全31件 (31件中 1-31件目)
1
≪ 柴又帝釈天への道 ≫ 「もうすぐASがありますよ」と凛峰さん。彼女の言葉通り、やがてサイクリングロードの左側に数人のランナーが固まっているのが見えた。ここがレース唯一のASで、約17km地点。主催者のS木さんと雲峰師匠が甲斐甲斐しく働いていた。先ず小さめのお稲荷さんを2個食べ、次に生ハムを3枚。再び稲荷ずしを2個と生ハム。そしてバナナ半分とカップ1杯の水。 大会要項には「マイカップ持参のこと」と書かれており、ポシェットの中に小さなアルミ製のカップを入れていたが、全く不要だった。スポーツドリンクも良いが、普通の水が何より美味しい。水を半分追加で飲んでいると、雲峰師匠が私にそっとささやく。「あんまり真面目に走らなくて良いんだよ」。それは私の体調を気遣って、適当にワープしたらと言うことなのだろう。 でもねえ、折角走れるようになったのだから、行けるところまでは頑張るのが自分流。お礼を言って再びランナーに戻る。18km地点に真っ白で高い煙突が見えた。散歩中の人に聞くと、江戸川区の清掃工場とのこと。へえ~っ、そうなの?私には瀟洒なタワーみたいに見えるのだが。「水辺のスポーツガーデン」が19km地点。1km先にトイレありの標示。 間もなく右手に大きな水門と砂洲。これが「江戸川水門」で、江戸川との合流地点だ。江戸川大橋を潜ると、河川敷にはサッカーコートなどの運動施設が連なり、土手には子供の試合を見学する父兄の姿。道路の左手には篠崎公園が見えた。川の向こう側は千葉県の市川市。大きなマンションや大学の高い塔。あれは東京医科歯科大学の分院と教養部のはず。河川敷に下りて最初のトイレ。ここが23km地点。 散歩中の人に折り返し地点の「帝釈天」はまだか尋ねると、遥か向こうの大きなマンションまでが約3kmあり、帝釈天はさらにそこから3kmくらい先とのこと。鉄橋が見えたので青年に「何線?」と聞く。彼の答えは「各駅停車も通るし、快速も通るよ」。どうやら知的障害者だったようだ。そこで「総武線?」と聞くと、「そうそう、ソーブせ~ん」と去って行った。「河口から11km」の標示あり。 総武線の小さなガードを潜ったまでは良かった。そこから進んだ国道14号線(通称千葉街道)の交差点で再び迷う。河川敷への降り方が分からないのだ。一緒にいた仲間と近くの交番で帝釈天への道を尋ねると、サイクリングロードよりも街中を行った方が近いとの返事。東京のランナーが地図を見ていたが、私には川沿いの方が近いように見えた。後で考えると現在地が分かってなかったのだが、そこが25km地点だった。 もちろん道路には距離表示も、コース案内もない。初めての人は地図だけが頼りなのだが、細かい点は不明。鉄橋がある場合はサイクリングロードから一旦河川敷に下りると良いのだが、それは後になってから分かったこと。皆は街中を走ることを選んだ。これが私にはとても遠く感じた。川に沿った方が近いとの思い込みがあったためだが、街中はとかく信号が多くて待たされる。ノンストップの堤防の方がよほど走り易いのだ。 ようやく「柴又街道」の標示を発見し、右折。最初に京成電車の線路を潜る。近くの駅は小岩駅だ。そこから帝釈天は近いはずだが、なぜだかやたらと遠い。多分疲労が溜まって来たのと知らない道を走るせいだ。次に潜ったのが北総鉄道の高架。ええ~っ、こんな鉄道ってあったの~?そこも突っ切って先へ進む。あの後も何度か交番で確かめた。草臥れ果てた頃、ようやく柴又帝釈天の参道にぶつかった。大勢の観光客がゾロゾロと歩いている。<続く>
2013.01.31
コメント(6)
≪ 迷う ≫ 先頭を走る引率者は、頭に白いタオルを巻いた青年。迷子にならないようその後に続く。初めはゆっくりのペースに感じたのだが、結構速いようだ。それにしても葛西臨海公園はきれいな公園だ。暫く行ったら海岸に出た。海の向こうに真っ白い雪を被った富士山が見えた。この日2回目の対面だが、こんな晴天でお目にかかれるとは嬉しい。 園内を走る電車にもあった。走っているうちに暑くなり、ウインドブレーカーを脱いで腰に巻いた。その間に先頭グループは遠ざかり、ついに追い着くことが出来なかった。雲峰師匠がカメラを構えている横を通る。後日師匠の掲示板を見たら、S木さんとの2ショットの他、颯爽と園内を走る私の写真が載っていた。屈託ない笑顔と、案外脚が伸びたランニングフォーム。多分必死で追いかけていたのだと思う。 園内を一周した後、芝生の土手を横切って舞浜大橋の歩道橋へ上がった。この橋は昨年の大会後に完成したものとか。下には広い川。そこを渡ると千葉県の浦安市だ。ディズニーランドとディズニーシーの周囲をグルリと廻る。舞浜駅には大変な人だかり。皆遊園地に行く人なのだろう。ちらっと見えていた先頭グループの姿がとうとう見えなくなった。大きな客船の煙突から煙が上がり、ディズニーリゾートラインの豪華な電車が何度も通る。 もう一度舞浜大橋を渡って東京側に戻ると10km。ここで最初の迷子になった。一旦環状7号線の歩道橋を渡って道の向こう側に出、そこから川の堤防まで戻る。本当は潜れるガードがあったようだが、ここで早くも600mほど余分に走った計算。地図を良く見てないのと、新しく出来た橋のために、昨年参加した人も間違ったのだ。 私にも誤解があった。その川をてっきり江戸川だとばかり思っていたのだ。浦安市との境を流れていたからだが、ここは旧江戸川で、江戸川と出会うのはもっと先なのだ。13km地点付近で左足底部に痛み。多分最近はこんなスピードで走ってないため、足が負担に耐え切れなくなったのだろう。まあ、行けるところまで行くしかない。 手術前の元気な頃、1月は「勝田マラソン」に出るのが常だった。だが申し込む日まで、フルマラソンを走り切る自信がなかった。風の強い勝田で走れなくなったら、低体温で倒れるのは必定だ。12月に入って、制限時間の長い「寅さん詣で」なら何とか40km近く走れるかもと思ってエントリーしたが、ポシェットに3500円ほど入れたのは、最悪の場合タクシーに乗ることも考えたからだ。 狭い堤防上のサイクリングロードから川が見える。そして岸辺には釣り船や船宿も。へえ~っ、東京にもこんな風景が残っていたのか。ひょっとして川向うが「青べか物語」の地かも知れないなあ。走りながらそんなことを考えていたのだが、後日調べたらやはりそうだった。川向かいの浦安市猫実や堀江が、まさに山本周五郎の小説の舞台。TDLはかつて広大な荒れ地だったようだ。 浦安橋のある妙見島が15km地点。工場などが建て込み、ごちゃごちゃした下町の印象だ。16km地点の今井水門は直ぐに分かった。小さな橋を渡って右折し、交通公園の中を通って再びサイクリングロードへ出る。ここで腹が空いて来たため休憩し、ポシェットからお菓子を出して食べる。と、後からK藤さんの声。彼女は間違って水門を行き過ぎ、もう一つ先の橋を渡ったとか。やはりここは迷子になり易いコースのようだ。<続く>
2013.01.30
コメント(8)
≪ いよいよスタート ≫ 車の通ってない車道を、ブーツで走る。どうやら道路は凍ってないみたいで、新雪が滑らない。一瞬自転車の方が良かったかと悩んだが、やはり止めて正解と思い直した。風が当たる自転車の場合は、薄いウインドブレーカーでは寒過ぎるし、ジャンパーを着たら脱いだ時にリュックに納まり切れなくなる。途中コンビニに寄り、食料調達。 8cmほどの新雪ならブーツでも走れる。翌日妻に聞いたら、さらにその後も降ったようだ。地下鉄の駅まで3kmほどを走ると体が熱くなった。時間も十分間に合いそうなので歩き出す。ほとんど乗る人がいない始発電車には雪が被っている。車庫から出て来たばかりなのだ。仙台駅で降り、JR駅まで地下道を急ぐ。新幹線も仙台始発なのでガラガラ。この車両も雪を被っていた。 6時6分定刻の発車。早速朝食に取り掛かる。食べたのはお握り3個とカツサンド。ソースの味が美味しいサンドウイッチにはエビが入っていたようだ。これが今日走る、大切なエネルギー源になるのだ。食後は歯の掃除と薬を服用。おもむろに読みかけの『徳川家康』第20巻を取り出して読書。白石蔵王駅は、まだ暗かった。県境のトンネルでは、窓ガラスを雫が横に走った。 福島駅で明るくなり、郡山付近で朝日が出た。宇都宮はきれいな青空。東北はまだ厳しい冬のさ中だが、関東平野はまるで春のようだ。大宮付近から雪を被った富士山が見えた。それが次第に西の方角になるのが不思議だった。東京駅で京葉線に乗り換え。以前は一旦駅の外に出て、長いエスカレーターを乗り継いだのに、今はベルトコンベアーのような歩道に変わり、ずいぶん楽になっていた。 各駅停車で確か5つ目の葛西臨海公園駅で下車。公園に入ると、目の前に大勢のランナーが集まっていた。何とそこに宮城UMCの仲間がいた。K藤さんとK村さんだ。いや~、これには驚いた。おまけに仙台の女性ランナーがもう2人。彼女達はウルトラのデビュー戦だが、1人は柴又帝釈天から電車を乗り継いでゴール地点に帰る由。彼女達は前泊組。当日仙台から参加したのは、私だけのようだ。 受付に行くと、主催者のS木さんが握手してくれた。年賀状で私が不整脈の手術を2度受けたのを知って、驚いたようだ。ゼッケンナンバー「555」は、やはり彼が予め選んで送ってくれたみたい。「集合時間に間に合わないかも」と申し込み時に書いたためだ。雲峰師匠とも久しぶりの対面。お互いに病状を話す。 昨年のトランスヨーロッパ4176kmを689時間で完走したS原パパとも握手。雲峰師匠もS原パパも今日はスタッフとしてお世話してくれるのだ。トランスヨーロッパ組は他にK井さんも参加されていた。凛峰さんとも久しぶりにお会い出来た。何気なく話を聞いていると、昨年11月の「佐渡島一周」に参加した人も何人かおられたようだ。 K藤さんが「お酒を飲んだ?」と聞く。彼女はもう飲んだみたい。レースの前に日本酒を飲むなんて、何とまあ砕けた大会だ。剣菱をコップで3分の1くらい戴く。トイレを済ませ、スポーツドリンクを買い、上着を全てリュックに詰めて運搬用の車に載せた。その車内にはネギの束。これはゴール後のサービスでスープとうどん用のものだろう。 主催者のS木さんが言う。「大会要項には41kmとなっているけど、実際は44km。それ以上あると言う人もいるけどね」。まあ、呑気なものだ。第1回の「佐渡島一周」では206kmが工事中と迷子で215kmくらい走ったもんなあ。S原パパのコース説明の後、S木さんのカウントダウンでスタート。私にとっては1年4カ月ぶりのレースが今始まった。<続く>
2013.01.29
コメント(4)
≪ 準備したもの ≫ 今年走ったのは23日(水)までの10回で169km。24日(木)は走った翌日なので休足。25日(金)は強風のため休足。前日の土曜日26日も結局は走らなかった。レース直前の3日間に、全く走らなかったのがどう出るかは分からないが、自分には「体を十分休めた」と言い聞かせる。それで44kmの長丁場を乗り切れるほどマラソンは甘くは無いが、こうなったら「行ける所まで行くだけ」と開き直るしかない。 東京と千葉の海岸、そして旧江戸川と江戸川の堤防沿いを走るのが「寅さん詣で」のコース。風はあるだろうが、当日の天気予報は晴れで、最高気温は9度。これを頭に入れて服装を選ぶ。汗かきの私なら上は長袖のTシャツ1枚で良いだろう。それに用心のため、薄いウインドブレーカー。下はロングタイツ。そして帽子は要らない。手袋は厚めのものにした。 ポシェットに入れるものは、若干のお菓子と塩。これはエードステーション(以下AS)が1か所だけのため。それで44kmを走り切るのは無理なため、自分でエネルギー源になるようなものを持つ必要があるのだ。もう一つのビニール袋には、3550円ほどのお金を入れた。これは途中で飲みものを買うのと、帰路どこかで走れなくなったらタクシーに乗るためだ。もちろんコースの地図も入れた。 しっかりした団体が主催する大きなレースであれば、水や食料の心配は不要。それに途中でリタイヤしたら、収容バスを用意している大会もある。だが、今回私が出るのは小さな団体が主催するマラニック。制限時間は7時間だが、少し遅れても差支えないし、途中で交通機関を使って「ワープ」するのも自由。その代わり安全面は自己責任。だから料金は格安の2千円。懐にも優しい大会なのだ。 朝一番の東北新幹線に乗るためには、かなりの早起きが必要。それで手間のかかる、足へのテーピングは前夜のうちに済ませておいた。Tシャツの前には「555」のゼッケンナンバーを留め、後には「がんばろう東北」の大きなステッカーを張った。念のために懐中電灯も持って、これで準備は万全のはず。残りの心配は当日の朝の天気だけだ。 目覚まし時計は4時にセットしていたが、その前に目が覚めた。直ぐに着替えて外の様子を探る。夜中に雪が降ったようだ。8cmほどだが、道路は凍っていて危険と判断し、自転車では行かないことにした。先ずトイレを済ませ、ランニングシューズをリュックの底に詰め、ブーツを履いて最寄りの地下鉄の駅まで歩くことにした。時計を見たら間に合うかどうか微妙な感じ。いきなりだが、これは走るしかない。<続く>
2013.01.28
コメント(10)
≪ 無事帰宅しました ≫ ゴール後、ビールを飲んでお風呂に入り、夜の10時近く頃無事帰宅しました。この日走ったのは、マラニックも含めて合計50kmほど。練習不足の割には良く走れたと思います。最後は痙攣に苦しみました。(笑)レポートは明日以降書かせていただく予定です。留守中のエールとコメント、ありがとうございました♪-------------------------------------- 目覚ましを4時にセットしていましたが、その前に目が覚めました。もう少ししたら「寅さん詣りマラニック」(44km)に出発します。スタートは東京の葛西臨海公園。一旦千葉県側へ渡ってディズニーランド、ディズニーシーの周囲を一周し、再び東京都へ戻って旧江戸川、江戸川の堤防沿いに北上し、フーテンの寅で有名な柴又帝釈天で折り返し、湯処葛飾がゴールです。 果たして寒い堤防上を44kmも走れるかどうかは分かりませんが、今の体調でどこまで行けるか試して見るのも一興です。積っている雪は7cmほど。道路が凍っているので自転車は無理みたい。最寄りの地下鉄の駅まで3km以上、これから雪道を歩いて行きます。まあ、どんな一日になるのか楽しみです。帰宅は夜になります。ではね~!!
