうです。そして、この街の一番の観光ポイントがあの橋・・・いえ、あの橋からの絶景です。撮影場所と橋の間には渓谷があります。前回紹介したローマ橋に次いで建設された為にプエンテ・ヌエーボ(Puente Nuevo)「新しい橋」と名がついたようです。1788年に完成した橋は、岩山の間、グァダレピン川に架かる長さ200m、深さが90mもあり、驚異的な高さの橋脚を持った橋なのです。橋の下層は刑務所になっていました。簡単には逃げられない高さです。左手に見えるのが、由緒あるホテルで、あちらが新市街になります。橋の右手に見えるのはカフェ・レストランです。この街は絶景を活かして、絶壁にいくつものカフェが点在しています。橋からの絶景最初の2枚の写真は下の写真左端に見える公園からの撮影です。公園のある左が新市街で右手の建物は旧市街です。つまりここは岩山の上に乗っかった旧街と新街があり、それをローマ橋と新しい橋によって繋いでいる・・・と言う街なのです。名前に地名が入っているので今回伏せますが・・・岩山の絶景ポイントに建っているのはパラドール(Parador)系列の四つ星ホテルで、もと市庁舎でした。ここには歴史的な著名人が多数宿泊しています。ここの絶景にインスピレーションを受けながら書いた詩人もいます。「カルメン」のドン・ホセがイギリスの貴族を殺して逃げ込んだのもここです。前回のヒント暑い、熱い街。下はパブロ・ピカソが、ここの為に描いた絵です。これはもちろんレプリカですが、この街のある場所に飾られています。絵がヒントピカソはこれが大好きでした。ピカソだけでなく、オーソン・ウェルズも有名です。ここは、この国にしかないある競技の発祥の地なのです。それが解ればここがどこか検索できるはず。もう一つサービス・カット生ハムをこの国ではハモン・セラーノ(Jamon Serrano)と呼びます。次回正解
2010年08月16日
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次回の場所を提示しておきます。今回ちょっと難しいかも・・・街そのものを知らない人のが多いからね・・。でも常連さんなら・・解るかな?2010年夏クイズここはどこ? シリーズ2-1 (熱い街)旧市街シウダー(Ciudad)から新市街に入るゲート見えるのは新市街メルカディーヨ(Mercadillo)写真は新市街から旧市街方面のゲート方面を撮影プエンテ・ロマーノ(Puente Romano)ローマ橋最初の橋の橋脚はローマ時代(1616年に改築)・・このあたりでもっとも古い橋。橋の全景・・・実は下は渓谷橋はこんな所にかかっています。これはヒントです。前回これより遠方から撮影した写真を使っています。街を取り巻く環境はとてものどか・・。新市街から撮影。ヒント実はここも以前紹介した街です。しかし、新しい写真が手に入ったので今回のヒント写真は、前回全く紹介していない場所となっています。(内容では触れていますが・・・。)ローマ橋に見られるようにローマ遺跡も周りから出土しています。ローマ時代から地形的な問題で取り合いになった要塞都市だったのです。しかし、ある時伝染病が蔓延して、一次的にこの町は廃墟となったそうです。その後ここに住み着いたのは盗賊や密輸業者などの社会的なアウトロー達と宗教的異端児達です。そう言えば、橋の名前を公表しましたが・・・プエンテ・ロマーノ(Puente Romano)ローマ橋・・・ヤフーで検索しても出てこないですね。私も調べるのに苦労しましたから・・。この街はどこよりも暑い、熱い、街だと言っておきましょう
2010年08月15日
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すっかりメンテの事を忘れてました・・災厄は忘れた頃やってくる・・・昨晩終わらせるつもりが・・・今回おまけ写真は12枚載せました。観光ガイドブックでのモナコの扱いは小さく情報も写真もあまりないので・・。2010年夏クイズここはどこ? シリーズ1-4 (おまけ)モナコ大公宮殿とモナコ大聖堂とグレース・ケリーの墓所海抜60mの岩山(ロシェ地区)・・・モナコ・ヒルには旧市街や王宮、モナコ大聖堂、国会議事堂、熱帯庭園、海洋博物館などがあります。写真左の丘がモナコ・ヒルモナコ王宮(Palais du Prince)ジェノバ人の建てた要塞の上に築城された王宮は13世紀から現代までの建築様式がいろいろ混ざり合っています。初期の要塞の面影があるのは時計塔のあたり・・。縦に細い隙間は中世の銃眼です。現在モナコの防衛はフランスが領土防衛の責任を持っているそうです。今はお飾りとなっていますが、あちこちに今も大砲と砲弾がオブジェとなっています。かつてはジエノバ、フランス、スペインなどから戦略的な要所として狙われる土地の為にモナコ王家グリマルディ家は戦い、防衛してきた歴史の跡です。像は誰だかわかりませんが、大砲と砲弾はルイ14世から贈られたものだそうです。古い城で実際に大砲が飾られているのを見るのは初めてです。王宮正面王宮は6月~10月まで一部一般公開されています。モナコ王家グリマルディ(Grimaldi)家の誕生モナコ王家の始祖は13世紀ジェノヴァ出身のフランソワ・グリマルディ(François Grimaldi)(生没不明)にさかのぼります。ギベリン(皇帝派)に占領されていたこの要塞をゲルフ(教皇派)のフランソワが修道士に化けてまんまとのっとった(1297年)・・と言う所から・・だそうです。実際にこの土地の支配が始まるのは彼の従兄弟にして義理の息子カーニュ領主, レーニエ1世(1297年~1301年)からです。ざっと見ても700年続くグリマルディ家の支配です。(すんなり・めと言うわけではありませんが・・)現在も政体はグリマルディ家が世襲し、大公を元首とする立憲君主国です。中央門は1690年ルイ1世により建造。衛兵の服は夏服です。モナコ大聖堂モナコ・ヒルの上に建つ教会は宮殿から歩いて5分程度、もともとは要塞化した王宮内の一部と言える教会である。教会建設に使用した石材は時計塔と同じテュルビー産の白い石。1875年着工1884年完成され、1887年からヴァチカン直属の司教区になっていますが、内部はモナコ王家グリマルディ家の歴代諸王の墓所としてあり、王家の礼拝堂の役割を持っています。レーニエ3世(Rainier Louis Henri Maxence Bertrand Grimaldi)(1949年~2005年)とグレース・ケリーの結婚式(1956年4月18日)も、ここで行われています。祭壇はカラールの大理石。スペインのルネッサンス様式・・・とか・・。3つの礼拝堂と奥が王家の墓所となっていて、ここにハリウッドの女優からモナコの王妃となったグレース・ケリーの亡骸もおさめられています。割と近年に建てられた教会わりには、ゴシックの様式を持つ威厳のある教会です。天井のモザイク、ルイ・ブレアのピエタ、16世紀の絵画など一見の価値あり。床に何気にある王家の墓所は意外とシンプル。グレース・ケリーの墓所には花が絶えません。(手前)グレース・パトリシア・ケリー(Grace Patricia Kelly)(1929年~1982年)ペンシルベニア州フィラデルフィア出身のアイルランド系カトリックだそうです。