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42でなくて、41になったんじゃないの、と知人に指摘されて、そういや、そうだったかー!ニホンって満で数えるんだったよね、とボケている今日この頃でした。自分のトシも自国流に数えるのを忘れておったとは。お隣の韓国ではお母さんの胎内にいる10か月を約1年と加えて数えます。初対面で必ずズバッと年を聞かれたものでした。儒教の韓国、1日でも早く生まれればヌナ・オンニ(姉さん)年下にはコーヒーの1杯もおごらなければなりません。でも、こちらがモノ申せば神妙に耳を傾けてくれたりします。日本では年を聞いてもあんまり意味ないですね。カラオケ行って歌う曲で同じ時代に青春送ったかどうかがわかるくらい?
2008.08.19
不惑の年代、イノシシのように突進中です。(ご存じ?40にして惑わず、っての)でも、体力が続かない。。某君ママいわく「以前は美容コスメの広告というと目がいったものだけど 最近は健康食品に目がいくのよね~!」わかる、わかる、わかります。暑い日が続いているので水を飲んでは外仕事をし、水を飲んでは洗濯物を干し、買い物行っては水を飲む日々。汗を流しながら教会のやたらある階段を上り下り首にはタオル。でも、なぜか充実感があるのはオリンピックの美しい汗を見る日々だから???・・・と言いつつ、ソフトボールベネズエラ戦に誰が登板するのだけ見ようと、うっかりテレビの前に座ったら。。。気がついたら寝ていて、試合は終わり下であるふぁしおんと話し込んでいた来客も帰っていた何歳になっても成長も成熟もしないわたしを許してオリンピックでわたしが注目している選手?ソフトボールの染谷美佳(ピッチャー)さんと山田恵里さんと、、、まあ、みんな!
2008.08.17
8月はわたしの誕生月で、夏休みという子供にはありがたいものがあるんですがわたし自身はむかしから8月が苦手です。最も古い8月の思い出は親せきを訪ねて5歳の時に広島を訪れたこともちろん、滅多に行けない広島に行くのですから原爆資料館にも足をのばしました。夏の熱い日差しがつくる自分の影の濃さに影だけを路上に残した人をおもい皮膚の焦げるにおいを感じました。阿鼻叫喚の中にいたのはわたし自身だったのかもしれない。子供の感受性はおそるべきものです。それから、もっと古い記憶だと思うのですがフィリピンの自宅の芝生の庭を死んでひからびた虫を蟻たちが運んでいく姿も印象的でした。フィリピンといえば、日本軍が残した苔むした砲台もあの頃残っていました。強い陽射しは死のにおい。小学生の頃は取りつかれたように戦争手記や社会問題の本を読みました。好き、というより、読まないことが死者への冒涜のように思ったのです。「イタイイタイ病」について読んだのは5年の頃。南方戦線の兵士のほとんどが餓死者であったこと満州国建設の搾取の過程、南京大虐殺も小学生時代に読みました。「はだしのゲン」は原爆の恐ろしさが投下直後だけでなくあとを引くものであったことを教えてくれました。戦火をくぐった老翁は涙を流して呻いておられた。「ほんとうに善い人は誰一人帰ってこなかった」死そのものよりも恐ろしいのは残虐な死をたやすく他者に与える人間の心の鈍さ。他者の苦しみの上に繁栄を築く姿。経済大国といわれる国の繁栄に連なる日本人はそれだけで罪深いのです。エアコンの効いた高級車の後部座席に乗って路上で花を売る自分より年下の子たちが残した指跡を見ていたのは中学1年の頃。「買って」と叩く彼らを見てはならず窓を開けると大変なことになると信号が変わるのを待ちわびていました。今、わたしが信仰をもつようになったのは死と、人間への恐怖が底辺にあるのかもしれません。わたしの両親はキリスト信仰をもたない人々ですがわたしの宗教教育はあの日の平和教育からはじまったのでしょう。母は原爆資料館に連れて行ったのは早すぎた、と言っているのですが人間として生まれてきたのだから人間の歴史を共有するのは大切なこと子供も人間の現実を知る必要があると思うのです。なぜなら、今も5歳の「何も知らない子」が戦火や貧困という現実に直面しているからです。そう言いながら、かめと同じ髪型をした女の子が出てくる「ホタルの墓」はもう見れない今日この頃です。今年も終戦記念日が近づいてきています。今は「終戦」の時代なのか「戦前」なのか。「戦中」なのか。戦争は平和を叫んでとめられるものではない。自分の心にある怒り、恨み、保身、独善をのぞかないかぎり砂上の楼閣なのです。
