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ビートルズを輩出したリバプールのThe Cavern Club 彼らが演奏していた頃のカバーン クラブは取り壊され駐車場になっていて、現在あるのは、後に同じレンガをつかって地下に再現されたものです。週4回の夜と、土日の午後から音楽が楽しめます。平日は鍵がかかっていて入れませんが、観光のマジカル ミステリー バスツアーが到着するころ鍵を開けています。 The Cavern ClubMathew StreetLiverpoolMerseysideL3 1DPTel:0151 236 1965
July 14, 2006
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ビートルズだけではなく、豊富な観光名所に博物館と見どころもいっぱいユネスコの世界遺産としても登録されることになったデューク・ストリート(Duke Street)、ウィリアム・ブラウン・ストリート(William Brown Street)周辺だけでなく、町のあちこちに歴史的なおもむきある建物があふれています。またアルバートドックをはじめとする繁華街には、おしゃれなパブやレストランもいっぱい、そんなリバプールの街を、2年間の滞在中に集めた数多くの資料を出来るだけご紹介していきたいと思います。
May 2, 2006
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今年から卒業後初めての仕事をしています。おかげでこのブログも全く更新していないのが現状、日本に帰ってからいったい私は何をしてるんでしょうね~大好きなビートルズは毎日聴いているので、気はまぎれますが、なにか物足りなく思ってます。とりあえず、ビートルズの和訳の続きでも始めようかな?リクエストがあればメールしてくださいね~
May 1, 2006
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2002年夏、、夕方6時10分前にお友達のデビッドはウェーバートリーにある私のフラットまで迎えにきてくれましたが、知合って2ヶ月が経ち何度も会っているので彼は必ず挨拶のキスをしてきます。別れのときもそうです。日本人の風習には挨拶にキスをすることが無いので、始めのうちは抵抗がありましたが、リバプールの女の子も普通でしているのでだんだん慣れてきて、私のほうからしやすいように顔を少し上げるようになっていました。David Deevey in front of The Grepes.車で15分ぐらいのマジーサイドに住んでいるデビッドのお家へ行くと、フィルと彼女のジェーンともう一人女の子が来ていて、パーティーの準備はもう出来上がっていたので、私はロンドンで買ってきた日本酒をデビッドに渡し、日本酒から飲むことを勧めました。ジェーンのお友達ナンシーとは初対面だったので、かるく挨拶を交わしみんなで話していると、デビッドは10年ほど前に東京のビートルズの曲を演奏しているお店で、リバプールからのお客さんということで2ヶ月ほど働いていたときに日本酒を飲んでいましたが、あとの3人は初めての体験だったようです。空けたとたんに注ごうとしたので、私は燗をしたほうが日本流だと言い私が熱燗にして、みんなに勧めました。ここイギリスではアルコール類を温めて飲む風習はあまりなくて、あっても、アイリッシュコーヒーぐらいなので、不思議そうに飲んでいましたが、小さなコップに2~3杯飲むとこんな美味しいお酒は初めてだ!と大好評1時間も経たないうちに2升のお酒は空になってしまいました。
December 4, 2005
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The Albert Dockアルバート・ドック(The Albert Dock)は、19世紀に倉庫として作られ、この建物群は現在、カフェバー、レストラン、ショッピングモール、ザ・ビートルズ・ストーリー、マージーサイド海事博物館、リバプール生活博物館、テート・リバプール美術館、ホテル・ホリデーイン・エクスプレス、アルバート・ドック、プレミア・ロッジなどが入る魅力的なトータル観光サイトです。最近ではなんと1億ポンドもの費用をかけ再開発、リバプール一のめまぐるしい国際的な中心地、また継承遺産の観光地として生まれ変わりました。
December 3, 2005
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リバプールでは毎年8月の最終週にビートルズウェークと言うイベントがあり世界中のビートルズファンが集まってきます。私がイギリスに訪れたのは高校生のときでビートルズファンだった両親を説得して連れて行ってもらったのが初めてのことですロンドンではラッセルスクウェアー駅近くのプレシデントホテルに泊まり、市内観光とビートルズの足跡を追うためアビーロードへ行き、その後今はポールの妹さんのお家になってるところで写真を撮ったりしました。ホテル ブリタニア アデルフィー三日後ロンドンを後にしてユーストン駅からバージニアエキスプレスでリバプール、ライムストリート駅まで行き、イベントのメイン会場となるホテル ブリタニア アデルフィーで1週間の滞在マジカルミステリーツアーのバスで市内観光をして、翌日レンタカーを借り、もう一度ゆっくりと見て回りました。夕方からはお父さんの得意分野のパブめぐり、私は当事未成年だったので何杯も紅茶を飲むだけでしたがパブの雰囲気が、気に入っていつかここでお酒を飲める日のことを思いながらお父さんの付き合いをしていたことを思い出します
December 2, 2005
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リバプールではバスのことをボスと発音するんですよ~なまりのきつい街ですね~Mersey Bus私の夏休みの日課は朝10時ごろ起きて軽い食事の後、フラットの裏にあるprescotparkという大きな公園をゆっくり時間をかけて散歩をすることから始まります。今日はお友達の二人の夏休があと10日しかないので3人で予定を建て直すことにして、私のフラットに集まり8月の最終週の世界ビートルズフェスティバルは、外せないので必ずリバプールにいることにしました。それ以外の日にアイルランドに行くことを決め、出発を2日後にし2泊3日の予定で首都ダブリンのBBに宿泊予算は一泊30£で決まりました。4月にリバプールへ単身やってきて約5ヶ月、初めて出会った日本人の女の子、良子と昌子、ビートルズツアーのガイド阿部さん、オーストラリアのOLキャロルそれにバンドの2人フィルとデビッド、いろんな出会いがあり、多くの友達ができました。悲しい出来事もありましたが、私にとってかけがいのない経験です。あと1年半どんな出会いが待っているのか楽しみで、わくわくしながら日本にいる両親に手紙を書いて休むことにしました。
August 22, 2005
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インバネス市内に予約してあるBBの前にイタリアレストランがあったので軽い食事を済ませ私の部屋に集まりました。今夜が4人での最後の夜なので、キャロルとのお別れ会をすることにして、コンビニでビールとスコッチを買い、話しながら飲んでいるとキャロルは「今回一人旅のつもりできたけど、貴方たちに出会えて旅が楽しくなって本当によかった!」オーストラリアにきたら是非連絡して欲しい!とお互いの住所と電話番号を交換し再会を約束しました。翌朝BBで朝食をとりインバネスからエジンバラまで4人で行き、キャロルは下車して飛行機でアイルランドへ、私たちはそのままリバプールに帰ってきました。ライムストリート駅4日ぶりのライムストリート駅、なんだか懐かしい気持ちで電車を降りタクシーで私のフラットに着いたのは夜の9時を回っていました。
