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先日、身体拘束の勉強会が開かれた。僕は、身体拘束委員なので出席した。身体拘束の事は、自分なりに勉強していたので、大体の事は知っている。前々の職場でもしっかり教えてもらった事もあったから。今の職場では、このような考え方で身体拘束に取り組むようである。身体拘束を「0」にすることは不可能である。拘束を「0」にするのが目的でなく、どのような取り組みをしているのかが大切である。という考え方だった。まあ、もっと、いろいろ話していたが、要点を言えばこうなる。職場のいう身体拘束の考えに間違えはない。絶対的に拘束を「0」にする事は出来ない。「0」にする事が目的でもない。それはわかる。しかし、それを分かっていながら、僕ならこう言う。「どんな小さな拘束も許さない」こう宣言する。もちろん、拘束を「0」にすることは相当難しい。というよりも、絶対無理な面も現実ある。それはわかるのだけど、あえてこう言う。なぜかというと、拘束をやらない介護というのは、介護者にとって楽というか、介護者本位の介護になりがちである。そのような介護者本位の現場では、安易に拘束が行われる。当たり前のように簡単に。拘束してもしなくても、手間自体はそんなにかわらない。体を車椅子などに縛り付けても、解くのが上手な人は、まるで手品をやっているかのように、軽々と解く。そして、普通に動き出す。縛り付けて安心は出来ない。縛っても、縛らなくても見守りは必要なのだ。変な解き方をして、首などに巻きつく危険性もある。そのようなリスクを考えれば、それこそ拘束は安易に出来ないのが普通なのだ。職場の方針が「どんな小さな拘束も許さない」という事になっていたら、拘束という選択肢はないのである。そうすれば、拘束という選択肢を選ばない。拘束という選択肢を選ばないということは、拘束以外の選択肢をみんなが考えるという事である。この、拘束以外の選択肢を考えるという事がとても大切な事である。拘束をしてもいいよ。拘束は仕方がない!という逃げ道があれば、必ず「仕方がないから」と、すぐに逃げの口上に使う。それでは、いつまでたっても拘束をしない方法を真剣に考えない。真剣に考えていないのに、当の「仕方がないから」といった人は、真剣に考えたつもりになっているのである。その逃げ道を塞ぐ事で、本当に智慧を搾り出すような考え方をするのだと思う。このような理由から僕は「どんな小さな拘束も許さない」とあえて言うだろう。僕の考えは、今の施設では関係ないので、ここで何を言っても仕方がない。まあ、予想をするならば、拘束は仕方がないという考えの今の施設では、身体拘束はあまり減っていかないだろう。でも、一応僕は身体拘束の委員の一人なので、拘束が出来る限り減っていくように努力していきたい。
2004年01月30日
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最近、ホームヘルパー2級の実習をしに来る人達が多い。しかし、厚生労働省や愛知県の福祉課などは、ヘルパーに実習をさせて、一番学んで欲しいと考えている事は何だろう?と考える。何処の施設でも、実習の受け入れ先になりやっているが、本当に何処でもいいのだろうか?実習というのは、未経験の方なら、初めて見る実践の場だ。その初めて見る場所が、いい加減なところでいいのか?僕はいけないと思う。初めて見る人は、こんな風にやるんだ!と、すべてを感心しながら見ていく。その介護が、とても低レベルであっても、高レベルであっても。まあ、高レベルの介護に出会えればそれは幸せな事だ。しかし、低レベルの介護に出会ったしまったら、それこそ不幸である。実習の場という事で緊張しているのもあるし、実習生は一生懸命にやっている。この、一生懸命さが裏目に出る事がある。それは、実習生は、知識がきちんと整理されている人が少ないので、教科書を片手にやっていれば、この介護はあまりいい介護ではない!というのが分かるだろうが、そのあまりいい介護ではない!と気が付かずに覚えてしまう。あまりいい介護ではない!と思う介護は、職員にとって甘い介護である事が多い。利用者さんにとって、自立援助にも自己決定にも繋がる事が少ない介護が多いのだ。そんな介護を、今まで未経験で、真っ白な心のキャンバスに指導者が大きな顔して書いてしまっていいのだろうか?僕は、危険な行為だと思う。まるで、初めて信号機というものを見る子供に「青も黄色も赤も全て進めだ!」と教えているようなものだ。しかも、それが、実習現場のやり方。になっていたら、フロアの指導者、介護のリーダー(このような役職があれば)看護リーダー(このような役職があれば)、主任、部長、施設長などがその介護が、最低の介護だということが分かっていないので、その施設は、私たちはバカですよ!