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認知機能の低下から言葉が理解できないというのは、認知症の方が同じフレーズを繰り返したりするとイライラしたり、言葉が乱暴になったりしませんか?大抵早口になり、キツイ言葉になります。早口でしゃべられると、日本語に聞こえないんです。言葉を聞いて理解する処理のスピードよりも、次々と言葉が飛んでくるのでただの騒音にしか聞こえないのです。認知症が無くてもイライラしている人が話す時は、心に浮かんできた言葉をマシンガンのように次々出してきて、この人は何が言いたいのかな?と思う事はありませんか?話があっちにいったりこっちにいったり、脈絡がない。イライラしているということは分かっても、その原因は全く、さっぱりわからない。認知機能が正常の方が聞いても分からないのに、認知機能が低下している認知症を患っている方が理解できるはずが無いんです。認知症の方に話を聞いてもらうという目的を果たすためには、まず、イライラしていたら深呼吸をして、心を落ち着けましょう。イライラする気持ちや怒る気持ちを駄目だとは思いません。人間なので当たり前の感情です。静かな、お互い心が穏やかになることができる場所で、話すスピードは少しゆっくりな感じで話してみて下さい。話を聞いてくれているな!と実感出来ると思います。認知機能が低下しているならば、向上させればいい。という考えに行きつく方々は多いと思います。どうすれば認知機能が向上するか?それは水にがキーです。水分不足になると、認知機能の低下、体調不良になる、怒りやすくなる、歩行状態が悪くなる、便秘になる、脱水になる。など、身体や精神への悪影響が考えられます。夜間せん妄などは水分不足が原因です。それではどのくらいの水分が必要なのか?1日1.5L~2Lを目安に心がけると良いと思います。しかし、2Lもの水分を摂ることは難しい!と思うのではないでしょうか?やはり運動をしなければ水分がほしいと思いません。認知症に有酸素運動が有効であるという研究結果もあります。ですから運動はとても大切だと思います。一番いいのは、その方が昔やっていたスポーツをもう一度無理のない程度始めるというのが良いのではないかと思います。趣味の再開、仲間の再獲得、生きがいづくりという面で考えても良いのではないかと思います。この連載でも紹介しましたが、竹内孝仁先生は認知症ケアでも40年近く研究をされている方でティッシュを食べてしまう認知症の方に、水分を飲んでもらい認知機能をあげることで、ティッシュは食べるものではない!という認知が出来るようになりティッシュを食べなくなった。このようなケアをしています。ティッシュではなくても、異食行為ある認知症の方を数多くケアしています。自分を愛してくれて、心から心配してくれる存在を求めている。というのは、常に不安に苛まれ、混乱の中で生活している認知症の方。誰にも頼ることが出来ない孤独の中にいる。その時に全く知らない人に声をかけてくれたり、思いやりのある行為を受けたら、それだけで一瞬ではありますが安心や安らぎに心が包まれることでしょう。それが家族や知人で自分のよく知っている方(認知症状が重く、顔が認識出来ず表面的には家族、知人のことを忘れているとしても)だったらどれほどのものでしょう。きっと、洞窟の迷路の中で、出口から見える太陽の光を見つけたほどの感動がこみあげてくるのではないでしょうか?認知症の方にとって、家族や知人は希望の光です。どうか認知症を介護しているご家族や知人の方、自分は希望の光なんだと自覚して欲しいです。もちろん毎日毎日同じフレーズの言葉を繰り返されたり、暴力や暴言があったり、家から出て迷い人となり、警察のお世話になったり大変なことは多いかと思います。じいさん、ばあさんを殺して、自分も死んでしまおうと、本気で悩むくらいいっぱいいっぱいになってしまう事もあるでしょう。そんな時は行政に相談に行きましょう。介護保険課や地域包括支援センターもあります。あと、家族の会(http://www.alzheimer.or.jp/)ここでもいろんな活動をしています。信用がおける友達に愚痴るのもいいと思います。その時は無礼講で話をして、介護者がストレスを溜めずに、認知症の方の前では希望の光でいづづけることができれば、認知症状は軽減していきます。
2014年01月15日
