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夏の嫁、第二段。今日からブルルの叔母が遊びに来る。以前何度も登場している、自分で「わたしは壁さえ喋り倒す」と笑う、お喋りの猛者である。独身の彼女は、ブルルを自分の息子のように、そしてわたしの事も自分の娘のように、可愛がってくれる。そうそう、可愛がって貰っているんだから、感謝しないとね。遥々ジョージアから来てくれるんだから、喜ばないとね。子供らも目茶目茶、実の孫以上に可愛がってくれるしね。ただ、これも何度も書いているけれど、食べられるのはハンバーグ、ミートスパゲッティー、ホットドッグ、ピザ、ぐらいなので、そのローテーションはちょっとキツイなあ。きっと、日本でもアメリカでもその他でも、みんな頑張っているんだしね、わたしも夏の嫁、がんばるぞ!
July 19, 2013
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ブルルの両親は満足して帰って行った。ベッドルーム・バスルームを普段に戻しお洗濯を済ませると、わたしは、ま、終わり良ければ全て良し!と、この一週間をこれまでの結婚生活から無理矢理分離し、一度寝たら忘れる性格が欲しいーと思いつつ、結構立ち直りは早いので、お陰様で割りとけろっとしている。うじうじ反省会をした方が賢いようだが、もう16年の経験で、失敗から学んだつもりでもその応用が出来る程の一貫性が相手には無いのを知っているから、また今度の日まで忘れましょ、と言う気分になるのである。学ばない、行き当たりばったりなのは、結局嫁としてしっかり受け継いでいるって事?!がっくり。ブル乃助が今のブルエぐらいの時にミシガンから引っ越して来たので普段お家で日本語ばなり喋っている赤ん坊に英語で話しかけてきょとん、とされたのは今回が初めてだった。勿論日本語も話したけれど、遠くから来てくれた老夫婦に悪くて、ブルエの片言の日本語を訳したり、彼らの前では英語で喋ったりした。ブル乃助などは、わたしには日本語で話しかけないと相手をして貰えないと骨に沁みているので(?)外野が居ようが居まいが、わたしには日本語で話す。英語の時より、ずっと幼い感じで、それでも頑張って一生懸命話す。どうしても単語が出て来ない場合は、余りにももどかしそうなので助けてやったり、本人が降参!と言う感じで訊いて来たりはするが、なんとか成り立っている。だから、わたしは一寸悲しいのだけれど、日本語漬けの後、ブルルが帰って来た時などは、心なしかブル乃助は生き生きと英語であれもこれも喋って止まらない。わたしにも聞いて欲しい時にも、敢えて「Daddy,」と文頭に付け、ブルルに話しているように話し始めて英語で済ませようとしている。(考えすぎかな。)ブルルが居る時も、全員共通の話題の時は英語、でも、母息子の間は日本語、ブルルが分からなかったら訊いて来るし、分かれば英語で参加する、そうすると余程気をつけないと、その内全員英語になる。例えば、アメリカ人の友達の集まりに行ったり、親戚で集まった時には子供だけに分かれば良い内容は日本語だけれど(「鼻かんでらっしゃい。」とか)周りの大人にも聞いて欲しい場合は英語(「コーラはそれでお仕舞いよ、あとはお水。」とか)を使う。微妙に、周りの大人にも、「もうやらないでね」と伝える時とか、そういうのを、もう考えずに使い分けている。ブル乃助の時は、英語が喋れないまま大きくなったらどうするの?と、周りに心配されるのが嫌で、Hooed on Phonicsやらテレビも使って英語も教えていたが、今となっては全く杞憂だと証明されたので、ブルエ(23ヶ月)はキンダーガーテンに入るまでは日本語オンリーで接するつもりだ。だけど、ブルルの両親が居たり、今月は伯母様も遊びに来る予定だったり、近所の子とプレイデートをしたりパーティーが有ったり、そういう時には抱っこして世話している時以外は英語も話す。ブルエの今の語彙力は、やっぱり二ヶ国語なので遅くて、言われたら分かる単語はもっと有るけれど、自分でいつでも言えるのは「ママ、ダダ、おにちま、わんわん(動物全般)、てんてん(天道虫、他虫全般)ぶどぅべでぃー(ブルーベリー)、おいちおいち(チェリオ)、いちご、くーい(キウイ)チキン、牛乳、電気(天井の扇風機も含む)、ぽーんぽーん(ボール、風船、丸い物全般)雨、はっぱ、おふろ、おちっこ、ぷーぷー、おちた、できた、いたいいたい、はあーい、平安五段、キアイ、きれいきれい、かわいー、いいねー、まーす(いただきます)、ぱんかーい(乾杯)、ナイナイ、はいどうど(どうぞ)、あっとー(ありがとう)、もう良いの、など、使い方がおかしいのがまた面白くて(親ばか大爆発中、すみません。)「はいどうどーーーー!」と絵本を持って読めとばかりに突進して来たり、怒って泣いている時にこんな物で騙されるものか、とばかりに「もういいのーーーー!」とぬいぐるみを投げたりする。感情の起伏は、ブル乃助がびっくりするぐらい、ブル乃助より激しい。絵本と言うのは実はとっても危険で、寝転がって仲良く遊んでいたつもりなのに、突然ギロチンみたいに首に落とされたり、分厚いページにまだ指が挟まっているのに閉じられたり、する。寝転がってぬいぐるみでわたしの得意の一人5役で遊んでやっていたと思っていたら、突然人の顔に座って来る。人の顔に座るか普通???英語では、Daddy, Grandpa, Good girl,I feel so pretty(歌)、Squirrels、Baby、All gone、No!など。やっぱり英語が少ないなあ。でも気にしなーい。去年会話の出来るブル乃助と日本に帰国中は、英語を忘れたら大変!なんて心配はせずに日本語だけで色々話した。彼も小学校に通って色々覚えて来たし(余計な事も含めて。「別に」とか。)彼のハーフの容貌とたどたどしい関西弁でも、自分は特に浮いた感じはしなかった。これが、もしわたし達が結婚してから日本で暮らすと決めていたら、重点を置くのは英語教育だろうし、それはこちらで日本語を教えるよりは簡単だけれど、わたしとブル乃助が道を歩きながら英語で喋っていたりしたらそれはそれで変だろうなあ、と想像したり。今この瞬間は英語で話すべき?日本語にしようか?と考え込んだ事は無いけれど、常に小さい迷いと戦っているような感じは、する。鷹が襲って来る訳じゃないけれど蚊に囲まれている感じ?わけわからん?例えば将来ブル乃助が結婚を前提のお嬢さんを連れて来るとかアメリカ人と結婚すれば、そこからはずっと英語になってしまうのかな、だったら今頑張って日本語にこんなに躍起に固執している意味は有るのだろうか。そう言うと、ブルルは、ブル乃助は将来日本人と結婚するって言ってるよ、と。え?そうなの?初耳だー。家庭内の両親の言語が違い、その上外では英語と言うご家庭も、時々聞く。そんな人は、わたしが迷う事なんて、ちょろいんだろうなあ。
July 11, 2013
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今年は日本へは帰らない。その代わり、いつも見逃しているアメリカの夏の行事や風物詩に意識を向け、こちらの親戚や友達と沢山遊ぼう、と思っている。それで、早速、月曜日からブルルの両親が来てただいま逗留中である。一日の、長い事!!!!!!!!!!行き当たりばったりで計画性の無い事!!!!!!!はー、すっきりした。今日も、昨日からお天気もちゃんと見て、お昼はピクニックを予定していたのに、山ほどお洗濯を頼まれた。持って帰る振りなんてしなくていいからいつも通りハンパーに其々色物・白物入れておいてくれたら昨日一昨日から量に合わせてお洗濯したのに!洗濯機乾燥機二度ずつ回してギリギリお昼かな、と思っていたら、外出先から電話があって、ブルルパパ「やっぱり暑いからモールに行こう。」って。モールかピクニック、と話していた時はブルルパパはモールは好きでないのでピクニック、ブルルママもそれで同意していたのに、わたしの中で濃厚なのは、やっぱり暑いとかあれが買いたかったなんとか言ってブルルママが文句言うのを聞きたくないから弱気になった説。ブルルママは自分の近所より大きいモールに来たら生き生きして3時間は歩き回る。いつも、わたしがお供するか途中で男性と別れて、単独で案内して、決められない中あちこち探して回る。最初から何がなんでもモールに行きたかったくせに、だったらそう言ってくれれば良いのに、そうしたらピクニックの準備なんてしなかったのに。なんというか、これこれこういうオプションが有りますけどいかが?と聞かれた時の決め方が下手と言うか、正直に言ってくれないのはもてなされ慣れていないからか、でも車二台で子供二人連れて女王陛下のお供するのもアホらしくて、今日!はじめて!「わたしはお洗濯有るし、もうお昼だし、食べたらブルエ(23ヶ月)は寝るし あなた達だけで行って来てねー。」と!(「!」多過ぎ!)言った。一寸びっくりした感じのブルルとブルルママ・パパは一応納得し、なんだかブツブツ言うブル乃助(8歳)に、しっかりブルルママの目になるように言い含め(老眼鏡を掛けないから価格も素材も読めない)、見送った。はー。そうしたらそうしたで上手くお買い物出来なかったとか聞いたら罪悪感を持つのかしら自分でも余りに面倒臭くて人事のような気分で居た。そして、アイロンを大量に掛け、掃除機・モップをして、お昼の食洗機を空にしていたら、帰って来た! はや!別にモールも嬉しくないし、欲しい物も無いし、かと言って彼女一人にしていつも(わたしが居る時)のように時間を決めて放すのもあれだし、かと言って詰まらないのは態度にみえみえなので、ふん!じゃあもう帰りましょ!となったようである。折角行くのなら、存分見せてあげれば良いのに、一人にさせてあげた方が本人は嬉しかっただろうに、そこは、男の人にはちーーーっとも解らないんだなあ。きっと、バイキングに行って小鉢だけ食べたような気分だと思うよ、と、折を見てブルルには説明してみようと思う。ブルルと言えば、昨日で結婚16周年だった。一寸子連れでは無理そうな、素敵なレストランに二人で行く間、ブルルママとパパは用意していたご飯を子供達と食べシッターをしてくれた。ブルエをお風呂に入れようと8時過ぎに帰って来たら、既にお風呂に入れてもう寝かされていて、ブル乃助は自分のお風呂で鼻歌を歌っていた。去年日本での里帰り中以来、一年ぶりの夫婦だけでの外出であった。わたし達は見も知らないベビーシッターにお願いするのは出来ないので、二時間くらいではあったけれど貴重な時間だった。大事なブルルの父と母、彼を育ててくれて、わたしを受け入れてくれて、孫にも優しくしてくれるし里帰りも気持ち良く行かせてくれる。ブルルもわたしの両親にはアメリカでも日本でもよくしてくれるし、日常日本との繋がりをわたし以上に模索してブル乃助に伝えようとしてくれるし、日本語補習校や一時帰国も、当たり前のように協力してくれる。嫌な思い出も沢山有るけれど、今は無理矢理良い事を頭の中で列挙して、感謝の気持ちを搾り出し、いつか後悔する事のないように励んでいる。出来る事をしなかった後悔は、出来ないけれど頑張ってやり過ぎた後悔よりも、深いと思うから。後悔をしないように、と、する努力は、結局は自分の為なのだから。と思ったら、やっぱり今日モールをご案内差し上げるべきだったのかしらん。・・・・・。ブルルの両親の逗留は第一弾で、これから親戚友人が次々と遊びに来る事になっている。来てくれる人が居るのを、有り難く思わねば、と思いつつ、やっぱり、これが自分の血縁や友達ならもっとお膳立ても楽しいのに・・・それは、何を喜んで貰えるか解っているつもりの高慢から来るのか、何もしないでぼーっと座っているだけのブルルの両親が満足しているのか心配なのか、ぼーっとROKUの映画を観たりする横でネットのニュースを読んでいるブルルにやきもき。お仕着せのツアーこそ用意しないものの、こんなに淡白な思い出で後悔しないのだろうか?そう思うのは、自分の価値観を絶対と思ってしまっているからなのか?ああだこうだ思う自分の未熟さをひしひしと自覚する。
July 7, 2013
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昔、ここで「アメリカでネイルアートをしているのは、キャッシャーかラッパーぐらいである。」と書いて大反響だったけれど、(?)わたしの見る限り今でもアメリカのまっとうな大人はあんまり凝ったネイルをしていない。ネイルアート術は少しは浸透しているし、道具も以前より広く売られているし、ユウテューブやピンタレストでは凝ったデザインも見るけれど、それでも水玉や柄のネイルをしているのは高校生か大学生と言うイメージ。大人は短い爪にヌードな色かフレンチ、だったけれど、そのフレンチがピンクやベージュに白チップと言うのは一寸古めかしい気がする。ブルルの実家付近のコテコテジョージア(それこそPaula Deenの町、世界)などでは、レディーはこれ、と言う幹事でジェルやアクリルのごっつい白フレンチをこの前行った姪の結婚式でも沢山見た。白い所が5mmは有るかな、あれは流石に古臭いとわたしも思う。雑誌などでも、コーラルに紅色、とか紫に黄緑、とか、そんなフレンチを見る。でもねー、そういう色って服に合わせにくいし飽きやすそう。コーラルに金、ぐらいならした事有るけどなー。なんて思うのだけれど、毎日オムツを替えている身としては、自分では指の腹を使っていても相手がどうぶつかって来るか分からないのでやっぱり短くチョンチョンにしている。それでも、何か一寸新しいのは無いかなー、とブルエを妊娠してから見つけた優しそうで気に入っているZOYAのサイトを見てみた。このZOYAの良い所は、サイトで、マニキュアの濃さが1-5で現されていて、1ならばシアーで透けた感じ、それが2からミルキーになって、5だと一度塗りで自爪が見えなくなる程濃い。そして、何色でもあるのだけれど、ファンデーションのような微妙なベージュが無数に有る。落ちにくさはOPIとかと同じくらいで、落ちる前に下の爪が伸びて隙間が出来るので交換と言う感じ。キャンペーン中だったので9本も頼んでしまった。それにしても、こうやって並べたら、ほんとにわたしってつくづく、似たようなのを沢山買っちゃう性質だなあと良く分かる。他の人がやっているみたいにバックがぼやけるように格好良く撮ろうと思ったけれどバッチリ写ってる。(汗)やっぱりブルルのカメラじゃないと駄目なのかな。左から"Jolie", "Cho", "Godiva", "Minka", "Shay", "Pandora", "Anne", "Erika", "Zuza".言い訳じゃないけど真ん中の三つはセットだった。良く見ると全然違うのよー。(本人にしか判らない、多分。)今見たら日本でも買えるようだ。ほんとに何でも有るね日本って![Zoya] 563 パンドラ [Touch Collection] 【ネイル ネイルポリッシュ ラッカー マニキュア】★15:00迄、当日発送。年中無休(^^)v★ZOYA ゾーヤ (ネイルカラー) ビーチ&サーフ ZP625 (15ml)【ZOYA Beach&Surf】 Zuza【こちらも必見!】★【OPI】 Oz Disney Collection★【TiNS】 ネイルカラー 001-706 を発売開始しました特別価格で大放出!新しい、面白いのを探していた割にこんなの?と思うでしょうが、この左から三つ目のGodivaは売り切れで別便で送られて来たくらい人気が有って、ネットでも雑誌でも引っ張りだこの人気の神色なのだ。ガラスのような輝きのジェルネイルが流行っている日本では受けないと思うけれど、別な斬新さがわたしは気に入っている。 トップコートを塗ったらこのマットさが損なわれるのでしなかった。因みに好きなトップコートはSache Vite.根元からすぐ乾くから。ベースコートは余程の時以外、元々わたしはしない。だから、ちゃっちゃ、と二回塗るだけで、早い事早い事!気に入ったー。ただ、一寸手触りが何かに似ている・・・。なんだっけ、これ・・・?あ、分かった!和室の壁!
June 27, 2013
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余りにも間が開いたので、何事も無かったかのように続けます・・・。ほんとは色々有ったけど、構えずにここではつぶやこうかな、と。***********************************BBクリームがアメリカに渡って来た時、まさかこんなに人気が出るとは誰も思わなかったのではなかろうか?人気、と言っても、わたしの周りではBBクリームを使っている人は日本か韓国製のを使っていて、アメリカ人の知り合い、親族一同は全然使っていないから、アメリカで本当に人気が有るのか、は、疑問だ。それでも殆どのメーカーがBBクリームを出して、Laura Mercier(日本にも進出したのかな?Amway系)などは「うちのTinted Moisturizerは元祖BBクリームみたいな物ですから」なんて言っている。Laura MercierのTinted Moisturizerは昔から人気が有って、それはそれで認められていたけれど、そういう広告の仕方は一寸違うと思うなあ。別にLaura Mercierに恨みは無いし、ボディーローションとか好きだけれど、でも、最近はTrish McEvoyの真似っこみたいなケースを出しているから・・・はっきり言うと嫌いである。(なーんだ、嫌いなんじゃん。自分で発見。)Tinted Moisturizerと言うのはもうずぼらな人の間では市民権を得ていて、言ってみれば色つきの日焼け止め乳液、である。BBクリームはそこまで潤わないし、重ねて着けられるし、大体お直し等、術後の肌にも使える優しさと言う触れ込みなので違うのだけれど、アメリカのBBクリームはTinted Moisturizerと大差無く、余計誤解を招く。こう言うとわたしはBBクリームの愛用者のようだが、と言うか誰もそんな事は気にしないであろうが、わたしは冬の屋内で過ごす日ぐらいしか、使わない。そういう日ですら、BBクリームを塗った上に、ベアミネラルである。メークするなら、する、しないなら日焼け止めだけ、その中間の感じ。因みに(だからもう良いってばと言う自分も居るが)ちゃんとメークする日、冬の屋内以外の日はたーっっぷり日焼け止めを塗って、その上に思う存分たっぷりなりちょっぴりなりメークをする。はい、大体たっぷりです、はい。(誰と喋ってるのか分からない、久しぶりの日記。)大体日焼け止めを塗り足りない人口の多いのを、どうしたものか。そうそう、CCクリーム。Colour Correctionクリーム。(色の補正)なんじゃそりゃ?と思いつつ、一人でその内DDクリームなんて出て来たりして、そんなこじつけの名前なのかな、Dramatically Differentはもう有るし、あ、あれはローションか、Dermatologic Dream? Diamond Ditox?なんて茶化していたら、本当に出た。Dynamic Do-all なんだそうだ。なんなのもう、なめてるとしか言いようが無い。次はEE?もうZZまで勝手に行きなさい、と珍しく業界を突き放す気分。長いつぶやき・・・。
May 25, 2013
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終業式、と言っても、日本語補習校は2学期制なので今日は式は無い。昨日は現地校の実質終業式だったが、こちらも、式など無くて、なんだかクラスが学校で賞を貰ったとかのご褒美で、「パジャマ・デー」だった。パジャマで学校に行って、特別にぬいぐるみ、枕、毛布、お気に入りの本、懐中電灯を持って行って、教室の中にテントを張り、ブラインドを閉めて暗くした中、みんなで懐中電灯で本を読むんだそうだ。わけわからん。だが、2012年度最後の授業(?)のこの日、郡内の学校か郡そのものかは不明だが、誰かが武器を持ち込んで事件を起こす脅しが有り、我が家にも郡の教育委員会から録音の電話が入った。こういう脅迫が有りますが、万全の警備を期していますのでご安心を、皆様楽しいホリデーをお過ごしください、と。安心出来る訳ないでしょ!!!そんなニュースは知らなかったわたしはびっくり仰天。本当は学校も休ませたかったけれど、本人を怖がらせるのが一番嫌だったし、心の底では安全だと信じたかったし、元警官のブルルも平気だよ、こういう脅しは事件の後良く有る物なんだよ、と言うし、いつもの悪い癖で、何かが本当に嫌でも、過剰反応しまいとし過ぎて無反応になり、嫌な想像と嫌な予感の区別が自分でも付かなくなり、結局いつも通り、いつもよりも大興奮で喜び勇んで派手なパジャマで出掛けるブルの助を、朝ブルルの運転で登校する様子を見送った。姿が見えなくなったら、一寸涙が出てしまった。それすら、自分の子供が心配なのか、こうやっていつも通り見送ったまま今生の別れになってしまった犠牲者を思ってか区別が自分でも付かなかった。昨日は珍しく物凄い強風で、警報が出る程だった。冷たい突風は、ミシガン湖近辺を思い出す程だ。尤もあちらは今頃もっと寒いが。明日からジョージアでクリスマスを過ごすに備え、備えていたつもりでも最後にブルルが思い付いて必要になった物やジョージアでみんなのストッキングに入れる小さなプレゼントを買いに行く時、少し遠回りをしてブルの助の学校を覗いたら、パトカーが停まっていた。きっとこれが、郡の言う、万全の警備、だと思って、ドキドキするやらほっとするやら、用事を済ませて、今日は反日なので1時前にブルの助を迎えに行った。到着したらわたしは前から4番目で、見晴らしの良い中、何故か早目に下校させる親子を見ながら、安全を確認した。さっき見たパトカー以外にも、入り口には白バイがでん、と停まっていた。後ろでブルエはすやすや寝ていて、わたしは時間が無かったのでドライブスルーで買ったそーっとA&W(最近のお気に入り)のバーガーを食べて、たった15分早退させる意味はなんだろう?と、他の親子を見ていた。きっと向こうはなんでこんなとこでハンバーガー食べてるんだろう?と思ったか、それは知らない。やっと下校時間になりブルの助が出て来て、五年生がドアを開けてくれて、「メリークリスマス!」他ではどうか知らないが、南部では、一時のポリティカリー・コレクトネスは過ぎて、か、それに反発して、か知らないが、クリスマスをクリスマスと呼んで何が悪い?と言う風潮が今年は見られる。「メリークリスマス トゥー ユー トゥー!」車を走らせ始めブルの助は一所懸命日本語で今日と言う素晴らしい日のプレーバックをする。無事で良かった・・・。無事じゃなかったらどうしていたんだろう?そんな事を考えながら、色々持ち物が多かったのでちゃんと持って帰ってきたか確認すると、「あ!本忘れた!」本当は学校になんて持って行って欲しくなかったのに、日本で買って来た「地獄」の本と、英語のトムソイヤーの冒険を忘れて来た。あっちゃー。もう!Uターン。学校へ戻り、一人行かせて入れるか分からなかったので、ブルエを抱いて中へ入る。スパイダーマンの派手なパジャマの後ろは真っ赤っ赤で、小さいお尻が大急ぎで教室に戻って行くのを事務所の前で待っていると、白バイのと思われる警官が教師と談笑しながら出口へ向かって行った。本を持って戻って来たブル之助と学校を出ると、思考まで飛ばされるかのような突風。早足で先程の警官を追い抜かし、車に戻って、心配しているであろうブルルに電話し、帰途に付いた。帰ってその夜、やっと子どもたちが寝た後、実はわたしが心配していた事を打ち明け、パトカーと白バイの話をすると、ブルルは、アメリカ全土で、警官は無償で学校の警備に当たっているんだよ、と教えてくれた。ボランティアで来てくれていたの?ありがとう、と伝えれば良かった・・・と思っても、もう遅い。軍隊の基地の側では、軍人が近所の学校の警備に、無償で当たっているらしい。銃を持った悪者に立ち向かえるのは、銃を持った良い者だけ、と言う哲学は、長い歴史を持った国の人には通用しない。際限なく危険がエスカレートし、相手を武力(行使のみならず、保持と言う意味でも)で負かすのが目的になり、持ったもん勝ち、世界の核兵器の状況みたいになってしまうだろう。今回使われたような、大量殺人をするような銃や、子供用防弾チョッキが品薄だそうだ。銃社会を、こんなに身近に感じたのは初めてだ。15年アメリカに住んでいて、暢気にも、銃を身近な脅威だと思った事は無かった。痩せよう、と思えば、動く量を増やし、食べる量を減らす。お金を貯めよう、と思えば、稼ぐ量を増やし、使う量を減らす。方法は一つでは無い。安全な社会にしようと思えば、銃規制(禁止ではなく)か警備強化か精神疾患者保護か、ではなく、全部やれば良いのに、この国は、どれにしようか、で議論をしている。銃の禁止は実際問題無理だと言うのは、住んでいれば分かるが、相手を蜂の巣にするような銃が必要な人なんて居るのか?車の運転ですら登記、免許証が居るのだから、本人と同居人の精神疾患や過去の処方箋で規制出来ないのか?学校に警官を配備なんて予算を組んだら、ますますアメリカの学業が遅れるのではないのか?性犯罪者同様、社会に危険とみなされた人は、出所以降も監視が要るのでは?選挙権も無い一日本人がここでぼやいても仕方無いのは分かっているが、普段は自分が住まわせて貰っている外国の文句を、その国の人には言わないので一寸吐き出してみた。ごめんね。メリー・クリスマス!