家族の反対を押し切り舞台女優を目指してニューヨークへ、1951年、22歳でハリウッドから声がかかり映画デビュー映画監督アルフレッド・ヒッチコックのお気に入り女優としてヒロインで「ダイヤルMを廻せ!」「裏窓」「泥棒成金」に出演。モナコ大公レーニエ3世との出会いは1955年のカンヌ国際映画祭といわれていますが、実はレーニエ3世は「泥棒成金」のニース・ロケの現場にモナコからこっそり彼女を見に来ていた・・・と言うファンだったようです。レーニエ3世との結婚が決まり、スクリーンの最後の作品はミュージカル映画「上流社会」。ハリウッド女優としてはクール・ビューティー路線。その気品は、もともと大富豪のお嬢様だったからのようです。1956年4月に結婚して3人の子供の母に。カロリーヌ王女(1957年~)アルベール皇太子(2005年即位してアルベール2世)(1958年~)ステファニー王女(1965年~)次女ステファニー公女が運転した車に同乗していて崖から落ちて亡くなった時は世界中のニュースに。事故は母親と口論になったステファニー公女の暴走運転が原因だったと思ったが・・。スキャンダルなので事実は隠蔽(いんぺい)されています。ヒッチコックもグレース・ケリーも好きだったから残念でした現国王のアルベール2世は2011年7月に結婚の予定ですが現在独身。隠し子認知騒動など、父親のレーニエ3世もそうでしたが女ぐせが悪い血統かもしれない。さて、次回はどこに・・。 (メンテですっとんだのでやり直しでした)
2010年08月14日
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連日戴き物のフルーツが届いています。ありがたい事ですが、よりによって集中してしまった為に冷蔵庫の中はフルーツでいっぱい・・・他の食材がいっさい入るすき間がありません2010年夏クイズここはどこ? シリーズ1-3 (解答編)まずはこの国のイメージから・・何と言ってもこれ・・これはフォーミュラー1(F1)の目線のつもり道路はこんなものです。ここで市街戦をするのですから驚きです。これはF1モナコGPのモンテカルロ市街地コースの一部です。この国のイメージはやはりF1モナコGPでしょう。つまり正解はモナコ公国(Principality of Monaco)でした世界3大レースの一つです。(伝統的に・・・)インディ500・・・・・・・・・・・・・・・・第1回開催は1911年ル・マン24時間(耐久)レース・・第1回開催は1923年F1モナコGP・・・・・・・・・・・・・・・第1回開催は1929年GPとしてはイギリスやイタリアGPより古いです。湾岸を走る道で、レースカーはマンションの下もくぐり抜けています。写真右端のマンションがそうです。ここにはデューク更家氏が以前居住してましたが・・。王宮下のハーバーの湾岸(アルベール1世通り)はフォーミュラー1(F1)のスタートやピットガレージとなります。ハーバーのコーナーから中ほどが観覧席です。土地のない街なのに街の公道でレースなんて大胆ですね。下の写真は2006年6月2日2006年のモナコグランプリは5月28日に行われたので、写真はすぐ直後、観覧席やステージ、ピット等の解体作業中。モンテカルロの街はこれから静けさを取り戻す所です。F1モナコGP 市街コース(3340m)の図・・これを約78周走るのです。上の写真は図の左部分内側右部分は全てハーバー側左がピット・ガレージですね。F1モナコGP(Formule 1 Monaco Grand Prix)第1回モナコグランプリは1929年4月、モナコ自動車クラブの運営で16台でカーレースが行われたと言います。その時のグランプリはウィリアム(Bugatti)で平均時速80kmだったそうです。現在レースは2時間以内で収まるように100周から78周に減らされているので、平均時速130km~140kmは出ているのではと思います。(技術革新ですね)市街地コースの中でもコースの幅が狭く、カーブばかりなのでエンジンパワーよりもマシンのトータルバランスが重要だと言います。もちろんドライバーの技術力と集中力は絶対です。追い抜き困難なコースである為に予選タイムによるポールポジションの獲得が優勝のカギとなるのです。今年の2010年5月のF1モナコGPで68回目となります。モナコ公国(Principality of Monaco)国土をすっぽりフランスに囲まれた特殊な国ですが、歴史は古いのです。かつてヘラクレスの神殿があった・・と伝承されていたこの港は「Hercules(ヘールクレース、エルキュール、ハーキュリー)」と呼ばれ、古代フェニキアやカルタゴ時代の船乗りがよく利用していたそうです。ハーバーのすぐ目の前の崖の上に王宮が見えます1215年、戦略拠点としてジェノバが港の上に要塞を建設。その跡地に王宮(モナコ大公宮殿)が造られました。(まだ一部に当時の要塞が残っています)せっかくなので次回王宮とグレース・ケリーのお墓を紹介。それから次のクイズに進む予定です
2010年08月13日
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ちょっと経済の話から・・・。ブログを休んだ休暇中? に、面倒でほっておいた株式のトレーダー画面の再構築をしてました。リーマン・ショック以来塩漬けにした株・・・放置して見向きもしなかった株式・・。久しぶりに開けたら、今までのセッティングが全部初期化されていて、またフタをしていたのです時間がまとまってできたので、今がやり時か? と登録や画面の配置の変更、その他トレーダーズ画面を自分仕様に戻すのに・・・すごーく苦労しました。しばらくやらないうちに同意書のサインがものすごく増えて、取引画面を開くのさえ大変だったのですリーマン・ショックの教訓か? リスク確認の内容が増えたのかもしれません。さて、新聞の折り込み広告に見る私の景気感は、「折り込み数がかなり増えている・・」事から世間の景気はかなり回復してきたのでは? と見受けられます。しかし、株式の価格は、依然ふざけた数字で、全然元にもどる気配がありませんこれはやはり「信用売りして儲ける輩(やから)が市場を荒らしている。しかもその数が多いからだと思います。つまり、日本の株価が下がるほど自分が儲かるので喜ぶヤツが多い・・と言う事です「株が高くなり、企業も世間も株主もラッキーだ・・。」と言う本来のあり方に戻さないと、日本経済は駄目になってしまう・・・と素人の私でも思うのです。なぜ日本政府は何もしないのか? 今、時代は変わっています。「市場は市場にまかせる・・」時代ではないのです。お金を持っている人間が、市場を操作できる時代なのです。政府としての規制の介入なくして、この下落システムは収まらない・・と思うのです2010年夏クイズここはどこ? シリーズ1-2今回もヒント続きです・・・ ♪~(^^~) (~^^)~♪♪以前紹介したのは昨年の4月、2回扱っていますが、あの頃は写真の容量を大きくいれていたので写真が少なかったようです。この街・・いえ、この国のほぼ70%はこの下の写真画面に写っている・・と言っても過言ではない。 画面右端の建物の裏手あたりが、この街の中心的な広場のある所です。