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認知症をケアする上で、認知症の特徴を知ることはとても大切だと思います。1. 点でしか物事を捉えることが出来ない。2. ほぼ24時間混乱状態の中で生活している。3. 認知機能が低下しているので、言葉が理解できない。4. 自分を愛してくれて、心から心配してくれる存在を求めている。「1」から順に説明していきます。『点』でしか物事をとらえることが出来ないということは、どう言う事かというと『今』しかないという事です。例えば、朝目が覚めて、顔を洗いに行った。とします。『時間』という『線』で僕たちは捉えています。『点』でしか捉えることができないと、まず『朝』という点、『目覚める』という点、『起きる』という点、『歩く』という点、顔を洗いに行くまでに、いくつの点を通過していかなければならないのでしょうか?その『点』ひとつひとつがジグソーパズルのピースのようにバラバラに向かってきたらパニックになるのは当然かと思います。80歳の方が何かのきっかけで20歳の時の思い出を思い出したとします。そうしたらその方は『時間』という線の概念がないので自分が20歳だと思います。その時のその人が生きている時間は20歳なのです。だから、その方に「あなたは80歳のおじいさんだ、おばあさんだ」といったところでそれを受け入れることはできません。その人にとって『今』しかないのですから。じゃあ対応はどうしたらいいのか。その人の世界を介護者というか認知症の無い人たちが受け入れることが大切だと思います。受け入れるとは、その方の世界観に入り込む。その方が「私の20歳」という劇をしていると想像してみて下さい。介護者はその劇の共演者として、その劇を成功させる為に一生懸命努力する。観客はもちろん、その方の思考あるエネルギー体、本当の自分です。その劇を観て、幸せな気持ちになります。その幸せな気持ちは、認知症の不安や混乱を癒し、「20歳」の今を幸福な時代にすることで「80歳」の今も幸福の光で照らすことになります。ここで生まれるものがあります。それは絆という信頼感です。この信頼感という絆が『点』と『点』を繋げる『線』になるのです。なぜ24時間混乱の中にあるのか。それは『点』でしか捉えることが出来ないからです。『今』というピースが人生何十年分の『点』と存在したら一体何十万ピースになることでしょう。それが同時に自分に向かってきたら何が何だか分からなくなり混乱するのは当たり前で、認知症がなくても、自分で処理できない問題が同時に10も20も抱えることになったら、頭を抱えて混乱すると思います。混乱は勘違いをさせ、嫁がお金を取ったと思い込む。夏に寒いと言って何枚も服を着る。ご飯を食べても食べていないという。自分の家を他人の家と思い込む。さまざまな取り越し苦労や持ち越し苦労を誘発していきます。それによって更に混乱は酷くなっていきます。ちょっと想像してみて下さい。夜になり自室のベットに横になり眠りました。翌日目が覚めると、どこまで広がる地平線が続く、氷の上で寝ていた。熱帯雨林のジャングルの土の上に寝ていた。クレーターらしきがある地面の上に寝ていた。どこで目覚めてもいいのですが、とにかく自分の想像を絶するところで目が覚めたとリアルに思い描いてみて下さい。どんな気持ちになりますか?僕はきっと、目が開いて目に入ってくる景色を理解するのに時間がかかりしばらく茫然自失の状態で寝ているとおもいます。その後飛び起きて、辺りを走りまわりここはどこなのかを知ろうとすると思います。心臓の鼓動は早鐘のように早く打ち、ただ右往左往とウロウロ目的もなく歩き回っているのではないかと想像します。この時の不安な気持ちや心は推し量るのは難しいでしょう。そんな時、名前は知らなく、話したこともないけど、顔は知っているという方を見つけることが出来たら、それだけで安堵感から涙が出てくるのではないかと思います。認知症という病気はそのくらい大きな不安感の中にいます。だからこそ、いつもお世話してくれる家族や知人の存在は神様の様なものです。そして、家族や知人は認知症の方の安定剤であり、認知症を治癒させる薬です。現在アリセプトなど認知症の薬がありますが、家族や知人の適切な対応で、薬以上の効果が見込まれます。もちろん、薬を否定しているわけではありませんので誤解をしないで下さいね。
2014年01月14日
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認知症状は、介護してくれている人の中で一番信頼している人に一番強くでると言われています。例えば、日付も分からなければ、1月で雪が降っているのに「今日はなんて暑い日なの?まだ5月なのに」や「あんた誰?ドロボー」と大声で叫んだりするのに、ご近所さんや息子(同居の息子、嫁の旦那さん)には日付は間違えることもなければ、季節も間違えない。「嫁は良くやってくれる人で、良い人と結婚したな」など嫁を褒めたりねぎらったりする。ぜんぜんまともな人として話をする。嫁は旦那さんからは大袈裟だ!いい加減にしろ!と叱られ、自分の味方になってくれない。ご近所さんからは白い眼で見られる状態、どうやってストレスを吐き出せばいいのか分からない。