December 22, 2012
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もう、なんだか、悲しくて、腹が立って、仕方が無い。クリスマスプレゼント、上げるのも貰うのも、楽しみにしていただろうな、とか、考えたらもう駄目で、何をするにも白けてしまう。子供を抱っこして、愛を注いでやろうと思ったり、いつもと変わらず接しようと思ったり、月曜日に学校が始まる前には自分達から話を聴かせてやりたいと思ったり、それでも、どう伝えたら良いのか悩んだり。あなたの学校は大丈夫よ、あなたは安全よ、と、そう言えない事の辛さ。絶対安全な場所なんて無いから、とは7才にはまだ酷過ぎる現実だろうし、自分の頃の生ぬるい思い出を振り返ってその差に愕然。犠牲になった方々と、そのご家族と、その関係者の方と、そのお知り合い皆さんに、一日に何度も黙祷を捧げます。心臓が、重くて痛い。
December 16, 2012
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普段、自分の持っていない曲や知らない曲も流してくれるので、家や車ではWPCEと言うラジオを流しっぱなしにしている。クラシック専用のラジオ局で、コマーシャルも無しなので、年に数回寄付を募るキャンペーンが有り、演奏予定表も郵便で送られてくる。日曜日には賛美歌、木曜日にはオペラなのが一寸気分に合わない時も有るし、車では子供用に日本語のCDの時も多いけれど、大抵家では一日中クラシックを流している。それが、大統領選挙と退役軍人の日の週末などで、マーチを沢山流していた。クラシックと言っても、アメリカだからかわたしが知らなかっただけか、結構新しい曲もクラシックと呼ぶらしくて、ラプソディー・イン・ブルーやジョン・ウィリアムスなどを流している時も有る。日本のクラシックの局でマーチは無いだろうなあ、と思いながら、それでも聴いていたらなんだか元気が出て来て、同時に日本に居る気分になった。(パチンコ屋さんの思い出じゃないよ。)不思議と中学の頃を色々思い出したりした。吹奏楽部がこれをやっていたなあ、とか、急に運動会を思い出したり、テニス部の時のクラブ壮行会の様子や、名前も忘れてしまった人の顔など・・・。例:ワシントン・ポスト音楽って本当に凄いなあ、と思う。中学で意地悪された事を思い出しながら、今は曲に合わせて屈伸運動する恐らく踊っているつもりのブルエ(15ヶ月)に突撃される。因みに手拍子をさせると、ブルルのように1,2,1,2,の1または四拍子なら1,2,3,4の1,と3の所で叩くので、演歌ののど自慢風になる。例えば、わたしがうんと年を取った時に、マーチを聴いて思い出すのは、可愛い盛りの娘の事であろうか、それとも思春期の下らない思い出であろうか、前者で有る為には、今のわたしに何か出来る事は有るのだろうか、そんな事を、ぼんやり考えた。マーチ週間(?)が終わってしまうと、なんだか寂しくて、今はマーチだけ流すラジオ局なんてないのかしらん?と探している。
November 16, 2012
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日本から8月に戻って早三ヶ月。もっと、日本の様子や感想や、こっちに戻ってからの事、秋冬ファッションも、メークも・・・と思っている内に、もう、どっぷりと冬である。それでも、書かないで忘れてしまうと個人的に勿体無いので書いてみる。日本日本で「流行ってるんだなあ!」と思って今でも覚えているのは*抱っこ紐 梅雨だったし、電車で乳母車は不便だから?乳母車と言えば、以前に比べて大きいのが流行っているようだった。*クロイ(香水)良い匂いだけれど猫も杓子も、って感じで。ここまで流行に染まるのは、アメリカでは有り得ない。*塩麹 これは未だに良くわかってない・・・。*女装の男性(テレビで) なんだか、社会的に封建的で伝統を重んじるとばかり思っていた日本社会がおもいっきり弾けていた気がした。テレビでもお相撲でも外国人やハーフだらけで、昔の価値観の反対を目指す事が必ずしもリベラルではないし、そして、リベラルが必ずしも社会を良い方向に進ませるとも限らないのに、と、アメリカ目線の身としては思った。*上から目線、どや顔、分かるようで不安な単語が沢山。自信を持ち過ぎても謙虚過ぎても駄目なのは万国共通かもしれないが、こうやってすぐ単語が出来ちゃうのは日本語の凄いところ。*エコバッグ服飾メーカーのエコバッグや、海外のエコバッグを持っている人を沢山見かけた。そして、食料品のお買い物帰りと言う居で立ちでは無く、通勤通学のサブバッグとして使っているようだった。車社会だとなんでも置きっぱなしだけれどそうは行かないので、わたしも自然に日本では荷物が増えたので納得。成田に着いて、まず、ハロッズの(元祖?)エコバッグにトリーバーチの特大紙袋を持っている人を見かけ、ああ、帰って来た・・・とまず思ったものだ。*オーガニック日本の農作物は、もっと安全に丁寧に作られて、基準ももっと厳しいと思っていたけれど(コープさんとか、そういうイメージ)わざわざオーガニックという表示の有る物を沢山見た。日本の果物は、贈答用なんてびっくりする程高いのに、オーガニックだったら本当に高価。化粧品や家庭用品でもオーガニックのコーナーが有って、アメリカで見覚えの有る物を沢山、倍ぐらいのお値段で見かけた。雑誌ではミセスオーガニックさんと言うキャラ(?)が有って大笑い。英語でそんな言葉は無いけれど、もし有ったら、ごま塩のロングヘア、ノーメーク・ノーブラ、山頂の裏庭でお野菜も肥料も作ってます、と言う図が浮かぶが、ミセスオーガニックさんは至ってお洒落で、全くオーガニックではないネイルアートで、お気に入りはアメリカのどぎつい衣料用柔軟剤。そう言えば、ダウニーとか流行っているようで驚いた。ああいうのを大量に使ってプンプン匂うのは、こちらではメキシコ人のウェイターに多い。清潔ですよ、と誇示する為か、或いは大量摂取により仄かな匂いがもう分からなくなっているのか、それでも、メキシコ製のダウニーは香りもキツ目に出来ているそうだ。余談だが、メキシコ製のコカ・コーラには、アメリカ製のようなハイフルークトースシロップが入っていないそうで、メキシコ人はわざわざ南米食料品店にそれを買いに行くそうなので、若しかしたら柔軟剤も然り、なのかもしれない。因みに我が家では、オーガニックは全く徹底出来ておらず、食料品や洗剤は出来るだけオーガニックを買うけれど、汚れが落ちなかったらそのまま気に入ったのを使っているし、漂白剤も使うし、最近のブルルとブルの助のお気に入りはダウニーの顆粒である。ファッションファッションに関しては、毎年流行に飛びつく訳ではないのだけれど、秋冬と、今度の春夏はシルエットが違い過ぎて、なんとなく何を買って良いか分からないんだか、欲しい物も無いんだか、で盛り上がらず、結局この秋はブーツや帽子を買ったりした。日本では、前から、オーバーサイズと言うか、だぼっとしたのが流行っていたけれど、それがこちらに来たのか、それともこれは全く新しいのか、一つだけ分かっている事は、ファッションもビジネスなので、それを言っちゃお終いだけれど、タイミング良く違うトレンドを流行らせるのは陰謀めいている。(?)わたしは物持ちが良い方なので、高校の時のコートや、大学の時のジーンズも、アメリカに来る時に選びに選んだ中持って来た物は、まだ持っている。が、例えば裾のすぼまったジーンズはスキニーのつもりで穿いても股上が深いので一寸違うし、だぼっとしたコートなら持ってるわ、と思っても、肩の丸さが無いとやっぱり古臭い。前にも書いたけれど、それでもずっと保存しておけば、その内ドンピシャな時代が来るであろうから、ブルエが着る頃には丁度良くなっているかもしれないと思って置いてある。今は、渡米前に処分した派手派手ブロッキング若しくはプリントブラウスを、惜しい事したなあ、と思って思い返している。カステルバジャックとか、ミュグレーとか、懐かしいでしょ?大統領選さて、アメリカではやっっっっと大統領選が終わった。毎回毎回、相手をけちょんけちょんにアホ扱いする両陣営・支持者には本当にうんざり。領土境界線の曖昧な内戦のようだと言っても誇張ではないであろう。ご自分のお好きなように、黙って投票すれば良いのに。そしてわたしのように投票権が無い者は、本当に黙っているべきだと思って静かにしている。日本でだって、外国籍の者がああだこうだと日本の政治の話をするのを聴く気の有る人は余程暇で親切な人に限られるであろうから。
November 8, 2012
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あっと言う間に、日本から帰って来て二ヶ月経とうとしている。夏休みの大半を日本で過ごしたので、帰って来てからはバタバタ!記録の為に書くと、Winston-Salemに遊びに行ったり、家族四人でCirque du Soleilを見に行ったり、わたしとブルルが一つ年を取ったり、日本で一歳になったブルエが帰って来て本格的に歩き出したり、慌てて屋内用ゲートを買い換えたり、ブル之助の学校が始まったり、ブルルが三週間連続出張で大変だったり、Camp Lejeuneのビーチハウスに友人の招待で遊びに行ったり、ブル之助が目出度く空手の青帯に昇進したり、転入生にトイレの場所を教えてあげようとして揉めて学校から手紙を貰って来たり、ジョージアから神父の友達が遊びに来たり、ブルルの両親が一週間程遊びに来たり、8月、9月、はそんな感じだった。これだけでも日記みたいな長さだけれど、今日はお買い物日記。一時帰国の時には、いつも、何を持って行くか、何を買って帰るか、これだけ何度やっていても、定番は有るけれども迷う時も沢山有る。家の場合の定番はお酒、お好み焼きとんかつ、その他ソース類・調味料、おかか(大量)、本、雑誌、問題集(公文とか学研とか半分遊びの)、まともな筆記具化粧品(肌ラボの極潤化粧水詰め替え用、ビオレや資生堂の日焼け止め、クレ・ド・ポーのコンシーラーやお粉、Canmakeのラメマニキュア、垢すりタオル、アジエンスのヘアパック、資生堂のビューラーの替えゴム、その他長くなるので割愛・笑)子供の下着(グンゼとかの)、お出汁またはお茶パック、烏龍茶、運転用手袋、自動車用小物(フックとか)、レトルト食品(無印のビビンバやパエリアの素、一人で食べるつもりのハヤシライスやスパゲッティーソース)などである。定番だけで箱一杯という噂も有るが、そこは頑張ってもう一人子供を産んだので運べる荷物も増えたから大丈夫。今回アメリカから絶対重宝するだろうと思ってあまり使わなかったのはMobywrap今見たら、なーんだ、日本にも有るんじゃん。【女の子・男の子の出産祝いに】ラッピング無料・メッセージカード無料・配送日指定可【楽ギフ_包装選択】【楽ギフ_メッセ入力】【楽ギフ_のし】MobyWrap(モビーラップ)ナチュラル 1枚仕立てスリングだっこひもこれは、日本国内では出番こそ無かったけれど、(アメリカでも殆ど使わないけれど)これがあったからこそ一人で子供二人連れて乗り換えや搭乗が出来たと言えよう。日本に着いた梅雨だったので肌も髪の毛も自然に潤って(素晴らしい国!)持って行った流さないトリートメントみたいなのは全く使わなかった。ボディーローションの類も、お風呂上がりにちょちょっとボディーオイルを塗るだけで充分過ぎるくらいで殆ど使わなかった。アメリカから持って行って重宝したのは、外食が多かったので手を除菌する用のジェル、それで乾くキューティクルのお手入れオイル。こんなの→使いやすいジェル状のキューティクルオイル【OPI】【お一人様10本まで】AVOPLEX CUTICLEOIL TO GO/アボプレックス キューティクル オイル トゥ ー ゴー 7.5mlなんだか(このわたしが)色々塗りたくなくなる程暑かったのでBare Mineral、BARE MINERALS (ベアミネラル)[ファンデーション]ベアミネラル マットファンデーション ■#フェアリーライト 6g【コスメ】化粧品【FOUNDATION】◆◆ ◇AMなど。アメリカンエアラインで貰ったリップバームがとても良かったのだけれど、他のにはDermalogicaと書いてあるのにこれにはLipBalmと書いて有るだけで、調べてもなんだか良く分からない。(以前はロクシタンで、ロクシタン製品を初めて知ったのも、飛行機のアメニティーグッズのお陰だった。)本当にとても良いので、無くなったら電話して聞いてみようか。日本で買って良かったのは、*ユニクロのサラファインのブラトップ(着た方が涼しいかどうかは別として)。何しろ楽ちんで、思春期以前に戻った気分だ。体の線を綺麗に出したい時はやっぱりブラはするけれど、家に居る時なんか、このブラトップの長袖Tシャツが欲しいくらいだ。ヒートテックバージョンとか、タートルネックとか、検討してくれないかなあ。買う時に、大きなユニクロで何色にしようか馬鹿馬鹿しいくらい長い間迷って、ブル之助に(参考程度に)「水色とグレーとどっちが良いと思う?」と聞いて見たら、これまた真剣に長い間迷った挙句、「ママにはどっちも可愛いと思うよ。どっちも買ったら?」・・・今度から、デートはあなたとするわ。*前も買ったけれど、ビオレ(その他のメーカーも出している)ウェット汗ふきティッシュ。これが癖になるくらいすっきりするので、待ち合わせの時間の前にお手洗いで「おっさんとおしぼり」の図のような事をやっていたのは、内緒である。これは、こちらに持って帰っても使わないのを全開学んだので、飛行機用以外使い切って来た。*髪飾り。やっぱり日本人の多くてコシたっぷりの髪の毛用に作られているのが、わたしには合う。しかも、なんだか髪飾りが流行っているのか(?)色んなタイプのが有ってまた目移りすること!バーゲンシーズンだったのも有って、目についたの全部買って来た。(そんな高い物じゃないし)かんざしタイプ、熊手タイプ、懐かしのシュシュ、キラキラバレッタ、髪の毛関係の下手なわたしは、実は今も練習中である。*生理用品(突然すみません)長期居たので今回は二度女の子を迎えたので、日本で買ったのだが、やはり良い。まず、アメリカのみたいにスナック菓子?と思うような音がせず、静かに開けられる。それから、日本ではずっとウィスパーを使っていたのだけれど、折角だから(?)P&Gじゃなくて日本の会社の物を、と思って試してみたソフィーがとても良かった。この、「一足先に終わった気分」と言うのが気に入って、色んな種類を買って来た。別にアメリカに無い物じゃないのだけれど、アメリカには無い種類、と言う、そういう物を買って来てこちらに帰ってから使う贅沢な喜び、分かるかなー?(どこが贅沢?って?)月に一度、出来れば気持ち良く過ごしたいので良いとしよう。(だから贅沢じゃないってば、って?)長くなったのでこのへんにして、また思いついたら書きます。
September 30, 2012
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娘のブル恵にとっては、はじめての日本である。来た時には十ヶ月で、今月3日で十一ヶ月になった。相変わらずムチムチなようでも、やはりハイハイやつかまり立ちが増えたからか、昔の写真に比べたら、首や胴が細長くなってきている。とうとう、スプーンで「あーん」とやる離乳食らしき離乳食は受け付けなかったブル恵は、下の歯一本生えかけの状態で、毎日おうどんやら竹輪やらを食べている。チェリオとメルバトーストだけで延命のギネス世界記録を目指していたのだが、実はまだ朝イチにはすぐ授乳、寝る前にも一杯引っ掛けている。色んな考えがあるのは承知だがわたしは、おっぱいは物を食べられる前だけと言う考えなので、ブル之助の時同様、一歳で止める予定なので、一歳のお誕生日きっかりは無理でも、アメリカに帰って落ち着いたら止める予定だが、彼女の様子を見ていたら特に未練もなさそうだ。有るとしたら、わたしの方かもしれない。アメリカではオーガニックの宇宙食みたいなストローつきレトルトパウチ式離乳食が有って、http://www.plumorganics.com/for_second_blends.phpブル恵はそのほうれん草やらブルーベリーやらのミックスを飲み物代わりに飲んでいた。こちらの離乳食事情は進んでいるから、きっともっと良いのが有るだろうと思っていたら、スピーンなしで飲ませられるタイプの離乳食は無いみたいだ。アメリカへお越しのママさん方は、お土産に買って帰られたら外出中や機内で便利だと思う。ブル之助の方も、何度も来た日本だが、今回美味しくて何度も食べたがったのはおうどんで、中でも阪急西宮ガーデンズのフードコートのおうどん(さつまいもの天ぷら付き)がいたく気に入ったようである。彼も、小学校で体験入学をさせて頂いたり、空手にも週二回通ったり、消化をする間もないくらいに新しい経験を重ねて、一寸ハイと言うか、舞い上がっている。何度乗っても電車ではおおはしゃぎで窓にくっついて、一駅しか乗らない各駅停車なのに、「ママっ!すごいね!見て!早いねっっっ!!!」ママは、一寸恥ずかしい。もっと、ツタンカーメン展やら色々連れて行ってやりたいのだが、親があまり欲張って彼の許容量を超えても可哀相なので今回は体験入学と空手に重点を置く事にしている。学校の方は時間割がこくご、さんすう、せいかつ、たいいく、ずこう、しか無くて驚いた。理科、社会、はもう一寸後のようだが、せいかつでは理科のような事をしているようだ。実験みたいなのはわたしも子どもの頃楽しみにしていたから、今日も水に浮く物を色々持ってスキップしていったブル之助の気持ちがとても分かる。念願の給食当番も先週、「絶対こぼしちゃ駄目よ、友達居なくなるよ。」と言うわたしの注意(脅し?)を守って無事務めたようだが、写真を撮るのを忘れて白装束を返してしまった。当たり前だがこちらの空手では「キアイーーー!」なんて言わないのだが、もうわたしの耳には「えいー!」も「ハイー!」も普通にキアイ、に聞こえる。松涛館の偉い先生に付く事が出来て、気持ち良く歓迎して頂いて、大変ラッキーであった。アメリカでは皆が憧れる東海堂と言う所の空手着が普通に使われていて、みんなで型をする時のバシッと言う音の凄さにびっくりした。成る程、だから人気が有るのね。関係ないが、初日の見学中に声を掛けられてびっくりした。高校の同級生だった!良く分かったなー。とびっくり。ブル恵は、環境の差に気付いているのだろうか?何を思っているのだろう?なんだか何処に居ても堂々として、毅然としているのには、逆に見習いたいくらいである。取り敢えず今日はこれでおしまい。
July 9, 2012
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独断と偏見、成田空港と関西地方限定ですが。1、つけまつげ。 JALの人は流石にさりげないのをつけていたけれど、 冗談みたいな濃さのを付けている人が居て思わず凝視してしまう。 ほんと、野球帽の日よけみたいなんだもの。2、暑苦しい格好 みんな細いから様になるのだけれど、でも膝くらいまであるチュニック+長ズボンって 暑いわ見てて。湿気手伝って暑く感じるのに、余計暑い。 それなのに、涼しい下着、涼しいシャツなんかが流行ってて、暑いんだか寒いんだか どっちやのよと言いたくなる。3、長ズボンの折り返し しかも、一寸余裕のあるズボンなので町内どぶ掃除風。足首を細く見せたいのか? でもああやって視線を切ると、絶対足が短く見える。長い人でも。以上。今年はいつかのメロンパンやマンゴーみたいに大人気の食べ物は未遭遇。あ、でも空港からの県道にはおうどんやさんが目立っていた。わたしが食べたいだけ?