2013.01.27
コメント(6)
良く60句以上もの俳句が出来たと思う。昨日まで書いていた「雪の奥会津 俳句の旅シリーズ」だ。武家屋敷、伊佐須美神社、イチゴ狩り、柳津虚空蔵尊、温泉と訪ねた先が多かったからだろうが、それでも雪ばかりの情景の中で、良くそれだけたくさんの俳句が生まれたもの。あの時は見るもの全てが新鮮に感じ、5分間に1句くらいのスピードでノートにメモしていたのだ。 そのうちの9割は、瞬間的に捉えた感覚そのものを活かした。頭に浮かぶ単語をつないで17文字の俳句にする作業。俳句らしく見せるためには、季語と思しき言葉も交えながらだ。残りの1割は、ブログに搭載した際に修正するか、帰宅後に情景を思い出して作った。俳句にはそんな生まれ方をするものもあるが、どんな旅でも作れるほどの自信はない。 歴史的な発見も面白かった。武家屋敷では、維新時の上流武士の暮らしぶりが実感出来たし、会津藩士の精神構造の一端を窺えたように思う。伊佐須美神社の新しい建築構想には驚いた。古代の出雲大社を思わせる高層の神殿が、果たして実現するかどうか。もし出来れば、あの胡散臭い神職のイメージが払しょくされるだろう。 崇神天皇から遣わされた2人の将軍がこの会津で出会ったのが神社の縁起と言うのが、果たして歴史の真実かどうかは分からないが、大和朝廷側が何度にも亘って東北の蝦夷(えみし)を征伐に来たであろうことは考えられる。その中には日本武尊の東征伝説も含まれる。大塚山古墳が建沼河別命の墓とする説も面白かった。 墓の主が中央から派遣された人物か、地元の豪族かは分からないが、時の政権と何らかの関わりがあった人物であることは確か。元々あった山を古墳に造り変える方法は古い時代の技法だが、東北南部にあるだけに、東北では初期のものではないか。 柳津虚空蔵尊の圓蔵寺も古い時代の建立と思う。古墳も、神社も、そして仏教も、元々古代の東北にはなかったものだ。それが中央政権の手によって少しずつ前進し、土着民を驚かせ、やがて中央の文化を受け入れるようになる。私達の遠い先祖の暮らしぶりが目に浮かぶようだ。12月の滋賀であった麻雀大会もそうだが、そんな些細なきっかけで歴史を学ぶことが出来るのが嬉しい。 さて、昨日の午後からの寒波襲来で、今朝の仙台は零下6度とか。わずかだが屋根には雪が積っている。今日はどれくらい降るのか。明日の早朝は東京に出かけ、44kmのマラニックを走るのだが、果たして駅まで辿り着けるかどうかが問題だ。今日は一日かけて準備し、対策を練ろうと思う。そして1年4カ月ぶりのレースに、この老体が耐えられるかどうかも見もの。まあ「何とかなるさ」の軽い気持ちで楽しんで来ようと思う。
2013.01.26
コメント(4)
最終目的地の温泉に向かう時に、添乗員さんが「虚空蔵菩薩を彫った木の屑が、只見川のウグイになったと言う伝説があります。そして川に架かる2本の赤い橋から見る虚空蔵さんの崖造りが絶景ですよ」と教えてくれました。あれは40年ほど前のこと、職場の旅行でこの地を訪れたことがありましたが、確かにたくさんのウグイが泳いでいる姿が見えました。それでここの名物は「ウグイ最中」なのだとか。 雪会津 川のウグイも 凍へたる 赤橋や 雪の古寺 崖造り 雪の里 土産は最中 田舎味噌 温泉はさらに只見川を遡った三島町にある早戸温泉で、私達が入るのは「つるの湯」とのこと。次弟に雪が深まるような感じがします。この只見川一帯は岩盤が堅く、降った雨が地中に沁み難いため、かなりの水量になるとか。田子倉湖や奥只見湖など、日本でも有数の巨大なダム湖がこの奥にあるのです。数年前の豪雨で、新潟県の小出へ出るJR只見線が未だに一部不通になっているそうです。 枝に柿残して 会津 雪の郷 道の駅 雪三尺に ならんとす 豪雪の ダム湖眠りし バスの旅 到着した「つるの湯」は只見川の傍で、目の前には山が迫っていました。看板には「秘湯、源泉かけ流し」とあります。泉質はナトリウム塩化物泉で、湯温は加熱加水なしの53.5度。自然に冷めて適温になり、外傷や神経痛に効果があるようです。また飲用にも適していて、消化器病や慢性の便秘にも効果があるみたいです。早速入りましたが、露天風呂も熱くて気持ちが良かったし、お湯は少し塩味がしました。 トンネルの先に 吹雪の温泉郷 雪国の さらなる奥の 秘湯かな 秘湯あり 天空舞ひし 小雪かな 雪の山 目前にして 露天風呂 冬の川 流れ静けき いで湯かな 塩味の 温泉飲みて 雪見かな 与えられた入浴時間は1時間でしたが、私は40分で満足でした。温泉から出ても、暫くの間体がポッポと火照っています。バスに乗って帰途に着くころには、夕闇が迫っていました。雪の会津は退屈かなと思ったけどそうでもなく、単純で作るのが困難と思われた俳句も、60句以上詠むことが出来ました。古代東北史の勉強も含めて、予想以上の収穫があった奥会津の旅でした。<完> 峡谷の雪 夕暮れに紛れつつ まぎれ 山眠り 河眠りたる 会津かな 奥会津 山河眠りて 冬深し
2013.01.25
コメント(4)
これまでは伝説上の人物と考えられていた第10代崇神天皇が、最近では実在の人と考えられているみたいです。ただし記紀のように弥生時代ではなく、もっと後世ですが。その崇神から古代東北の制圧のために遣わされた大毘古命が辿ったのは、北陸道から阿賀野川経由で。そしてその息子である建沼河別命が辿ったのは東海道を経由し、鬼怒川を遡ってと考える研究者もいるようです。 ともあれ長旅の末、親子の四道将軍がここ会津で出会います。先ほど会津若松市で見かけた「大塚山古墳」が、何とこの建沼河別命の墓と言う説もあるのです。そうすると、彼はそのまま会津に残って、この地を治めたのでしょうか。東北地方で最大の前方後円墳と2番目のものは、いずれも仙台平野にあります。やがて大和朝廷は仙台平野へと進出し、それが飛鳥時代の郡山の国衙や奈良時代の国府多賀城へと発展して行ったのでしょう。 次の目的地は温室内でのイチゴ狩りです。訪問した観光農園には、巨大な温室が3棟とたくさんのビニールハウスがありました。ここでは出荷せず、全て観光客に開放してるとのこと。温室内は暖かく、ニホンミツバチが飛び交っています。このハチが受粉を助け、立派なイチゴを作るのです。銘柄は「紅ほっぺ」と「幸の香」の2種類。食べ放題の時間は30分。 これがとても30分間も食べ続けるのは無理。何しろ甘くて大きなイチゴは、直ぐに腹いっぱいになるのです。私は多分30個近く食べたのではないでしょうか。今ごろの時期なら1パックで800円近くするみたいですが、ゆうに3パック分は食べたでしょう。いや~、満足満足。20分で早くも温室から出た私でした。 「紅ほっぺ」「幸の香」甘き 雪の小屋 蜜蜂の飛び交ひし小屋 冬苺 苺狩り 温室雪に囲まれて 次の訪問地は柳津町にある虚空蔵尊。正式なお寺の名前は圓蔵寺と言うようですが、一般的には「柳津の虚空蔵尊」で通っています。只見川の畔にあり、古来から東北人の信仰を集めて来たお寺です。本堂は崖の上にせり出した「崖造り」。京都の清水寺みたいな舞台造りになっています。広い境内は深い雪に覆われ、桜の枝が雪のために折れていました。 本堂へ降りる石段が凍っています。おっかなびっくり、手すりを持ちながら下ります。雪を被った石仏や句碑も趣があって良いですね。本堂の中は真っ暗。ほの暗い中にわずかの照明しかないためですが、雪で目が眩んだせいもあるでしょう。その暗闇の中にご本尊の虚空蔵菩薩像やたくさんの仏像が立っています。これがまた何とも不思議な雰囲気でした。<続く> 雪踏みて 古寺初詣 奥会津 虚空蔵尊 雪に埋もれし 句碑ありて 虚空蔵尊 雪に折れたる 桜かな 雪折れの 桜ありけり 圓蔵寺 初詣 石段凍る 寒さかな 雪国や 仏の顔の 暗きこと 雪の古寺 暗き御堂の 諸仏かな 雪の古寺 諸仏 お暗き堂にゐて 崖造り 虚空蔵尊の 雪深き
2013.01.24
コメント(6)
伊佐須美神社の境内に入って驚きました。何とそこには長い階段のある高層の神殿の絵が描かれた看板があるのです。なぜこんな神殿を作ろうとしてるのだろう。そして神門には垂れ幕がかかっています。通常参拝客はその内側には入れず、その場所で礼拝するらしいのです。そう言えば添乗員さんがバスの中で、参拝の前に宮司から講話があると話していました。何だか様子がおかしいと思いながら中へ入って行きました。 案内された先は透明なビニールが架けられた小屋。中は結構広く、椅子が並んでいます。最前列に座ると、目の前に禍禍(まがまが)しい「パワーストーン」のようなものが積み上げられています。右手には白装束の男性。だが神職のような雰囲気はなく、御神籤やお札を売る係みたいな感じなのです。にやけた神職が話したことは大体次のようなことでした。 この会津は第10代崇神天皇の御代、大毘古命(おおびこのみこと)と建沼河命(たけぬなかわのみこと)の親子の四道将軍が、北陸道と東海道に別れて陸奥の国の蝦夷を征伐に来た際に、偶然ここで出会ったために「会津」と言い、この神社は歴史に残る最も古い神社であること。岩代の国の一宮であること。会津藩の歴代の藩主が信仰した神社で、皇室からの参拝もあること。 元々は御神楽岳に鎮座し、その後博士山や明神ケ岳を経由して、現在地に落ち着いたこと。神殿と拝殿が焼け、高さ33mの神殿を造るのに20億円かかること。建築の許可は下りているが、施工はゼネコンではなく地元の宮大工を使いたいことなど。1口3千円のお布施をいただければ、署名した紙を神殿に奉納出来ること。仙台の歓楽街では暫く飲んでないが、仙台の神社に大学の級友がいることなどでした。 「なぜ高層の神殿を造るのですか」。胡散臭い神職に私は質問しました。彼の答えは「勉強すれば分かりますが、三内丸山遺跡も出雲大社も昔は高層だったんですよ」。そんなことは考古学ファンなら百も承知。三内丸山の楼閣は神殿との説もあり、栗の巨木で出来ていること。柱を内側に6度傾かせて強度を保っていること、基礎は後世の古墳と同じ粘土と砂を交互に突き固めた版築(はんちく)と言う工法を用いていること。 出雲大社の初期の神殿は確かに高層だったこと。こちらは栗の丸太3本を鉄製の箍(たが)で1本にまとめ、それを高さ40数mにまでつなぎ、その上に神殿が乗っていたこと。階段は浜辺から続いていたこと。2、3回は建て直したがいずれも台風などで破壊されたこと。境内の地中から「証拠」となる古い柱の根元が出土したこと。日本の古い建築物には「雲太和二京三」と言う言葉が残っているが、これは出雲大社の神殿が国内で一番大きな建物だったことを意味していることなどです。 私が聞きたかったのは、「この神社が元々高層でもなかったのに、何故そんな必然性があるのか」と言うことなのですが、彼には通じなかったようです。帰宅後ネットで検索したら、この神社の悪評がさる掲示板に載っていました。やっぱりなあ。2千円の「パワアーストーン」を買った人も少なかったようでした。あまり有難味を感じなかったのでしょう。 神職の態度は今一でしたが、境内にはどこか神々しい雰囲気があるのも確か。ここの薄墨桜は、とても香りが強いので有名みたいだし、神門に納まった親子の四道将軍の神像も珍しいものでした。でも高層の神殿は難しいように思いました。巨額な建設費が集まるかどうか。地元の宮大工に手が負えるかどうか。高層にするには長い階段が必要なので、境内が狭過ぎる感じがします。あっけに取られた神社でしたが、鎮座していた山から次々に神様が移動した話は興味深いものがありました。<続く> 大層な 禰宜一人ゐて 雪の宮 禰宜(ねぎ):神官の一役職 伊佐須美の 薄墨桜 雪の中 将軍の 親子神像 雪の宮 雪の宮 四道将軍 神門に