August 20, 2005
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ネス湖はハイランド中部に位置し、インバネスから南西に10キロ程で、長さ約40Km、幅約2Km, 水深約230mの、河のように細長い氷蝕湖です。ネス湖にはもう廃墟と化したアーカート城という城が建っていて、この城はスコットランドでも最大といわれる城跡で、ネス湖に突き出す岬の上に13世紀に建てられ、17世紀には政府軍によって爆破されたと云えられています。ネス湖とアーカート城ネス湖は炭泥が溶けこんでいるためとても透明度の悪い湖の上全長40Kmあまりもあっていかにも怪獣が住んでいそうですね~私たち4人は、ネッシーに遭うため遊覧船に乗ることにして、ネス湖の観光案内所で乗船券を買い、チケット売り場のおじさんに今日はネッシーが出そうな天気だよ!と言われ、少し心を躍らせながら船に乗り込むことにしました。8月の半ばと言うこともあり、インバネス地方は短い夏の終わりを告げるように、少し肌寒いみなもからの風を二日酔いのまだ残っている火照った頬に心地よく受けながら、遊覧船はどんよりとした湖面を走り続けました。40~50分ほど走ったとき、突然後ろにいた観光客が、あれはなんだ!と叫んだので一瞬、来たか!と思ったら、ただの流木でした。その後船は、アーカート城を船上からゆっくり見上げて、Uターンをはじめ船着場へと戻りはじめました。結局この日はネッシーの機嫌が悪くて水中深く潜っているのだろうとガイドさんのアナウンスがあり見られずに、すばらしい景色だけをたんのうしながら船は着岸しました。ネス湖を3時ごろ出発して、インバネス駅周辺のBBを探すためインフォメーション センターに寄って少し高いけど市内で一番大きいといわれてるBBにチェックインすることにしました。
August 18, 2005
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買い物を終えて返ってきた日本人の二人は、空になっているグラスをみてあきれてしまい、まだ飲むようだったら食事に行くよ!って言われ、よく考えたら朝食をとってから何も食べてなかったので、4人でどこか食べに行くことにしました。少し市街地を歩いていると、☆☆☆ホテルの1階に感じの良いレストランがあり、でそこで夕食をとることにしました。私はスコットランドに来る前に、スコットランドへ行けばローストビーフを食べることを勧められていたので2人前を4人で食べることにして、まだお酒を飲んでない二人もワインを注文しました。実は、もうこの時点でキャロルと私はそうとう出来上がっていて気がつくと、しらふ組とよっぱらい組に分かれて食事をしていて、やかましい日本人とオーストラリア人の女の子二人が何度もスコッチ最高~と叫んでいたようです。と、記憶があるのはここまでで、後でしらふ組に聞くとレストランでもスコッチを注文して2人で1本空けてしまい、タクシーでBBまで連れて帰るのにかなり苦労したとのことでした。せっかくのローストビーフも食べた記憶がなかったのです。残念!この日までお酒を飲むと記憶がなくなることを知りませんでした。翌朝ひどい頭痛で目がさめダイニングに向かいましたが、ボリュームたっぷりの朝食は食が進まずトマトジュースだけをいただき、2日間お世話になったBBを後にすることにしました。BBのオバサンは満面笑みを浮かべながらいつまでも手を振ってくれたのが、今でも記憶に残っています。4人はエジンバラの駅でインバネス行きのチケットを買い30分ほど待っていると電車がはいてきて、電車はエコノミーでしたがエジンバラ発でほとんど乗客はいなかったので、私は二日酔いを治すためにすぐに寝ることにしました。どのくらい寝ていたのかわからないけど、昨日のしらふ組にインバネス駅に後10分で着くと言われ、起きてみるともう二日酔いはおさまっていました。インバネス駅でネッシーの着ぐるみを着た少年が出迎えてくれて、緑色のネッシー風船をもらい、インフォセンターで、ネス湖行きのバスのチケットを買って、しばらく待っているとバスはやってきました。 其の6に続く、、
August 16, 2005
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日本人の二人は、スコッチ一杯飲んだだけで顔を真っ赤にして「きつ~ よくこんなきついお酒飲めるね~」と言って、さっさとお土産売り場にもどってしまい残ったキャロルと私でぐいぐい飲んでいると気持ちよくなってきたので、いろいろと聞いてみることにしました。年は私より3歳上の25歳でオーストラリアの観光会社に勤めているOLで、休暇を取ってきていて、スコットランドからアイルランドに行き、それから帰国するとのことでした。彼女はアイルランドへは2回目でその綺麗な景色をもう1度見るために行くらしく、私にもイギリスに2年間もいるなら是非行ってみるように勧められ、私もだんだんその気になり酔っていることもあって私達は明日インバネスのネッシーを見に行くので一緒に行かない?と誘ってみましたが、アイルランドのBBに予約してあるとのことでした。でも1日遅らせて行こうか?そういってきたので、いこいこ!と話は決まりました。ずーと話し込んでいるうち気が付いたら、大きなテーブルいっぱいに並んであったスコッチは全部飲んでしまい、15個の空になったストレートグラスが並んでいました。大酒飲みですね~ 其の5に続く
August 14, 2005
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エジンバラ1日目の朝は8時ごろBBのオバサンの大きな声で起こされました。ダイニングには8人掛けのわりと大きめのテーブルに、コーヒー、パン、オレンジジュース、ベーコン、スクランブルエッグとホテルのアメリカンブレックファーストのようなボリュームたっぷりの朝食が並べられておりオバサンを中心に女5人の長い朝食が始まりました。その後キャロルの部屋にいき、今日1日のスケージュールを打ち合わせ10時ごろBBを出て、市街地のほうへ向かいましたが、エディンバラ・インターナショナル・フェスティバルのメイン会場は、世界中から集まってきた人でごった返していました。各地方から一同に集まったバグパイプの行進があるメインストリートのプリンセス・ストリートへ向かい1時間ほど待っていたら、どこからとはなくバグパイプの音色が聞こえてきたので見てみると、横に10人縦に40人ぐらいの民族衣装のタータンチェックを身にまとったバグパイプの団体がやってきたのです。バグパイプの行進はいつ終るのかわからないくらい次から次とやってきて、その壮大ですばらしい音色は心臓が止まるくらいのものでした。どのくらいのバグ奏者が、私達の目前を通り過ぎていったことでしょう、最後にたぶんスコットランドの国王と王妃と思われるオープンカーが、白バイに先導され手を振りながら通り過ぎパレードは終りました。その後感動に浸りながら街をあてもなく歩いていると、スコッチ ウィスキー ヘリテージ センターがあったので見学することにして、中ではスコッチの造られていく過程の説明のアナウンスが各所に流れていました。細かく説明していましたが、半分くらいしか理解できなかったのが残念でしたね、出口近くに格メーカーのグッズが置いてあり、お土産用にいくつか買うことにして、手にとって見ていると横のテーブルに試飲のスコッチがあったので、聞くと好きなだけ飲んでもいいらしく、お土産そっちのけで飲むことにしました。前日覚えたてのスコッチでしたが、すごく美味しかったので持っていたクリスプスをそっとリュックから取り出し、おつまみにしながら小さなグラスに入っているスコッチを一緒に回っている女の子3人で飲み始めました。 其の4に続く