June 28, 2012
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毎週土曜日の日本語補習校も、年中、年長と通って今年から一年生になった。ブル之助が日記に憧れていた「宿題」と言う単語も、速攻新鮮味も面白味も無くしたようだが、一応嫌がらずに帰って来るなりやっている。一週間経ったら本人は習った事を忘れてしまうし、わたしの方はやらせるのを忘れそうなのでさっさとさせるのである。何しろ、年間40日間そこらで、日本の小学校課程を終わらせるのだから、高学年や中高になると宿題も大量で、泣きながらする子も居ると聞く。採点は親がするのだが、答えを見ずに出来るのも、何年生までかなあ。今回は宿題とプリントの中に空白の原稿用紙が一枚入っていた。「これ何かなあ?」と何故か得意気なブル之助。プリントを見てみると、作文・詩のコンテスト用だそうだ。「へぇー、詩だね。詩。詩を書くんだってぇ、出来るのかなあ。」と思わず笑ったら、ブル之助は目をまんまるにして、「えっ?そんなに一杯???」し、し、し、し・・・と練習するのかと思ったようだ。わたしは爆笑。英語混ざりで説明する。(最近要領云々抜きで、英語を混ぜないと説明不可能な事が有る。)分かったような、分からないような表情のブル之助。日本の一年生だったら、こんな事すぐ分かるのかなー。一寸心配。
May 19, 2012
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万緑の中や吾子の歯生え初むる・・・最近痛い。まだ歯は見えないし、歯茎を触っても分からないけれど、明らかに噛む動作を楽しんでいるようで、そういう時は早々に「これは歯固めの玩具じゃないの。」とばかりに没収する。今の所、それで分かったのか、わざと噛む事は無くなった。赤ちゃんの内から、個性なのか性別なのか、随分違うものだと感心する。2005年生まれの長男と、2011年生まれの長女(9ヶ月・離乳食ハンスト続行中)。「女の子、可愛いでしょう?」と、女の子のママには「家にも居るから、言わなくても分かってるわよ。」と言う経験者のしたり顔で、男の子のママには「家の男の子の方がほんとは可愛いんだけど、想像したらまあ、女の子も可愛いかな。」と言う感じで、言われる。確かに、男の子だけ育てていた頃は、女の子のお洋服ってなんであんなにチャラチャラしてるんだろう?やーねーオマセで。なんて思っていた。今でも、好みの問題もあるけれど、女児があんまり大人びた格好をするのはわたしは好みでないし、アメリカの女の子の服は、早くからセクシー過ぎると思う。でも、自分の女児が着る服となると、スイカやお花のアップリケやレースやおリボンや丸い襟に、以前は消防車とかギターや四角い襟や大きなポケットなどに感じていた同等の愛おしさを感じるようになって来たから不思議だ。わたしの場合、兄弟、姉妹、を産んでやるのは叶わなかったけれど、両性を授かる幸運を体験して今思えば、確かに両方可愛い。比べれられない。敢えて言えば、男の子は子犬の可愛さ、女の子は子猫の可愛さ、と言う感じかな。二人共、比較的良く寝るし、生後一ヶ月くらいから夜も寝るようになって、時々寝言は言っているけれど、概ね6-7ヶ月くらいから自室で一人で寝ている。二人共、お風呂が大好きで、泣いても大抵抱っこしたら満足する。好奇心の塊で、一度落ちた所やぶつけた所でも、もう一度痛い目に遭いたいらしい。何度でも。二人目を育てながら、一人目の事を思い出す。比較研究の材料を使わない手はないと思うので、堂々と比べているけれど、これも、将来は心(と楽天)の中だけに留めておいた方が良い日も近いのだろうか。授乳の時にブル之助が両手の指をそっと揃えながらグビグビ飲むのも可愛かったが、相変わらず片足をぴょこん!と垂直に立ててわたしの上腕を抱き込むように絡ませこすり、クプクプ、と言う感じで飲むブルエも可愛い。どこから見ても男の子なのに実は太ももがムチムチのブルブル、と言うのも可愛かったし、女の子用の服を着せるだけでタイツ付きなら「バレエを習っている子豚」、暖かくなってタイツ無しのロンパースだけだと「シンクロに挑戦している子豚」みたいなのも可愛い。男の子なのに耳の周りの髪の毛だけ異様に生き残って伸びて、耳に掛けているのも笑えたけれど、女の子なのにおでこと頭の境界線がはっきりしない頭で、「頭」であろう部分に「おでこ」のシワを寄せているのも笑える。男の子が抱っこして欲しくて甘えて泣くのも可愛いかったけれど、(これは男の子を育てながら密かに想像していた事だが)女の子が立派なゲップをして心持ち誇らし気なのも可愛い。つかまり立ち全盛期のブルエは、まだ伝い歩きの可能性に気付いていない。大体、足首から一寸出ているだけのあんな小さな足で、あんな重い頭を支えて歩けと言う方が無理な話であろう。赤ちゃんの、あの、笑えるバランスも、良く見たら良く考えて出来ているなあ、と感心する。指がもっと長かったら喉に詰まっていただろうし、腕がもっと長かったらオムツ替えの時に届いちゃって大変だろうし、脚がもっと長かったらベビーキャリア-で持ち運びも難しかっただろう。鼻がもっと高かったらアチコチぶつけていただろうし、最初から歯が生えていたら、母乳哺育は困難だ。母乳と言えば、9ヶ月になってから人間用食べ物(離乳食は食べないので)一日3度、朝と夜だけ授乳、を目標に今調整している。ブル之助の時も思ったけれど、やっとリズムに慣れて来た頃、いつも次のハードルが待ち構えている、赤ちゃんの人生って可哀想だなあ。でも、TIMEの表紙を見て、ああ、やっぱり次々ハードルを超えてこその人生なのよね、と思った。他の人が別にどうしようと、どうでも良いのですが、人の振り見て・・・の自由は、きっと許される筈ですから。調整、と簡単に言ったが、こっちもこっちで痛いのである。ココナッツのように、カンカンに張って、重く固く、痛いのである。関係無い事でブルエが泣いても、反応して蛇口が開いたようになって大変。こういう色々な痛い思いと嬉しい思いを、ブルエも将来繰り返すのだろうか?ブル之助も将来誰かがこんな思いをするのを間近で見るのだろうか?ブル之助には、わたしが心得として伝えてやるのが役目なのだろうか?関係無いけれど、女の姉妹が居る男性は、良い彼氏・夫になる気がする。現実的に女性を毎日見ているから。そう言えば、もっと関係ないけれど、わたしが真剣にお付き合いをした人は、必ず姉か妹、若しくは両方が居た。ブルルにも姉も妹も居る。ブル之助にも、将来良い彼氏・夫になって欲しいなあ。そして思った。わたしには妹しか居ない。と言う事は、わたしはあんまり良い彼女・妻では無いって事・・・?(涙)
May 14, 2012
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今日で七歳のブル之助。特別に何が食べたいか訊くと、Golden corralに行きたいと!日本で言ったら・・・いや、日本には一寸無いなあ、こういうレストラン。親孝行な息子に育ったもんだ・・・。食べ放題だと言う事のみが売りの、巨大バイキングレストラン。日本でバイキングと言うとホテルを思い浮かべるけれど、食欲の鬼同士がぶつかって落としても割れない、何て言うのかな、重いプラスチックみたいなお皿、飲み物のコップもプラスチック、ナプキンは紙である。初めはケーキを焼いてと頼まれていたが、このレストランにはデザートも沢山有るので、「じゃあ要らないね。」の一言に軽く納得。沢山色んなケーキが食べられるんだから、文句は無いようだ。やったー。実は、妊娠糖尿の時にお買い物中みんなが好きな物を、わたしは許される物を食べられるので立ち寄った。そこで、シュガーフリーのケーキも結構有ると発見して、数回行ったが、出産後糖尿が治って以来、とんとご無沙汰していたのである。実は名案だと思った理由は、ケーキを焼かなくて良いだけでなく、ガヤガヤした活気の有るレストランなので、ブルエがちょっとくらい泣いても、目立たずに脱兎の如く外へ連れて行ってあやせるからである。レストランでそこまで愚図った前例は無いのだけれど、日本語補習校の卒園式、空手教室では、乳母車ダッシュをしましたとも。この、運任せで落ち着かないのも、どうせ数年だもんね、仕方無い。ブル之助が七歳だなんて、わたしも母親を七年もやってきたなんて、何故か、今までのお誕生日はそれなりの感じがしていたのに今回は嘘みたいだ。多分、ブルエ(0歳九ヶ月:依然離乳食ハンスト中)が生まれて100%構ってやっていないから、若干、勝手に大きくなっちゃった気がするからかもしれない。ブルエが生まれたと言うだけで、手も足も巨大に見えるようになったと言うのもあるかもしれない。「スパゲッティー」も言えるようになったし、この一年で幼児語と大分オサラバした。突然「ママー大好きよぉー」とダンス付きで歌ってみたり、夜寝る前に見に行く時にたまたま起きていたら大喜びで、足音が聞こえるだけでベッドでバタバタしている。お休みのキスを待ち焦がれるマルセル・プルーストの主人公みたいだ、と思ったらわたしの顔を見て、寝たまま自分の片脇を叩くいて「こっちおいで。」!思わず釣られそうになるけれど我慢して、ベッドの脇からハグをして寝かせる。子供って、なんであんなに一緒に寝たくなる空気を発するんだろう。そんな彼の将来の夢はエジプト考古学者。里帰り中に神戸で見た「トリノ・エジプト展」以来、ハマっている。天保山のツタンカーメン展なんて連れて行ったら、興奮して爆発するかもしれない。シンケンジャーの、赤だけ持っているので他も揃えて、日本には赤いのを持って行ってみんなで遊ぶんだー、と意気込んでいたのに、調べたら放送終了、製造も終了らしい。くぅぅ。「でもきっとまた新しい何かもっと格好良いのが有るよ!」と言ったら「それで大丈夫!」と明るい返事。ケーキにしても、玩具にしても、わたしは7歳の時こんなに諦めが良かったかな?今年は夏の里帰りが叶う。ツタンカーメン展は、終わった所のようで残念だけれど、暑いだろうけれど、それでも家族でとても楽しみにしている。今回はブル之助も色々覚えていて楽しみにしているので、いつもはブルルと合わせて二倍の楽しみが、今回は三倍だ。でも、ブルエも居るので飛行機内の事が心配で心配で、・・・心配だ。さ、そろそろ出掛ける準備して来ます。沢山食べられて汚れても良くて、走れる服・・・最近そんなんばっかり。(涙)
May 6, 2012
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昔同じタイトルで書いたので、其ノ二。だんだんタイトルも尽きてきた。Louis Vuittonの雑誌広告(こんな感じこれも)を見てブル之助が言った。「あ、これママと絶対同じみたいねー。」(よく似てるね、と言いたい。)彼が言っているのは、服でもなく、モデルの顔でもスタイルでもなく、適当に高い所でまとめて、それでも足りないかのように細いカチューシャをしている髪型なのだ。「やーねー、真似して!」こんな、アメリカの主婦の本気家事モードの髪型でも、こうやるとなんでこんなに可愛いんだろう?そして、この、大きな襟、小さな肩、大きなボタンって、こんなにほっそりとしかも成熟した体型でもこんなに頭でっかちで子供っぽく見えるって事は、普通の人が来たらおしまいですやん。普通の人がスタイル良く見えるような服を作って欲しい、と思う時点でファッショニスタ失格なのか?大体、マーク・ジェイコブスの出たがり振りには、まだみんな飽きないのが不思議だ。今度は化粧品、と聞いて、それは気になるのだが。雑誌で言えば、Harper's Bazarがリニューアルした。表紙のグイネス、セクシーと言うより、下世話な言い方をしたらエッチだなーと思った。なんか、この、髪の毛以外体がつるつると言うのを強調したようなのってエッチだなと思う。BazarはVera・WangやDemi Mooreなど、ピチピチの年齢じゃないのに素晴らしい体の人を最近良く載せている。けれど、なんだか、首から下だけプラスチックみたいで、アメリカではこれが美しいんだけど、所変わると不気味なんだろうな、と思う。やたら白い歯やら、やけに小麦色の肌、体はツルツル、でも眉毛はぼうぼう(これはWang女史)。なんとか筋とかがびしっと見えるよりも、すらっとしていたら柔らかそうな体の方が綺麗だと思うわたしはイマイチアメリカナイズされきっていないのか、それでも日本的でも無い気がする。日本は、細ければ細い方が美しいんだもんねー。(ため息)服も顔も派手なわたしは近頃煙ったような色じゃなくてはっきりした色や柄の流行が大歓迎だ。口紅だって、お化粧し始めた頃は何はともあれキチンと塗っていた世代なので、グロスだけでなくて、リップライナーから丁寧に塗るのも厭わないし、顔から浮いても見えない。お化粧をし始めたのがグロス全盛の子たちは、抵抗が有るんだろうなあ。それでもわたしも目もしっかりしないと口紅だけでは・・・下手したら鏡を見て昔の自分の母親と見紛う感じになってしまうが。コクーン型と言うあの、だぼっとしただけでなく肩が狭めの丸いラインのコートとか、あれは今は可愛いく見えないけれど、本当に街に溢れるようになったら可愛いと思えるのか。そう考えたら、わたしもFashion Victimだなあ、と思う。流行には、それを作り出す人の他には、先取りしてさっさと次へ行く人、それを広める人、そして後からついていく人が居るらしいが、わたしは後から付いて行ったり行かなかったり、だ。なんだかあんまり流行りの格好をするのも恥ずかしい年になったし、「これなら」と言う体型に合った流行りでも、10年後に着られるかな?なんて考えてしまう。日本では断捨離と言うのが流行っているらしいが、サイズが変わらないと言う前提なら、服は出来たら置いておいたら良いと思う。わたしは古い服を沢山持っているし、本当に何でもないデザインのセーターやコートは、10代の頃から着ている物も結構有る。(改めて書くと凄いなー。)それでも、ずっと着ていたかと言うとそうではなくて、休憩期間と言うのがやっぱり有って、その時に捨てていたら、当然今は無い訳だ。捨てた中にも、あれが有れば、と思うと惜しい物も沢山有るので、捨てないで置いておく。住宅事情が許すと言う大きな条件の元の贅沢であるかもしれない。例えば、先が細くなったピッタリジーンズは大学の事頃のが有るのだけれど、色が微妙に綺麗過ぎるブルーなので、今は一寸履けない。スカーフもアホ程集まっていたのに、全部正四角形なので今みたいにぐるぐる巻けない。ベルトも沢山有るけれど、低い位置で締めるとなると、長さが足りない。だぼっとしたコートも、丸いコクーンラインじゃなくて、肩がしっかりのAラインなのでやっぱり違う。ラインだけでもそうなのに、他に生地や柄や細工の流行も有る。昔カッコいいと思って着ていた物程、今見たらカッコ悪い。そう思ったら、流行に乗っていない物を選んだ方が得な気がして、そう思ったらなんだかつまんないなー、と思ったり、揺れる揺れる。いっそ、娘が成人する頃には、何が流行っても「ハイこれどうぞ!」と出て来るようなクローゼットを目指そうか。娘と言えば、そうそう、授乳中なのでまずはさっと出せて皺にならずお洗濯簡単なのが大事なのだわ、今は。とか言いながら、一寸80年代みたいなブロッキングのワンピースを可愛いなあと思って見ている。一生言ってなさい、って事ですね。はい。
April 14, 2012
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ムッチムチの家の長女ブル恵。(8ヶ月・離乳食ハンスト中)手首の皺はくっきり、輪ゴムしてるみたい、どころか、ネジで組み立てられたみたいに、あちこちに線がくっきり入っている。キュッキュッキュと左に回したら取れそうである。最近のブル恵。趣味:味見、ブランコ、涎作成、器械体操好きな食べ物:雑誌、本、カタログ、雑誌に付いている定期購読勧誘ハガキ、足の指嫌いな食べ物:おかゆさん、スイートポテト、バナナ、人参、ライスシリアルの母乳和え、離乳食全般好きな音楽:WCPE、Radio Mozart、掃除機の音嫌いな音楽:金属音、ママのピアノ全般将来の夢:ヤギお陰様で8ヶ月になりました。奇しくも8ヶ月になった翌日に、ベッドのわたし側の横に置いていたバシネットの柵をどう乗り越えたのかいきなりどーんと落ちたので、(びっくりした!)慌てて自室のベビーベッドで寝かせ始めた。バシネットはプレイペンに早変わり。わたしは昔「Cage(檻)」と呼んで笑われたけれど、ブル之助は「Jail(牢屋)」なんて呼んでいる。どんな呼び方でも、安全にそして少し自由に遊ばせておく事の出来る場所は貴重だ。自分が来ていた頃は「しらん」と言う感じだったのに、ブル恵がお古を着ていると、それに書いてあるアップリケの言葉をブル之助が読む。赤ちゃんの本や、小物に書いてある事も一々読んでは笑う。自分の小さい時にどれだけ大事に可愛がられていたか、今のブル恵を見て知ってくれると嬉しい。ブル恵がどんなに可愛がられて育ったかは、ブル之助が将来本人に伝えてくれるであろうから。離乳食の例等、ブル之助と大違いで気難しい片鱗が見られるので心配したが、一日目から自分のベッドでぐっすり寝ている。一応モニターを付けているけれど、朝7時か8時ぐらいに声が聞こえるまでは、たまに寝言のような声が聞こえるだけだ。それでも、そんな小さい声にも飛び起きて、心配して見に行く。すぐ横を覗くのと違って大丈夫と確認して戻って来た頃には完全に目が覚めてしまうので、なんだかまた新生児の頃みたいに暫く疲れてぼーっとしていたのだが、すぐに慣れてわたしもまた朝までぐっすり寝ている。ぐっすり寝るのには、すぐ慣れる。(笑)やっと、チェリオと短く切ったスパゲッティーと卵ボウロは自分で食べるようになった。歯ごたえ、いや、歯は無いから歯茎ごたえ(?)の無い物が嫌いなのか?謎。
April 6, 2012
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(もしRedshirtingされている方がご覧になった場合はお気を悪くされると思います。申し訳ございません。個人の日記・意見ですのでどうかご容赦下さいませ。)ブル之助が幼稚園に上がった2010年にも、その存在は知っていた。ベストセラーは嫌いなくせに、Malcom Gladwellの本も、三冊共読んだ。Redshirting。8月後半に入園・入学のこの郡で、ブルの助と同じ年の子がその年は幼稚園入園を見送ると言うのだ。え?なんで?と、至極無垢に理由を問うと、その子は遅生まれで体も小さく精神年齢が低く、学校生活について行かれるか不安だから、一年遅らせて丁度良いの、と、その子のご両親もまた至極無垢に語って下さった。へーそんな事が出来るのか。まあ、男の子は体の大きさや、早く走れるかとかそんなのが重要な年頃も有るし、遅生まれならそうするのか、家は5月生まれで良かった、と思っていた。それから9月に現地校の幼稚園が始まり、4月に日本語補習校が始まった。補習校では超早生まれなブルの助は確かに背も高いし、集団生活にも慣れているし、まだ現地校に行っていない子に比べたら普通にしていても最初の方はお利口さんに見られた。でも、もう年中の後半では、器用な子は遅生まれでもうんと器用だったし、楽器に秀でた子や、絵が飛び抜けて上手なお友達、漢字が書ける子、体は小さくてもブランコの技が物凄い子、上に兄弟が居ておませな子、お誕生日なんて、あんまり関係なくなって来るものなんだなあ、と言うのがわたしの結論だった。時は今に戻って、先週一年生の遠足に出掛けたブルの助が、初めて先生からレッドカードを頂いて来た。先生によって色んなシステムが有るようなのだが、去年幼稚園の先生一セントペニーを使ってご褒美・罰金制度、今年の先生は各自すごろくみたいに電車を動かして、ポイント別にイエローカード、レッドカードとなるらしい。注意を受けたらポイントをつけられ、月の終わりにカード無しで来られた子にはご褒美が有る。今まではご褒美の小さな恐竜やらを「宝箱」から選んで貰って来たのに、遠足から帰った日の午後、注意を何度も受け一気にイエロー、レッドを貰って来た。遠足で大興奮する予感がしていたから、「沢山の興奮した子供達を連れて行くのは大変なんだから、 嬉しいのは分かるけど、ちゃんと先生の仰る事良く聞くのよ。」と言ってあったのに。先生からのお手紙を読んでから事情を訊くと、学校へ戻って来てお友達が意地悪をするので腹がたって、教室のすみで画用紙を空中に放って空手キックをしていたんだそうな。・・・。わたしの小さい時にも居たよ、そういう怪しい子。もう少し訊いてみたら、そのお友達と言うのが、いつもの子なのだ。彼は一年生なのにタイクワンドー(テコンドー)の黒帯で師範の資格を持っていて、掛け算も割り算も出来て、フットボールはコーチよりも上手くて、・・・と言う子らしい。そんな子の言う事、丸呑みするなよ、と思うけれど母としてはどう言ったものか?(因みにブルルは「そんなん嘘に決まってるやん!」と日本語で言っていた。)その子と、その子の子分みたいで言葉遣いが悪い子が、いつもブルの助に意地悪で、よくブル之助は理解出来ず悩んだり怒ったりして帰りの車での話題に殆ど毎日上がるのだが、その二人共が、今8歳なんだそうだ。それだって嘘かもしれないけれど、クラスで先生とお誕生日や年齢の話になった時に上がったらしいので、本当なのではないか、と思っている。ブル之助は今6歳だ。それで、遅ればせながらこの「一年遅らせる」例を調べてみた。もう一度CBSのビデオを貼っておきます。http://www.cbsnews.com/video/watch/?id=7400898n&tag=contentBody;storyMediaBoxさほど遅生まれでなくても、成績やスポーツや将来の大学の奨学金目当てに親が判断して遅らせるのだ。ブル之助の例があるので、2010年と違い今は、「(クラスでも社会でも)リーダーになって欲しいから」と言う親が、わたしには自分本位で怠惰で反社会的に思えてならない。8歳の子が6歳の子を苛めて何が嬉しいのか?自分の子供の読み書きさえ教えるのが楽ならば、他の子の純真無垢さを汚しても構わないのか?物心付いてからずっとサナギと勝負して勝っていたチョウチョが、チョウチョばっかりの社会に出て、まやかしの経験と自信だけでリーダーになれるのか?ルールに従うフォロワー(⇔リーダー)にならずして、真のリーダーになり得るのか?一体何の為のカットオフ(誕生日による締め切り)設定なのか?CBSの上記のビデオを見ていたら腹が立って来た。一年坊主には相手が何歳か、重大問題だ。年上を敬いなさい、とも家では口を酸っぱくして教えている。「**は8歳だから出来るけど、ボクは出来ないよ・・・。」と落ち込むブル之助を見ていたら思わず「なんで**は8歳なのに一年生なの?どこか悪いの? とっても頭の良い子は飛び級って言って学年を飛ばすのは知ってるけどね・・・。 ブル之助はそうなる位、頑張るのよ!」なんて言ってしまった。このくらいの年の子は、親が言った事を何でも学校で言うから、繰り返されても害の無い程度に、ブル之助は素通りする程度に、性格の悪い母登場。そして、我が家の長女(生後七ヶ月・依然として離乳食ハンスト中)は8月生まれだ。究極の遅生まれ。日本で言えば、3月生まれ。・・・。意地でも普通に進級出来ますように。***********************************9月19日追記日記中、「遅生まれ」と「早生まれ」を全く逆に使っていました。ややこしくてすみませんが、万が一ここをご覧になって間違って覚えた方がいらっしゃってはいけないので訂正します。わたしは早生まれ、遅生まれ、は、その年度・学年の間での話だと勘違いしていたのですが、そうではなくて本当は一年間の中で早いか遅いかの話だそうで、そうするとこの日記中では全く逆に使っていました。お詫びと共に訂正致します。本当にややこしくてすみません・・・と言うか、ややこしいのはわたしがアホだからですね。涙