介護のプロでなく、介護のまぬけやろうの集団ですよ!と、言いふらしているようなもの。やはり、介護福祉士にしろヘルパー1,2級にしろ、実習は介護の質がいいところにいくのが一番だと思う。それこそ、実習生が安心して質の高い介護を学んでいける、実習先を提供するのは国の使命であると思う。国に押し付けるのが酷というなら、市町村の使命であると思う。そういうことが出来ないであるならば、介護の質の向上なんて望めない。素人が見ても、こんな介護が出来たら素敵だ!と感動するような介護でなければいけないと思う。初めて実習で教えてもらった介護以上に、質のいい介護にであったことがない!というくらいの施設でないといけないと思う。その感動が、自分の介護の向上を招くのだ。上を目指そうという恋心にあこがれるのである。あの介護に追いつきたい!あの介護よりももっと素晴らしい介護目指そう!と。ともすれば、実習生というのは、お手伝いと間違わられる。それでいい訳がない。僕の今の施設は、それほどいい施設かといえば、そうでないが、それほど悪い施設でもない。まあ、安易に拘束をしすぎる面はあるが、悪い施設にまでは落ちぶれていない。もし、ヘルパーさんで、実習先の不満などあったらカキコお願いします。それではおやすみなさい
2004年01月27日
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久しぶりでございます。みなさま、インフルエンザにはおきをつけませ。実は、ぷにゃがインフルエンザに罹ってしまい、苦しんでいました。22日の夜、それは夜勤だったのですが、39.5度の高熱。最近は出していないが、2,3年前は、毎年、1月から3月までの間に、1度は38度を超える熱を出していた。その時もえらかったが、何とかなるだろうと思っていたが、38度が更に上がり、39.5度まで上がったという次第である。咳をすれば肺が痛い。悪寒はする。鼻水は出る。顔は火が出ているように熱い。まさか自分がインフルエンザなんてそのときは思いもよらなかった。介護老人保健施設なので、医者がいるため、診察をしてもらい、薬をもらった。坐薬も差した。坐薬のおかげか、熱は下がった。でも、薬の力で症状を抑制をしているときというのは、頭に熱がある!ということは分かる。頭の中で、熱が檻の中に入れられている感じだ。その熱の生命体があるのを感じるのだ。インフルエンザと知らないため、約17時間という、とても長い長い時間を利用者さんと過ごしてしまった。感染が一番心配だった。感染していない事を祈るばかりだ。夜勤が終わり病院へ行き、症状を伝えたところ、インフルエンザの検査をしますということになり、結果は陽性だった。家には8歳の娘と6ヶ月の赤ちゃんがいる。受診の次の日、赤ちゃんに感染るといけないからという思いで、市民病院に入院できないかを問い合わせた。事務は「医者が決めることだから」ということで、受診をする。医者は「病院には、老人の人などいるんですよ。その人達に感染したら、あなた責任取れないでしょう。入院できません。もし、心配なら旅館に泊まるなり、友達の家にでも泊まるなりしてください」と叱られるように言われ、受診は終わった。ざっと一分くらい。医者のあの言い方には笑えた。24日のことである。まあ、24日になると、だいぶ落ち着いてきて、実際、熱は出ていない。25日は更に元気がよくなり、咳をしても肺が痛いのは無かったし、鼻水もほとんど止まっていた。熱も無かったし。あの状態ならば、入院施設があったとしても、まあ、入院は無理な話だろう。そんなこんなで、順調に回復し、今日の受診で、まあ、完治までとは言わないが、まだ菌はいるだろうけど、マスクをしていればまず大丈夫ということだった。約3日間、自分の部屋に閉じこもり、ご飯は運んでもらい、子供とは一切顔をあわせなかった。自分の部屋は、寝室なので、同時に妻の部屋でもあるのだが、妻は、赤ちゃんの面倒もあるので、寝室では寝ずに、子供部屋の横にある部屋で、布団を敷いて、赤ちゃんと寝た。僕は、ずっと本を読んでいた。寝室は、テレビがないので、本を読むくらいの事しか出来ない。本を読むのは好きなので、よかった。おかげで沢山の本を読む事が出来た。寝てばかりだと腰が痛くなるので、座ったり、起き上がったりしながら本を読むのだが、寒い部屋なので、どうしても布団に包まりながら本を読むことが多かった。この3日間の間で思った事は、本当に同じ姿勢を続けるのは厳しいということ。寝ている場合なら、右を向こうが、左を向こうが、仰向けになっても、うつ伏せになっても腰が痛いのは治らない。起き上がるか、椅子に座る、座布団に座るなどの姿勢を取らなければ、腰が痛いのは治らない。寝たきりの高齢者は、やはり大変なのだ。寝ている状態で、どの方向を向かうが痛い物は痛いのだから。