森へ行こう(心とからだと子育てと)

森へ行こう(心とからだと子育てと)

PR

×

Keyword Search

▼キーワード検索

Favorite Blog

拮抗状態が望ましい New! かめおか ゆみこさん

Comments

Profile

森の声

森の声

2017.12.20
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
ゲームを肯定する人達は、ゲームによって育つ能力や、技術を強調します。

「ニコニコニュース」というサイトの

ゲームをやらせないのはもったいない!? 実は子どもの力になる「勉強との両立」のコツ「勉強との両立」のコツ」

という記事にもそのようなことが書いてあります。

ちょっと長いですが一部を引用します。



朝日小学生新聞社は、457人の小学1年~6年の男女とその親を対象に「家庭で遊ぶゲームについて」のアンケートを行いました。

その結果、小学生の85.1%がゲーム好きであることが分かり、ゲーム機を持つ子どもの91.9%が家庭内においてゲームに対するルールを持っていることが分かったのです。

そのルールとは「宿題や勉強を済ませてからゲームをする」や「ゲームの時間を決めてやっている」などであり、1日のゲーム平均時間は50.6分であることも分かりました。

そして気になるゲームが子どもに良い効果があるという内容についてですが、ゲームOKの子はゲームNGの子よりも勉強時間が短い(OK82.3分、NG89.0分)ことが分かり、ゲームOKの子の方が効率的に勉強ができていることが分かります。

そして、ゲームOKの子の方がNGの子よりも勉強に対する集中力が高い(OK81.1%、NG73.3%)ことが分かり、宿題や勉強もゲームOKの子はNGの子より計画的(OK70.5%、NG60.0&%)に行えることが分かりました。

まだまだあります。

ゲームOKの子はNGの子と比べ、以下の点で優れていることが分かりました。

勉強を自主的にやる(OK75.9%、NG46.7%)社会性(ルールを守るなど)が高い (OK88.7%、NG73.3%)コミュニケーション能力(家族の会話時間が長い)が高い (OK90.5分、NG62.5分)
特に違いがあるのが、「自主性」と「計画性」と「コミュニケーション能力」であり、自主性については好きなゲームをやるためだったら…という子どもなりの考えが想像できますし、計画性についても、家庭内の決められたルールの中で時間を決め計画的にやろうとする子どもの姿勢が想像できます。

そしてコミュニケーション能力については、RPG、レース、アドベンチャー、音楽などゲームのさまざまなジャンルから得られる知識も多く、それがきっかけとなり親子の会話が増え、会話のバリエーションも広がっていることが考えられますね。


こんな記事を読んだら、みんなゲーム肯定派になってしまうかも知れません。

でももしこれが事実なら、ゲームなど存在しなかった私が子どもの頃の子どもたちよりも、ほとんどの子がゲームをしている現代の子どもたちの方が、学習能力も、社会性も、コミュニケーション能力も、計画性も、ルールを守る能力も高いはずです。

でも、実際に私が見ている子どもたちや、学校の先生達が見ている子どもたちはとてもそんな状態ではありません。

昔は学級崩壊などありませんでしたが、今では普通にどこの学校にもあります。
自分の欲望や、感情や、生理的な欲求を抑えることが苦手な子が増えてきているのです。


失敗を嫌う子、人目を気にする子も増えてきています。
情報の共有は得意でも、自分の考えや意見を述べたり、相手の言葉に耳を傾けながら対話することが出来ない子も多いです。

自然の中で、自由に仲間と群れて遊ぶ遊びにはこのような能力を育てる働きがあります。

(ですから、ゲームをしなくても、そのような遊び体験がなければそのような能力は育ちません。また、ゲームで遊んでいても、「群れ遊び」や「外遊び」もいっぱいやっているような両刀遣いの子はそれほど心配する必要はありません。)

でも、ゲームは「個人の特殊化された能力」を育てる力は持っていますが、「他者と繋がるために必要な能力」や、「人との繋がりの中で幸せを実現する能力」は育ててはくれないのです。

それに「○○をしないとゲームをやらせないよ」という状況の中でルールを守ったり、勉強をするようになったとしても、それが子どものためになっているのでしょうか。

ゲームが、「親が子どもをコントロールするための便利な道具」になってしまっているから、「ゲームの負の要素」には目を向けないようにしているだけなのではないでしょうか。

でも、思春期が近くなれば、次第に子どもは親の管理を拒否するようになります。
大人になれば親の支配から離れて生活するようになります。そうしたときに、「親の価値観に合う生き方」だけを求められて育った人はどうなるのでしょうか。

「自分らしさ」を失って「自分らしい生き方」や「自分らしい子育て」が出来なくなり、苦しむようになってしまうのではないでしょうか。

でも、そのような意識で子どもの育ちを見ている人は少ないです。
そして、多くの親が、「自分にとって良い子」に育ってくれれば満足しています。




つまり、これらの結果は、子どもや親たちのそれぞれの「主観」を集計したものであって、その結果にはなんの客観性もないということです。

子どもも親も、具体的な比較対象がない状態で、自分の価値観だけを基準にして、自分の状態や子どもの状態を判断しているのです。

でも、家庭の中の子どもを親の価値観だけで判断した状態は、社会的存在としての子どもの状態と同じではありません。

実際、周囲のお母さんからは「明るくて元気な子」と評されている子が、親からは「乱暴で落ち着きがなく、言うことを聞かない困った子」と評価されていることもよくあります。

その逆もあります。



そして、自分自身を客観的に見ることが出来ない人ほど、子どももまた客観的に見ることが出来ません。

これは気質のワークの時にもよくあることなんですが、「自分が思っている自分」が「現実の自分」や「他者が見ている自分」と同じであるとは限らないのです。

全く正反対のこともよくあるのです。

造形の場でも、最近の子は「自分は何でも出来る」と思い込んでいる子が多いですが、そういう子に限って、実際にやらせて見ると何にも出来ない子が多いです。

また、家庭の中で必要がない能力は、子どもがその能力に劣っていても親は気がつきません。もともと、その能力を必要としない生活をしているのでその能力が育たないのですが、まただから、その能力が劣っていても気付かないのです。

どこの家庭にも、それぞれ独自の「家庭のルール」があります。
また、子どもは親の価値観だけで、その成長や行動の良否を判断されています。
家庭の中には家族しかいないし、一つの文化しかありません。
ですから、その文化に適応し、親の価値観に適合していれば、親は「我が子はちゃんと育っている」と判断します。

でも、家庭の外の世界には家庭のルールとは異なったルールがあります。親の価値観とは異なった価値観があります。親とのコミュニケーション方法と、仲間や、先生や、他の大人とのコミュニケーション方法は同じではありません。

そういう場でのルールや、価値観や、コミュニケーション方法は、そういう場で、実際の体験を通して学ぶしかないのです。

そして、社会に出たときにはそのような能力が役に立つのです。

お母さんとの会話がちゃんと出来ていれば、お母さんは「コミュニケーション能力も育っている」と判断します。でも、その会話のパターンはいつも同じです。ですから、お母さん以外の人とも同じようにコミュニケーションできるとは限りません。

「家庭」というのは特殊化された閉鎖社会なんです。
「家庭」の中には多様性が存在していないのです。

ですから、その閉鎖社会の中で、ゲームが子どもの行動に肯定的に働いているように見えても、それが実際の子どもの成長に肯定的に働いているとは限らないのです。



そして、ゲームの危険性を発信しているのもそのような人達です。私は、「ゲームをもっとやらせなさい」と発信しているような教師や小児科の先生を知りません。

そのことをどう考えるかということです。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2017.12.20 11:42:56
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X

Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: