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何日か前のこと、山形県長井市に住む自然運動家の方のブログを拝見したら、自宅の庭でカタクリが咲いたことが紹介されていました。それで近所のM公園へ行ってみたのですが、まだ小さな葉が地中から出て来たばかりで、花の姿は全く見えなかったのです。 昨日私は眼科へ行き、その後近くの薬局で目薬を処方してもらいました。薬が出るまでの間地元紙を読んでいると、「太白山でカタクリが満開」の記事を発見。急いで帰宅してそそくさと昼食を済ませ、愛用のマウンテンバイクに飛び乗って太白山方向へと急ぎました。我が家から4kmほどの所にあるこの山は周囲一帯が保護され、仙台市の自然観察の森に指定されているのです。 「仙台市太白山自然観察の森」の標識です。 一級河川名取川水系の笊川上流部。小さな橋が架けられているこの場所が、この日私が行った最奥部でした。 1) ちょっとピンぼけですが、自然観察の森で一番最初に私を迎えてくれたのが、このセリバオウレンでした。良く観ると案外可愛い野草の花ですね。 2) キンポウゲ科の花キクザキイチゲ(菊咲一花)です。イチリンソウとも言われていますが、花が深く切れ込んでいる特徴がイチリンソウとは違っています。 3) 驚くことに、この花は我が家から1kmも行かない谷に咲いています。散歩道の直ぐ傍なのですが、ほとんど気づいている人はいないようです。先日カタクリを探した日、この花がたった一輪だけ咲いていました。 4) 上の3)と同じ花です。今回訪ねたら咲いてるのが2輪見つかり、しかも前回よりも成長していました。 5) これは自然観察の森の中の「野鳥の森」に咲いていたもの。多年草なので、毎年同じ場所から芽が出るのです。 6) 5)と同じ場所の花ですが別な株です。竹林の傍でひっそりと咲いています。 7) 地上の枯葉を押しのけ発芽したばかりのカタクリの芽です。まだ柔らかく、孵化したばかりの鳥のような感じです。 8) 最初の群落です。自然観察センター横の広場の日溜まりに、一面のカタクリが咲いていました。 9) カタクリを漢字で書くと片栗です。球根が栗の一片の形に似てることからの命名です。10) カタクリはユリ科カタクリ属に所属する多年草です。 11) かつては地中の球根を掘り出して食用にしていました。12) 球根を原料にして製粉したのがいわゆる「片栗粉」でした。13) ここからは2つ目の群落です。14 片栗粉はとろみがある粉末ですが、今は自然保護のためジャガイモの澱粉を代用しています。 15) この日私が訪れた一番奥の群落です。16) ここも葉が落ちた木の下で、カタクリは日当たりが良い場所から咲き始めるみたいですね。17 日当たりのあまり良くない崖などでは、葉が出始めたばかりでした。18) それでも間もなく、この山全体で春の野草が咲き始めることでしょう。ニリンソウの群落もまだ葉が出始めたばかりでした。 19) これで緊急レポートを終わります。太白山のキクザキイチゲやカタクリの花を楽しんでいただけたでしょうか。これら春に先駆けて咲く野草のうち姿形の良い花は、「春の妖精」と呼ばれています。そのうち花の咲き具合を観て、続報をお届けする予定でいます。なお、この地帯一体に今も豊かな大自然が残り、広範囲に保護されているのは仙台藩祖伊達政宗公が仙台城を護るため、山林の立ち入りを禁止したためです。独眼竜政宗公は、その点でも郷土の偉大なる恩人だったわけです。
2016.03.31
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大相撲の3月場所が先日終わった。最後はびっくりポンの千秋楽だった。白鵬と日馬富士の横綱同士の一戦。しかも優勝がかかった場面で白鵬が変化技で勝ち、史上最多36回目の優勝を決めた。最近は優勝から遠ざかり、きっと焦る気持ちがあったのだろう。優勝インタビューで彼は涙を流しながらファンに謝っていたようだが、それほど非難されるべきことのように、私には思えなかった。 横綱に王手をかけていた琴奨菊が8勝7敗に終わったのもびっくりポン。先場所の優勝で祝賀会続きだった彼。練習不足での綱取りなど到底無理と話した解説者がいたが、全くその通りの結果となった。琴奨菊の初優勝に刺激された、稀勢の里と豪栄道の2人の大関の奮闘が光った。怪我で十両に陥落した大砂嵐が優勝し、遠藤が11勝4敗の好成績を残したのも嬉しい。理事長選挙に2対6で敗れた貴乃花親方は執行部から外されるとの噂だったが、結局はナンバー2の巡業部長に就任する由 プロ野球の公式戦が先週から始まった。わが東北楽天は昨年の覇者ソフトバンクホークスを地元コボスタに迎え、1勝1敗1引き分けの健闘だった。今季から天然芝に姿を変えたコボスタ。間もなく外野芝生席には、我が国最初の観覧車が登場する。昨日から始まった千葉ロッテとの対戦では、2対12のぼろ負けだった。4戦して勝ったのは、エース則本で上げた初戦のみ。今後の戦いぶりがちょっと心配になった私だが、梨田新監督の明るい人柄に救われた思いだ。 女子カーリングの世界選手権大会で、日本チームが銀メダルに輝いた。これまでで初めての快挙だった由。チームは選抜ではなく、国内大会で優勝したチームが派遣されるのがこの競技の特徴。北海道の「LS北見」が今回の立役者だ。世界の強敵を次々と破り、決勝戦ではランク高位のスイスを相手に、堂々たる戦いを展開した。最後は僅差で敗れたが、選手達の見事な連携が光り、今後の活躍が期待される。 そんな爽やかなニュースに混じって、耳を疑う意外なニュースが飛び込んで来た。参議院補選(東京都)の候補者に上がっていた乙武氏の不倫騒動がそれ。本人が結婚後も5人の女性と不倫関係にあったことを認めたのだから驚く。「へえ~っ、あの真面目で誠実そうな彼がねえ?」。「それにしてもなぜ奥さままでが謝らなくちゃいけないの?」。「彼は学生時代から女性に猛アタックしてたらしいよ」。「ふ~ん、そうなんだ」。 「五体不満足」の障害者だからと言う訳ではないが、教育者でもあった彼の意外な一面を、今回私達は知らされた思いだ。これも選挙前のゴシップ探しとして片づける訳には行かない。「下半身には人格がない」。これは学習院院長で文部大臣にもなった安倍能成(1883-1966)の言葉だが、今日では全くの時代錯誤的見解。恋愛は自由だが、倫理は厳しく問われるべき。それが現代の通念ではないか。たとえ混沌たる倫理の時代でも。 先週から整骨院に通い始めた。腰痛と肩の痛みが酷かったためだ。原因は分かっていた。ずっと自分の部屋に閉じ籠り、座イスのままで1日中過ごしていたせいだ。その背景もあるが、書かないで置く。ともかくじっと我慢。だがそれでは事態は改善しない。そう考え直して治療を受け、内科では睡眠薬も処方してもらった。主治医は何も聞かなかったが、私は「不眠状態が1年は続きそう」とだけ答えた。信頼関係が成り立つドクターが身近にいるのは有難いことだ。 区役所で印鑑証明を取って来た。すっかり手続きを忘れていたが、無事終了。帰宅して書類に署名し、実印を捺印した。次男のマンションの連帯保証人としてのもので、これまでは妻が保証人だった。今回新たな場所へ転居するのに際しての措置。東京で暮らしている2人の息子達。彼らの将来と、老父である私の残り少ない人生を思うと複雑だが、彼らには彼らの生き方があると信じるしかない。そんな気持ちで書類をポストに投函した。 四国から長女と2人の孫娘が我が家へやって来た。前回の訪問から既に9年近く経った。今年中学校を卒業した上の孫は、難関の第一志望の高校に合格した由。下の孫娘は今年中学校2年生になる。2年前大阪で私の古稀を祝う会を開いて以降の再会だが、2人ともすっかり背が伸びていた。2人とも合唱部の所属。私が若いころ合唱団に入っていたことや、長女が高校生の時から「第九」を歌っていたことを思うと、これも血の為せる業なのだろう。 階下からピアノの音が聞こえて来る。久しぶりに聞く音色が嬉しい。あれは筑波勤務時代に千葉の柏で買ったピアノ。私の転勤に伴ってこの「重たい家具」も、鳴門、沖縄、松山、大阪、そして仙台へと運ばれて来た。「爺ちゃん、半音違うキ―があるよ」と孫。それもそのはず、ずっと調律をしないままなのだ。2人にお祝いを渡したら、喜び勇んで早速長女と買い物に行った。良かったねMちゃん、R子ちゃん。爺ちゃんはいつまで2人の成長を見られるかなあ。 私は孫に見送られて走りに行った。今年初めての半袖とランニングパンツ姿。この日のコースは23kmと決めていた。多分大丈夫と判断して走り始める。風は既に春の南風に変わっている。前回は登れなかった坂道も登れた。さらにそこから山の上の団地へと登って行く。頂上から春霞に霞んだ仙台平野が見えた。慎重に県道まで下り、そこから名取川の堤防沿いに走る。雉の雄がいた。梅とレンギョウの花が満開だ。そして遥か遠くには泉ケ岳の姿もあった。 前週の前半までは走るどころではなかった。睡眠不足に腰痛に肩の痛み。最悪の体調でも何とかブログだけは続けていた。だが整骨院と睡眠薬のお陰で、体調は徐々に戻った。あの「東日本大震災」の後でも、処方された睡眠薬はほとんど飲まなかったのだが、今回は無理せず必要な時はお世話になることにした。ほぼ4時間をかけて自宅へ戻った私。この間に350mlと500mlのスポーツドリンクを飲んだ。ゆっくりペースだが、走れて本当に良かった。 4時間のランですっかり日に焼けたようだ。これからも体調と相談しながらジョギングを楽しみたいものだ。そして出来たら30kmまで距離を延ばせたら嬉しい。孫達は今日も買い物へ行くようだ。私は庭の手入れと、整骨院と眼科へ行く予定。 さて、今日の甲子園でのセンバツ大会はどうだろうね。高松に住む娘達はもちろん高松商業を応援するだろう。庭の梅が散り始めた。今はその散った花弁の掃除に少々時間がかかっている。ニュースにもならない我が家の話だが。
2016.03.30
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昨日の朝のブログ更新後、私は愛用のデジカメを持って家を出ました。緊急取材のためです。目的は蔵王の雪景色を撮ることと、桜の花を撮ること。桜が咲いている場所は、前日のランニングで確認済み。そして雪山は天気次第ですが、これなら撮れると判断したのです。先ず急いだのは近所のお墓。小高い山の上にあるお墓に上ると、遥か遠くに蔵王の山々が見えました。ラッキーです。晴れて澄んだ朝の大気が幸いしたようです。 遠い団地の向こうに見えるこの異形の山は、多分「仙台神室」で、その右が「大東岳」のはず。 次に向かったのが国道286号線の直ぐ傍に咲いているこの桜。緋寒桜系統の小さな木ですが、ほぼ満開状態です。 前日この横を走り抜けた時に見つけました。私が今年最初に観た桜でした。 とても小さな木なので、撮影には少々苦労しますが・・。 こうして部分的に撮れば、結構観られるはず。 優しい色合いの桜って大好き。 やっぱり桜は春の女王。この花が咲かないと春が来たような気がしないよね。 きれいな色の花弁って良いでしょ? こんなちびっこ桜でも、結構楽しめるよね。 喜び勇んで桜を撮り終え、朝食後は整骨院へ行きました。腰と肩が傷んでいましたのでね。勿論デジカメ持参です。 この朝撮った南蔵王山系、屏風岳の雄姿です。 これがある高校のキャンパスに咲く大寒桜の全容。この姿を遠くからみてビックリ!! なんと大部分の花が咲き終えていたのです。う~む、残念。それでも必死で滑る崖を登って行きます。 大寒桜は「大島桜」と「寒桜」の配合種。もっとも早咲きの種類なのです。 それにこの南に面した崖が、仙台で一番暖かいのだそうです。 これより南は平らで開けた街。南向きの崖は太陽熱を一手に集めるのでしょう。 ピンクの濃いこの花が、私は大好きです。 でも厄介なのは足場の悪さ。暫く雨が降らない崖は、大変良く滑るのですよね。 だからランニングシューズの私は、何度もズズーッと滑り落ち、一度は埃だらけになったと言う訳です。 今年は来るのが遅くて、満開の見事な花は観られなかったけど・・。 それでもこの桜の見事さの一端はご理解いただけたはず。再び私は崖を滑り落ちながら家路に着いたのでした。 これは蔵王山系の中心部、刈田岳付近の雪景色です。 帰途の途中に寄ったのが小公園。坂道を登っている時に、何か赤い花があるのを遠目で観てましたので。 これも緋寒桜系統の桜。まだ蕾状態ですが、それも可愛いですね。 澄み切った青空を目指して枝を伸ばす桜って、最高♪ 緊急取材はまあまあ成功かな。なお、仙台の「ソメイヨシノ」の開花は、4月10日だそうですよ。 では最後に、蔵王連峰の大パノラマをご覧あれ~!!