やはり、その状態になってみて始めて分かる事だ。体位変換は大切だが、ずっと寝かしぱなしは、どの方向をむいても痛くなるので、上体を起こす、車椅子に座らせるなどの処置をしなければ体の痛みから解放されないということだ。寝室は8畳だが、やはり、圧迫感を感じる。25日に久しぶりに外に出た。日がまぶしくて暖かかった。寝室にいるよりもずっと開放的で、風の無い日差しは、ポカポカ陽気を作り出し、寝室にいるよりも、外にいた方が早く治るのではないかと思うほど、気分を心を元気にしてくれる。閉鎖病棟の痴呆棟は、ほとんど外に出る事は無い。出る人も限られている。僕は思ったのだが、やはり、囚人ではなく、利用者なのだから、外出は一日一回は義務にするくらいの方針を立てなければいけないような気がする。大空から降り注ぐ、太陽の光、恵みの雨、銀世界に変えてしまう雪。そのような大自然に触れる事が大切なのではないだろうか。たとえ一瞬でもいい。外に出て、大きく深呼吸をして、寒い、暑い、涼しい、暖かい、それを肌で感じてこそ季節を感じる事が出来るのだと思うし、昔を感じる事が出来ると思う。もちろん、風邪、インフルエンザには気をつけないといけないので、その辺の準備は怠り無く、抜かりなくやるべきです。流星群や山に星を見に行くのも素敵だと思います。やはり、人間は地球に生きているのですから、地球の愛というものを感じるような体験を積極的にするべきだと思います。部屋の中で本を読んだりボードゲームしたり、トランプ、カルタ、福笑いするのも楽しいでしょう。ずっとそれをするのはやはり飽きてきます。もっぱら、スイスのような雪の国は、冬の時期に外に出られないために、おじいさんがお話をしてくれてすごすのを、アルプスの少女ハイジでやっていました。その話は、民話や寓話、童話などです。痴呆性高齢者がどんな話でもいいので、たとえば、作話でもいいのです。そのような話を大勢のいるところで、話してしてくれる度胸の持った人がいたならまた違ってくるでしょうけど。そのような、雪が多くて外にでる事が出来ない場合は外に出られないので、室内のゲームでいいのかもしれませんが。それでも、やはり、少しは外の空気を吸わせてあげたいですね。外出を禁止されている利用者さんはいないのですから。まあ、そんなこんなで、みなさま、インフルエンザには気をつけて下さい。
2004年01月26日
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先日、若い介護職の子が退職した。辞めた理由は「学ぶところがない!」だった。この理由を施設長や事務長に話したかどうか知らないが、辞めた子が、辞める前に、仲のいい子に話しているのを、たまたま聞いてしまった。辞めた子も、ほかの人がいても、堂々と声も潜めずに話していたので、聞いてもらってもいいと思っていたのかもしれない。辞めた子は、まだ若いし、介護の経験も少ないから、学ぶ事が出来なかったのかも知れないけど。僕は、どんなところにも学ぶ事はあると思います。学ぶところがないというのは、その人が気づくことがないということです。なぜ、気づきがないかといえば、その仕事にしろ、今、学ぼうとしている事柄に対しての、基本的な知識がないと思うのです。学ぶということは、一方的に知らない知識を受ける。という方法が一つ。あとは、ある程度の知識があり、その知識をより深く理解する事により、新たに発見する。という方法が一つだと思います。仕事をしていれば、みんな介護のやり方は少しずつ違う。それを見て、これはいい!と思う事は、全て学びになる。でも、それもそのうちそれもなくなってくる。そうなると、疑問が学びになる。自分の考え方と全く違う考え方をする人がいるとする。その人のやり方、考え方を一度考えてみる。介護の仕事なら、利用者の自立援助の立場から考えて、これはいったいどういうことなのだろうか?それで、自分の考えと相手の考えを比べて、どちらがいいのか?もし、相手のこの一部の考え方を自分の考えに取り入れたら、どのようになるのか、もし、とてもいい考え方、利用者にとってよくなる介護のなるならば、相手の介護を取り入れるべきだと思います。僕は、最悪のグレープホームで、物凄く学びました。本当にいい介護とは何かということを、真剣に考え、論争して、自分が孤立しても自分が深く考えて理解した介護を貫き通した。それはそれで、いいことであっても、あまり相手を追い詰めるような事をすると、自分の立場が危うくなるということも分かった。まあ、こんな風にどこにいても、自分が介護の事を学びたいと思えば、いくらでも学ぶ事が出来る。学ぶ事がないというのは、単なる逃げである。自分が学ぼうと努力すれば、8時間の仕事全てが学びの時間になるはずだ。僕は、そこまで学んだ事はないが… 僕ももっと頑張ろう!ではおやすみなさい!!
