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カールス教会 4 (天井画の聖人と黒死病)オーストリア共和国(Republic of Austria) ウィーン(Wien)カールス教会(Karlskirche) Part 4 天井画の聖人と黒死病前回に引き続いてヨハン・ミハイル・ロットマイヤー(Johann Michael Rottmayr)の天井画からです。観察するとこの天井画は、上に行くに程神の徳が高くなって位置付けされて描かれているようです。この教会は、「ペスト退散の守護聖人」、カール・ポロメーウス(カルロス・ボロメウス)に献げられた教会と言う事で、天井画の中にも、もちろん聖人がいます。赤い衣が聖人ポロメーウスです。聖人ポロメーウスについては、調べたのですがこの時点では解りませんでした。しかし過去にペストが蔓延した時に、骨身を削って民衆の為に奮戦した聖職者なのでしょう。カール6世(1685年~1740年)はペストが終息するのを「聖人ポロメーウス」に祈ったと言います。そして、願いがかなったのでこの教会をお礼として建立し、聖人に献げた・・と言うわけです。聖人ポロメーウスの正体が判明しました。2014年9月「ミラノ(Milano) 7 (ミラノ大聖堂 5 聖カルロ)にて紹介しているミラノの大司教聖カルロ(Carlo)(1564年~1584年)と同一人物でした。カルロ・ボロメオ (Carlo Borromeo)はドイツ読みだったようです。リンク ミラノ(Milano) 7 (ミラノ大聖堂 5 聖カルロ)聖人の位置は中段の下・・といった所かもしれませんが、そこは天界の中です。天界でも神の膝元に上げられた幸せな位置なのです。聖人ポローメウスの視線の先には・・・・十字架から降ろされたばかりのキリストが・・そのキリストに会いに来たモーセ? らしき・・がいます。調べたのですが、キリスト十字架降下の時もキリストの昇天の時も特に天界からの来訪者の記述はなかったと思います。私の見立てでは、旧約聖書の重鎮、預言者モーセか預言者エリヤかな? と思い、髪やヒゲからモーセのイメージだと思ったからなのです。老人は、神ではないのです・・なぜなら、この教会の最突端のドームの天井に父なる神が出現しているので・・。天井ドームも当然楕円形です。そこに神が鳥の姿をとって出現。ですから、天井画で、周りの羽根のある天使以外は、元人間であり、聖人となった者達です。下の絵は、下層の部分です。絵は、ペスト? 病気の者を看病する者や孤児らしき子供にミルクを飲ませている女性、それに薬らしき飲み物を渡す天使が描かれています。この部分は、そうした救護院的な奉仕をする者がたどりつく層なのかもしれません。黒死病(ペスト)の発生ペスト菌は本来リスやネズミなど野生のげっ歯類のかかる伝染病だそうです。ネズミなどからヒトへの感染は、ノミが感染した動物の血液を吸ってノミの体内で菌が増殖し、キャリアとなってネズミや人を感染させるからだそうです。ペストは、皮膚に黒紫色の斑点(敗血症によるチアノーゼ)が出る事から黒死病と呼ばれ、ヨーロッパでは非常に恐れられていた感染症です。何度も来る大流行によって一時はヨーロッパ全体の人口の1/3が失われたと言います。一説には、「ハーメルンの笛吹き男」の話は、ネズミの大量発生と子供の命が大量に失われた事を示し、ペストの発生が伺える内容だとか・・・・。キリストの架けられていた十字架・・この絵は聖人の頭上後方に描かれています。ペストは6世紀、14~17世紀、19世紀に大流行していますがそれは東西を結ぶ交易ルートに乗って広まったようです。ここウィーンではドナウ川が東西の交易ルートであり船が感染路だった可能性が大なのです。1679年にヨーロッパ各国を襲ったペストでは、ウイーンの街も街路が死骸で埋まる惨状で、異臭は街をお言い覆ったといいます。この時も時の皇帝レオポルド1世がペストが退散した記念塔を1693年に建立しています。設計士は同じフィシャー・フォン・エルラッハです。それから僅か数年で再びペストが蔓延したわけです。1713年のペストの流行はウィーンで17度目の発生だったとか・・。この絵の方がたぶん・・守護聖人のカール・ポロメーウス(カルロス・ボロメウス)額縁が典型的なバロックしている・・天井画の写真もあまっているので、あと1回行きます。次回は聖杯と聖衣について紹介しています。リンク カールス教会 5 (聖杯、聖衣)ミラノの大司教聖カルロ(Carlo)と同一であったとは・・。先に紹介したリンク先のミラノでは「聖カルロの霊廟」も合わせて紹介していますし他にもキリスト関連の典礼なども紹介しています。この時点よりかなり勉強したので是非そちらをご覧下さい。Back numberリンク カールス教会 1 (リンクシュトラーセ)リンク カールス教会 2 (失われた帝都の遺産)リンク カールス教会 3 (ウイーン・バロックの巨匠) カールス教会 4 (天井画の聖人と黒死病)関連Back numberリンク ミラノ(Milano) 7 (ミラノ大聖堂 5 聖カルロ)リンク ミラノ(Milano) 8 (ミラノ大聖堂 6 福者)
2010年07月31日
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川越ちゃんのレストランの予約を友人に入れてもらったのですが、取れたのは10月以降だそうですさすが人気者です。忘れないようにしないと・・・・。カールス教会 3 (ウイーン・バロックの巨匠)オーストリア共和国(Republic of Austria) ウィーン(Wien)カールス教会(Karlskirche) Part 3 ウイーン・バロックの巨匠と修復工事ところでシェーンブルン宮殿はマリア・テレジアの手が入り、途中からロココ式の宮殿に作り変えられていますが、当初の設計士は、この教会の設計者と同じ建築家のJ・フィッシャー・フォン・エアラッハでした。ヨハン・ベルンハルト・フィッシャー・フォン・エアラッハ(Johann Bernhard Fischer von Erlach)(1656年~1723年)シェーンブルン宮殿は、当初バロックの宮殿(1696年着工)としてヨゼフ1世の為に設計されたものなのです。1690年に、彼はヨゼフ1世の即位式を祝うためにウィーンで建設される2つの仮設凱旋門で称賛を得て宮廷建築家になりオーストリアバロックを代表する建築家の一人となったようです。この教会は1713年に建築が決まり、着工は1723年ですが、その年に彼は亡くなっているので建設は息子(ヨセフ・エマニュエル)が1737年に完成させています。彼の手になるホーフブルク(王宮)の敷地内にある宮廷図書館も「世界一美しい図書館」と絶賛され双方ともオーストリアを代表するバロック建築にあげられています。他国作品ではプラハの「The Clam - Gallas Palace (ハマグリ・ガラス宮殿?)」の設計があり、プラハ・バロックの逸品と絶賛されているそうです。彼のデザインの特性は、楕円の空間構成も上げられますが、これに前回紹介したようなローマ等の様々な歴史建築物を合成させる独創的なスタイルにあり、バロックと言う分野の中でも実は個性的? 特異? な建築家、と私は思います今回写真はヨハン・ミハイル・ロットマイヤーの手による天井画の紹介ですが、絵画の前にめずらしい修復中の足場の紹介です。修復工事の足場はドームの天井まで50m? はあるので途中までエレベーターが設置されているようです。天井は高く、本来下からではほとんど絵はわからないのですが、修復工事用のエレベーターとハシゴを一般観光客も利用させてもらって、間近で見ることが可能なのです。料金は、一応、浄財(じょぅざい)or寄付と言う形で教会に一人6ユーロ支払うそうです。エレベーターで上り、最後は階段で(5人まで)上がれるようですが、足場はぐらついてかなり危険だと言います。日本なら絶対許可しないでしょうが、自己責任で登る・・と言う考えなのでしょう。あの先には・・・教会のドームのトップの部分です。ヨハン・ミハイル・ロットマイヤー(Johann Michael Rottmayr)(1656年~1730年)オーストリア生まれで、ベニスでヨハン・カールロース(ドイツ人画家)に師事して勉強してきた彼はオーストリア・バロックを代表する画家として評価されています。1689年から、彼はザルツブルグの司教のもとで仕事をしていたようです。彼の作品は教会建築の天井画で特に見られます。ちょっと見、凄く豪華に見えますが、だまし絵的な手法で描かれた全てペイントです。間近で見てもリアルに見えるのですから凄いです。バロック建築は、連続した空間のデザイン構成にある・・壁面の彫刻や柱、天井絵画との融合性やバランスもバロックの特徴の一つです。絵画と壁や柱の接点がわからないほど建築と内装とが一体化したものもあります。しかしこの教会においてエアラッハの作品は、色大理石や金彩こそ使用していますが、、一般的なバロックのハデハデさはなく、むしろ華美を避け、色を押さえた端正なルネッサンスの形式を踏襲しているように見受けられます。(ドイツに見られるような木彫飾りが少ない・・と言う事もあるのかもしれませんし意外にねじれが少ないのです。)「空間構成の一致」、「統一されたテーマ」、バロックの建築と絵画は密接に連携されているのです。現代風に言えばバロック建築の内装部分は、建築家と画家とのコラボ作品です。カールス教会では設計士ヨハン・ベルンハルト・フィッシャー・フォン・エアラッハと画家ヨハン・ミハイル・ロットマイヤーとのコラボ作品と言うことになります。つづくBack numberリンク カールス教会 1 (リンクシュトラーセ)リンク カールス教会 2 (失われた帝都の遺産) カールス教会 3 (ウイーン・バロックの巨匠)リンク カールス教会 4 (天井画の聖人と黒死病)関連Back numberリンク ミラノ(Milano) 7 (ミラノ大聖堂 5 聖カルロ)リンク ミラノ(Milano) 8 (ミラノ大聖堂 6 福者)リンク カールス教会 4 (天井画の聖人と黒死病)
2010年07月30日
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最近世界遺産の関係なのでしょうか、欧州では教会や城など、あちこち修復中で、写真を撮るには少し残念な状態なのです。今回も修復中です。でも、修復工事によるラッキーもあったのですカールス教会 2 (失われた帝都の遺産)オーストリア共和国(Republic of Austria) ウィーン(Wien)カールス教会(Karlskirche) Part 2 バロック(Baroque)城壁のある時代に城壁の外に建造された教会場内に建設の場所が確保できなかったと言いますが、場外に造られた理由は、万が一再びペストが発生した時は、教会は患者の収容施設になったからではないでしょうか。教会の役割中世社会以来、教会は社会福祉施設も兼ね備えていました。「キリストの貧者」と呼ばれる孤児、寡婦、老人などの社会的貧者を保護し、救済する事もキリスト教の努めだったからです。司教や修道院は中世初期以来、社会的救済に携わり、附設して療養院(ホスピス)なども設立しているのです。(教会は駆け込み寺でもあったわけです。)療養院(ホスピス)は、一夜の宿と食事を必要とする巡礼者や旅人、あるいは病人や棄児、物乞い達を受け入れた施設です。昨年「ディンケルスビュール 4 (城壁と城門)」の中、「中世の病院と宿」のところでも紹介しましたが中世は疫病などが度々起きたので、市民への感染を防ぐ為に病院は街の外(城壁の外)に置かれていたのです。リンク ディンケルスビュール 4 (城壁と城門)ペストの教会は、ペストが流行した時は真っ先に病院になり、患者の収容施設になるのは間違いありません。身廊から・・堂内は楕円の形の平面プランを持つ派手すぎる事もなく、なかなかバランスの良い品のある教会です。センスと言う事で言うと、ウィーンのバロック自体に品があるのかもしれません。ただ、個人的な見解で言うと、外観はいかがなものかと・・・。設計士フィシャー・フォン・エルラッハは、若い時にローマで修行してきた為に、普通のバロックではなく、ローマ的な物を配したかったようです。ドームはサン・ピエトロ寺院のドームにインスピレーションを受けたと言われています。平面プランにも立面プランにも不規則な曲線や局面が使われています。バロック(Baroque) 1この教会のような楕円の教会であったり、不規則な曲線を併せ持つ造りは、この時代に現れた手法なのだそうです。後世その特徴をバロックと呼んでいるのです。教会天井ドーム楕円形ドームの天井にはロットマイヤーの手による天井画が描かれています。現在修復中なので、堂内の撮影にはジャマなのですが、この工事現場の上に登らせてくれる・・と言う特典があるのです。何が特典か? 天井画が間近で撮影できると言う特典です教会入り口パイプオルガンのパイプも、もちろんパロックバロック(Baroque) 2バロックの語源は、ポルトガル語のバロッコ・・「歪(いびつ)」を現す概念的なに言葉で、フランスでは特に真珠の形について用いられた事からバロック・・「ゆがんだ真珠」の意味で使われるようになったようです。前述したように、後世の美術評論家が名付けた呼称なので当時はそんな言葉はなく、当事者は古典主義の延長線に存在していただけ・・のつもりかもしれませんし、ちょっとした流行だったのかしれません。「いびつ、奇妙、不規則」がバロックに与えられた定義です。祭壇雲に乗って天を仰ぐのは聖ポロメウス(カール・ポロメーウス)天上の三位一体(父と子と聖霊)にペストの消滅を願っている所のようです。一般民衆は非日常的な世界を教会の中に見るはずです。きらびやかに輝く堂内に、やはり天上界に入り込んだような錯覚に捕らわれるのだと思います。荘厳な近づきがたい雰囲気こそ、教皇や絶対王政が民衆からの威信を回復する為に利用した手法なのでしよう。やはり、シンプルな「どこでも礼拝所」のようなプロテスタントよりは、「ありがたみ」が感じられるのは確かです。聖母マリア礼賛の礼拝所?聖母マリアの肖像画を描く男が描かれています。こちらは聖母マリアの被昇天図のように見受けられます。シンメトリーに告解( Confessio )の小部屋が置かれています。告解室現在は「告解」とは呼ばず「許しの秘蹟(ひせき)」と呼ぶとか・・。洗礼後に犯した自罪を神父様に聞いて貰って、神にゆるしをこう(懺悔する)所です。ここのは外から相談者が解らない人向きのブースですが、普通に対面式で丸見えの物もあります。つづくBack numberリンク カールス教会 1 (リンクシュトラーセ) カールス教会 2 (失われた帝都の遺産)リンク カールス教会 2 (失われた帝都の遺産)リンク カールス教会 3 (ウイーン・バロックの巨匠)リンク カールス教会 4 (天井画の聖人と黒死病)関連Back numberリンク ミラノ(Milano) 7 (ミラノ大聖堂 5 聖カルロ)リンク ミラノ(Milano) 8 (ミラノ大聖堂 6 福者)
2010年07月29日