April 4, 2012
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主寝室で朝の授乳を終え、メールとお天気をチェックしていたら気付いた。あ、今日はホワイトデーだ。既に起きてブル之助に朝ごはんを食べさせ準備させて学校へ送って行って戻って来て下で仕事中なのかブルルがスカイプに繋がっている表示が出ている。You know what today is, right?「今日は何の日か知ってるよね?」RIGHT? 「ね?」WHITE DAY!!! 「ホワイトデーでーす!」ただ、ホワイトデーだねえ、と言いたかっただけなのに、下へ降りて行くと、「今日はお昼どこかに食べに行く?」「何か欲しい物有る?」と一寸慌て気味の夫ブルル。バレンタインにはチョコマフィンを焼いて、ちゃっかりわたしは素敵なカードと新しい掃除機を買ってもらったのをお忘れらしい。因みに新居は床が殆ど木なのでこんなの。【期間限定特価!】【3/15am9:59迄プラチナ3倍ゴールド2倍】【Joshinは平成20/22年度製品安全対策優良企業 連続受賞・プライバシーマーク取得企業】ZB2904X【税込】 エレクトロラックス サイクロン式スタンド&ハンディクリーナー(コッパー) 【掃除機】Electrolux ergorapido plus エルゴラピードプラス [ZB2904X]【返品種別A】【smtb-k】【w2】多分これと同じ。家のは18Vで、家のもオレンジ色。吸引力はお値段に比例してダイソンの三分の一くらいかと思いきや、結構強い。半分くらい。カーペットの上ではお話にならないほどダイソンには劣るが、ほうきとチリトリの代わりだと思えば、充分満足。メイン掃除機の部分が取り外せるのだけれど、わたしはこの機能は使わないし要らなかった。タンクのゴミ捨ての時に外すだけだなあ。こういうStickvacumの良い所は腰をかがめないで良い所なんだし。今までダイソンのパイプを使っていたお台所のアイランド周りや冷蔵庫の下などにもするする入る。ダイソン本体は余り傾けると床から離れてしまって吸わないのだけれど、お椅子の下くらいの角度なら余裕で入れられる軽さ・小ささ。何を食べるにもクッキーモンスターみたいなのが二人も居るので(40代と6歳)主にお台所で大活躍。コードレスって、本気でお掃除していると一階だけで電池が切れてしまうのだけれど、ささっとする時に、今までいかにダイソンを引っ張って、コード故に来た道を戻らねばならないのが億劫だったか気付いた。でも、毎回タンクを空にしないといけないのに慣れるのには数日掛かった。乾燥機のゴミを毎回捨てる、そんな感覚になって来て、慣れたら平気なのだけれど、そして、多分毎回しなくてもそんな一杯にはならないのだけれど、ずぼらなわたしは飛ばすととことん飛ばしてしまいそうで、逆に毎回やっている。さ、お忘れのようなので、何か買って貰おうかなー。うっひゃっひゃ。いい一日になりそうじゃ。
March 14, 2012
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土曜日はブル之助の日本語補習校の卒園式だった。4月からは、晴れてピカピカの一年生、秋から現地校では二年生である。年長組の間は妊娠・出産・引越し・子育てでブルルに任せっきりだったので、久しぶりに学校へ行くと、いつも他所の子の成長ぶりが面白い。昨日はみんなおめかしして、年度末でお別れのお友達も居たり、6歳なりのドラマを目の当たりにした。アメリカ国歌、次に君が代。久し振りに張り切って歌いましたとも。次は校歌。中に「2つの旗 交わる **補習校♪」と言う一節があるのだが、アメリカ風の発音でブル之助が歌うと「2つの腹」に聞こえる。なんだかその方が深い交わりのような気がするけれど笑ってしまう。幼稚部の送辞・答辞は「おもいでのアルバム」の歌だった。年中の子たちを見たら、家もあんなにオボコかったのかー、とすっかり先輩ママ気分だ。校長先生のスピーチで、人の命も自分の命も大切にしましょう、と言うお話で、先生が日本で教鞭をとってらした折の生徒さんのお話をして下さった。その女の子はおそらく先生がお教えになった中で一番優しくてみんなに公平だったそうだ。いつもどんな子にも優しく接していたらしい。ある日、運動会の練習を一生懸命していた頃、先生が朝登校される時に、激しいサイレンの音に気付いて見ると、その子のお家から火の手が上がっていた。大変だと思って飛んで行っても勿論、消火作業の人員以外は近づけず、お母さんを見つけて話を聞いたら、その子と、その子のおじいさんは亡くなったそうだ。離れに住んでいたおじいさんが寂しいだろうと、一緒に住むようになった優しい女の子。先生は、スピーチ中この話を始められた途端喉を震わせ、ゆっくり仰った。女の子とおじいさんは、実は逃れていたのだそうだ。それが、別々に逃れた為に、それぞれ、お互いを探しに火の中へ飛び込んだとの事。発見された時には、手を繋いでいたと・・・。命を大切にしましょう、人を大切にしましょう、人を愛し、自分を愛する人間になって下さい、そういうお言葉だった。大阪出身のこの校長先生の関西のイントネーションも手伝ってか、わたしには卒園式の中で一番心に残る瞬間だった。勿論、地震の話も繰り返された。黙祷もした。日本にいらっしゃる方々には雰囲気は伝わりにくと思うけれど、粗例外無く、在米日本人の中でも東日本大震災のショックは大きく、悲しみも計り知れず、この一年、不安な気持ちで情報を集め海のこちらから見守って、涙して、そして祈ってた。アメリカ文化の中で多分一番素晴らしいのは寄付文化であるかもしれない、その中から、各地の日本人団体が様々なチャリティーを繰り返した。決して日本人がうようよ居る訳でも無く、リトルトーキョーも日本への直行便も無いこの中都市でも、わたしが知る限りでもチャリティー音楽コンサート、ガレージセールなどが開かれた。わたし達も、去年2つのコンサートへお邪魔し、今日もまた一つに行って来た。今日も、黙祷をした。はっきりとは知らないし訊いた事も無いが、多分、会場費、レセプション準備以外は全て寄付で賄われていると思う。若しかしたら会場なども好意で借りているのかもしれない。兎に角、かき集めたママさんコンサートの域を遥かに超えるレベルで、ピアノなるフルートなり声楽、バイオリン、クラリネット、アレンジ、どれをとっても日米の音大で勉強されたプロ、またはプロ並みの人の凄さで、パンフレットを読んで引っくり返る。無料で聴きに行くなんて恐れ多いくらいなので寄付もきっと沢山集まると思う。こういう音楽コンサートで思うのは、例えばもしアメリカで壊滅的な悲劇が起こった場合(9-11とも一寸違う)日本のアメリカ人はこうやって同じアメリカ人同士に寄付を乞うだろうか?だとしたら、どんな事をして人を集めるのだろうか?それを、日本人はどれだけ助けてあげるだろうか?と言う事だ。どちらがどう、と言う事では無いけれど、こういうコンサートに来ると、日本人の本当の意味での文化的豊かさの深さを思い知らされる。特に、今日の声楽の男性は素晴らしくて、わたしのお墓で泣かないで下さい、と言う歌を聴いていたら涙が止まらなくなってしまった。最初は、歌詞を聴いていたら阪神大震災を思い出して、そうしたら今度は「今日はあの震災の事じゃないのに」と、なんでも曲解する自分の自己中心性に腹が立ち、次はそれでも東日本大震災も、もし次に大きな地震が有ったら風化してしまうのか、とか漢字テストぐらいでしか知らなかった「未曾有」なんて言う言葉を毎日聞いた阪神大震災直後だったけれど、それよりもっと多くの方々が犠牲になって、地震だけじゃなくて津波まで来て、未曾有、より強い表現は一体なんだろう、どんなに怖かっただろう、と考えて、ブル之助やブル恵を見ていたら、犠牲者の方々の希望や将来の可能性の中に、まだ出来ても生まれてもいない命も含まれていたそう思ったら二万人?とても数えきれない命が消えてしまったのだな、と悲しくなった。そうしたら、次の曲が、一昨年帰国中に父の大学のグリークラブのコンサートで観客も一緒に歌った「なだそうそう」で、もう、自分がなんで泣いているのか一寸分からないくらい泣いてしまった。地震、雷、火事、親父、と言う文句の歴史的背景や言った人の知識は無いけれど、多分、それだけ、昔から付かず離れずの範疇の恐怖で有ったのだろう。全部怖いけれど、こんなにみんなで責めないでも・・・、次は雷!?と言う週末だった。何度も言うけれど、次に大きな地震はいつかまた地球上のどこかに来るだろう。このアメリカ東海岸だって、全く0%だと思っていたのに、去年そうでないと分かって愕然とした日本人も多いと思う。それが、せめて地中深くて被害が少なくて済みますように、そして、出来るだけ今から年月が経ってから来ますように、と思うのは、東日本大震災の事が忘れられて欲しくないと言う理由も大きい。音楽は大好きだけれど、わたしは、特に、歌に弱い。マイク無しで、魂を込めて歌っている人を見るだけで感動してしまうのに、あんなに上手に、あんなに優しい歌を歌われたら、何故か悲しくてたまらなくなってしまった。日本中がきっと、あの日の事を、忘れたい、でも忘れてはならない、話したい、でも話したくない、見たくない、でも・・・。そんな気持ちで過ごしているのだと思う。こんな、アメリカくんだりでも、一年経っても、まだ皆さんの事を思っていますよ、とそんな事を聞いても誰も嬉しくないとは思うけれど、書いてみたくなった。がんばれ日本。
March 11, 2012
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金曜日は遠足ー!金曜日は遠足ー!金曜日は遠足ー!・・・と、ずっと聞いていて、直前になって「やっぱりお弁当じゃなくてランチを買いたい。」とブル之助が言い出すので、えー?別に良いけど(出張中の)ブルルに相談して合意し、「直前にすみませんが」と担任にメールをして$2、00を払って準備万端だった。毎日お弁当持参のブル之助がLunch buyerになるのは去年幼稚園の遠足以来実に二度目である。前回は隣町の農園へ出掛け動物達と遊んで(動物の方はそう思っていなかろうが)ハロウィーン用のかぼちゃを貰って帰って来て、嬉しさの余りかぼちゃと一緒に寝たいと言っていた。今年の遠足では近くの子供博物館へ行くそうだ。木曜日はブルルが帰って来るからと興奮するのを「明日遠足でしょ」となだめていつもの時間に寝かせ、金曜の朝から風邪気味のわたしとバトンタッチしたブルルが学校の制服の代わりのような行事用Tシャツを着せて学校へ送って行った。そうしたら、ブルルが帰って来る前に学校から電話があり、「遠足今日じゃないので、お弁当持って来て下さいー」???もう曜日もカレンダーもばっちり分かるし、と油断して信用していたら、なんとこの金曜日はランチマネーの締め切りで、遠足は来々週だそうだ。道理で「ぎりぎりですみません」のメールに「大丈夫ですよー!」とお返事が来ていた訳だ。ブル之助によると、もう一人男の子が勘違いしていて、その子とブル之助と、二人で泣いたそうだ。(爆)用意が無かったから、牛肉ときゃべつをお好み焼きソースで炒めて、卵焼き、ブロッコリー、プチトマトそれと反対のお部屋にはご飯をぎゅーっと詰めて、色合いが悪いのでふりかけで誤魔化した。ブルノ助はお弁当が無いのが余程心配だったらしく、丁度カイロプラクターの予約に向かうついでに車にブルルとブル恵を残したままわたしがダッシュで学校の事務所に届けたお弁当がまだ暖かかったと言って、「ボク、幸せ過ぎてまた泣きそうだったの・・・。ママありがと。」と抱きついて来た。6歳のボクは、妙に大人びていたり、こんなに可愛かったり、コロコロ変わって不覚にもわたしはアタフタさせられる。
March 3, 2012
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「五人囃子の笛太鼓」の「ばやあしの」の「あ」の音程が取れない2月末。改めて歌うと、たのしいひなまつり♪なんて名前なのに暗い曲調だわね、これ。明日から3月。今日はこれでおしまい。ほんとにつぶやきだなー。
February 29, 2012
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バレンタインの前日にせっせとチョコマフィンを作って、なんだか何も食べられないブル恵が気の毒になり、6ヶ月になったら離乳食を始めようと思っていたのにブルルの出張やらで遅れていたのを突然思い付いて始める事にした。10倍のお粥さんを茶漉しで漉して、のりみたいなのを、あーん。あーんってったって何のこっちゃ分からん0歳児は勿論きょとん。今までわたし達の食事風景を「あなた達それするの好きねえ。」とか「またやってるわ。」と、冷めたような興味深気なような感じで見ていたのに、まさか自分までやらねばならぬ日が来るとは思っていなかったらしい。笑ったら落ちるおしゃぶり。笑っているのが見えるように横が透明のにして正解。「呼んだぁー?」思った通り、特に嬉しそうにもせず、淡々とこぼす。一瞬口の中に入って、迷ったような間の後に出て来るのは、何回お札の皺を伸ばして入れても拒絶されて出て来るアメリカの自動販売機のようである。おっぱいでも、飲めるなら幸せ、と一心不乱に飲んだブル之助に比べて、まだ飲むのに休憩してみたり、周り次第で気が散ったり、どうも食に対して斜に構えている。まあ、食べるの命!ってなっても困るしこれ位で良いのかしら、なんて、また、頭が暇なので色々考える。「お食い初め」なんて雅な響きは我が子の事を書く日記のタイトルには照れくさいのと、ブル恵の場合はまだお座りも怪しいので前のめりに両肘を付いて傾いて座っている様子は「お食い初め」と言うより「ごっつあん」と言う感じだ。「ごっつあんじゃないもん!冗談じゃないワッ!」食べていないようで結構意に反して飲み込んでいるようであるのは、翌日に判る。お粥さんだけを数日して不評極まりなかったので最近はスイートポテトを足している。今はまだ一日晩ご飯の一回だけで、直後にすぐ授乳。ブル之助の時はそんな事は気にしなくて良かったのだが、今回はブル之助が学校に行っている間にブル恵の特別な何かを逃すととても悲しむので、晩ご飯なのだ。初日は食べさせようと格闘しただけで疲れたようだったので早めに寝かせた。日本語では「離乳食」と言う絶妙な単語が有るが、アメリカでは「Solids」と言う。液状食に対して固形食、と言う意味なのだろうけれど、実際はドロドロなのでその限りでは無いと思う。関係無いけど宇宙食はSpace foodって言うのにね、なんでBaby foodとは言ってもPractice foodとか言わないのかな。母乳も牛乳もMilkだし、だいだい、Brest Milkって、Milkは胸からに決まってるんだから、頭痛が痛い、みたいじゃないねえ。なんだかねー、どうなってるんでしょ、その辺。さて、我が家のブル恵の初食事は、このままだとお粥さんであったかのようであるが、実はそうではないのだ。コレ↓シャネル美味しかった?雑誌の裏表紙。ごめんなさいごめんなさい、わたしはお手洗いに一寸行って居りましたー。今後気をつけます!
February 13, 2012
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楽天にお世話になって、もう大分になるけれど、画像の載せ方が変わったようだ。その内、と思って取り込んでいた写真を、まとめて載せる。ただ自分のストレス軽減の為なのでぐちゃぐちゃだけど、後日ブル恵が自分もそれなりに可愛がられて育ったのだと感じてくれれば・・・。はじめまして。生まれた日。このマザーテレサの布(?)って全米共通なのかしらん?ミシガン生まれのブル之助もこれだった。なんとなく女の子だと分かってから戸惑いが距離感となって現れていたブルルが喜ぶかと、媚を売るつもりではないけれど機嫌取りと冗談でこんな服を買ってあった。ブルの助の時はそんなに要らないよーと言うくらい色々買いたがったのに、何故か色んな面で冷めていたのよね、ブルルってば。仕事に出張に、家を建てたりお引越ししたりブルの助も居たりで事情が違うのは解るけど、それにしても複雑な男ごころ、なのかしらね。でもそれじゃあ可哀想だし妊娠して生む方は体験としては一人目も二人目も男女も関係無く大変なので、同じ興味と熱意が向けられないお腹に同情したりもしたものだ。敏感な時期だしね。と言う訳でわたしは一人で色々買ったのだけれど、何を着せてもブルの助は「可愛いぃぃぃ!!!可愛過ぎるぅっ!ピンク可愛いねえ、白も可愛いけどね、何着ても可愛いんだけどねっ!」でも、今見てもこの色だけは似合ってなかった。↓「ヒドイィ・・・。」「だって、生まれる前に買ってあったんだもの、似合うかなんて分からない!」生まれたらメロメロに溺愛され、こんな風にブルルの心臓の音を聞きながら良く寝ていた。わたしはこういうグレーとかシックな色も結構、甘い可愛さが引き立つと思う。「甘い」って言ってるのに渋い顔・・・。「え?誰が渋いって?」なんとなくヤキソバ。ブルの助の時の真似をして、寝返り4コマ漫画風。「あ、どうもこんにちは、ではでは、ブル恵、行きまーす。」実家の両親が日本へ帰ってしまって寂しいので急遽結成された応援団が並ぶ中・・・「脚で勢いを付けて・・・ほっ!」「よいしょっと!」「うーん!肘がっ!肘がっ!」スチャ!「あれ?ママどこ行った??」「あ、居た!ねえねえ、今の見てた?」二人目の人生は気難しかったらやっていられない。特にブルルの出張中は、ブルの助のスケジュールに合わせ、カープールに習い事に、時間じゃないのに無理やり飲まされたり、良い調子で寝てる所を暑い中寒い中、また車で移動。泣きもせずじーっと見つめる彼女は何を思っているのやら?初ターゲット。帰ったらこんなんなってました。「お兄ちゃまはお風呂なの。わたしはお兄ちゃまのベッドを温めてるの。」お兄ちゃまの空手のギを持ってるの。あんずちゃんがお酒をくれたこの風呂敷、ありがとう。学校から直接行くのでこんな風に大活躍していますー。ブルの助は「忍者みたいね!」と大喜び。「泥棒みたいだよ。」とは言えない。「またカープール?」って顔。これは(当時)フロリダに居たあきぶーちゃんが送ってくれたコート。ありがとう、まさか二人目に着せるなんて、感無量!ハゲちょびんな上に、頭頂にいちご状血管腫と言うのが有って、余計寒そう。このお帽子はパリジェンヌ風と思って気に入っていたのに、わたしの父はモンゴルの人みたい、って。別にモンゴルが悪い訳じゃないけど、物は言いよう。(?)このお帽子と靴下はわたしの友達のお手製。可愛いー。Auntじゅんちゃんありがとうー。初正月。わたしのお下がりの羽子板が海を超えて来た。このカーデガン、わたしは可愛いのでお気に入り、ブル恵は美味しいからお気に入り。赤ちゃんらしく(!?)なって来たのでパチリ。上から見たらこんな感じで一寸物悲しい。ハイハイはまだで、仰向けの時の方が移動しやすいようだ。時速30cmくらい。物悲しいって言ったらこれ。後光?さ、これで全部載せた。脈絡無いけど、すっきりしたー!