August 12, 2005
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市内見学を終えてBBに返ってくると、オーナーのオバサンとオーストラリアの女性がリビングでスコッチを飲みながら話をしていました。スコットランドのBB私たちを呼んでいるので、背負っているリュックをおろし話に加わることにして、オバサンに一人できている女性を紹介してもらいました。名前はキャロル ドハティーさんと言って、オーストラリアのメルボルンからスコットランド祭に合わせて来ていました。4人でしばらく話をしていると、オバサンが私たちにもスコッチを持ってきてくれたので一緒にいただく事にしました。私はこのとき初めてスコッチを飲んだのですが自然に喉を通ることにびっくり思わず、美味しいですね~他の二人は にが~ と言っていたので、お酒は人それぞれ感じ方が違うことに気付き、もう一つ私はこのイギリスでの留学中に自分が大酒飲みだ、と言う事にも気付きました。一緒に旅にでた二人の女の子はかたことの英語しか話せなかったので、ほとんど私が話を聞いていましたが、BBを始めて最初の日本人観光客だったので、日本のことに付いて質問攻めにあい、お酒も入ってきたので調子が乗ってきて、二人を無視して一人喋りまくっていました。だめですね~お酒が入ると私はお喋りのようです。
August 10, 2005
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2002年8月私はビートルズツアーに来ていた日本人の女の子二人とお友達になり3泊4日のスコットランドへ旅に出ることにしました。エディンバラは首都であり、スコットランドはれっきとした国なんですね~リバプールのライムストリート駅から特急電車に乗り2時間半で終点エジンバラ駅に着きます。途中車窓から見る景色は、言葉にできないくらい美しい英国独特の風景が続き、3人とも夢中で景色を追っていたので電車のアナウンスがあるまで、スコットランドに入ったことすら気付きませんでした。電車が速度を落し線路の両端が、がけの底を走っている感覚に陥り不思議に思っていると、いきなりエジンバラ城が目の前に迫ってきてその壮大な造りにびっくり!なんと電車はエジンバラ城のお堀を走っていたのです。周りはがけではなく石を何段も積み上げて作ってありました。エジンバラ城とりあえず宿を見つけなくてはと思いインフォメーションセンターでBed & Breakfast 通称BBの空き部屋をさがし、お城の近くで一人30ポンド(約5000円)の部屋を3部屋予約し、途中お城遠巻きに見ながら歩いてBBまで行きチェックインしました。そのBBと言うのは、個人が経営していてオバサン一人ですべてまかなっている部屋数4部屋の小さなBBで1泊30ポンドという安さなのでどんなとこだろうと心配していましたが、スコットランドにはどこにでもある普通のお家を少しリフォームしたステキなお家でした。イギリスBBの1泊のレートは場所にもよりますが25ポンド~50ポンドぐらいでそれ以上になるとホテルクラスになってしまいます。そう思うと30ポンドは安くて清潔なBBだったので3人にとっては初日からラッキーでした。私たちの他にオーストラリアの女性が一人で旅をしていて2日前からスコットランドにやってきて明日から始まるスコットランド祭を見に来ているということで、いろんなところを旅している人らしく、あなたたちも一緒に見学にいったら?とオバサンに聞かれたのですが、本人がまだ帰ってきてなかったので、少し市内観光してから尋ねてみること言うことで、BBを出て中心地でおしゃれなパブを見つけたので、BLTサンドと紅茶を注文して、これからの3日間の計画をたてることにしました。
August 8, 2005
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ポール・マッカートニーは、1942年6月18日リバプール、ウォールトン病院で、父ジェイムス39歳母メアリー 32歳の長男として生まれ、可愛がられて育ちました。そのポールがニューカッスルでホテルの一室で She loves you を書いた時、ビートルズはすでに Please Please Me と From Me To You の2曲で英国ナンバーワンを獲得していました。次のシングルとしてリリースされた She loves you は、英国音楽史上初のミリオン・セラーとなり、以後14年間、英国で最も売れたレコードの座をキープします。ビートルズのニューカッスル公演は、UKツアーの1つとして行われたもので、歌手の Roy Orbison 、そして同じリバプールのバンド Gerry and the Pacemakers らと一緒のツアーでした。ニューカッスルの「ロイヤル・タークス・ヘッド・ホテル」は、残念ながら1980年代に廃業していまが、その建物はまだ残っていて、現在は Barclays Bank のオフィスになっているそうです。
August 6, 2005
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1998年に前妻のリンダにがんで先立たれたポール・マッカートニーは、2002年6月元モデルのヘザー・ミルズと再婚後、ミルズさんはゴシップ紙に悪く書かれることが多いんですが、 paul:「All you've got to do is think back to Linda. Linda got rubbished in the first year or so. And then she was established and people got over it. It's a bit par for the course.」Liverpool Echo (リンダのときを思い起こせばいい。リンダも最初の1、2年はこき下ろされた。しかし、そのうち世間に認められるようになり、みんなも以前のことなど忘れてしまった。いつもそうなんだよ)とミルズさんを気づかっていました。 Paul McCartney and Heather 2003年10月28日午後8時45分、 Paul McCartney と Heather 夫人の間に、最初の赤ちゃんが誕生しましたね~赤ちゃんは女の子で、Beatrice Milly と名付けられ「ベアトリス」はヘザーのお母さん、「ミリー」はポールの叔母さんにちなんだ名前だそうです。そのミリーちゃんも今年2才を迎えました。ベアトリス・ミリーの誕生が公表されたのは1昨年10月30日で翌.日の Liverpool Echo には、親子3人のポートレイトが1面に大きく掲載されポールの弟 Mike が撮った写真だそうです。60歳を超えてからの娘さんさぞ可愛がっているんでしょうね~
August 5, 2005
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ミミ伯母さんの家は、リバプール メンローブ・アべニュー251番地にあります。ジョンが少年時代を過ごしたこの家で、今下宿人として生活を共にした当時の学生たちから提供された証言と写真が公開されようとしています。ミミおばさんちのダイニング家を管理し、一般に公開しているナショナル・トラスト社は、1949年から1963年の間にこの家に下宿した20人の学生たちを探し出して話を聴いたそうです。どんなものか早く知りたいですね~ ジョン レノンが暮らしたミミおばさんの家
August 3, 2005