2004年01月19日
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Tさんのケア・プランを立てる為の話し合いを、OT、部長、相談員などを交えて行った。Tさんは、軽度の痴呆で、昔はすし屋を経営していた。本人の本当の希望は、皆に寿司を握ってあげたいというものだ。僕の考えは、グループホーム経営という夢を追っているため、利用者さんが寿司を握るということで、生きがいを取り戻す事が出来るなら、やらせてあげればいい!という考え方。グループホームは、基本的に利用者さんが食事の準備をする。それの出来ないところを手伝って、その、利用者さんが主として作った食事を、利用者、職員全員で楽しく食する。これがグループホームなので、まったくもって、問題はない。問題点としては、衛生上の問題で、寿司は生ものなので、食中毒に注意を払うという事とTさんの衛生管理をきちんとする。という2点を気をつければ、何も問題はないと思う。しかし、部長が言った言葉は「衛生上の問題と食中毒が心配なのと、あと、作った寿司を誰が食べるのか?」ということを言われた。まあ、食中毒までは当たり前の事だ。でも、作った寿司を誰が食べるのか?というのは、部長は、Tさんの作った寿司を食べたくない!ということなのだろうか?というよりも、そのプランにしてしまったら、私は必ず食べなくてはいけなくなるから、絶対にそんなプランは許可できない!と心の中で思っていたのだろうか?Tさんはまだ若い。60代だったと思う。60歳でも70歳でも寿司屋の大将はいる。そのくらいの年齢の寿司屋には入ることが出来ない!といいたいのか?こともあろうに、部長ともあろう者が、痴呆疾患で呆けてしまった人の作った寿司なんて食べれるか!!と思ったのだろうか?『誰が食べるのか』この言葉に込められた、部長の思いは不明だが、明らかに部長はTさんの握った寿司は食べたくないようである。その気持ち、思いはわかるのだ。そこに考え方の違いを、僕と部長の溝の深さを感じた。できれば、もう少し寛容な心をもってくれるとたすかるのにな。『誰が食べるのか?』、この考え方は、理屈ではなく、生理的なものだろう。この、生理的に嫌!というものを変えさせるのは難しい。どうやって変えさせていくのがいいのか?たぶん、部長と同じ考え方をする人は沢山いるだろう。その人達もかえていくことができるのだろうか?僕が、今の施設にいる限り、なるべく荒波を立てずに、「寿司作り」実現のために努力する事が使命と思っているので、やっていくつもりだ。この壁は、そうとう高い津波だと感心して見上げてしまう。自分の心が折れないように頑張っていこうと思っている。こんな時、僕が経営するグループホームがあればな~と思う。そうしたら、昼ご飯あたり、週一で寿司になるんだけどな。あ~あ、寿司食べたいです。お腹空いたわ。
2004年01月18日
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今年になって、始めての介護日記になる。今年の正月は3日とも出勤だった。で、元旦は、3Fフロアの僕が2Fフロアに手伝いに行く事になった。2Fフロアは行った事がないので、利用者さんの顔も名前も分からない。でも、数名は分かる人がいる。その中のOさんは、ここの施設が開設した日(2003・4・21)に、僕がOさんを病院まで迎えに行ったので印象深い。Oさんは、左片麻痺。移動は車椅子。車椅子の左のブレーキに筒のようなものが差してあって、右手でも届くようになっていた。車椅子の移乗は、見守りと一部介助、体を少し支える程度。車椅子に座ると、言われなくても右手で、左足をステップの上に乗せ、左腕の位置を確認の上、ブレーキをはずす。車椅子を出来る限り自分で動かそうとする。しかし、車椅子自体は、片手運転が出来るようになっていないので、車椅子の自走は難しい。「自分でできる事はしないとね。動かなくなってしまうから」というのが口癖のように言っていた。とても気丈そうな、しっかりものを言う、こう言っては失礼かもしれないが、昔のおかみさん!という感じの人だった。 そんなOさんに久しぶりに会った。昼食の為、起こしに行くと、物凄く痩せてしまって、見るのがかわいそうになるくるらい。