2008.08.12
↑キャンプのちらしの表紙。つる作成。キャンプが終わりました。お祈りありがとうございました。撃沈遊び下手なあるふぁしおんと、疲れそうなこと一切がキライなとんかががむしゃらに慣れないことをしているという感じで至らないところも多々あったと思いますが、スタッフ&助け手が与えられて何とか無事終わりました。今年のキャンプは地元の海の家をお借りしたので、いろんな設備をこちらから持っていかねばなりませんでした。大人と子供、あわせて23人。(子どもは15人)酷暑の中、飲み物が飛ぶようになくなってすぐカラになる9.5リットル入りのポットを抱えて走り回った感じでした。どんぶり勘定すると47リットルくらいのお茶・氷がなくなったんですね。(コーヒー牛乳、ジュースをのぞく!)あちこち気をまわしてるうち、頭は沸騰し夜の集会では「おゆるしください、彼らは何をしているのかわからないのです(キリストの十字架上の言葉)」というより「おゆるしください、彼女は何を言っているのかわからないのです」という感じでした。テーマは「お宝」で、真理というお宝、神様のお宝であるキミ、ということを伝えたかったんですが。。。いかにも聞いてなさそうなユルイ反応の子たちの中でマジメな顔でいっしょうけんめい歌っている子が大きななぐさめでした。まあ、全体に子供たちがキャンプを楽しんでくれたようなので良かったです。あるご夫妻は暑さにぐずる小さなお子さんをあやしながらお手伝いしてくださりある方は見事なバイクのサイドカーに一人ずつ子どもを乗せてぐるりと走ってくださりさながらミニ遊園地。家族をあげて同行・ご奉仕くださった方は子供たちと泳いだり、つりをさせてくださったり。トラックを出して、重いふとんを暑い中運んでくださった方、大きな炊飯器を教会から定刻に運んでくださった方、お好み焼き・たこ焼き用の大量のキャベツを刻んでくださった方、たくさんのご奉仕に守られてのキャンプでした。肝をひやしたのは、二人の子がクラゲに刺されたことと一人が夜、花火をしたあと、はしゃいで全力疾走し、深い穴にストンと落ちたこと。刺され方がひどかった方の子は今日皮膚科に行かなければなりませんでしたが会いに行ったら、だいぶもう良くなっているようでした。落ちた子は手首をちょっと痛めましたが、翌日には野球をし、今日は自転車で疾走していたとの目撃情報が入りました。大事に至らなかったのはみなさまのお祈りのおかげです。保険にも入っていてよかった。けがをした子のお母様方からは逆に丁重なねぎらいをいただき、ありがたかったです。わたしたちが偉いようなことを言われましたがあの元気者たちと10年を過ごしてきたお母様方の方がよっぽどえらいです。。キャンプなんて一生したくない気持ち、と言いながら来年は、もう少し設備の整ったとこでしたいな、と場所をパソコンで物色してしまうわたしでした。とにかく、一人ひとり魅力的なすてきな子供たちだから少しでも喜ぶこと、ためになることをしたくなるんですよね。「わたしはあなたがたの魂のために大いに喜んで自分の持ち物を使い果たしもしよう。」 第二コリント12:15かめは次はクリスマスだってはりきってるんです。。少し、ハハにイエスさまとゆっくりデートする時間をください。。
2008.08.07
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