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ビートルズのメンバーで唯一の芸名を持つ男リチャード スターキーは1940年7月7日リバプール、ロイヤル リバプール小児病院で、父リチャード母エルシーの一人っ子として生まれました。彼の3歳のとき両親が離婚、母方に引き取られるが母がバーで働いていたため、祖母や近所の人に預けられるという生活を送っていました。リンゴ スター名前の由来はリバプールで有名だったグループローリー ストーム アンド ハリケーンズに加わったときに名乗った名前です。その後、彼は一番最後にビートルズに加入したために、最初のうちは疎外感を感じることもあったそうです。ちなみに彼が暮したLiverpool Wavertree は私の暮らしていたフラットからすぐ近くでした。
August 2, 2005
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リバプールでは毎年8月の最終週にビートルズウェークと言うイベントがあり世界中のビートルズファンが集まってきます。私がイギリスに訪れたのは高校生のときでビートルズファンだった両親を説得して連れて行ってもらったのが初めてのことです。ロンドンではラッセルスクウェアー駅近くのプレシデントホテルの泊まり、市内観光とビートルズの足跡を追うためアビーロードへ行き、その後今はポールの妹さんのお家になってるところで写真を撮ったりしました。リバプールの夜景三日後ロンドンを後にしてユーストン駅からバージニアエキスプレスでリバプール、ライムストリート駅まで行き、イベントのメイン会場となるホテル ブリタニア アデルフィーで1週間の滞在マジカルミステリーツアーのバスで市内観光をして、翌日レンタカーを借り、もう一度ゆっくりと見て回りました。夕方からはお父さんの得意分野のパブめぐり、私は当事未成年だったので何杯も紅茶を飲むだけでしたがパブの雰囲気が、気に入っていつかここでお酒を飲める日のことを思いながらお父さんの付き合いをしていたことを思い出します。
July 31, 2005
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The Silver Beatles in the Blue Angel in Seel Street, Liverpool in 1960, with regular stand in (sit-down) drummer Merseybeat legend Johnny "Hutch"私が初めてビートルズと出会ったのは、両親が大ファンで幼い頃から耳にしていたので思い出せませんが、2~3歳のころレイビーレイビーと口ずさんでいたことを覚えています。中学生になって英語と触れ合うようになり、ビートルズの詩の意味が知りたくて辞書を引きながら訳しましたが、110曲途中で挫折しました。そのとき初めてこれは、彼らの生まれたリバプールに原点があると思いその決心を親に話し大学を卒業したら留学させてもらうことになったのです。たぶん自分達も好きだったビートルズを輩出したリバプールだったから行かせてもらったんでしょうね、The Beatles 私の暮したリバプールはポップ界のスターを育てた場所として世界的に有名です。今までに全英で最も多くのNo.1トップチャート・アーティストを生み出してきました。しかし、ビートルズのヒットチャート以外ではどんなアーティストが思い浮かぶでしょうか?また彼らは生まれ故郷リバプールに様々な財産をも残しました。 期待どおり、街中の至るところにビートルズと歌にゆかりの場所があり、2年間私の足でまわったLiverpooとビートルズゆかりの地lを、感じたままに書いていきたいと思います.
July 28, 2005
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ロンドンから帰った私は、自宅でのパーティーの準備のため歩いて3分ぐらいのところにあるスーパーへお買い物と、隣にあるコインランドリーへと向かいました。最初に1週間たまった洗濯物をコインランドリーに放り込み、スーパーでお肉、たまねぎ、ジャガイモ、にんじん等を買い、あとおつまみになりそうなスナックと大好きなクリスプス!それにお酒類買おうと思いましたが、定員にお酒を買うのに身分証明書の提示を求められなんで?と聞くと、イギリスでは法律が厳しく未青年者にお酒類を売るとお店側は罰せられるので、童顔の私は未成年に見えたそうです。先日ロンドンの日本大使館で、免許証の切り替え手続きをしていて一昨日出来上がったイギリスの運転免許証をリバプール警察に取りに行っていたのでその免許証を見せて、なんとかウイスキーと缶ギネスを買うことができました。当日お昼頃まで寝ていて5人のお友達が6時に来るので、掃除と部屋の模様替えを済ませ、パーティーのお食事の準備を始め日本から持ってきたかつおだしと醤油の出番がやっときました。作ったのは肉じゃが、ほうれん草のおひたし、お好み焼きで、後は買ってきたおつまみです。準備ができてしばらく時間があったのでテレビを見ていると5人の予定だったのが一人増えて6人だったので、約12畳ほどのリビングは座ることが出来なくなり男の子たちには、絨毯の上に座ってもらい女の子3人はソファーに座ってもらうことにしました。男の子はフィルとデビッドそれから日本人のゼン君、女の子はこの前会ったジェーン、ナンシー今日初めて会ったダニエルそれに私を含めて7人でのパーティーが、デビッドの乾杯の合図ではじまりました。 blog ranking GO!
July 27, 2005
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翌日私は、免許証を日本の物とイギリスのものと変えてもらうためロンドンの日本大使館へ行き手続きをとりましたが、交付されたのは2~3週間後ペニーレインのフラットに送られてきた書類を持ってリバプール警察署へ行ってからのことでした。大使館から地下鉄でユーストン駅に行き電車に乗ろうと思いましたが、発車したとこだったので、ロンドンでしか買えない日本食を買いにヤオハンに行き、リバプールのお友達のお土産日本酒2Lを2本を買いましたが、その高さにびっくり!2本で約7000円です。後、醤油、味噌、だしの素などを買いユーストンの駅に戻ると、もう電車は来ておりガラガラの車内の4人がけに腰をかけしばらくすると電車は駅を離れだし、車窓から景色をぼーと眺めているといつのまにか眠っていました。
July 26, 2005
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今日はロンドンへ出かけたときのお話です。ピカデリーサーカスの通りをのんびりと歩いていましたが、リバプールではめったに聞こえてこない日本語があっちこちから聞こえてくるのに驚きました。女の子の格好も派手で、どう考えても日本人の鼻には、似合わない鼻ピアス、それにビール腹にヘソピアスはとても見れません!少し悲しい気持ちでしばらく歩いていると、セビルロウの通りにやってきました。そこには、ビートルズが設立したレコード会社、アップル・レコードのビルがあり日本語の背広の語源になった紳士服のテーラーが並ぶ通りで、この通りのビルが例のビートルズ、アップルレコード本社がかつてあったビルだと知っている人はもっと少ないのでは、、、実はロンドンの人たちに聞いても知ってる人はほとんどいませんでした。映画“レット・イット・ビー”の中でも有名なシーン。4人そろって最後のライブ演奏を屋上で行なわれたあの屋上ライブです。セビルロウには、ギーブス&ホークスという超高級紳士服店があり、そのビルから2つ目のこげ茶色をしたビルがそうです(画像のユニオンジャックが出ている左のビル) ドアの色は真白の扉で、全体の姿はほぼ昔のままで、下からでは良くわかりませんが、今でもちゃんと屋上はあるらしく、なんとか屋上へいけないかと隣の紳士服屋で聞いてみましたが、鍵が掛かっていてビルのオーナーに直接話してみる以外ない、とのことだったので、屋上へ上がるのは諦め予約してあるホテル プレシデシデントまで戻ることにしました。blog ranking GO!