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せっかくなので、「失われた帝都の遺産」の一つカールス教会も写真があるので行きましょう・・と思いながら書いていて迷走してしまいました新しい所に移る時には導入口に悩むのです。広げすぎて違う所に向かう所でしたカールス教会 1 (リンクシュトラーセ)オーストリア共和国(Republic of Austria) ウィーン(Wien)カールス教会(Karlskirche) Part 1ヴィーナー リンクシュトラーセ(Wiener Ringstraße)カールス教会は、リンクシュトラーセの外にあります。前回のベルヴェデーレ宮殿の近くです。でもその前にリンクシュトラーセの紹介から入りjます。なかなか納得の地図がなくて苦労しました図書館でゲット・・。ウィーン市内の地図です。写真上の川はドナウ運河です。マウスで加工したのであまりキレイではありませんが、ブルーで色づけした所がリンクと言われる環状道路です。写真下の黄色の囲みがカールス教会で、リンクの中の赤い三角が王宮です。ヴィーナー リンクシュトラーセ(Wiener Ringstraße)・・・・・城壁の撤去リンクは、正式名はヴィーナー リンクシュトラーセと言う旧市街を囲んだ環状道路です。リンクは、もとはウィーンの王宮や市を守る城壁と濠があった場所なのです。18世紀末頃からヨーロッパの多くの都市では中世以来の城壁と堀の撤去が始まり、それを環状道路として活用するのが流行していました。すでに安定し始めていた社会に城壁は無用の長物で、都市の発展を阻害するものだったからです。リンク沿いの物件だけ少し紹介ブルク劇場・・・・1741年宮廷劇場として創立。ヨーロッパで最も美しいと言われる劇場。現在のイタリア、ルネッサンス様式になったのは1888年の改修からで、大戦で破壊されたものが1955年に再建されている。国会議事堂(Parlament)・・・1883年完全にギリシャ神殿です。前に建つ像は女神アテナイ。デンマークの建築家ハンセンの設計。ブルク門(Burgtor)・・・1824年ヴィーナー リンクシュトラーセ(環状道路)の「ヘソ」と言えるこの場所は王宮への入り口ライプッィヒの戦勝記念の言わば凱旋門でしたが今は第一次大戦の戦没者らが奉られているそうです。ウィーン自然史美術館館リンクを挟さむブルク門の向こうにはマリア・テレジアの巨大な座像と美術館が対に建っている。城壁撤去の遅れウィーンはかつてトルコ帝国から何度も攻撃された経緯があり、城壁の取り壊しが他国よりかなり遅れていました。(市民は撤去を望んでいた。)ウィーンの城壁取り壊しの決断は、ナポレオン軍の進撃の前にはあっさり1夜で粉砕されたから・・とされています。(もはや近代兵器の前では意味が無くなった)皇帝フランツ・ヨーゼフ1世は1857年撤去を表明。跡地に環状道路を設ける事と跡地の3割を公用地とし、残る7割を民間に売り渡したのです。そして、時代はちょうど産業革命が成熟して巨万の富を得たブルジョアジーが台頭してきた頃です。政府の売り出した土地を購入してりっぱな建物がどんどん建ったのだそうです。城壁取り壊しの遅れが、ある意味、新たな近代的な街づくりに役だった・・と言うわけです。そうしたこの時代を「リンクシュトラーセ時代」と言う、ウィーンを語る上での一つの文化として語られています。5つ星のブリストルホテル・・・・1892年創立カールスブラッツ駅最寄り、ウィーン国立歌劇場隣ウィーン国立歌劇場(オペラ座)・・・かつては宮廷歌劇場王宮のすぐそばにあるこの建物は、実は地下でカールスブラッツ駅につながっているそうです。そしてカールスブラッツ駅は、カールス教会の目と鼻の先なのです。今回はあくまで、カールス教会がメインなのでリンクの建物は一部だけ・・・参考に追加した写真のせいで、違う方向に行きそうでしたが・・・リンク沿いでなくても、その界隈には素敵な建物が沢山建てられています。またの機会に紹介します。カールス教会(Karlskirche)さて、カールス教会は、青いドームと両サイドの円柱が特徴の教会はバロック建築の傑作として知られていますが、城壁のある時代に城壁の外に建造された教会です。1713年、ウィーンで17度目の黒死病(ペスト)が流行して死者をたくさん出したおりにマリア・テレジアの父、カール6世(1685年~1740年)が建立を指示。「ペスト退散の守護聖人」、カール・ポロメーウス(カルロス・ボロメウス)に献げられた教会なのだそうです。教会の名前は聖人の名前カールから来ているのですが、アントワープにもカルロス・ボロメウス教会(改名して)があり、そこも恐らく同じ理由、黒死病(ペスト)に関連して改名したのかもしれません。もっとも、ペストの守護聖人は、地域によっても異なるようです。※ カール・ポロメーウス(カルロス・ボロメウスについては、2014年9月「ミラノ(Milano) 8 (ミラノ大聖堂 6 福者)」の回で解明できました。彼はミラノ大聖堂の聖人となっているカルロ・ボロメオ (Carlo Borromeo)でした。リンク ミラノ(Milano) 8 (ミラノ大聖堂 6 福者)着工は1723年で完成は1737年。設計はフィシャー・フォン・エルラッハ親子中心には高さ72mの緑のドームがそびえ、正面入り口はギリシャ神殿風の柱廊。左右にはトラヤヌス帝(古代ローマ五賢帝)の凱旋記念柱をモデルにしてポロメーウスの生涯がらせんに刻まれた巨大な記念柱がそびえています。建築の意図カール6世は、ペスト退散祈願と言うよりは世人の驚愕するようなバロックの教会を造る事で神聖ローマ皇帝としては、カトリックの威光と、ついでにハプスブルグ家の威光を内外に示す必要があったのではないか・・・と考えられます。なぜなら、いわゆるルターの宗教改革以降、プロテスタントの威力が増し、カトリックの権威も落ちかけていた時期でもあるのです。そこで宗教改革騒動を反省したカトリック側は、いかにも力強く、荘厳なイメージの礼拝堂を持つも豪華絢爛なバロック式の教会や修道院を盛んに建造したと言われています。因みに、プロテスタントでは修道院は全廃、聖母マリアや聖人、聖遺物の崇拝は一切否定され、教会内外のそれらは一切撤去されたと言う事です。礼拝に必要なのは神に近い荘厳さよりも礼拝の中身だ・・と言う理論です。次回、なぜリンクの説明もいれたか・・と内部です。Back number カールス教会 1 (リンクシュトラーセ)リンク カールス教会 2 (失われた帝都の遺産)リンク カールス教会 3 (ウイーン・バロックの巨匠)リンク カールス教会 4 (天井画の聖人と黒死病)関連Back numberリンク ミラノ(Milano) 7 (ミラノ大聖堂 5 聖カルロ)リンク ミラノ(Milano) 8 (ミラノ大聖堂 6 福者)
2010年07月28日
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日曜に、地元商店街のお祭りがあった。マンションのベランダから覗いてみると、滅多に見られないものが展示? 屋根に丸い出口が見える・・・装甲車のようだった。飛んでいって見てみたら、自衛隊が隊員募集を兼ねて子供達を車に乗せていたのである。(私も乗って見たかった・・)さて、なかなか賢い勧誘方法である。祭りに来る暇な若者をゲットできれば・・と言う事か? もしくは、将来チビッコ達が自衛隊に来てくれたら・・・と言うところかな?アメリカでは小学校に軍が行って親しみをもたせるのは、当たり前の事なのだが、日本の学校は日教組がうるさくて出来ないからね・・・。オーストリア共和国(Republic of Austria)ウィーン(Wien)ベルヴェデーレ宮殿(Schloss Belvedere) Part 3ベルヴェデーレ宮殿 3 (オーストリア・ギャラリーと分離派とクリムト)上宮(Oberes Belvedere)オーストリア・ギャラリーグスタフ・クリムト(Gustav Klimt)とウィーン分離派と世紀末芸術帝政時代のバロックの上宮殿は、今19、20世紀の美術館として活用されています。ハプスブルグ家の終焉(962年~1806年、1918年)オーストリアの歴史と言えば、当然ハプスブルグ家の歴史であり、神聖ローマ帝国の歴史です。962年~、ハプスブルグ家は現在のドイツ、オーストリア、チェコ、イタリア北部に領地を展開していた当時は小さな豪族で、1273年にルドルフ1世が最初の神聖ローマ帝国の皇帝となってからハプスブルク゜家の栄華は始まっています。婚姻による血の拡大によって大きくなっていったハプスブルグ家ですが、その栄華が終焉に向かうのは1805年10月のウルムの戦いでナポレオンの勢力がオーストリアに及んだ頃からでした。そして1806年ハプスブルク家のフランツ2世は退位するのですが、帝室として存続し、最終的には第一次世界大戦が終了後、1918年に最後の皇帝カール1世が亡命してハプスプルグ家は崩壊しています。宮殿から美術館にプリンツ・オイゲン(Prinz Eugen)(1663年~1736年)の死後、この宮殿を手に入れた女帝マリア・テレジアは、ハプスブルグ家の膨大な美術コレクションを収容する場所に使いました。以来19世紀末までは帝室美術館となり。1953年にオーストリア美術の歴史を伝える美術館となっています。オーストリア・ギャラリー下宮は中世オーストリア美術館とオーストリア・バロック美術館。上宮は世紀末からウィーン分離派等のオーストリアの画家を中心にした19、20世紀の美術館。中でもここの目玉は上宮の世紀末ウィーン美術のコレクションです。庭園を見るよりも、むしろ美術品を見る為に館内の滞在時間が長くなるので、ツアーの場合は、なかなか庭園まで回る時間はないかもしれない。シェーンブルン宮殿、ベルヴェデーレ宮殿、カール教会は、バロックの都市ウィーンを象徴する建築で、「失われた帝都の遺産」なのだそうです。上宮の宮殿庭園正面ウィーン分離派の出現17世紀バロックや偉大な音楽家の輩出など文化面でも中心となっていたウィーンですが実は、地理的な要因もあってパリやロンドン、ベルリンに比べれば、近代的な国際都市とは言い難いおくれがあったようです。ウィーン分離派の出現は、ヨーロッパ近代美術との積極的な交流による国際化であり、ウィーン芸術界の古さと閉鎖性を象徴する存在だった・・と言う事です。ウィーン分離派1897年にウィーンで画家グスタフ・クリムト(Gustav Klimt)を筆頭に結成されたウィーン分離派は絵画、彫刻、工芸、建築などの会員が集まり、過去の様式に捉われない、総合的な新しい芸術運動を目指した工芸家の運動です。よく世紀末的とか退廃的とか例えられますが、今までなかった革新的な芸術運動は、当時においては近代的過ぎた運動です。それらは今見ても革新的ですし・・・。クリムトのギャラリー宮殿内も美術館も撮影禁止ですが、参考に、ギャラリーで買って来たクリムトの写真集から何点か紹介。(重かったぞ・・。)ここは、クリムトの作品の代表作がたくさん集まっています。クリムトの好きな人は、絶対にここに来なければならない聖地です。The Kiss(抱擁)(全部は入らないので多少トリミングしています。)クリムトの作品は、世紀末的・・官能的と表現されますが、世紀末は余計な気がします。今見ても斬新な作品です。fulfillment (成就)今回は解説は入れませんが、クリムトの絵画に用いられる文様は、日本の意匠をモチーフにしたもので、彼の日本趣味が伺えるところです。Judith 2 (Salome)(全部は入らないので下部はトリミングしています。)このタイトルのユーディットとサロメは別人なので、疑問。実はカットした下に男の生首があります。旧約聖書のユーディットなら敵の大将の寝首を掻(か)いた聖女ですがサロメはキリストの洗礼者であるヨハネの生首を望んだ悪女で、ユダヤの王女です。時代的にはサロメがブームなので、悪女サロメが正解でしょう。実は、クリムトの作品には別の見方が存在します。人物のシルエットのみ、形で捕らえると、それらは全て性器を象徴しているのです。彼は絵の中にダブルでエロスを暗示しているのです。今回は長くなったので、こんなところで・・・。ベルヴェデーレ宮殿おわりBack numberリンク ベルヴェデーレ宮殿 1 (プリンツ・オイゲン)リンク ベルヴェデーレ宮殿 2 (美しい眺め) ベルヴェデーレ宮殿 3 (オーストリア・ギャラリーと分離派とクリムト)
2010年07月26日
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昨年紹介しようと考えていて、季節を外してしまったので棚上げしていた氷河特急・・・。そろそろだったのですが、事故が起きてしまい残念な事になりました。車両だけでも先に紹介しようか写真のピック・アップはしたのですが・・・。事故にあった車両は、1等車でランクの高い車両です。ガラス面が多く、景色が良く見えるのですが、その分車両のフレームが弱く、それがあだとなってしまったようです。運悪く、亡くなられた方や大けがされた方は気の毒ですが、運と不運は隣り合わせなのだ・・・とつくづく感じる出来事でした。それにしてもドル箱路線とは言え、事故原因もわからないまま、もう運行しているようですから驚きですそして、それに乗る日本人観光客がたくさんいる事にも驚きです。彼らは無事に帰って来て、事故をネタにするつもりなのだろうか???? 亡くなった方がいる中でニコニコ乗車している姿はちょっと日本人として恥ずかしぞ・・・。今回は予定通りで・・。オーストリア共和国(Republic of Austria)ウィーン(Wien)ベルヴェデーレ宮殿(Schloss Belvedere) Part 2ベルヴェデーレ宮殿 2 (美しい眺め)上宮(Oberes Belvedere)と(美しい眺めの庭園さて、前回紹介していた宮殿入り口の家紋ですが、サルデーニャ王国の国章と似ている気がしたので調べて見ました。ウキペディアより サルデーニャ王国の国章サルデーニャ王国を開いたサヴォイア家は、イタリア王国の前身でもあるので、イタリア王国の国章もこれに似ています。サヴォイア家に関係する紋なのは間違いなさそうです。前回の写真、ベルベデーレ上宮の正面玄関の上のプリンツ・オイゲンとサヴォイア家とサルデーニャ王国の関係スペイン継承戦争後の後始末、ユトレヒト条約(1713年)でスペインはオーストリアにスペイン領ネーデルラント(ベルギー、ルクセンブルク)、ナポリ王国、ミラノを割譲。この時スペインはサヴォイア公国にシチリアを割譲。(後にこのシチリアはオーストリアのサルデーニャと交換)上宮(Oberes Belvedere)現在はオーストリア美術館(19世紀、20世紀の美術)になっています。それについては後で・・。ちょうどオイゲンがこの宮殿を建てる頃、1720年、サヴォイア公第15代のヴィットーリオ・アメデーオ2世(1675年~1730年)が王位を手にしてサルデーニャ王国を建国しているのです。面白い事にオイゲン自身は自国を出てオーストリアで活躍、オーストリア側の人間としてオーストリア領となった南ネーデルラント(ベルギー、ルクセンブルク)の総督となり、後にはイタリア(ナポリ王国、ミラノ)におけるオーストリア領の副王になっているのです。つまり、オイゲン自身は主流から外れたサヴォイア家の分家筋で、家督を継げずに外国に渡ったわけですが、彼はそこで大成して副王となってサヴォイア家と共にイタリアにかかわっているのです。サヴォイア家のイタリア王国建国に、何かしらプリンツ・オイゲンは関係しているのかもしれません。噴水と彫刻のある庭園の美しい眺め下宮からのベルヴェデーレ庭園と上宮登り傾斜なので、撮る位置で距離間がずいぶん違って見えます。庭園中央には階段式の噴水があり、これが一番の華かもしれません。階段式の噴水はオーストリア・ギャラリーと称されているそうです。階段の上の噴水池・・・撮影位置は上から下この噴水の下方、下宮側にもシンメトリーで2つの噴水があります。彫刻のモチーフは海のニンフ(人魚)や海馬(ヒッポカムポス)、海獣など噴水が多いのですずやかには見えますが、日陰がないのがここの特徴。あちこちにあるスフィンクスがこの宮殿の特徴ですね。上宮の表玄関にもありました。ギリシャ神話のスフィンクスライオンの身体、美しい人間の女性の顔と乳房のある胸、鷲の翼を持つ怪物と言われていますが、美しすぎると怪物には見えませんね・・・。でも、当初は子供をさらう怪物だったようです。戦いにおいては死を見守る存在であり、高い知性を持った怪物とか・・・。プリンツ・オイゲンは何を思ってこんなに設置したのか・・・。ちょっと眼が疲れ気味で・・・・一回飛ばしてしまいました・・・つづくBack numberリンク ベルヴェデーレ宮殿 1 (プリンツ・オイゲン) ベルヴェデーレ宮殿 2 (美しい眺め)リンク ベルヴェデーレ宮殿 3 (オーストリア・ギャラリーと分離派とクリムト)
2010年07月25日
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漫画の「もやしもん」の菌のアプリをゲームでゲットしました。今、白癬菌が1匹画面上を泳いでいます 可愛いけど・・・ちょっとじゃま。さて、庭園シリーズ第二弾です。宮殿内部は相変わらず撮影禁止なので、ささやかに庭園だけの紹介です。オーストリア共和国(Republic of Austria)ウィーン(Wien)ベルヴェデーレ宮殿(Schloss Belvedere) Part 1ベルヴェデーレ宮殿 1 (プリンツ・オイゲン)プリンツ・オイゲン(Prinz Eugen)と下宮(Unteres Belvedere)今はウイーン南駅から(上宮は)ほど近いところにある都会の宮殿ですが、当時は城壁の中は過密になっていたので、城壁の外、いわゆる郊外に建てられた一貴族の宮殿だったのです。この宮殿の見所はウイーンを代表するバロック様式と、さらに展示されている絵画部門なのです。(上下宮殿は美術館として公開)ベルヴェデーレ(Belvedere)は、「美しい眺め」の意だそうで、下宮から上宮にかけてのゆるやかな登り傾斜の庭園とその向こうのバロックの宮殿の「美しい眺め(ベルベデーレ)」も見所です。A 上宮(Oberes Belvedere)・・・・迎賓用宮殿B 下宮(Unteres Belvedere)・・・居住用宮殿庭園は現在AからBの宮殿の間をさしています。上宮の正面入り口下がって全体が撮影出来ないのでこれが限界従軍建築家ヨハン・ルーカス・フォン・ヒルデブラントの設計この宮殿近くのカールス教会と共にヨーロッパの建築史上に残る美しいバロック様式の宮殿です。プリンツ・オイゲン(Prinz Eugen)の夏の離宮元々は、サヴォイア家の血を引くフランス生まれの貴族でレオポルト1世に仕えてオーストリア軍の将校となったプリンツ・オイゲン(Prinz Eugen)(1663年~1736年)の夏の離宮として建設された宮殿だったそうです。彼はフランス出身でありながら、オーストリアに渡り、ハプスブルクの皇帝3代に忠誠してフランスを敵に回してオーストリアの為に戦った大功労者なのです。その皇室の彼に対する評価は、死後、ハプスブルク家の歴代君主の墓所であるシュテファン大聖堂に葬られた事からも伺えます。ただ、相続する家族がいなかった為、彼の死後(1752年)財産と宮殿はハプスブルグ家の所有になったようです。もともとハプスブルグ家の宮殿ではないので、紋章は双頭の鷲ではないようです。ではこれはどこの? どこかで見たんだけど・・・。上宮の宮殿側次回もっと良い写真を紹介します。A 上宮からB 下宮方面を撮影。最初に建てられたのは下宮で、1714年~1716年に建設。上宮は1720年~1723年に建設。上宮からの眺めは今一であるが・・・参考に・・・。ここは、下宮から丘をなめるように見る上宮の景色の方が素敵なのです。下宮の全体がこのあたりから見えますが、庭の手入れが今一で残念です。もしかしたらこれから植木でラビリンスを造ろうとしているのかもしれません。だとすると完成するのは数年後ですが・・・芝だけか?下宮(Unteres Belvedere)・・・居住用宮殿最初に作られた居住用の宮殿はシンプルです。現在バロック美術館として公開されてますが、プリンツ・オイゲン(オイゲン公)の寝室や東洋趣味的な部屋なども公開。噴水からの下宮かなり昔、入っているのですが、下宮の美術館は入った事しか記憶にないかも・・・。庭園内にはスフィンクスの彫像がいっぱい・・・。洗練されたスフィンクスの像は、主だったプリンツ・オイゲンの趣味かな?つづくBack number ベルヴェデーレ宮殿 1 (プリンツ・オイゲン)リンク ベルヴェデーレ宮殿 2 (美しい眺め)リンク ベルヴェデーレ宮殿 3 (オーストリア・ギャラリーと分離派とクリムト)