しかも、眼の光がなくなって、なんか、どこを見つめているのか分からないような、ぼんやりとした眼。言葉も、迎えにいった時に聴いた、ハキハキした歯切れのいい言葉はなく、言葉にも靄がかかったような、破棄のない声。い、いったい…どうしたんだ……???!!!Oさんは見違えるほどレベルダウンした。この半年の間に何がおきたんだろう。ふと後を見ると、2Fのスタッフがジッと見ている、そやつは、元旦の今日、朝顔を見たので「明けましておめでとうございます」と言うと、聞こえたのか聞こえていないのか、無視をしてスッーと行ってしまった、感じの悪い小娘だ。専門学校を卒業し、介護福祉士をもっている。2002年に出来た新設の介護老人保健施設入社し、8ヶ月で退職し、ここにきている。まだ、経験年数は、1年ちょっとだ。その小娘が、なんか、試験官のような眼でみている。で、僕とチラッと目が合うと「みんなが全介助でやるから、動けなくなってしまったじゃんね。できるところは、自分でやってもらって下さい」めちゃ、えらそうな言い方でいってきた。車椅子に乗せて、テーブルまで連れて行った。僕の感想はOさんは、全介助でやってしまうからでなく、無気力になってしまっている。と、いうより、生きる力が弱くなってしまっていると思った。これは、明らかに、介護者の責任だ。というよりも、頭でっかにな経験不足の小娘がリーダーでもないのに、えらそうな顔をして、2Fの介護を仕切ろうとしているから、このような状態になるんだと思った。まあ、それはおいておいて、なぜ、あんなに元気だった、人がこのような状態になってしまったのか。今の施設にOさんが希望がもてなくて、なにもやる気がなくなってしまったのではないだろうか?施設で、レクといっても、たいしたレクはやらない。シーツバレーもボーリングもどこか子供じみている。好きなときに外出できない。ご飯はそんなにおいしくない。施設は制限がありすぎる。自分の趣味で、大掛かりのものはやらせてもらえない。まあ、絶望しか感じられない!と思うのも無理もないかもしれない。ここで、人間が生きる希望を出す方法を考えてみたい。やはり、自分がその共同体の中で役に立っている!ということを感じさせるような事をする事。これに尽きると思う。それを生きがいというのではないだろうか?生きがいをつくれるような施設は自由だ!なかなか自由にする勇気がないのが現状だ。これは、施設長や部長や主任の仕事。僕らの末端が出来る努力といえば、やはり、ケアプランで、生きがいを持てるようなプランを作成し、施設長、部長、主任を口説き落とすしかない。あと、家族の協力だ。最近よく話題に出る、成年後見制度。それの役割は、知的判断が難しくなった利用者(痴呆、知的障害など)が、自分はこのような生き方をしたい!やお金はこの銀行にあるので、お金の管理をお願いします。などを弁護士さんに依頼しておくものです。まあ言ってみれば、遺言のようなものです。遺言は、自分の家族に財産の配分を明記したものだけど、成年後見制度は、自分の生き方を家族に対してお願いするものなんです。なぜ、突然成年後見制度を話したかというと、施設に入るのに、利用者本人の意思は反映されていないからです。利用者さんは、YES、NOを選ぶことが出来ないのです。全て家族が選んで、家族が無理やりというか「いってくださいね」というような形で入っているのです。この時すでに、自己決定は存在しないのです。自己決定が無視され入るのですから、自分で選んで生活するというスタイルは難しいのではないだろうか。家族にこれだけ厳しい事もいえないけど、でも、現状はこのような状態です。で、本人もハッキリ自分の生き方を明言しない!というよりも出来ない状況になってしまっているため、自己決定が出来ない形になってしまう。そうやって考えていくと、政府の方にも問題があるということになってくる。在宅、在宅といいながら、本当に在宅介護が気楽に出来るような情報網が出来ていない。結局、全てが上手くかみ合っていないので、利用者、高齢者が生き生きとした生活ができないのではないだろうか。あまり上手くまとまらないが、利用者さんが生き生きとした生活が出来るように努力を重ねて生きたい
2004年01月17日