February 12, 2012
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アエー、アエアエェーーー、エアエアエー。英語を習い始めた時にまず習った「Apple」の「ア」の発音。This is a pen. That is an apple. の「ア」「ア」と「エ」の間の音、と聞いて、まずそんな音は無いし!と思って最初から発音を諦めた瞬間でも有った。覚えて区別して答えられれば実際に発音出来なくても成績には関係無い日本の英語教育、今はちっとはましになったのかしらん?英語の話ではなくて、娘の話だった。毎朝、このアとエの間の音で7時か8時に起きて話し始めるブル恵。一人で笑ったりして、可愛いと思うべき所なんだろうけれど一寸不気味でも有る。赤ちゃんにはこの発音が簡単に出来ちゃうんだなあ、と感心したり、英語の環境に有るからかな、そんなの関係ないか、と思っていたら段々エスカレートして来て、アァァァァエア! イエイエイエイ! ギエギエイエイ! キャハハ!となったり、アとエの間の音が喉深くコブシが利いたみたいになって、フランス語のRみたいにRrrrrrrrrrrrrrrr! もっと深くなったらしゃがれ声みたいになって、もう少しで「My precious...!」って言いそうで怖い。今日で6ヶ月のブル恵は、兄が病院でピーナッツ、それからぴーちゃんと呼ばれた流れで、実はわたしは時々ぴー子ちゃんと呼んでいる。4ヶ月で寝返り、ハイハイはまだだがどったんばったんと体を時計の針の様に回転出来る。寝返りはまだ左向きだけ。ブログで振り返って見てみたら、ブル乃助もそうだった。6ヶ月くらいがムチムチのピークなのだろうか、ブル乃助も凄かったけどブル恵も凄い。買い物に行ってカートに乗せて駐車場を押して歩く時なんて、太ももと頬と顎?首?胸?名称不明のひだが、揺れる揺れる。相変わらずブル乃助はメロメロで「可愛いだねー。」とイシシみたいな喋り方になっている。わたしの父まで家に居た時は「くちゅくちゅでちゅかー?」なんて、「ら」行が「だ、でぃ、でゅ、で、ど」、「さ」行が「た」行、その他面白い不規則変換をしていて、母まで「ブル恵姫」なんて呼び出して、流石に親のわたしがそれを真似したらまずいものの、自分の親が自分の子供を可愛がるのを見る程幸せな事はないなあと嬉しいやら、わたし達には絶対そんな喋り方しなかったので新鮮で不気味で、尚、こっちが親ばかを発揮する前に色々感染りそうだった。今月から離乳食を始めようと思っているが、今日の時点ではまだ完全母乳。朝8時、11時、4時(時々2時と5時になるが)、夜8時、11時でお終い。わたしと言う自分に比べて巨大な人間におっぱいが付いていると認識しているのか分からないが、わたしを見る目から判断するに恐らくわたしの事は気の利かない女中くらいにしか思っていない。食事は別に食事係が居てああいう形で進ぜられると思っているのではなかろうか。言葉を発する前の乳児は変に目つきが悟りきった感じに見える。ぷぅ、と聞こえたので思わず揺りかごの彼女を見て、「きっと空気だけだな、もうすぐお風呂だしその時(オムツを)替えてやりましょう。」と考えていたら「あ、今聞こえない振りしたでしょう?お見通しよ!」と言う視線を感じる。(笑)絶対に本当はどうなのか分からない問いなのに、どうにも頭が暇なので色々考える。いつかまとめて載せましょうと画像を取り込んでいたのに、楽天フォトが変わってしまってどうしたら良いのか、一気にやる気を無くしている。
February 4, 2012
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10日程前に、我が家に長期逗留していた両親が帰って行った。夢のような一ヶ月だった。新居で、両親が来たらしよう、と思っていた事、殆ど全て出来た。抱き癖なんてお構いなしで、この際無礼講の孫抱っこ・甘やかし放題。沢山日本の物を取り寄せて食べて、クリスマスにはアメリカ流も体験してもらって、小旅行にも出掛けたし、色んなレストランやお買い物、ボーリングまで行った。ブル恵はその間に寝返りを覚えたり、大きな声で笑うようになり、みんな手を叩いて大喜びだった。本当に、夢のように過ぎて行った。過ぎてみると、一月だからか、一寸本当はもっと色っぽい意味なのであろうけれども、「あひみての のちのこころにくらぶれば 昔はものをおもわざりけり」と言う歌が、その後良く頭に浮かんでは消える。帰ってしまったら寂しいのだろうな、と思いつつも楽しみにしていた両親の渡米、実は終わってしまうと想像なんて及ばない程悲しい物で、また、両親への感謝と愛情も、落ち着くばかりか膨らむばかりで切ない程である。空港では、姿が小さくしか見えなくなってから、恥ずかしい程号泣して、無言で帰宅した後、また泣いた。よせば良いのに両親が寝ていた寝具に包まって匂いを嗅いでみたり、思い直してフライトの無事をネットで追ったり、結局二日泣いて暮らした。シーツの洗濯だけが、どうしても出来ず置いていたのだけれど、ついに今日自分でもアホらしくなって、次に会う時にこんなんじゃ恥ずかしいわ、と思い直しベッドを片付けた。わたしの住む場所は、ここなんだから。アメリカに来ちゃったのは、わたしなんだから。当たり前の念じながら、月日だけが経ち、どこかを無断欠席しているような気ではありながら、この日記を放ったらかしにしていた。まず、海外・旅行のカテゴリーになんてしているから余計書きにくいのかもしれない。地域情報なんて全く書いてないし、大体この地域にご興味をお持ちの方がいらっしゃるとは思えない。「日記」としているのに、いつからこんなに書きにくくなってしまったのだろう。このブログを始めたのは、楽天がきっかけだ。ノースキャロライナのシャーロットでブルルがレイオフに遭い、畑違いでは有るけれどやっと仕事が見つかったのでミシガンへ引っ越す事になった。先にミシガンの家を買い彼はそちら、わたしは仕事を続けながら家が売れるまで残った。その時に初めてネットでミシガンの新しい町の事を調べたりしている内に楽天ブログに出会った。在米に限らず、大和撫子が世界でぴちっと背筋を伸ばして生きてらっしゃるのを拝見し、知らない国に行くんじゃないんだし、しっかりしなきゃ!と自分を励ましたりもしたものだ。幸い家はすぐに売れたのだが、その冬の最中ミシガンへ引越し、主婦になったは良いけれど忙しいブルルに精神的に寄り掛かるのも嫌で、それでも急に社会との繋がりを失ったわたしは、「わたしはここで生きています」と言う証拠が欲しかったのかもしれない。雪で出来たアリ地獄に沈みながらも、せめて壁に自分の爪跡を残す気持ちで、ブログを始めた。それから、沢山素敵な出会いが有ったし、出会いが可能ならば別れも有り得るなんて思いにも寄らなかった為、楽天を止めてしまった人とはご縁もそれっきりになって、のほほんとしていた自分が今でも悔しい。昔ここでお世話になった方達、今頃お元気かしらん。ブル恵が大きくなるにつれ、ブル乃助はどうだったかな、と、昔の日記を良く参考にする。その時のコメント欄を見ては、懐かしく皆様を思い出す。新しいブログを教えて頂いていても、楽天からワンクリックで飛べないとどうもご無沙汰してしまい、その内PCを買い換えたりでアドレスも分からなくなってしまった。過去の日記を見て一人で重宝がってため息をついているなんて、なんておめでたいんだと自分でも思うけれど、それが日記の良い所なのかもと思うと、やっぱり止めずに続けて書いて行こうかな、ブル恵の記録も無かったら可哀相だしな、と、結局そこに落ち着く。落ち着くのだけれど、何故か前のようにじゃんじゃん書けない。それ程忙しい訳では無いのに、なんでだろう?
January 25, 2012
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今週両親が日本からやって来る。スカイプをする度、ブル恵を見ると思わず画面に両手を伸ばす母。(そうやって画面から登場出来たら苦労しないのよ!)娘を二人育てた父も、今度は女の子なので孫でも可愛さが違うであろう。空港でブル恵に会った瞬間両親が興奮で爆発しないか心配である。本当は出産の手伝いに行くと申し出てくれていたのだが、運転も英語も余り出来ない母には実際全て任せられないのと、(ブル乃助の時もミシガンに来てくれたけれど、洗濯機が壊れないかとかガ-ベッジディスポーザルに手を入れて失っていないかとか、色々心配して寝て居られなかった。いや本当は寝たんだけど気分的に。笑)一緒に来た父が日本での悠々自適振りに比べて退屈するのではと言う心配と、こちらも引越しの準備で人を迎えられる状況で無かったので、冬にしたのだ。冬ならブルルもお休みが沢山取れるし、4ヶ月のブル恵は表情もクルクル変わるし、あやせば笑う時期だし、新生児より面白いかもしれない、とも思っての事だ。うきうきしながら準備をしつつ、まだ来てもいないのに、帰りに送って行く時の事を想像して涙ぐんでいる。まだ来てもいないのに、と自分を笑いつつ、それでも、空港での事、がらーんとだだっ広く感じるであろう家の中の事、ありありと想像出来て、目頭がつーーーん、とする。本当に、まだ来てもいないのに!日本へ帰る時も、嬉しくて浮かれて準備をするのに、こちらへ戻る時の事が何度も脳裏をかすめる。結局の所、これが最後だったらどうしよう?と思ってはその考えを振り切り、その堂々巡りを余りにも頭の中で繰り返し過ぎて、再会の度に反射のように感情のジェットコースターに身を委ねる癖になってしまっているのかもしれない。自分で文章にしていても、如何にも不健康である。まだ、来てもいないのに。ただ、会えるのを楽しみにしていれば良いのに。自虐的なのか、どっぷり幸せに浸かるのが怖いのか、なんなんだろう、この心理・・・?
December 12, 2011
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ブルルの出張中はブル恵を連れて全部わたしがするのだけれど、家に居る時は基本的にブルルがブル乃助の学校や習い事の送り迎えをしてくれる。これは、バスに乗れば良いじゃん、有るんだから、と思ったわたしに反対した彼がバスなんかに乗せちゃ可哀相だ、なんて言うので、幼稚園の頃から彼が率先せざるを得ない、妊娠やら出産も有ったけれど、はっきり言ってわたしの作戦勝ちである。今日はいつも通り6時頃帰って来るなり、ブル乃助が「ママぁーーー!見て!」と一寸緊急な感じの声で呼ぶ。丁度オムツを替えて居て行かれなかったわたしは「なあに?こっち来て。」と言うとダダダダ・・・と空手着のままのブル乃助が走って来て、にやにや笑っている。ふと見ると、胸元に血しぶきが!!!随分派手に鼻血を出したようだ。「***に三回も顔殴られたの。」(にやにや)「え?三回も?」「うん、***は警告を受けたけどね。」「なんで三回も殴られるの?避けなかったの???」「でもボクキックして勝ったよ。」「ブロックするとかさあ、しなかったの?」「・・・しなかった。」「なんで?」「思い付かなかった。」「・・・なんで思い付かなかったの?」「・・・。」そんな彼も、先月から橙帯で有る。(注:白→白に黄色の線→黄色→橙と進んでいる。)最近お引越しをした道場のマットで、初の流血事件だったそうだ。因みに先生のお薦めはShoutだそうなので、頑張って冷水で(機械が)お洗濯してみようと思う。
December 8, 2011
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明日はブル恵が生まれて三度目の一人でのお出掛けをした。と言っても歯医者さんで定期のクリーニングなのだが、それでも二時間程の自由時間には変わらない。満タン(!)にしておいてブルルに頼んで出掛けると、後部座席に目をやらなくて良いので変な感覚だ。初お出掛けは婦人科検診、二度目は美容院、今日は歯医者さん・・・なんかもっと、普通の椅子の所に出掛けてゆっくりしたいんですが。
December 7, 2011
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まだ今年もそんな時期になったのか・・・と思いながら読んで頂くと幸いな、愚痴。ブルルの叔母君逗留中の食事は初日 ミートスパゲッティー(今年は手作りせず、既成のトマトソースにお肉をプラス)+ガーリックトースト木曜日 感謝祭のごちそう、ブルル作金曜日 ピザ土曜日 メキシカンのテークアウト日曜日 中華バイキングのブッフェメキシカン以外、全く去年と一緒だよー。そして、彼女が全く去年と同じ話を毎日して、ブル乃助プラス今年はブル恵も可愛がってくれて、楽しかった、楽しかったと何度も言ってタッパ数個の七面鳥と共に月曜日に帰った後、火曜日からはブルルが出張。ブル乃助とわたし、そして七面鳥。残り物が有るとお料理しなくて良いので助かるけど、助かるんだけど・・・・・でも残り過ぎ!次の木曜日にやっと無くなった。わたしが七面鳥だったら、家にだけは来たくないな、有り難がられないから。ブル恵ですら、もう七面鳥は結構、と泣いていた。(ほんまか!)そして、どうせならお客様の有る内に綺麗にしましょうと、ブルルがサンクスギビングディナーを作っている間中ずっとかかって組み立て飾ったツリー。もう10年以上前に買ったのだけれど、ここ4年程、ミシガン以来ずっと出す場所が無くて仕舞ったままだったので再会を喜びつつ、飾り方を思い出しつつ、たまには子育てもしつつ、3日掛かって飾ったのに、3日目に消灯・・・。くー!1100個の内、てっぺんの100個しか点いてないって!今日、やっと気を取り直してオーナメントを全部取って、電球をぐるぐる外しながら「さ、今年もクリスマス終わりね。楽しかったわねー。」とふざけていたら、・・・ブル乃助が泣いた。くー!赤ちゃんには赤ちゃんの可愛さが有るが、小僧には小僧の可愛さが有るではないか!もうすぐ新しい電球が配達されてくる予定。一体何が嬉しくて1年に二度も同じツリーを飾るのか?と青筋を立てていたのだけれど、家にこんな大きなツリーが有ると知らなかった(正確に言うと覚えていない)ブル乃助は、この調子だったらママは本当にクリスマスなんてお終い!って言うと思ったのか?いっそ電球付きのツリーに新調しようかとも思ったのだが、再会したてのツリーの悲しい視線と、家は電球をアホほど付けるので物足りないかも?と言う危惧とで、止した。物を大事にするのは、物を捨てられないのと、違うよね。ね?
December 4, 2011
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11月になって一気に年末の忙しさである。そんな中、10月に出産・引越し以来始めてのブルルの出張中、酷い頭痛を泣いて訴えたブル乃助、風邪の治りかけだったにしても変だなあ、MRIした方が良いんじゃないの?と言っていたのにだが、ブルルが帰って来たら「そんな大袈裟な!」で済まされていた。それなのに、たまたま彼が学校へ迎えに行った日にまた頭が痛いと今度は痛みの余り戻す程で、そのまま病院へ直行、翌日脳外科でMRIを撮った。結果が分かるまで生きた心地がしなかったけれど、お陰様でなんとも無かった、と言うか、異常は見つからなかった。偏頭痛でしょう、と言う事で、なんでも男の子の偏頭痛と言うのは大抵思春期に良くなるんだそうだ。女の子の場合は酷くなる場合が多いんだそうだ。それ以来、痛くなる前兆のようなもの(そういうのが有るらしい。)を感じたら、先生に言って保健室で保管して貰っている自分の薬を服みなさいと言ってあるのだが、今まで一度で済んでいるようだ。何か変わった事をした時、特定の食べ物を食べた時など、原因を見極めで上手く付き合いたいので今は研究中なのだけれど、それでもチーズやチョコレートなど、痛くなる人の多いと言われる物をみすみす大量摂取して痛くなるのも可哀相なので控えめにしている。ハロウィーンのキャンディーだって、余りにも体に悪そうな(生産国不明っぽい感じの)のはその夜にゴミ箱行き、忍者の黒装束に合わせてわたしの黒いハンドバッグを貸してやった使用料に大量に取り立てたし毎晩キャンディーを三つだけ、それもわたし達にも三つずつ分けてくれてそれでもまた沢山余っているのに。そんな間ずっと、初めての歯(右下の前歯)がぐらぐらで、ずっと良い玩具だったのにある日飽きたのか、じくじく痛いのに嫌気が差したのか余りにも文句を言うのでもう抜いてしまえば?とブルルが言ったら、お風呂に入っていたのに上がるなりえいと自分で抜いてしまった。トイレットペーパーでくるみ、えいっと引っ張ったのだけれど、一度目は滑って失敗、二度目でパキーン!と空気の抜ける?入る?音がして抜けたんだそうな。野蛮と言うか勇敢と言うか、本人は自分はサムライだからと言って得意絶頂だった。ぐらぐらになり始めたのはまたブルルの出張中だったので慌てて20ドル札を崩して準備していたのだが、アメリカにはTooth Fairyと言う物が有る。10ドル置いてしまったけれど、これを読んだら25セントで良かったんですって!しかもブル乃助の場合は「Tooth Fairyにあげないでママが持っていて、永遠に!」なんて言うから、でもやっぱりお金をあげるものなんでしょ?なんて夫婦で相談して現金の手持ちがないなんて言うブルルに、わたしが10ドル渡したのである。家庭内で、何が嬉しくてこんなに現金が回り回っているのか?サンタクロースにしろ、トゥースフェリーにしろ、西洋の子供騙しには物的証拠を求められるので厄介である。座敷童子とか勿体無いお化けとか、勝手に信じて勝手にびびる日本の方が余程合理的である。さて、今週はサンクスギビングの週で明日から学校もお休みである。例年通り、ブルルの叔母君逗留・・・来週の月曜日まで。と言う訳で暫くご無沙汰致します~。全米の皆様、ハッピーターキーデー!他の皆様、ハッピー・・・11月!