2013.01.23
コメント(6)
バスは会津若松市の郊外を通って、東山温泉の方に向かいます。4年ほど前のこと、「東山温泉紅葉マラソン」と言うのに出たことがありました。東山温泉をスタートし、標高千mを越える布引高原を折り返す50kmのレースでした。あの時はお金がなくて温泉に泊らず、会津若松駅前のホテルからレース当日の朝に走って参加したのです。その時に通ったのが「会津武家屋敷」の前でした。 本日最初の探訪が、この武家屋敷。裏手には藩主松平家の祖廟があるそうです。ここで早めの昼食。用意されたのは小さな「せいろ」で蒸された山菜ごはんと、可愛らしい会津ソバ。それに各種の漬けものなどが添えられています。中でも珍しいのが「身欠きニシン」と「棒ダラ」の料理。海が遠い会津地方では、魚の干物を加工した郷土料理が残っているようです。 昼食後の時間を利用して、武家屋敷を見学しました。勿論ここにもたくさんの雪が積っています。白い雪に覆われた建築物もなかなか風情があって良いものですね。大きな屋敷は家老西郷頼母(「八重の桜」では西田敏行が演じています)の居宅。でも残念ながら「本物」は維新の際の戦乱で焼失し、これは残っていた設計図から復元したものですが、実に広大で立派な構えです。 冬木立 雪に落とせし 淡き翳 かげ 枯れ尾花 風に揺れつつ 雪に立つ 尾花:ススキ 氷柱伸びて 雫垂れたる 一軒家 つらら しずく 雪の街 終日雪に埋もれけり ひねもす 雪国の凍れる路や 武家屋敷 武家屋敷 雪踏みしめて 巡りたる 雪深き 会津の里や 武家屋敷 鶴ヶ城 雪の盆地に そそり立つ 鶴ケ城:会津若松城の異称 雪に生き 会津の誇り 失はず 「ならぬものはなりません」。質実剛健で頑固なのが旧会津藩の気風です。最後の藩主松平容保公は京都守護職を命じられ、都の治安に努めます。松平家は徳川家の親戚でもあり、維新戦争では当然幕府側に立ちました。特に東北地方は「奥羽越列藩同盟」が結ばれたこともあり、官軍の攻撃は熾烈でした。まだ十代の若者だった白虎隊も城が落ちたと誤解し、飯盛山で切腹します。その城が、武家屋敷から遠望出来ます。 次の目的地は会津美里町にある伊佐須美神社。「いさすみ」と言う聞き慣れない響きが気になります。武家屋敷で1時間休んだ間に、道路の雪が少し融け出していました。でも新潟県境の山々には、雪雲がかかっています。途中で「会津ドーム」と言う体育館が見えました。これなら丸くて雪が落ちやすいでしょう。<続く> 県境の 濃き雪雲や 奥会津 雪の田に ドーム残して 冬日かな 雪原に 腹這ひ遊ぶ 会津っ子 はらばい
2013.01.22
コメント(8)
気が付くと通路の向いのご婦人が「歳時記」」をめくっています。そして小さなノートと鉛筆も。ほほう本格的な俳句を作る人なんだと感心。トイレ休憩の時に話すと、俳句の結社に入っているとか。その結社は季語の作法が厳しく、使って良い歳時記が限られているみたいです。そして今月は3句を上げる必要があるのだとか。素人の私の句は自由そのもので作るのも楽ですが、その分雅趣は乏しいかも知れません。何しろ粗製乱造なのですから。 全て白き風景 バスは驀進す ばくしん 冬の田や 足跡もなく 静まりて 白き田や 畦の陰影 潜めつつ あぜ 歳時記をめくる老女や 冬の旅 樹々の雪煌めき バスは会津へと きらめき トンネルを抜けて 会津の雪の路 郡山市でバスは東北道から別れ、磐越道で会津へ向かいます。幾つかのトンネルを抜けると、そこは福島県西部の会津地方。ここも一面の雪。やがて右手には磐梯山、左手には猪苗代湖が見えて来ます。今年の大河ドラマ「八重の桜」の冒頭に美しい磐梯山が映りますが、あれは明治時代に爆発した後の姿。少女時代の八重が見たのはさらに高い山だったのです。その中腹にスキー場がくっきりと映っています。 山肌にゲレンデ白き 会津富士 磐梯山 雪止みて 湖の波 輝きぬ 猪苗代湖 この周辺は「磐梯高原ウルトラマラソン」(100km)で何度か走った場所。湖に注ぐ長瀬川も懐かしい風景です。磐梯河東ICから一般道へ下りると、真っ白い観音像が見えます。高さは56mとか。ここは「会津村」と言う観光地。近くには会津藩の藩校だった「日新館」が再建されています。会津盆地最大の街、会津若松市の饅頭店でトイレ休憩。サービスの饅頭が1個ずつ配られます。 「昼食が近いので饅頭は食べないように」との添乗員さんからの注意。でも、試食用の色んな饅頭に、つい手が出ます。暖かいお茶のサービスが嬉しいですね。バスに乗り込んでから向かいの山を見てビックリ。そこは確か東北で3番目に大きい前方後円墳の「大塚山古墳」のはず。店に戻って確かめると、やはり大塚山でした。古代から会津地方には中央の文化が伝わっていたのです。<続く> 観音も雪を眺むる 会津かな 融雪の水流れたり 饅頭屋 大塚山古墳に 深き雪ありて
2013.01.21
コメント(6)
集合場所のN町駅東口に行ってもバスがいないのです。そのうち女性の人が、「こちらですよ」と言いながら私達を集めました。バスは少し遅れて到着。出発は県南のW町。運転手さんの話によれば、途中で事故があった由。それはともかく、乗客の1人が見つかりません。連絡はとってあったそうですが、添乗員さんが困った様子。妻が「旗を持って行ったら?」と言うと、小走りに探しに行きました。 そのお陰で、最後の一人も無事乗車。仙台駅でもさほど遅れずに出発することが出来ました。今日のバスはいつもより小型。奥会津の雪道を行くには、この大きさが都合が良いとか。仙台宮城ICから東北道に入ると、周囲はもう一面の雪。福島県会津地方の天気予報も雪だったし、今日はどうなるのだろうと心配する反面、それもまた面白そうと思う自分がいました。 長い車中に備えて、新聞と読みかけの小説を持って来ていました。それに「ランニングノート」も。これは走ったコース、距離、タイムを書き込むだけでなく、映画や園芸や東北楽天の観戦や、その他必要なことを記入するメモ帳代わりです。それを持参したのは、ひょっとして俳句が作れたら、それを書き込むため。まさか雪だらけの風景で俳句が出来るとは思えないけど、念のためでした。 宮城県南、蔵王町の青麻山(あおそやま:799m)を過ぎる頃には新聞を読み終え、外の景色に見とれていました。県境の国見峠を過ぎると、眼下に福島盆地が広がっています。ここも一面の銀世界。2年前に仙台の自宅からJR福島駅まで80kmを走った旧国道も、この近くを通っています。これは俳句を作ろう。そう思って直ぐに「ランニングノート」とボールペンを手に取りました。例によって、季語も知らないインチキ俳句なのですが。 一面の真白き雪や 峠越す 燦々と 雪の盆地に冬日かな さんさん 家々も 果樹も 畑も雪の中 一面の雪に 神秘を感じつつ 冬の旅 雪に歓声上げながら 雪雲の 吾妻小富士を 隠しけり 東北道 疾走のバス 雪煙 碧空や 安達太良 白く聳え立つ あだたら山:1700m 安達太良や 智恵子も雪に抱かれて 智恵子:高村光太郎の妻 吾妻小富士(1705m)は福島市の火山で美しい山なのですが、この日は頂上部分が雪雲に隠れていました。そして間もなく行くと、今度は安達太良連峰が見えて来ます。こちらは連峰の全容がくっきり青空に映えています。高村光太郎の妻、智恵子はここ二本松市の出身。「東京には空がない」と言った智恵子。でも二本松の空はどこまでも紺碧に澄み渡っています。晩年心を病んだ智恵子も、きっと故郷の空と山に癒されたことでしょう。<続く>
2013.01.20
コメント(6)
今朝はいつもより早めに起きてブログを書いています。バス旅行に出かけるのです。だから少し短い文章になるかも知れません。先ず気になったのが楽天ブログの体裁が変わったこと。これは数日前からでしたね。トップのデザインがシンプルと言うかコンパクトになりました。すっきりしたのは良いのですが、今回も一つ機能が失われてしまいました。「帯」に予定を書き込めなくなったことです。今は「全○件」としか表示されませんが、気づかれたでしょうか。 一番の気がかりはアルジェリアの国際人質事件ですね。アルジェリア政府軍の強行突破でかなりの死者が出たようですが、詳細は分からないのが不安材料です。日本人にも死者が出ているようです。また人質が乗った車を誤爆したとの情報もあるようです。でも実態は不明。人命尊重が第一と言う日本的な考え方と異なる哲学を持っているのでしょうか。多くの方々の無事を祈っています。 中国の招待で中国に渡った鳩山元総理の言動には呆れますね。先方のインタビューに応えて「尖閣は係争地」と言ったとか。政府の見解とは異なる、個人の意見を言うのはどんなものでしょう。以前には制裁中のイランでも同じようなことをし、顰蹙を買ったことがありました。自民党の菅さんは「国賊」とも言っています。余計なことをせず、さっさと帰国して欲しいです。 ボーイング787機の事故多発にもビックリです。航空機の事故は直接人命に繋がるので、原因の解明が急がれます。目下のところ、日本製のリチウムイオンバッテリーが不調であったことが分かっています。しかも事故に共通しているのが心配。バッテリーそのものが悪いのではなく、配線などとも関係して異常に電圧が高まるようです。同機は運行中の約半分が日本の航空会社で採用されており、影響も大きいですよね。 大阪市立桜宮高校の体罰による生徒の自殺にも驚きました。生徒を1度に40回も撲るなんて、とても教育者とは言えない所業です。免職は当然としても、橋下市長の対応が極端過ぎます。体育科と健康科学科の募集を停止し、校長を含む44名の教師全員を異動させるよう教育委員会に申し入れたとか。そこを目指して頑張って来た中学生はどうなるのでしょう。感覚が異常だね、全く。 女性週刊誌の広告には、今でも皇太子妃雅子様の病気に関するものが載っています。それも好意的なものならともかく、病気をなじるような表現のものも見かけます。妃殿下が「適応障害」にしても「うつ病」にしても、とてもデリケートな病気であることには変わりないでしょう。どうしてそっとして上げられないのかなあ。日本のマスコミの感性が、そこまで堕落したことに強い憤りを感じます。 そんなこととは裏腹に、スポーツの世界の明るいニュースが飛び込んで来ました。テニスの全豪オープンで、クルム伊達公子さんが2回戦を突破し、3回戦に進出です。42歳での勝利、はこれまでの同大会の最高年齢勝利だそうです。彼女はダブルスでも2回戦を突破。38度と言う猛暑にも打ち克っての勝利は見上げたもの。なお、男子の錦織選手は3回戦突破。こちらも好調で嬉しいですね。 さて、今日はこれから妻とバス旅行に出かけます。行き先は昨日も書いたように福島県の奥会津地方。天候は雪の模様です。きっと一面の銀世界でしょう。そんな中でイチゴの食べ放題と、露天風呂を楽しみます。古いお寺にもお参りするようです。帰宅は夜遅くなってからのため、いただいたコメントへの返事も遅れ、皆さまの所へお邪魔も出来ないと思います。どうぞご了解くださいね。ではね~!!