2010年07月23日
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お金シリーズのBack numberをラストに追加しました。ドル・トラベラーズ・チェック(T/C) の高額券「お札シリーズ 1 (アメリカ合衆国ドル・・ドルの札束)」の所で、ドルのトラベラーズ・チェックの高額紙幣、1000ドル券があると紹介しましたが、ちょっと修正ができました。最近アメックスのチェックに両替した所、500ドル券が最高額になっていました1000ドル券のトラベラーズ・チェックは、前回両替した昨年には確かに存在していたのですが・・・・、あまり需要がないからなのでしょうか? 実際はまだ存在していると思うのですが、一般の取り扱いでは無くなっているのかもしれません。トラベラーズ・チェックのメリットとデメリットもともとトラベラーズ・チェックは実際問題として、どこでも引き取ってくれる・・と言うわけではありません。ぶっちゃけ、使い勝手がとても悪いのです。(手数料も高いのに・・)使える店は大きい店に限られますし、田舎の方では使用が難しくなっています。(欧州では大都市以外はほとんど使用が難しい)特に高額紙幣の引き取りはほとんどしてくれないので、一般の旅行者には1000ドル券は必要ないのは確かです。ただ、万が一無くしたり、盗難にあった時に控えてあれば再発行ができる・・と言うのが唯一のメリットです。実物の(T/C) 500ドル券サインする前に撮影しておいた物で、シリアルナンバーの部分は付箋で隠しました。通常何枚か購入する場合は、このシリアルナンバーが連番なので、記録して万が一の時に備えておきます。サイン1・・・購入した時にすぐに自分のサインをする。 (名前を書いた時点であなたのT/Cとなり他の人は使えません。)サイン2・・・使用する時に自分のサインをする。 (両方書くと盗まれた時に使われてしまうので、必ず使う直前に・・・)尚、サインはパスポートと同じサインにして下さい。使用時にパスポートの提示の必要があるので、同じサインでないとややこしい事になります。これは、クレジット・カードのサインについても同じ事です。高額のトラベラーズ・チェックは、銀行でないと使用は難しいと思います。トラベラーズ・チェックの問題点トラベーズ・チェックは購入時に現金より高い手数料をとられます。さらに、チェックを現地で現金に両替したい時に再び手数料をとられます。つまりダブルの手数料を取られるわけです。ただ今キャンペーン中そんなあまり人気のないトラベラーズ・チェックですが・・・。2010年11月30日まで、購入者に金額に応じた手数料のキャッシュバックを行っているそうです。例えば、100万円なら10000円の手数料の返金をしてくれる・・と言うものです。但し、返金方法は、クオ(QUO)・カードか、銀行振り込みになります。お金シリーズ Back numberリンク お札シリーズ 1 (アメリカ合衆国ドル・・ドルの札束)リンク お札シリーズ 2 (ユーロ札と見本とコイン)リンク お札シリーズ 3 (ユーロ札束) ドル・トラベラーズ・チェック(T/C) の高額券リンク ロンドン(London) 10 (テンプル教会 2 Banker)リンク アジアと欧州を結ぶ交易路 6 コインの登場と港湾都市エフェソスリンク 大阪天満の造幣局 1 幕末維新の貨幣改革 と旧造幣局リンク 大阪天満の造幣局 2 お雇い外国人とコイン製造工場リンク 大阪天満の造幣局 3 コイン製造とギザの話
2010年07月23日
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お金シリーズのBack numberをラストに追加しました。Break Time (一休み)今回はユーロ(Euro)の紹介です。お札シリーズ 2 (ユーロ札と見本とコイン)ユーロ(Euro) €ユーロは欧州の経済通貨同盟国で現在使用されている通貨です。但し、全てのヨーロッパの国が経済通貨同盟に加入しているわけではないので、加盟していない国は相変わらず、その国の通貨に両替する必要があります。2002年1月1日に現金の流通が11カ国で開始されてから、現在経済統合により導入しているのは16カ国に過ぎません。しかし、後発のユーロですが、今やドルに次いで、基軸通貨(国際間の取引に使われる通貨)になりつつあるお金です。オーストリア、ベルギー、ドイツ、フィンランド、 フランス、アイルランド、イタリア、ルクセンブルク、オランダ、ポルトガル、スペインギリシャ、キプロス、マルタ、スロバキア、スロベニア※ その他、通貨同盟などによって、相手国と同じくユーロを法定通貨とした小国などもあります。(アンドラ、モナコ、サンマリノ、バチカン)ユーロの導入について導入していない国の中にはイギリスなどの大国も入っています。導入しているかしていないか・・については、その国の経済理由があるからなのです。ユーロの導入は、「その国の財務状況、物価の安定性、為替相場の変動幅、長期金利などについて、決められたマースリヒト基準をクリアしていなければならない。」と言う条件があります。つまり、加入したくても入れない国が存在するわけです。また、クリアできても、国民投票で否決される場合もあるのです。今回問題になったギリシャについては、そもそもそれら基準をクリアしていないのに、インチキして達成している振りをして加入に漕ぎ付けた経緯が指摘されています。ユーロ紙幣さて、今回、ユーロを紹介するに当たって、手持ちのお金では高額紙幣の持ち合わせがありませんでしたもっとも200ユーロ札や500ユーロ札に関しては、高額故にほとんど市場に流通していません。しかし、今回奥の手を使って紹介します。ユーロ表側 5、10、20、50、100、200、500ユーロ札の7種類。ユーロの紙幣のデザインはすべての国で共通。ユーロ裏側???? 実は、これは見本紙幣なのです。この紙幣は、2002年1月1日に現金の流通が始まる前に、パリの某デパートが事前の訓練用に使用していた、限りなく本物に似せた偽物なのです。突然の導入ではお店が混乱します。従業員に、事前に紙幣を覚えさせて間違えないように練習していた時のお札ですが、どうもデパート用ではなく、公式の練習用のお札のようです。実際のお札とどう違うか? 上の段が偽物です。偽物の方が、わずかに小さく出来ていますが、柄は一緒で比べると色が微妙に異なるのと、ホログラムが本物には付いている事が違う程度です。5ユーロ紙幣・・・本物1ユーロ・・東京三菱BKの昨日の買いのレートはCASH 114.37円。5ユーロ・・・571.85円。10ユーロ紙幣紙幣・・・本物 10ユーロ・・・・1143.7円100ユーロ・・・11437円200ユーロ・・・22874円・・・高額過ぎて市場にはない500ユーロ・・・57185円・・・同20ユーロ紙幣紙幣・・・本物50ユーロ紙幣・・・本物ユーロのコインコイン、上段は全て練習用の偽物。下段は本物。左から2ユーロ、1ユーロ50セント、20セント、10セント、5セント、2セント、1セントお札の柄は全ての国で共通ですが、コインに関しては、裏側は加盟国が各々自由な柄で印刷しているのです。肖像もあれば、国を代表するような建物。イタリアはレオナルド・ダビンチの人体図などのせています。1ユーロと2ユーロの柄が同じ国もあれば異なる場合もありました。2ユーロの重さは500円玉と同じでした。お金シリーズ Back numberリンク お札シリーズ 1 (アメリカ合衆国ドル・・ドルの札束) お札シリーズ 2 (ユーロ札と見本とコイン)リンク お札シリーズ 3 (ユーロ札束)リンク ドル・トラベラーズ・チェック(T/C) の高額券リンク ロンドン(London) 10 (テンプル教会 2 Banker)リンク アジアと欧州を結ぶ交易路 6 コインの登場と港湾都市エフェソスリンク 大阪天満の造幣局 1 幕末維新の貨幣改革 と旧造幣局リンク 大阪天満の造幣局 2 お雇い外国人とコイン製造工場リンク 大阪天満の造幣局 3 コイン製造とギザの話
2010年07月22日
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オーストリア共和国(Republic of Austria)ウィーン(Wien)シェーンブルン宮殿・庭園 3 (ネプチューンの泉とフランス式庭園)シェーンブルン宮殿(Schloss Schonbrunn)の庭園ネプチューンの泉とフランス式庭園図らずも、ギリシャ神話にふれてしまいましたネプチューンの泉フランツ・アントン・ザウナーの彫刻作品噴水のテーマは、息子アキレウスの航海の無事を海神ポセイドン(ネプチューン)に祈る母ティティスの姿とされています。ネプチューン(Neptune)・・ポセイドンネプチューンは、英名で、ローマ神話の神、ネプトゥーヌスであり、ギリシャ神話ではポセイドン(Poseid?n)と同一神です。オリュンポス十二神の1柱で、全知全能の神と言われるゼウス(英名はジュピター)や冥界の神ハデス(英名はプルートー)と兄弟で天空、水域、冥界を分つ海神です。地下水の支配者でもあり、泉の守護神ともされているようで、イタリアなどでは良く泉のモチーフにされています。どうもかなり堅物の男・・と言う設定のようです。三叉の矛(さんさのほこ)ポセイドン(ネプチューン)は、三叉の矛(さんさのほこ)・・・「トライデント」と言われる先端が三つに分かれた漁具を武器に持ち、それが象徴となって表現されています。この三叉の矛(さんさのほこ)を振る事で波をコントロールしたり、地震を起こす事が可能で、その為に地震の神ともされ、人間にとっては直接関わる神様とされ恐れられたようです。アキレウスとティティスティティス自身が海の精霊です。彼女は息子アキレウスがトロイア戦争に加わると命を落とすことを予言していて、アキレウスが生まれるとすぐに冥府を流れる川ステュクスの水に息子を浸して不死の体を与えようとしたり、女装させて身を隠すよう努力していました。しかしアキレウスは、結局トロイア戦争に行く事になり、そこで足首(アキレス腱)を打たれて死んでしまいます。不死にする冥府の川では、彼女が掴んでいた息子の足首の部分が水に浸からなかった為、それが致命傷になったのだそうです。因みに、2004年のアメリカ映画「トロイ」ではブラッド・ピットがアキレウスの役を演じましたね。ネプチューンは、馬あるいは半馬半魚の海馬ヒッポカムポスの引く戦車に乗る事からか、競馬の守護神ともされているようです。どうも下の馬は海馬ヒッポカムポスで、戯れているのは半身半漁のトリトンのようです。トリトンはポセイドンと潮流の女神アムピトリーテーとの子供で、海の神です。トリトンはホラ貝のラッパで海の波をコントロールすると言われています。シェーナー・ブルンネン(美しい泉)前回紹介した皇帝マティアスが見つけた「美しい(schon)、泉(Brunn)」シェーナー・ブルンネンは、この泉の左手の木立の中にまだ存在するようです。今はそこに、ニルヘルム・バイヤー作の「水の妖精エゲリアの像」が建てられ、妖精の持つ水瓶から湧き出すようになっているようです。(写真はありません。)ネプチューンの泉から宮殿の庭園を撮影最初の建築家、フィッシャー・フォン・エルラッハの構想を縮小して現在のシェーンブルン宮殿を完成させたのは、園芸師のパッカシィと建築技師のヴァルマギーニです。特にフランツ1世は庭園の造園に力を注ぎ、園芸師のパッカシィは、自分の故郷、ロートリンゲンから連れてきたと言います。刺繍のように花を配置した庭園フランス式庭園17世紀末フランスの宮廷造園家アンドレ・ル・ノートル(Andre Le Notre)(1613年~1700年)によって確立された平面幾何学庭園は、平地の庭園を大きな迫力を持つ景観に魅せる為に考案された庭園様式ですこの新しい庭園は、従来のテラス式のイタリア式庭園とは全く異なるタイプの広大な規模の庭園で、ベルサイユで披露されて以来、ヨーロッパ中の宮廷庭園で模倣され流行しています。軸線を用いるこの方式は18世紀の都市計画に影響を与えた革命的な庭園技術と言われています。フランス式庭園については、昨年6月に「 ベルサイユ宮殿 10 (フランス式庭園 )」でより詳しく説明していますから見てね。リンク ベルサイユ宮殿 10 (フランス式庭園 )宮殿の屋根ばかりか、庭園のあちこちにギリシャ神話をモチーフにした大理石の彫刻が44体、設置されています。並木の配列もデザインの一部因みにベルサイユなどと比べると、水利の良いこちらの宮殿はヴェルサイユ程にお金はかかっていないシンプルな庭園です。造園家アンドレ・ル・ノートルの手がけたヴェルサイユはもっと巨大な庭園です。それら全てを平面幾何学庭園として構成しているので規模だけでも驚く。また水の無い庭園に多数の噴水や池を設置。水を引くのに大変な苦労をしているなど技術的にも凄いのです。ただ、シェーンブルン宮殿の庭園は植物園や動物園など庭以外の所にも情熱が注がれ、むしろそちらにお金が使われている。動物園は1752年に帝国メナジェリー(小動物園)として創設された世界最古の動物園となっています。君主は世界から動物集めをしている。Back numberリンク シェーンブルン宮殿・庭園 1 (宮殿中庭) リンク シェーンブルン宮殿・庭園 2 (シェーンブルンの庭園) シェーンブルン宮殿・庭園 3 (ネプチューンの泉とフランス式庭園)※ シェーンブルン宮殿については、マリーアントワネットの生涯の住まいを紹介した「マリー・アントワネットの居城」シリーズの中でも2020年09月詳しく紹介していますリンク マリー・アントワネットの居城 2 シェーンブルン宮殿と旅の宿ベルベデーレ宮殿リンク ベルヴェデーレ宮殿 1 (プリンツ・オイゲン)リンク ベルヴェデーレ宮殿 2 (美しい眺め)リンク ベルヴェデーレ宮殿 3 (オーストリア・ギャラリーと分離派とクリムト)シェーンブルン宮殿の庭園は今回で終わりです。次にベルベデーレ宮殿の前に「お札シリーズ」はさみます。お札関係 back numberリンク お札シリーズ 1 (アメリカ合衆国ドル・・ドルの札束)リンク お札シリーズ 2 (ユーロ札と見本とコイン)リンク ドル・トラベラーズ・チェック(T/C) の高額券リンク 神眼・・・プロビデンスの眼
2010年07月21日