July 25, 2005
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The JacarandaHPトップのパブ The Jacaranda は1960年ビートルズがカバーンクラブ以外でライブを行っていたパブで、彼らがロンドンへ進出をはたすまで7回の演奏が行われたパブです。パブ内の壁にはビートルズの写真で溢れ、外観も彼らに関する映画、ポスターでディスプレーされてます。Jacaranda21 - 23 Slater Street,Liverpool, L1 4BW, UK0151 707 8281 blog ranking GO!
July 24, 2005
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カヴァーン・クラブThe Cavern Club ビートルズが演奏していた頃のカバーン クラブは取り壊され駐車場になっていて、現在あるのは、後に同じレンガをつかって地下に再現されたものです。週4回の夜と、土日の午後から音楽が楽しめます。平日は鍵がかかっていて入れませんが、マジカル ミステリー ツアーが到着するころ鍵を開けています。 The Cavern ClubMathew StreetLiverpoolMerseysideL3 1DPTel:0151 236 1965 blog ranking GO!
July 23, 2005
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The Albert Dockアルバート・ドック(The Albert Dock)は、19世紀に倉庫として作られ、この建物群は現在、カフェバー、レストラン、ショッピングモール、ザ・ビートルズ・ストーリー、マージーサイド海事博物館、リバプール生活博物館、テート・リバプール美術館、ホテル・ホリデーイン・エクスプレス、アルバート・ドック、プレミア・ロッジなどが入る魅力的なトータル観光サイトです。最近ではなんと1億ポンドもの費用をかけ再開発、リバプール一のめまぐるしい国際的な中心地、また継承遺産の観光地として生まれ変わりました。
July 21, 2005
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全長700メートル程のこの通りは、ジョン・レノンが暮らした家(現在は博物館)の近所にある静かな通りです。Penny Lane, Liverpool, L15/ バス: 80A、86、73、176番、Allerton Road/Penny Lane下車。Penny LaneWriters: Lennon, McCartney; lead vocal: McCartneyIn Penny Lane there is a barber showing photographs Of every head he's had the pleasure to know. And all the people that come and go Stop and say hello. ♪♪♪ペニーレインの歌詞にある散髪屋さんは今でも刈った人の写真を貼り付けているんですよ!すごいですね~
July 20, 2005
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ビートルズの訳は私がリバプール滞在中に友人のデビッドと訳したものですべてオリジナルです。リンクするのは構いませんがそのままフリーページ、日記等には貼らないでください!1. The Ballad of John and Yoko Writer, lead vocal: John Lennon2. I saw her standing there. Writer, lead vocal: Paul McCartney3. Your Mother Should Know. Writer, lead vocal: Paul McCartney4. Maxwell's Silver Hammer Writer, lead vocal: Paul McCartney5. In My Life Writers: Lennon, McCartney; double-tracked lead vocal: John Lennon6. Yesterday Wirter, lead vocal: Paul McCartney7. Taxman Writers: Harrison, Lennon; double-tracked lead vocal: Harrison8. Being for the Benefit of Mr. Kite! Writer, lead vocal: John Lennon9. Mother Nature's Son Writer, double-tracked lead vocal: Paul McCartney10.Girl Recorded: November 11, 1965 at Abbey Road, London, England John Lennon - lead vocal11.When I'm Sixty-FourRecorded: December 6, 1966 at Abbey Road, London, England with overdubs added December 8 and December 20-21, 1966John Lennon - lead guitar, background vocalPaul McCartney - lead vocal, 12.Norwegian Wood (This Bird Has Flown)Recorded: October 12, 1965 at Abbey Road, London, England but remade October 21, 1965John Lennon - lead vocal, capoed acoustic guitar13.No ReplyRecorded: September 30, 1964 at Abbey Road, London, EnglandJohn Lennon - double-tracked lead vocal, acoustic guitar14.Mean Mr. MustardRecorded: July 24, 1969 (with "Sun King" as one song) at Abbey Road, London, England with overdubs added July 25, 1969 and July 29, 1969John Lennon - lead vocal, piano15.I WillRecorded: September 16, 1968 at Abbey Road, London, England with overdubs added September 17, 196816.RevolutionRecorded: May 30, 1968 at Abbey Road, London, England with overdubs added May 31, June 4 and June 21, 1968John Lennon - lead vocal, 17.I'll Follow the SunRecorded: October 18, 1964 at Abbey Road, London, England18.SomethingRecorded: April 16, 1969 at Abbey Road, London, England and remade May 2, 1969 with overdubs added May 5, 1969, July 11, 1969, July 16, 1969 and August 15, 196919. If I Fell Recorded: February 27, 1964 at Abbey Road, London, England20.And I Love Her Recorded: February 25-27, 1964 at Abbey Road, London, England21.Ob-La-Di, Ob-La-Da Recorded: July 3, 1968 at Abbey Road, London, England with overdubs added July 4-5, 1968, a remake July 8, 1968 and more overdubbing July 11, 1968 and July 15, 196822.P.S. I Love You Recorded: September 11, 1962 at Abbey Road, London, England23.She's Leaving Home Recorded: March 17, 1967 at Abbey Road, London, England with vocals overdubbed March 20, 196724.Sgt. Pepper's Lonely Heart's Club BandRecorded: February 1, 1967 at Abbey Road, London, England with overdubbing February 2, March 3, and March 6, 196725.Back in the USSR Recorded: August 22, 1968 at Abbey Road, London, England with overdubs added August 23, 196826.Golden Slumbers Recorded: July 2, 1969 (with "Carry That Weight" as one song) at Abbey Road, London, England with overdubs added July 3, 4, 30 and 31, 1969 and August 15, 196927. Paperback Writer Recorded: April 13, 1966 at Abbey Road, London, England with an overdub added April 14, 196628. Let It Be Recorded: January 31, 1969 at Apple Studios, London, England with overdubs added April 30, 1969 and January 4, 1970Re-produced and remixed by Phil Spector in March, 197029. I'm DownWiters: Lennon, McCartney; lead vocal: McCartney30. Help ! Recorded: April 13, 1965 at Abbey Road, London, EnglandJohn Lennon - lead vocal, acoustic guitarPaul McCartney - bass guitar, background vocalGeorge Harrison - lead guitar, background vocalRingo Starr - drums, tambourine 31. The End 32. Here, There and Everywhere Recorded: June 14, 1966 at Abbey Road, London, England with overdubs added June 16-17, 1966John Lennon - background vocalPaul McCartney - double-tracked lead vocal, acoustic guitarGeorge Harrison - lead guitar, background vocalRingo Starr - drums 33.All My Loving34.I want to hold your hand, Recorded: October 17, 1963 at Abbey Road, London, EnglandJohn Lennon - lead vocal, rhythm guitarPaul McCartney - lead vocal, bass guitarGeorge Harrison - lead guitar, harmony vocalRingo Starr - drums
July 18, 2005
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日本人の落書きには困ったもんです。ロンドンのアビーロードのEMIスタジオの壁には世界中の人たちが落書きをしてるけど、特に日本語の落書きの多さには現地ガイドの人も怒ってました。リバプールでも同じで有名なペニーレインやストロベリー フィールズの壁にも数多くの日本人観光客の落書きが残っていますが、同じ日本人として恥ずかしい限りです。イギリス人が古い物を残すのはけちではないと思います。古い良いものをそのままの形で残すと言うのはとても良い事だと思います。イギリスの法律で勝手に古い建物を壊す事が出来ませんちなみに私が住んでいたリバプールのフラットは150年前に建てられたものでした。屋根にあるチムニーは中をつめてたただのかざりになってしまって、それでも壊さずそのまま残しているのには感激しました。古く良いもの残す心を日本人は忘れてしまったのでしょうか?