要するに規模が小さい国なので、首都であるこの街がそのまま全国土なのですヒント・・世界で2番目に小さい国で、国連加盟国としては世界最小。カジノ広場・・グラン・カジノとオテル・ドゥ・パリ正面がグラン・カジノ(Grand Casino)で写真右に五つ星のオテル・ドゥ・パリ(Hôtel de Paris)があります。共にこの国を代表するカジノであり、ホテルです。この国は個人居住者に対して所得税がない国・・つまり税金のいらないタックス・ヘイヴンとされる国です。しかし、居住者は富裕な人達に限られています。その多くは実業家ですが、F1ドライバーの居住地としても有名です。グラン・カジノ(Grand Casino)1856年、シャルル3世により創設。建物はシャルル・ガルニエ(Charles Garnier)(1825年~1898年)の傑作です。彼は、フランスの建築家で、彼の代表作はパリ・オペラ座(ガルニエ宮)と、このグラン・カジノのなのです。パリのオペラ座の再現と言われるのはそれ故ですね。昼間から黒塗りの高級車がいます。中にレストランもありますが、そもそもこの建物に入るのに入場料がいります。夜のグラン・カジノ(Grand Casino)夜こそがカジノの本番。金持ちは、昼間は寝ていて夜活動するそうですよオテル・ドゥ・パリ(Hôtel de Paris)1864年の創業のこの国を代表する五つ星のクラッシックホテルは世界の王侯貴族に愛されてきたそうです。オテル・ドゥ・パリには年を通 して一室を借り切っている人もいるといいます。(カジノは目の前だし・・。)ホテル1階にはレストラン「ルイ・キャーンズ(Le Louis XV)」がある。ルイ・キャーンズ(Le Louis XV)・・・ルイ15世?ミシュラン3つ星シェフ、アラン・デュカス(Alain Ducasse)(1956年~)が監修する文化と料理の関係を追求した美食グルメ・・ガストロノミー・レストラン(gastronomy restaurant)である。ランチなら一万円くらいで食べられるらしい・・・。特に海側のスイートはデラックスグラン・カジノはこの写真の右手カジノとホテルとソシエテ・デ・バン・ド・メール(S.B.M.)社この国の経済的方針でカジノは国営として多数建設されていました。19世紀の一時期はカジノ収益は国家収入の9割を占めていたそうですが、現在は5%以下だそうです。経営は、国営から半官半民の企業「ソシエテ・デ・バン・ド・メール(S.B.M.)社」へ移管され、企業としての現在はレジャー、ビジネス、カジノ、美食、健康、文化、スポーツといった産業分野にまで展開。さらにホテルやレジャー施設を国外にも展開して手広い企業経営をするに至っています。所有するのはグランド・カジノを含む5つのカジノ。世界で最も洗練されたホテルとされるオテル・ド・パリ、オテル・エルミタージュ、モンテカルロ・ビーチ、モンテカルロ・ベイホテル&リゾートの4 つのホテル。32 の主要レストランと美しいスパ等です。もともと国営・・この国は小さなロイヤル(王室)の国です。つまり、国営企業は王家の企業なのです。「ソシエテ・デ・バン・ド・メール(S.B.M.)社」について誰も書いていませんが、ロイヤル・ファミリーの経営する企業なのは間違いありません。(通称. Monte-Carlo S.B.M. 代表取締役社長 ベルナール・ロンベール)グラン・カジノ前から夜のオテル・ドゥ・パリ方面・・・にぎやかです。1年のうち300日以上が晴れという気候、一人で歩いても安全と言われる国です。さて、次回解答編。
2010年08月12日
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帰ってきましたちょっと手抜きな「ここはどこでしょう? クイズ」2010年夏シリーズです今年は正月と5月の連休と3度目になりますね。手抜きにしたい・・・とはいえ場所の選定や写真の選定はやっぱりちょっと大変です。もうちょっと休みたい気持ちはあるのですが、覗きに来てくれる方もいるのでお盆の最中もお休み仕様で軽ーく入れていきますね2010年夏クイズここはどこ? シリーズ1-1まず一弾目は地味に始まってます。ここは一応欧州です。街路樹が南洋ぽい所もヒントかな? 要するに暖かい? 方に入る ? 地形的には、熱海・・ぽい所ですね。全然似て非なるところですが・・。なぜこんな写真か・・と言いますと、これから国境越えなのです実は以前簡単に紹介した事のある街です。その時は電車で入国して駅の紹介をしたような・・・。 前から見てくれている人にはわかっちゃった?写真下の右のポールが国境の標識です。沿岸まで山がせまっているので、湾岸にはほとんど道はなく、山の中をクネクネ? ジグザクに近いかもしれません。かなり急勾配です。ここがメインの入江? です。クルーザーがたくさん係留されていますが、たいていは他から遊びに来ている人かも・・。ここは税金は安いけど家賃はバカ高いのです。土地がないですから・・。高台からハーバーを撮影。何かとよくテレビに写っているハーバーですよ。実はこの写真は王宮前広場からの撮影です。王宮・・そうロイヤルな国なのです。下のヘアピンカーブ・・・これが大きなヒントです世界で最も有名なヘアピンカーブだと思いますよ。みんな一度はテレビで見てるでしょ・・。ハーバーには入れないけどこんな大きな豪華客船も停泊しにくる所です。セレブがランチに来そうなレストランのテラス。眼前に見える海は地中海。大ヒントです。つまり、地中海性気候で緯度の割には温暖な土地なのです。最近海外での事故が続いていて心配ですね。小さなトラブルは年中あるけど大きなトラブルはそうそう無い・・はずなのですが・・・。確立的には、それだけ数多くの日本人が外国に行っている・・と言う事なのでしょう。国内だって油断出来ないですよ、お盆休みの海や川・・気を付けてくださいね。台風近づいているようだし・・。答えは次回か? もう一回小さなヒントを入れるかも・・。
2010年08月11日
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現在の状況は確認していませんが、料理が途切れているのでラストに一応 Back numberを入れました。エルブジ・ホテル アシエンダ・ベナスサで味わうエル・ブジの味。今回で最後です実は2007年6月の写真です。だから過去料理も2006年以前になっているのです。以前はツアーで「宿泊とエルブジ料理のセット」があったのですが、最近はあるのかな?仮に、ホテルに泊まるツアーがあってもこのレストランで食事できるとは限らないので、確認してください。ここに泊まる意味は食事ですからねエルブジ・ホテル アシエンダ・ベナスサ 4 (料理後編)スペイン(Spain)アンダルシア(Andalusia),セビリア(Sevilla)サンルカル・ラ・マヨール(Sanlúcar la Mayor) エルブジ・ホテル(El Bulli Hotel) アシエンダ・ベナスサ(Hacienda Benazuza) レストラン LA ALQUERIAフェラン・アドリア(Ferran Adria)の料理Chicken wings in Tandori style 2005年鶏手羽のタンドリー・スタイルCrazy "salmorejo" 2006年サルモレホ(Salmorejo)スペインのアンダルシア特にコルドバ(Cordoba)で有名な夏の冷製スープです。