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オーストリア共和国(Republic of Austria)ウィーン(Wien)シェーンブルン宮殿・庭園 2 (シェーンブルンの庭園)シェーンブルン宮殿(Schloss Schonbrunn)の庭園 宮殿庭園シェーンブルンは、ドイツ語で「美しい(schon)、泉(Brunn)」の意を持つ。狩猟場だったここに、その美しい泉があったからのようです。シェーンブルン宮殿見取り図の一部(宮殿部分は地図の下方)実際はこの2倍以上まだ敷地がありNo5のグロリエッテが庭園のほぼ中心に)位置しています。庭園は宮殿の裏庭になるのですが、こうしてみると宮殿がシェーンブルンの玄関のようです。宮殿建物・・・庭園側から敢えて比べてみないと中庭側と裏庭側が解りにくい。強いて違いは、建物の上に中庭側には時計が付いていて、こちらにはハプスブルク家の紋章、「双頭の鷲」が飾られています。宮殿建物から庭を見た所この写真で写っているのは庭園のほんの20分の1くらい?遠くに見えるグロリエッテが庭園の中心なので、あの丘の向こうにも庭園が広がっています。総面積は1.7km²。宮殿からあの丘までゆっくり歩いて30分。宮殿内の見学だけで時間を取られるので、たいていは噴水で折り返しです。(私もここは、宮殿内しか記憶に残っていません。)庭園付属の動物園と日本庭園写真にはありませんが、この写真の右手方面に日本庭園と動物園が付属しています。動物園は1752年にフランツ1世(マリアテレジアの夫)が始めたもので、世界最古の動物園なのだそうです。(今も800種の動物がいると言う。)日本庭園は実は、1996年に発見されて修復されたものだそうです。なぜなら庭園はフランツ1世が日本訪問からの帰国後に庭師に造営させたものだったそうですが、庭が荒廃した後に誰も日本庭園とは気付かなかったそうです。発見後、1998年に日本からプロの庭師を招いて枯山水の日本庭園を作り直したようです。動物園も日本庭園も今は写真がありませんが、入手できたら紹介しますね。エピソード先にも紹介したように、マリア・テレジアが愛して家族と過ごした宮殿ですが、この宮殿で幼いモーツァルトがマリア・テレジアと神聖ローマ皇帝フランツ1世シュテファンの11女であるマリア・アントーニアにプロポーズしたのは有名な逸話です。「ボクのお嫁さんにしてあげるよ。」・・と言ったとか・・・。マリア・アントーニアが後の、フランス国王ルイ16世の王妃となるマリー・アントワネットです。カメラで距離感が随分違うものです (2台使用しています。)この宮殿にはナポレオンも居城していました。ナポレオンのウィーン進攻・・・ウルムの戦いとアウステルリッツの戦い1805年10月、ウルムの戦いでナポレオン率いるフランス軍がオーストリア軍を破ってウィーンを占領。12月に首都ウィーンに入城してシェーンブルン宮殿に滞在しています。その後この宮殿を出発したナポレオンは、アウステルリッツに向かい3人の皇帝が会戦した・・と言う三帝会戦・・アウステルリッツの戦いにも勝利しているのです。それはナポレオン率いるフランス軍が、オーストリア・ロシア連合軍を破った戦いです。1809年5月には2度目のウィーン進攻をした時にも滞在しているので、彼の使用した居室が、現在ナポレオンの部屋として公開されています。庭園の中心にあるネブチューンの噴水。グロリエッテ(Gloriette)本来あの丘には宮殿が建設される予定でした。財源が足りなくて中に浮いていたこの丘にマリアテレジアは1775年にプロシアとの戦いの戦勝記念(1757年の)と戦没者の慰霊を兼ねたパヴィリオンを建設。グロリエッテ(Gloriette)は、フェルデナント・ホーエンベルクの設計。建物は当時流行の新古典様式のローマ風。啓蒙期の新古典主義当時は啓蒙思想期。啓蒙主義は進歩主義的であると同時に回帰的。特に自然回帰で文化的には古代ギリシャやローマの古典主義を見直した時期に入ります。建設でももちろんローマやギリシャの古典古代を美化する思想が流行した新古典様式の時代だったのです。ネプチューンの噴水越しのグロリエッテ現在カフェになっていると言うグロリエッテですが、そこまで言っていないのでこれが限界。写真がありません。残念です。Back numberリンク シェーンブルン宮殿・庭園 1 (宮殿中庭) シェーンブルン宮殿・庭園 2 (シェーンブルンの庭園)リンク シェーンブルン宮殿・庭園 3 (ネプチューンの泉とフランス式庭園)
2010年07月20日
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Break Time (一休み)今朝は早起きして、2ヶ月前から予約していたお料理教室に行ってきましたなかなか予約が取れなくて、やっとの事でとった臨時講座です。講師は、今や人気急上昇のイタリアンのシェフ、川越達也先生です毎日、深夜20分くらいからテレビ朝日で放送している情報バラエティ番組「お願い!ランキング」を知っている方はご存知かと思いますが、常連で出演しているシェフなのです。まだ知らない方はたくさんいると思います。(遅すぎて仕事のある人は起きていないからね・・・。)番組では一番人気と思われるレストランの人気メニューをプロが食べて格付けするコーナーでジャッジをするメンバーの一人であり、最近では企業の提示する素材(例えばドレッシング)を使って、思いも付かない料理を開発したりして人気を博している先生の一人です。もちろん本業は代官山「タツヤ・カワゴエ」のオーナー・シェフですが、若さと可愛さと斬新さで、今や追っかけもいる人気者のシェフなのです。(追っかけがいるのは今日知ったのですが・・・。)実習中・・奥に先生、これは隠し撮り料理終了後には撮影OKとなったので、みんなで取り囲んで撮影中この先生は、自分が美味しいと思った時にはとても幸せそうなスマイルをするのです。それを番組では「川越ちゃんスマイル」と呼んでいます。「川越ちゃんスマイル」が出た時、採点は高得点を付けるのです。ところで、今日の講座は「川越達也の手抜きッチン」と言う本の発売を記念する特別講座だったようです。本にサインを頂いたので、宣伝してしまいましょう内容は、レトルト食材を使って、手抜きだけど豪華に見える料理だったり、冷凍うどんを使っての和風イタリアンだったりと中身60品以上のメニューのレシピがついて680円です。そこで、ちょっと残念だったのが今回は本格イタリアンの教室ではなく、本に載っている料理だった事です。市販の「五目チャーハンの素」で作る鶏手羽のあっさり煮チャーハンの素でチャーハンでなく、コラーゲンの染みた鶏手羽の煮込みを超簡単に、短時間で作る・・・。と言う料理で、本格的なフランス料理を習っていた私としては、彼のプロの技が見れなくてガッカリなのでした一応料理の写真・・・煮詰まって煮こごりのようになった方が美味しくなるそうです。メンバーが8人1テーブル。リーダーがいないので、何が何やら・・の感じでの料理教室でしたが、教室には毎度先生の講座に来ている、お馴染みさん同士が多かったようです。今度は水戸に行く・・とか、レストランの誰それさん・・と、コアな話をしてました。例えるなら、「はにかみ王子」ならぬ、「はにかみシェフ」。「今日はイタリアンが食べられると期待して来たのに残念。今度、レストランに直接食べに行こうね。」と、言う事を友人と確認。それにしても最近のアレンジ・クッキングは「目から鱗(うろこ)」。昔の料理の王道からは考えられないものを利用して考えられない創作料理を創り出す・・・。どうやら「美味しければOK」と言う考えが根底にあるようです。でも、きちんとした出汁(だしじる)なり、フォンドヴォーの味を期待している人には、やはり味が足りない・・。最終的には、「自分でさらに -ちょい足し- してアレンジするべし・・」なのです。本当は、もっと良い写真があるのですが、肖像権があるので、断念します。上のは、あくまで料理教室の延長・・と言う事で・・よろしくお願いします。
2010年07月19日
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東京はすっかり夏モード、外はお焦げになりそうな暑さですさて、今回もまだオーストリアに滞在です。オーストリア共和国(Republic of Austria)ウィーン(Wien)シェーンブルン宮殿・庭園 1 (宮殿中庭)シェーンブルン宮殿(Schloss Schonbrunn)の庭園 宮殿中庭宮殿内部の撮影はできないので宮殿外側と宮殿の庭を少し紹介です。ベルサイユ宮殿をしのぐ宮殿として着想されながらも、財政難で規模を縮小してできた宮殿はハプスブルグ家の夏の離宮としてとりわけマリア・テレジアに愛されたと言います。宮殿正面入り口から宮殿を望んだのはマリア・テレジアの祖父レオポルド1世。建築家フィッシャー・フォン・エアラッハの設計です。建築開始宮殿の建築が始まったのは1696年。ハプスブルク家輩出の神聖ローマ皇帝レオポルト1世(1640年~1705年)は、在位中にこの宮殿建築を開始したようです。前術したようにルイ14世のベルサイユに匹敵する狩り用の大宮殿を建てる予定だったようです。(もとはベルサイユも狩り用の別邸)建築は着工されますが途中で資金難に陥り当初の予定通りに行かず、縮小され、それを後に孫のマリア・テレジア(1717年~1780年)が整えてウィーン風ロココ様式で完成させた宮殿なのです。宮殿内の中庭財源不足・・・スペイン継承戦争勃発宮殿の資金繰りが付かなくなった理由の一つは、スペイン王位の継承戦争(1701年~1714年)があります。発端は1700年、子供のいなかった甥のスペイン王、カルロス2世の死去です。カルロス2世はもともと虚弱体質で子孫も出来ず、そこにヨーロッパの王侯貴族達の姻戚関係がからみます。カルロス2世はフランスのブルボン王家の血もひいていたからです。カルロス2世の死後、王位は遺言によりブルボン王家の血筋に移ってしまいます。それはスペイン統治におけるハプスブルク家の力がゼロになることです。ハプスブルグ家が、不満の反旗をあげた戦争でした。戦争は各国の思惑も交錯し、ヨーロッパ中を巻き込んだ大きな戦争となりレオポルド1世と次の王ヨーゼフ1世はその戦争に莫大なお金を必要としたわけです。因みにスペイン王はフランス、ブルボン王家のアンジュー公フィリップがフェリペ5世として即位を通して落着。宮殿内の中庭には2つの噴水が・・・彫刻に関する資料がないので作品名などは不明。正面右側翼には宮廷劇場がある宮殿内部には1441室、一般公開されているのは45室。中はこじんまりした部屋もあり、割と豪奢な割にはヴェルサイユ宮殿より庶民的な印象が残っています。陶器の部屋とか、漆の部屋とか、テーマ性のある部屋がけっこうありました。父の代まで未完になっていた宮殿建築を完成させたのはマリア・テレジアが女帝になってからです。もとは、バロック様式だった建物をニコラウス・パカッシによりロココの様式が加えられて1749年に完成。使用人の数は1000人、この宮殿で彼女の16人の子供はのびのび育てられたそうです。1996年 ユネスコの世界文化遺産に登録。宮殿のクリーム・イエローは彼女の好んだ色で、「マリア・テレジアン・イエロー」とよばれてていますが、黄金に見えるから・・とか聞いた気がします。この向こうに広大な庭園が広がっています。つづくBack number シェーンブルン宮殿・庭園 1 (宮殿中庭)リンク シェーンブルン宮殿・庭園 2 (シェーンブルンの庭園)リンク シェーンブルン宮殿・庭園 3 (ネプチューンの泉とフランス式庭園)
2010年07月18日
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最後の6頭も殺されてしまいましたが・・・。口蹄疫は偶蹄目がかかる病気。牛舎の近くの野山に生息しているシカをどうするのでしょう。ウイルスを媒体しているのはシカだったと思うのですが・・・。イエローストーン国立公園でもかつてその問題で大変だったようです。そう言えば、以前聞いたのですが、狂犬病対策で入国の動物検疫であずかり規制されるのは犬だけだそうです。猫も狂犬病にかかるのに・・・。オーストリア、ハルシュタット 3 (岩塩坑ツアーとソルトマン)オーストリア共和国(Republic of Austria)ザルツカンマーグート(Salzkammergut)地方ハルシュタット(Hallstatt)岩塩(rock salt)の坑道見学ツアーハルシュタットの塩は2億3000年前の原始の海で造られ、5000年前に発見。そして3000年程前、世界最古の塩の精製が始まったと現地の看板に書かれています。名付けて「原始の塩」は、昔から変わらず今もハルシユタットの特産品です。精製塩は美しくペイントされた容器に入れて売られています。要するに容器で値段が違うのです。ザルツカンマーグートの岩塩層は、太古に海が干上がってできた塩の層がアルプスの造山運動で巻き込まれるように圧縮されてできたようです。岩塩(rock salt)の坑道見学ツアー今回岩塩坑道の写真はありませんが、町外れにあるケーブルカーに乗った山頂の先にハルシュタットの岩塩の坑道を見学するツアーがあります。(ハルシュタット近郊にはBC6世紀に遡る世界最古の塩坑もあるそうです。)岩塩坑の坑道はいくつもあるようですが、現在ツアー公開されているのは1719年に開山された全長26kmの「皇后クリスティーナ坑」。採算のとれなくなって閉鎖されていた岩塩坑道を一部ツアーにしているようです。尚、トロッコに乗っての見学ツアーは麓のケーブルカーから所要時間3時間程かかるようです。水晶のような岩塩や、鉄分など不純物が多くて赤紫になっている岩塩は天然ミネラルが豊富なのはわかりますね。塩の運搬・・・地下の塩湖こうした岩塩のトンネルをトロッコに乗って進むと、地下には昔のなごりの塩湖が存在するそうです。適度な大きさにした岩塩で運ぶ場合もあるようですが、ここでは昔、岩塩の層に水を注入して濃い塩水にしてから、丸太をくり抜いたパイプによって麓まで塩水を流して運搬していたそうです。砂などの不純物は塩湖に沈殿するので合理的な方法のようです。ソルトマン(Salt man)ところで、1734年に村内の岩塩の坑道から塩漬け状態の人間の遺体が発見されたそうです。遺体は、残っていた衣類や道具から、落盤によって閉じ込められた先史時代の岩塩の鉱夫? だったと考えられハルシュタットの村内に埋葬されたと教会の記録にあったそうです。だとするなら、ソルトマンの遺骨は今、バインハウス(Beinhaus) にあるのかも・・・。いや、塩漬けなので腐っていないのかな? 衣類はハルシュタット文化遺産博物館に展示されているようです。前回書きませんでしたが、ここでは土葬で埋葬され、何年かして朽ちて骨だけになったお骨がバインハウス(Beinhaus)に収納されるのです。因みに納められる頭蓋骨には故人の名前や模様などの装飾も描かれるそうです。比較的綺麗な岩塩で、宝石形にカットされた女性受けを狙った商品も・・・。さて、今度は中世のなごりのある家湖畔に建つ家は石垣の上に乗っかっています。下の家は近年上物だけ新築されたようですね・・・微妙にモダン建築については語れませんが、土台が石で、しっかりしているので何百年も持つのでしょう。今回のような水害でも全然平気だし・・。中世の建物をレストランにしたようですね。やはり歴史のある国は凄いです。そんなに変わっていないように見えながら時間の重みがにじみ出てきているのが解りますね。書いていてつくづく思うのですが、ヨーロッパはエピソードが幾らでも出てくるのに、アメリカは歴史がないから語れる事がほとんど無いし、思いつかないのです。その違いでブログの内容も全然違っちゃうのです貴族の避暑地ならでは・・ハルシュタット湖畔の城湖畔の城・・・遠いので拡大したからあまりきれいではないですが・・・。ハルシュタット湖は、ゴーザウ湖と共に「ザルツカンマーグートの真珠」とうたわれる美しい湖だそうです。増水で湖上には出られませんが、湖畔のテラスは営業。ハルシュタット おわりますback numberリンク オーストリア、ハルシュタット 1 (世界遺産も水害)リンク オーストリア、ハルシュタット 2 (マルクト広場と塩)
2010年07月17日
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お札シリーズの為の撮影をしていたので目が非常に疲れてしまったやっかいなのはお札が旧札から新札へと変わっている時ですそれ以上にやっかいだったのがユーロでした。その理由は近日公開してからね・・オーストリア、ハルシュタット 2 (マルクト広場と塩)オーストリア共和国(Republic of Austria)ザルツカンマーグート(Salzkammergut)地方ハルシュタット(Hallstatt)塩の産地ハル(Hall)水害だけでは残念なので、塩の話とユネスコ世界遺産に登録された部分を少し紹介しておきます。(ダッハシュタインがありませんが・・)湖水地帯と共に古い町並みも売り。街の裏手の方に塩山があるといいますが、この見えている山には幹線道路となるトンネルが通っています。右の塔は街の中心マルクト広場にある教会。左はバインハウス((Beinhaus) ・・・街の納骨堂です。バインハウス(Beinhaus) この街は土地が少ないのでお墓がいっぱいになると古い順に掘り返してお骨だけバインハウスに納骨するのが慣習となっているそうです。もう一つ珍しいのがボート・ハウスです。昔から人や物の運搬に使われていたハルシュタットの船は底が平たい木造船なのだそうです。その船を収納するのが湖に張り出した木造のボート・ハウスです。今回増水のせいでかなり沈み混んでいるようですが・・・。マルクト広場(Markt)オレンジの建物はホテル。マルクト広場は、中世の都市には必ず存在した広場であり、マーケット(Market)、すなわち市場という意味を持つ広場です。昨年12月に「ザルツブルク 4 (マルクト広場) 」で紹介しているので詳しい解説はそちらを見てね。ホテル、レストランが広場を囲んで立っています。塩の産地ハル(Hall)「ザルツブルク」と言えば・・・。昨年12月、「ザルツブルク 1 (聖ペーター教会と街)」の所ですでに紹介していますが・・。ザルツは「塩」、ブルクは「砦」の意です。古来よりザルツブルクは近郊で採掘される塩の運搬と、その塩の積載量に応じた通行税を財源に成り上がった街だと紹介していましたが、その近郊の塩が採掘される場所がザルツカンマーグート地方であり、ハルシュタットの街はその一つです。実は「ハル(Hall)」も古代ギリシャ語から由来する「塩」の意だそうです。かつてケルト人がギリシャと塩の交易をしていた事からその言葉がケルト圏に入って塩の産地をハルと呼ぶようになったと言われています。ドイツ圏でハルが付く地名は岩塩が取れるか、塩水が湧いていたりする場所なのだそうです。「敵に塩を送る」と言う故事がありますが、塩は人間に必須の元素だと言う事を昔から人間は知っていたのですね「敵に塩を送る」・・・今川氏と北条氏の塩止めで苦しんでいた甲斐の武田信玄に塩を送ったのは上杉謙信です。ハルシュタットの街と塩・・・次回につづくリンク オーストリア、ハルシュタット 3 (岩塩坑ツアーとソルトマン)