July 17, 2005
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Beatles Story ビートルズ・ストーリー館内をめぐるツアーでは石だたみの道を闊歩したハンブルグ時代や、カヴァーンクラブ(地下の匂いもそのまま!)の時代などビートルズの成長の記録を見ることができます。ビートルマニアの熱狂とリバプールが生んだ世界に羽ばたく4人の悲しい決別など、年代ごとに展示されていて、展示の最後はごく最近オープンしたばかりの"The Solo Years"(ソロの時代)が飾られといて、ポール・マッカートニーのソロ時代の経歴の展示と彼のLIPA リバプール芸術大学(The Liverpool Institute of Performing Arts)への貢献など、セクション全体が彼のために捧げられています。Beatles StoryBritannia VaultsAlbert DockLiverpoolMerseysideL3 4AATel:0151 709 1963
July 16, 2005
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ブリタニア・アデルフィ・ホテルビートルズウェーク開催中毎日のようにパブ巡りをしていたある日ブリタニア アデルフィー ホテルのメイン会場でビートルズのコピーバンドが世界中からやってきて、演奏していることを聞きつけ見に行ったときのことです。会場へはもちろん日本からも何組かのバンドがやってきて演奏していましたが、途中ジョンのお父さんアルフレッド レノンが出てきてマイ ボニーを歌っているのにびっくり、私はそのときまでジョンのお父さんは亡くなっているものだと思っていました。当時80歳を越えていたと思いますが、しっかりした口調で歌ってましたよ
July 15, 2005
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2002年9月に入って学校が始まるとリバプールは寒くなり街の学生たちも衣替えをして、みんな可愛い制服で通学するようになりました。私は毎日を平凡に暮らしていましたが、ある金曜日の夕方突然電気が止まったので電気のカードメーターを見たら越してきたときに20枚の電気カードを入れていたのが無くなっていたのです。メーター コイン タイマーここリバプールのフラットでは、電気代を集金に来るのではなくてフラットの中に設けられたボックスの中にカード入れがあってそこに磁気の入ったカードを入れると電気が通るようになっています。4月から8月で全部使い切ったらしく予備もないのでお部屋の電気は全く止まってしまい暖房も入れられなくなり、困り果て不動産屋へ電話をしても金曜日でもう誰も出ません!最初にどこに行けば売っているのか聞いていなかったので買いに行くことも出来ずしかたがないので、その日は早く寝ることにして明日どうするを考えることにしました。翌日お友達のデビッドに電話して聞くと郵便局に売っているとのこと、結局寒い中電気無しで3日間すごしました。
July 14, 2005
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セント ピーターズ教会初めて出会ったことで有名なセント ピーターズ教会は平日だったので、事務をしている女性が一人いただけでしたが、私がエリナ リグビーのお墓を見てみたいというとお墓まで案内してくれました。最初にポールとジョンが出会った教会の横にあるホールを詳しく説明してくれて、聞いているうち幼いころ女の子にもてたくて、重いギターをもって人の集まる日曜日の教会へせっせと足をはこんでいるビートルズのメンバーの顔が思い浮かび、このとき私は心の中で、将来私の旦那様になるビートルズファンと必ず結婚式をこの教会であげることを勝手に決めました。その事務員さんは教会で働き出して20年になるそうですが、マッケンジー牧師は実際にはいなかったらしく、聞いたことはなかったそうです。エリナ リグビーのお墓は、リバプールのマジカルミステリーツアーにも案内されないとこなので、日本人観光客は珍しいらしく私たちが事務員さんにとっては初めて日本人を案内するとのことでした。これがエリナ リグビーの墓です。そういってお墓の前まで案内してくれて墓石を見てみると、エリナ リグビーのお墓エリナ リグビーはThomas Woodsの奥さんで、1938年10月10日に44歳で亡くなっていました。
July 13, 2005
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私の生活は、午前中は授業で午後からの授業は週2回だけでした。月に2回リバプールから50km離れたチェスターに住んでいて、イギリス人と結婚している女性の日本人教師が英語を教えに来ますが、学校のなかではほとんど日本語を話すことはありません2~3度自宅に招待されたときには、日本語を話しましたが、それ以外ではリバプール大学に通っていた日本人ZEN君と会ったときに話すぐらいでした。当たり前ですが日常は英語です。4月にリバプールに来て10月には、テレビをみていても普通に見れるようになり夢に出てくる私も英語を話しています。年を越した2002年にはほとんど日本語では夢を見なくなり、おかしなことに英語を話せないお母さんと話すときも英語になっていました。観光シーズンの7~8月には多くの日本人と出会いましたが、9月に入ってからはほとんど見なくなり、お友達のZEN君、ビートルズツアーのガイド阿部さん、チェスターの先生よしこさんと私の4人以外の日本人はいなかったように思います。何度かロンドンへ行き、そのときには多くの日本人に出会いましたがここリバプールではめったに出会うこともなく、イギリスのお友達もできだんだん寂しいこともなくなり、留学生活をエンジョイできるようになりました。The European Languages Centre Training centres The European Languages Centre Training centres were founded in Liverpool in order to provide students from all over the world with high quality tuition at reasonable rates in culturally exciting and stimulating areas of the United Kingdom.