2013.01.19
コメント(6)
「一泊するマラソンは止めてください」。突然妻がそう言い出したのは、帰省していた次男が東京に帰った数日後だったと思う。「ええっ?」私は驚いた。日帰りのレースは限られるし、復活を目指すウルトラマラソンで、日帰りなんて言うのはほとんど不可能なのだ。喧嘩になってはいけないと思い、「もう幾つか申し込んであるよ」と言って、自室へ戻った。 昨年は2度の不整脈手術を受けた。ランニングを開始したのが8月。あれから5か月経って、ようやく何とか20km以上の練習にも耐えられるようになった。これならレースへも出られそうだと思い、幾つかの大会にエントリーした。そのことは妻も知ってるはず。それなのになぜ今になってそんなことを言い出したのだろう。 第2弾はその数日後。「私はマラソンに反対だからね」。再び妻が言い出した。新年の挨拶のため実家へ行った時、妻の兄に「心臓の手術をした人間が走っても良いのか」とでも言われたのだろう。そのことは何度も妻に話した。今走っているのは主治医の了解の上なのだ。そしてジョギングが不整脈治療の一環としてアメリカで始まったことも。 もし私の体調を心配するなら、なぜ手術の時に立ち会わなかったのか。妻の性格からも手術当日は来ないだろうと、私は不安を感じつつ1人で手術室へ向かったのだ。マラソンは長年の趣味。苦しい練習に耐えたのも、いつの日にかレースに復帰するためだった。それがようやく実現しようとする時に、今さら何を言い出すのか。私は激高し、激しい口論になった。 口も利かない日が何日か続いた後、妻が言い出した。定年を待たず今年で仕事を辞めること。有給休暇がたくさん残っているので、それを利用して私と2人で旅行へ行きたいこと。そのためにお金がかかるので、私にも小遣いを有効に使って欲しいことなどだ。一応妻の言い分は分かった。そこで何処へ行きたいのか尋ねた。 ツーリストのパンフレットを見ながら「屋久島の宮之浦岳に登りたい」と言う。とんでもない話だ。「洋上のアルプス」と呼ばれる宮之浦岳は九州一の高山で2千m近い。山が深く、いわば海抜0mから登るためかなり時間がかかるし、経験と技術を要する山だ。私の説明でもう一度パンフレットを読み直すと、「上級」と書かれていたと妻。それで諦めたようだ。 「それなら縄文杉のトレッキングはどう?」と言う。パンフレットを見ると、高低差700m以上で11時間の行程。「去年行った南蔵王の2倍の時間だよ」。そう言うと、再び諦めた妻。6時間の行程であれだけ苦しんだのだから、11時間では到底体がついて行けないだろう。結局妻は「行きたい」と言う気持ちばかりで、対象となる場所の情報も持たず、自分の実力も知らないのだ。 3月の南九州だって1500mを越える山には、まだ雪が残っているだろう。その雪道を登る装備もなければ、経験もない。「先ずどんなところへ行きたいか、じっくり考えたら?」。そう言ったら、ようやく妻は納得したようだ。私もマラソンは日帰りだけに止める積りはない。体力の限界は自分で判断出来る。無理だと感じたら、自然と距離が短いレースになり、年齢と共に近場の大会に落ち着くだろうと思うのだ。 さて、明日は早朝から妻とバスツアーに出かける。これは昨年の晩秋に申し込んだもの。行き先は福島県の会津地方。それも結構山奥のようだ。多分かなりの積雪のはず。その深い雪を見ながらイチゴを食べ、露天風呂を楽しみたいと思う。そして2月は箱根の温泉に泊り、伊豆半島の河津桜を観る予定。折角の人生、なるべく喧嘩をしないで老後を楽しまないとね。
2013.01.18
コメント(6)
洗濯ものを干して、ようやくブログに向かうところだが、手がすっかりかじかんでいる。今朝も寒く、辺りは真っ白な雪景色だ。それにしても良く眠った。またまた9時間近い睡眠時間。よほど疲れていたのだろう。疲れの原因で思い当たるのは、2回の雪かきと雪道を歩いたことだけなのだが。 大雪の成人の日は4km歩いた。近くの神社を経由してバス停まで。そしてバス停から映画館の往復。地下鉄の駅から仙台駅への往復。帰りは途中でバスを降り、生協に寄った後、リカーショップで4リットルの焼酎と4合瓶のマッコリ2本を買い、雪道を歩いて帰った。5kg以上もあるリュックは、ズシリと重い。それも良いトレーニングだ。そして午後からは1回目の雪かき。 小正月の15日は、朝から2回目の雪かき。これが水を含んだ重たい雪なのだ。先ず玄関先から始め、家の周りと外の階段。そして郵便受け周辺から路地へ。ついでにお向いさんの家の前も雪かき。軽く薄い雪なら竹ぼうきでも十分なのだが、アルミの角スコップはあまり効率が良くないために疲れる。こんな大雪の際は軽いプラスチックのものが楽だし、スムーズなのだ。 その日は妻から用事を頼まれた。生協で買った品物を取りに行くことだ。妻はそこから仕事に向かうので、サービスカウンターに預けるとのこと。私の長靴も買うと聞いたので、どうしても取りに行く必要があるだろう。今ある長靴はヒビが入った年代物。水が沁み込むようでは長靴の用を足さない。ブーツはあるが、大雪の時には無理なのだ。それでもブーツとリュック姿で、1.5km先の生協までひたすら歩く。 都会と違って北国の人間が雪道で転ぶことはほとんどない。子供の時から歩き慣れているためだ。それでも老人にとって雪道は厄介なもの。雪かきした場所に日が当たれば融けている。だが日蔭は融けず、誰も歩かない場所はズブズブ状態だし、車が通った場所は融けかけでビショビショ。もちろん踏み固められてツルツルの場所もある。そんな風に千変万化する雪道は歩くと疲れるのだ。 それに長時間歩くと、靴下が脱げて来る。これは長靴やブーツのサイズが一回り大きいためだろう。生協のサービスカウンターには妻の預けた品物があった。だが、どこにも長靴はない。これはしてやられたか。長靴を買うと言えば、否応なしに私が取りに行くと考えたのだろうか。醤油に缶詰など重たいものが結構ある。それをリュックに詰めて、再び家まで歩く。この日も結構トレーニングになった。 昨日は雪道をブーツを履いての散歩。前日帰宅した妻の言い分は「26cmの長靴がなかったから買わなかったのよ」。なるほど一理ある。でも本当かなと、一瞬疑った。まあ良いさ。少しずつ雪が融けて、長靴を履かなくても今は大丈夫。それにしても雪が多くて走れない。走れそうなのは、融雪剤を撒いて雪が融けた車道くらいだ。最悪の場合は車道を走るか。この日のトレーニングは2km。 洗濯ものを干すのはベランダだが、ここもプラスチック製の「塵取り」で雪かきをした。そうでないとサンダルでは無理だし、凍る恐れもあるからだ。そしてベランダの手すりに布団を干すのは、まだ控えている。屋根に雪が積ったままなのだ。それが融けると、布団の上に落ちる可能性がある。目下ソーラーが働いているのは西側のパネルだけ。雪が降ると電力を売るより買う方が多くなる。 さて、ここまで書いているうちに指も温まった。だが、空からは白いものが落ちて来た。今日も仙台は雪の予報。2月中旬に予定していたバス旅行は、結局別な日に変更することにした。行き先は伊豆半島で、目的は河津桜。この寒さでは桜の開花も遅れるだろうと判断してのことだ。厳寒の今年は、色んな影響をもたらす。日差しは少しずつ長くなっては来たが、春はまだまだ遠そうだねえ。
2013.01.17
コメント(4)
またまた物騒な話が飛び込んで来た。北朝鮮が近々核実験をする話があるようなのだ。まあ「気違いに何とか」の類だろう。先日は「人工衛星」を発射した。あれは実質上のミサイルとの声が強い。何故そんな強硬な姿勢を見せるのだろう。暫く開かれていない6カ国協定に基づく会合で、自国に有利な状況を作り出している積りなのだろうが、不安定で危険極まりない国だ。 本来なら北朝鮮をたしなめる立場にあるのが中国。もし北と南が戦争状態になれば、北の難民が先ず逃げ込むのが国境を接している中国。その恐れも十分に感じていると思う。つい最近、中国軍部の中で、「いつ戦争状態になっても良い態勢を取るよう」指示があったそうだ。その対象は南シナ海と東シナ海のようだ。前者にはフィリピンやベトナムともめている南沙諸島、西沙諸島がある。 一方の東シナ海の方は言うまでもなく尖閣諸島。米国紙に「尖閣は我が領土で、日本に盗まれた」と全面広告を出したことは耳新しいし、連日のように中国の艦船と航空機が尖閣周辺の領海と領空を侵していることも周知の事実。海上保安庁は新たに6隻の艦船を建造して新しい監視チームを結成することにしたが、この実現までには3年の日数を要する。まあ、これも大変な辛抱だねえ。 自衛隊機が那覇基地からスクランブル発進しても、尖閣に着くまでは20分かかるようだ。先日も現場に着いた時は、中国機は領空外に出た後だった。また低空で侵入した際は、宮古島のレーダーには映らないそうだ。宮古島は標高100mほどの低い島であるため、地球の丸さが邪魔になって、中国機を捉えられないのだ。困ったもんだが、これが現実なのだ。 そこで自衛隊那覇基地のF15の一部を、宮古島の伊良部基地に移すことを検討中らしい。これも地元の承認を得る必要があるが、どうなるか。レーダーの方は石垣島の最高峰である於茂登(おもと)山の山頂に建設する案があるそうだ。この山は標高526mあり、そこにレーダーを建設すれば中国機が低空で尖閣に侵入しても、直ぐに察知することが可能になる。 それにも先ず予算を確保する必要があるだろうし、地元の承認が前提であることは変わらない。一党独裁の中国なら簡単に国の意思を示すことが可能だが、民主国家の我が国ではそうは行かず、色んな手続きと国会の承認が要るのだろう。昨日石垣市が「尖閣の日」を祝ったそうだ。明治の初期に尖閣諸島が我が国の領土になり、石垣市に編入された日が1月15日だ。 米軍はオスプレーをさらに増強して沖縄の基地に配属する計画を立てていると聞く。尖閣の現状から言えば当然の措置だろう。尖閣諸島が日米安保条約の適用範囲であることを米国議会は明確にし、承認している。だが沖縄ではオスプレーの配属に反対し、米軍基地の国外移動を訴える一方、沖縄振興予算の3千億円増額を要求し、安倍新内閣はそれ以上の予算配分を約束した。いつも通りのやり方だ。 「1.日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」。「2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」。 憲法第9条の全文である。果たしてこれで中国などの侵略に備えられるのだろうか。本当に自衛隊は軍隊でないのだろうか。平和は手を拱いていて得られるものなのだろうか。理想的で立派な条文だが、現状に鑑みればどこか現実離れしているとしか私には思えない。私が特に保守的でも、国粋主義者であるとも思わない。私は平凡な一老人。そして普通の市民だと自分では思っているのだが。 そうそう、大事なことを書き忘れていた。尖閣を奪うと言うのは中国の軍部でも穏健派で、強硬派は沖縄そのものを奪おうと考えているそうだ。それでもまだ財源の乏しい沖縄が「独立」しようと考えるだろうか。今北京では世界標準の3倍と言う極度の大気汚染によって、死者が出ている。自己矛盾から国民の目を逸らすためには、常に日本を悪者にする必要があるのだ。「困った隣国だ」と、ただ眺めているだけで良いのだろうか。う~む。
2013.01.16
コメント(12)