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今年は、「愛」「智慧」「反省」「発展」の四正道を実践していきます。(画像付)「愛」の実践項目 愛とは他の人への限りなき関心であり他の人を限りなくよくしていこうとする思いである「智慧」の実践項目情報通になって成功するには枝葉ではなく幹が何かということをズバッと見抜く力が大事です 「反省」の実践項目あなたの心をせせらぎの如く澄んだ光に満ちた明るいものとせよ!春の水の如く無執着となれ 「発展」の実践項目人間が成長していくためには達成感が大事です 本当に実践できるように頑張ります。
2004年01月06日
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2003(平成15)年8月9日に日本高齢者虐待防止学会が設立された。しかし、高齢者虐待に関する法制度はまだ確立されていない。高齢者の虐待が明るみに出ないからだと思うが、隠されているだけで根深い問題だと思う。なぜ、明るみに出ないのか?答えとなぜ虐待が起きるのか?の答えは同じであると思う。答えは身内が介護しているからである。この答えに、反論したい人もいるだろうが、少し聞いて欲しい。日本の介護虐待で一番多いのが、介護拒否、お金の搾取、殴って怪我をさせた、と続く。福祉国家のスウェーデンの虐待に挙げられるものは「骨折した事に気づかず、無理に歩かせてしまった」デンマークは「病気について知識がなく、誤った処置をした」などだ。この虐待の違いを見ると、スウェーデン、デンマークは、日本では虐待とは呼ばない!それほど、日本は虐待に関しては酷い事になっている。日本以外の例えば、ドイツ、アメリカなど、身内が介護をしていない。どの国も1%もないくらいである。日本で虐待による殺人事件を起こした加害者の、殺人理由、動機は90%が「介護疲れ」なのである。身内、家族も虐待や殺人なんかしたくない!しかし、自分の思うようにならいことも多いし、いつ終わるのか分からない介護に絶望を感じている。そこまで追い込まれ、事件に発展する。しかし、欧米の場合は、何時間かで帰ってしまうお世話人である。そのお世話人が責任もって介護を行い帰っていく。ストレスがあったとしても、友達とくっちゃべっておしまい!となるわけなんです。もともと欧米の人はポジティブの人が多いので、あけらか~んとしているかもしれませんが、この、あっけらか~んは、僕の個人的なイメージなので、気を悪くする方がいましたら謝ります。しかし、身内が、家族が介護をしていると、お世話人の逆になります。24時間の中で、介護をする時間が圧倒的に多くなります。息抜きする時間も心の余裕もなくなってしまいます。それに、悩みを打ち明けれる人がいない状況になります。友達に話せば、好きな家族、愛している家族の事をけなす事になる。それを話せば、すっきりするが、家に帰った後に、自己嫌悪に陥ってしまう。そうなると、一人で悶々と悩み、悪循環が始まってしまう。この状況で、どうしたら高齢者虐待が軽減するだろうか?いろいろ考えてみた。やはり、今の日本の介護は、施設にしろ在宅にしろ、見えない!どこで、何時間、どのような介護したか!というのが明確でない。不透明である。それを如何に透明にするか。いかに開かれた地域にしていくかが急務ではないだろうか?でも、それがまた難しい。なぜかというと、他人の家に関心持ちすぎると、迷惑、おせっかいなるし、それを完全に止めれば、開かれた地域が作れない。そこの兼ね合いが非常に難しいのである。どのようにしたら、開かれた地域になるか。それは、痴呆症の事に詳しい方々に、折を見て、講演をしてもらったり、施設やデイサービスの見学会を行ったりし、痴呆症とはどんなものか、どんな介護がされているのか!ということを地域住民に刷り込んでいくしかないと思います。そして、地域で助け合いながら、生活していく。という形をとるしかないかなって思います。なかなか結論が出ませんが、これで終わります。なんか、とりとめがなくてスミマセンでした。
2004年01月03日