2016.03.29
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昨年撮った空の写真がまだたくさん残っている。あまりそれが続くと読者の方が飽きるだろうと思い、「歴史と美の形」など異なるテーマを適宜挿入している。今日は再び空の写真に戻した。第1回が<昼の空>、第2回が<朝空とシルエット>だった。第3回の今日は<曇天も捨てたもんじゃない>をお送りしたい。気の滅入るような曇りの日だって、案外魅力があるんじゃないのか。言ってみればそんな感じかも。では早速今日の空をお届けしますね。 人生晴れたり曇ったり。時には色んなことが起きるよね。 空も一緒でね、時には晴れてるんだか曇ってるんだか分からない日だってあるさ。 去年の10月のこと。私は空の写真を撮りに行った。この日、空は目ま苦しく変わってねえ。 こんな風に、色んな表情を見せたのさ。 なになに~っ、俺は曇り空は大嫌いだって~っ? 私は曇り空だって美しいと感じるし、それほど捨てたもんじゃないと思うんだけどねえ。 ほら、一雨来そうなこんな感じはどう? ちゃおりんさんの風神、雷神を曇り空に配したけど、さ~て効果はどうかな? もう勘弁してくれだって~?冬の北陸の空はこんなもんじゃないよ。何せ一晩に60cmも雪が積もる。私もそんな山の中で働いたこともあった。あれも今になったら、良い思いでさ。 思えば私も日本の各地で色んな空を見たものさ。で、今日の結論だけど、曇天もたまには良い。雲がなかなか良い味出してるよね。さ~て、明日はどんな空にしようかな。<続く>
2016.03.28
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<青森県立郷土館の展示物 その2> 北東北の歴史を訪ねる旅の最終日に訪ねた青森県立郷土館の資料は、私を興奮させるに十分の内容でした。特に縄文時代の遺物を収集した青森市の医師親子が寄贈した『風韻堂コレクション』の質の高さは、目を見張るものがありました。今日の写真もその続きです。なお写真は、前もって撮影許可を得たものです。 不気味な笑顔が浮かぶ焼物。遮光器型土偶の破片かもね。 底に小さな手形が描かれた土器。 土製のイヤリングです。耳たぶの穴を徐々に広げ、これをその穴に嵌めるのです。 ドーナツではありません。これもイヤリングです。 復元された腕輪です。 土製の鐸です。ミニチュアとして制作されたもの。考古学者が後世の(銅)鐸に似てるとして名付けたのでしょう。 共に土製の動物です。左は亀で、右はイノシシです。 共に土製のキノコです。私はキノコの特徴をよく掴んでいると思うのですが。 このようなものを「岩版」(がんばん)と呼びます。石製で、とてもシュールな美しさです。 これも美しい模様が刻まれた岩版です。 この岩版は美術品としか言いようのないほど、見事な作品に仕上がっていますね。 左側が岩版で、右側が粘土を焼いて作った土版です。 共に不思議な文様が刻まれた土版です。不思議さも縄文の美の特徴でしょうか。 上の写真は「青龍刀型石器」と呼ばれるものでしょう。下の遺物は単に「石棒」と呼ばれていますが、大部分は男性のシンボルを模しています。これらの石器は縄文人の宗教性と深く関わり、特に石棒は子孫繁栄の願いを込めて制作されたもので、全国から同じようなものが発掘されています。 いずれも翡翠で出来た勾玉(まがたま)です。翡翠(ひすい)は新潟県の糸魚川市を流れる姫川の上流に優れた産地があります。この原石が破壊され、大雨で日本海の海岸部に流されて来ます。このようにして翡翠は新潟から、黒曜石は北海道から、そして接着剤になるアスファルトは秋田から、それぞれ小さな丸木舟によって遥々と青森県まで運ばれて来ました。既に縄文時代には日本海を通じた物の交換ルートが出来上がっていたのです。 これらも全て翡翠製の勾玉です。 私が青森県立郷土館の展示物に大興奮した理由が少しは理解していただけたでしょうか。 <不定期に続く>
2016.03.27
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<青森県立郷土館の展示物 その1> 北東北の歴史を訪ねる旅の最終日、6月28日に訪れたのが青森県立郷土館でした。ここには縄文時代の遺物を始め、江戸時代辺りまでの膨大な展示物があり、私は夢中になって撮影していました。ここは例外の物を除き、フラッシュを焚かなければほとんどの物が撮影出来るのです。私も早速撮影許可を申し込みました。それで撮ったのが以下の写真です。 さて、同館の縄文時代の展示物でも一際目についたのが『風韻堂コレクション』でした。これは青森市内に住む医師親子が、自費を投じて長い間収集したものを、同館に寄贈したものです。縄文時代の代表とも言うべき秀品がたくさん含まれていることに驚きます。一般の常設展示物よりも格段に優れていると私は感じました。ただし、館内を何度も往復して撮ったため、どれが風韻堂コレクションでどれが常設展示のものかの区別が分からなくなったのが残念です。 左が風韻堂コレクション展示室に掲げられていた書です。その時は何気なく観、何気なく撮影したのですが、後で青森県が生んだ偉大なる版画家である棟方志功の書であることにようやく気づいた次第です。版画もそうですが、彼の書にも独特の味わいがありますね。私の好きな作品です。右側はとても小さな土偶で、軽く微笑みながら立っているように見えます。 縄文時代の土偶です。ほぼ完璧に残っており、かつ保存状況も良好です。目の縁が特徴的な土偶で、後で説明が出て来ます。 赤い顔をした土偶です。恐らくは赤い漆などが塗られていたのでしょう。呪術的な要素が強い作品です。 合掌する人物で、国宝に指定された土偶のレプリカです。まるでUFOに乗って飛来した異星人のような格好をしています。 遮光器型土偶です。遮光器(しゃこうき)とはエスキモーの雪眼鏡のことで、雪の眩しさから目を護る「装置」をかけたように見えることから名付けられたものです。青森県の亀が岡遺跡が主な出土地で、これもきっとそうなのでしょう。現地木造町(現つがる市)「縄文館」の出土品は東京国立博物館などへ貸し出し中で、前日訪れてガッカリしたものです。大雨の中、ずぶ濡れ状態で訪ねたものですから特にね。 だからここで会えて嬉しかったですよ。長い間追及していると、こんな風に思いがけない遭遇、予期せぬ出会いがあるのが古代史や考古学の面白さでもありますね。青森県の遮光器型土偶と新潟県出土の「火焔土器」は縄文時代の土器の中でも特に秀逸で、縄文人の不思議さや力強さを感じますね。彼らの美的センスは現代人にも負けないほどです。右側の土偶には髭が見えますね。 乳房があるので女性とわかります。とてもシュールな印象を受けます。 左側は女性の土偶。右側の土偶には全身に刺青(いれずみ)のような模様が点々と施されています。これも呪術的な要素が強いのでしょう。 見事なデザインの服を着た土偶です。 この土偶が着ている服も、極めて現代的なデザインをしていますね。 この土偶は冠のような形をしたものを被っています。 あどけない笑顔をした土偶です。 ポカンと口を開けて立っています。 この白っぽい色の土偶は、全身に模様が施されています。 一説によれば縄文人の平均寿命は37歳程度だったと言われています。こうして破壊された土偶は人間に代わって穢れを落とし、長命と繁栄を願ったと考えられています。壊された土偶には、縄文人の切なる願いが籠められていたのです。良く観察すれば、今日紹介した土偶には大抵破壊の痕跡やヒビが入っていることに気づかれるでしょう。<続く>
2016.03.26
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私は昨年北東北の3つの県を旅し、歴史的な場所を訪れました。その際の旅日記はアップしたのですが、まだ結構数多くの写真が残っていました。その大半は地中から発掘した遺物、つまり考古学資料なのです。私はそんなのが大好きだから良いのですが、大勢の読者の方々のほとんどはあまり関心がないと思われます。そこで長い間放置していたと言う訳です。でも今回は、それらの発掘物などを、「一つの美の形」として見てもらうことにしました。 まだ「空の表情」のシリーズは終わっていませんが、間に挟む形でこのシリーズと交互にお届け出来たらと考えています。では、早速始まり始まり~!! 昨年の6月25日に、私はこの「盛岡市遺跡の学び館」を訪れました。岩手のブログ友であるニッパさんが案内してくれたのです。そこにあった考古学資料の中から2点だけ紹介しますね。 土偶がついた縄文土器です。ちょっと珍しい形をしています。 これもまた、とても珍しい形をした蓋付きの土器です。模様が変わっていますね。 ここは最初にニッパさんに案内してもらった盛岡市郊外にある志波城城址公園です。志波城は平安時代の初期に建てられた、我が国で最も北に置かれた古代の城郭で、蝦夷(えみし)に備えるため征夷大将軍であった坂上田村麻呂が建造した砦です。その城址を発掘し、復元したのが上の城門(裏面)で、直ぐ傍を通る東北道からも良く見えます。 城址から発掘された鉄製の釘や斧です。このようなものを使って城が築かれました。この城によって岩手県北部や青森県東部の蝦夷が投降し、東北北部までが中央政府の支配下に入りました。つまりここは当時の日本の「最前線」だった訳です。 右側はこの城に勤務していた役人で、左側は彼らが当時使用していた円面硯(えんめんけん)で、これで墨を摺り文書を作成しました。 城内から出土した土器(浅鉢)です。城内には役人や城を護る兵士達が住んでおり、彼らが生活で使った様々な品物が発掘されています。 これは出土した土器の一部です。 これは鉄兜です。きっと兵士がこれを被って戦っていたのでしょうね。現物は「盛岡市遺跡の学び館」に陳列されていました。 これは6月26日に訪れた秋田県鹿角市にある「大湯環状列石」(サークルストーン)のうち、野中遺跡の環状列石の全体像です。写真で見ると小さいですが、現物は実に壮大なものです。これは縄文晩期のもので、当時の村人が約500年間に亘って集団墓地として使用していたもので、集落跡ではありません。 これは万座遺跡の掘立小屋で、復元されたものです。遠くに三角形の山が見え、ここが聖なる墓地だったことが分かります。小屋は住むためのものではなく、死者を弔うための宗教的な儀式に使われました。場所は川から100m以上高い台地の上にあります。縄文人の住居は飲み水が得られやすい、大湯川の傍にありました。 冬はこれだけの雪が積もると言うイメージ図です。実際にここは豪雪地帯でもあります。 出土した土偶などです。遺跡の傍にある「大湯サークルストーン館」に展示されていました。まるで骨盤と子宮のような不思議な形の土器が、とても気になります。こんな珍しい土器を見たのは初めてです。死からの再生と子孫の繁栄を祈ったのでしょうか。 3日目の6月27日には津軽半島にある2つの遺跡を訪ねました。最初に訪ねたのが半島上部の十三湖に浮かぶ中島の資料館でした。ここ十三湖には中世の豪族である安東氏の居住地があり、当時は十三湊として内外の船が出入りする貿易港でもありました。この古地図は翌日訪れた「青森県立郷土館」にあったものです。 中島遺跡から出土した縄文土器と石器。縄文時代からここにはたくさんの縄文人が住み着いていました。きっと湖には魚介類が豊富で、付近の野山にも食糧となる野獣がたくさんいたのでしょう。 美しい形をした縄文土器ですね。 これらの石器は石斧(せきふ=いしおの)と呼ばれるもので、これを木の枝に紐で縛って固定し、木を切り倒したのです。 黒曜石製の石像(左)と土偶(右)で、いずれも縄文時代のものです。鋭い刃物などが作れる黒曜石は、その性質から国内の限られた場所でしか採掘出来ません。写真のものは恐らく北海道産のものでしょう。潮流が激しい津軽海峡を、当時は小さな丸木舟で漕ぎ渡ったのです。黒曜石製の鏃(やじり)などは良く発掘されますが、このような像はとても珍しく、縄文人の宗教観、美的センスなどがとても良く分かります。 一方の土偶は一族の長命と繁栄を祈って作られたもので、人に代わって穢れを落とす意味を込めて、破壊されるのが通常です。↑の大湯環状列石の土偶の首が折れているのも、同じ理由からなのです。 十三湊遺跡出土の青磁です。これは青森県立郷土館所蔵分を載せました。安東氏によって支配されたこの中世時代の港が、日本海の海運を通じて中国大陸とも深い交流関係にあったことが良く分かります。岩手県平泉の奥州藤原氏の栄華も、この港と無関係ではありません。また源頼朝が豊かな東北を支配下に置こうとした要因の一つになったとも考えられます。 五能線のどこかの駅に張られていたポスターで、世界遺産白神山地の木こり図です。きっと江戸時代に描かれたものでしょうがが、東北の山林は昔から無限の宝庫でした。青森市の三内丸山遺跡には、高さが16mにもなる栗の丸太6本で組み立てられた櫓のような建築物や、長さが30mを超える規模のログハウスも建てられていました。趣旨に反して掲載内容がバラバラになりましたが、どうぞご容赦を~!!<続く>
2016.03.25
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新たな歩みへ 先日俺はある告知を受けた 突然の そして想定外のものだったが 案外俺もそれを長い間待ち望んでいたのかも知れない そうか そうだったのか その日以来ほとんど眠れなくなった俺だが 自分が今後進むべき道だけはしっかりと見えていた これからの道程がきっと厳しいものになることは確かだが 俺にはやるべきことがあり 守るべきものがある 男として 父として 一個の人間として そしてそれが 俺の人生の最後の大勝負になるはずだ 俺は今日72歳の誕生日を迎えた 気持ちだけはまだ若いつもりでいるが体は正直で 元気だった頃のようにもう自由には動いてくれない だが泣き言は言うまい 自己憐憫は何も生まないと俺に教えてくれた友がいる あれを心からのエールと考えよう 俺は俺でなければ出来ない俺の使命を果たす きっと俺のことだから いつものようにもたもたするだろうが それでも俺は精一杯の作り笑顔をしながら頑張るつもりだ かつてウルトラマラソンのランナーだった俺は 100km、200km先のゴールを目指し いつも汗だくになって走っていた たとえ途中の関門に捕まりそうになっても 気持ちはいつもゴールへと向かっていた もう決して若くはない俺 今日がめでたい年男の誕生日だと言うのに 誰も気づかず祝ってもくれないけれど こうしてこの青い星に生まれたことに 俺は心から感謝したい気持ちだ 振り返れば長い人生だったが これからもまだ道が続くのを信じて ありがとう 天の神よ ありがとう 遥かなる地平よ ありがとう いつも励ましてくれる友よ 君の優しい言葉に 一体俺は何度泣いたことだろう 今日72歳になったばかりの俺は また新たな気持ちで次の目標に向かい 一歩歩き出そうとしている 前へ さらに前へと
2016.03.24
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今日の日づけを勘違いし、「空の表情」<その2↓>を昨日分として載せてしまいました。本日分として読み替えていただければ幸いです。お散歩うさぎさん、ご指摘どうもありがとうございました~!!