2010年07月16日
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連日悪いニュースばかりが流れている昨今です今日は水害のニュースで「メロン農家で収穫まじかのメロンが泥水にひたって駄目になってしまった。」と聞きました。丹精込めて作った農作物の被害は、自然災害 故にぶつけどころのない農家の人の苦悩に同情します。その点で言うと宮崎県の口蹄疫問題、「宮崎の種牛を含める全頭、屠殺(とさつ)」には、もっと同情です。野菜はまた翌年に何とか再生に持ち込めるでしょうが、牛の場合は最低でも5年以上、種牛の場合は何十年も交配して作られて来ているのですから、関係者の苦悩はどうしようもなく苦しいものだと思います。今、「最後の種牛の屠殺(とさつ)」で国と宮崎は戦っていますが、確かに「最後の種牛の屠殺(とさつ)」となれば、宮崎の酪農は完全につぶれて今後立ち直る事はできないかもしれません。それ故、必死なのは見ていても解ります。今、宮崎は生死をかけて戦っているのです。「最後の種牛」は、「最後の砦」なのだと思います。それなのに国の対応はやはり役所仕事の延長にしか見えなくて非常に残念です。科学的な隔離措置などの配慮で残った牛が生き残れるような努力を今の日本ならできるはずなのに・・・。今回の一件は、何より大臣の能力も問われる問題かもしれません。さて、今回はオーストリアからです。実は水害は日本だけでなく、世界のあちこちで起きているようなのです。今月4日に撮影された写真から緊急紹介。オーストリア、ハルシュタット 1 (世界遺産も水害)オーストリア共和国(Republic of Austria)ザルツカンマーグート(Salzkammergut)地方ハルシュタット(Hallstatt)場所的にはザルツブルク州とオーバーエスターライヒ州にまたがっている。ハルシュタットの街は、オーストリア・アルプスの麓の風光明媚な湖水地帯です。この地方、ザルツカンマーグート(Salzkammergut)は、ザルツは「塩」、カンマーグートは「御料地」を意味し、13世紀末よりハプスブルク家の塩の御料地だった場所だそうです。ホーフカンマー(宮廷財務局)の管轄地だった事からこう呼ばれるようになったそうです。町の外れには、古代ローマ以前にまで遡る岩塩坑があるそうです。濁った水が湖に流れ込みちょっと残念。この地方は平均標高が600mで温泉も出る事から王侯貴族の避暑地としても栄え、19世紀にはオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世が毎夏ここで過ごしたと言います。上の写真の中央に小さく見えるのはお城です。「ザルツカンマーグート地方のハルシュタットとダッハシュタインの文化的景観」として、1997年にユネスコ世界遺産に登録もされています。しかし、素敵な景観も連日の雨で湖の水位が上がり船も運航停止。桟橋も浸水してもはや湖との境界が消えてます。駐車場も水浸し、湖畔の建物も水没。右の建物はスーパーマーケット通行禁止ではあるけれど無理に走行している車も結構いるようです。スーパーの前にたむろするのは若者。暇つぶしの見学?通行する車を見守る若者・・・実はここに商売があったのですエンジン・ストップした車を押してチップをもらっているようですたくましいな・・・。つづくリンク オーストリア、ハルシュタット 2 (マルクト広場と塩)
2010年07月15日
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イエローストーン国立公園の全リンク先をラストに追加しました。やはり今回でも終わらなかった・・イエローストーン国立公園の中のアッパー・ガイザー・ベイスン・・・まだ5つのエリア・グループのたった一つなのですが・・・。イエローストーン国立公園 11 (グロット・ガイザー)イエローストーン国立公園(Yellowstone National Park)ガイザー・カントリー(Geyser Country)アッパー・ガイザー・ベイスン(Upper Geyser Basin) Part 6アッパー・ガイザー・ベイスンとファィアーホール周辺グロット・ガイザー(Grotto Geyser)左はロケット・ガイザー(Rocket Geyser)「グロット(Grotto)」・・・洞穴沈殿物が木を埋めてできた形だそうです。埋められた木がいつしか朽ちて無くなり空洞になって穴が開いた?・・・のでしょうたぶん・・・。積み上げられたのは地中からの沈殿物。温泉の中に微量にとけている鉱物が沈殿するのに1cmで40年もかかるらしいです。ではこれは何年ものか?噴出間隔は50分くらいの時もあるけど24時間以上の時もあるようです。高さは通常15フィート(4.5m)くらいだけど40フィート(12m)の時もある・・と下の看板に書いてあります。何よりも形が奇妙なのはこのイエローストーンでは一番のようです。そしてその温泉の噴出の仕方も奇っ怪のようです。(噴出は見てないので・・・)看板の絵を見てね。Grotto Geyserの説明看板穴のあちこちから噴出。モーニング・グローリーに行く手前のガイザー池の中なのか、湧き水がでてるのか? 温泉で池になってしまったのか・・・。ガイザーはこの後モーニング・グローリーですが、今回はここまでブラウントラウトのフィッシングファイアーホール川は清水や間欠泉の流れ込むライムストーン・スプリングクリーク(石灰岩の小川)。すぐそばから温泉が湧き出ているし地熱もあるし、季節ばかりかポイントの水温もかなり違うし、間欠泉をかぶる場合もあるので結構危険?(7、8月は温泉からの水で水温が上がりすぎて釣りにならないと言いますが・・・。)こんな所でわざわざフライ・フィッシングしてるのはかなりの釣りマニアなのでしょうね平均30cm前後のブラウントラウト(茶マス)とレインボートラウト(ニジマス)が生息しているようです。ブラウントラウト(Brown trout)・・・サケ目 サケ科3つのタイプがあり、河川型 と 降湖型 は、一生のほとんどを淡水で回遊するようです。湖沼を主な生活圏とする、降湖型は湖から川に遡上し産卵。流水を生息域とする河川型は産卵の為に遡上するものとしないものとに別れる。海に出るブラウントラウトは降海型で、「シートラウト」と呼ぶようです。ブラウントラウト・・・ウキペディアよりレインボートラウト(Rainbow trout)・・ニジマス一生を淡水で過ごす河川残留型の魚だそうですがまれに降海する個体もいるらしい。原産地は、太平洋東岸(アラスカ、カナダ、アメリカ)なので比較的冷水を好むらしいが22℃程度の水温でも生息は可能らしい。ここのは暖かさに慣れっこなのでしょう。今更寒い所には行けないかも・・・。全長は約40cm程度が一般的。大きいものは60cm~1mに成長。水生昆虫や貝類、甲殻類、他の魚の卵や小魚などを食べる肉食性だそうです。エサとなるトラウトがたくさんいると言う事は・・・クマ注意の看板ここらはしばしば現れます。この看板を移動してはいけません。あなたの安全を保障するものではありません。こんな事が注意書きしてあります。Back numberリンク イエローストーン国立公園 1 (分水嶺とアメリカバイソン)リンク イエローストーン国立公園 2 (5つのエリア)リンク イエローストーン国立公園 3 (ミッドウェイ・ガイザーベイスン)リンク イエローストーン国立公園 4 (グランド・プリズマティック・スプリング)リンク イエローストーン国立公園 5 (ミッドウェイ・ガイザーベイスン景観)リンク イエローストーン国立公園 6 (アッパー・ガイザー・ベイスン)リンク イエローストーン国立公園 7 (ガイザー・ヒル)リンク イエローストーン国立公園 8 (ビーハイブ・ガイザー)リンク イエローストーン国立公園 9 (グランド・ガイザー近辺)リンク イエローストーン国立公園 10 (ジャイアント・ガイザー) イエローストーン国立公園 11 (グロット・ガイザー)リンク イエローストーン国立公園 12 (モーニング・グローリー・プールとキャッスル・ガイザーリンク イエローストーン国立公園 13 (イエローストーン湖)リンク イエローストーン国立公園 14 (ヘイデンバレーとマッドボルケーノ)リンク イエローストーン国立公園 15 (キャニオンの眺め)リンク イエローストーン国立公園 16 (Lower FallsとUpper Falls)リンク イエローストーン国立公園 17 (マンモスホットスプリングス)リンク イエローストーン国立公園 18 (テラスマウンテン)リンク イエローストーン国立公園 19 (ミネルバテラス)リンク イエローストーン国立公園 20 (ウエストサム)リンク イエローストーン グリズリー・ベア(Grizzly bear)イエローストーンは間を開けながら最終的に20までです。グランド・ティートン国立公園1~8リンク グランド・ティートン国立公園 1 (シェーンの世界)リンク ジャクソンホール(Jackson Hole)の幌馬車 1リンク ジャクソンホールの幌馬車 2 (インディアン強制移住法)
2010年07月14日
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イエローストーン国立公園の全リンク先をラストに追加しました。ガイザーを少しはしょろうかと考えましたが、それぞれ個性があるのでなかなか切れないのです。今回と後一回くらいでとりあえず終えて、中休みしたいと思います。イエローストーン国立公園 10 (ジャイアント・ガイザー)イエローストーン国立公園(Yellowstone National Park)ガイザー・カントリー(Geyser Country)アッパー・ガイザー・ベイスン(Upper Geyser Basin) Part 5ビューティープールズ・ベイスン(Beauty Pool's Basin)からトレイルの位置を確認・・・ちょうどトレイルの中程あたり。地図の下の2つのプールから川上にルートを上ります。ビューティー・プールズ・ベイスン(Beauty Pool's Basin)ここに隣合う二つのプール、Beauty PoolとChromatic Poolは実は地下で接続されているそうです。看板には「Hidden Connections」と書いてあり片方のプールが満ちている時には片方は水が少ない・・。つまり一定の水を両者のプールが交互に共有しているシステムのようです。Hidden Connections。Beauty Pool・・・美しい温泉池Chromatic Pool・・・色彩の温泉池ファイアーホール川にかかる橋からジャイアント・ガイザー(Giant Geyser)ベイスンビジュー・ガイザー(Bijou Geyse)ジャイアントに対して小さくて優美? の意味か?ジャイアント・ガイザー(Giant Geyser)火山の火口のような不気味な煙突をしています。コーン型のガイザーが崩れたのでしょうか? その形状からここでも有名なガイザーの一つです。これでもガイザーなので水が吹き出るようです。旅行書のデータによれば3~10日間隔で55~80m上がり60分続くと書いてありますが・・・。不明Bijou Geyse と Giant Geyser の間には見えにくいけど Mastiff Geyser があるのです。しかし、中身の濃いトレイルですリンク イエローストーン国立公園 11 (グロット・ガイザー)Back numberリンク イエローストーン国立公園 1 (分水嶺とアメリカバイソン)リンク イエローストーン国立公園 2 (5つのエリア)リンク イエローストーン国立公園 3 (ミッドウェイ・ガイザーベイスン)リンク イエローストーン国立公園 4 (グランド・プリズマティック・スプリング)リンク イエローストーン国立公園 5 (ミッドウェイ・ガイザーベイスン景観)リンク イエローストーン国立公園 6 (アッパー・ガイザー・ベイスン)リンク イエローストーン国立公園 7 (ガイザー・ヒル)リンク イエローストーン国立公園 8 (ビーハイブ・ガイザー)リンク イエローストーン国立公園 9 (グランド・ガイザー近辺) イエローストーン国立公園 10 (ジャイアント・ガイザー)リンク イエローストーン国立公園 11 (グロット・ガイザー)リンク イエローストーン国立公園 12 (モーニング・グローリー・ブール) リンク イエローストーン国立公園 13 (イエローストーン湖)リンク イエローストーン国立公園 14 (ヘイデンバレーとマッドボルケーノ)リンク イエローストーン国立公園 15 (キャニオンの眺め)リンク イエローストーン国立公園 16 (Lower FallsとUpper Falls)リンク イエローストーン国立公園 17 (マンモスホットスプリングス)リンク イエローストーン国立公園 18 (テラスマウンテン)リンク イエローストーン国立公園 19 (ミネルバテラス)リンク イエローストーン国立公園 20 (ウエストサム)リンク イエローストーン グリズリー・ベア(Grizzly bear)イエローストーンは間を開けながら最終的に20までです。
2010年07月13日
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イエローストーン国立公園の全リンク先をラストに追加しました。イエローストーンに戻ってきました。それにしてもあまりにカイザーが多いので、少し巻きでサクサク行きたいと思いますイエローストーン国立公園 9 (グランド・ガイザー近辺)イエローストーン国立公園(Yellowstone National Park)ガイザー・カントリー(Geyser Country)アッパー・ガイザー・ベイスン(Upper Geyser Basin) Part 4 トレイルガイザーの点在する丘をぬうようにファィアーホール川が右へ左へと流れています。今回はガイザー・ヒルを越えて少し歩いたグランド・ガイザーの近辺です。残念ながらグランド・ガイザーの噴出の写真はありませんが・・。Depressing Geyser丘の上に見えるのがキャッスル・ガイザー(Castle Geyser)イエローストーン最古と言われるキャッスル・ガイザー(Castle Geyser)の下にあるのがTortoiseshell Spring べっ甲池? とcrested pool 紋章の池? どっちだろ?スッポンの形なんだけどね地図にものらないような小さなスプリングもあちこちに・・。しかも不思議なのは緑の芝の中に突然湧いている事です。たぶん Spasmodic GeyserSpasmodic は「突発的な」を意味する。間欠泉としては一般的なかたちかも・・。ちょうど来ましたグランド・ガイザー(Grand Geyser)泥の穴の向側にグランド・ガイザー(Grand Geyser)があるのですが、噴出していないのでわかりにくいですがイエローストーンでは有名なガイザーの一つです。(ボードウォークは写真の後方左奥に続いています。)あまり水たまりもないし、盛り上がりもない・・しかも遠いので噴出口は見えません。グランド・ガイザーの噴出間隔は7~15時間で、噴出の高さは30mから60mなのでボードウォークから離れているのかもしれません。見れなくて残念。グランド・ガイザーの先の森林地帯にもまたまた幾つものスプリングです。つづくリンク イエローストーン国立公園 10 (ジャイアント・ガイザー)Back numberリンク イエローストーン国立公園 1 (分水嶺とアメリカバイソン)リンク イエローストーン国立公園 2 (5つのエリア)リンク イエローストーン国立公園 3 (ミッドウェイ・ガイザーベイスン)リンク イエローストーン国立公園 4 (グランド・プリズマティック・スプリング)リンク イエローストーン国立公園 5 (ミッドウェイ・ガイザーベイスン景観)リンク イエローストーン国立公園 6 (アッパー・ガイザー・ベイスン)リンク イエローストーン国立公園 7 (ガイザー・ヒル)リンク イエローストーン国立公園 8 (ビーハイブ・ガイザー) イエローストーン国立公園 9 (グランド・ガイザー近辺)リンク イエローストーン国立公園 10 (ジャイアント・ガイザー)リンク イエローストーン国立公園 11 (グロット・ガイザー)リンク イエローストーン国立公園 12 (モーニング・グローリー・ブール) リンク イエローストーン国立公園 13 (イエローストーン湖)リンク イエローストーン国立公園 14 (ヘイデンバレーとマッドボルケーノ)リンク イエローストーン国立公園 15 (キャニオンの眺め)リンク イエローストーン国立公園 16 (Lower FallsとUpper Falls)リンク イエローストーン国立公園 17 (マンモスホットスプリングス)リンク イエローストーン国立公園 18 (テラスマウンテン)リンク イエローストーン国立公園 19 (ミネルバテラス)リンク イエローストーン国立公園 20 (ウエストサム)リンク イエローストーン グリズリー・ベア(Grizzly bear)イエローストーンは間を開けながら最終的に20までです。