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痴呆疾患の早期発見は、日本ではなかなか難しいのです。なぜかというと、痴呆疾患の特徴を知らない医者がいて、物忘れが最近激しくなった!ときいても、「歳のせい」と一蹴されたり、痴呆は治らない病気というレッテルがまかり通っていて「早期に受診しても仕方がない!」と家族が思っていたり「まだ、問題行動など、酷くないから」という理由が挙げられている。物忘れ症状が出る疾患にもいろいろあり(睡眠時無呼吸症候群、せん妄、うつ病など)それが本当に痴呆の症状なのか否かを確かめる為にも早期発見は重要です。もし、痴呆症状でなければ、治療の仕方が違います。自分で勝手に痴呆と思い込んでいて、痴呆じゃなかったら、その分治療が遅れるので、その病気自体が進行してしまい、治るのに時間を要する事となり、本人が一番苦しい思いをする事になる。もし、痴呆と診断されれば、早期に薬物療法を使う事が出来る、日本では、アリセプトだけが、痴呆の薬として使用が認められているが、アリセプトを使うか使わないかで、痴呆症状の進行の度合いが1年ほど遅れるという、調査結果が出ている。その1年間の間に家族は、痴呆が進んでいったら、どのような対応をしたらいいのか!と勉強できるし、グループホームや老健、特養などを探す時間に余裕が持てる。一番大切なのは、痴呆症になった本人が、自分の意思で、自分の道を決めていく事が出来る。痴呆が酷くなると、自分のやっている事さえわからなくなる。それがきた時に、言葉が悪いが家族の好き勝手の介護をされるよりも、自分がしてもらい介護をしてもらえるのだから、こんな得な事はない。痴呆症が進んだら、自分の意思を継いでくれるかどうか分からない!と思う人もいるかもしれないが、それは、大丈夫なのである。なぜかというと、成年後見制度というものがあり、成年後見人を自分の事がまだわかるうちにたてればいいのです。大抵は、弁護士さんが成年後見人になってくれます。これは、痴呆症になっても自分の未来を自分で組み立てていくという、りっぱな自己決定なのである。このような制度を使うには、自分が痴呆症であるという事をなるべく早く分からなければいけないのです。自分で自分の道をレールを作っておけば、安心です。この安心感は、たぶん、重度の痴呆症になった時にも発揮され、心の安定感が変わってくるような気がします。もちろん、自分の道を作った人のほうが、落ち着いていると思うのです。頭では自分の作った道は忘れているかもしれません。全く、跡形もなく忘れ去っているでしょう。しかし、心は忘れません。心では、自分の行く末が分かっているために、希望が持てると思うのです小さな村や町だと、精神科や心療内科にいくと、行ったその日に噂が広まり、自分だけでなく、家族にまで迷惑がかかってしまう。という事になりかねない!と心配して診察に行けないという思いがあるかもしれません。でも、重度の痴呆になり、一番苦しく、不安なのは何もかも忘れてしまった自分です。そして、介護疲れに家族を追い込んでしまうのも。こんな不幸が待っているかも知れないのです。こんな風になってしまうのなら、村や町の体裁を気にするのは馬鹿らしくなってきませんか?どんなひどいことを言われようとも、白い目で見られようとも、最後に面倒を親身に見てくれるのは、愛する家族なのです。もし、本当に痴呆かもしれない!と思ったら、忘れ物外来へ自ら行ってみましょう。噂の事が気になるなら、隣町や県外にでるとかすればいいのですから。痴呆の目安として、痴呆の物忘れと物忘れの違いは、例えば、朝ごはんを食べたかどうか忘れた!というのが痴呆の物忘れ。朝ごはんのメニューを忘れるのが物忘れです。これは、あくまで目安です。
2004年01月02日
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新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。 「新しい年」 新しい年がまたやってきた 新しい心 新しい体 新しい未来 希望を見よう 今この瞬間から 希望を感じよう 今この世界で 希望に胸を膨らませよう 新春の空に そして新しいものが やがて古いものに変わる その覚醒の時 人は光になる
2004年01月01日
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