2016.03.23
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A公園に朝が訪れた。空が次第に白んで来る。 沼に朝日が映える。ここは近所の小さな公園。 やあ、お早う。俺は朝の散歩中なんだがね。 アパートがあるこの辺りから、煙突が1本見えるよ。 ゴメンゴメン。2本だったね。どうやら今は使われてなさそうだが。 ここはM公園の丘の上。遠くに朝焼けの街が見える。 どうやら街は長い眠りから覚めようとしているみたいだね。 お早う、お早う。もう朝が来たよ。 気持ちが良い朝だよ。みんな起きなさ~い!! ビルから出てるのは煙。ようやく目が覚めたようだね。 さて、今日は一体どんな日になるんだろう。 まずは元気で過ごせるのが一番さ。 公園の樹木達は静かだけど、まだ眠っているのかなあ? 遠くの空が次第に明るくなって来た。 樹木がまるでインドネシアの影絵劇ワヤン・クリみたい。 ほら、これがワヤン・クリだよ。 地平線もようやく見えて来たみたい。お~い、もう顔は洗ったか~い!! 広がって行く朝焼け。とってもきれいだね。 何だかアフリカのサバンナみたいな感じだけど。 ふふふ。ここは俺が良く行く公園。今でもたまに走ったりするんだよね。 そして桜の名所のここには、間もなく大勢の花見客が集まるってわけさ。<この項不定期に続く>
2016.03.22
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私は昨年かなりの枚数、空の写真を撮った。なぜそんなに雲を撮るのかと聞かれたら、「そこに雲があるからだ」と答えようか、それとも「私が雲を撮りたいからだ」と答えようか。晴れた空、曇った空、そしてそこに浮かぶ雲の様子。ともかくそんな風に変化する空を見ると、「おおっ、これは良いな」と思って、カメラを向けてしまう。ただそれだけのことだ。 だからここに雲の特集を組んでも、飽きられてしまうのが関の山だ。それでも私は案外面白いと考えてしまう。まあ能書きは良いから、早速その「傑作」を見ていただこう。 山の向こうから太陽が昇って来る。こうして一日が始まって行く。 放送局の鉄塔が立っているのが東の方向。仙台湾から太陽が昇り、次第に空が明るくなって来る。 やあ、きれいな雲だねえ。こんなのを見ると、俺はついシャッターを切りたくなるのさ。 空の下に街が見える。昔は全て田圃だったんだが。 青い空も俺は好きだ。あんなきれいな心で生きたいものだが。 公園の樹を背にした空もなかなか良い感じ。 俺って、こんな風に木の枝を入れるのも好きなんだよね。 空に虹が出たのは、確か9月の末のことだった。 どうだい。こうして見ると、空ってなかなか広いだろ? 空に月が残ってることに気づいたかい? ほら、これなら誰だって分かるはず。 びっくりしたかい君。空にも色んな表情があるのさ。俺が空を撮りたくなる理由が少し分かっただろうか。 なになに~っ、空の素晴らしさが分かったからもう勘弁してだって~?そうは行かないよ。まだ明日も続くのさ。<続く>
2016.03.22
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今日から在庫写真を一掃しようと思う。主に昨年撮ったもので、これまで使用しなかったのを、この際一気に使おうと言う訳だ。だから全体を通してのテーマもなければ、シリーズの名前も無い。飽きが来ないよう適当に色んなものを織り混ぜたいと思っているが、果たしてどうなるか。先ずは早速ご覧いただきたい。 私は時々家を撮りたくなる。勿論他人のプライバシーを侵害する気持ちは毛頭もない。ただその形の面白さや雰囲気に惹かれているのだ。たまに「カット」代わりに使うこともあるが、今回は結構溜まったので特集してみた。 5年前の東日本大震災以降、仙台市内では建築ラッシュが続いた。空き地やこれまで畑だった所に次々と家が建っている。被災者の移住だけではないのだろうが、被災地の市町村がことごとく人口減少に苦しんでいる中で、仙台市は例外的な状況にあるようだ。<写真と説明は、一切関係がありません。以下同様です。> 近所の空き地に家が建った。建築計画を見たら、3軒の家を建てる計画。ええっ?と驚いた。こんな狭い所に3軒の家だって?建ち上がったら窮屈なのではないか。そんな疑問がつい最近解けた。家が完成したのだ。そこでじっくりと眺めると、案外良い感じ。へえ~っ、プロって凄い。ちゃんと最低のスペースだけは確保したんだねえ。ただし私ならそんな家は買わないけど。 家を建てる時、人は色んな夢を見る。そして家族が過ごし易く楽しい家になるよう、色々考えると思うのだ。 家にも歴史があるように、どんな家族にも歴史がある。楽しかった家に、誰も住まなくなる時が、絶対来ないとは限らないのだ。そんな風にして、今全国各地で空き家が増えているそうだ。少子化、高齢化、核家族化が進んだせいだと思う。 さて、この家には一体どんな物語があり、どんな夢が詰っているんだろうね。 そんなことを考えると、家って不思議。そして人生はもっと不思議。 一人一人の家族の夢が、きっとこんな家になったんだろうね。 便利な家。使い易い家。暖かい家。寛げる家。住んでいてとても気持ちが良い家。 中には一戸建て住宅じゃなくマンションを選ぶ人だっているし、アパート住まいの人もいるよね。 夕暮れが近づくと、家々に灯りが点り始める。 郊外の住宅にも夕闇が迫って来たよ。カラスが鳴くから帰~ろ 「お母さん、ただいま~!!」。「はいお帰り。今日はずいぶん遅かったね」。そんな声を聞くだけで、家の中がパーっと明るくなるんだよね。 ふふふ。今頃この家では一家の団欒が始まっているかも知れないね。 ここはとある特別養護老人ホーム。既に灯りが消えてしまった部屋もあるよ。「お休みなさ~い」。「しっ、静かに!」。 明日もまた元気で暮らせると良いね。ではゆっくりお休みなさい。空では小さなお月さまが笑っていたよ。
2016.03.21
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仙台はこのところ結構高い気温の日が続いている。それに雨が降ると、庭の草花は一斉に芽を吹き、花を咲かせる。この雨のことを「催花雨」(さいかう)と呼ぶのだそうだ。昨日は庭の雑草を取った話を書いたが、今日は我が家の花を紹介したい。中にはまだ貧弱なのが混じっているが、そこはご愛嬌で許していただきたい。その花も、これからどんどん咲く種類が増えて来る。北国の春は、一斉に生命が復活する季節でもある。 この椿の木はまだ小さいのですが。 藪椿少女の恋の幼くて 木陰でヒヤシンスが咲き始めた。色と言い形と言い、とても可憐な花だ。 ヒヤシンス一番乗りを競ふごと 花壇の小さな花。名前は忘れてしまった。 これも上の花と同じ種類だと思う。 花の名を忘れて春を迎へけり 数株だけあるツルニチニチソウ。 冬知らず花ほころびて春迎ふ フユシラズの黄色い花が冬の間も元気をくれていた。 鉢植えの葉ボタンの茎が少し伸びて来た。春の到来で薹(とう)が立って来たのだ。 葉牡丹の薹立ちにけり春彼岸 ヒマラヤユキノシタは日陰にも寒さにも強い花。地味だが良く見たら案外きれいなんだよね。 雪に耐へ寒さに耐へて咲きし花 玄関脇のヒイラギナンテンが咲き始めた。満開になればこれでも豪華な花になる。 とりどりに春の服着しヴィオラかな 春の朝ムスカリ坊や目覚めけり 今はまだ小さなムスカリも、そのうち一斉に地中から吹き出てくるはず。 庭の奥でひっそりと咲いているスイセンを見つけた。素朴な花に相応しい佇まいで。 水仙よ汝は春の使者なるか 安物のクリスマスローズだが、私はこの姿がとても好き。 空蒼く春の貴婦人俯きて *うつむく 2日前に庭の梅が咲き始めた。種類は花がピンクがかった豊後梅。スモモと梅を配合させたようで、とても大きな実が生る。その夜に雨が降った。翌日ベランダから梅を見ると、明らかに前日よりも咲いている花が増えていた。ははあ、これをきっと催花雨と言うんだろうな。私は前日撮った写真を全て消去し、改めて梅の花を撮りに庭へ出た。 今年の冬は雨が少なく、乾燥した日が続いた。前夜の雨は庭の植木や草花にとって、きっと恵みの雨になったはずだ。そう思うと、どの樹もどの花も、喜んでいるように感じるから不思議なものだ。 梅の花の向こうに小さな畑が見える。家庭菜園は私の趣味の一つになっている。 催花雨や一夜で咲きし梅の花 梅の香やわが家に春の訪れし さて、明日からは新しいシリーズが始まる。昨年から撮り溜めた写真を大放出する予定。果たしてどんな写真が飛び出すのか、どうぞお楽しみに~。
2016.03.20
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昨日は朝から天気も良く、体調もまあまあだったので庭の草取りをした。このところの気温上昇で、雑草がかなり大きく目立って来たからだ。あまり草花が生い茂ってない今の時期なら、雑草取りは割と楽な感じもしたのだ。軍手をし、鎌を右手に持って、屈みながら庭と畑の雑草を切り取って行く。この時期の雑草は、ハコベ、ヨモギ、イネ科の雑草、タンポポなどが中心。それにベンケイソウの群落も厄介者だ。何せ家の周囲は全て雑草の繁殖地と考えて良いほど。 家の裏側の角地にイチジクの樹がある。今は葉が落ちて、その奥に積んである草の山が丸見えだ。それらは全て家庭菜園から出た野菜の茎や雑草。今は冬の延長なのでそのままの状態だが、やがて腐って堆肥になる。その堆肥を畑で再利用する訳だ。剪定後の庭木は縛って、「燃えるゴミの日」に出す。台所から出た生ごみは、3基のコンポスト容器に捨てる。時々土を混ぜると、それも堆肥になる。だから我が家のゴミは、驚くほど少なくて済んでいる。 入口の植木鉢 雑草はバケツに5杯ほど取った。次の作業はハナモモ(花桃)の樹を伐ること。ここ数年で樹の勢いが衰え、めっきり花が少なくなっていた。そしてほとんどの枝が枯れている。きっと寿命なのだろう。少しだけ赤い蕾が着いているが、ここは思い切って伐り倒そう。最後の記念撮影を終えた後鋸で幹を伐り、スコップで根を掘り起こし、剪定鋏で枝や幹を適当な長さに分断する。 これが処置後のハナモモ。ゴミの集積場を見に行ったら、収集車はもう来たようだ。そのまま次の回収日までこのまま置くしかない。ありがとうねハナモモよ。君の美しい姿をずいぶん楽しませてもらって。 ハナモモを抜いた後の穴をさらに掘り下げて周囲を広げ、底に野菜屑、発酵鶏糞などを入れ、少し土を埋めた。そして枝垂れ桜を移植する。まだ樹高は50cmにも満たないが、小さな芽が幾つか出ているのが見えた。さらに固形の肥料と土を入れ、最後に周囲に水を撒いた。これも記念撮影。小さな樹の背後に見えるのが我が家の玄関だ。さて、この樹の花をいつ見られるのだろう。早ければ来年見られるはず。老後のささやかな楽しみだ。 草取りをしていて驚いたのが、家の裏にミョウガ(茗荷)の芽が出ていたこと。まだ小さく、それもたった一つだけだが、まさしくこれはミョウガ。毎年お盆の頃には若い蕾が地中から出て来る。それを刻んで食べると、とても爽やかな食感。麺類の薬味にはぴったりなのだが、意外に強い植物で、あっと言う間に根っこが広がって行く厄介者でもある。裏庭でも何度かミョウガとのバトルを繰り返して来た。 裏の小さな畑でも緑の小さな芽が出始めた。ここは北側で少し日当たりの悪い場所。だからコケやシダが増えて困る。その一角に小さな畑を作り、ミツバの根を何本か植えて見たのが始まり。その後落ちた種から次々に新しい苗が誕生し、まあまあの収穫にまでなった。お浸しに混ぜても良いし、薬味にも使える。一番は卵と一緒に綴じた澄まし汁かも知れない。手間と言えば、苗の間の雑草。それを頻繁に抜く必要がある。それに追肥もたまにはやらないとね。 これは東の畑に出て来たアシタバの新芽。地上部が生きてるのは2、3年だが、落ちた種から次の世代が生まれ、もう何年もこの場所で育っている。若い茎と葉はお浸しにしても良いし、刻んで薬味にも重宝。少々癖のある味だが、私は結構好きなほうだ。西側の通路には葉ワサビの小さな苗があり、蕾などが薬味として使える。 一方南側の畑では、まだ何本かのブロッコリーが最後の頑張りを見せている。これは先端のブロッコリーを切り取った後の脇芽。そのままにしておくとこんな風に脇芽が育って、これも大事に食べている。葉っぱは冬の間ヒヨドリに突かれて、ギザギザに食い千切られたが、それでも大丈夫なのだ。そのパワーを有難く戴いている。 アジサイの新芽を見つけた。今年はやけに早い。きっと暖冬の影響だろうが、春が来るのは北国の人間にとって最大の喜びでもある。これから庭は、あっと言う間に様々な緑で埋め尽くされる。劇的な大変身の季節到来だ。 小さな小さなハナズオウの花芽。花の色は純白。西の通路にあるこの樹だが、元々は野鳥が落とした糞の中に混じっていた種が発芽したもの。裏庭で小さな苗になっていたのを定植した。自分では植えた覚えがないので、きっとそんな風に誕生したはず。家の周囲には、どこからやって来たか不明の苗が結構ある。そのまま放置しているが、中には大木になったら困るのもあるかもね。 冬の間周囲の草が枯れて、少し赤っぽい石が見えている。これは4年4カ月前に死んだ愛犬マックスの墓石。特別に作った訳ではなく、敷地の地中に埋まっていた自然石。開墾中に出て来た石は、多分1トンを超えるだろうが、まあまあきれいなこの石を、マックスのお墓に使った。この周囲にも草花が芽生え、間もなく緑に変身する。私の良き相棒だったマックス。お気づきのように、私のハンドルネームは彼の名前を無断で借用したものだ。 在りし日のマックスと私。これは9年前に2人の孫たちが初めて我が家を訪れた時に撮ったもの。孫たちは犬と接するのが初めてで、おっかなびっくり犬から離れて座っている。右側のお姉ちゃんが今年から高1、左の妹が中2に進学する。因みに私のメールアドレスは、2人の孫の名をつないだもの。明日は庭の花を載せる予定です。どうぞお楽しみに~!!!<続く>