November 22, 2011
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微かに、「いちゃいちゃ」と言うタイトルで既に日記を書いた気がする。あれはかれこれ5-6年前になるのか・・・。さて、今回のいちゃいちゃは三ヶ月の娘との話である。一時期、本当に本当に眠くて疲れててあちこち痛くてと言う時、寝ぼけて授乳後げっぷさせようと縦に抱いて背中をトントンする筈が、頭をぱしぱしはたいていた・・・。これはいかん、と思って、日曜日に二時間、ブル恵をブルルに任せてお昼ねして生き返った。やっぱり人間は寝ないと駄目な風に出来ていると実感、それも、本当は続けての睡眠が良いのだけれど、細切れでもなんとか生きていた。二ヶ月くらいからは夜オムツ替え以外は朝まで寝るようになり、そのオムツも近頃は夜中には濡れても汚す事は無くなった。余裕が出て来ると、若い女の子(?)といちゃいちゃするのがこんなに楽しい物だなんて、知らなかった!女の子にとろけてしまう男の人の気持ちが、少し分かるような、こんな可愛い存在と恋に落ちて一緒に暮らせるなんて、と、誰にともなく羨ましくなったりすらする。一人目の時は「もう一人欲しいけど、出来ないかもしれないし」と言う気持ちだったが今回は「絶対これで最後なので」と、観察にも気合いが入るし、前は怖くてしなかったお昼間の添い寝などもしている。(単に前回とは体力が違うので疲れ果てているだけと言う噂も有る。)夜は暗闇で押し潰してしまうのがやっぱり怖くて、(パンダか!?)退院以来毎日わたしのすぐ横のバシネットに寝かせている。暖かくて柔らかい小さくて新品の人間と寝るのは気持ちが良い。「ママちゃんとナイナイちゃんしたいのー?」と、もうどうにかなってるとしか言いようの無い日本語で目が合うなりイソイソとお布団に潜り込む。「誰が『ママちゃん』?何それ?」と問う普段の自分の意識はもう、風前の灯で有る。ブル恵が欠伸の直前に息を吸い込むと、顔を近付けてその匂いを嗅いだり、冷たい両足の裏をアイマスク代わりに自分の瞼に当てたり、ああ、気持ち良い、と、蕨もちのような太ももに顔を挟まれて喜んでみたり、そのまま喉元を蹴られてそれでも笑っていたり、傍から見たら絶対、日本語だけではなく脳みそもどうかなっちゃった人に見える筈である。母親と言う肩書きが無かったら、逮捕されているところであろう。新生児にきびもすっかり治り、体重もぐぐん、と増えて58cmの5.3キロ。もう産まれた時の二倍以上、誕生時は低体重だったのにもう標準が50%として30%にまで追い付いた。小さく生まれて少しずつ大きくむっちむちに育っている。首も大分しっかりして来て、三ヶ月検診では先生が驚く程の力持ちだった。ここだけの話、ブル乃助よりも強いし発達も早い気がする。お腹に居た時からキックの力が違ったし、同じ位置に居たがる頑固さの片鱗も見られた。髪の毛は、前から禿げ上がり、そこへまた新しい少し色の薄い頭髪がおでこから上へ生え揃い、後頭部には産まれた時からの3cmくらいの長い毛が立っていて、耳の周りと襟足にも長い茶色の毛が真っ直ぐ下に伸びている。そこへ、親が心配になるほど後ろを擦り付けるので、昔あきぶーちゃんが言っていた「寝はげ」も加わって、なんだか段階を踏んでばらばらな頭髪、こういうのって二毛作って言うんだったっけ?二期作??寝はげの部分は抜けた所へ生えているのか、抜けたのではなくてすり切れただけなのか、短い数ミリの毛が下に有って、肌触りは安物のベルベットのようである。まだ頭皮がポロポロ剥けている場所も有り悲惨さを増す。ブルルなんて、「皮膚病の犬みたい・・・。」なんて酷い事を言って可哀相過ぎると言うのと、なんちゅう上手い事を言うんだと感心するのとで、暫くわたしに意地悪をされていた。毛の無い分、頬を寄せると頭が熱く感じる。暗がりで見ると、一瞬前を向いているのか後ろを向いているのか分からない。頭の後ろに顔を描きたい欲望と今は戦っている。赤ちゃんのバランスって、いつも見ていると改めて考えないのだけれど、たまに気付いて笑ってしまう。四頭身だし、もみじのような手は手首より小さいのでブレスレットなんて止まらないだろう。太ももがヒップよりも太いののも笑えるし、肩より腹部の方が太いのも面白い。脚が外向きに生えている(?)ので、生まれてこのかた、この子は膝を揃えた事が一度も無い、そう言うと、ジョージアの親戚も大笑いをしていた。ジョージアで他にみんなが言っていたのは、目に対して長過ぎるくらい長い睫毛。ブル乃助のはくるんとしていたけれど、ブル恵のはまっすぐ目尻に向かって、つけまつげのように伸びている。目の色は産まれた時は群青色で、茶色の目の人が青いコンタクトをしているかのように、外側が青いけれど中の黒いのが透けている感じだったのだけれど、白目と黒目の境がしっかりして来るにつれてグレーがかって一寸日本人だとお年寄りの目みたいになった。今は少しだけ赤味が増して、茶色になる途中なのか、光の具合では翡翠色にも見える。ブル乃助もブル恵も、目頭はブルル、目尻はわたしに似ていると思っていたが、ジョージアではくるんくるんした目つきのブル乃助はわたし似で、余り人の目が二重か奥二重かなんて気にした事無かったけれどもそれでも一寸見た事の無いような深さの奥二重でどちらかと言うとアーモンド形の目のブル恵はブルルにそっくりだ!とみんな口を揃えて言っていた。目の青さに気をとられて気付かなかったけれど、ブルルの目ってそんなに丸くないのね、と初めて気付いた。兎に角、長くて黒い豊富な睫毛と奥二重のお陰でアイライナー効果、目力抜群である。唇の形は表情に拠って変わるのでまだ分からないけれど、ぷっくりした唇だったブル乃助に比べたら、おちょぼ口である。でも、泣いたり欠伸の時は伸びる伸びる!鼻は、ブル乃助程小鼻がしっかりしていないように見える。耳は、上半分がわたしそのもの、下半分はブルルそのまま、と、兄妹同じ耳をしている。ブル恵が生まれてみると、頭の形や顔の骨格など、ブル乃助は本当にわたしにそっくりだなあと思う。体は、今の所はブル乃助はしっかりしたブルルに似ていて、ブル恵はわたしに似て骨細な感じなようだ。骨が細いのと肉が一杯なのは親子で別問題なのだが・・・。生まれたばかりの時は真珠のネックレスのような背骨が指に感じられ怖いくらいの繊細さだったのに、ブル恵は今肉が乗り過ぎて、手首や首には肌色スーツを着ているかのようなひだが幾重も有る。ここのお肉は顎?首?・・・胸???とふざけて訊くと、「聞かんとって!」と言わんばかりに例のイラっとした一瞥を寄こす。「ママちゃん」なんて言っちゃってる癖に、ブル乃助とは違う、丁々発止の辛辣なやりとりをするのが実は楽しみである。この、眉根を寄せた表情はブル乃助は2歳くらいにマスターしたと思う。授乳中も眉根を寄せ、わたしの体を通り越したどこか遠くを眺め、なんだか坂本竜馬のような(イメージだけです。)真剣さで一生懸命飲む。飲みながら眠くなって白目になったり、見えない誰かを威嚇するかのように斜め後ろを睨め付け、先頭を行く性格の悪いスピードスケートの選手のような顔になったり、(やっぱり誰か居るの?)両手をグーにして胸の前で握り締め恍惚の表情の時やら、様々であるが、相変わらず脚だけはぴこん!と上がってしまうようである。ジョージアへ行った際は初めて布を被せられて駐車場の隅で授乳した。布が嫌で最初は大分泣いて可哀相だったけれど、慣れて貰わねばならないので我慢させ、終わって少し不安な気持ちで布を取ったら、真っ暗な中で一人でニヤニヤ笑っていた。外での授乳に慣れれば行動範囲が広がるので心強い。あやすと笑う時期になったので一日お互いを笑わせているが、アハ♪と言う感じの笑い方は、女の子らしいなあ、と女親のわたしがデレデレしている。上の子が楽だったけれど下は・・・と言う話は良く聞くので覚悟していたが、ブル恵も良く寝るし良く食べるし、ブル乃助よりは泣くけれどそれも落ち着いた。飲む量に時々むらが有って、おっぱい命でおしゃぶりが有れば人生ばら色だったブル乃助より少し複雑ではある。女心なのか、ただの個性なのか?泣いているからオムツを点検、時間だし、とおっぱいをやろうとすると「違うぅ!」と泣かれる時の悲しみは、どう表したら良いものやら?普段は仕舞っている体の一部を包み解き差出し、拒絶されるのは傷付くものである。(笑)それでも、くせの良い子で返って不気味ですら有る。将来、兄妹揃って「ママのあほー」とか言って家庭内暴力とかになったらどうしましょ?と心配になるくらい。それでも、今は可愛い。可愛くて仕方無い。大体、自分のおっぱいが欲しくて泣く存在を可愛いと思えない人が有ろうか?「お腹空いたー。」と言うブルルやブル乃助にも、「貴方もたまには泣いて懇願してみなさい。」と言いたくなる。
November 4, 2011
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久し振りに、しかしブル恵が生まれてからは初めて、この週末はジョージアへ行く。小さい人が一人増えただけで、わたしは自分、ブル乃助と彼女の荷造りをせねばならず、再び、今まで世の中のお母様方のご苦労を全く慮った事の無い自分の浅さに呆れる。今回は通常の食事、ガソリンのストップ以外にもまだ授乳休憩をしなくてはならないので時間も掛かるだろうし、車に色々どうやって積もう・・・なんて迷ったり。ブル乃助の時はミシガンに居たので飛行機で南下しレンタカーで大きなジープを借りて、高速道路を走りながらわたしが助手席から後部座席に移って授乳したりしていたし、持っていた車も大きかったからカーシートが有ってもスーツケースやら乳母車やら赤ちゃん用お風呂やら、際限無く積めた。性別に関係無く、全くこちらの事情のみで、育児は二度目でも、ブル乃助の時には経験しなかったので今回が初めての事も有る。さ、ジョージアではブルルの母の古稀のお祝いで親戚大集合する。彼女は9人きょうだいの長女なので、(その内一人は亡くなっているけれど)レストランを殆ど借り切って盛大にお祝いをするように、数年前に70歳になったブルルの父が奔走しているようだ。わたしのように血が繋がっていないと、何をしても満足しない人を喜ばせようというのはすぐに最初から諦めてしまうけれど、血が繋がっていると一生、「喜ばせたい」で「もそうならないと物凄く傷付くから嫌」と言う恐れとの狭間なようだ。この家族は努力するのを恐れ最後まで放ったらかしにして、直前に焦って、やっぱり何かしなくちゃ~!とどたばたする。もう慣れたけど、結局わたしがブルルに頼まれ昨日(出発前日!)、ブル恵を連れて初めてモールに行って商品券を買った。荷造りやらお洗濯やらブル乃助の迎え等有る中ばたばたと行ったので、夢に見ていた「娘とモール」とは一寸違ったが、それなりに雰囲気を楽しんだ。「やらなきゃいけないこと」を楽しめる能天気さが主婦には必要だと思う。モールではNordstromでディオールのイベントをしていて、通りかかったらアーティストに呼び止められ、「あなたは美しい!雑誌から出て来たみたいだ!」なんてお世辞を言われ、一人だったら恥ずかしかっただろうなあと思いつつブル恵に目を移してそそくさと逃げた。そう言えば水曜日に妊娠後期から切りたかった髪の毛を切った。ホルモンの関係か、6月から15センチは伸びている気がする。長い所はウエストまで有ったのだけれど、鎖骨の側までばっさり切った。あーすっきり。一人で外出するのはこれで二度目だ。前回は産後一ヶ月の婦人科検診。今度は変な椅子の登場しない楽しい一人のお出掛けがしたいぞ。
October 28, 2011
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新居で毎日これはここ、いや、やっぱりここ、とちょこまかやっていて話が前後するが、お引越しの直前の話。どうしても新居の最終点検とブル乃助の学校開始時間が重なって、初めて、送って行ってやれない事態が発生し、家から二軒先の角に来るスクールバスに乗って行く事になった。本人は、遠足以外にバスに乗って行くのは初めてなので有頂天だった。そんな、ちょいとその辺まで、と言う用事でも子供を一人にしてはいけないので、わたしはブル恵とカメラを乳母車に乗せ、それを押して歩くブル乃助のリュックの背中に付いて行った。顔なじみの5年生の韓国人の女の子と三年生のインド人の女の子にブル乃助を頼み、得意満面で手を振って投げキッス大サービスのブル乃助らを乗せた橙色のバスが去って、ほっと一息。その時、お隣の(さっきの女の子とはまた別のお家の)韓国人の奥さんが、家でお茶でもして行かない?と誘って下さった。お隣は、持ち主の中国人がサムソンと契約しているようで、この夏に前の韓国人の駐米家族と入れ替わりこれで二軒目の社員のお宅である。わたしは頭の中で忙しく、ブル恵は寝ているけれど起きたら多分その瞬間におっぱいを欲しがる時間だし、寝ている間にお洗濯を最低一度はしないといけないし、大体お邪魔するにしても持って行くお菓子も何も無いし・・・あ、有ったわ、この間母が送ってくれたお菓子!折角誘って下さってるのだし、あれ持って少しだけお邪魔しようかしら?と、考えて結局ブル恵が「ふん・・・。」と泣き初めのような声を出したので遠慮した。家に帰って、先ほど持って行きかけたお菓子を見て青ざめた。だって、これなんだもん。やっぱり駄目だよね?日本海って言う字、大き過ぎるよね???わたしも時間の有る時は日本のニュースに目を通すようにはしているのだけれど、本当の所はどうなの?と、在米韓国人の人に一寸突っ込んだ話をしてみたいな、と思いつつ、まだお友達にもなれないで居る。そして結局そのまま引越してしまった。おまけ画像ブル恵の足1 8月その2 10月頭。9月。
October 19, 2011
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夜中に叩き起こされて友達の家にそそくさと連れて行かれ、翌朝病院へ新しい妹に会いに来たブル乃助の第一声は「可愛過ぎる・・・・・・!!!」だった。わたしは一生忘れない。将来兄妹喧嘩していたら二人を座らせてこの話をしてやるのだ。何度も何度も。母から「下の子には体を、上の子には心を、あげなさい。」と言われていた。新生児は乱暴な話、安全で清潔で満腹ならそれで良いので、上の子への心理的影響に構ってやりなさい、と。確かに妹が産まれた時、わたしは普段は玩具を買って貰うのはお誕生日かクリスマスだけなっだのに、「ベビーちゃん」と言うお人形を買って貰って喜んで可愛がっていたり、授乳の度に絵本を読んで貰った覚えが有る。実際、授乳の度に本を読んでやろうと思っても、アメリカは退院が早いと言うのを差し引いてもなんとも忍耐と計画性の要る事だろう。普通のお母さんだと思っていた自分の母親を尊敬してしまうのはこういう時である。ブル恵は暫く授乳が下手で手が掛かったので、わたしは変わりにブル乃助に絵本を読んで貰っている。「ほら、ブル恵ちゃんも笑ってるよ!」でイチコロである。他にも、「ブル恵ちゃんがびっくりしてるよ。」と言ったら五月蝿い玩具を仕舞ったり、ドアをそおっと閉めたり、お汁を静かに飲んだり、する。あなたこんなにチョロくて学校でちゃんとやってるの?と心配になる程のチョロさである。幼稚園に入る前から発音の決まりをHooked on Phonicsで練習していたし去年幼稚園でもやったので、英語では間違えるけれど殆どの文章が読めるようになった。無造作に雑誌や新聞をその辺に置いていたらやけに真剣に読んでいたりするので要注意だ。書く方はやはりそうは行かず、発音通りに書くので沢山スペルを間違えるのだが、幼稚園では直さない方針で、今年から色々覚えているようだ。一年生になって、いっちょまえに毎日宿題が有る。「宿題」と言う単語に憧れていた彼は、宿題をする自分を大変格好良いと思っているようなので、わたしとブルルは手を尽くしてそれを継続させるよう努めている。日本語では「**だね」と「**ね」の使い分けが難しいらしく、「可愛いだね」とか、またこの「可愛い」が曲者で、「こわい」と「かわいい」が混ざって「かわーいだね。」になっているのは、母国が英語の日本語学習者そのもので、がっくり。段々自分の事を「俺」って言ったりするお友達も居る中、「ぼく」とか「ママ」とか「おばあちゃま」とか言ったりするのも、いつまでかな。「お花」「お口」「おうどん」「お家」「ぞうさん」・・・。日本に居るより長いのかな、やっぱり年相応にすれさせた(?)方が良いのかな、と親も悩む。日本語もひらがな、かたかなだったら殆ど読めるようになったな、と思っていたら、時々「ゆうパック」を「ようパッコ」と読んだり、五十音表が頭の中に入っているのは分かるのだけれど、惜しい!と言う時がまだ時々ある。何度「抱っこしたい、って言うのよ。」と言ってもブル恵を「持ちたい」と言う。顔を近付け、おでこにキスし、首の皺が匂わないか確認し、顔を蹴られて喜んでいる。「ブル恵ちゃんは強いなあー。あ、今のは回し蹴り!凄いだねえ。気合ーーーーーい!」「Kick my face, kick my face kick my face kick my face!!!Please kick my face!!! Yes!!!」「ブル恵ちゃん腹筋凄いよ、ほら見て!」とお腹の皺まで褒めている。こういう可愛い!と思う感情は、喋るようになったら変わったり、大きくなったら消えたりするのだろうか?そうではない事を、妹の居るわたしは知っている。アメリカでは赤ちゃんは母親の「Milk」を飲むし、牛乳も「Milk」である。ブル乃助が「ブル恵ちゃん牛乳好きねえ。」と言うので日本語では「牛乳」は牛のミルクなのよと言ったら、じゃあ人間のは?と訊くので(そりゃそうだ。)うーん、「お乳」って言ったら部位も表すかもしれないし、「母乳」かなと思ってそう教えた。そうしたら余りにも活用されるので今更迷っている。げっぷの勢いが良かっただけなのに、「あ、ブル恵ちゃん、母乳が出てるぅ!」なんて言われると、口からだとは分かっていてもどきっとする。今度日本に帰ったら、こういう単語集も良くアンテナを張り巡らせて頭に入れておかないと。日本語で書くとなると、この前お引越しの直前にブルルとリビングルームで本物のテントを立てて「キャンプ」したのだがそれに誘ってくれた招待状は「まま、ぼくのテントにいしょにあそんぽ.」になっていた。それから、やっぱり固有名詞などを日本語に直すのが難しいようで、日本で一般的で無い外国名の先生やお友達の名前をカタカナに直すのには親子で梃子摺っている。言い間違えが面白くてそのままにしていた言葉は*Side brain もみあげ これには彼なりのこだわりが有って、綺麗にまっすぐ四角く整えて貰うのが好きなんだそうだ。 理由は「レゴの人みたいだから」。かつらに憧れてる???*スカペッティ スパゲッティー これはもう正しく言えるようになってしまった。*Arrester Handcuffs (手錠) ArrestするからArrester、成る程ね、と夫婦で唸ってしまった。 (因みにこれは家に手錠が転がっている訳ではなくて、レゴの話ですよ!)そんな彼が、昨夜、下の前歯が痛い、と夕食時に泣いた。ほら、とぐらぐらなのを見せてくれた。あんなにお友達が歯抜けなのに憧れていたのに、実際なったら痛くてびっくりして泣きながら抱きついて来た。ああ、こうやってどんどん大きくなっちゃうんだな、と言うか、なるんだな、なっちゃう、じゃなくて、勿論元気に成長すると言う事は良い事なんだけど、と、なんだかわたしまで涙目になって一寸暫く彼を膝の上に乗せて抱っこの感覚を体に刻み付けた。
October 8, 2011
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昨晩は、5時間半寝られた!ブル恵が「うんーーー、うん!くーーー!あややや!」と言っているので目が覚めて、時計を見てびっくりした。今までは3時間くらいで夜中も授乳していたのに、大きくなったもんだ。そう、しんみりして、疲れたわたしを寝かせてくれてありがとうねえ、と、気持ちだけ心を込めておっぱいが美味しくなるように念じてやっていたのだが、気付いた。若しかして、わたしが出産、引越しで疲れ過ぎて居て、ブル恵の声が聞こえなかっただけなんじゃないの?と。いやいや、母になったら眠りがめちゃくちゃ浅くなるから、それは無いと思うけれど、なんだか、あれだけ寝たいーーーと思っていたのに、いざ寝てみると驚くやら罪悪感が有るやら、またそれに驚くやら、で大忙しだ。でもやっぱり、まとめて寝られるって良いねえ。一寸生き返った。さ、今日も頑張って箱と格闘だあ。
September 29, 2011
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引っ越しました。取り敢えず、我が家に金輪際購入及び入室禁止な物。1、石鹸 100個は有るな。2、ロウソク これも、お店が出来るほど。3、ソース類4、家の中を飾る小さい置物5、マグカップ以上は、たとえ無料でも、大特価でも、珍しくても、買わない、貰わない。良い?絶対よ?分かった??とブルルに念を押す。たとえ貴方にだけ特別に、と言われても、たとえ貴方の為に手作りしたの、と言われても・・・それは一寸難しいかな、実際は。なんでこんなに集まるんだろう?年に二度の贈り物の習慣が無い国の筈なのに、物が溢れる溢れる。特にブルルは、デザインが気に入ったとか言ってさんまの蒲焼きの缶を置いていたり、大昔誰かに貰ったマッチとか古い新聞とか、わたしが荷造りしていて腹が立つ程の物を記念に置いている。大邸宅に育った訳では無いけれど、やっぱりアメリカ人はスペースの観念が日本人と違う。最近はブル乃助も色々捨てられない性質の頭角を顕しているので要注意だ。あんまりガミガミ言ってわたしが捨てられてもシャレにならないのだが、結局こういう時に包んだり仕舞い場所を考えたりするのはわたしなんだから!(叫んでみました)まだまだ箱だらけの我が家は、本当にごく普通の家なのだけれど、自分達で色々考えて選んだ結果の集結なので、第一日目からとても寛げるし気分も良い。さ、頑張って箱を片付けますー。
September 27, 2011
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火曜日に、の筈が銀行の書類が不備で水曜日に新居の契約を完了した。日本で家を買った事が無いので知らないが、Closingって日本語では何て言うんだろう?今まで住んでいた長屋、新築で入ってもう四年になる。家を買うまで取り敢えず、の筈だったので手狭で物が溢れ返っていて、新生児一人増えただけなのに輪をかけてカオスに磨きがかかっている。片付けられない夫と6歳児が、いつも何かを探している。・・・ストレス。お引越しは大変だけれど、この際綺麗に片付けたい。何をどこに置くか決めたりするのは好きなので楽しみだ。今の賃貸長屋は殆どのお宅が持ち家として住んでいるのだけれど、家は管理会社から借りている。この管理会社に最後の最後に驚かされている。この街近辺の賃貸物件を管理しているもう20数年になる会社なのだけれど、どことは言わないけれど前回オリンピックのあったお国の女性とその弟でやってらして、良かれと思ってお引越しの二ヶ月前に知らせたのが仇となった。どんどんどんどん10月からの賃貸を希望する見学者を家へ送って来るのだ。しかも最初は9月からと間違えてCraig's Listに載せていたものだから、会社を通さないで家にピンポーン♪と来る人さえ居て、新生児を連れて病院から戻ったばかりのわたしは憤死するかと思った。結局、ブル恵の生後二週間の頃から、電話が掛かって来てダッシュでお洗濯物の籠の上にタオルを掛け、さっきまでランドリールーム中に干して有る授乳ブラやらパッドやらを隠し、隠すと言ってもクローゼットに入れてお終いと言う訳には行かないのできちんと仕舞って、ブル恵のオムツを替えてスタンバイ。過去に我が家を売りに出した時のような、それこそ歯ブラシまで隠して生花を飾り、生活感ゼロ、とまでは行かないけれど、大家さん(管理会社とは別の持ち主)に協力して来た。まだ二時間おきに授乳、とかだったので4時から6時の間に来ます、と言うのは困るし、まだ外出は検診くらいしかしていない新生児とわたしの体調もあり外をぶらぶらなんて無理なので出来るだけ時間は指定して貰ったけれど、それでも早く来たり遅れて来たりする人ばっかりで、余り意味が無かった。それが、見せる側である管理会社の人が遅れて来て何も知らない見学者が家へ先に入ってしまって、ブルルが(また)良かれと思って家中を案内したのがまた仇となって、次からは電話一本でまだ見せておいて、と頼まれるようにまでなってしまった。家のお引越しの準備で忙しいし、そんなに物を出したり仕舞ったりしている暇も無いし、ブル恵が折角寝た所、とか、わたしがやっと少し横になろう、と言う時とか、おっぱいやってる所に誰か来たらどうしよう?と思うのもいい加減疲れるので段々ちょっとあちらも厚かましいんじゃないの、とは言わないけれど、一応9月末まで家賃は払っているのに、堂々と居てゆっくりする権利が法的に有るんじゃないの?と思い始めている。ま、もう一寸だから良いんだけど・・・それにしても落ち着かない。あ、電話。
September 17, 2011
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September、と聞くと11thと聞こえるくらい強烈に頭に残った日付が明日。あの日シャーロットの家で仕事前に出掛ける準備をしながらGood Morning Americaを見ていて、一機目がぶつかった後、ニュースを聞きながら着替えたりお化粧をしていたのだが、珍しく家に居たブルルと二機目が突っ込んで行くのを見て、つーーーーーー、と涙が頬を伝ったのを、昨日の事のように覚えている。良く、アメリカでは、パールハーバーや、ケネディー暗殺のニュースを聞いた瞬間、自分がどこで何をしていたか、9-11の事はそんな風にみんな記憶するだろう、と言われた。十周年と言う事で、わたしの住む場所の管轄で有るアトランタ領事館から注意喚起のメールが来た。ブル乃助の現地校からも当日(日曜日)はメディアで衝撃映像の連続放映が予測されるので、各家庭で子供達を守ってやりましょう、と通達が有った。何も有りませんように・・・!パールハーバーやケネディー暗殺と違うのは、場所が主にNYと言う大都会で、ニュースとして知った以外に実際に経験したりした人が多い事。ブル乃助の学校の資金集めやブルルが中途半端に集めたマイレージ等で今年は我が家は沢山の雑誌を定期購読しているのだが、VOGUEではワールドトレードセンターの会社に勤めていた生存者の記録が、Fotuneではその人の勤めていた会社を含め全部のテナントがどこへ引っ越したか散らばった地図が、Harper's Bazarでは夫を亡くしてそれ以来再婚した人の葛藤の手記が載っていた。生存者の人の火傷で生死の間を彷徨った後、息子の事を思って生き残り、その後変わり果てた姿で息子に対面する前に反応に怯える下りでは、本当に胸を打たれた。ブルルがバカにするファッション雑誌でもこんなに良い記事がたまには有るのよ、と、読ませようとしている所だ。VOGUEと言えば、September Issueを観よう観ようと思いつつ、最後に映画を観たのはいつだったか???ご覧になった方、どうでしたか?ジュリア・ロバーツのランコムの広告が修正され過ぎて居るので過剰広告としてイギリスで禁止になったとか。だったら毛糸ウィン頭レットはどうなの? ペネロペ・クルスは??ペネロペのトレゾアの広告は美しかったなあ。それにしても、ケイトってまだ35歳って知らなかった。40は行ってると大分前から思ってた。最近、老けて見える人は何ゆえに、若く見える人は何ゆえに、と写真を凝視している自分に気付く。第一に発見したのは、眉毛が太くて濃いと若く見える事。最近の日本のモデルは髪の毛よりもうんと明るい色の眉毛なのだけれど、辛うじて太いから見られる。たまに、細くて色の薄い人を見ると、やっぱりアメリカナイズされた目から見たらお婆さんみたい。あ、九月に戻すと、ケイトはケイトでもケイト・モスの結婚式を特集していたVOGUEは本当に綺麗だった。ケイトはモデルだから色んなメークの顔をみんなが見て知っているのだけれど、その中でも格段に綺麗だったから、本当に幸せで有る事はある美しさに繋がるんだなあ、と思わされた。Harper's Bazarの八月号ではケイトと言えばロイヤルウィディングで世界中を湧かせた新皇太子妃もケイトだけれど?とドレスやら色々比べるようなインタビューで、同じ名前だけど、どう?と訊かれて「でもあちらはこれからは『C』の付いた『キャサリン様』だからね!」とウィンクしたと書いてあった。不遇時代(?)の友達のデザインしたドレスを堂々と着るのも、なんだか好感が持てる。うーん、特にファンでは無かったけれど、あれだけ人気が有るのってやっぱり内面もイイオンナなのかなあ。同じ元スーパーモデルでも、シンディー・クロフォードなんて顔が怖くなってるもんね。Bazarと言えば、次号のレイディー・ガガが話題になっているけれど、これ絶対すっぴんじゃないし!すっぴん風メークの人をすっぴんと言ったり、修正しまくりの広告、絶対つけまつげやん!!!そんな生え方する睫毛なんて有り得ないし!!!と言うマスカラの広告、嘘ばっかりの世界と分かって居ても、綺麗だと思うと見つめてしまう。嘘だと分からず追い求める少女には危険だと言う、イギリスの主張にも納得する。ケイト・モスは広告ではロンシャンやトップショップ、ディオール、デイビッド・ユーマン、レミル等、思いつくだけで沢山有るけれど、モデルなので(差別?)気にならない。ケイトはケイトでも、ケイト・ブランシェットはSK-IIだけ(わたしの知る限り)なので熱心な顧客の一人、と言う感じの紹介の仕方が上手いマーケティングだと思う。日本の雑誌だと桃井かおりとか韓国の誰か知らないけれど誰かとかも出るけれど、アメリカでは他にファッション業界の有名過ぎない有名人を出しているようだ。ケイト・ウィンズレットの方の頑張りはとても目に付く。ランコム、ロンジン、セント・ジョン。セント・ジョンはアンジェリーナ・ジョリーを解雇(?)してから次がケイト???アンジェリーナの方が良かったなあ、セントジョンのマダム風イメージがまた戻ってしまった感じだ。アンジェリーナのヴィトンのカンボジアの女神みたいな広告も素敵だ。ロンジンもアユシャワーリャ・レイの方が良かった。(ぶつぶつ)と書くとわたしが単にケイト・ウィンズレットが嫌いみたいだけれど、そうではない。他に副業を頑張っているなあ、と思うのは、ナオミ・ワッツ。アン・テイラー、パンテーン、と、広告を沢山出している会社に使われているのでよく目にする。アンテイラーの広告では新しいのはデミ・ムーアも出ていてびっくりだったけれど、なんだかいつもより老けて見える・・・なんでだろう、とまた凝視。ジェニファー・ロペスも頑張っている。香水やら自分のブランドに加えて、利益が重ならない分野でビーナス(女性用剃刀)、ロレアルからはヘアケアとグロス、両方のモデルをしているから、下手したら一冊の雑誌に彼女が連続登場する。ジェニファー・ロペスがドラッグストアブランドのキャラクターをやると嘘っぽい気がするのはわたしだけだろうか?もっと、ラ・メールとかゲランとかベルサーチとか、そう言うイメージだなあ。後はジュリアン・ムーアがブルガリとタルボッツ(Talbots)と言うなんとも二つ並べたら微妙なブランドに出ている。Talbotsの前のモデルはリンダ・エバンジェリスタで急にスタイリッシュな感じだったのに、ジュリアン・ムーアだと急に普通の人の普段着っぽく見えるし、ファッション雑誌の中にふと現れると、決して悪くは無いスタイルの彼女すら5頭身に見える。親近感を狙っているのなら成功なのかもしれないけれど、それでも、やっぱりモデルがモデルで有る所以はそこに有るんだなあ、と思わさせる出来だ。好き勝手書きました・・・。秋はファッションの始まりみたいでいつもわくわくするのだけれど、今年は、後2キロが落ちません・・・問題は体重じゃなくて体形なんだけど!!!