2010年07月12日
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Break Time (一休み)1回で収まらなかったので今回もカンヌです。選挙の開票速報を見ながらの書き込みです。かつて2回程選挙活動のお手伝いをした事がありますが、選挙は直接応援に関わると、実はとても面白い(ハマル)ものなのです。お祭りに近い感覚かもしれません。「戦って勝つ」と言う同じ目標に向かうので「同士」と言う特殊な連帯感が生まれますし、自分も出馬した候補者のような気持ちになって選挙に参加しているからです。それだけに落選した時は候補者と同じくらい落ち込むのですが・・・。フランス、カンヌ(France Cannes) Part 2カンヌ国際映画祭の会場 パレ・デ・フェスティバル・エ・デ・コングレ映画祭のない時期はコンベンションセンターとしていろいろイベントへの貸し出しをしています。(この建物の裏手の方にカジノも入っています。)カンヌ国際映画祭(Festival International du Film de Cannes)ベルリン国際映画祭、ヴェネチア国際映画祭と併せて世界三大映画祭の一つに数えられています。1946年からフランス政府の主催により毎年5月に開催。最高賞(グランプリ)はパルム・ドール(Palme d'Or)と呼ばれる「黄金のシュロ」がモチーフ。過去の日本人受賞者1980年に黒澤明 監督の「影武者」1983年に今村昌平 監督の「楢山節考」1997年に今村昌平 監督の「うなぎ」2004年に「誰も知らない」で柳楽優弥 君が「カンヌ国際映画祭 男優賞」を受賞して話題になりましたね。ホール周辺の広場の石畳にはスターの手形がはめ込まれています。日本映画の巨匠 黒澤 明 監督の手形ハリウッド女優のシャロン・ストーン(Sharon Stone)の手形フランスの俳優 ジャンポール・ベルモンド(Jean-Paul Belmondo)の手形国際映画祭の会場のあるカンヌの西には小高い丘(シュヴァリエ山)があり、このあたりは中世の建物が残る旧市街.ル・シュケ(Le Suquet)と旧港があります。5月下旬から9月にかけて日中25℃以下になる事はないと言う。ヨットハーバーもともとはカンヌは田舎の漁村。カンヌは19世紀に貴族の別荘などが建てられてからセレブの街として浮上してきましたが、映画祭以外取り立てて、特に観光するような所もありません。時間があれば、強いて船に乗ってサント・マルグリット島とサントノーラ島に観光に行くのがよいでしょう。レラン諸島(Iles de Lerains )・・・写真はありません。カンヌから船で15分くらいの所にサント・マルグリット島とサントノーラ島を含むレラン諸島があります。古代ローマの時代よりこちらの方が戦略的にも地中海の要所とされ、7世紀~10世紀にはサラセン人が支配し、近年イギリスとスペインも侵略地として攻撃してきた諸島です。(島行きの船は一日に7~8本この近くから定期船が出ているようです。)サント・マルグリット島(Ile Ste-Marguerite)レオナルド・ディカプリオ主演の「仮面の男」の鉄仮面が幽閉されていた島でルイ14世の命で建てられたらしい牢獄の城塞跡があり独房も公開されつつ今は海洋博物館に。東西3km南北0.95kmの城塞と緑の島。サントノーラ島(Ile St-Honorat)東西1.5km南北0.4km。4世紀にシトー派の修道院が建てられて発展。島には7つの教会とレラン大修道院が島の南にあり、さらにその先に海賊から修道僧を護る為に建てられた要塞修道院があるようです。巡礼者が昔から立ち寄る島だったとか・・。旧港丘の左に12世紀に砦として建設された建物を利用したカストル博物館があります。(カンヌ・プロヴァンス出身の画家の絵画などが展示。)右は16世紀~17世紀に建造されたノートルダム・デスペランス教会があります。マジェスティック・バリエール(Majestic Barriere)のプライベート・ビーチここはホテルのプライベート・ビーチ。椅子やパラソルが並べられたセレブの空間。かたや向側は一般の大衆ビーチ。ハワイのビーチとは何かが違う・・・。そう、アメリカでは個(例えペアでも個別に寝ている)でビーチに寝転ぶけどここでは友人同士、カップルがベッタリより沿っている所が違うのかもしれない。さて、もっと時間があるならここを拠点にニースやモナコ、マントンの美術館に足を運んでも良いかも・・。電車は本数あるので日帰り楽勝です。
2010年07月11日
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長くなっているイエローストーン国立公園。ガイザーばかりで少し飽きてしまいました。で、今回は少し気晴らしに海に行ってみました。季節もちょうど今時分Break Time (一休み)フランス、カンヌ(France Cannes)クロワゼット海岸(Plage de la Croisette)フランス南東部の、地中海に面するコート・ダジュール(紺碧海岸)にある高級リゾート地。意外にもリゾート地となったのは19世紀初頭からだそうです。現在は毎年5月のカンヌ国際映画祭の開催地として有名ですね。海岸線の目抜き通りはラ・クロワゼット通り著名人や映画俳優が宿泊する高級ホテルや高級レストラン、ブティックが並ぶんでいる。ホテル前はプライベート・ビーチでその他は一般海水浴場に。インターコンチネンタル・カールトン・カンヌ(InterContinental Carlton Cannes)1964年以来行われているカンヌ映画祭に出席するのセレブの常宿だそうです。1954年には、ケーリー・グランドとグレース・ケリーの出演した「泥棒成金」(To Catch a Thief)(1955年公開)の舞台に。この時モナコの皇太子に見初められてグレース・ケリーはモナコの皇太子妃になるのです。以降数々の映画でこのホテルは使われた絵になるホテルなのです。最上階に7つの特別スイートがありショーン・コネリー、ソフィー・マルソー、ソフィア・ローレン、アラン・ドロンなどの著名映画スターの名前が付いていると言う。ハワイとは雰囲気が違う。ちょっと日本人には馴染みにくいかも・・・。会場はハーバーにとても近い。ホテル マジェスティック・バリエール(Majestic Barriere)カールトン、マルティネーズと並ぶカンヌを代表する大型デラックスホテル。創業は1920年代頃(はっきりしたデータがない)。80%の部屋が海に面したエレガントなホテルはカンヌ国際映画祭の会場のすぐ近くなので俳優さんや映画関係者も宿泊。ホテル・マジェスティック・バリエールの水上カフェ海から船でカフェに来る人も・・。やっぱりセレブの街・・・。カンヌ国際映画祭の会場は後編につづく
2010年07月10日
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イエローストーン国立公園の全リンク先をラストに追加しました。世界の気候も日本の気候もおかしいですね。東京都心部はヒートアイランド現象による一部だけの集中豪雨がよくあったりするので近隣でもかなり天気に差があります。電車に乗って行った先の天気に予測が付かない状態です。よく高層ビルの住人が、地上に降りた時に雨だった・・と言う話は聞きますが、地下鉄利用の場合は特にそうです。最近の怪しい気象を考えると、晴れていても疑って、豪雨にあっても良いような対策を考えて外出しています。(油断は禁物・・・しかもこの時期オシャレは無駄になる・・・)さて、まだしばらく続くイエローストーン国立公園。まだアッパー・カイザーだけでもかなりあります。たいていの人は写真何枚か載せて終わっていますが、行った事がない人が行った気になるようにたくさん写真を載せたいと思います。イエローストーン国立公園 8 (ビーハイブ・ガイザー)イエローストーン国立公園(Yellowstone National Park)ガイザー・カントリー(Geyser Country)アッパー・ガイザー・ベイスン(Upper Geyser Basin) Part 3 トレイルビーハイブ・ガイザー(beehive Geyse)今回も紹介しているのはガイザー・ヒルからです。(ピンクの円のあたり)ロッジ周辺ガイザー・ヒルの方からロッジ方面を撮影。上の地図には載っていない温泉などもあちこちからわき出している。前方の丘からも湯気が・・・。ビーハイブ・ガイザー(beehive Geyse)beehive・・・蜂の巣古い蜂の巣を思いおこすような円錐形の間欠泉で、典型的なコーン・ガイザーです。コーン・ガイザーについては下方の用語説明で・・。この間欠泉の仕組みなどについての看板が立っていました。看板によれば、この間欠泉は10時間~5日くらいの間隔の中で噴出するようです。噴出している所を滅多に見ることはできない間欠泉です。だから看板に写真があるのかも・・・。コーンの高さは5フィート、152.4cm。噴出の高さは200フィート、60.96m。噴出時間は5分。間欠泉の仕組みには「空洞説」「垂直管説」などがあるようですが、看板によればここのは」「垂直管説」のようです。垂直管説地下水が地熱で熱せられて高温になり下層部が沸点に達する。しかし、高圧で気化できない水蒸気の泡が垂直の噴出管内を上昇して上に溜まった水を地上に噴出。その後管内の水圧が低下すると、下層部の沸点が下がるので一気に沸騰して激しい噴出に至るシステムのようです。用語説明火山性の温水等が地上へ噴出する様で、温泉が仕分けされています。温泉(Hot Spring 、Spa)地中から湯が湧き出す現象で、広義には間欠泉も含まれる。(日本では温泉法で「泉源における水温が摂氏25度以上」あるいは、定められた成分を有しているか・・で決められています。)ここでは水が溜まって温水プールになっているものを指す事が多いようです。間欠泉(Geyser)一定周期で水蒸気や熱湯を噴出する温泉穴。世界に300と言われる間欠泉のうちイエローストーンには大小200以上の間欠泉が存在。噴出口の形態からコーン・ガイザー(Cone Geyser)・・・噴出口に円錐状の沈殿物があるタイプ。ファウンテン・ガイザー(Fountain Geyser)・・・噴出口が池の中のタイプ。噴気孔(Fumarole)火山活動およびそれに伴う熱水活動によってガスが噴出する穴。溶岩等が出る穴は火口。マッドポッド(Mud Pot)熱水と共に泥や不溶性の鉱物が混じって地上に噴出している穴。下の写真はまさしくマッドポッド(Mud Pot)です。良く見れば向側にも穴が・・・。プラム・ガイザー? かも・・。つづくイエローストーン国立公園 9 (グランド・ガイザー近辺)Back numberリンク イエローストーン国立公園 1 (分水嶺とアメリカバイソン)リンク イエローストーン国立公園 2 (5つのエリア)リンク イエローストーン国立公園 3 (ミッドウェイ・ガイザーベイスン)リンク イエローストーン国立公園 4 (グランド・プリズマティック・スプリング)リンク イエローストーン国立公園 5 (ミッドウェイ・ガイザーベイスン景観)リンク イエローストーン国立公園 6 (アッパー・ガイザー・ベイスン)リンク イエローストーン国立公園 7 (ガイザー・ヒル) イエローストーン国立公園 8 (ビーハイブ・ガイザー)リンク イエローストーン国立公園 9 (グランド・ガイザー近辺)リンク イエローストーン国立公園 10 (ジャイアント・ガイザー)リンク イエローストーン国立公園 11 (グロット・ガイザー)リンク イエローストーン国立公園 12 (モーニング・グローリー・ブール) リンク イエローストーン国立公園 13 (イエローストーン湖)リンク イエローストーン国立公園 14 (ヘイデンバレーとマッドボルケーノ)リンク イエローストーン国立公園 15 (キャニオンの眺め)リンク イエローストーン国立公園 16 (Lower FallsとUpper Falls)リンク イエローストーン国立公園 17 (マンモスホットスプリングス)リンク イエローストーン国立公園 18 (テラスマウンテン)リンク イエローストーン国立公園 19 (ミネルバテラス)リンク イエローストーン国立公園 20 (ウエストサム)リンク イエローストーン グリズリー・ベア(Grizzly bear)イエローストーンは間を開けながら最終的に20までです。
2010年07月09日
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イエローストーン国立公園の全リンク先をラストに追加しました。イエローストーン国立公園の番外編ここでも今や滅多にお目にかかれない貴重な動物ですイエローストーン グリズリー・ベア(Grizzly bear)グリズリー・ベア(Grizzly bear)英名でグリズリーは、ヒグマの一亜種で和名では灰色熊(ハイイログマ)と呼ぶようです。学名の(Ursus arctos horribilis」の「horribilis」は恐ろしいもの, すごいもの・・の意味があるようです。生息かつては北アメリカ大陸西部に幅広く生息していたようですが、白人の西部開拓に伴い、生息領域を追われ駆除されたり、見せ物として捕らえられたり・・と開拓の歴史と共に個体数は減少して絶滅しかかった種です。現在はアラスカ、アメリカ北西部、カナダ西部に生息。現在イエローストーン国立公園に関しては2007年3月絶滅危惧種の指定解除されていますが、国立公園と言えど観光客との接触や交通事故により、なかなか生き抜くのも大変なようです。体長約250cmくらい、体重約300kg~400kgくらいまでなるクマ科でも大型のクマです。映画グリズリーに主演したTeddyの体重は630kg、直立した時の高さ3mもあったそうです。食性は雑食でヘラジカ、トナカイ、アメリカアカシカ、サケ、マス、バス、松の実やガなども食べるそうでオオカミから獲物を横取りする事もあるそうです。ちょっとブラッシングしてあげたい毛並みです映画グリズリー1976年発表のアメリカ映画「グリズリー」はアニマル・パニック映画で「国立公園に出現した巨大なグリズリーが観光客を襲うので退治する・・」と言う酷い物です。ジョーズの二番煎じを狙ったアニマル・ホラー・ブームに乗ったもので、これで「恐ろしいクマ」の悪印象が付いてしまったようです。クマがそこそこ危険なのは確かですが・・。このような映画は動物愛護団体がうるさい現在のアメリカでは撮影できないのでは? 開拓時代の農家にとっては邪魔で危険な猛獣だったようですが・・カワイイじゃないですか季節は7月、いっぱい食べて冬を越さないといけませんね。ついでにグランドティートン国立公園のジェニー・レイク(Jenny Lake)の売店にあった面白い物を紹介。グリズリー・バー(Grizzly Bar)最初は公園内でクマに与えるクマ・フードかと思いました。グリズリー・バー(Grizzly Bar)は人間が食べるエナジー・バー(Enrgy Bar)で、カロリー・メイトのような物みたいです。まさか・・・グリズリー・ベア(Grizzly bear)→ Grizzly Bar を英語でダジャレしたのだろうか???Back numberリンク イエローストーン国立公園 1 (分水嶺とアメリカバイソン)リンク イエローストーン国立公園 2 (5つのエリア)リンク イエローストーン国立公園 3 (ミッドウェイ・ガイザーベイスン)リンク イエローストーン国立公園 4 (グランド・プリズマティック・スプリング)リンク イエローストーン国立公園 5 (ミッドウェイ・ガイザーベイスン景観)リンク イエローストーン国立公園 6 (アッパー・ガイザー・ベイスン)リンク イエローストーン国立公園 7 (ガイザー・ヒル)リンク イエローストーン国立公園 8 (ビーハイブ・ガイザー)リンク イエローストーン国立公園 9 (グランド・ガイザー近辺)リンク イエローストーン国立公園 10 (ジャイアント・ガイザー)リンク イエローストーン国立公園 11 (グロット・ガイザー)リンク イエローストーン国立公園 12 (モーニング・グローリー・ブール) リンク イエローストーン国立公園 13 (イエローストーン湖)リンク イエローストーン国立公園 14 (ヘイデンバレーとマッドボルケーノ)リンク イエローストーン国立公園 15 (キャニオンの眺め)リンク イエローストーン国立公園 16 (Lower FallsとUpper Falls)リンク イエローストーン国立公園 17 (マンモスホットスプリングス)リンク イエローストーン国立公園 18 (テラスマウンテン)リンク イエローストーン国立公園 19 (ミネルバテラス)リンク イエローストーン国立公園 20 (ウエストサム)イエローストーンは間を開けながら最終的に20までです。