2016.03.19
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chaochaoファクトリーからブックカバーが届いた。先日カタログで拝見した通りの出来栄え。あまりの見事さに使うのが勿体なくなった。でも製作者は実用品なので実際に使用して欲しいようだ。つまり本を護るためだが、私には目下夜も眠れぬほどの事件が発生中。だから風神と雷神は私を叱咤激励するために傍に置く積り。 早速代金を振り込むために郵便局へ行った。だが本体に比して手数料が高い。局員が言うには、通帳とカードがあれば手数料は無料になると。そこで再び歩いて家に戻り、通帳とカードを持参して郵便局へ。ところが暗証番号が違っていたようだ。局員が言うには印鑑があれば窓口で処理が可能とのこと。それで印鑑を取りに三度家に戻った。 4時に業務終了と聞き、自転車で急いだ。その途中で暗証番号を思い出した。お金の出し入れは妻の仕事。と言うことは?3度目にしてようやく任務を果たしてヤレヤレ。いや待てよ。確かこのパターンは前にもあったなあ。滅多にないことなので、すっかり手続きの方法を忘れていたのだ。何とドジな自分。そんな訳でちゃおりんさん、確かに送金しましたからねえ。どうもお世話になりました~。一生の友として、大事に使わせてもらいますね~!! ブックカバーと言えばあれは高校3年生の冬のこと、当時通っていた教会で讃美歌用のブックカバーをもらったことがあった。黒地に3色の糸で刺繍がしてあった。その教会は街のど真ん中に在り、付近には男女別々のミッションスクールがあった。私にくれたのはその女子高生で1学年下の人。ミッションスクールへ行けたのは裕福な家庭の子弟だが、既に両親がいなかった私は高校時代からアルバイトをしていた苦学生で、公立高校に通っていた。 何故ブックカバーを私にくれたのかは分からないが、今になって思えば密かに好意を抱いていたのかも知れない。だが純情そのものだった私はそんなことにも気づかなかったのだ。その後2つめの職場へ転勤し、夜間の大学にも通い始めたことで、教会へは行かなくなった。まだ捨てられずにいる聖書と讃美歌。そして素朴な刺繍のブックバーもそのままだ。そばかすの浮かんだ彼女の顔を、今でも良く覚えている。あれからもう55年も経った。 先日庭へ出た時、植え込みの中に黒いシャツがあるのを見つけた。冬用のヒートティック製で長袖。先日から1枚だけ足らないことに気づいていたのだが、どこを探しても見つからなかった。おかしいなあと思いつつ、そのままにしていたのだが、これで謎が解けた。シャツには2つ洗濯バサミがついていたからだ。きっと干していたベランダから風で飛ばされたのだ。黒の靴下1足も姿が見えないが、これはまだ余分があるので大丈夫。 先日ブログに柿の木を植えたことを書いた。そしたらお散歩うさぎさんが「桃栗3年柿8年」とコメントしてくれた。ふ~む。実が生るまであと8年ねえ。それでは私の命がないではないか。8年後私は生きていれば80歳。日本人男性の平均寿命を越えてしまう。そこまで持って、甘い柿の実を食べられたら嬉しいのだけど。 そう言えばソーラーシステムやオール電化システムの「元」を取れるのが8年後の計算。高い費用をかけて整備したのは良いが、単に次なる住人へ恩恵を与えるだけかも。だってこの家に子供達が帰って来る保証はないのだもの。そんなこともそろそろ確認しなくちゃいけないね。 沖縄勤務時代の走友から、先日手紙が届いた。定年後とある後援会に勤務し、その後浦添市のセンターへ勤務した由。間もなく70歳で定年のため、仕事を辞めた後の趣味をどうすべきか私に尋ねて来たのだ。第1回から続けて来たNAHAマラソンの完走記録はついに30回連続で途絶え、昨年は孫の待つ12km地点で走るのを終えた由。12km地点と言えば東風平(こちんだ)付近か。最近では走ると股関節に痛みが出ていたともあった。 私はNAHAは10回完走。うち3回は沖縄勤務の時だ。私は手術後の体調や、ブログなど目下の趣味について手紙に記した。彼は私より2歳若いが、ランナーとしては同じ老化の道を辿っているのだと思う。28年前に彼らと職場で初めて出会って、一緒に走った沖縄各地の風景をまざまざと思い出す。彼の手紙には、また一緒に沖縄そばを食べようとあった。私はヒージャー(山羊)汁で泡盛を飲みたいと返信したが、本当に実現出来ると嬉しい。 後6日で誕生日を迎える。振り返れば良くここまで辿り着いたものだ。上の孫娘が今春から高校に入学する。昨日は志望の県立高校に合格した旨電話があった。その前に受かった私立の音楽系の高校は辞退し、進学一筋で行くらしい。その孫娘達が長女と共に四国から今月末にやって来る。会うのは一昨年の大阪以来。仙台の我が家へは9年ぶりの来訪だ。家族が離れ離れで暮らすのは大変。3人の子供が誰一人住まない家をどう維持するかが、今後の大きな課題になりそうだ。
2016.03.18
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昨日に続いて、散歩中に撮った自宅付近の花を紹介したい。 ロウバイ(蝋梅)である。蝋細工のように透明な花。良い匂いもして、まるで春の妖精のような花だ。 これは近所の造園業者の庭にあったもの。私が最初にこの花を知ったのは大阪府高槻市の住宅街。大阪勤務時の宿舎がその付近にあったのだ。透き通った花を見て、世の中にはこんな不思議な花があるのかと大変驚いたものだ。 これも上と同じ木。近所の川の畔では、見事なロウバイの一群がちょうど今見ごろになっている。 フクジュソウ(福寿草)である。名前の通り春に先駆けて咲くおめでたい花ということで名付けられたのだろう。 これはある個人の住宅の庭に咲いていたもの。昨年も断って撮影させてもらった。今年はそのご主人が病気がちで家の中におり、外にいた奥さんに断った。私が昨年写真を撮ったことを聞いていたようで、ついでに色んなことを話した。 我が家の庭にもお向かいさんからもらった福寿草を植えていたのだが、そのうち姿が見えなくなった。きっと栄養分が足らない土だったのだろう。そんな風にいつの間にか消えてしまう花も結構あるのだ。 茎が短く、直接地面から咲いているように見える。 黄色くて明るいこの花を見ると、やはりおめでたいと感じるのだろう。 暖かい地方では正月早々に咲き出すのだろう。それがめでたいとして花の名前になったようにも思える。 全体ではこんな感じ。結構大きい群落だ。この家のご主人は県南の市の出身。そこからこの花を持って来て移植したそうだ。花も遥々と引っ越して来たのだ。 これは赤い色のフクジュソウ。同じ庭に、たった1本だけあった。以前はもっとあったようだが、いつの間にか消えてしまったのだとか。 ユキワリソウ(雪割草)。お向かいの家の庭に咲いているのを撮影させてもらった。家の新築工事に伴って庭をかなり削った。この花も元の位置から移植したせいで、以前の勢いや美しさが衰えてしまった感じ。 イチリンソウ(一輪草)とお向かいのご主人は言っていたが、多分青のキクザキイチゲ(菊裂き一華)だと思う。こちらもユキワリソウ同様に元の場所から移植しているが、まだ元気そうだ。 近所の花壇のクリスマスローズ。(以下同様) 私が最初にこの花の存在を知ったのが、道端にあるここの花壇。花の形や色合いを見て、この世には何と言う優雅な花があるものだと、いっぺんに好きになった。 下向きに咲く姿が実に可憐で可愛い。この花壇は高い位置にあって、撮影し易いので助かる。 ここの花壇には少なくても3種類のクリスマスローズがあり、見ていてもそれぞれに楽しめて嬉しい。 これだけは我が家の黄色と言うかグリーン系の花。いつもは4月に咲くのだが、今年は2月には花芽が出ていた。他の色のも咲き出したのでこれからが楽しみだ。 これは前のと違うお宅の花壇のもの。ここには6種類ほどのクリスマスローズがあるのだが、日陰のためか咲き出すのが遅い。これは優雅な色合いで、私は大好きだ。 これも上と同じ花壇のもの。間もなく以前紹介した「みちのく杜の湖畔公園」でクリスマスローズが咲き始めるようだ。機会を見て撮影に行きたいと考えているが、さてどうなるか。
2016.03.17
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東北の冬は長く厳しい。それでもいつもの年よりかなり早く山の雪解けが進み、花の咲き方が早いと感じる。最近は散歩のついでに咲いている花を探し、デジカメで撮影している。それも早春の楽しみの一つ。今日は説明が不要だと思うので手抜き。その代わり、少し大きめの写真にした。少々重たくなったかも知れないが、ゴメンなさい。早速ご覧くださいね~!! オオイヌノフグリ。別名星の瞳。雑草だが良く見れば案外可愛い花だ。 フキノトウの花。いやフキの花と言うべきか。これは近所の畑で撮影。下も同じ。 サンシュユ。漢字で書くと山茱萸。造園業者の庭にあった。 マンサク。春に先駆けて「先ず咲く」が転じたと言われているが。 上と同じく造園業者の庭でみつけた。 ヤブツバキ(藪椿)。これは我が家の庭で撮影。 ツバキ。我が家の庭で。今年は結構長く咲いている。 上に同じ。 白梅。青空に映えて、とてもきれいだ。 上とは違う場所で。以下同じ。 少しピンクがかって見える。近所の造園業者の庭で。 紅梅。上と同じ造園業者の庭で。以下同様。 色の濃い紅梅。 上とは違う場所で撮影。 ミツマタ(三椏)。皮の繊維は和紙の原料になる。農家の庭で。 今年はかなり早く蕾を見たが、花も早く咲いた。赤い花が咲く種類もある。 仙台だとこれらの花が咲くのは通常4月ごろなのだが、今年は早いものでは2月から咲き始めている。やはり植物達も気温の変化を敏感に感じ取っているようだ。<続く>
2016.03.16