September 10, 2011
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好評だったのでタイトルにしてみた。今日で一ヶ月の家の娘の事である。それで、白目むいてにやけていても、元気に泣いていても、それでも可愛いのが親心。親心って凄いなあ、と本当に思う。何をしても、どうなっても、可愛いと言う、無償の愛の究極。それでも、駄目な事は駄目、無理そうな事は(怪我するとか)止めなさいと言う冷静さを持ちたいなあと思う。思うのだけれど難しいのが世間の常なのだろうけれど、それでも思う。日記では親ばか炸裂、大爆発、なのはブル乃助の時同様なのだが、中々更新出来ないのだけれど記録しておきたいので新生児観察メモが溜まっている。*ブル恵が産まれた時の興奮が少し落ち着き、改めて顔をまじまじと見た時に一寸内心びっくりして引いたのが 両目頭の下から殆ど耳たぶにかけて真っ直ぐに深い皺が刻まれていた事。 ブルドッグみたいと言うか、それよりこれって何皺って言うの?目のクマどころじゃないし。 一ヶ月経とうと言う今、その線は消えかけている。*「赤ちゃんはドラマチックだから。0から10の目盛りの中で、0と10しか存在しないから。」 と、ブル乃助が産まれた病院で小児科の先生が仰ったのをずっと支えにして うぎゃー!と泣くブル乃助を前に落ち着いて新生児時代を乗り越えたが、ブル恵はもう一寸冷静なようだ。 お腹が張っている時や授乳中右から左に交代するのに一旦中止する時など泣かずにイラっとした顔をするので、 笑えるのだけれど末恐ろしいような、大物になりそうな、ってまた親ばかになる。(笑)*今は大体2-3時間置きに授乳をするのだけれど、小さく産まれたので最初は沢山は飲めず、 因って頻繁にお腹が空くようで、30分置きなんて事も最初は有った。 最後の食事からたったの30分でも、飲み始めのリアクションは大袈裟で、不気味だと思いつつ夜中に一人で笑っていた。 泣いているからお腹が空いたんだな、と思い、若しくは時計を見計らいおっぱいをやろうとすると、 「あら、わたくし食事は済ませて参りましたのよ。」とばかりにしらーっとしている時が有る。 それでも「どうぞ」と差し出すと、 「じゃ、まあ、お味見だけでも・・・カプッ!ごくっ!ぐびっぐびっ!!!」となるので 愚かな母は「ほらね。」と微妙に何かに勝った気分。 飲み始めると瞬間、両脚をぴこん!と起こしわたしの鎖骨や肩へ乗せ、手はこぶしを握り締めるかパーにして指先だけ曲げて硬直、足の指も全開で、 歌舞伎の浮世絵の人みたいな大袈裟がポーズをして「うん!うん!」と自分に掛け声を掛けながら飲み、 両手が宙を舞いわたしが指を差し出してやると慌ててそれを握り締め「あたち、もう駄目・・・。」と言う感じで息遣いも荒く白目をむく。 密かにわたしは「赤ちゃんエクスタシー」と呼んでいる。 わたしはまたクックックック・・・と笑いを堪えるのに必死である。 それでも、夜中に泣き声で起こしておいて、おっぱいをやろうとするとシレっとしているのは「なんなのよう。」と言いたくなる。 無理矢理押し付けるとおでこに皺20本くらい寄せ、「部長、もう飲めないっすよ・・。」の顔はブル乃助そっくり。 *ブル乃助と言えば、ブル恵は6年違いの双子と言うくらい似ていて、普段から写真で自分の昔を知る彼は自分でもそう思ったようだ。 2歳の頃にトリガー・サムの親指の手術をしたのと、幼稚園で友達に「ピアス?」とからかわれた先天性耳瘻孔が 「妹に遺伝」していないか、わたしの妊娠中から心配していたと言って、ブル恵には無いと確認して胸を撫で下ろしているではないか。 まだ、今日の晩御飯くらいしか気にしていないと思っていた6歳児にわたしは少なからずショックを受けた。 「ブル恵ちゃん、可愛いね。」とブルル、 「ブル恵ちゃん、面白いね。」とわたし、 晩御飯を食べながら、バウンサーで寝ているブル恵を見ながら感想を述べていると、 「ブル恵ちゃん、完璧だね。」とブル乃助。 なんだか、兄妹愛をアピールしようとしてもこうは行かないであろうと思われる1・2パンチに、 寝不足のイライラも吹き飛ぶ程、心が温まる出来事だった。兄妹で親ばかも二倍!?*兄ばか ブル乃助は兄と言うより「祖父?」と言うくらいの猫かわいがり振りを発揮している。 一年生になったのは良いけれど学校へ行くのに後ろ髪を引かれるようで、自分が行ったらきっとブル恵が泣いていると思っているので、そう思わせている。(笑) 帰宅するなり「ブール恵ちゃーーーん?」とルパンが富士子ちゃんを呼ぶ調子で探す。 (勿論彼はルパン三世を知らない。) ブル恵が泣きそうになって息を吸い込むだけで 「くちゅくちゅ(おしゃぶり)が欲しいかも知れる!」とか 「赤ちゃんが可愛だねー。」とか 「お兄ちゃまが寂いね!」とかわたしの入院・休養中に余計怪しくなった日本語で言ってダッシュで飛んで行く様子は下僕のよう。 将来ブル恵に悪い虫が付かなくて良いかも、空手やってる6歳上の兄の居る子なんて怖がられそう、 ふふふ、と寝不足の脳みその下らない妄想は止まらない。*産まれた時は低体重ギリギリでシワシワで、ビニール袋に少しだけお水を入れた間食で、両脚も蒸し鶏みたいだった。 小学校の時、友達が手をグーに握って小指の付け根から手首までの皺の数が、将来産む子供の数だと言っていて、 自分が何人子供を産む予言だったか忘れたのに、そんな事をふと思い出して授乳中にブル恵のを数えてみたら、11本も有った・・・ 頑張ってね奥さん、とまた一人で笑いつつ、男の子の時には思わなかった孫への期待に自分でも驚く。 トーストにイエスキリストの顔が!とか言うアホなニュースが時々有るが、 膝には皺で顔みたいなのが出来ていて(人面膝?)一寸怖かった。 無事に皺が埋まってぷくぷくして来たら今度は水圧が増して来た感触。 あの、針で刺したらぷちゅー!っと噴水のようになりそうな貫禄の感触は何ヶ月くらいだったかな?もう忘れている。*忘れていたと言えば、ブル恵が産まれる前にオムツを買う時、新生児は一日10枚くらいだったとは覚えていたのだが、 その中の3枚は夜中の3:00から3:05の間に消費されると言う事を忘れていた。*男女の差で思い出したが、ブル乃助はブル恵の睫毛が長いのが女の子らしくて可愛いと思っているらしい。 ブル恵は産まれた時からびっしり長い睫毛が生えている。 柔らかいからか、寝ている時は上瞼にくっついて居て、ビューラー掛け過ぎた人みたいだ。 ブル乃助は産まれた時左右の目に一本ずつしか無くてびっくりした話をすると、「女の子だからだよ!」。 アメリカだけかなあ、キャラクター物の女の子は睫毛で性別が判るようになっているなんて。*へその緒が綺麗に取れた頃から皮剥けが始まって、ブル乃助は手足が酷かったのだけれど、彼女の場合は頬はニキビだらけ、眉毛から上、頭皮までは皮がポロポロ。 皮剥けが酷いので授乳しながら気になって仕方が無い。ゴマ―ジュが良いか、べりっと剥がすマスクが良いか、 気が付いたらそんなアホな事を考えている。 お風呂担当のブルルは、小さいのと女の子なのでおっかなびっくり洗っているので、 眉毛の根元の皮膚とぼさぼさの1cmくらいの勝新太郎顔負けの立派なもみあげの下の皮膚が しっかり洗えていないようでそこだけ皮が溜まっているのでオバジを始めて一週間の人みたいである。 (皮膚サイクルを早め角質を落とすビタミンCやレチノール系の美容液は注意しないと産毛や眉毛の下に沢山溜まって、そこだけ皮剥けが酷くなったりするのだ。) 勿論ブルルには洗顔の基本をみっちり講義しておいた。 *鼻呼吸に良いから、と推奨すらしていた病院から頂いて咥えて帰って来たブル乃助程おしゃぶりが好きではなさそうだが、 それでもブル恵用にも用意していたので使わせている。 おしゃぶりをしているのに声が聴こえると思ったら、実は彼女の声は殆ど鼻から出ていると気付いた。 なん語と言うような物では無くて、「アヘアヘアへ」とか「メヘへへエエェェ・・・」とか 小児科の先生に言わせると「完璧なヤギの泣き真似」だそうで、普通なのだそうだが、 ブル乃助はそんな事をしなかったので、おしゃぶりのお陰で気付いた時は驚いた。 大体、どうやって鼻から「アへ」なんて発音するのか??? 腹話術??? 夜中に「ナハハハハハハ・・・」(一休さんの足利義満風)なんて聴こえるとぎょっとするし、 何度聴いても思わずじーっと見て口が動いて居ないのに感心してしまう。 ごく稀に口が開いていて口からの声が聴こえるとやっぱり違うのでそれはそれで新鮮だし、 話し始めるのはまだまだだと分かって居るけれど想像してまたにやけている。 今のわたしはやっぱり寝不足なのと、何か変なホルモンが出ているのかもしれない。*Speedy Delivery(Mr. McFeely風)だったのでみんなに良かったねーと言われるのだけれど、 コメント欄のお返事に書いた通り、実際は体にはきつくて回復が長引いた。 余りにもあっと言う間の出産だったのでいつまでもしんどいとか痛いとか言い難いのだけれど、 一時は6週間後の検診まで待てないかも?と、病院に電話した方が良いかも?と考えた程。 診療所もあそこまで大違いなのかと、ミシガンで一つ、こちらで二つ経験したが、 病院もまた大違いで、Whole Foodsの近所のこの病院だったから少しは覚悟していたけれど、 年配のスーザンと言う元ヒッピー風の母乳推奨プロみたいな人が、病室に回って来てブル乃助が居るのに詳しく色々説明するのには参った。 オートミールとレーズンのクッキーとブルーベリーマフィンが自慢のカフェテリアなようで、 果物とそれらだけはご飯の時間で無くても持って来て貰えた。 血液検査で取り敢えずは妊娠糖尿とはオサラバだと言われたが、不思議と予期していたような食欲の爆発は無く、 ただ、じわじわと授乳による空腹が夜中に訪れたので、晩御飯についていて食べ切れなかったお林檎を齧りながらおっぱいをやっている時は、 マダムと言うより霊長類と言う気分だった。 余りにスピーディーに産道を駆け抜けて(?)来たせいか、ブル恵の頭は丸いまま、 産まれて3日程は、普通ならきつい産道で排出される気管の羊水その他を咳込んで出した。 その咳き込むのが可哀相で、わたしにはどうにも出来なかったのだけれど、あんなに早く産んじゃってごめんね、と思った。 咳き込む度にゴムのスポイトで吸い出してやるので、最初からずっと親子同室だった今回は少しも休めず、 二日目の夜だけは看護婦さんに頼んで暫く預かって貰って休んだ。 夜勤のエリザベスと言う若い看護婦さんが面白い人で、咳き込んだ時にスポイトで吸いだすのを教えてくれたのだが、 ブル恵を抱きながらこちらに向け「This is some yucky stuff, Ma.」(あー、気持ち悪かったわ、ママ。」、 お風呂に入れてくれるよう頼んでその後連れて来てくれた時は「I didn't like it, Ma, but I did it.」(嫌だったけどちゃんとお風呂入ったわよー。)とか、「大草原の小さな家」風に台詞を付けてくれてわたしは爆笑だった。*ハゲ具合は本当に進んでいて、今はもうてっぺんは殆ど完全ハゲ。耳の周りと後ろは長いくらいなのに、前から見たら中曽根さん。(注:別にファンでも嫌いでも有りません。)一ヶ月の記録、お終い。
September 3, 2011
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いっちねっんせーい♪と、今月何回頭の中で歌った事か?6・3・3でっ12年~♪もね。(知ってる人居る???)こういう下らない事をいつまでも覚えているから新しい事をどんどん覚えられないのかも、と思いつつ、記憶ってそう合理的に整理出来る物でもないので諦める。水曜日に先生とのご対面式(?)が有ったブル乃助、今日から一年生である。入学式も、ランドセルも、勿論桜も無いアメリカでは、幼稚園の延長のような感じで、言って見れば二年生の感覚で、わたしが夜の延長でぼーっとしながらブル恵の朝の授乳をしている間にわざわざアイロンの掛かっていないシャツを着て洗面を済ませ(何度言ってもブルルはアイロンの掛かったのはクローゼットに有ると覚えてくれない・怒)サンダルを履いてリストを渡されて買い揃えた学級用具を抱えてブルルと出掛けて行った。おっぱい出してるかーちゃんは当然置いてけぼり。あーあ、初日くらい一緒に行ってやりたかったなあ。まだ授乳の間隔を計って予定を立てるのは難しいので断念してはいたものの、未練たっぷり。眠そうなブル恵ともう一度ゆっくり寝ましょうと思ったのに、彼女の目はランラン。仕方なく一階へ降りて来てバウンサーに下ろし朝ごはんを食べていたら・・・寝てるし!と、久しぶりに楽天に来たら、皆様お祝いのお言葉を沢山ありがとうございました。まだ、8月3日以来最高三時間しか続けて寝ていないので、一日の始まりと終わりが良く分からないような、24時間で2日経ったような、でもまだ8月10日くらいなような、変な感覚である。本当は新生児レポートを書くつもりだったのに、指がウォーミングアップして来た所でブル恵が起きたので(そんなもんよねー。)今日はこれにてお終い。またね。
August 25, 2011
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ブル恵が産まれたのは8月3日の早朝で、親子揃って退院したのは5日の午後。その後、7日の日曜日に、そしてまた10日に新生児検診が有った。日曜日にはこの街の診療所は開いていないので、週末だけ系列の隣町の診療所へ出張しているブル之助と同じ先生に診て貰いに行った。朝出産して家に帰ってから初めてお化粧をしようと思ったら、頬紅のブラシが無造作にアイライナーを入れるカップに突っ込んで有った。わたしを良く知る人はご存知かと思うが、これは普段のわたしだったら有り得ない不始末。参考:今はこれからまた少し違うけれど基本はこのバスケットの感じ。http://plaza.rakuten.co.jp/mandm/diary/200504270000/一気に陣痛に耐えながら午前3時過ぎにぱっぱとお化粧した事、夜中だったから日焼け止めを塗る手間が省けて良かった、と思って、それから、陣痛でこんなに痛くて苦しくて急いでいるのにこんな無理矢理なポジティブ思考って、これって若しかしてポリアンナ症候群かしらん?と不安に思った支離滅裂な思考を思い出して苦笑いした。お化粧する度に思い出して一寸笑えるので、日が経ってからなのだけれど書いてみた。
August 10, 2011
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産まれました。「明日が検診」と言う日は要注意な気がして(前例が有るので)爪を短くしてマニキュアペディキュアをして寝たら、3日の午前3時11分に破水で目が覚め、後始末をしていたら陣痛。明らかに前とは違うスピードで痛みが増す中、病院に電話して、顔を洗って身支度を整えてブル乃助の着替えを出して、わたしのバッグとブル乃助のバッグを揃えて有ったのを閉めて、ブルルを起こしてブル乃助を起こして着替えさせて車で友人宅へブル乃助を預けた。街中に羊水を撒きながら(気分的に)色んな事を心配しながら真っ暗な夜中の道をすいすい通ってそのまま病院に着いたのが4:03、モニターにつながれたのが4:10、4:18に産まれた。まだ昨晩のお風呂からの髪の毛が濡れていたし、初めての破水でなんとも湿った経験だったが、何よりも先生が早く来て下さって、間に合って、良かった。麻酔?やっぱり間に合わなかった・・・。点滴すらされなかった、本当に一寸おたおたしていたら車の中で産まれる所だった。2627g、47cmと、ブル乃助よりうんと小さめ。それにしてもわたしはいきむのが下手なのか、小さくても弾丸のように産まれたからか、やっぱり破けて縫われて今はあちこち痛くて大変だけれど、小さいからか女の子だからか新鮮な可愛さにメロメロだ。今は家の中がぐちゃぐちゃでも、思うように荷造りが出来なくても、お洗濯の籠が満タンでも、わたし達だけだし誰も文句なんて言わないので放っておいて回復に努めようと思う。突然ブル乃助が巨大に見えるのだが、同じ6歳なんだと覚えておいて無理をさせないように、寂しくならないように、心掛けている。スカイプでは実家の両親も「ブル乃助君伯父ちゃんみたい!」なんて言っていた。が、親の心配をよそに、一番猫可愛がりをしているのは彼で、「ブル恵ちゃんは学校行かなくて良いからね、お兄ちゃまが全部教えてあげるから!」ですって。あなたまだ一年生始まってないのに。と言うかその前に「ふ」の字の練習しなさい。(笑)「わたしが「産まれます」と言ったら本当に産まれますから!」と今までみんなに言って来たのに、病院関係者が本気にしてくれないのは仕方無いにしても、肝心のブルルがなんだか寝ぼけていたのかのんびりで焦った。病院に行く前にお水を飲めば良かったのに一刻を争うと思って「病院で頂きましょ」と思ってそのまま出掛けた。ブルルは暢気にコーヒーなんて淹れているので流石に「What part of "We've got to go." do you not understand???」なんて切れかけだったのだが、やはり出産の時に喉がカラカラ過ぎて息が苦しくて、こっちの看護婦さんは膝をこっちに向けろと言っているしこっちの助産婦さんは息を止めろと数えているし、ブルルは反対側で一緒に数えながら先生に前回どんなにスピード出産だったか話しているし、先生はプッシューーー!と指示しているし、こう言う時の英語の洪水には本当に気が動転するかと思った。落ち着いて皆さんにお礼を言った後助産婦さんが持って来てくれたオレンジジュースの、美味しかった事!!!