フラストレーションがたまるばかり、ノイローゼになりそうなくらい追い込まれていきます。 このような認知症状、この場合、嫁に対する姑の認知症状ですが、世界中で姑が嫁を一番信頼している人と言えることが出来るのです。実の息子でも、他の子供たちでもなく、赤の他人で、さんざんいじわるされてきた(良好な関係の方もたくさんいるかと思います)姑が嫁を世界の中で一番信じていて、安心できる存在、そして最も愛している存在なのです。だからこそ、認知症状が強く出るのです。 この認知症状が強く出る行為は、姑が嫁に助けを求めているサインです。「私を助けてくれ!救ってくれ!」というメッセージであり、心の叫びなのです。認知症状が強く出れば強く出るほど姑も切羽詰まっていて、縋りつく思いで泣きながら頼みこんでいる状態なのです。助けを求めているのですから、助けてあげましょう。救ってあげましょう。デビルマンというアニメの歌に「誰も知らない知られちゃいけない。デビルマンが誰なのか」という詞があります。人知れず人々を救う正義のヒーロー、ヒロイン?になろうじゃありませんか。そして、怪人『孤独の悪魔』を倒そうじゃありませんか、嫁の絶対的な神や仏のような愛の力で。怪人『孤独の悪魔』を倒せば、姑を認知症からくる不安や混乱から解放する事になります。解放されれば穏やかで幸せな心が顔を出し、姑の人生を明るく照らしてくれます。第4回の中で、思考あるエネルギー体が本来、本当の自分なので、3次元でおかしな行動をとっている事に対して申し訳なく思っている。と書きました。姑の思考あるエネルギー体は、嫁に対してどんな事をしているのか知っています。見ています。申し訳なく思っています。嫁が姑の認知症状に対して正義のヒロインとして戦ってくれている姿も見ていますし、涙を流して感謝をしています。 姑は嫁が自分に対する大きな愛で守り続けてくれている事に、絶対的な信頼と安心感が自然に出て来て認知症状を封じ込めていきます。嫁がいる限り、姑が怪人『孤独の悪魔』に惑わされることはありません。その間に家族、地域の中での姑の役割を確立していく努力をみんなでしていくのです。介護保険を上手に使う。地域のボランティアに参加する。老人会や婦人会などに参加したり、姑が家族や地域の中で役に立っていると実感できることを作っていく。第5回は認知症ケアの心構えについて考えてみました。
2014年01月08日
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僕の尊敬する認知症ケアのスペシャリスト竹内孝仁先生の本を2冊紹介しますので、是非読んでみて下さい。『認知症ケア』http://www.amazon.co.jp/%E8%AA%8D%E7%9F%A5%E7%97%87%E3%82%B1%E3%82%A2-%E8%87%AA%E7%AB%8B%E6%94%AF%E6%8F%B4%E4%BB%8B%E8%AD%B7%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88-%E7%AB%B9%E5%86%85-%E5%AD%9D%E4%BB%81/dp/4864790175『認知症は水で治る』http://www.poplar.co.jp/shop/shosai.php?shosekicode=80008020これから書く事は僕の持論で、僕しか発言していないと思うので、信じられないと思う人は信じなくてもいいと思います。そのくらい突飛な話をします。皆さんは人間は死んだのちどうなると思いますか?何も無くなる?前世の記憶がすべて消えて動物(人間を含む)にすぐに生まれ変わる?幽霊になる?たぶんいろいろ意見が出てくるかと思います。アンビリバボーというテレビ番組で脳神経外科の医師が臨死体験をしたのち、死後の世界はあると論文をかいたエベン医師の体験をまとめたものが放送されました。ホスピスを作ったキューブラロス先生も輪廻転生があると本にかいてあります。僕も死後の世界はあると信じています。信じているというよりはあると確信しています。そして、死後の世界が自分たちが本来いた世界だと思っています。死後の世界と書いていると長くなるので霊界にします。霊界には物質がありません。自分が思ったところにテレポートしていきます。そのような世界です。死んだ後の人間はどのような存在かといえば、エネルギー体という表現が一番イメージしやすいかもしれません。ただ、思考を持ったエネルギー体です。みんな同じ思考ではなく。それぞれが違う考え方を持ったエネルギー体。個性を持ったエネルギー体です。そのエネルギー体が肉体を纏う事で3次元物質界に誕生する事ができると考えています。霊界があるない等やなんでわざわざ肉体を纏い生まれる必要があるのか?