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つい最近2本の映画を観た。1つは『エヴェレスト神々の山嶺』であり、もう1つは『家族はつらいよ』。共に日本の作品だが映画の内容は全く異なる。強いて言えば、人間とは何か、そして家族とは何かを考えさせる映画とも言えようか。 『エヴェレスト神々の山嶺」の原作者は夢枕獏。顔と名前は知っているが、これまで彼の本を読んだことはなかった。監督の平山秀幸も今回初めて知った人。出演者は伝説の登山家羽生丈二役が阿部寛。彼の元恋人が尾野真千子。羽生を追って取材するカメラマン深町誠役が岡田准一。日本人登山家に佐々木蔵之介。雑誌社の編集者にピエール瀧と言ったところ。エベレストでの現地撮影は実に圧巻だった。 話はカトマンズの古物商から始まる。ここで深町は1台の古いカメラを発見する。標高8848m世界最高峰のエベレストの登頂に成功したのはイギリスの登山家ヒラリー卿とシェルパのテンジンの2人だが、それより29年遡る1924年6月28日にエベレストで消息を絶ったジョージ・マロリーが愛用したカメラではないかと思われた。もしフィルムが残っていたら、初登頂の記録が変わる可能性があったのだ。 マロリーの名を知らない人は多いかも知れない。だが「なぜ山に登るのか」と問われて、「そこに山があるからだ」との言葉は聞いたことがあるはず。それがマロリーの答だった。 日本から消えた羽生を深町はネパールの山奥で見つけた。そこは現地のシェルパ族の村。羽生はシェルパ族の娘と結婚していた。羽生が向かうエベレストへの同行を、深町は懇願する。世紀の登山を撮影するためだ。冬季の南西壁の単独直登でしかも無酸素。通常ならあり得ない話だが、敢然として羽生は絶壁を登って行く。それを追う深町は途中で岩壁から滑落する。 夢枕獏のこの作品は『小説スバル』に連載後、漫画化されたようだ。一見奇想天外なストーリーだが、モデルになった登山家がいた。冬季の谷川岳第3スラブの初登頂に成功した森田勝がその人。一匹狼の彼は、日本のエベレスト登頂隊員にも選ばれたが、ルートを巡って喧嘩し一人だけ下山した男だったそうだ。結果については書かないで置く。 しかしあれだけの画像を撮るのには、相当の苦労があったはずだ。撮影スタッフは元より、俳優達の苦労が偲ばれる。命がけの撮影と演技。一歩間違えば死が待っている。実際に岩場で宙吊りになる場面が幾つかあった。私は原作も漫画も知らないが、良くも映画作品として昇華出来たと密かに舌を巻いたのだった。 さて一方の『家族はつらいよ』は全く趣を異にしている。監督と脚本は『男はつらいよ』などの山田洋次。この映画は3世代7人が同居する大家族のコメディードラマである。 70代の老夫婦役に橋爪功と吉行和子。長男夫婦役に西村雅彦と夏川結衣。家を出た長女夫婦役に中島朋子と林家正蔵。次男とその恋人役に妻夫木聡と蒼井優。脇役としての出演が探偵に小林稔侍、警備員に笹野高史、医師役に鶴瓶と錚々たるメンバーがそろった。 話は50年間も連れ添った老夫婦の妻が夫に離婚を迫るところから始まる。平和な一家に吹き込んだ突然の嵐。家族はうろたえ、すったもんだを繰り返した揚句、家族会議を開く。この一大事をどう乗り切るのか。その大事な場面で緊急事態が発生する。それに対して沈着冷静に処置したのが意外な人物だった。 家族とは一体何なのだろう。現代の日本で、これだけの大家族が同居して暮らしている事例は少ないと思う。特に舞台は大都会。それだけの家を建てられるのでさえ奇跡的なことのようにも思える。 「熟年離婚」は今ブームのようだ。少子化に高齢化が進む日本。空き家が目立ち、孤独死も決して珍しくなくなった。そんな時代に私達はどう生き、どう死ぬのか。これから家はどうなり、お墓は一体誰が守って行くのだろう。 しかし考えてみれば、この作品のように家族が一堂に会することが出来るのも、家族が家族として「機能」していればこその話だ。だからこそこんな喜劇が生まれる。もしも家族が崩壊していたら、とてもこんなドタバタ劇は生まれないだろう。喧嘩が出来るうちはまだ良いのだ。多少の波風は平和の証とも言えよう。 現代日本では結婚が出来ないままの若者が多い。我が家の2人の息子もそうだ。大都会に1人で住み、そこで働いているが、身分は不安定で将来の保証はない。彼らの将来と老後が心配な親だ。このまま彼らが我が家に戻ることはないのではないか。そして余命少ない親は自ら断捨離し、自ら終活するしかないのだろう。 今回観た2本の映画は、私にそんな想いを抱かせた。しかし『エヴェレスト』の遺されたシェルパ族の家族の今後は一体どうなるのだろう。人生の厳しさは、日本もネパールの山奥も、ひょっとして案外同じなのかも知れない。
2016.03.15
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何日か前のこと、妻が裏庭のフキノトウを天ぷらにした。彼女が天ぷらを揚げるのは珍しい。極力脂分を摂らないよう注意しているためだ。今年の初物はあまり春の香りがしなかった。いつもは刻んで澄まし汁に入れるのが我が家の流儀。それだと本当に素材そのものの味と香りを楽しめるのだが。 その数日後、再び妻がどこからかフキノトウを獲って来た。それが上の写真。今度もまた天ぷらになった。だが以前よりはずっと春の味がしたのはなぜだろう。 今年もオオイヌノフグリが咲き出した。洒落た「星の瞳」などと言う別名もある小さな雑草だが、今年は暖冬の影響か咲き出すのがいつもより早いような気がする。先日裏庭のコンポスト容器を一つ処理した。冬の間野菜屑を捨て、土を被せて堆肥を作っていたのだ。いつもなら寒さのせいで、今頃はまだ腐ってはいない。それが完全に堆肥に変わっていた。それをスコップで掬って外に出し、乾かしておく。土に混ぜればそのまま堆肥として使用出来るし、ゴミがほとんど出ないで済む。 3月上旬のある日、私は自転車に乗って5kmほど先の園芸店まで行った。買ったのはジャガイモの種イモと、タマネギの苗と柿の苗木。先日その店から300円分のサービス券が届いたので、それを使おうと思ったのだ。3月は私の誕生月。それで割引が適用とは有難い。風はまだ冷たかったが、心の中は少し燃えていた。そろそろ畑仕事のシーズンだ。長い冬がようやく終わって、これからは日増しに暖かくなる。植物にとっても人間にとっても、活動の季節の到来だ。 残念ながら、割引券は使えなかった。花や野菜などの食料品に適用される由。それでもまたポイントが付いた。帰りは逆で全て登り坂。幸い風が弱かったため、案外楽に帰れた。こんなことも運動不足解消になって良い。 昨年裏庭の柿の木を切った。根っこが腐って樹の勢いが止まったためだ。切り倒した後、穴を掘って根っこまで抜いた。今回はその穴をさらに深く掘った。大きな石が次々と現れて難儀した。中には30cmほどの大石もあった。掘っているうちに手足の筋肉が痛み出した。自分が老人になったことを自覚するのはこんな時だ。穴の底に野菜屑や枯葉を敷き、鶏糞と土を混ぜた。 最後に50cmほどの苗木を植えた。種類は富有柿の甘。干し柿作りには渋柿の方が良いのだが、これから体力が落ちるため作業が楽でそのまま食べられる甘柿を選んだ。それでも収穫の喜びを味わえるかどうかは不明。老いるとはそんなものなのだろうが、もちろん大いに期待はしている。 次に東の畑のブロッコリーを3本引っこ抜いた。これはジャガイモを植えるための準備。この冬は20本以上のブロッコリーを種から育てた。葉っぱは冬の間ヒヨドリに食われたが、野菜になる蕾の部分は我々人間様が食べた。小さい苗がまだ幾つか南の畑に残っている。今年は暖冬で成長が早く、野菜が高かった時期にたくさん収穫出来て助かった。茎はイチジクの樹の下に積んでおく。やがてそれらも土に還り、再び畑の腐葉土として使われる。 種イモとなるジャガイモの銘柄は「ワセシロ」。きっと色が白い早生の品種なのだろう。これを植えるのは初めてだが、5月には収穫が可能かも知れない。1kgで7個あった。それを半分に切って、表面に「草木灰」をつける。比較するため灰をつけないのを1個残し、写真を撮った。 これが草木灰。小袋で結構値段が高いのだが、3年使ってまだかなりの量が残っている。これは種イモの腐敗を防ぎ、同時に肥料にもなる優れ物だ。ブロッコリーを抜いた土を耕し、石灰と発酵鶏糞を撒いて畝を一列作った。そこに等間隔に穴を掘り、灰が付いた面を下にして芋を埋める。今年は5cmほどの深さにしたが、後でかなり土寄せが必要かも知れない。 これがタマネギの苗。昨年10月に100本の苗を植えたのだが、暖冬で玉ネギ根切り虫の被害が多数出た。そのため12月にも苗を20本植え足したが、その後も被害が出た。一冬に3度も苗を植えるのは初めてだ。30本で216円なので、1本当たり7円の計算。3回で千円以上になったが、こんなハプニングが起きるのも農作業の宿命だ。 苗の植え付け終了後、発酵鶏糞と化学肥料を追肥し、ジョウロで水を撒いた。一連の作業を終えた時はもう夕方。5年ほど前までは7時間ほどぶっ通しで農作業しても疲れなかった体が、不整脈が起きて以降は疲れが目立つ。それでも大満足の私だった。 今、畑には白菜が10株ほど残っている。その他に葉が開いた株が6株ほどある。上の写真は葉が開いた株。中に小さく見える蕾がやがて成長し、幾つも茎が伸びて来る。それを茹でて食べる。蕾菜のお浸しは軟らかくて美味しく、春の香りがして楽しみだ。 いつもの年なら連休前頃から始まる農作業が、今年はかなり早まりそうな予感。農作業は頭を使う反面、気分転換にちょうど良い。夏の草抜きなどは重労働だが、収穫の喜びは何物にも代え難いものがある。果たしていつまで続くかどうか分からないけれど、今年も何とか頑張ってみよう。
2016.03.14
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覚醒剤の不法所持と使用で逮捕された清原だが、その後捜査はどこまで進展してるのだろう。マスコミの報道によれば、10年以上も使用し続けていたようだし、現役時代から覚醒剤中毒だった可能性が高いようだ。あれだけいかつい顔つきをしているのに、心はとても弱かったと言う。きっとその弱みを暴力団に付け込まれたのだろうし、彼自身が暴力団に対する憧れを持っていたのも確かなようだ。 ともあれ彼はこれまでに築いて来たものを全て失った。元妻の亜季さんは仕事で清原姓を名乗るのを止めて、名前だけに変えたそうだ。清原の容貌は一変した。医者によれば覚醒剤中毒者の脳は大きく破壊され、その治療は容易ではない由。現役時代に稼いだ55億円もの金は、すっかり霧散した。これからの長い治療と服役の日々を、一体彼はどんな想いで過ごすのだろう。今は全ての闇が暴かれるのを、期待して止まない。 また一人巨人軍のピッチャーが野球賭博をしていたことが分かった。これまで一軍で負け知らずの中継ぎ投手高木某。彼も先輩にそそのかされ、軽い気持ちで犯罪に手を染めた。賭けで50万円を失った辺りで「これは拙い」と気づいたようだが、時既に遅し。これも陰には暴力団の存在があるようだ。軽い気持ちで始めたことが、やがてとんでもない事態に発展する。 ジャイアンツの栄光は地に墜ち、新聞界のドンである渡辺最高顧問など3名の中枢の辞任表明に繋がった。折角スタートした高橋新監督の船出が危ぶまれる。今後どこまで捜査が進展し、真相が解明されるか注目だ。 女子テニス界の妖精と呼ばれるロシアのシャラポア選手が、禁止薬物使用の疑いで出場停止に追い込まれている。彼女が服用していたメルドニウムは本来糖尿病や心疾患の治療薬。それを彼女は医師の処方で10年間も飲み続けていた由。この薬物、実は故障後のリハビリ効果を高め、持久力をつける効果を有する由。病気でもない彼女が10年間も飲み続けていた陰には、ロシアの闇社会があるのだ。 ロシアの陸上競技界では陸連、ドーピング検査機関、そのチェック機関が三位一体となって選手へのドーピングを組織的に行っていたことが判明している。スポーツを通じて国家の威信を高めるためだが、ロシアの陸上競技選手全員がリオオリンピックへの出場停止措置を受ける可能性が高いとも言われている。ロシアは政治だけでなくスポーツの世界でも国家的な犯罪を犯しているのだ。さて、どこまでその闇が暴かれるか。 女子サッカーのオリンピック出場アジア予選でのなでしこの惨敗には驚いた。緒戦の対オーストラリア戦では、あれよあれよという間に点を取られ、最後まで立て直すことが出来なかった。カナダワールドカップでの対アメリカ戦で立て続けに点を取られたのと同じパターンだった。中国にも不覚を取った上、ほとんど勝ち点3を取りかけていた韓国戦でも同点に追い付かれて引き分けた。結果は2勝2敗1分けの3位。勝ち点は2位の中国に遠く及ばなかった。 なぜあれほどまでに変わったのだろう。澤選手の引退が大きかった。なでしこの作戦がマンネリ化し、相手に研究され尽くされたことも大きい。それ以上に影響したのが、佐々木監督と選手との間の大きな溝。ロンドンオリンピック以降は互いに不信感が芽生えていた由。あれほどまでに強かった関係も、両者の信頼感が失われてしまっては強くなれない。監督の交代を機に、新たなスタートとなることを期待したい。 訴訟合戦となっていた沖縄県と国が、福岡高裁那覇支部の和解勧告を受け入れることになった。和解案は2つあるが沖縄県の選択案を国も飲み、辺野古基地内における工事は一旦中止された。今後は和解案に従って両者の協議が再開されるが、その前途は案外暗そうだ。互いの主張があまりにもかけ離れているためだ。今回の措置は既にアメリカ政府にも伝えてあるが、グァムへの海兵隊移転計画がまた遅れそうだ。 もし辺野古へ移転しない場合は普天間基地の固定化に繋がり、老朽化に伴う危険性がさらに高まることは必然。米軍基地の閉鎖や移転を叫ぶのはとても簡単だ。だがその移転先受け入れを表明する自治体は皆無。我が国は総論賛成各論反対の建前が横行する国。もっと国際情勢を冷静に判断して欲しい。 中国が幾つかのサンゴ礁を埋め立てた南沙諸島。そこに滑走路や港湾を築き、高性能のレーダーを配置した。国際法違反は当然だが、さらにミサイルまで運び入れた。完全な基地化で恐るべき事態だ。アメリカは対抗措置としてステルス型の偵察機を飛ばし、大型の空母を同海域に派遣する措置を取った。今後も巡行が続くだろう。オバマ大統領がもしも早めに勇気ある措置を取っていたら、きっとこのような醜態は避けられたはず。 経済が破たんしつつある中国で、防衛費だけは伸び続けている。さすがにこれまでのように10数パーセント以上もの伸びはないが、次年度も7%台の増強を図る計画だ。どこまで中国の横暴を黙って見過ごすのか。私には日本の野党や一部の大新聞の考えが全く理解出来ない。危険極まりない中国だが、その隣の北朝鮮もさらに輪をかけた犯罪国家。どこまで暴走するのか全く予断を許さない。拉致問題の早期解決を望むのは、到底無理なようだ。 アメリカでは大統領予備選挙の真っ最中。当初泡沫候補と見られていた共和党のトランプ候補が意外に奮戦している。一方の民主党はヒラリー女史が一歩リードの構え。過激な発言で何かと話題になっているトランプ氏がもしも大統領になったら、果たして世界はどんな風に変わるのか。自国が最優先で、国際協調は乏しくなりそうだ。アメリカは知性よりポピュリズムを優先するのだろうか。 さてスポーツ界から政治の世界に至るまで、世の中には多くの闇が存在するが、大相撲はどうだろう。日本人力士の横綱が久しぶりに誕生するかどうか。いよいよ今日から春場所が開幕する。貴乃花親方の理事長選挙への挑戦も見ものだ。