爆弾低気圧の通過で仙台も8年ぶりの大雪になった。昨日は朝から雪。あれほど穏やかだった前日がウソのような空模様。その雪の中を私はリュックを背負って家を出た。最初に向かったのが近所の八幡神社。境内には「どんと祭」に向けて持ち込まれた松飾りなどが積み上げられている。今日は小正月。仙台では「どんと祭」と称して、お正月の飾りを神社の境内で焼くのが年中行事の一つになっている。 次に向かったのが映画館。着いたのが9時前で、まだビルのドアが閉まっている。15分近く寒風に曝された揚句、ようやく入場。チケットを買い、10番シアターに入ったのは私一人。これは私のためだけの映写会になるんだろうか。そんな淡い期待も、次々に入って来た観客に消されてしまった。やっぱりねえ。どんな映画でも観客がたった1人だけなんてある訳ないもんね。 『渾身』の舞台は隠岐島。「おきのしま」と呼ぶこの島の名を聞いたことはあるだろう。だが、どんな島かを知ってる人は少ないと思う。島根県に属し、日本海に浮かぶ隠岐島は古来「隠岐国」が置かれている。だから国分寺もある歴史ある島なのだ。鎌倉幕府の倒壊を目論んだ後醍醐天皇が一時流刑された島としても有名。その北方の彼方に島根県に所属する竹島がある。 自然が豊かで牛突き(闘牛)が盛んな過疎の島。よその土地からの移住も大歓迎されるほどの寂れた島に、水若酢(みずわかす)と言う名の神社がある。延喜式にも載っている由緒ある神社で、戦前は「国幣中社」であった。祭神は古事記や日本書紀では聞いたこともない名前。きっと古くから島の人達に信仰された国つ神(在来の神)だと思う。 この神社では20年に1度遷宮が行われる。その遷宮を記念して、古典相撲が奉納される。映画のテーマはこの古典相撲なのだ。ある事情から島を離れた青年が、島に戻って来る。勘当されたため、実家には帰れず、その日暮らしで身を立てる。アルバイトで運転手をしたり、海に潜ってサザエやアワビを獲る。その青年がやがて仲間と共に古典相撲に打ち込むようになる。 奉納相撲の日まで、激しい稽古が続く。文字通り鍛えられた肉体と肉体がぶつかり合う。主役の青年は素人だが、相手は長い間相撲を取り続けて来た島民ばかり。相撲で鍛えた筋肉はまるで鋼(はがね)のように強く美しい。その体から汗が飛び散り、何度も土俵に転がされて汚れて行く。その努力の甲斐があって、青年は地区の代表として大関に推奨される。 奉納相撲の当日、神社の土俵上では翌朝まで延々と取り組みが続く。相撲は神前に捧げる神事なのだ。だからその所作(しょさ)が美しい。きっと相撲の原点は、ああだったのだろう。我が国の相撲は、垂仁天皇の命により当麻蹴速(たいまのけはや)と野見宿禰(のみのすくね)が戦ったのが最初とされている。この時は野見宿禰が相手を投げ殺したそうだ。「相撲」とは相手を撲(なぐ)ると書く。それだけ荒々しい力技だった訳だ。 結びの一番、いよいよ青年は土俵に上がる。相手は名うての強者。共に堂々たる土俵入りで、型通りの仕切りも美しい。応援する群衆から播かれる塩の量が凄い。頭から体から、廻し、そして土俵までが真っ白になるくらい。戦いは一旦「水」が入る熱戦。再戦の結果、青年の身に起きた異変とは何か。 映画に登場する俳優はわずか10名ほど。それ以外は全て島の人達だ。それが何の不自然さを感じさせない出来栄え。美しい風景と厳しい自然環境。そこに繰り広げられる人々の暮らしと伝統行事。それらが混然一体となった映画で、覚悟を決めた人間の潔さと愛の深さを知らされた作品だった。 午後から自宅の雪かきをした。その時で既に15cmほどはあったと思う。夕方のニュースでは、「裸詣り」が映った。男達は下帯1本の姿で神社にお参りし、一年間の無病息災と家内安全を祈って、「どんと祭」の火を浴びるのだ。そこに『渾身』の奉納相撲と共通する無垢の信仰を感じた。今朝は2度目の雪かき。降り積もった雪の量は、合わせて23cmほどか。「爆弾低気圧」の凄さを体験した一日だった。
2013.01.15
コメント(6)
ある新聞が実施した健康に関するアンケート調査の結果を紹介しましょう。これは予め選んだ「健康に悪そう」と思われる28の項目から、最大7つまで選んでもらって集計したようです。 「健康に悪そう」の第1位に選ばれたのはタバコ。まあ、これは良く分かります。何せ約200種類の発がん物質を含む毒ガスを発し、健康を妨げることは誰でも知ってますものね。それに乳幼児の誤飲の約3割は、このタバコ。そこで平気でタバコを吸ってるあなた、辺りの人が迷惑です。さっさと止めた方が良いですよ!! 第2位は「飲み過ぎ」。誰です、「二日酔いで頭が痛い」なんて言ってるのは? 日本人は遺伝的にアルコールを分解する酵素を持ってない人が多い民族なんですってね。あまりアルコールを摂取していると、脂肪肝になったりもしますよね。気をつけましょう飲み過ぎに。因みに私の晩酌は焼酎の水割り1杯程度です。 第3位は運動不足。何だか現代人の典型みたいな現象ですねえ。食べ過ぎ、飲み過ぎに運動不足じゃ、一体どうなるんだろう。せめて休日は歩いてくださいよ~。人間は脚から衰えるって言うじゃありませんか。 第4位は食べ過ぎ。やっぱりね。美味しいものを食べるのは最大の喜びですけど、食べ過ぎはいけませんね。使うエネルギー量と摂取するエネルギーが不均衡になるから太るんですよ。ゴールの先には「生活習慣病」が待ってますよ、そこのあなた。 第5位が寝不足、夜更かし。これも現代人の生活の一パターンでしょうが、「体内時計」が狂ってしまったんでしょうね。案外多いんです、この結果睡眠障害になる人が。やっぱり「早寝早起き」が一番ですよ。 第6位はストレス。人間関係が複雑な現代人には、避けられないものかもね。でも人間はストレスを乗り越えて行くことで鍛えられ、進歩する良い面もあるそうです。まあ、過度のストレスにならないよう、上手に生活するのが一番かな。 第7位は野菜嫌いなどの偏食。野菜や果物の摂取は栄養のバランスだけでなく、体調を整え排便を促す効果が高いですものね。1日30品目の食品を食べるのが理想みたいですが、それは無理としてもせめて「食べず嫌い」はなくしたいですね。 第8位が無理なダイエット。まあ、これは若い人かな? 先ず朝食を摂らないと、1日の始まりから元気が出なくなりますよ。先ずはストレスを減らし、食べ過ぎに注意し、体を動かしていれば、ダイエットも不要だと思うんですがね。 第9位は飲んだ後の「締め」。ラーメンが定番の人も結構多いのかな? アルコール摂取後にラーメンを食べると、肝臓の働きを助ける効果があると何かで読んだ覚えがあるんだけど、案外これを不健康と感じる人が多いんだねえ。まあ、深夜の食べ過ぎは良くないですけどね。 第10位は早食いだって。サラリーマンは時間がないからねえ。それでもちゃんと噛んで食べないと、「満腹中枢」が刺激されないって知ってました~?ゆっくり噛んで食べると、少しの量でも満足出来るんです。それにインシュリンの分泌が促されますからね。 以下、11位サプリメントの摂り過ぎ。12位インスタント食品。13位コンビニ食、ファストフード。14位過剰な冷暖房。15位過度な運動。16位残業、休日出勤。17位夫婦喧嘩。18位借金。19位日焼け。20位ギャンブルと続きます。何か思い当たることがありましたか~? 逆に健康に良いことの例として選ばれた1位が散歩。2位がバランス良い食事。3位禁煙。4位十分な水分の摂取。5位が腹八分目の節食だそうです。どうです、何かヒントになったことがありましたか~?健康に良いと思われることは大いにやり、健康に悪そうなものは極力避けたいですね。人間何と言っても健康が第一。病気になると不要なお金もかかりますぞ~。
2013.01.14
コメント(12)
ブログを書き上げ、布団を上げていると階下から妻の声がした。昨日の朝のことだ。階段を降りて居間に行くと、コタツを作って欲しいとのこと。既に掃除を終えた後のようだが、コタツ布団が重かったのだろう。それにしては不機嫌そうな声。まあいつものことと思いつつ、コタツをセットした。玄関には前日出していた古新聞などが既に紐で縛ってある。 ははあ、不機嫌の原因はこれか。食後にでも片づけようと思っていたのだが、掃除の邪魔になるため、珍しく自分で縛ったようだ。不格好なのは、ちゃんと入れ直さないからだが、黙って自分の部屋に戻った。「はたき」をかけ、掃除機をかけ、最後にモップで板の部分を空拭き。これが窓を開けているため、猛烈に寒い。もちろん窓は結露が凍っている。 1階に下りてシャッターを上げる。このシャッターが二重サッシの役割を果たして、1階は暖かい。おまけに居間には空調が入っている。冷蔵庫みたいな我が部屋とは天国と地獄の差なのだ。それでもじっと春を待つ植物のように耐えているのだが。朝食後は連続ドラマ「純と愛」を観る。相変わらずの酷い内容だが面白いのは面白い。 玄関と物置の資源ごみをガレージに移動。強風で飛んだアルミ缶は袋に入れ直した。それらは全て子供会の資金になる。次いで掃除機の中のゴミを取り出し、フィルターの粉じんを刷毛で丁寧に落とす。それから落ち葉を掃き、生ごみをコンポスト容器に捨てて土を被せる。蓋も土も凍っている。大量の生ごみは春まで腐らないままだ。 次に白菜を1個畑から採り、外側の葉を裏庭に捨てる。このところの寒さで、結構中まで凍るようになった。全国的に野菜が高い今は、これでも大事な食糧なのだ。台所で白菜を8つ切りにし、玄関の前に干す。それからようやくお茶を飲み、新聞を読む。その時にあった妻の「要求」はいずれ記したい。気まずい雰囲気になって私は自室へと退散した。 妻が走りに行ったので、私もランの準備。風もなく穏やかな日に走らないのは勿体ない。コースは23kmだが、戻れば1時は過ぎるだろう。水は持たず、小銭が入ったポシェットのみ。手袋は軽いもので帽子も不要。問題は坂道の雪だが、やはり心配した通り日蔭の部分がかなり凍っていた。麓の熊野神社付近には「14日のどんと祭当日は一方通行とします」の標示。 寒々しい堤防を左岸に渡ると、後から若いランナーが抜いて行った。まあ足取りの軽やかさが羨ましい。一方の私は、膝の周辺が突っ張る感じ。慌てて膝を廻してストレッチ。また左足首に微妙な痛み。これは昨年の秋ごろにクルミを踏んだ後遺症だ。14年ほど前に雪道で自転車が転倒し、酷い捻挫をしたことがあった。あの時に靭帯が伸びてしまった影響か、足首からカタカタと音がする。 スピードが出ず苦しい。折角好調に復活しかけたのが、年末年始の腰痛発生以来体が堅くなり、走りがぎこちなくなってしまったのだ。地下鉄の駅でトイレに入り、駅前でホットレモンを購入。甘酸っぱい暖かい飲み物が美味しい。時間は既に1時を廻っている。再びザル川の土手に上った時、老人夫妻が私を呼んだ。「ええっ?」顔に見覚えがあるが、誰だったか。 2番目の職場の運転手さんだったKさんだ。顔を観て直ぐに私だと分かり、最後に会ったのが20数年前であることも覚えていた。そう言えば全国を転勤していた私が、元の職場に顔を出したことがあった。若き日の彼のロマンスや、職場のソフトボール大会のこと、彼の仲間達のことも一気に思い出した。70歳は過ぎたそうだ。「お元気で」と手を振って別れたが、近所に住んでいたとは意外だった。 帰宅して直ぐに着替え、干していた布団を取り込む。ついでに風呂の掃除。それからようやく昼食の支度。食べ終わった時は既に2時。空腹ではあっても量は少なめで十分。買い物から帰った妻が、「餡子が最後だから食べて」と言う。少し味がおかしくなっていた。正月も今日でもう12日。明後日は「どんと祭」だもの、冷蔵庫の餡子だってそろそろ悪くなるさ。
2013.01.13
コメント(6)