真っ赤なトマトとパン、そしてオリーブオイルとビネガーが原料です。真ん中の部分がそれで、周りはいわゆるトッピング、通常はスープの上にトッピングがされるもので、合わせて食すものです。Monk fish with beetroot raviolis 1995年Monk fishは鮟鱇(あんこう)。ビート(サトウダイコン)はボルシチに使われますが、ビートを練ってラビオリにしているようです。Veal entrecote covered in pesto sauce 1989年pesto sauce いわゆるジェノベーゼソースの事。バジル、つぶしたニンニク、パセリ、粉チーズ(パルミジャーノやペコリーノチーズ)、松の実、オリーブオイルでできてます。Veal entrecote 3ヶ月未満の仔牛のスペアリブ不明余ったタイトルには適合しないので、タイトルにないお口汚し(アミューズブッシェ)かもしれません。Coconut foam with raspberries 1994年ラズベリーとココナッツのムースココナッツのムースはで千代売りしたものだと思われます。エスプーマ(Espuma)・・・泡亜酸化窒素を使用して、あらゆる食材を泡状(ムース)にする調理法。これは、フェラン・アドリア氏が開発した画期的な新しい調理法であり、その道具もさしています。たぶん特許を持っているのでしょうね・・・。食通はともかく、フェラン・アドリア氏の料理には、その調理方法に興味を持つ料理人からの関心がとても高いのです。Sponge with tangerines and lavender 1999年tangerines(ミカン)タイトル無し何だったか・・不明タイトル無しホワイトチョコの中にトリュフが・・・。写真がボケていて載せていない品もありますが、だいたいこんな所でコースは終了です。タイトルのついたもので26品とプラスその他で、全コースの食事時間は3時間40分。開始時間が定かではないのですが、スペインのレストランは夜9時くらいからスタートする所がほとんどで、終了は深夜過ぎにはなっていたはず・・・。ツアーなので値段もわかりませんし、今回は情報が少なくてすみません朝の写真朝食もここ。朝食は普通でエル・ブジは関係ないみたいです。でも、ここのレストランLA ALQUERIAもミシュランの獲得しています。今年出された本家レストランのエル・ブジ(El Bulli )の休業宣言は世界にちょっとしたショックを与えました。忙しすぎて、フェラン・アドリア氏に研究時間がなくなってきたからなのかもしれません。「新しい料理は、新しい手法で調理しなければいけない・・」と、確か氏が言っていたような気がします。常に新しい料理の発見と開発を志していた氏ですから、自分の料理に対する姿勢を見失わない為にレストラン部門の休業に踏み切ったのだと思います。(・・にしても予約分の終わる2年先までは休めないのですから、ちょっと気の毒ですね。)エル・ブジが休業しても・・ここに来ればとりあえず彼の過去のリストにある料理は食べられますし、実は、氏がプロデュースしているファーストフード店「Fast Good」がマドリッドやバルセロナなどに展開して増えているのだそうです。店は一般的なハンバーガーショップだそうですが、氏は「完璧なハンバーガーを作ることもチャレンジだ」と言っているそうです。常に向上心のある姿勢に感服ですBack numberリンク エルブジ・ホテル アシエンダ・ベナスサ 1 (五つ星) リンク エルブジ・ホテル アシエンダ・ベナスサ 2 (館内)リンク エルブジ・ホテル アシエンダ・ベナスサ 3 (フェラン・アドリアの料理) エルブジ・ホテル アシエンダ・ベナスサ 4 (料理後編)
2010年08月08日
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現在の状況は確認していませんが、料理が途切れているのでラストに一応 Back numberを入れました。前回に引き続きセレブのあこがれ「世界で最も予約の取れないレストラン」エル・ブジのシェフ、フェラン・アドリア氏の料理の紹介です。(品数が多いので写真は小さめにしました。)エルブジ・ホテル アシエンダ・ベナスサ 3 (フェラン・アドリアの料理)スペイン(Spain)アンダルシア(Andalusia),セビリア(Sevilla)サンルカル・ラ・マヨール(Sanlúcar la Mayor) エルブジ・ホテル(El Bulli Hotel) アシエンダ・ベナスサ(Hacienda Benazuza) レストラン LA ALQUERIAフェラン・アドリア(Ferran Adria)の料理 メニュー表料理の中身は・・へたするとタイトルも確定できない状況です。なぜなら氏の料理は、日本料理で言う懐石料理に似ています。小さなおつまみ料理がアートして飾られて何皿もやってくるからです。メニュー表のコースには25種のタイトルが列記されているくらいです。品とタイトルの一致も、氏の料理の奇抜さから一致が難しい・・・解るものは載せてますが、ほとんど解説無しの写真だけの紹介です。とりあえず、フェラン・アドリア氏の料理はこんなものだ・・・的に見て下さい。・・・ナッツのトリュフチョコFried baby fish with lemon 2006年白身小魚のフライです。Hazelnut in texture 2003年皮がヘーゼルナッツをひいたものでできているようです。Pistachio 「Pistachulin」 2003年ピスタッチオをつぶして練ってアメっぽくしてる?タイトル不明このラズベリー付きの串は、先がヤングコーンですが、揚げたカリフラワーになったりもするようです。名前は見あたらないです。タイトル不明 もしかしたら 3D Ras el hanout かもしれない・・・Ras el hanout なら、モロッコのスパイスブレンドのソースです。それを特殊に加工したものか?Iberian lard baguette 2006年Spherical burrata 2006年イベリアのラードを使ったパンと下は球体型のブルッタ・チーズ。横は飾りで、食べ散らかしではないです。Sweet corn mousse with truffle gravy 1996年・・・たぶん・・・スウィートコーンのムースに上がトリュフ・ソースでは?何がそこまで有名なのか?エルジブが有名なのかシェフが有名なのか・・・。その全てはレストランのメインシェフの料理の腕、常に革新的な調理方法や料理を開拓し続けているフェラン・アドリア(Ferran Adria)氏に寄るところ・・です。フェラン・アドリア(Ferran Adria)(1962年5月14日~ )スペインカタルーニャ州バルセロナ県コスタ・ブラバのロザスにあるエル・ブジの料理長である彼は、出身もカタルーニャです。1984年、22歳の時にオーナーであるジュリ・ソレールに見いだされエル・ブジに入ります。「僕と一緒にやらないかい? 