2016.03.13
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<角田駅の吊るし雛> 阿武隈急行角田駅の構内にあった飾り付けのコーナー。きっと角田市郷土資料館の牟宇姫持参の大名雛展示へ誘導する案内役を兼ねているのでしょうね。人口3万人余の小さな地方都市。朝夕の通勤、通学客が乗り降りする時間帯以外は乗客がほとんどおらず、構内は閑散としている感じでした。でもブログネタの収集には、却って好都合。私はここでも夢中になって写真を撮り続けていたのです。 美しい日傘の下にぶら下がっている飾り。特にお雛様でもないが、これでも吊るし雛と言うのでしょうか。分からないので便宜上「吊るし飾り」と書いておきますね。(注)ブログ友のちゃおりんさんがコメントしてくれて、これらはお雛様の季節に飾るため、「吊るし雛」で良いんだそうです。どうもありがとうございます、ちゃおりんさん♪ ほとんど無人の構内に、美しい飾りがたくさんあるのがとても不思議。 いかにも日本的な美だけど、ボランティアの方々の作業は大変だったはず。 吊るし雛をアップ。 こちらも同様ですが、鮮やかな緋毛氈が背景になりました。 売店から観た飾り付けコーナー。 観光協会や売店のあるコーナーにもたくさんの吊るし雛がありました。こちらはどうやら売り物みたいです。 金魚なのか、それともおめでたい鯛なのか。 あなたは一体だ~れ? 縦に2つ並べてみました。 これは巾着かな? これってチューリップかもね。 またまた縦の2連発。 金魚や手まりのように見えますが。 こちらは張ってあった写真です。美味しそうな果物に囲まれた人形の子供達。 こちらも可愛い人形の子供達の写真。 (注)これもちゃおりんさんが、作り方が飛騨地方の「さるぼぼ」に似てると教えてくれました。(顔は違いますが)私もそんな風に感じたけど、自信がなかったので。またまた、どうもありがとうございま~す♪ 牟宇姫のお雛様の絵です。やはり角田の観光案内なんですねえ。あの大名雛はひょっとして日本一の大きさだったのでしょうか。 角田市に住んでいる大学時代の親友。お互いの結婚式の司会を務めたっけ。彼からの年賀状には「会いたいね」と書かれていた。でも昨年の暮れに入院して3度目の不整脈手術を受けたことを寒中見舞いに書いたら、その後の連絡はない。彼は出世し、天下りを繰り返して70近くまで名誉職にあった。一方の私は前職を59歳で辞職後はビル管理会社でパートの肉体労働者をしていた。あれも人生の良い勉強にはなったけどね。 阿武隈川の堤防沿いを走る、ここ角田市の「阿武隈リバーサイドマラソン」。関門通過時間の厳しかったハーフマラソンだが、私は3回完走している。でもウルトラマラソンが主体だった私には、ハーフマラソンでは距離が短過ぎるし、スピードが速過ぎた。それに練習でも走れる距離にお金をかける気持ちがなかったのも事実。多分この市に来ることはもうないだろう。そんな思いで、阿武隈急行に乗り込んだ私でした。 さようなら角田市。さようなら牟宇姫のお雛様。沿線から見える南蔵王の山々は、帰路もやっぱり雲に隠れていたんだよね。<完>
2016.03.12
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<ご注意>このブログには東日本大震災関係の映像があります。気になる方はご覧にならないでくださいね。 今日は3月11日。あの日からちょうど5年が経った。先日ニュースで知った「せんだい3.11メモリアル交流館」へ行って見た。地下鉄東西線の東端荒井駅の構内にある交流館は、直ぐに見つかった。だが私が思っていた展示や内容とは違っていた。 荒浜地区ジオラマ 確かに東日本大震災関係の映像資料などがたくさん収集されていた。だが交流館の機能は、津波に襲われた宮城野区と若林区の海岸部の思い出を残そうとしているように思えた。真新しい施設内には大勢のボランティアがおり、何かメッセージを書くように求められた。だが私はどうしてもピンと来なかったのだ。 一体誰にメッセージを書くのだろう。亡くなった犠牲者に対してだろうか。それなら心の中で祈れば良い。大勢の被害者だろうか。だが被害者がわざわざここまでメッセージを見に来るだろうか。彼らは今、必死で生活と戦っているはずだ。 私は屋上へ上がって見た。東を見るとビルが建ち始めている。ここは元々水田が連なっていた地。水平線の辺りに黒く見えるのが仙台東部道路の植林だ。津波はその向こうからやって来た。あの高さ6mの道路が堤防代わりになって、津波の侵入を食い止めている。道路の法面をよじ登って助かった人も多い。今その道路には避難所や非常階段が設けられており、もっと海に近い道路ではかさ上げ工事が進んでいる。 仙台市の海岸部を襲った津波 あの日も今日と同じ金曜日だった。時刻は午後の2時46分。観測史上世界第4位、マグニチュード9.0の超巨大地震が発生した。大きな揺れが6分間も続いたように感じた。太平洋の海底が300kmほどに亘って崩れたことにより、大きな津波が各地を襲った。仙台市内はリアス式海岸と違って比較的遠浅の海が続く。このため津波の高さは9mほどに止まった。 この津波で石油基地では火災が発生し、仙台空港では飛行機が流されている。多くの方が亡くり、今でも行方不明の方が宮城県内で1236名おられる。私が震災関係の映像を見たのは、地震の何日か後だった。我が家の場合電気が復帰したのは4日後、水道の復帰は1週間後、そしてガスの復帰は35日後。津波で私の従兄弟と妻の親戚が亡くなっている。 荒浜小学校の校舎と救出用のヘリコプター。若林区にあるこの小学校は海から数百mほどしか離れておらず、4階建ての校舎に逃げた住民の多くが助かっている。だが震災後校舎は使用不能になり、現在も他の小学校に間借りして授業を続けている。 ヘリコプターで救出された人。荒浜小学校は震災遺構として仙台市が保存することが決まった。 海に向かう道路。津波でほとんどの物が流され、鬱蒼とした防風林も根こそぎ消えてしまった。 海岸部の住宅はほとんど流され、土台だけが残されている。 気仙沼市の油火災(河北新報社「巨大津波が襲った」から転載) 被災後の救出と捜索活動。(交流館所蔵資料から転載) 左:荒浜地区の映像より 右:仙台市民のメッセージ(あの日は・・) 瓦礫の山 津波で亡くなった方々の遺族が起こした訴訟の結審が最近あった。某地方銀行や某幼稚園の裁判では、「津波被害の予測は困難」との理由で、原告側が敗訴した。70名以上の犠牲者が出た石巻市立大川小学校など、震災遺構の保存が難航している事例もある。あれから5年の歳月が経過し、仮設住宅集約化のために仮設から仮設へと移転せざるを得ない被害者の方も多い由。そして海岸部での街造りはこれからの市町村が大半だ。 津波で流された車 そもそも東京電力福島原発が、敷地を10mも掘り下げなかったら被害には遭わずに済んだはず。全電源喪失時の対応がきちんと行われていたら、被害に遭わずに済んだはず。今頃になって「メルトダウン時のマニュアルが見つかった」との公表は、犯罪行為としか思えない。恐らく隠ぺいしていたのだろう。何故被害初期の極めて重要な時期に、当時の菅総理(民主党)がわざわざ原発に乗り込んだのか。あれも被害を大きくした原因だったと思う。 除染作業で出た大量の汚染ゴミ処理場建設が少しも進展しない。待つ間に汚染度がぐっと減少したようだ。仙台市では汚染度が低いゴミは一般のゴミと一緒に焼却処理し、何の問題も起きていない。ただ福島原発付近は厄介だろう。全町民が避難して無人の街を、イノシシなどの野獣が横行している姿をテレビで観た。 津波で倒れた桜に花が咲いた映像。 震災関係工事で談合があったとして、最近告発された舗装工事企業がある。確かに談合は良くないが、震災後の資材不足や人手不足で建設工事が進展しなかったことは事実。特に舗装関係は工事現場近くに工場がないと無理なのだとか。 幾つかのJR路線が今でも不通のままだ。バスが代行運転している区間が三陸海岸付近には多い。最も長い距離が不通の常磐線が全面開通するには、まだ5年以上かかるようだ。 明るい話題が乏しい中で、海岸部の植林計画が少しずつ進んでいる。ただ防風林や防砂林が元のように復活するには、今後50年は必要だろう。 浪分桜 かつて津波が襲来した場所に「浪分神社」を建てた先人がいた。そこまで津波が到達したことを後世に伝えるためだ。今仙台市内では、今回津波が押し寄せた先端部分の各所に「浪分桜」を植えている。大きな被害があったことへの警鐘だ。その桜の写真が荒井駅の駅前に張られていた。海はここから5kmも先にあって、直接海岸を見ることは出来ない。だが桜の写真は、きっと災害の記憶を呼び覚ましてくれるはずだ。 交流館から出る際、1枚の絵葉書を受け取った。風船の写真の裏側を見たら、3月11日に開催される慰霊祭の案内状だった。つまり今日がその日。あれから5年経った。あの日以降、私の心と体は大きく傷ついた。そして一気に老化が進んだ。 その私に一体何が出来るのだろう。せめてブログに自分の小さな体験を記し、今日一日静かに過ごそうと思う。そして体調を見ながらいつの日か被災地を訪れて自分の目で現状を確かめ、出来れば自分の脚で走ってみたい。心の中のメッセージが天に届くことを、密かに願っている私だ。亡くなられた大勢の犠牲者の冥福を祈り、慎んで合掌したい。
2016.03.11
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<角田駅構内の飾り付け> 牟宇姫のお雛様や石川家伝来の武具などを見終えて、角田市郷土資料館から駅へと向かいました。次の電車が来るまでにはかなりの時間があったのですが、ともかく駅へ行くことにしたのです。その途中、武家屋敷のような家がありました。かつての城下町を偲ばせるような雰囲気です。 阿武隈急行角田駅 20分ほど歩いて再び角田駅へ。外観は堂々として立派なのですが、待っている乗客は数人しかいません。平日なのに女子高生が赤ちゃんをあやしていました。何だかとっても不思議な光景でした。 構内で赤子をあやす女子高生 田舎の駅の不思議な景色 ベンチに座ってお握りを食べていると、何かを飾っているコーナーが。ふ~む。あれは一体何だろうね? 吊るし飾りと雛壇が見えました。 さらに近付くと椿の花が。 折り紙で作った紅椿も素敵ですね。 一輪だけ混じった白椿も良い感じです。 こちらはポトンと落ちた椿の花かな。 こちらは白椿だけの飾り。これも清楚で良いですね。 落下した白椿の花弁。 白椿命あるごと見へねども げに美しき紙の花なり 紙風船と紙の花。 中にはこんな黒い花弁の花も。ちょっと不思議な感覚です。 そしてここにも紙雛が飾られていました。 制作したグループは、郷土資料館の紙雛を作ったのと同じ団体でしょうか。 窓ガラスに貼られていた紙雛です。 女雛も窓ガラスに貼られていました。 紙雛の貼られてゐたる硝子窓 地方の駅の閑散として 雛壇とお人形さん。 こちらは別の角度から撮ってみました。 顔を出して撮る記念撮影用のお雛様もありました。こんな風に写真を撮り続けていたので、案外待ち時間も退屈せずに済みました。<明後日に続く>
2016.03.10
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<石川家関係史料> あれまあ。今日もまた蔵の登場か~。きっとそう思うでしょ。でもそうではなく、今日は蔵の中身がテーマです。「角田市郷土資料館」には、この地の縄文時代から江戸時代までの歴史資料が陳列してありました。今日はそのうちの江戸時代の史料、つまり宮城県南部の角田市を治めていた石川氏関係史料の紹介です。 これが角田石川氏初代石川昭光の木像です。彼は仙台藩祖伊達政宗の叔父に当たり、現在の福島県石川郡を治めていた石川氏を継いだ人です。ところが秀吉の小田原攻めに参陣しなかったため領地を没収され、甥の政宗に泣きついて臣下となったのです。政宗は昭光に1万石を与え、仙台藩一門筆頭格として扱いました。昭光は角田の初代館主になり、さらに政宗の次女牟宇姫が昭光の孫第三代館主宗敬に嫁いで、両家の縁がますます深まったのです。 昭和36年に撮影された旧角田館の跡地です。江戸時代に入ると、幕府が発令した「一国一城令」により、各藩には一つの城を置くことしか許されませんでした。その例外が、仙台藩と阿波藩(徳島)で、仙台藩内には仙台城(青葉城)、白石城、岩出山城があり、この他にも角田、涌谷、登米などに館や要害と呼ばれる建物が置かれました。それらも実質は城だったのです。角田の石川氏はその後二万一千石以上に加増されます。これは大名並みの扱いでした。 石川氏伝来の甲冑1 石川氏伝来の甲冑2 石川氏伝来の胴着。 これらは「目の下頬当」と呼ばれる、顔面を防御する武具です。装飾の意味もあったのでしょう。 これは「大袖」と呼ばれる肩と腕を防御する武具で、左肩用です。 馬の背に置いた鞍(くら)です。 馬に乗る際に足を置いた鐙(あぶみ)です。 これは母衣(ほろ)と呼ばれる防具です。馬に乗った際背中に着けると風でこの母衣が広がり、背後から射られた矢を防ぐことが出来ます。「幌」の語源でしょうか。 陣貝です。出陣の際などにこの法螺貝を吹いて合図しました。 伊達家の家紋の一つである「三つ引紋」が入った大盥(おおたらい)です。 これは耳盥(みみだらい)と呼ばれる容器です。女性の洗顔用でしょうか。 これは鏡掛けです。鏡は金属製のものの表面を磨いてあります。伊達家の家紋の一つである「竹に雀紋」などが見られます。漆と金箔の蒔絵が見事ですね。 説明には「乱れ箱」とありました。大きなお盆のように見えます。 仙台藩お抱え絵師だった東東洋の「松図屏風」その一です。 同じく「松図屏風」のその二です。カメラを構えた私が写っています。 この他にも縄文時代以降の貴重な発掘資料がたくさん展示してありましたが、それらはいずれ紹介する予定です。<続く>
2016.03.09
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<蔵の美> 伊達政宗の次女牟宇(むう)姫が嫁入りの際に持参したとされる大名雛を展示していたのが角田市郷土資料館でした。ここは角田城主である石川氏の出入り商人、氏家家の邸宅跡です。敷地内には今でもたくさんの蔵が残されています。今日はそれらの蔵をご紹介します。 表通りに面した蔵です。角田はかつて阿武隈川の水運で栄えました。上流の伊達郡、信夫郡(共に福島県)などは幕府の天領であり、この城米を江戸に運ぶため幕府が治水家川村瑞軒に命じて、阿武隈川の改良工事を行ったのです。当時は角田にも船着き場があり、氏家家もその水運を利用して商売を行っていたのでしょう。 美しい「なまこ壁」が施されています。 伊達藩では藩祖伊達政宗の命により、積極的に土地開発を進めました。その結果毎年30万石程の余剰米が出たのです。これを茨城県の那珂湊、千葉の銚子経由で利根川に入り、水路を通って江戸に運びました。当時伊達藩は河川用の平田船を836隻、海洋用の千石船を500隻所有していたそうです。それを見た秋田の佐竹藩、青森の津軽藩、岩手の南部藩も東廻り航路で江戸に米を運ぶようになったのです。 邸宅の内側から見た蔵です。 伊達家一門筆頭格の石川家も明治に入ると生活が苦しくなり、城の建物や什器を商人に売り払います。その商人も、阿武隈川沿いに鉄道丸森線(現在の阿武隈急行)が敷かれ、水運が廃れると次第に活気を失って行きます。現在角田市の人口は3万人余。今でも減少し続けているのです。 敷地内の別な蔵です。 かつての城下町も、今では寂れた地方都市になってしまいました。かつての栄光と町の誇りを説明してくれた職員の態度からも感じましたが、高齢化と少子化、人口減少が進む地方都市の厳しい現状を思わざるを得ませんでした。 蔵の裏面です。 たくさんの収蔵品を収める蔵型の収蔵庫です。 見事な景観ですね。この一部が資料館として公開されています。 蔵の重厚感が良く分かりますね。 蔵の扉です。この部分は収蔵庫として利用されています。 収蔵庫の扉です。きっと火災にも強いのでしょうね。 その一部を拡大して見ました。単純ですが美しいデザインです。 長屋風に収蔵部分と公開部分が並んでいます。 蔵の内部。天井と梁が見えます。単純な構造ですが地震にも強そうです。 東から見た蔵(資料館)の裏側です。 南から見た蔵(資料館)の側面です。今日は折角書いた文章が、自分の操作ミスで全部消えてしまいました。2度目なので少々簡略してあります。<続く>
2016.03.08
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<現代雛と紙雛> 宮城県の南部にある角田市。角田市郷土資料館を訪ねたのは2月下旬でした。そこに角田の石川氏に嫁いだ政宗の次女牟宇姫が嫁入りの際に持参したと考えられる大名雛が飾られていました。(第1回)また、江戸後期の作と考えられる古今雛や、明治以降の作と考えられる芥子雛もありました。(第3回)今日は現代雛とボランティアの方々の手作りの紙雛をご紹介しますね。 広い部屋に現代雛が飾られていました。 男女のお雛様です。 お雛様の調度品はこんな感じです。 以下はこの博物館を支えるボランティアの方々の作品です。 手作りの作品ですが、どれも温かみがあって素敵ですね。 最後は立ち雛を描いた絵です。今日は写真の羅列で、ちょっと安直だったかも。明日は建物の紹介になります。<続く>
2016.03.07
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<旧氏家邸 ~日本建築の良さ~> 牟宇姫のお雛様が飾られていた角田市郷土資料館は、江戸時代からの御用商人だった氏家家の邸宅そのものでした。建物の一部は角田城から移築したようです。純日本調の木造建築は、至る所に美しさが溢れていました。今日はその建物紹介の第二弾です。 屋敷の塀と松の木です。 屋根の上には「煙出し」のような構造物が載っていました。 屋敷の側面です。阿武隈川の水運を使って商売をしていたようですが、堂々たる風格の屋敷です。 階段の手すりです。 階段の二階部分の吹き抜けです。 左側は階段傍の小さな納戸(物入れ)です。右は階段傍の明り取り用の窓です。 洒落た明り取りです。 鳳凰のデザインのある欄間です。 この欄間にも鳳凰がデザインされています。 菊などの花模様が施されています。 これは蔦(つた)の意匠でしょうか。 同じく蔦模様のある欄間です。 透け透けの超近代的な欄間です。 江戸時代の画家である谷文晁の南画が床の間に懸けてありました。これこそ貴重品ですが、無防備ですねえ。 障子の硝子を通して庭が見えます。 面白いので、その部分を拡大してみました。 障子と花瓶に飾られた梅の花です。 庭と塀のとても落ち着いた外観です。このシリーズでは、目下建物とお雛様を交互に紹介しています。<続く>
2016.03.06
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2月下旬のある日、私は宮城県南部にある角田市郷土資料館を訪ね、伊達政宗の次女牟宇姫が角田城主石川宗敬に嫁入りした際に持参したお雛様などを見学しました。優雅な大名雛は貴重な文化財なので撮影禁止。この写真はパンフレットのものを借用しています。 こちらは貝合わせ。これも止むなくパンフレットからの借用です。 伊達家の家紋の一つである「三つ引紋」が入った調度品。 こちらも同様ですが、さほどの物とは感じられませんね。 和室にはやはり生花がお似合いです。 牟宇姫のお雛様は江戸初期の作でしたが、別な部屋には古今雛も飾られていました。この屋敷のかつての持ち主であった氏家家に飾られていたものでしょうか。詳細は不明ですが、江戸後期の作のようです。 男雛です。 男雛のアップです。 女雛です。 女雛のアップです。 飾られていた古今雛の全容ですが、ほとんどの人形が欠けていて興ざめです。 五人囃子のアップです。 芥子雛(けしびな)の全容です。割と小さなお雛様です。「芥子粒」と言うので小型のお雛様を指すのでしょう。明治以降の作のようですが、優雅な雰囲気が漂っています。 こちらは男雛です。 そしてこちらは女雛。白い顔は蛤の貝殻を粉砕した粉で作るみたいで、光沢があります。 三人官女ほかのお雛様。 右大臣や左大臣など。 広い部屋に飾られたお雛様を、私はたった一人で見学していました。静かな一時でした。<続く>
2016.03.05
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<旧氏家邸を巡る1> 角田市郷土資料館にある「むう姫のお雛様」の紹介が早くも終わってしまったのに、後は何があるのと思われるかも知れない。それが結構あるんですよね。今日は建物を紹介したいんです。それもたくさん写真を撮ったので、何回かになりそうです。そればかりが続くと退屈するので、これからは色々混ぜようかなと思っているのです。先ずは古い建物の良さを味わってくださいませ~!! 道路側にある蔵の正面です。建てられた時代は不明ですが、今もしっかりしているように見えますね。資料館のある氏家家は、角田の殿様である石川家の出入り商人とのことですが、何の商売をしていたのかは説明がありません。 ボランティアの方の説明によれば、阿武隈川の水運で儲けたと話していました。昨年訪ねた丸森町の斎理屋敷(旧斎藤理助邸)の商売も阿武隈川の水運とも関係しており、具体的には塩や水、古着、古道具、薬、麻や布などの販売、養蚕と織物などを江戸時代に扱い、明治に入ってからは製陶や銀行、昭和には住宅建築と販売なども手掛けていたようです。蔵も10以上ありましたが、氏家家ではそこまで手広く商売はしてなかった感じですね。 左は門の裏側で、右は邸宅や門の説明です。この門がかつての角田城から移設したことも記されています。明治に入って廃藩置県が断行されると、武士の暮らしは急速に苦しくなります。伊達藩の一門も旧家臣を食わせるため北海道へ渡って開墾したりします。札幌市白石区、伊達紋別市などは伊達藩士が移住、開墾したため地名となりました。 屋敷内の井戸の跡と「つくばい」です。没落した武士階級は糊口をしのぐため、刀や道具類を止むなく出入り商人に売ったことでしょう。そしてあの華麗なむう姫の雛人形も、結局は商人の手に渡ってしまったのでしょうね。 玄関口付近 玄関口付近の様子 静まりかえった廊下の佇まいが素敵でした。 障子の内側は資料館の事務室になっています。 欄間と障子を通して自然光が差し込んで来ます。とても軟らかい明るさですね。 とても高い位置に神棚がありました。天井が高いのは、元々この建物がお城の一部だったからみたいです。 幕末の戊辰戦争で官軍に負けた東北の各藩では、武士は特に悲惨な目に遭いました。こうして城の建物や備品類まで商人に売らざるを得なかったのです。 柱時計と仏壇置き場です。 大きな戸棚が備えつけてありました。 だがその栄えた商家でさえも時代の波には勝てなかったようです。いつか商売は傾き、家屋敷は市の管理に委ねることになりました。こうして江戸時代から続いた豪商も、今は資料館(博物館)として公開されているのです。<続く>
2016.03.04