August 7, 2011
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「週末に産まれたら、なんて夫のキャリア思いの偉い奥さんなんでしょう!」と言ったらブルルは「えー、2,3日ゆっくりしたかったのに。平日に産んでよ。」ですって。あなた、育児休暇貰ったらしっかり育児してもらいますからねっ!お引越しの荷造りも、新居の進み具合のチェックも、ブル乃助の世話もね!冗談は置いておいて、ほんとにまだ産まれない。8月になってしまう。早いだろう、早いだろう、とか言っていたのに、案外予定日の15日だったりして。もう、予想するのは気持ちが持たないので止める。(笑)それでも、夜8時くらいになると、お腹を撫でて、「ブル恵ちゃん、今日はもう遅いから(産まれるなら)明日にしましょうね。」なんて言ってみる。一番一般的なお産の進み方は、ブル乃助の時通り、おしるし→陣痛→陣痛の間隔が狭まり病院へ行って産むのようなので、ぱーん!と破水したりしなければ落ち着いて対応出来ると思う。わたしの場合は30分間隔くらいでもう病院へ行った方が良いかもしれないが、だから今前駆陣痛だけでも時間を計って気構えるので余計疲れる。一度経験したので安心な部分と、一度経験した故に不安な部分が有る。特に前回余りにも早く進んだので、(麻酔をしたいとか言う以前に)ちゃんと病院で産みたいので構えてしまう部分が大きい。そんなこんなで夜もこまぎれにしか寝られないので変な夢を良く見る。前回は出産の夢なんて見る程想像力に富まなかったので、「副乳」の存在を話に聞いてある日バブルバスに浸かって居たら、自分の胴体が乳首に覆われていてゴーヤみたいだった、と言う冷や汗をかいて飛び起きた夢、「産まれますー。」と病院へ向かったのに「保険の関係のなんやかんや」で来年まで待つよう言われた夢、などを覚えている。今回は、経験が一度でも有るので、出産の夢、見まくり。逆子、帝王切開、吸引、色んなバージョンをやってもう疲れたのなんの。それなのに、肝心の顔は絶対に見られない結末。ホルモンなんだか既に寝不足なのか、案外お昼寝のし過ぎなのか、脳みそがどうかなっているのか元々の脳みそのせいか・・・?アメリカの本や雑誌には、妊娠中にはワイルドセックス(!)の夢を良く見ると書いて有るが、なんだかそんなのの無いわたしは損をしているような気がする。あのゴーヤみたいなのは本当に気持ち悪かったー。ゴーヤでさえ気持ち悪くて食べられない・触れないのに。今日は良い夢を見られますように。皆様もね。
August 1, 2011
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「まだなの?」と近所の人に訊かれてむかっ。「まだなんですわ。」こんなに有り得ない程お腹が出ていて、(この「有り得ない」の用法一寸ナウくない?自分で気に入っている。笑)ラップトップがニートップになって、あちこちにお腹をぶつけて、お腹で下が何も見えなくて、座って本を読んでいたらすぐにブル乃助がお腹に沢山ぬいぐるみを乗せて来て、テーブルじゃないんですけど、と言ってもテーブル扱いなので悪乗りして何匹乗るか、なんて遊んだりして開き直ったり、そんな日々である。絶対七月中に産まれるだろう、と、八月十五日の予定日をあてにしていなかったのに、なんだか八月まで持ってしまいそうな勢いである。そうしたら、別に狙った訳ではないけれど、ブルルもわたしもブル恵も八月生まれになる。アメリカに住んで居るとクリスマスの有る12月はみんなにプレゼントを買い会いに行くので一番出費が多いので、8月にまとめてお誕生日が有れば、辛いけれど出費のバランスが取れるかな、なんて思う。クリスマスに近いお誕生日はまとめるのも可哀相だけれどもう街がクリスマスモードでなんとなく冬っぽいプレゼントになってしまう。7月だったらルビーを買って貰おうかなと思ってたんだけどなーー。ぺリドット(八月の誕生石)はもう一杯持っているから要らないし。あ、でも娘が出来たら堂々と宝石や革製品を買って貰えるわねー。そうして、娘の人生の節目に勿体ぶって譲ってやるのも良いわねー。なんだか、早く生まれると思ったのにそうでもなさそうなので、余計な事を色々考える。次の検診は八月二日。なんとなく金曜日に生まれそうな気がしていたのは大外れだったけれど、もしかしてまた検診に行って産むような事になるのかしらん?予約を入れた時は「どうせその頃まで持たないし。」と思っていたのだけれど、このまま行くと持っちゃいそうだなあ・・・。トントン、で「生まれるよ」、トン、トトン、トン、で「まだよ」とかお腹からキック信号で送ってくれたら良いのに。
July 30, 2011
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有り得ない程お腹が出ていて、道行く人が振り返る位にまでなった。モールなどで向こうから来た人が除けてくれるのは結構快感である。さて、今日は検診で、子宮口が3cm、頭がぐっと下がって居て「もうそこ」、周りも柔らかくなっていると言うお医者様のお言葉。「と言う事は???」と言うわたしに、「でもこの状態で二週間くらい持つ人も居るからねー。あはは。」と。あははじゃないよ。排卵も妊娠も検査で判る時代なんだから、出産日くらい判るようにしてよ。と言いたいのを飲み込んで(だってお医者様は発明家では有りませんからね。)「前にも言いましたがわたしが『産まれます!』と言ったら本当にすぐ産まれるので、ちゃんとそう書いておいて下さいね、出来れば今回はエピドラルを試してみたいので。」と頼んだ。ローテーションで誰に当たるか分からない6人の医師の内今日担当だった彼女は「え?前回は1時間半で生まれた?検診で病院に来たらもう7cmだった?分かったわ!」と神妙にコンピューターに色々打ち込んでいた。糖尿の影響も無く胎児も標準の大きさだとされたので、タイミングだけ決めたいのなら促進剤でと言う方法も有りますけれどどうなさる?と訊かれて、この「いつ?いつ?」と言うミステリーは耐え難いけれど、それでも、胎児が居たいだけお腹の中に居させてやりたいと思うので、医学的に必要が無ければ自然に任せたいと思います、と答えた。促進剤で長引いたり痛いのも嫌だし、と言うのも理由。それでも、なんとなく今回もエピドラルに間に合わない気がしている。なんでかな。ブル乃助が後部席に居るのにブルルがぶっ飛ばす車の助手席で一人で産む、と言うのが今一番の悪夢の形。考えないようにしようとするとブル恵が蹴って思い出す。案ずるより産むが易し、と、6年振りに唱えている。
July 27, 2011
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何週になるとこう、と言うのは余りにも当たっていて笑える。36週になったらお腹が下がる、と言うのもばっちりで、先週から胸とお腹で埋もれていた肋骨の一番上の所が「お久し振り~♪」と現れた。お腹が下がると歩きにくくて、夜も上手に枕を使わないと寝られない。今日から37週なのだが、ますます頻尿になる、と言うのもどんぴしゃ。なんだか、切羽詰った感じで駆け込んでも「?」と言うだけで、きちんと膀胱が空っぽになったすっきり感が無い。そして手を洗っている内にまた行きたくなったり、情け無い事この上ないのだけれど、前回も経験しているので、嘆くよりも笑って済ませる。そう言えば、わたしの場合は妊娠かも?と思った時一番に気付いたのがこの膀胱の感覚と、鼻づまり。両方とも、産んだ瞬間にすっきり治ったのが印象的だ。マタニティーの服の縫い目の合わない(前身ごろが大きいので)畳み難さも、前回はイライラしたけれど今回は面白い。同じ服なのに。足の爪が切られなくなるとか聞いた事も有るが、わたしは前回も臨月でも自分でペディキュアをしていた。元から体が柔らかいからか、根性か?この、いつ生まれてもおかしくないと言う日々は二度目でもやっぱり落ち着かない。妊娠検査薬や排卵日検査薬なんて言うのが有るんだから、出産日検査薬なんて有っても良いのに。「巣作り症候群」と言うらしいが、臨月の妊婦が突然元気になってお掃除やお買い物をして子供の環境を必死に整え始めたりするらしい。それも当たっている。ブルルの出張中に何か有っては、と一応荷造りは7月の頭からしているのだが、9月に引っ越すまでブル恵の部屋は整えられない。新生児の内はわたしの横にバシネットを並べるので支障はないのだけれど、前回あんなにしっかりブル乃助の為に一部屋を揃えてやっていたのに、と思うと一寸可哀相だ。今一応空いていたゲストベッドルームにはブル恵の箪笥と引越し用に荷造りしかけた本やらブル乃助の古い服の箱やらが詰まれていて、足の踏み場も無い。(わたしには。)整えられないなら、と、清潔方面に目が向いて、床を除菌出来る電気モップを買った。うーん、モップなのにコードが有るのが変な感じだけれど、慣れて来た。お酢も洗剤も使わないでお水だけと言うのが頼りないと思ったが、きちんと綺麗になる。ちなみにこれ。【ポイント最大10倍】■当社お買い得セール■ハーンスチームモップ HS-E2010Y スチームクリーナー4特典【送料+お米+ポイント+保証】 ハーンスチームモップ HS-E2010Y HAAN Steam Mop スチームクリーナー 汚れもマイクロファイバーと高温スチームモップで強力に落とす HAAN スチームモップレビュー記入でお米付ポールが一寸ちゃちい感じなのだけれど、返品しないで使う事にした。もう一寸コードが長かったら良いのだけれど、でも長過ぎたらもっと邪魔なのかな?尤も出産が済んだらコンセントを差し替えるのもこんなに面倒ではないだろうからこれでも良いであろうと思う。次に狙っているのはRumba【ポイント10倍】アイロボット 自動掃除機 ルンバ 527【送料無料】 iRobot 53784 ロボット掃除機 「ルンバ」(ピンクリボンモデル)【smtb-u】【ポイント倍付0725-28】色々モデルが有るしダイソンより高いので迷っているけれど、ダイソンはお二階のカーペット用にして、床が殆ど全部木の新居には役立ちそうだ。でも新しい床や暖炉に傷が付いたら嫌だしなあ、と今あちこちのレビューを研究している。これも、お腹が引っ込めば自分でちゃっちゃとした方が早いから要らないわ!となるのかもしれないけれど。そうしたらこんな方が便利なのかなあ。これならパントリーに仕舞って置けるし。【即日発送】【送料無料】サイクロン式コードレス・ハンディークリーナー世界累計販売実績200万台の掃除機に新バージョンが登場!!送料無料 Electrolux ( エレクトロラックス ) ergorapido plus ( エルゴラピード・プラス ) コッパーメタリック サイクロン2in1 北欧 サイクロン式 コードレス ・ 充電式 ハンディークリーナーなんだか、わたしの巣作り症候群は物欲に傾いているようだ、用心用心、と。
July 25, 2011
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アメリカに長年住んで居ると、この国を一言で表すと?なんて訊かれたりする。いつもわたしが言うのは「Extreme」極端。健康、教育・教養、思想、体形、健康、貧富、全てが上下左右に極端なのだ。カスタマーサービスも然りで、例えばリッツカールトンなんかはマリオッとグループなので最早米国企業として語ると、We are ladies and gentlemen serving ladies and gentlemen.と言うクレドの元、誇りを持ってサービスに徹する姿勢が世界中でとても買われている。同時に、安価な場所での低レベルなサービスも、世界中で知られていよう。それでも、景気が悪い中サービスに原点を戻す企業も増えているようで、一消費者のわたしも最近こんな経験をした。今年の初めにVictoria's Secretのサイトで幾分まとまったお買い物をした。その中に、見覚えの無いくすんだピンクのスパンコールのキャミソールが混ざっていたので納品書を見てみてもそれは課金された形跡も無く、正体不明。返品用の封筒を使って送り返した。すると、数週間後、正直に送り返してくれてありがとう、と、そのキャミソールの分の金額がチェックで送られて来た。びっくり。これも結構前の話なのだがCostcoで家族でホットドッグを食べていたら、ブル乃助が「何か固い物が有るので出しても良い?」と訊くのでナプキンに出させたら、ソーセージの中に小さな骨の破片みたいな物が混ざっていた。「あら、こんなの思い切り噛んでいたら歯に悪かったでしょうね、良く気が付いたわね。」と話していた所に、通りがかった従業員が「何か入っていたんですか?」と尋ねに来たので事情を説明したら、ブルルがわざわざカスタマーサービスの所まで連れて行かれて、調書を書かされた。「なんか凄いね。」と夫婦で話していたのだが、後日Costcoからまたチェックが送られて来た。全くそんな物を貰うつもりは無かったし、クレームすら出した気も無かったのに、例えばクレームを出して渋々返金して貰うような経験よりも、なんと気持ちの良い事。これは、チェックを貰ったからではなくて、会社の「あなたと言うお客様を大事に思っています。」と言う姿勢の事。気持ちの良い事が有ると、どんどんそこで買いたくなるから、わたしはまんまと引っ掛かっているのだろうか?不景気でも、サービス向上に繋がるという良い面も有るのかもしれない。
July 22, 2011
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日本式に数えて臨月突入!今日で36週だよ、と言うと、「後36週??」とブル乃助。思わず「止めてよ。」と睨んでしまった。これから36週なんて、無理ですから。食べ物の妄想に耐えられませんから。前回の日記に違いを詳しく書いたけれど、ブル乃助を妊娠している時は体重ももっと増えて、お腹も枕をくくりつけている感じだったが、今回はボーリングボウルかすいかが入っているような固さなので動き難い。前回はおへその下にベージュの線が出来てびっくりしたが、今回は無い。その代わり、青い血管が沢山透けて見えるので一寸ほんとにスイカみたいだ。朝「さて、どうやって起き上がろう?」と考えるのは同じ。ブル乃助の時、確かあれも臨月間近の頃、朝起きようとして手首を傷めた。どういう体重???でも、抱っこの時にもずっと腱鞘炎のように鈍痛が有ったので、今回は夜中にお手洗いに起きる時も(平均二回)気を付けてゆっくり起きている。今回は浮腫まないなあ、と思っていたら、丁度先週から浮腫み始めた。でもまだ指輪はゆるいし時計の跡も付かないからましなのだが、足首は時々長期フライト後より酷いCankle状態・・・。悲しいねこれって、何度やっても。足の甲を押したら跡が暫く消えないでお風呂でお湯を溜めて遊ぶような芸当は、今の所無理。これからどんどん浮腫んで来るのかなあ?ブーツの季節でなくて良かった。関係無いけれど、若しも選択の余地が有るのなら、妊娠するのは夏が良いと思う。妊娠初期を秋の味覚で乗り切って、冬はゆっくりのんびり、紫外線が増え暑くなる前に産むと言う、5月生まれのブル乃助のタイミングは、最高だったなあと今更思う。新生児で暑いのも可哀相だけれど、こっちはどこも冷房が効いているし、それにミシガンだったら夏も割と涼しかったしね。出産前これで最後と言うブルルの出張が今月の頭に有って、その時に念の為に荷造りをしてしまっているので、実際臨月になってもなんだか準備が良過ぎて実感が湧かない。またあんな痛い思いをするんだろうなー、前回が超特急で進んでしまって麻酔どころでは無かったから、今回もきっとそんな時間が無い内に産まれるんだろうなー、とか、いや、前回早かったお返しに(誰の?)今度は長かったりして、とか、不安に思い始めたらキリが無いのだが、経験が有る故の心配と言うのも確かに有る。一寸お腹に違和感を感じたら「!」と思ってしまうし、人間一人増えようと言うのに、いつだか全く判らないと言う、本当に何にも例え用の無い落ち着かない期間でも有る。ブル乃助はパンパース一筋だったのだが、女の子はハギースでも良いと聞いて居たので先日Costcoでオムツを買おうと思ったら、新生児用のは無かった。CostcoにはハギースとCostcoブランドしか置いていないのですが、Costcoブランドのオムツ、どうですか皆さん???確か、すぐに大きくなってしまうからそんなに量が要らないからかな、と思い出したが、一体どれくらいの間新生児用を着けていたか、一日10枚くらいで良かったかな、とかもう、余りにも色んな事を忘れている。限りの有る記憶の引き出しも、段々6歳児の癖や幼稚園、空手の決まりやわたし自身の毎日で細かい昔の事が断捨離(?)されているのかな、と思うと、わたしが忘れては誰も覚えていないような、小さなブル乃助の思い出なども多いので悲しい。やっぱりもっとまめにブログを書きましょう、と言う事でしょうか。(?)
July 18, 2011
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何せ比較材料が二件しかないので語る資格も無いのだが、6年前と比べると、景気と妊娠糖尿の有無は前にも書いたが、他にも相違点が幾つか有る。*今回はお腹が固い。思い付いた物を思い付いた時に食べていた前回の幸せな妊婦生活に比べて、今回は36週で6キロちょいしか増えて居ない。それが、まさにお腹にスイカを入れているようで固いので、前回程融通が利かず動き辛い。固いお腹が益々上に上がって来て、今回は一寸早めに張り切ってスタンバイしている(?)胸はぐんぐん大きくなり重くなる。加えて肋骨だけは動かないのでその三点に押されて胸とお腹の境目が痛い事。姿勢良く座らないとえべっさん状態である。因みに前回同様クラランスのオイルを毎日塗り塗りしているが、前回あんなにうっとりしていた香りに、今回は一寸嫌悪感さえ感じる。それでも前回効果が有った(多分これのお陰)ので使っているが、つわりの頃使い始めたのでその香りが苦手になったのかなあ、とも思う。*つわりが有った。前回は玉ねぎ・にんにくの調理が一寸嫌になったくらいで、つわりは無かった。今回は「う!」となってお手洗いに駆け込む事は無かったが、二日酔いのような嫌ーな気分は正味一ヶ月程続いた。香りに敏感になって、衣類の柔軟剤、シャンプー、歯磨き粉などを買い換えた。香水も、Neige、Trish McEvoyのNo,11、【香水】【グレ】【カボティーヌ】【10500円以上送料無料】【ラッピング無料】香水 グレ カボティーヌ オードトワレ GRES CABOTINE 100ml、Clarins Elysium、Darphin Aromatic Beauty Body Sprayしか受け付けなくなってしまったので、良い機会だと残りは引越し用に荷造りした。Burt's Beesのシャンプーの匂いを嗅いだらつわりが復活する感じ。変なの。*痛い所が違う。前回同様、妊娠初期には左右の腰骨が開いているのかメリメリと言う痛さが有った。と言う事は骨盤がしっかり閉じていたのか?あれで?じゃなくて益々開いているだけ??妊娠中期に入ったら体中の関節が緩んでいるのかポキポキ鳴る。これも同じ。後期に入って間も無く脚の付け根が痛くなった。これは、前回は臨月までならなかったから、「え?もう生まれるの?」と一寸焦ったが、個人差が有るらしい。いきなり来るので歩いていてなったら一寸一人でびっくりしている人みたいになる。前回は妊娠後期には略毎晩ふくらはぎがつって居たけれど、今回はまだ中期に一度なっただけ。*浮腫み確か前回の今頃はもう浮腫んで凄かったと思う。足を押したら跡が付くくらい、靴が入らないくらいだったのが、臨月になったら上がって来て指輪が入らなくなって顔もふっくらして居た。太っていたのも有るけれど、浮腫みも凄かった。凄いと自分では思ったのに、血圧も低く妊娠中毒症では無いと言われた。今回も血圧は毎回60-90位なので、随分お医者様はそれに重きを置いて励ましてくれる。*ブル乃助の存在「ねえ、ブル恵ちゃん?」と相変わらずわたしの口の中に向かって話し掛けるブル乃助のお陰で今度の子供は生まれる前からなんだかキャラが出来上がっている。(「なあに、お兄ちゃま?」と言うのはわたしの声ですから。)ブル恵はわたしのお腹で空手をしている事になっているし、ペール・ギュントが好きな事にもなっている。大きなお腹のせいで一緒に床でレゴで遊んだり乱暴に遊んだり出来ないし、食事療法のせいで一緒にミルクシェークを飲んだりクッキーを食べたりも出来ないし、朝済ませてお昼を食べたら晩御飯の用意まで、へたるようにベッドで休憩する日も、ブル乃助はブル恵のせいで母親と遊べないというようには考えて居ないようだ。物心付いたら妹が居たわたしに比べ、これからの彼の環境の変化を思うと健気と言うか、両親を共有する良い練習になると言うか、取り敢えず今の所は助かっている。検診にもブルルの出張中仕方なく連れて行ったのだが、「ぼくもママのお医者さんに会いたい!」と何故か張り切って居て、こっちが一寸驚いた。その日は外から心音を聞くだけだったのだが、胎児の位置とサイズを確認して、わたしが動き方で見当を付けて「頭が下でここが背中ですか?」と訊いたら、その女医さんは「そう、ここが頭、これはね、お尻です。」とお答えになって、6歳児男児ブル乃助は「お尻だってぇ~~~。」と5分くらい笑っていた。妊娠が分かってからずっと左向きで寝ていた成果か、しっかり頭が下になっているようだ。よしよし。今は、うつ伏せに寝て本が読みたいぞー。*胎動と胎児の好みごく普通に真ん中に居たブル乃助と違い、ブル恵はわたしの右側が好きなようで、時々背中に回ろうとしているのではないかと言う勢いで右へ押す。「あなたのお部屋はこっちですよ。」と外から手で押したり、お尻ぺんぺんの真似をしてもどこ吹く風で、お医者様によると「お尻」の部分をぐいぐい右に押すので痛い。ただでもお手洗いに何度も起きるのに、夜も何度もそれで目が覚める。これは、前回と全然違うなあ。何週になった、こうなった、あれはどうしよう?と逐一記録していた前回に比べて時々しか妊婦日記を書いていないのも、大きな違いかな。でも今回は本当に糖尿で参っちゃってたのよ、許してね、ブル恵、みんなで待ってるからね。
July 13, 2011
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