君をスペインで一番のシェフにしてみせるよ。」と語ったとされ、二人は半年間のオフシーズンを利用してフランス中の著名なレストランを食べあるいたそうです。彼は18ヶ月後には料理長に就任。でも、料理の探求は続いています。最初は忠実なフランス料理のコーピーを手掛け、後にスペイン料理の伝統を現代風にアレンジする事を考えたようです。それが「解釈」とされる時代のようです。その後今度は全く新しい調理法や料理を考える・・構築する時代に入ります。誰も考えもつかない・・科学の実験のような・・奇抜な材料や道具を使って考え出された彼の斬新で過激な料理は世界の食通を魅了したようです。二人が出会って17年後の2000年にはエル・ブジは世界を代表するレストランとなり、フェラン・アドリア氏は、スベインを代表する・・以上に世界的なシェフの座に就いたのです。氏は、ニューヨークタイムズ(New York Times)誌の「世界のベストシェフ」に選出されています。Potatooes in vanilla with scallops 1993年エル・ブジは一年のうちに4月から9月までしか稼働していないそうです。残りの月を研究期間に当てて、研究室(ラボ)と呼ばれる場所で新しい料理の模索とそのアイディアの実現化に費やす時間にしていると言います。たった40席の期間限定のレストランの予約は恐ろしい倍率だそうです。世界中のセレブが一度でも彼の料理を食べてみたい・・と切望するが故にレストラン・エル・ブジは満員御礼になるのです。Tuna ventresca with tuna mayonnaise 2003年料理後編につづくBack numberリンク エルブジ・ホテル アシエンダ・ベナスサ 1 (五つ星)リンク エルブジ・ホテル アシエンダ・ベナスサ 2 (館内) エルブジ・ホテル アシエンダ・ベナスサ 3 (フェラン・アドリアの料理)リンク エルブジ・ホテル アシエンダ・ベナスサ 4 (料理後編)
2010年08月07日
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現在の状況は確認していませんが、料理が途切れているのでラストに一応 Back numberを入れました。引き続き、エルブジ系列のホテルです。スペイン語の発音の関係でホテルの読名を変更しました。アシエンダ(Hacienda)はスペイン語で主にラテンアメリカなどで大土地所有制にもとづく大農場、大牧場や農場の母屋を指す言葉だそうです。ベナスサ(Benazuza)・は固有名詞のようなので、アシエンダ・ベナスサ(Hacienda Benazuza) は、「ベナスサ農園」・・と言いったところのようです。さて、今日は料理の写真も少し入ります。問題なのは、メニューはあるのですが、素材等がすでに解らない事です。「エル・ブジ」のシェフ、フェラン・アドリアの料理は非常に前衛的ですから・・エルブジ・ホテル アシエンダ・ベナスサ 2 (館内)スペイン(Spain)アンダルシア(Andalusia),セビリア(Sevilla)サンルカル・ラ・マヨール(Sanlúcar la Mayor) エルブジ・ホテル(El Bulli Hotel) アシエンダ・ベナスサ(Hacienda Benazuza) レストラン LA ALQUERIAまずはホテルのロビーなど簡単に紹介。実は、日本の観光ガイドブックには載っていないホテルなのです。建物は10世紀頃建てられた物件らしく、当時の農家を改造したものと・・となっています。おそらくイスラムの力がスペインに及んでいた頃、村の荘屋(領主)クラスの人物が建てたムデハル様式の建物だったのでしよう。アシエンダ・ベナスサ(Hacienda Benazuza) 値段と設備ホテルは、44の部屋とスイートがあり、レストランは3つ。屋外プール、庭、テニスコート、ヘリポート、SPA施設、果樹園、図書館、17世紀に建てられた自家用の礼拝所、5つの会議室が備えられています。宿泊料金は季節や部屋でも異なりますが、現在このようにホームページに出ています。(1ユーロ120円で計算)ダブル 350~450ユーロ (42000円~54000円)ジュニアスイート 455~570ユーロ (54600円~68400円)マスタースイート 505~630ユーロ (60600円~75600円)プレジデンシャルスイート 820~985ユーロ (98400円~118200円)ハネムーンスイート 980~1175ユーロ (111000円~141000円)ロイヤルスイート 1150~1440ユーロ (138000円~172800円)朝食は36ユーロ(4320円)夕食のレストランは時価。必ずしもレストラン「LA ALQUERIA」が目的で宿泊するばかりではないようです。フロントのあるロビーは、昔はオリーブ油を造る作業場であり、貯蔵場所であったそうです。だから納屋っぽい雰囲気をわざと残しているようです。床下からのオシャレなライティングですが、昔はオリーブオイルが貯蔵されていた瓶(カメ)ようです。下は、オリーブを圧搾する道具だそうです。本当に作業場ですね。客室に通じる廊下客室の写真が見つからないのです・・。部屋はクラッシック・スタイル(スペイン風)です。5つ星とは言いますが、古いので、部屋に蟻(アリ)が出たとか伝統的なクラシカルはムードはありますが、使い勝手が悪いのです。La Abacer・・セヴイリア・スタイルのバー・カウンター何だかハリーポッターの世界みたい・・・。3つのレストランLa Alquer・・・ 2つ星のミシュランレストラン(フェランアドリアの料理の食べられるレストランLa Alberca・・シェフラファエルZafraの最初のタッチによる地中海とアンダルシアン料理La Abacer・・・、レストランとタパバーは、典型的セヴイリア・スタイル。La Alquer2000年に「El Bulli」がフランチャイズのレストランを出店。過去のエル・ブジ料理が堪能できるレストランとしてオープン。このホテルの超目玉のレストランです。前回から何度も紹介している「エル・ブジ(El Bulli )」と言うレストランは1998年にミシュランの三ツ星を獲得。「世界のレストラン・ベスト50」は、651人の選考委員により、世界70か国のレストランを対象ににより優秀なレストランを選出し、その最優秀に選ばれたのが「エル・ブジ」。年間200万件の予約が入るそうです。もちろん全部は無理。その中で実際に食事ができるのは8000人くらいだそうです(予約するだけでも大変・・・世界一の競争率とはそれ故です。)アペアペリディフ・・・マンゴーカクテル?2006年発表のStrawbery cru2006年発表のAnimls?Back numberリンク エルブジ・ホテル アシエンダ・ベナスサ 1 (五つ星) エルブジ・ホテル アシエンダ・ベナスサ 2 (館内)リンク エルブジ・ホテル アシエンダ・ベナスサ 3 (フェラン・アドリアの料理)リンク エルブジ・ホテル アシエンダ・ベナスサ 4 (料理後編)
2010年08月06日