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「むう姫のお雛様は撮れますか」。私は尋ねた。「いや、フラッシュを焚くと困るので」。「それではフラッシュを焚かなければ良いのですか」。さらに尋ねる。「一人に許すと皆に許さないといけないんで」。返事はそんな風に変わった。ダメならダメと最初からそう言えば分かるのに、この廻りくどさは一体何だろう。観光案内所の人ではないな。学芸員ならもっと端的に対応するはず。となると、教育委員会関係者かも知れない。私はそんな風に感じたのだ。 電話の相手は角田市郷土資料館の方。地元紙にむう姫のお雛様のことが出ていた。ブログで取り上げるにはちょうど良いテーマなのだが、写真が撮れないとなるとどうなのか。そこで他の展示品のことなども聞いてみたのだ。 それから数日後、私は自転車でJRの最寄り駅に行き、電車を乗り次いで県南の小さな市へと向かった。槻木駅からは「阿武隈急行」の旅。単線ののどかな電車で乗るのは今回で3回目のはず。 車窓から南蔵王の雪景色が見えた。雪雲に隠れてぼんやりした山容。それもやがて見えなくなってしまった。間もなく角田市内へ入ったようだ。角田出身の先輩や後輩の顔を思い出す。彼らは2番目までの職場の関係者だったり、夜学の同級生だったりする。その後私は東京へ転勤し、さらに全国を転勤したため、皆若いころの顔のままなのだが。 大雑把だがこれが角田市の位置。ほぼ宮城県の最南端に当たる。人口3万人ちょっとの小さな市だ。 この市の目玉はロケットと梅干。変わった組み合わせだが、ロケットはJAXAの角田ロケットセンターと言う施設が市内に在り、梅が名産品と言うわけ。梅の花の適当な写真がなかったので、梅干しにした次第。郷土資料館への行き方は頭に入っているが、念のために駅前の地図で再確認してみた。 20分ほど歩いただろうか。駅前は閑散として何もない。そこから東へ向かい、市役所の角から南へと曲がった。その先に立派な蔵が見え、資料室の看板が立っていた。そこから横へ入ると昔のお屋敷が見えた。それをそのまま資料館として使っているようだ。 左は表の蔵の横にあった門。後で聞いたら元々は角田城の城門の一つだった由。そして右はこの建物の本来の持ち主の標識。後で聞いたら角田の殿様に出入りしていた商人の屋敷だったそうだ。ふ~む。私はしばらく外の様子を撮影してから屋敷の中へと入って行った。料金は300円。決して高くはないが、果たして肝心の展示物はどうなのか。 これがむう姫の両親。父は仙台藩祖の伊達政宗。これは有名だから説明不要かも知れない。母は側室のお山の方。慶長13年(1608年)に政宗の次女として生まれたんだ。そんな姫がなぜ田舎町の角田へ? むうには14歳年上の姉五郎八(いろは)姫があった。彼女は正妻である愛姫(めごひめ)との間に生まれ、徳川家康の六男松平忠輝に嫁いだ。彼は越後高田100万石の城主だったが父の不興を買い、国替えとなった。そして五郎八姫も離縁され、仙台へと戻ったのだ。一方のむうは政宗の寵愛を一身に受けて、伸び伸びと育った。そして戦国時代ではなかったため、戦略として大名家に嫁ぐ必要はなかったのだ。 むうの嫁ぎ先は仙台藩伊達家一門筆頭格の石川家。角田初代の石川昭光は政宗の叔父で、源氏の血を引く名門石川家を継いだ。だが秀吉の小田原攻めに参陣せず、現在の福島県石川郡の領地を没収されてしまった。そこで甥の政宗に泣きつき、臣下となったのだ。そして1万石を与えられ、角田城主に落ち着いた。 政宗は最愛の娘を、一門筆頭格の石川家に嫁がせた。相手は昭光の孫の宗敬。まだ宗敬が13歳、牟宇(むう)姫は12歳の若さだった。姉五郎八(いろは)は子を産むことなく死んで松島瑞巌寺の末寺に祀られているが、次女の牟宇は3男2女を挙げ、角田市内に葬られている。享年76歳の長命だったようだ。 さて本論のむうのお雛さまが写真のもの。撮影は無理だったので、パンフレットから借用した。お雛様はむうが嫁入りした時に持参したと考えられている。それは雛人形の調度品に刻まれた伊達家の「雪薄紋」(ゆきすすきもん)で分かるとのこと。伊達家には6つほど家紋があるが、この「雪薄紋」だけは他に類例がないため、伊達本家から嫁入りしたむうの持ち物と判断された訳だ。 これが男雛の写真。江戸初期の嫁入りなので、その当時これだけの人形を作れたのは恐らく京都以外にないだろう。町雛にはない大名雛の風格はさすがだ。 そしてこれが女雛。むう姫の肖像画が残されていないため、この女雛の顔をむうの顔の代わりに描いている絵が多いのだと思う。 優しい雛人形の横顔に、政宗の次女むうの面影が偲べるだろうか。 これは「むうのお雛様」が飾られていた部屋の障子。辛うじてこれだけは何とか撮らせてもらえたのだ。<続く>
2016.03.03
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2月の末に走った13kmのコースで橋の上まで来た時、名取川の川幅がかなり広がったことに気づいた。「おかしいなあ。これほどまでに広がるのは初夏頃なんだが」。だが直ぐに原因が分かった。暖冬の影響で例年より2カ月以上も早くから山の雪が融け出したのだ。これが夏場の田圃の水不足に繋がらないことを祈りたいものだ。 結局2月のは9回で92km止まり、一方は13回で45km。合わせて137kmだった。元気な頃の半分以下だが、ゆっくりでもまだ走れることに感謝したい。これまでの累計は86686kmに達した。 先日県南の市に行った時にふと思った。6年ほど前までやっていた「峠越えラン」。家からこの角田市、丸森町を通って福島の相馬市まで走ろうとしたことがあった。その後不整脈の症状が出てからは無理になったが、電車で角田や丸森まで来て、そこから残りを走れないだろうか。距離は30kmはありそうだ。その体力と走力が今の私に残っているかどうか。その前にもっと鍛える必要があるが、もしかしたらまた夢の続きが見られるかも知れない。冒険の再現だ。 2月下旬に9kmのコースを走った時、200mほど前方を歩く人が見えた。ところが登り坂なのでなかなか追いつかない。ようやく追いついたのは3kmほど先の団地の下り坂になった頃。そこでその男の人に3km手前から姿を見ていたことを話した。私の住所を言うと、彼は私の名前を口にした。向かいのKさんの畑と山友達で、彼もランナーなのだとか。それでKさんから私の名前を聞いていたらしい。 これは驚いた。世の中にはこんなこともあるんだねえ。学年は私と同じ。病気になって体力が落ち、今はレースに出ていないが、体力維持のために走ったり歩いたりしている由。何とまあ私とそっくりではないか。私が所属する走友会のM仙人のことも知っていた。同じような経歴のランナーが今もまだ同じように頑張っている姿を見て、本当に嬉しくなった。 あるブログに沖縄の写真が載った。浜比嘉島の風景を観たのは平成3年に私が沖縄勤務中に訪ねた時以来。そして古宇利大橋から見る「ライオン島」と古宇利島の風景は、私が単独で走破した沖縄本島一周の最終年以来だから4年半ぶりのものだった。涙が出るほど懐かしい風景なのに、そのブログのコメント欄は半年も前から閉じられたまま。 ブログの主のMさんも元ランナーで同学年。現役時代は月間500kmも走ったと言うから、セミプロ級だったのだろう。だが彼はその後走るのを止め、一方の私はボロボロになりながらもまだ走り続けている。彼がコメント欄を閉じている理由は分らないが、何かに苦しんでいるのかも知れない。 ある方のブログに、先日文章のことで意見を書かせていただいた。彼は近い将来文筆や講演活動で余生を過ごしたいと書かれていたので、直ぐに理解してもらえると思ったのだ。だが私の書いたことが理解出来ないと言う。そして私は走るのを止めて歩きに変えるべきとも書かれていた。どうやら私のブログも読んでてくれたようだ。 疑問に感じた点は二重否定にすべき箇所を単なる否定形にしたことで文章の意味が通じなくなったことだが、彼はそれに気づかなかったようだ。原因は彼の文章が「話し言葉」のために論理性に欠けてしまうこと。言葉を思いつくとメモし、文章の一部を取り換えることがあるそうだ。一つ一つのセンテンスは正しくても、それを繋ぎ合わせた文章になると逆の意味になるのは、きっとそんなことが原因なのだろう。 彼は60を過ぎてからスキーや登山に挑戦し、素晴らしい経験を積まれている。それらのことが原因で障害を受けた時は、障害者として生きるとも書かれている。勿論そうなりたい訳ではなく、万が一そうなった場合の生き方を言ってるのだと思う。それは私のランニングも全く同様。リスクは覚悟の上での行動だ。そうならないよう鍛錬をしている積りだが、交通事故の巻き添えなどはあるかも知れない。 ランニングのし過ぎで病気になったとの誤解を持つ人は結構多い。ランニングや病気の経験のない人が大半だ。不整脈の発生メカニズムは生理学的なことに原因があり、有酸素運動のジョギングはむしろ一部の不整脈には有効な運動療法でもあるのだ。そして何よりも私は楽しいから走るのであり、ランニングは苦しむためのものではない。 1月に松島に行った際、同級生に会った話は前にも書いた。僧侶である彼の持論は「健康は何もしないのが一番。そして腹式呼吸の読経は健康の秘訣」。酒は大好きだし煙草も吸う。彼も私が体調を崩したのはランニングが原因と考えているようだ。だが私は敢えて反論はせず、「全てが良い経験になった」と答えただけ。そしてまだ朝の勤行を続けているのかを尋ねた。答えは「もう全て息子に任せている」だった。 彼はクラス会などで良く言う。「自分が一番長生きして、亡くなったクラスメート全員の冥福を祈る」と。その志は嬉しいが、果たしてこの先どうなるかは神様しか分からないはず。先ほどの彼も、「自分は100歳まで生きる」と書いている。どうやら僧侶とは自分の健康に、相当自信がある人種なのだろう。 これは15年ほど前に週刊誌で読んだ話。ある高僧が体調を崩して病院へ行ったそうだ。精密検査を終えて診察室へ入った時に高僧が言った。「先生、私は長年厳しい修業を重ねて来ました。ですからどんなことを聞いても驚きません。全て本当のことを言って下さって結構です」と。そこでドクターは検査結果を見ながら高僧に答えた。「そうですか。それなら申し上げましょう。貴方は○○がんの第○期で、余命は後3カ月です」と。 その高僧、直ぐに顔が蒼ざめ、それから1週間もしないうちに亡くなったそうだ。多少誇張はあるかも知れないが、実話のようだ。宗教者と言えども人間。死の恐怖や不安から逃れることは出来ないのかも知れない。 つい最近私は1人のブログ友を知った。最愛のご主人を亡くされたばかりの婦人だ。だが彼女の健気な生き方に感嘆する。まず自分に正直だし、何よりも前向きな生き方だ。そして書かれる文章がまた魅力に溢れている。人間歳を取ると、人格が顔に現れると良く言われる。文章も同じ。著者の人格、知性、器量などが文章を見れば一目瞭然なのだ。思い付きの言葉を羅列すれば素敵な文章に変わる訳ではない。文章にはその人の想いや生き方(哲学)が凝縮されている。まして言霊が宿る日本語ならなおさらだ。 私のブログ友には高齢者が多い。彼らもそしてこの私も、長くて後十数年の命だろう。自分に遺された時間をどう使い、どう生きるのか。それは宗教者だろうが一市民だろうが一切関係ない。3月に入った途端の時ならぬ雪になったが、また体調を見ながらゆっくり走りたいと思っている。あっ、歩くのだって素敵だけどね。
2016.03.02
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<室内の子供の遊び> みちのく杜の湖畔公園の探訪記も今日が最終回。私にしてはずいぶん長いシリーズになりました。残った写真は1回分。今日は室内の子供の遊びがテーマです。「北国の暮らし」とは言えないかも知れませんが、そのまま同じタイトルを使うことにしました。 東北の古民家を集めた「ふるさと村」の本荘由利の家では、子供の遊びが実演されていました。これは座敷で行われていた昔ながらの遊びのようです。 男の子が遊んでいたのは的当てのようです。 こちらはお絵描きでしょうか。 こちらはお手玉やおはじきかな? 障子を通して、自然光が室内に広がっています。 女の子が大好きなお人形もありましたよ。 これは秋田の土人形。どうやら少しだけ古いお雛様みたいですね。 三人官女も趣がありますね。 五人囃子の方割れです。 こちらも五人囃子の方割れです。 秋田の土人形ですが、男雛しかありませんでした。あれまあ。 こちらは昭和時代の少女像でしょうか。 現代的な雛人形が幾つかの古民家に飾ってありました。 障子から光が漏れています。 暗闇に雛人形が浮かび上がっています。 3つも並んでいたのは、宮城県の「鳴瀬川河畔の家」だったかなあ? ツーショットのお雛様です。 今日から3月です。早いですねえ。このシリーズと最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。明後日から新しいシリーズが始まりますが、明日は取りあえず別なテーマを入れますね。<完>
2016.03.01
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