という議論は割愛させて頂きます。自分の考えや思いは、脳が考えているわけではなく、思考あるエネルギー体が考えた事を脳が3次元世界に変換しているそのように考えています。認知症で脳にダメージがでれば、3次元に変換する時に間違った変換や変換できないことが起きてくると考えられます。それは3次元では言葉や行動として現れます。例えば排便をして自分で片付けているつもりが、手で便を握り壁に塗りたくつているとかなどです。肉体的にはおかしな行動をとっていても、本来の自分、思考あるエネルギー体としては、なにも異常はないので、自分がおかしな行動をとっている事を知っているし、肉体が暴走してしまった事を心から申し訳ないと思っているわけです。よく認知症の方は感情は残っているので、自分がしてしまった事は忘れてしまうし、言われたことやられたことも忘れてしまうけれど、悪い印象を与え続けていると、信頼関係がこじれていき介護拒否などが始まると言われています。それは、思考あるエネルギー体が見ているからです。分かりやすく言うと、肉体は車、思考あるエネルギー体は運転手という関係です。「お前はポンコツ車だ!ポンコツ車だ!」とことあるごとに言われ続けていたら良い気分はしないだろうし、そのような事を言う人から遠ざかって行くと思います。運転手である、思考あるエネルギー体が申し訳ないと思っている、その思いを少しくみ取ってあげる努力が介護であり、ケアだと僕は考えます。第5回に続く
2014年01月05日
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認知症は後天的な脳の器質的変化(委縮)が原因と言われています。脳のMRIをやると、あと何年後かに認知症が発症するかもしれないということが分かると言われています。認知症が治らないという根拠は、脳の委縮が元通りになる事は現時点では不可能なので治らない病気と夢も希望もない言葉が独り歩きしてしまっています。しかし、脳の委縮が原因という研究者とは別に、脳が全く関与していないわけではないが、脳が原因ではない。脳が原因だとつじつまが合わない!として、認知症を人格の病気であると言っている研究者もいます。人格の病気だと言っている研究者チームは脳が根本原因ではないので、認知症を治すことが出来ると言っています。どいうことかというと、例えば風邪をひいて、鼻水や咳、熱の症状があったとします。風邪が治ったという認定をするのは、鼻水や咳、熱の症状が無くなった状態のことを治ったといいます。それと同じように、ある認知症の方に異食行為があったとします。異食行為をしなくなれば認知症が治ったことになるという考え方。ただ、異食行為を出来なくするのではなく、食べれる物と食べれない物の区別がつくようになるということを指します。個人的には、後者の考え方が世界中に広がってほしいと思っています。認知症は医療、介護の力や薬を効果的に使用する事で治すことも改善する事も出来るのだ!!という考え方が広がってほしいです。認知症発症の原因は次の様なものだと考えます。1. 外からの刺激がなくなる。2. 自分の役割がなくなる。3. 目的もなく毎日過ごす。この3つが主な原因だと思います。この3つから導き出されることは『孤独』です。外からの刺激がなくなることは、他者との関わりが無くなることを意味します。自分の役割がなくなることは、周りから自分が必要で無くなるという事を意味します。この2つの結果から生きる目的を見失い、生きた屍として息をしているだけの存在になってしまい認知症が発症してしまうのではないかと考えます。どうして認知症が発症するのか?認知症はどんどん忘れていく病気です。自分の年齢も名前も家族の顔も名前も忘れてしまいます。自分がどこにいて、何をしているのかも忘れてしまいます。自分の存在自体を忘れてしまうのではないかと思うほどいろんなことを忘れていきます。哲学的な問いと答えで「あなたは自身とは、いったい何であるか?」と問われた時「自分とは自分の考えているところのものである」というのがあります。要は自分の心の奥底で自分とはこのような人間であると思っている、その思いそのものが自分自身であるという考え方なのですが、認知症が発症するということは、人づきあいが減りコミュニケーション自体がなくなり(外からの刺激がなくなる)、家族の中、地域の中での役割がなくなり、自分の存在が希薄になり、無意味な毎日を過ごしていることで、自分の存在を忘れ去りたいと心の奥底で思い続けていき、毎日、毎日自分の存在を忘れたい!忘れたい!と自己暗示をかけていくうちに、物事を忘れていく認知症という病気を自分で作りだしているのではないかと思うわけです。自分は生きている価値もなければ、存在している価値もない。というより、自分は本当に存在しているのか?と真剣に考えていると気が狂ってきそうになるので、自己防衛的にいろんなことを忘れていく。このような忘れ方と、例えば、赤ちゃんの人形を抱いている認知症の女性の場合、子育てに悪戦苦闘しながら忙しく働いていた時代が人生の中で最も充実した時代だったので、その年代に戻る。退職した会社に出勤しようとする元サラリーマンは、自分が課長や部長になりバリバリ仕事をしていた時代が黄金時代で、自分はその黄金時代の中で生きていると思っているからその黄金時代に戻る。自分が人生で一番輝いていた時、充実していた時代に戻ることで、自分の存在意義を担保しているそれが認知症の正体なのではないかと考えます。