2010年07月08日
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イエローストーン国立公園\の全リンク先をラストに追加しました。イエローストーン国立公園 7 (ガイザー・ヒル)イエローストーン国立公園(Yellowstone National Park)ガイザー・カントリー(Geyser Country)イエローストーンの間欠泉(Geyser)アッパー・ガイザー・ベイスン(Upper Geyser Basin) Part 2 トレイル前回紹介したオールド・フェイスフル・ガイザーに追加フェィスフル(Faithful)は「忠実な・・」とか「誠実な・・」」の意味があります。時間にきっちりしている古くからある間欠泉・・と言う意味なのでしょう。湯量は40000リットル、このあたりは標高2245mなので水温は93℃で沸騰。ガイザーの噴出温度は96℃とか・・。オールド・フェイスフル・ガイザー(Old Faithful Geyser) 反対側から撮影噴出時間の長さ2分30秒の時は次の噴出はおよそ65分後で、2分30秒を越えて噴出した時は90分くらい先になると計算できるそうです。(当然真夜中でもほぼ規則的に噴出は続きます。)前回の Chinese Spring からSpringだから温泉なんですね。煮えたぎった湯は川に流れ落ちています。まわりは石が焼けて白いのか? バクテリアか? 石灰分か? よくわかりません。オレンジはバクテリア観光客はボードウォークの上しか歩けません。あちこち高温の温泉の穴があるので危険地帯なのです。温泉はファイアホール(firehole)川に・・・この川は絶えずあったかそうです。イエローストーンの間欠泉(Geyser)イエローストーンに降った雨や雪はおよそ500年かけて地下深く浸透。地下3000mを越えると地熱は260℃以上となり水は熱せられて高温に・・。しかし、高圧すぎて気化できず、それが岩盤の割れ目をつたって出口を求めて地上に噴出。これが熱水現象である間欠泉(Geyser)の正体です。Blue Star Springアッパー・ガイザー・ベイスン(Upper Geyser Basin) Part 2 トレイルオールド・フェイスフル・ガイザー(Old Faithful Geyser)のあるビジター・センターからリバー沿いにトレイルがあり、ガイザー・ベイスンと呼ばれる熱水エリアを回ります。ちっとよそを向くと温泉地とは思えない自然が見えます。奥に見える丘からは温泉の湯煙がモクモク・・・。リス(squirrel)・・種は不明。ネズミ目リス科には、シマリス、プレーリードッグ、マーモットなど、49属254種が含まれるそうで、モモンガやムササビもリスの仲間だそうです。リスは、樹上生活するタイプと地上生活するタイプのジリスと大きく二つに分けられる。ハイイロリスは樹上性のリス。地上生活するジリスはプレーリードックのように草原や砂地などに巣穴を掘り生活するそうです。食性は食性は草食性の強い雑食だそうで種子、果実、キノコ、小動物を食べて生息。つづくリンク イエローストーン国立公園 8 (ビーハイブ・ガイザー)Back numberリンク イエローストーン国立公園 1 (分水嶺とアメリカバイソン)リンク イエローストーン国立公園 2 (5つのエリア)リンク イエローストーン国立公園 3 (ミッドウェイ・ガイザーベイスン)リンク イエローストーン国立公園 4 (グランド・プリズマティック・スプリング)リンク イエローストーン国立公園 5 (ミッドウェイ・ガイザーベイスン景観)リンク イエローストーン国立公園 6 (アッパー・ガイザー・ベイスン) イエローストーン国立公園 7 (ガイザー・ヒル)リンク イエローストーン国立公園 8 (ビーハイブ・ガイザー)リンク イエローストーン国立公園 9 (グランド・ガイザー近辺)リンク イエローストーン国立公園 10 (ジャイアント・ガイザー)リンク イエローストーン国立公園 11 (グロット・ガイザー)リンク イエローストーン国立公園 12 (モーニング・グローリー・ブール) リンク イエローストーン国立公園 13 (イエローストーン湖)リンク イエローストーン国立公園 14 (ヘイデンバレーとマッドボルケーノ)リンク イエローストーン国立公園 15 (キャニオンの眺め)リンク イエローストーン国立公園 16 (Lower FallsとUpper Falls)リンク イエローストーン国立公園 17 (マンモスホットスプリングス)リンク イエローストーン国立公園 18 (テラスマウンテン)リンク イエローストーン国立公園 19 (ミネルバテラス)リンク イエローストーン国立公園 20 (ウエストサム)リンク イエローストーン グリズリー・ベア(Grizzly bear)イエローストーンは間を開けながら最終的に20までです。
2010年07月07日
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イエローストーン国立公園の全リンク先をラストに追加しました。イエローストーン国立公園 6 (アッパー・ガイザー・ベイスン)イエローストーン国立公園(Yellowstone National Park)ガイザー・カントリー(Geyser Country)アッパー・ガイザー・ベイスン(Upper Geyser Basin) Part 1オールド・フェイスフル・ガイザー(Old Faithful Geyser)イエローストーン国立公園の景観では最も人の集まるガイザー(間欠泉)は噴出する湯の高さが高いのと、時間通りに頻繁に噴出する為に観光客が良く集まっています。エリア内を走るロードマップを再び・・・。ビジター・センター(Visitor Center)のロッジ周辺はガイザーの密集地でもあります。ガイザーを見ながらのトレイルが7本あり、トレイルは温泉めぐりトレイルとなっています。前回のミッドウェイとは数と規模が全然違います。赤い点が温泉の噴き出し口地図の下(南)がビジター・センターで、その前にオールド・フェイスフル・ガイザーがあります。ビジター・センターのロッジガイザーはロッジの向こう側ビジター・センターの前でガイザー(間欠泉)の噴出を待つ人達。ここの間欠泉は園内最大の50m前後の高さまで達する間欠泉で、目玉の一つです。また、噴出する間隔が65分から90分程度と比較的短く、時間の予測が付くので、観光客は時間調整して見に来る事ができるのです。オールド・フェイスフル・ガイザー(Old Faithful Geyser)120年間、ほとんど規則正しく噴出することで有名らしい。普通、規模の大きな間欠泉ほど湯量が溜まるのに時間がかかるので、噴出の間隔が長くかかるのだそうです。ガイザー(間欠泉)の中には年に数回しか出ないものもあるらしい。巨大火山の上を歩くイエローストーンの地域自体が火山だった・・と前にも紹介していますが、東京都の約四倍近い面積8983.49km²のこのイエローストーンも過去に存在した巨大火山のほんの一部分だそうです。太古の巨大火山の噴火エネルギーは200万年前の大噴火のケースで考えると、ワシントン州にあるセント・ヘレンズ山(Mount St. Helens)(1980年に噴火)の1500倍の規模だったと言われています。(火山灰はメキシコまで覆ったそうです。再び爆発すれば地球環境が大きく変わる。)ロッキー山脈は環太平洋火山帯(環太平洋造山帯)です。つまり太平洋プレートと北米プレートのぶつかり合いによって形成された山脈であり、火山帯なので北米大陸の中でも当然地殻活動は最も活発な場所なのです。その中でもイエローストーンは「ロッキー山脈の火薬樽」と言われるように爆薬庫のような場所となっているようです。活発なマグマは高温の温泉を絶えず吹き出し、当然火山性の地震も結構あるようです。そんな活発な火山のクレーターの中を歩く・・のがここのトレッキングと言えます。ガイザー・ヒル(Geyser hill)丘の向こうにファイアホール(firehole)川があり、その向こうの丘がガイザー・ヒル。ガイザー・ヒルは文字通り、温泉があちこちからわき出している丘です。普通にわき出しているのではない所が凄い・・・お湯がポコポコ? ゴホゴボ? 出ているガイザー。丘の上に小山が盛られているように見えるのもガイザーです。これからいろいろなガイザーを紹介Chinese Springぐつくづ煮えているまさしく火口のようなガイザー。つづくリンク イエローストーン国立公園 7 (ガイザー・ヒル)Back numberリンク イエローストーン国立公園 1 (分水嶺とアメリカバイソン)リンク イエローストーン国立公園 2 (5つのエリア)リンク イエローストーン国立公園 3 (ミッドウェイ・ガイザーベイスン)リンク イエローストーン国立公園 4 (グランド・プリズマティック・スプリング)リンク イエローストーン国立公園 5 (ミッドウェイ・ガイザーベイスン景観) イエローストーン国立公園 6 (アッパー・ガイザー・ベイスン)リンク イエローストーン国立公園 7 (ガイザー・ヒル)リンク イエローストーン国立公園 8 (ビーハイブ・ガイザー)リンク イエローストーン国立公園 9 (グランド・ガイザー近辺)リンク イエローストーン国立公園 10 (ジャイアント・ガイザー)リンク イエローストーン国立公園 11 (グロット・ガイザー)リンク イエローストーン国立公園 12 (モーニング・グローリー・ブール) リンク イエローストーン国立公園 13 (イエローストーン湖)リンク イエローストーン国立公園 14 (ヘイデンバレーとマッドボルケーノ)リンク イエローストーン国立公園 15 (キャニオンの眺め)リンク イエローストーン国立公園 16 (Lower FallsとUpper Falls)リンク イエローストーン国立公園 17 (マンモスホットスプリングス)リンク イエローストーン国立公園 18 (テラスマウンテン)リンク イエローストーン国立公園 19 (ミネルバテラス)リンク イエローストーン国立公園 20 (ウエストサム)リンク イエローストーン グリズリー・ベア(Grizzly bear)イエローストーンは間を開けながら最終的に20までです。
2010年07月06日
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イエローストーン国立公園の全リンク先をラストに追加しました。今回は、ミッドウェイ・ガイザーベイスン全体の景観の写真でおわります。イエローストーン国立公園 5 (ミッドウェイ・ガイザーベイスン景観)イエローストーン国立公園(Yellowstone National Park)ガイザー・カントリー(Geyser Country)ミッドウェイ・ガイザーベイスン(Midway Geyser Basin)オパール・プールとターコイズ・プール煙の向こうがグランド・プリズマティック・スプリングの見学入り口反対側の丘の上からの撮影・・全体はこんな場所こうして見るとカルデラの内部にも見えますが、火口のクレーターではないようです。ヴォードウォークがカバーしているのは入り口側の半面早朝は水蒸気が多くて水面の写真が撮影しにくいようです。入り口のエクセシオール・ガイザーだけは常に水蒸気でいっぱいですが・・。駐車場からすぐなのでアクセスは良いです。オパール・プール(Opal Pool)グランド・プリズマティック・スプリンのそばには小さな池があります。色の変色がないので温度が高いのか? 酸化するバクテリアがいないのか?アザミのような花ターコイズ・プール(Turquoise Pool)リンドウ極地や高山、砂浜など世界中に分布。環境の厳しいところにも自生すると言う。イエローストーンでは5月から9月ごろまで、鮮やかな野生の花が咲くそうです。(写真は7月)高山湖や川、たくさんの種類の間欠泉や温泉池等を有するイエローストーンは温泉と動物の宝庫です。次回はアッパー・ガイザー・ベイスンの間欠泉から・・動物も合間にいれますねリンク イエローストーン国立公園 6 (アッパー・ガイザー・ベイスン)Back numberリンク イエローストーン国立公園 1 (分水嶺とアメリカバイソン)リンク イエローストーン国立公園 2 (5つのエリア)リンク イエローストーン国立公園 3 (ミッドウェイ・ガイザーベイスン)リンク イエローストーン国立公園 4 (グランド・プリズマティック・スプリング) イエローストーン国立公園 5 (ミッドウェイ・ガイザーベイスン景観)リンク イエローストーン国立公園 6 (アッパー・ガイザー・ベイスン)リンク イエローストーン国立公園 7 (ガイザー・ヒル)リンク イエローストーン国立公園 8 (ビーハイブ・ガイザー)リンク イエローストーン国立公園 9 (グランド・ガイザー近辺)リンク イエローストーン国立公園 10 (ジャイアント・ガイザー)リンク イエローストーン国立公園 11 (グロット・ガイザー)リンク イエローストーン国立公園 12 (モーニング・グローリー・ブール) リンク イエローストーン国立公園 13 (イエローストーン湖)リンク イエローストーン国立公園 14 (ヘイデンバレーとマッドボルケーノ)リンク イエローストーン国立公園 15 (キャニオンの眺め)リンク イエローストーン国立公園 16 (Lower FallsとUpper Falls)リンク イエローストーン国立公園 17 (マンモスホットスプリングス)リンク イエローストーン国立公園 18 (テラスマウンテン)リンク イエローストーン国立公園 19 (ミネルバテラス)リンク イエローストーン国立公園 20 (ウエストサム)リンク イエローストーン グリズリー・ベア(Grizzly bear)イエローストーンは間を開けながら最終的に20までです。
2010年07月05日