July 12, 2005
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マージー・フェリーMersey Ferries マージー川がリバプールの発展に与えた影響は計り知れません。リバプールの発展は川に支配されていたといっても過言ではないと思います。中でも、マージー・フェリーのクルーズはマージーサイドの素晴らしい眺めと、歴史を持つ横顔を家族で楽しめます。夕方いつも開催しているダンスバンドクルーズと一日かけてサルフォード・キーへの船旅を楽しむマンチェスター・シップ運河クルーズ、その他にもクルーズはたくさんありますが、リバプール・ベイ・クルーズは夏季のみ運航しているようです。Ferry Cruiser & Gift ShopLanding Stage Pier HeadLiverpoolMerseysideL3 1DPTel:0151 330 1444
July 11, 2005
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ザ・ウォーカー美術館The Walker 英国北部の国立美術館でライムストリート駅から5分のところに位置し、国際的にも重要な14世紀から20世紀までの美術品のコレクションを所蔵していて、特にヨーロッパの巨匠、ビクトリア時代、ラファエロ前時代の作家の絵画、英国のモダンアートなどの展示が充実中でもルーベンス、レンブラント、 プーサン、ゲインズボロー、ホーガースなどの傑作が見事です。St Bernardino Preaching, by Francesco di Giorgio (c1470) The WalkerWilliam Brown StreetLiverpoolMerseysideL3 8ELTel:0151 478 4199
July 10, 2005
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リバプールでビートルズが演奏していたカバーン クラブのある通りがマジューストリートで、この通にはカバーンクラブの他、彼らがよく通ったパブ、グレープス、ジョン レノンの銅像、エリナ リグビー銅像などビートルズの匂いがあちこちからしてくるビートルズファンにはこたえられない通りです。grapescavern club lennons barマシュー・ストリート・ギャラリー(ビートルズ)Mathew Street Gallery [Beatles] ジョン・レノンの創作芸術を所蔵する美術館ですで、ギャラリーには50以上の限定版の写真が展示、一部は販売もされています。ジョン・レノンが描いたスケッチ画やビートルズ時代の写真、その他にも「リボルバー」のジャケットのデザインを手がけたデザイナー、クラウス・フォアマンの作品や、ビートルズに多大な影響を与えた美しい女性写真家、アストリッド・キルヒヘアの写真作品も展示されています。ギャラリーは1999年6月24日にオープン。マシューストリートの中心にあるビートルズ・ショップのすぐ上で、元のカヴァーンクラブのすぐ近くにあります。Mathew Street Gallery31 Mathew StreetLiverpoolMerseysideL2 6RETel:0151 236 0009 Fax:
July 9, 2005
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Liverpool Cathedral 世界で2番目に大きく、ヨーロッパでは最大の英国国教会の大聖堂です。ロンドンのテートモダン美術館をデザインしたGiles Scottの建築で、その巨大な建物はマージー川の対岸からも眺めることができ、リバプールのシンボル的存在で、高さ101メートルの塔からは、リバプールの街並やウェールズの山々も見渡すことができます。オープン: 通年 8:00-18:00(12月25日8:00-14:00): 塔 月-土 11:00-17:00 (2月中旬-10月中旬) 11:00-16:00 (10月中旬-2月中旬) /休業曜日: なし(塔は毎日曜日、イースター中、12月25、26日、1月1日閉鎖)/ 塔のみ有料 3.25ポンド/St James Mount, Liverpool, L1 7AZ/Tel: 0151 7027217/
July 8, 2005
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リバプールは、国内外から気軽に立ち寄れる観光地として定評があり、さまざまなランクのホテルが一年を通して常に営業しています。ウィラールには広い地域にわたるナショナル・トラスト所有地、カントリー・パーク、絶景が見渡せる海岸などがあり、リバプールの北、優美なサウスポートのリゾート内には名物のビクトリアショッピング・アーケードとプロムナードがあります。またマージー川とディー川の間に横たわる半島、ウィラルでの宿泊もまたお勧めです。そんなリバプールのホテルをフリーページで紹介しています。
July 7, 2005
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The Magical Mystery Tourペニーレーンの散髪屋さんやストロベリーフィールド、ビートルズメンバーの生家などを合わせてまわる手軽なツアーで、ビートルズ ストーリーやキャバーンクラブなども行き先に含まれているツアー所要は2時間虹色に塗られた60年代のバスが目印です。オープン: 通年 (月-金 14:10 Queen Square Tourist Information Centre前発、14:30 The Beatles Story 前発: 土日バンクホリデー 11:40、14:10 Queen Square Tourist Information Centre前発、12:00 、14:30 The Beatles Story 前発/ 休業曜日: なし/ 11.95ポンド/Tel: 0151-709 3285
July 6, 2005
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Pauls houseポールは,この家を1965年3月に購入して、1966年8月から1970年代後半のまで住んでいたと言われてます。現在はポールの妹さんが暮らしてると聞いた覚えがありますが定かではありません何枚か写真を撮った後、お家の前に落ち葉があったので拾うことにして、近くのチューブの乗り口をさがすことにしました。キャベンディッシュ アベニューからピカデリーサーカスへ向かい駅から地上へ上がるとそこは、ロンドンで一番有名なメイン通りで私たちは、たくさんのブランドショップを横目にセビルロウまで向かいました
July 5, 2005
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私の借りていたロンドンでのフラット近くラッセル スクウェアー駅からアビーロードスタジオと例の横断歩道へは地下鉄ジョーンズ ウッド駅で降りれば行けます。stJohnsWood Station駅からしばらく歩いていると、しだにアビーロードのジャケットのような景色に変わっていき突然交差点が現れました。ロンドン滞在中何度この横断歩道を渡ったことか、、ABBEYROAD横断歩道を渡り、心無い人たちによって落書きだらけにされた壁を見つけたらそれがEMIスタジオです。
July 4, 2005
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The Albert Dockアルバート・ドック(The Albert Dock)は、19世紀に倉庫として作られ、この建物群は現在、カフェバー、レストラン、ショッピングモール、ザ・ビートルズ・ストーリー、マージーサイド海事博物館、リバプール生活博物館、テート・リバプール美術館、ホテル・ホリデーイン・エクスプレス、アルバート・ドック、プレミア・ロッジなどが入る魅力的なトータル観光サイトです。最近ではなんと1億ポンドもの費用をかけ再開発、リバプール一のめまぐるしい国際的な中心地、また継承遺産の観光地として生まれ変わりました。
July 2, 2005
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ビートルズだけではなく、豊富な観光名所に博物館と見所も多くユネスコの世界遺産としても登録されることになったデューク・ストリート(Duke Street)周辺、ウィリアム・ブラウン・ストリート(William Brown Street)周辺だけでなく、町のあちこちに歴史的なおもむきある建物があふれています。またアルバートドックをはじめとする繁華街には、おしゃれなパブやレストランも数多くあり、そんなリバプールへ今年の1月~6月のビザが切れるまで、3回目のイギリス滞在を終え帰国しました。イギリス滞在中、お友達と北欧ノルウェー、デンマーク、スウェーデン、フィンランドへ2週間かけて行きました。すごく良かったので落ち着いたらまた写真もアップしようと思っています。