昨日で「東日本大震災」から1年10カ月。昨年末までの余震は9333回に上るそうだ。東北大学災害科学国際研究所の遠田教授によれば、昨年12月7日にあった震度5弱の余震はマグニチュード7.4で、これは「阪神淡路大震災」と同じ強さなのだとか。大きな被害が出なかったのは、直下型ではなく震源が宮城県沖240kmの海底だったからで、今後も大規模な余震は続く由。困ったことだ。 独立行政法人中央水産研究所が、このたび福島県と宮城県沖の魚アイナメなど30匹から「耳石」を採取した由。これは海水中の放射能の汚染度を正確に調査するための手がかりになるようだ。特に福島県の漁師は、生活の見通しが全く立っていないのが現状。研究の成果が上がって、一日も早い漁業の復興が望まれる。 福井県三方五湖の1つに水月湖と言う小さな湖がある。2006年の夏に、英国ニューキャッスル大学の中川教授がこの湖底から深さ70m分の土を採取した。1年分の堆積は最小で0.3mm以下で、70mは52800年分に相当する由。これを分析するとそれぞれの時代の気候が分かる。この層を今後「考古学時代の気候の世界標準」として年代測定に組み込むことが昨年夏の国際会議で議決されたそうだ。変化が少ない小さな湖だったから、こんな奇跡が起きたんだねえ。 「海のモンスター」と呼ばれる大王イカが海中で泳ぐ姿を世界で初めて撮影するのに成功したのがNHK。場所は小笠原諸島父島の東沖で水深は630m。このイカは最大で18mにもなる怪物で、海洋小説「白鯨」では、巨大な鯨と戦っている。撮影に成功したのは3mのものだが、それでも目の直径が30cm、吸盤が5cmあったそうだ。13日(日)の夜、「NHKスペシャル」で放送予定。 同じ「大王」がついても、三重県の鳥羽水族館のダイオウグソクムシはとても変わっている。これは深海に生息する甲殻類の1種だが、なんと2009年に1匹のアジを食べた後、ずっと餌を食べておらず絶食5年目になるそうだ。それでも09年当時の体重が1040gなのに比べて、わずか12gしか減ってないのが不思議。どうやって生きているんだろうね。ふ~む。 国立環境研究所と北海道大学の共同研究によれば、日本近海でのサンゴの死滅が着々と進んでいるようだ。このまま二酸化炭素の排出のペースが続けば、サンゴの「白化現象」が加速し、さらに海洋の酸化が進むと2060年代には九州から四国の一部にしかサンゴは棲めなくなり、2070年代には全滅するそうだ。海は陸の汚染をまともに受ける。沖縄の美しいサンゴの運命はどうなるのだろう。
2013.01.12
コメント(10)
いくたびも 雪の深さを 尋ねけり 明治29年2月。正岡子規29歳の句である。所は東京根岸の自宅。結核性の脊椎カリエスにり患した子規は寝たきりになり、降り積もる雪の様子を何度も家族に聞いていた。その頃の東京では結構雪が多かったのだろう。そして四国の松山が故郷の子規にとって、雪は珍しい存在だったのだろう。 この冬は一段と寒さが厳しい。西高東低の気圧配置が連日のように続き、日本列島は寒波に覆われ通しだ。一昨日も寒かった。干した洗濯ものが凍りつくような寒さで、雪が舞った。これじゃ乾かないと一旦家の中に取り込み、日が差した頃に再び外へ干した。だが夕方になっても乾かず、結局はヒーターを点けて乾かした。この日、正午前で零下2.4度だった由。 そんな日、私は朝からある作業をした。領収書を私と妻の分に分け、しかも月日順に並べる。それを月別に集計し、用紙に書き込む作業だ。来月には確定申告が始まるが、これは医療控除の準備なのだ。昨年は2度入院して2度手術を受けた。合計で120万円ほどかかったが、高額医療の補助と生命保険が利いて、ほとんど相殺された。 だから作業はほとんど外来関係のもの。循環器内科が2か所、整形外科に整骨院、そして歯科。もちろん薬局の分もある。合計で15万円を越えた。一方妻の分は整形外科と歯科で1万円台。合計で16万円になるのは初めてだ。確か11万円以上の医療費に適用されるので、資格は十分にある。果たしてどれくらい返還されるのだろう。 これだけ医療費がかかったのだから、一頃妻が不機嫌だったのも頷ける。もっともこれは自分の不注意で起きたことではない。ほとんどが加齢によるものだが、震災時のストレスも大きかったと思う。念のために入院時の領収書と、保険会社の証明書も準備した。これに加えて辞めた会社の所得証明と生命保険、地震保険の証明書、そして個人年金の証明書も揃った。残すは公的年金の証明書のみ。これも間もなく届くはずだ。 年金生活者ですらきちんと所得を申告するのに、こともあろうに納税のCMに出ていた坂東英二が脱税したとは呆れた話。それが明らかになってから、既に撮り終えた「世界ふしぎ発見」のVTRから彼の画像が削除されたそうだ。そのうち名物番組から降板することになるのではないか。それでもまだとある会計事務所のCMには、白々しい笑顔で出て来る。この~っ!! 昨日は近所の坂道を走った。いつものコースが凍結し、危険と判断したためだ。坂道を単純に往復するのはきつい。最上部はかなり傾斜が厳しいのだ。1往復して約3km。最低でも5回は往復しようとしたのだが、途中から吹雪。厚手の手袋を通して寒気が忍び込む。とうとう気持ちが折れ、4往復12kmで止めた。 走友Kazuさんのブログへのコメントを見たら、古川組のT田さんとK彦さんは昨日までに164kmを走った由。仙台より遥かに寒い古川は、最低気温が零下10度近い日がある。そんな寒さの中で1日平均16km余りを走るのは、並大抵の苦労ではないだろう。今年にかける意気込みの現れだろうが、2人とも凄い練習量だ。 私はちょうどその半分の82km。1日平均8kmのペースだ。それでも昨日はある準備をした。銀行でお金を下ろし、郵便局で「仙台国際ハーフ」の参加料を振り込み、スーパーで10kgの米を買い、リュックに入れ歩いて帰った。そして午後は吹雪の中のラン。今はこんな程度だが、暖かくなればもっと体が動くはず。先ずは健康であることに感謝しないとね。
2013.01.11
コメント(6)
「新年あけましておめでとうございます。昨年は、5月末、中国北京に行ってきました。早朝の天安門広場や天壇公園に走って行き、じい様、ばあ様たちの太極拳に参加しました。万里の長城に行きました。2000年以上前、電気やガスや何の動力もない時代、しかも敵と戦いながら万里に及ぶ壮大なものを作りました。その時の土木工事に比べれば難しいことではないと思いました。まだまだ見たこともない所、見てみたい、行ってみたいです」。 「10月初めに東京の24時間マラソンに参加しました。ちょうど2年ぶりに大会参加しました。私は6時間半で走れなくなり、約60kmでリタイヤしました。日本の24時間マラソンのトップの方々の走りを見ることができ、感動しました。ボランティアの方々がランナー以上に一生懸命されていたのが印象的でした」。 「11月初めより通勤ランを再開しました。2010年6月末より環境を変え、その半年前から通勤ランをしていませんでしたので、約3年ぶりの再開となりました。今は夜の難波、四ツ橋を抜け、今まで知らなかった大阪の街を走っています。12月1日誕生日。フルを越え、年齢もいよいよウルトラマラソンが始まりました。2013年1月1日。六甲摩耶山からスタートします」。 「身体の具合はいかがでしょうか。元気で動けることに感謝します。色々なことにチャレンジ出来て幸せです。感謝します。いつまでもお元気で!」。 神戸のNさんから戴いた1800文字の年賀状の全文である。写真は元旦の摩耶山から見た初日。そして眼下には神戸の港が見える。その横の小さな写真は「リヤカー」の文字。 彼と初めて出会ったのは12年前。金沢の兼六園前の「佐藤桜」の前だった。そこは名古屋から金沢まで走る「ネーチャーラン」250kmのゴール地点。お互いに知人のランナーのゴールを迎えようとしていたのだ。私は当時57歳。彼は30歳で、ウルトラマラソンに憧れる青年だった。知り合ったきっかけはとある「掲示板」。私は毎日のように書き込んでいたが、彼は確か2、3度だけ。 会ったのもその時のただ1度だけだったのに、未だに年賀状のやりとりが続いているのは、転勤族だったかつての私の「日記」を、読んでくれていたからだと思う。彼はその後精進して、「ネーチャーラン」や「スパルタスロン」を何度も完走するエリートランナーになった。私もそのイメージを強く持っていたのだが、どうやらここ2、3年の間に大きな心境の変化があったようだ。 レース参加は2年ぶりだったと言う。それも60kmでのリタイヤ。それで3年ぶりに通勤ラン(帰宅ラン)を始めたのだろうか。それにしても長い柄のついた小さなリヤカーは何なのだろう。とても軽そうな作りなので、きっと押しながら(あるいは引っ張りながら)走るためのものではないか。ここ数年、それを持ってどこか旅をしていたのかも知れないなどと勝手な想像をしている。 最後の文節は、私が手術したことを知り、あて名側に書き加えたもの。小さな文字で丁寧に書かれた1800文字の文章は、彼の人柄を良く表わしている。決して目立たない彼。しかし芯がしっかりした素直な青年だ。長い人生にはこんな風に「立ち止まる」こともある。その時に何を考え、何に気づいて再出発するかが大切だと思う。 「元気で動けることに感謝します。色々なことにチャレンジ出来て幸せです。感謝します」。何と清々しい心境だろう。その気持ちがあれば、どこに向かっても困難を乗り越えることが出来るだろう。自分の子供くらいの年齢のNさんだが、良い友人を持てて幸せ者だとしみじみ思うのである。これだから人生は面白い。
2013.01.10
コメント(6)
昨日1月8日が「平成」のスタートした日。24年前に昭和天皇が崩御され、「平成」と言う新しい年号が書かれたボードを高々と掲げた小渕さんの姿が、鮮やかに脳裏に蘇る。その小渕さんもその後亡くなった。平成も早や25年。沖縄との付き合いも、平成元年に始まった。もう1年で四半世紀に達するのだ。 奥様の代筆で届いたSさんの年賀状だが、その後「寒中見舞い」が届いた。暮れの24日に80歳で永眠したと書かれてある。丁寧な文章と丁寧な毛筆のあて名。奥様も80近いだろうに、とてもしっかりした対応に感心した。Sさんとはわずか1年の付き合いだった。専門が違っていた彼を、上司が引き抜いたのだが、翌年他の部署へ異動された。茨城からの39回目の年賀状が、とうとう最後のものになった。合掌。 石川のNさんからも年賀状をいただいた。今年87歳になられる由。もうすぐ米寿のNさんは、この度引退したゴジラ松井が卒業した中学校の校長先生。私が石川の職場に転勤した時は、校長を辞めて小さな博物館の館長をされていた。何度か訪れた縁で、私も土地の方を相手に歴史の話をさせていただいたことがある。山奥の沼に子供達を引率し、モリアオガエルを観察させているNさんの姿も何度かお見かけした。 昨年は確か年賀状が届かなかったはず。それで住所録から消したのだが、今年再び届いた年賀状には「私の元気な様子を知るのが楽しみ」と書かれていた。慌てて年賀状を出したのは言うまでもない。穏やかな人柄のNさんから、中学生時代の松井の話を何度か聞いた。当時からしっかりした少年だったようだ。Nさんの自宅にお邪魔したことも、今は懐かしい思い出だ。 広島のIさんの年賀状には、巨大なタイを差し上げた姿が写っている。きっと日本海で釣り上げたものだろう。その釣りも、最近では数えるほどしか行かないと書かれていた。彼は8番目の職場の同僚。担当は異なっていたが、オーストラリアへの出張は、ほとんど彼が準備をしてくれた。暮れにはドイツ語で「第9」を歌った由。相変わらずボランティア活動を続けているともあった。 大学時代の後輩であるT君も、年末にドイツ語で「第9」を歌ったようだ。だが、その直後に入院し、ようやく退院したばかりのようだ。自衛隊員だったが洒脱な男で、いつも笑っていた学生時代の彼。「三が日 伏して夢みた 粋な恋」。年賀状には冗談とも本気ともつかない俳句が書かれていた。入院中の病院に素敵な看護師さんでも居たのだろうか。 津波で店と工場を失った高校時代のクラスメートSから、2年ぶりに年賀状が届いた。彼が住むのは港町。自宅は高台にあるが、船具店は海岸沿いにある。きっと昨年は年賀状どころではなかったのだろう。今年はいつもながらの明るい文章。何とか生活が落ち着き、「古稀」を祝う会で再会できると良いのだが。 大学の後輩のSさんは山手の団地に住んでいる。そこは地震で地盤が崩れたところ。ひょっとして彼女の家も大きな被害があったのではと心配していた。今年も年賀状が来ない。やっぱり何かあったのだと思っていたら、遅れて届いた年賀状には「昨年入院した母親が薬の副作用で再起不能になり、目下介護生活中」とあった。生きるための戦いはまだまだ続きそうだ。頑張れSさ~ん!! 走友会の仲間Eちゃんからは、年賀状ではなく、写真が入った封筒が届いた。昨年の7月にあった走友会仲間の結婚式に出た時のもの。あの頃私は体調が悪く、全く走れない状態だった。だが写真の私はそんなことを感じさせない満面の笑み。忘年会に参加出来なかったため、わざわざ郵送してくれたのだと思う。その彼女も、「昨年は体調が悪かった」とある。そして今年は「仙台国際ハーフ」を目標にするとも。一緒だねEちゃん。俺も故郷の街を初めて走るのが今年の夢なんだよ。