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現在の状況は確認していませんが、料理が途切れているのでラストに一応 Back numberを入れました。今回はちょっとセレブの行くレストランの料理紹介をする予定でしたがまずはホテルの紹介です。ここは、お料理をメインに泊まりに来る人がほとんどなのですエルブジ・ホテル アシエンダ・ベナスサ 1 (五つ星)スペイン(Spain)アンダルシア(Andalusia),セビリア(Sevilla)サンルカル・ラ・マヨール(Sanlúcar la Mayor) エルブジ・ホテル(El Bulli Hotel) アシエンダ・ベナスサ(Hacienda Benazuza) レストラン LA ALQUERIAスペイン、アンダルシアのセビリア(Sevilla)近郊にエル・ブジ(El Bulli)系列のホテルがあります。「エル・ブジ(El Bulli )」・・とは、コスタ・ブラバのロザスにある「世界で最も予約の取れないレストラン」として知られているあの「エルブジ」です。ここは、その「エル・ブジ」の唯一出店(フランチャイズ)したレストランが併設されたホテルなのです。ど田舎の何もない村ではありますが、もちろんホテルもクラッシック・ゴージャスで五つ星が付いています。正面白い壁の右がフロントへの入り口。その右のアーチの奥がパティオ(客室の中庭)。左が駐車場。振り返って入ってきた入り口方面左にホテルのメイン・ダイニングであるレストランLA ALQUERIAがあります。レストラン唯一の出入り口・・・シンプルです。ホテル付随のレストランは、エル・ブジ(El Bulli)のメイン・シェフであるフェラン・アドリア(Ferran Adria)氏が監修しているのです。メニューはフェラン・アドリア氏が過去に発表したヒット作の料理。つまりここはフェラン・アドリア氏の料理をエル・ブジに行かなくても体験できるホテル・レストランなのですパティオ(中庭)につながるゲート周りは客室一階はホテルのバー等全景の写真がなかったので、「Tablet」とか言うホテル予約の検索サイトの写真を借りてきてしまいました。田舎の荘園といった風のホテルです。次回客室等少し紹介。料理はその後に・・Back number エルブジ・ホテル アシエンダ・ベナスサ 1 (五つ星)リンク エルブジ・ホテル アシエンダ・ベナスサ 2 (館内)リンク エルブジ・ホテル アシエンダ・ベナスサ 3 (フェラン・アドリアの料理)リンク エルブジ・ホテル アシエンダ・ベナスサ 4 (料理後編)
2010年08月05日
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Break Time (一休み) 写真追加今日も、朝7時前からかんかん照りにお日様があがっていました。外回りの仕事の人は気の毒ですね。特に工事をしている方々は、ヘルメットで頭の温度も上がるから、熱中症に要注意です。さて、私も暑さで日中の機動力も気力も思考力も落ちて駄目気分です。今回はちょっと手抜きです実は2日前に、すずしい国から手紙が配達されてきました「ムーミンより愛を込めて????」 それをネタにしました。送り主はともかく・・・手紙はフィンランド西スオミ州のタンペレ(Tampere)から届きました。 (聞き慣れない地名です。)フィンランド(Finland)、タンペレ(Tampere)ムーミン谷博物館(Moominvalley)ここには作家であり画家であるトーベ・ヤンソン(Tove Jansson)(1914年~2001年)のムーミン・トロールなどの原画を収めたムーミン谷博物館があるそうです。そう言えば昨年のちょうど8月に「シリヤライン(バルト海クルーズ) 3 (船内)」のクルーズ船の紹介の時にムーミンが出迎えてくれたので、その時少し触れてました。ムーミンは北欧の伝説に現れる妖精トロール、「ムーミントロール」をモチーフにした漫画で、当初は英国の新聞イブニング・ニュース紙に掲載されていたものだそうです。ですから元は、子供ではなく、大人向けだったようで、しかも、初期の作品は少し怖い感じ? ムーミンは、実はちょっと不気味なトロール妖精なのです。ハガキの絵 1 ムーミン一家ムーミンパパとママの出会いは、嵐の夜に海で溺れて助けを求めていたママを救出したからだそうです。でも、なぜ嵐の夜に海に?日本のアニメになったムーミンの方が絶対可愛いけど・・・。現在は40カ国語に翻訳されて子供から大人まで広く愛されている作品だそうです。ムーミン谷の踊り・・・現在テーマ展示されているようです。ムーミンママは薬剤の調合と言う秘技を持っています。・・・もしかして魔女系?命の次に大切なハンドバックは、調理をする時もけっして手放さないといいます。さて、今時は、手紙と言えばほとんどEメールでなので、かえって新鮮です。郵便で送られた理由は、実は切手と消印にあったようです。ムーミン谷博物館はタンペレ私立美術館の中にあるそうです。日本人が多いのでしょう・・・説明書も日本語用があるようです。(それだけで親近感・・)でも、中は撮影禁止だそうです左にポストが・・。このポストに入れるとムーミンの消印を押してくれるそうです。(ここだけ)切手の購入はムーミン谷博物館以外、ヘルシンキの中央郵便局にもあったそうです。切手は6枚綴り・・シートに値段は書いていないようですが、一枚80セント。6×80セントで4.8ユーロです。つまり、日本まで航空便でこの値段(80セント・・今は約80円)5日で届いたようです。トーベ・ヤンソン(Tove Jansson)の原画彼女が所蔵していた品や原画が2000点ほど展示されているそうです。(それらは本人からの寄贈品。)博物館はトーベ・ヤンソンの描くムーミンの世界を表現しているそうです。それは穏やかで、思慮に満ちた人生のとらえ方や冒険を愛するワクワク感。人情味あふれる陽気でユーモアなキャラに囲まれた「満ち足りた世界」なのだそうです。博物館前のブロンズの像は化石の石に乗っている。それは石博物館が隣接しているかららしい・・・。
2010年08月04日
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残念ながら建物の中の写真はありませんが、ウイーンは音楽の聖地、今回は2つの音楽にまつわる物件を紹介ですオーストリア、ウィーン、 カールス広場界隈 Part 2ウィーン楽友協会 とウィーン・コンツェルトハウスウィーン楽友協会・ウィーン・ムジークフェライン(Gesellschaft der Musikfreunde in Wien)「ウィーン楽友協会」の語には、カールスプラッツの広場に面したウィーン楽友協会の建物、「コンサートホール」と、その建物を所有し管理運営する団体としての「ウィーン楽友協会」、と言う2つの意味があります。ここは、1812年設立されたウィーンのクラシック音楽の本拠地(建物の完成は1870年)であり、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地なのです。宮廷歌劇場オーケストラを母体とし1842年に組織されたウィーン・フィルハーモニー協会と共にウィーンの演奏活動の中心となった所です。