July 1, 2005
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リバプールで暮らしてたとき、あるパブで頭にウェディングベールをつけた普段着の女の子の周りを大勢の女の子が取り囲んでいる集団を見ました。そのベールには誰が付けたかしらないけどコンドームだらけで、気でも狂ったんかな~と思って、友人に聞いたことがあります。男性達たちが声をかけると周りの親衛隊に彼女に 話し掛けるないで!といわれ阻止されてしまいます。これはアイルランド、スコットランド、リバプールに伝わる古い伝統でHen's night という一種の儀式みたいなもので結婚式の前日に新婦は女性だけで、新郎は男性だけで1日中空いているパブを飲みまわってもし新婦と話が出来ると新婦と浮気ができるらしく、みんながこぞって話そうとするんだけど、周りの取り巻きの女性陣はそうはさせじと男性陣をおいやるんです。なかなかユニークな儀式ですね~ちなみに男ばかりの集まりを stag's night と言って同様なことをするらしいけど、stag's nightには出会ったことがありませんでした。
January 1, 2005
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The Silver Beatles in the Blue Angel in Seel Street, Liverpool in 1960, with regular stand in (sit-down) drummer Merseybeat legend Johnny "Hutch"私が初めてビートルズと出会ったのは、両親が大ファンで幼い頃から耳にしていたので思い出せませんが、2~3歳のころレイビーレイビーと口ずさんでいたことを覚えています。中学生になって英語と触れ合うようになり、ビートルズの詩の意味が知りたくて辞書を引きながら訳しましたが、110曲途中で挫折しました。そのとき初めてこれは、彼らの生まれたリバプールに原点があると思いその決心を親に話し大学を卒業したら留学させてもらうことになったのです。たぶん自分達も好きだったビートルズを輩出したリバプールだったから行かせてもらったんでしょうね、The Beatles 私の暮したリバプールはポップ界のスターを育てた場所として世界的に有名です。今までに全英で最も多くのNo.1トップチャート・アーティストを生み出してきました。しかし、ビートルズのヒットチャート以外ではどんなアーティストが思い浮かぶでしょうか?また彼らは生まれ故郷リバプールに様々な財産をも残しました。期待どおり、街中の至るところにビートルズと歌にゆかりの場所があり、2年間私の足でまわったLiverpooとビートルズゆかりの地lを、感じたままに書いていきたいと思います。
December 31, 2004
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The End Oh yeah alright ,are you gonna be in my dreams tonight?イェーイ 最後まで良く聴いてくれたね、今夜の僕の夢に君はでてくるかな?And in the end the love you take is equal to the love 結局は君が得る愛は、与える愛に等しいんですよ!you make.ah-あ~あみなさん良い年を、、、2005年もよろしくね~
December 27, 2004
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リバプールでの私の生活は、午前中は授業で午後からの授業は週2回だけでした。月に2回チェスターに住んでいて、イギリス人と結婚している女性の日本人教師が英語を教えに来ますが、学校のなかではほとんど日本語を話すことはありません2~3度チェスターにある自宅に招待されたときには、日本語を話しましたが、それ以外ではリバプール大学に通っていたZEN君と会ったときに話すぐらいでした。当たり前ですが日常は英語です。4月にリバプールに来て10月には、テレビをみていても普通に見れるようになり夢に出てくる私も英語を話しています。年を越した2002年にはほとんど日本語では夢を見なくなり、おかしなことに英語を話せないお母さんと話すときも英語になっていました。観光シーズンの7~8月には多くの日本人と出会いましたが、9月に入ってからはほとんど見なくなり、お友達のZEN君、ビートルズツアーのガイド阿部さん、チェスターの先生よしこさんと私の4人以外の日本人はいなかったように思います。何度かロンドンへ行き、そのときには多くの日本人に出会いましたがここリバプールではめったに出会うこともなく、イギリスのお友達もできだんだん寂しいこともなくなり、留学生活をエンジョイできるようになりました。The European Languages Centre Training centres The European Languages Centre Training centres were founded in Liverpool in order to provide students from all over the world with high quality tuition at reasonable rates in culturally exciting and stimulating areas of the United Kingdom.
December 25, 2004
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23日から26日まで、両親と3人で、日本海にある湯村温泉に行ってきました。今年一番のんびり出来たし、2年間はカニを見たくないほど食べてきました。23日のお昼は先日水害にあった出石町で、出石そばを食べましたがここ出石町は但馬で最も古く、最も大きな大きな文化が花開いた街で、江戸時代には仙石氏5万8000石の城下町として栄えたそうです。明治14年、辰の刻に藩士の登城を告げる太鼓を打ったので“辰鼓櫓”と呼ばれていた物見櫓にオランダ製の時計が付けられ、以来時計台として出石のシンボルになってました。その後3日間お世話になった井筒屋さんへ、、部屋には小さな露天風呂が付いてあったので、何度も入りました。来年またリバプールへ4年間行く予定しているので、できるだけ両親とは一緒にいたいと思っています。
December 23, 2004
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1998年に前妻のリンダにがんで先立たれたポール・マッカートニーは、2002年6月元モデルのヘザー・ミルズと再婚後、ミルズさんはゴシップ紙に悪く書かれることが多いんですが、 paul:「All you've got to do is think back to Linda. Linda got rubbished in the first year or so. And then she was established and people got over it. It's a bit par for the course.」 (リンダのときを思い起こせばいい。リンダも最初の1、2年はこき下ろされた。しかし、そのうち世間に認められるようになり、みんなも以前のことなど忘れてしまった。いつもそうなんだよ)とミルズさんを気づかっていました。 Paul McCartney and Heather 2003年10月28日午後8時45分、 Paul McCartney と Heather 夫人の間に、最初の赤ちゃんが誕生しましたね~赤ちゃんは女の子で、Beatrice Milly と名付けられ「ベアトリス」はヘザーのお母さん、「ミリー」はポールの叔母さんにちなんだ名前だそうです。そのミリーちゃんも今年1才を迎えました。ベアトリス・ミリーの誕生が公表されたのは昨年10月30日で翌.日の Liverpool Echo には、親子3人のポートレイトが1面に大きく掲載されポールの弟 Mike が撮った写真だそうです。60歳を超えてからの娘さんさぞ可愛がっているんでしょうね~
December 20, 2004
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