2013.01.09
コメント(8)
昨夜は2度トイレに起き、次に目が覚めたのは朝の6時半だった。床に着いたのが9時頃だったので、9時間半の睡眠。前日23km走った疲れが出たのだと思う。カーテンを開けると家々の屋根が真っ白に覆われている。この冬何度目かの雪だ。 そう言えば年賀状にも何枚か雪の写真があった。筑波時代のバトミントン仲間Uさんからのものは、福島県猫魔岳の一面真っ白な雪と樹氷。職場は違っていたのに、未だに年賀状が届く。山形のUさんからのものは穂高連峰ジャンダルムの絶壁。「日本100名山」完登まで残り26座。「後2、3年かかるがガンバリます」とある。若い頃研修で一緒だった一夏の出会いが、未だに年賀状のやりとりが続いている。 ブログでもたまに雪の写真を見る。稚内の方は積雪が50cmを越える写真。晴れた日には樺太の真っ白い山々。その写真も観たが年配の彼が樺太ではなく「サハリン」と書くのが悲しい。新潟の銀のねこさんは、新年早々からの雪山ラン。年々強さが増す彼女だが、育児の陰でこんな努力をしているのだ。みんな良く頑張っているねえ。 その「頑張る」が好きでない人も稀にいる。香川のTさんはレース中に「頑張れ!」と言われるのが嫌いだそうだ。本人は必死で頑張っているのに、その上頑張れと声援されると辛い由。古稀を過ぎた彼は昨年100kmのレースを完走し、ハーモニカの演奏を11回開いている。茨城のSさんは僧侶。人生は頑張るのが当たり前なので、敢えて頑張ると言う必要はないとの考えのようだ。ふ~む。 私は「頑張る」も「一生懸命」も結構好きな方。そして日本人は真面目なので、大抵の人はこの言葉が好きだと思う。茨城のSさんは宗教活動の合間を見て本を著し、陶器の作品展を開かれている。まさに「頑張る」手本みたいだ。 沖縄の知人2人の年賀状には、基地反対、オスプレー配属反対の字句。それが沖縄人の普通の気持ちだと思う反面、不思議にも感じる。それだけ反対しているのに、何故選挙では自民党が圧勝するのだろう。太田元県知事の「本土の人は沖縄を植民地と思っているんじゃないか」との年末の発言には驚いた。そう思う日本人は1人もいないはず。それなのになぜ被害者意識が強いのだろう。 それは沖縄が長い歴史の中で「差別」を受け続けたせい。いや正確には「差別」を受けたと「感じる」ためだろう。江戸初期の薩摩藩の侵攻、明治期の琉球処分、太平洋戦争の地上戦、戦後の米軍統治、そして日本復帰。それらを屈辱的と感じる人がいるのも事実。加えて幼少からの学校教育と、琉球新報と沖縄タイムス2大紙の主張で、それが「真実」になるのだろう。 潤沢な振興予算を与えられてなおかつ「悪いのは米軍と日本政府」はおかしくないだろうか。一体誰がその平和な島を守るんだろう。沖縄の走友Hさんからの年賀状が遅れて届いた。私が不整脈の手術を2回行ったことを知って驚いたのだと思う。あの南の島を再び走りたいものだ。沖縄に寄せる私の想いを確かめるためにも。
2013.01.08
コメント(8)
冷え切った部屋でシャコバサボテンが咲いている。年末に移動した植木鉢の一つを、そのまま私の部屋に置いているのだが、小さな鉢でも植物が身近にあるのは良いものだ。低体温になりかけた一昨日の疲労は、何とか回復した。そう言えば、箱根駅伝の5区山登りで棄権した2校の選手は、低体温と脱水症状だったと言う。 あそこは900m近い高さまで登る区間。さすがに長袖で走っているが、それでも気温が低く、指先はかじかむことだろう。あれだけスピードのある選手達でも低体温になるのだから、私のような遅い選手は余計冷気に曝される時間が長くなる。モンブランのトレイルレースに出たAさんも低体温でリタイヤしたと聞いた。途中で手袋を落としたのが原因で、夜だったため探しても見つからなかったそうだ。 1月末にある「勝田マラソン」の35km地点周辺でも、良く道端で倒れている選手を見かけた。たいていはランパン、ランシャツ姿だった。走っているうちは何とか体温が保てるが、一旦ガス欠で走れなくなったら直ぐに体が冷え切って痙攣し、立ち上がれなくなるのだ。私も完走のイメージは抱いているが、1年4カ月レースから遠ざかっていた間の筋力と走力の低下が、果たしてどう出るか。 新大河ドラマ「八重の桜」が昨夜から始まった。舞台は幕末の会津藩。藩主松平容保のりりしい姿が印象的だった。お転婆娘の八重が、これからどんな成長を見せるのだろう。容保はやがて京都守護職を命じられ、新撰組との関係が深まる。初回から出た「ならぬものはなりませぬ」の言葉は、会津若松市内の至るところで見かける。会津藩の質実剛健の精神が、今も街中で息づいているのだ。福島出身の西田敏行が演じる家老の会津弁はさすがに本物だった。 東京築地の初競りで、青森県大間産のクロマグロが1億5千万円以上の高値で競り落とされたニュースには驚いた。キロ当たり540万円の計算のようだ。中国と日本の寿司チェーンが毎年競争した結果だが、どこか異常な雰囲気が漂う感じがしてならない。高額で入手したマグロを1貫400円弱で提供するチェーン店は、相当儲かっているのだろう。これではクロマグロの絶滅も近いのではないか。 東北楽天のエース、田中マー君達1988年生まれのプロ野球選手が、被災地の少年を相手に野球教室を開いた。参加したのはほかに日ハムの斎藤や広島の前田投手。そのマー君だが、今シーズン後彼が望めば大リーグに挑戦しても良いと球団側が言い出した。もちろんマー君はやる気満々だ。多分WBCでも相当の活躍をするはず。そしてペナントレースでも実力を発揮するのは間違いない。 ファンとして嬉しいが、大リーグではNYヤンキースほか数球団が、早くも食指を動かしていると聞く。ヤンキースはダルビッシュを取り損なったことを相当後悔しているのだ。マー君の背番号「18」が入ったユニフォームを持つ私としてはとても複雑な気分。今シーズン限りで彼の姿が見られなくなるのは淋しいのだよねえ。どうなるのかなマー君。
2013.01.07
コメント(8)
次男が居なくなった部屋に掃除機をかけ、ゴミを出し、ストーブの灯油を抜き、そして植木鉢を運び込む。別の部屋に移されていた植物達は、寒さで凍えているようだ。乾いた土に水を注ぐ。そのうちまた元気になるだろう。妻は次男が使ったシーツやパジャマなどを洗濯。我が家はまた夫婦2人だけの静かな生活に戻った。 小学生の頃は少年野球をしていた次男は人の言うことも良く聞いた。それが高校時代を1人で過ごしてから、自堕落になったようだ。進んだのが私立高校だったため、私の転勤先へ一緒に行けなかったのだ。東京に進学してからも借金してアメリカに遊びに行ったりの自由奔放な行動。彼の腰痛も人生を甘く考えている罰のような気がしてならない。早く精神的な自立をしてくれたら、親としては嬉しいのだが。 雪山での遭難が続いている。冬山登山の人が圧倒的に多い。それも中高年だ。天候が大荒れになれば冬山では事故につながる。それでも出かけて行き、中には尊い生命を落とす人もいる。自分の技術や体力には自信があるのだろうが、天候の変化に対応し切れなかったのだろうか。残された家族の不安はどんなだろう。それにヘリコプターが出動すれば、請求額も巨大ななものになるはずだ。 さて、風が治まった昨日、私は走りに行った。幾つかのことを試すためだ。実験の第1は距離。昨年末から強風と寒さが続き、走ったのは12kmくらいが多かった。今月末のマラニックは44kmなので、23kmのコースを選んだ。実験の第2はシューズ。レース用に買ったシューズを最初に履いた時は肉刺(まめ)が出来た。それで今回はインソールを2重にし、「隙間」を減らしてみたのだ。 実験の3つ目は呼吸。走る時は「口呼吸」が常だが、冬は空気が冷たく乾燥しているため口が乾き易く、また肺への負担が大きくなる。それで極力「鼻呼吸」をして見ようと思ったのだ。手には水が入ったペットボトルを持った。12kmなら給水が無くても済むが23kmだとそうは行かない。走り出すと足底への衝撃が強いのを感じた。シューズによって感覚が違うため、長距離のレースで履くためには実験が欠かせないのだ。 早速体が冷え、公衆トイレに飛び込む。気温は2度ほどだが日差しがあれば長袖Tシャツとロングタイツで大丈夫なはず。その服装も実験のうち。坂道や山に雪はなかった。それに道路が凍結していないのが助かる。最高部まで登ると標高は200mほど。遥か彼方に牡鹿半島が見えた。 そこから名取川へと向かう。途中の神社に参拝客は見えない。年末年始は多分混んだはず。堤防の上はさすがに寒い。用水濠に流れ込む小川がバリバリ凍っている。木々はすっかり葉を落として丸裸。右岸から左岸に移った辺りから日が翳り、急激に気温が下がった。膝周辺に違和感。きっと冷えたせいだろう。 長い堤防の前方からランナー。下は半ズボンだが上は長袖と半袖の重ね着。お互いに手を挙げて挨拶。暫くすると後ろからロードレーサーが追い抜いて行った。こちらも冬用の装備。風をもろに受ける自転車は、十分な寒さ対策が必要だ。いつもの個所から折り返し、ザル川に沿って西行。雪を戴いた奥羽山脈がちらっと見えた。手がかじかむ。スピードも出ず、走るのが辛い。 国道を横切って路地に入ると、体がふらついて来た。低体温の影響だろう。おまけにガス欠。やはり2か月ほど20kmを越える距離を走っておらず、スタミナ不足。早く家に帰って、甘いものや暖かいものが食べたい。その一心で最後の頑張り。自分では楽々走れると思っていたが、過信だった。だが、2重のインソールにしたシューズは合格。 2時間44分かかって帰宅。着替えを済ませて遅い昼食。作ったのは生ソバと餡子餅。丼で手を温め、汁を飲んで塩分の補給。少し伸び切った餡子餅も美味い。月末の「寅さん詣り」は今日よリ距離が20km以上長い。長時間江戸川の寒風に曝されるため、その対策を練る必要がある。自信は大切だが過信は禁物。まして慢心など事故の元。何事も「備えあれば憂いなし」だ。
2013.01.06
コメント(8)
≪ 健康編 ≫ 3日の朝、いつも通りにブログを書き終えて居間に行くが、妻の姿は無い。既に7時は過ぎている。腹が空いたので自分で食事の用意。残った澄まし汁をお雑煮の代わりにし、セリを刻む。餡子を水に溶き、鍋を温める。3個の餅はトースターで軽く焼き、その後鍋へ。お節の残りを適宜皿に盛り、とろりと濁った濁り酒と原酒をぐい飲みでいただく。間もなく箱根の復路のスタートだ。 そのうちに妻が起きて来た。前日から仕事が始まった彼女は、昼食もたっぷり食べたようだ。また、寝る前に冷たい牛乳を飲んだ由。それが原因なのか、夜中に胃が痛み眠れなくなったそうだ。それで胃薬と睡眠薬を飲んだのが事の真相みたい。胃痛は治まったし、7時間眠れて良かったと彼女。痩せているのに、最近は私よりも良く食べるので驚いていたのだが、胃はそれほど強くないのだ。 年賀状にも幾つか気がかりなものがあった。徳島のMさんは静脈瘤の手術を受けたそうだ。歳は私より3つ若い。野球の審判をやるなどスポーツマンだった彼が、今は散歩くらいしか出来ないのは悔しいだろう。大学時代のクラスメートだったI君は、胆のう結石と腎臓の摘出術を受けた由。彼の海辺の別荘は津波に流され、本宅も激震で被害を受けたようだが、健康も心配だ。 茨城のSさんは筑波勤務時代の先輩で認知症に罹っていた。それでも毎年たどたどしい文字の年賀状をくれていた。今年は整っている女文字の書き込みがある。きっと奥様が代わって書いたのだと思う。歩けなくなり、目下リハビリに励んでいるとあった。宮崎の弟は白内障の手術を受けたと書いてあった。私も不整脈の手術をした時は彼に知らせず、兄嫁からの電話で後日知ったと思う。 東京のA君は毎年私の年賀状を見て驚いている由。そんなに走って逆に体に負担をかけないかと心配してるようだ。今年は不整脈手術のことも書いたので、きっと「やっぱりなあ」と思っているはず。だがジョギングが不整脈治療のためにアメリカで始まったことや、「ホノルルマラソン」が元々は心臓を患った人のための大会だったことを知らない人が多いのだ。 次男の腰痛の原因はヘルニアとのこと。それも仕事中の姿勢に関係してるようだ。だが、親の目から見たら、生活自体が不摂生なのだと思う。4日にようやく開院した整骨院の先生に症状を話し、治療をお願いした。マッサージと鍼とお灸を施術してもらった次男は、少し体調が良くなった感じ。日頃から姿勢に気をつけ、時々腰痛体操をするよう話す。その心配な末っ子も東京へと帰って行った。 老後の関心事の筆頭は健康か。そんな内容の年賀状が目立った中で驚いたのが走友会のM仙人から戴いたもの。今年は100kmマラソンを11時間台、フルを4時間以内、ハーフを1時間45分台、山岳レース3回出場が目標とある。彼は間もなく73歳だが、心身の鍛え方が並みの人間とはまるで違う。そこまでは無理としても、せめてフルマラソンを完走したいと願う私だ。