2014年01月04日
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第2回 『認知症発症の原因』について考える 2認知症発症の原因として、男女共に長年続けてきた生活習慣が崩れたという共通する出来ごとがあります。男性だと仕事、女性だと家事全般をやらなくなった。どうして仕事や家事をやらなくなると認知症が発症しやすいのでしょうか?1.環境の大きな変化2.役割の喪失3.生きがいを見失ってしまった上記の3つが理由だと考えます。『1』の説明として、年を重ねていくと適応能力が衰えていきます。お年寄りじゃなくても、急に引っ越すことになったり、転勤などで心の準備が出来ていないまま引っ越しや転勤をすると鬱になってしまう方がいます。鬱にならないでも、なんだか身体の調子が悪い、引っ越した街に馴染めないで違和感があるなど、程度の差はあれ、スムーズに適応出来なくて悩んでいる方は多いのではないかと思います。若者(高齢者に比べてという意味で)でもそうなのですから、高齢者(65歳以上)と呼ばれる年齢の方が環境の変化に適応できないのも最もなのかもしれません。環境の変化に対応できないということがどういうことかというと、自分が置かれている現在の状況を理解できない、把握できないで、どうしていいのか分からない状態のことを指すのだと思います。『2』の説明として、家族、夫婦で暮らしていたらその中での自分の役割を無意識か意識的か分かりませんが自覚して行動しています。一人暮らしだとしても、ご近所や地域の中での自分の役割を把握して行動しています。その役割が突如終わってしまったらどうなるでしょう?きっと何をしていいのか分からない状況に陥るのと、自分は役立たずの人間だ!等自己卑下して、周りがみんな敵に見えてしまうようになってしまう可能性があります。『3』の説明として、生き甲斐というと、私は生き甲斐なんて持ったことがないですよ!と言われる方が中にはいるかもしれません。生き甲斐とは、仕事や家事を通して、自分が成長し且つ人の役に立ち、社会の役に立っているという充実感のことを言うのだと思います。ですから、自分は生き甲斐なんて持っていないよ!という方がいたとしても、それは、当たり前の生活スタイルなので、生き甲斐と気が付いていないだけで、その酸素の様な生活スタイルが生き甲斐なのです。それが失くなれば、酸素不足になってしまうのです。第2回目はこれでおしまいです。 認知症ケア上級専門士 原田範如
2014年01月02日
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認知症になってしまう事は、本人にとっても、家族にとってもショックな出来事で、とても悲しい事です。自分の記憶がどんどん消えていく事はどれだけ不安を掻きたてるか想像してみると怖いです。それでも生きていかなければならない。自分の寿命が来るまで。そんな不安と恐怖のトンネルを懸命に歩んでいる方々の役に立ちたいと思っています。認知症の原因として挙げられているのは、男性の場合だと、定年退職したら趣味に生きよう!やりたい事をやろう!忙しすぎた仕事だったのでゆったりと暮らしたい!など、今まで命がけでやってきた仕事から完全に分離した生活を始めた事で、生活スタイルが激変した為に自分が思い描いていたスタイルにスムーズに移行できずに、毎日目的をなくしてしまった生活を続けてしまう事になり、その間に認知症が発症してしまう。女性の場合だと、子供たちが母のことを心配し、同居を始めたり家事全般を手伝う事で、母の役割がなくってしまい、急に変わってしまった自分の生活スタイルにどう対応していいのか分からなくなり、特に目的もなくテレビを見たりしているうちに認知症が発症してしまう。このようなことが多いようです。第1回目はこれでおしまいです。第2回目はもう少し突っ込んで考えてみたいと思います。 認知症ケア上級専門士 原田範如
2014年01月01日
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