ここは、世界中のクラッシック好きには、のどから手が出る程欲しいチケット、最も入手困難なチケット、「ニューイヤー・コンサート」の会場なのですチケットが入手困難なのは、基本的にウィーン・フィルのコンサートは定期会員の分でチケットが無くなるからのようですが・・。全世界的に欲しい人がいるのでプレミア中のプレミアですね。ギリシャ風ルネサンス様式の建物建築家この界隈もリンク・サイドです。華やかしき「リンクシュトラーセ時代」に、さらに歴史的な建築物となるこの建物の設計にあたったのはデンマーク生まれのテオフィール・ハンセン(Theophil Hansen)(1813年~1891年)です。様式は「ギリシャ風ルネサンス様式」だとか・・。彼はアテネで 研究を続けた建築家だそうで、古代ギリシャからインスピレーションを得た・・とか・・。その為にちょっと特殊のようです。私も中は見ていませんが、内装の美しさでも有名で、楽友協会の説明によれば、ブラームス・ホールにイオニア柱があり、神殿風の屋根構造や正面破風のオルフェウス等、内部も外もギリシャのアポロやミューズが満載のようで、彼は、彼流にクラッシックの殿堂となる建物に、クラシックな建物を創造させたようです。起工式から3年後の1870年1月、最後の床石をフランツ・ヨーゼフ1世が置いて完成。ムジークフェライン?「ムジークフェライン(Musikfreunde)」には楽友協会のサイトによれば、「快い響きや、輝かしさ・・などのイメージが含まれているようです。このコンサートホールは、音響効果において、世界で3本の指に入る優れたコンサートホールのうちの1つであると言われているようです。そのホールが、メインとなる大ホール(黄金のホール)です。第二次世界大戦で破壊され、現在の建物は1945年に修復されたもののようです。ブラームスと楽友協会前々回紹介したように、会員であったヨハネス・ブラームス(Johannes Brahms),(1833年~1897年)は、1871年~1897年、亡くなるまでここの近所に住んで居ました。ハンブルク生まれのブラームスがウィーンに居着いたのが1862年。このホールの竣工は1870年。彼はこのホールに近いこの地に居を決め、翌年1872年~1875年まで楽友協会の芸術監督に就任しています。ブラームスの交響曲第2番(1877年)、第3番(1883年)は、ここでハンス・リヒター指揮の元にウィーン・フィルにより初演されています。因みに、ブラームスの家(アパート)は、現在壊されてウィーン工科大学になっているそうです。建物サイド1870年、竣工記念の文書には、「この建物は、初心者から巨匠まで、音楽に携わる全ての人々に捧げられたものである。それ自体が芸術作品であり、音楽の故郷であり、ウィーン市とハプスブルク家を飾る宝石である。」 と記されているそうです。ウィーン・コンツェルトハウス(Wiener Konzerthaus)こちらは、ウィーン交響楽団(Wiener Symphoniker)の本拠地です。こちらはウィーン楽友協会ほどには紹介されていない物件なので、資料もほとんどないのです。ウィーン・フィルはウィーン国立歌劇場の中の管弦楽団として位置付けされていますが、こちらはコンサート専門のオーケストラです。尚、ウィーン楽友協会に立ち見席はありましたが、コンツェルトハウスに立ち見席はありません。世紀末様式(アールヌーボー)の建物です。ウィーン交響楽団(Wiener Symphoniker)1900年、フェルディナント・レーヴェにより設立され、1913年、ウィーン・コンツェルトハウスが建築されて本拠地が移った時は、まだウィーン演奏協会管弦楽団だったようです。現在のウィーン交響楽団(Wiener Symphoniker)の名称になったのは1933年。建築家F・フェルナー(Ferdinand Fellner )(1847年~1916年)ヘルマンヘルマー (Hermann Helmer)(1849年~1919年)二人は一緒に19世紀~20世紀にかけて主にヨーロッパでも東欧圏でいくつかもの劇場と宮殿を設計。ウィーン・コンツェルトハウスは、1912年~1913年に建築、完成。現在の建物は1970年代に元のスケッチから、当初のアールヌーボーの建物に再建されたそうです。そう言えば、ヘルベルト・フォン・カラヤン(Herbert von Karajan)が第二次世界大戦後、1948年にウィーン交響楽団の首席指揮者となり、翌1949年にウィーン楽友協会の音楽監督に就任してましたね。カラヤンは両方の建物にかかわっていたのですね昨年12月の「ヘルベルト・フォン・カラヤン + リンダーホフ城 」で触れています。「偉人・画家」で検索できます。おわり
2010年08月03日
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そろそろイエローストーンに戻ろうか・・と思いながら、せっかくなので、カールス教会の隣近所にあるカールスプラッツ駅舎とウィーン楽友協会の写真を紹介・・・のつもりが・・・今日は駅だけで終わってしまいましたオーストリア、ウィーン、 カールス広場界隈 Part 1ワーグナー設計のカールスプラッツ駅舎カールス教会前にあるカールス広場のブラームスの像は前回紹介しましたが、そのカールス広場の北側にはオットー・ワーグナー建築のカールスプラッツ駅舎が一対建っています。現在は、駅舎として利用されていなてのでカールス広場パヴィリオンとも呼ばれています。オットー・ワーグナーの分離派時代初期の作品として、特に見るべきものがあります。オットー・ワーグナー(Otto Wagner), (1841~1918年)ワーグナー抜きにウィーン建築は語れない・・・ウィーンにおける近代建築の父です。ウィーンの工科学院、次いでベルリンの建築アカデミー、さらにウィーン美術学校に進学して1863年卒業。同年コンペ(競技設計)で入選、それを実績に評価を高めてウイーンを中心に、様々な建築の設計に携わっていきます。1890年に市の都市計画顧問に就任。それによりウィーン市の交通やドナウ整備等に参画。カールスプラッツ駅舎はその中のウィーン市の環状鉄道(地下鉄)の駅舎として1899年に建設されたものです。ウィーンで生まれたアール・ヌーヴォーです緑色のフレームは鉄骨、白い壁面は大理石パネル、ヴォールト屋根は波形鉄板。花はひまわり。世紀末ウィーンの建築家、誕生分離派の結成が1897年、彼が正式加入したのは1899年ですが、実質彼は創設メンバーです。それ以前のオットーの作品はどちらかと言えば新古典的な作風であったようですが、分離派に参加する頃から、いわゆるパリ等で流行っていたアール・ヌーヴォーの影響を受けた装飾建築に移行していったようです。この駅舎は1898年~1899年の作品で、分離派の仲間との影響を受けながら、アール・ヌーヴォーの装飾建築に作風が移行していっている初期過程の作品・・なのでしょう。特に金彩の装飾は、グスタフ・クリムトの影響でしょうか、分離派時代の初期作品に多く見られ、特徴となっているようです。カフェとなった駅舎向かい合うようにシンメトリーで建てられた駅舎は、現在、それぞれ博物館とカフェとして利用されています。カールス教会の正面が見えています。