2013.01.05
コメント(4)
≪ ランニング編 ≫ 暮れのある日、「寅さん詣り」の大会要項とゼッケンナンバーが届いた。申し込む際に、「当日仙台から新幹線で行くので、集合時間に遅れるかも知れない」と書いたため、主催者のS木が配慮してくれたのだと思う。これならコースも確認出来るし、予めゼッケンをつけたシャツを着れば良い。ナンバーは「555」。ゴーゴーゴー!!とは春から縁起が良いね。 参加したことのあるSさんから、「41kmではなく45kmくらいあった」と聞いた。それで念のため「ジョギングシュミレーター」で計測して見ると44.5km。きっと距離は車に乗って測ったのだろうが、江戸川に沿ったサイクリングロードは車が入れず、その差が往復で3.5kmになったのではないか。ともあれ40km以上の距離を、河川敷の強風、寒風に負けないように走らないとね。 暮れの別の日、今度は「仙台国際ハーフ」の案内が届いた。開催要項の発表が遅れていることは公式HPで知っていたが、ようやく決まったようだ。申し込み開始は10日から。昨年はエントリーしておきながら、手術後の体調不良で参加出来ず、応援に回った名門レース。今年は何とかスタートラインに立つことは出来そうだ。これから徐々にスピード練習をし、完走出来ると嬉しいのだが。 元旦は「ニューイヤー駅伝」を少しだけみた。この日、埼玉のブログ友しぃさんは12kmを走ったようだ。また古川組は恒例の元旦ラン。T田さんが送ってくれた写真を見たら、周囲は真っ白な雪。きっと道路は凍結していたはず。前夜の大晦日は遅かったのだろうし、早朝のランは辛かったはず。それでも仲間との走り初めは気持ち良かったと思う。 2日はお馴染み「箱根駅伝」を観戦。5区の「山登り」が何と言っても圧巻だ。レース中にふらついていた選手がいたが、それでも4区まではタスキが繋がった。小田原から芦ノ湖畔までのここが一番苦しい個所。観ていてもハラハラドキドキさせられる。この難関で中央大学と城西大学の2校が途中棄権になったようだ。往路の優勝は日体大。予選からの勝ち上がり組だ。 この日は走友会の初詣ランでもあった。名取市から塩竃神社までの25kmを走って参拝し、再び元の道を戻る50km。今年は何人参加したのだろう。午後は雪の予報だったが、割と強い雨になった。仲間達はあの雨に苦しんだのではないかと心配。 3日も引き続き「箱根」を観戦。結局は日体大が1度もトップを譲らずに総合優勝。予選勝ち上がり組の優勝は、史上2校目とのこと。最終10区でもふらついていた選手がいて、可哀想だった。「箱根」を観終えてから走る姿に着替える。いよいよ今日が私の走り初め。腰痛はかなり治まったので、ゆっくりなら何とか走れるはず。 風はあるが長袖のTシャツ1枚。手袋は分厚くて風が通らないものにした。愛宕神社には寄らず、向山の坂を登る。凍結した個所が所々にあるため要注意。八木山から遥か彼方に紺色の太平洋が見えた。今年最初の12kmのランを1時間32分で終える。復活の手応えは果たしてどうか。50kmを走り切れる体を、何とか取り戻したいのだが。<続く>≪ 12月のラン&ウォーク ≫ ラン回数:11回 ラン距離:167km ウォーク:80km 月間合計:247km 年間合計:2771km うちラン:1337km これまでの累計:80916km
2013.01.04
コメント(6)
平成25年の元旦の起床は4時半。これはいつも通りの時間。早速日課のブログだが、またしてもヘボ俳句搭載で良いのかどうか迷う。年末の俳句は観察に基づき数日かけて作ったのだが、新年用のものは最後の句を除き全て空想の産物。あまりにも空々しくないかと懸念したのだ。まあ笑われても良いと覚悟を決めて更新。空想だって立派な精神作業の成果だもの。 書き終えてカーテンを開けると、まさに初日の出が上がるところだった。ほら、ご覧。空想で作った句が本当になったでしょ?おまけに彩雲のように鮮やかな茜色。新年に相応しい清々しい空だ。布団を上げ、窓ガラスの結露を拭き、1階に下りる。そして和室と居間のシャッターを上げ、分厚い新聞の束を郵便受けから抜き取る。 忙しそうに朝食の準備をしてる妻を手伝う。今年はお節料理は作らないと言っていた彼女だが、次男が帰省することになったため、急遽作ったようだ。それが結構な品数。妻の仕事は土曜、日曜は別として、元旦しか休めない。大晦日まで働き、2日からもう仕事初め。その忙しい時に私が腰痛になって手伝えなかったのが妻の不機嫌の原因だったのだろう。 次男を起こして朝食。丸テーブルの上にはたくさんの料理。私が買った原酒と、次男のお土産の濁り酒で乾杯。どちらも度数が高く、直ぐに酔いが回った。ただし、食べる量に注意。腰が痛くて運動が出来ないのに食べ過ぎたら、直ぐに体重が増えるからだ。餡子餅、お雑煮と餅は2個だけにした。ニューイヤー駅伝も少し観たが、次男がチャンネルを変えた。 食後の後片付けを済まし、自室で読書していると、次男が年賀状の束を届けてくれた。1枚ずつ見ながら妻の分を抜き出す。出してない人からも来ていた。暮れには住所変更したり、その後転居先が不明の年賀状が2枚戻っていた。昨年の年賀状を調べ、新住所をパソコンの住所録に入れ直す。その後、ようやく昨年の年賀状と喪中葉書を処分する。昼食代わりにバナナと煎餅とコーヒー。 午後のまだ明るい時間帯に散歩。近所の神社に行くと、やはり冬桜が咲いていた。大半はまだ蕾のままだが、薄い白の花が幾つか見える。年に3回ほど咲くので、ひょっとしたら四季桜とでも言うのだろうか。いつもは無人の社務所に3人の神職。小さな村社も年に数度の書き入れ時なのだろう。スーパーの前を通ると店が開いている。1把258円のセリを購入。仙台地方のお雑煮には欠かせない一品なのだが、妻が年末に買い忘れていたのだ。 そのセリを手に持って、遠くの公園を一周して帰宅。新年の歩き初めは5km。まあこんな距離でも動かないよりはマシ。夕食は暮れの残りのすき焼きや、朝の残りの魚を一手に引き受ける。捨てるのは勿体ないが、お正月から残り物を食べる人は私以外にいない。そして飲みものは度数の低いマッコリ1杯のみ。これは発酵したジュースみたいなもの。 風呂に入る時に体重を測ったら、体脂肪率も含めていつもと変わらない数値。これは2日の夜も同様だった。2日は3個の餅を食べたのだが、アルコールや料理を少なめにした。結局はその努力が効いたのだろう。例年なら年末年始で2kgほどは太るのが、今年は走れなくても体重が増えないのが嬉しい。新年最初の夜も9時半まで読書して就寝。<続く>
2013.01.03
コメント(14)
暮れの何日か、私は走らずに読書の日々を送っていた。風が強く、寒さも厳しかったためだ。その時に座椅子で無理な姿勢をしたせいか、腰痛を引き起こした。元々腰は悪い方ではないが、姿勢の拙さと筋力の衰えが原因だと思う。苦しみながらも家事をこなしていたが、妻は私がパソコンにばかり向かっていると思ったのか、とても不機嫌だった。そんな時も私は弁解はしない。 走れないと運動不足になるので、少しだけ散歩した。国立の病院がある山を一周すると約3km。県立高校も冬休みに入って、生徒の姿はない。厳寒期のため畑で作業する人影もない。小川の向こうで宅地を造成しているブルドーザーも、今日は動かず音もない。静寂そのものの風景。病院への坂道は急で、冬は凍結し易いため車両は通行止め。周囲の木々はすっかり葉を落とし、冬枯れの状態だ。 坂を登り切ると病院。かつては国立療養所と呼ばれていたが、今は何とか法人の何とか機構。丸きりの独立採算になった訳でもないだろうが、あれほど生い茂っていた松林がすっかり伐られている。あれは見事な赤松だった。山百合もたくさん生えていたのだが、今は切られた丸太が無残に横たわっている。上手に切れば木材にはならないのだろうか。なんとまあ勿体ない話だ。 宅地造成をしている個所も、きっとこの病院の敷地の一部のはず。豊かな自然が、国の財政破たんと共に失われて行くのを見るのは辛い。私が高校生の頃は、この辺りはまるでユートピアみたいな別世界だったのだが、開発と言う名の元に平凡な風景に変わってしまうのだろう。それでも所々に林や農地が残っているこの辺は、まだマシなのかも知れない。そう思って坂を下った。 腰痛の次男のため、2階の洋間に布団を敷いた。ベッドだと体が沈んで腰に悪いと妻。それで布団を1階から持って上がったのだ。腰を屈め、階段を登るのが辛い。ウンウン唸りながら布団を担ぎ、そして床を延べる。帰省した次男は翌日近所の温泉に行った。帰りは雨に降られたようだ。その温泉が効いたのか、それに布団が良かったのか、彼の腰痛は少し良くなったようだ。 一方の私はじっと我慢。座椅子に座布団などを敷き、極力姿勢を正していた。日課の体操も無理はしなかった。大晦日は松飾りや輪通し、小さなお供え餅などを飾った。新しい年を迎える儀式を済ますと、厳かな気分になる。床の間には妻の活け花と掛け軸。そして玄関にも淡い色のスイートピー。 大晦日の夕食はいつも通り焼酎をマッコリで割ったのを飲み、お年取りのナメタガレイを食べた。だが切り身が大き過ぎ、私は片側だけで十分だった。他にすき焼きもあったからだ。夕食後は自室に戻り、ボクシングを観た。次男もボクシングを観たようだが、妻は居間で紅白歌合戦。9時半には眠気がして床に着いた。だから除夜の鐘も聞かぬまま。普段と変わらない1年の最後の夜だった。<続く>
2013.01.02
コメント(6)
明けましておめでとうございます。不思議なもので、一夜明けたらいつしか平成25年の元旦になっています。早速カレンダーの表紙を破りました。まだまっさらな暦です。この一年、どんなことが前途に待っているのでしょう。「前期高齢者」には素晴らしい未来が開けている訳ではありませんが、「それなり」に生活を楽しむことは可能でしょう。 年頭に当たり、出来る限り健康で平和な年になることを心から祈念しています。読者の皆様にとっても、それぞれ良い年を迎えられたことと存じます。さて、年末に作った句を披露します。こちらは全くの空想上の作品。中には少々諧謔的なものも混じっていますが、戯言(ざれごと)としてご笑覧いただければ幸いです。 ≪ 新春幻想 ≫ 松飾 烈風揺すり 年明けぬ 東雲に 初日眩しき 巳年かな 東雲:しののめ 彩雲に平和を祈る 年初 元日や 巳年の暦 千切りけり 今日よりは 巳年なりけり 古稀近し この年も生き長らへて 古稀迎ふ 霜柱ザクリザクリと 初詣 初詣 村社に白き 冬桜 足早に 破魔矢握りて 受験生 酒一合 年の初めも変はりなく 初春や 屠蘇に酔ひたる 下戸二人 年賀状読むごと浮かぶ 友の貌 貌:かお 孫遠く 年玉郵送 壱万円 新春や 電話の孫の高き声 雑煮食ひ 古稀を迎ふる歳となる 餅食らふごとに近づく 黄泉の國 黄泉:よみ=あの世 新年の酒は一合 餅三つ 寒風や 痩せ我慢して 走り初 年頭の 闘志新たに 丘に立つ 地平線 新春の海 光りたり 鵯の啄ばむ冬菜 霜枯れて 鵯:ひよどり 啄ばむ:ついばむ
2013.01.01
コメント(6)
全31件 (31件中 1-31件目)
1

![]()
