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拮抗状態が望ましい New! かめおか ゆみこさん

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森の声

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2017.01.31
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カテゴリ: カテゴリ未分類
今日は、午前中は幼児教室で(「ばばばーちゃんのおもちつき」をやりました)、帰ってきて食事をしたら、映画「沈黙 -サイレンス」(遠藤周作原作)を見に行って、また帰ってきたら即、家内の買い物に付き合わされ、今さっき帰ってきて今パソコンの前に座っています。

ということで今日は短くさせて頂きます。

またしばらく「気質」について書かせて頂きます。

ちなみに、私は1971年の最初の「沈黙」も見ています。
愛について、神について、人間について、色々と考えさせられる映画です。

***************

新しく横綱になった稀勢の里は、「勝っても負けても淡々としている」ということが「横綱の風格がある」と褒められていますが、私はあれは稀勢の里の気質がそうなだけであって、別に「横綱の風格」とは関係がないと思っています。

でも、そういう「粘液質的な無表情」を褒める文化が日本にあるのは事実です。

日本人は粘液質と憂鬱質が強い民族ですが、一般的に、粘液質が強い人は愚痴も言わず、音も上げず、コツコツと努力する傾向があります。



またそれは、農耕文化にぴったりの気質でもあります。
だから、日本では昔からそのような粘液質的な気質が肯定され、「あるべき姿」として褒められて来たのでしょう。

それに対してガッツポーズをする白鵬は、「品格がなく、子どもっぽい」などと、所作に関してはあまり評判が良くありません。

でもこれも、騎馬民族出身の白鵬の胆汁質的な気質の表れに過ぎないので、横綱の風格とは関係がないと思っています。

もっとも、日本の文化の中に、「横綱とは感情を表に出してはいけないのだ」という暗黙の美意識があるのなら、それはそれでしょうがありません。

また、粘液質の人だけでなく、憂鬱質の人も感情をあまり表に出さない傾向があります。

でも、粘液質の人とは異なる原理がそこに働いています。

粘液質の人の感情はからだに吸収されてしまうので、表に出にくいのです。

意味が分かりにくいかも知れませんが、感情がないわけではなく、心の中に生まれた感情がからだの外側に届く前に消えてしまうのです。

それに対して、憂鬱質の人は、自分の感情を隠そうとする傾向があるのです。
(特に、憂鬱質的な状態を肯定されないで育った憂鬱質の人にその傾向があります。)


からだを固めないことには感情が外に出てきてしまうからです。

粘液質の人の表情は大げさではありませんが、ちゃんとあります。稀勢の里だってちゃんと自分の喜びをそれなりに表現していると思います。

でも、否定されて育った憂鬱質の人の場合は、感情表現を意識的に抑えているので、感情が読めないのです。

(それは胸の硬さとしてからだの中に存在しています。)

じゃあどうして、憂鬱質の人は自分の感情を隠そうとしているのかというと、多分、自分の心を読まれないようにするためだと思います。



だから、相手にも自分の心を探られないために、隠そうとするのではないかと思います。

<続きます>





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Last updated  2017.02.02 12:20:42
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