本当は、カールス広場を自分て設計した建物で埋め尽くす計画があった・・と、言いますが、ここに建設する予定の博物館の設計コンペ(1907年)では入選したものの、反対があり、結局実現しなかったようです。世紀末美術・・と言えばアール・ヌーヴォーなのですが・・・ユーゲント・シュティールは、ドイツで刊行された世紀末美術を取り扱った雑誌名の「ユーゲント」(Die Jugend)から来た言葉です。ドイツでは世紀末美術様式を雑誌の「ユーゲント」に置き換えてユーゲント・シュティールと使っています。ウィーンも同じように「ユーゲント・シュティール」と使う人がいますが、ドイツ圏とはいえ、ウイーンは関係なく、特に呼び名もありません。各国特色こそありますが、草木や花等のモチーフを使ったヨーロッパで流行した一連の世紀末に現れた装飾様式を一括アール・ヌーヴォーで統一した方が解りやすい・・と思うのですが・・。参考ウィーンの分離派会館(Wiener Secession)別名・・・・金色のキャベツここは前出、分離派の総本山。画家グスタフ・クリムトが中心となりオットー・ワーグナーも参画して結成された新しい造形を表現する芸術家の展示施設です。建築家ヨゼフ・マリア・オルブリッヒ(Joseph Maria Olbrich)(1867年~1908)の設計で1897年~1898年にかけて建設。残念ながらこれはオットー・ワーグナーの作品ではありませんがウィーン美術学校のワーグナーの教え子の作品です。しかし、ワーグナーもクリムトも内部の対立から1905年には脱退しています。今回はこんなもので、いつか分離派も分離派会館もきちんとやりたいです。
2010年08月02日
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こんなに至近距離で、綺麗に天井画を撮影する事は滅多にできない事です。(50m以上の望遠レンズでないと普通は撮影できないので・・)しかも、洗浄した後なのでしょう。とても綺麗に絵が出ています。今回のカールス教会の写真、実はつい先月の写真です。今、ウィーンに行けば、まだ上まで登れるかもしれませんよカールス教会 5 (聖杯、聖衣)オーストリア共和国(Republic of Austria) ウィーン(Wien)カールス教会(Karlskirche) Part 5 聖杯、聖衣、ヘンリームーアウィーンに渡った日本の美術品の話と廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)右の白衣の女性は、聖母マリアです。左の天使がティアラ(三重冠)を持って近づいている事からこの教会では、マリア崇拝もあった事がわかります。(ティアラ(三重冠)は、教皇クラスの人の冠です。)確かに下に聖母マリアの礼拝堂が2つありましたね。左の女性は聖杯を持っているようですが、勉強不足で誰? だかは不明です聖杯実は、聖杯はキリスト教由来の遺物ではありません。出典はアーサー王伝からなのです。キリスト磔刑(たっけい)時に刺された傷から流れる血を受け止めた杯であり、最後の晩餐で使用された非常にパワーのある品とされてはいますが、聖書に記述はありません。ケルトの神秘主義とミックスされて生まれた話なのです。アーサー王の話は、ケルト人のキリスト教への帰依が根底にあります。左の女と怪物がおののいている事から犯罪者を戒める何か? なのかも・・。右の図も不明ではありますが、もしかすると、プロテスタントを犯罪者として攻撃する天使かもしれません。ウィーンに渡った日本の美術品ウィーンの日本人ガイドさんのお嬢さんが、ウィーンで美術品の修復の仕事に携わっているそうです。そのお嬢さん曰く、「ウィーンには日本の仏像等美術品がかなりたくさん渡っている」といいます。ところが「それらについて詳しい人間がいないので放置された状態だ」・・とも・・。ウィーンに日本の美術品が渡っているのは、何となく知ってはいましたが、私たちが思う以上に美術館の倉庫にはあるようです。原因は廃仏毀釈(はいぶつきしゃく) か?「リンクシュトラーセ時代」、ウィーン分離派にも見られる日本ブームの19世紀末、日本でちょうど明治の新政府が廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)を発布した頃にあたります。太政官布告「神仏分離令」・・・慶応4年(1868年)詔書「大教宣布」・・・明治3年(1870年)神仏分離令や大教宣布は神道と仏教の分離が目的の政策でした。当時の日本は神様と仏様が混在したメチャクチャ時代。明治政府はそれらの整理に着手したのでした。神体に仏像の使用禁止し、神社から仏教的要素の払拭が行われた為に、結果的に仏教排斥、仏教施設の破壊につながり、多くの仏像や美術品が破壊or国内から散逸する・・と言う事態を招いたのです。5月に「 奈良散策 2 (興福寺と国宝と条坊制の都)」の中、「興福寺の悲劇」でも触れましたが五重塔や三重塔さえ売りに出された時代があったのです。その頃、ウィーンに大量に渡ったものと思われます維新政府の宗教改革については、2017年9月「八坂庚申堂 (明治政府に排斥された庚申信仰)」で詳しく紹介しています。リンク 八坂庚申堂 (明治政府に排斥された庚申信仰)聖衣聖職者の着用する衣装にはそれぞれにキリスト教に関する意味が込められているようです。右からわかるもののみ・・教皇の帽子と法衣は白、司教は赤とされ、枢機卿は深紅色の帽子と法衣着用すると言う事から、この赤い帽子だけは枢機卿? の物かもしれない。因みに、枢機卿はローマ教皇に次ぐ高位の聖職者で、全世界の司教のなかから選ばれるので数も少なく、この教会クラスではいないと思います。この教会は、大修道院クラスかな?マニプルス(Maniplpulus)細長いタスキ状の帯は司式者が左腕に掛けて使用。キリストを縛り、ゴルゴダの丘に曳(ひ)いた時の縄の暗示だとか・・。ミトラ(Mitra)司教冠は、典礼の祭に使用する教皇、枢機卿、大司教、司教及び特別の許可の受けた大修道院長のみが着用できる権威の標識。だそうです。麻か絹で作られ大修道院長は許されない限り無装飾の上のタイプです。形からモーセの光の意味があるようです。1762年にはモーツァルトも病気の治癒の感謝の為にこの教会を訪れたと言います。また、ここにはヒトラーが若かりし頃、ウィーンの美術学校の試験に落ちた当時、この教会を写生しているそうです。その絵が近年見つかって高く落札されたとか・・・教会の前の広場は1970年代に改修され、ヘンリー・ムーア(Henry Moore )のブロンズの抽象彫刻が設置された池ができたようです。像のタイトルは不明。おまけカールス教会前にあるカールス広場、そこにあるブラームスの像1908年、ルードルフ・ヴァイル(Rudolf Weyr)制作。ブラームスは1871年~1897年に亡くなるまでこの近くカールスガッセに住んでいたそうです。カールス教会おわりback numberリンク カールス教会 1 (リンクシュトラーセ)リンク カールス教会 2 (失われた帝都の遺産)リンク カールス教会 3 (ウイーン・バロックの巨匠)リンク カールス教会 4 (天井画の聖人と黒死病)
2010年08月01日
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