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ドル札の裏側やアメリカの国章の裏に描かれている奇妙な絵の正体は?神眼・・・プロビデンスの眼アメリカのお札や国章に刻まれたプロビデンスの眼キリスト教におけるプロビデンスの眼キリスト教のシンボル神眼・・・プロビデンスの眼(Eye of Providence)プロビデンスの言葉は、ラテン語の providentiaから由来し、「Divine Providence」で神の摂理を意味するそうです。さて、その図形は本来それはキリスト教の象徴の図の一つで、眼は「神の眼」を示し、正三角形は「三位一体」を示すものです。アメリカのお札や国章に刻まれたプロビデンスの眼1ドル札 ↑拡大アメリカ合衆国の国章の裏側の図ウキペディアより借りた絵ですラテン語で描かれた文字はNovus ordo seclorum「この時代の新しい秩序 (a new order of the ages)」(ヴェルギリウスの言葉だそうです)Annuit cœptis「(神は我々の) 意図をお認めになった (approved of undertakings)」M DCC LXX VI (ローマ数字で 1776)アメリカの独立年、1776年を示している。アメリカで使われるプロビデンスは米国へ移民したピルグリム・ファーザーズによる「神の摂理」が本意にあるようです。「道徳と信仰に反する奴隷状態」は神の摂理に反する・・。つまり、1776年にアメリカは「神の摂理(Divine Providence)」により、自由を勝ち取った・・。全知全能の神は建国を認めた・・と同時に見守ってくれる・・と言う意図がアメリカの図にはあるようです。キリスト教におけるプロビデンスの眼基本的には、眼と三角は別だったのです。決してピラミッドではなかった。最初に正三角形の中に眼が描かれたのは16世紀後半の宗教絵画の中一説にはこの眼がそもそもエジプト神話のホルスの眼に由来していると言う。象徴図・・・・眼は「神の眼」神のシンボルともなったこの眼については、聖書の中でいろいろ語られた中から解釈されています。また、聖書には盲人が神によって癒され眼が見えるようになる話しが多いのです。旧約聖書 箴言(しんげん)22:12「主の眼は知識を守り、欺きの言葉を滅ぼす。」新約聖書 マタイ6:22 ルカ11:34~36「体の灯は眼である。眼が澄んでいればあなたの全身は明るいが、濁っていれば全身が暗い。だからあなたの中にある光が消えれば、その暗さはどれほとであろう。」新約聖書 ペトロの手紙3:12「主の眼は正しい者に注がれ、主の耳は彼らの祈りに傾けられる。主の顔は悪事を働く者に対して向けられる。」全てを完全に見抜く眼と完全に知る知識を示す。象徴図・・・・正三角形三つの等しい辺が一つになる事から正三角は三位一体の象徴とされ父と子と聖霊を表している。中世以降に正三角の中の眼が共に三位一体を表し、神の無限の聖性を表すようになったようです。フリーメイソンの象徴?もともとフリーメイソンは石工職人のマイスターの集まりです。つまり本来は中世に教会建築に携わった石工職人のギルド(職業別組合)でを指しています。free (自由、ただ、免除)とmason(石工) 合わせて「フリーな石工」。では「フリーな石工」とは何か? 当時の人々は、自分の国から外に出る事はなかなかできません。石工職人は国境をまたいでの大聖堂建築という重責な任を負っていたので、仕事による国替えは可能だったのです。加えて、国境の通過や税の免除などの特別待遇が与えられていたそうです。普通のギルドにはない、特別の待遇。それがfree (自由)とと言う意味なのです。なぜ秘密結社と呼ばれるようになったのか? については今回は触れずにプロビデンスの眼だけ考察。※ フリーメイソンについては2013年9月「2013.9 クイズ 解答編 秘密結社? フリーメイソン」の中で詳しく説明しています。リンク 2013.9 クイズこのロゴは何? 解答編 秘密結社? フリーメイソン石工職人には技量による階位がありました。グランド・マスターマスター(親方)フェロー・クラフト(職人)エンタード・アプレンティス(徒弟)すべての石工の上に君臨するグランド・マスターはあらゆる方面に精通し、深い造詣を持ったプロデューサーでもあり、下の者を監視する役目があったわけです。グランド・マスターは、神の眼のごとく「全てを見通す。監視する。」3つの階位マスター、フェロー・クラフト、エンタード・アプレンティスを三位一体に例えてフリーメイソンのシンボル的に使ったのではないでしょうか・・。正三角がピラミッドになった謎はまだ残りますが、キリスト教のシンボル三位一体図は、「神の眼」と言う、本筋では一致していながら、実はその神の部分の解釈のとらえ方、使われ方がそれぞれ異なっているようです。
2010年07月03日
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お金シリーズのBack numberをラストに追加しました。Break Time (一休み)完成まじかに睡魔でダウン。載せる前のチェックができなかった・・・疲れが溜まりすぎていたようです。恥ずかしながら12時間も寝てしまいました起きたら体が痛い事・・。寝過ぎも良く無いのね・・。今回はイエローストーンではなく、思いつきでドル札の紹介です。昨夜テレビで池上彰 先生が世界のお札の話をしていました。米ドルの下りは最後しか聞けなかったのですが、たまたま昨日両替してきたドル札があったので今回はそれを紹介します。いずれ他のお札も紹介できたら・・とお札シリーズ1回目にしました。お札シリーズ 1 (アメリカ合衆国ドル・・ドルの札束)アメリカ合衆国ドル(United States Doller)アメリカだけでなく、国際決済通貨や基軸通貨として世界中で利用されている通貨です。今更米ドル札なんか? と思う方は多いと思うのですが、今回滅多にお目にかかれないものがあるのです札束の帯封です。表 帯封の中のシリアル・ナンバーがつながっている旨が記載されています。裏。赤い印は日本の担当者の印です。一万ドルの札束ですしかも新札です。100万円の札束より薄くて・・まるで人生ゲームのお金のようです。金曜の銀行の交換レートが90.69円(キャッシュ買い)だったので10000ドルで906900円です。1000000円で今や11000ドル交換できておつりも来るのです。今が替え時か? もっと下がるのか? 旅行者は嬉しいけど、企業にとっては苦しいですね。新札と寿命日本人が日本で両替をする時、たいてい新札のドル札に替えてくれるのですが、アメリカで新札のドルを見る事はほとんどありません。新札で支払いをすると店員さんに驚かれるくらいです。(あまり見た事ないようです。)昨日の池上先生の話によればお札の寿命が日本円は3年くらい? ドル札は7年くらいの耐久寿命があるからかもしれません。アメリカでは超ポロボロのお札がそのまま流通しています。寿命が長いのは、お札の中に繊維が入っているからだそうです。確かにカメラでは捕らえられませんが、虫眼鏡で見ると小さな赤や青の繊維が僅かに混入しているのが見られました。因みにキャッシュでは現在100ドル札が最高のようですが、トラベラーズ・チェックの場合1000ドル券があります。10000ドル替えるならサインは10枚で済みます。ドル紙幣の印刷ドル紙幣の発券管理は連邦準備制度が行っているそうです。紙幣の発行は、アメリカ国内に12行ある連邦準備銀行がそれぞれ発行。印刷工場はアメリカ国内に2ヶ所あるそうです。日本では日本銀行ただ1行が発行。紙幣1ドル札・・・ジョージ・ワシントンアメリカ合衆国の国章プロビデンスの目については次回・・追加で触れますね。5ドル札・・・エイブラハム・リンカーンリンカーン・メモリアル10ドル札・・・アレキサンダー・ハミルトン財務省建物20ドル札・・・アンドリュー・ジャクソンホワイトハウス50ドル札・・・ユリシーズ・S・グラント連邦議会議事堂100ドル札・・・ベンジャミン・フランクリン独立記念館次回、こぼれたプロビデンスの目、その次にイエローストーンに戻ります。リンク 神眼・・・プロビデンスの眼お金シリーズ Back number お札シリーズ 1 (アメリカ合衆国ドル・・ドルの札束)リンク お札シリーズ 2 (ユーロ札と見本とコイン)リンク お札シリーズ 3 (ユーロ札束)リンク ドル・トラベラーズ・チェック(T/C) の高額券リンク ロンドン(London) 10 (テンプル教会 2 Banker)リンク アジアと欧州を結ぶ交易路 6 コインの登場と港湾都市エフェソスリンク 大阪天満の造幣局 1 幕末維新の貨幣改革 と旧造幣局リンク 大阪天満の造幣局 2 お雇い外国人とコイン製造工場リンク 大阪天満の造幣局 3 コイン製造とギザの話
2010年07月03日
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イエローストーン国立公園の全リンク先をラストに追加しました。ミッドウェイ・ガイザーベイスンの最大の池からです。イエローストーン国立公園 4 (グランド・プリズマティック・スプリング)イエローストーン国立公園(Yellowstone National Park)ガイザー・カントリー(Geyser Country)ミッドウェイ・ガイザーベイスン(Midway Geyser Basin)グランド・プリズマティック・スプリング(Grand Prismatic Spring)とバクテリア手前・・グランド・プリズマティック・スプリング直径113mの温泉の湧き出す池は園内最大の大きさで、カラフルな色もここの特徴。色の原因は、温泉の温度による藻類やバクテリアの発生。あるいは噴出してきた鉱物の色によるようです。下は温泉のわき出すぬかるみなのでボードウォーク(桟橋)を渡りながら見て回るのです。エクセルシオール・ガイザーから奥のグランド・プリズマティック・スプリングに向かうボードウォーク(桟橋)噴出したいわゆる鉱物の堆積は、ちょっとしたテラスを形成。微妙な傾斜のせいなのだろう。池はかなり高温赤い河の正体は、鉱物か? バクテリアか?バクテリアだけでなく、わき出す鉱物の沈殿によっても色があるようです。赤やオレンジ、ブラウンは酸化鉄。黄色は硫黄(イオウ)。池の中心部は高温の為にバクテリアが生息出来ないので美しい青色をしているそうです。太陽のフレアのように広がっているのは、水流のせい?確かによくよく見ればバクテリアもいっぱい・・・バクテリア(Bacteria)真性細菌地球のあらゆる環境に存在していると言われる原始からの生物は、、私たちの身近なところでは腸内細菌の大腸菌がバクテリアを代表とするモデル生物だそうです。例えば大腸菌は、鳥類や哺乳類の消化管内(特に大腸)に生息する・・と言うようにバクテリアにはそれぞれ生息場所や生息の仕方が幅広くあるようです。土壌や湖沼だけでなく上は、地球上層の大気圏内まで、下は、水深11000m以上の海底や寒い南極の氷床、ここの熱水池にも生息しています。スルフォバレスイエローストーンの場合、地形的にもバラエティに富んでいるようで、特に「スルフォバレス」と言うバクテリアはここにはか生息していないそうです。スルフォバレスについて詳しい文献が見つかりませんが、酸素を嫌い90度以上の高温で、ph1の強酸の中に生息するそうです。他の生物にはない微生物のエネルギー代謝で、「光合成従属栄養性」と「化学合成独立栄養性」が上げられますが、スルフォバレスはおそらく「化学合成独立栄養性型」の硫黄酸化細菌の一種ではないかと思います。硫黄酸化細菌は、硫黄を含んでいる温泉に生息し、太陽エネルギーに依存せず、深海熱水孔や地下生物圏で一次生産者として有機物合成をする(無機物から有機物を生みだす)細菌です。硫黄だけでなく鉄を酸化することも出来るらしいので、これら堆積物の酸化は硫黄酸化細菌のせいかもしれない・・・。前に載せた写真ミッドウェイ・ガイザーベイスン・・つづくリンク イエローストーン国立公園 5 (ミッドウェイ・ガイザーベイスン景観)Back numberリンク イエローストーン国立公園 1 (分水嶺とアメリカバイソン)リンク イエローストーン国立公園 2 (5つのエリア)リンク イエローストーン国立公園 3 (ミッドウェイ・ガイザーベイスン) イエローストーン国立公園 4 (グランド・プリズマティック・スプリング)リンク イエローストーン国立公園 5 (ミッドウェイ・ガイザーベイスン景観)リンク イエローストーン国立公園 6 (アッパー・ガイザー・ベイスン)リンク イエローストーン国立公園 7 (ガイザー・ヒル)リンク イエローストーン国立公園 8 (ビーハイブ・ガイザー)リンク イエローストーン国立公園 9 (グランド・ガイザー近辺)リンク イエローストーン国立公園 10 (ジャイアント・ガイザー)リンク イエローストーン国立公園 11 (グロット・ガイザー)リンク イエローストーン国立公園 12 (モーニング・グローリー・ブール) リンク イエローストーン国立公園 13 (イエローストーン湖)リンク イエローストーン国立公園 14 (ヘイデンバレーとマッドボルケーノ)リンク イエローストーン国立公園 15 (キャニオンの眺め)リンク イエローストーン国立公園 16 (Lower FallsとUpper Falls)リンク イエローストーン国立公園 17 (マンモスホットスプリングス)リンク イエローストーン国立公園 18 (テラスマウンテン)リンク イエローストーン国立公園 19 (ミネルバテラス)リンク イエローストーン国立公園 20 (ウエストサム)リンク イエローストーン グリズリー・ベア(Grizzly bear)イエローストーンは間を開けながら最終的に20までです。
2010年07月02日
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イエローストーン国立公園の全リンク先をラストに追加しました。イエローストーン国立公園 3 (ミッドウェイ・ガイザーベイスン)イエローストーン国立公園(Yellowstone National Park)ガイザー・カントリー(Geyser Country)ミッドウェイ・ガイザーベイスン(Midway Geyser Basin)イエローストーン国立公園は北アメリカ大陸最大の火山地帯。その中でもガイザー(間欠泉)最大規模のプールがあるのがミッドウェイ・ガイザーベイスン。エリア内を走るロードマップガイザー・カントリー(Geyser Country)イエローストーン国立公園の景観では最も人の集まるガイザー(間欠泉)の多いエリアはグランドティートンから近い位置にある。220万年前、約130万年前、約64万年前と大きな噴火を過去に3回起こし、小さな噴火は約7万年前まで続いていたと言う。何しろイエローストーン自体が世界最大の活火山。今も温泉や間欠泉がわんさか吹き出している活動中のマグマが地下に潜んでいるので、いずれまた大噴火を起こすだろうと言われている。次の大爆発は? 周期で計算すれば、私たちの生きている間にはなさそうですが・・。ミッドウェイ・ガイザーベイスン(Midway Geyser Basin)道の順ではアッパー・カイザーが先に来るのですが、事情によりミッドウェイ・ガイザーベイスンから入ります。ここにはエクセシルオール・ガイザーから始まり園内の目玉となるグランド・プリズマティック・スプリング(温泉池)があります。上の地図では下・・ファイアホール(firehole)川から上にルートが進んでいます。土手の上のエクセルシオール・ガイザーからの温泉はファイアホール(firehole)川に注ぐ。ここは温泉の流れる熱い川。土手の上は至る所から温泉がわき出しています。その中にこの圏内で一番大きい温泉池(グランド・プリズマティック・スプリング)も入っています。入り口方面を地図の北側から南方向に撮影手前がグランド・プリズマティック・スプリング(Grand Prismatic Spring)奥の左ターコイズ・プール(Turquoise Pool)奥の右(入り口左)エクセルシオール・ガイザー(Excelsior Geyser)ここは一帯が温泉の湧き出る地帯なのでボードウォーク(桟橋)の上を歩いて見学。川を渡ってからボードウォークは続く。エクセルシオール・カイザー(Excelsior Geyser)入り口を入ってすぐ左にあるのが湯煙の凄いエクセルシオール・ガイザー(写真では奥の煙が凄いの)奥が入り口方面それぞれ異なる顔を持つ温水池。瑠璃色の美しい色これだけの湯が出ていながら、日本のように温泉に入ると言う風習はないようです。実にもったいない話なのです。ミッドウェイ・ガイザーベイスンはつづくリンク イエローストーン国立公園 4 (グランド・プリズマティック・スプリング)Back numberリンク イエローストーン国立公園 1 (分水嶺とアメリカバイソン)リンク イエローストーン国立公園 2 (5つのエリア) イエローストーン国立公園 3 (ミッドウェイ・ガイザーベイスン)リンク イエローストーン国立公園 4 (グランド・プリズマティック・スプリング)リンク イエローストーン国立公園 5 (ミッドウェイ・ガイザーベイスン景観)リンク イエローストーン国立公園 6 (アッパー・ガイザー・ベイスン)リンク イエローストーン国立公園 7 (ガイザー・ヒル)リンク イエローストーン国立公園 8 (ビーハイブ・ガイザー)リンク イエローストーン国立公園 9 (グランド・ガイザー近辺)リンク イエローストーン国立公園 10 (ジャイアント・ガイザー)リンク イエローストーン国立公園 11 (グロット・ガイザー)リンク イエローストーン国立公園 12 (モーニング・グローリー・ブール) リンク イエローストーン国立公園 13 (イエローストーン湖)リンク イエローストーン国立公園 14 (ヘイデンバレーとマッドボルケーノ)リンク イエローストーン国立公園 15 (キャニオンの眺め)リンク イエローストーン国立公園 16 (Lower FallsとUpper Falls)リンク イエローストーン国立公園 17 (マンモスホットスプリングス)リンク イエローストーン国立公園 18 (テラスマウンテン)リンク イエローストーン国立公園 19 (ミネルバテラス)リンク イエローストーン国立公園 20 (ウエストサム)リンク イエローストーン グリズリー・ベア(Grizzly bear)イエローストーンは間を開けながら最終的に20までです。
2010年07月01日
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