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夕方スーパーで買い物をしていたら、年配の男性が声をかけてくれました。「毎日ご苦労様。議会報告みさせていただきました。風邪をひかないようにして頑張ってください」と。こうやって激励してくださる方がいることは本当に嬉しいことです。その後、笠原市議と最近なじみになったお店に、議会報告のお誘いをしながら新聞購読のお勧め。憲法9条を守る署名にも快く応じてくれたあと、「NHKの慰安婦問題の改ざんは本当に頭にくる。今日、銀行に行って口座引き落としを解約する用紙をもらってきたんです」と一気に思いを語ってくれました。この問題が特集されている赤旗日曜版をお示ししながらお話すると二つ返事で購読を約束してくれました。受信料が78億円のマイナスとの報道がありましたがみんな本当に怒っています。辞任した海老沢前会長を顧問にすえようという神経がしれません。懲りない面々ですね。夜は10時からテレビ信州の「自閉症の我が子へ・・・奇跡の子育て奮戦記」を視聴。自閉症の子どもさんを育てる親御さんの大変さに身がつまされました。自閉症は1000人に3人の割合でいるという。家族をサポートできる体制の必要性を痛感しました。先日新潟に行くときの車中では県立子ども病院を題材にした「電池の切れるまで」を読みましたが、当事者の気持ちを本当には理解し切れていなかった自分を情けなく感じました。でも、共産党県議団も要望してきた医療的ケアを必要とする子どもさんがいる養護学校に看護師を常駐させるという予算が新年度からつくことになったことはビッグなニュースです!
2005年01月31日
合併にともなう長野市の増員選挙の投開票が今日おこなわれ、旧豊野町から町議経験を持つ佐藤くみ子さんが立候補して一騎打ちの選挙に果敢に挑戦していましたが、議席には届かず、残念。彼女の頑張りに学び開拓者精神を大いに発揮して私も頑張りたい。佐藤さん、長野市の皆さんご苦労様でした。
2005年01月30日
下諏訪町の藤森スマエ議員から「県政はいまどうなっているのか知りたいという人が多いので是非下諏訪に来てお話してほしい」と要請があり、今日は、共立病院健康友の会岡谷ブロックの定期総会でごあいさつしたあと、湖北トンネルを飛ばして下諏訪へ。前の会議が延びていたので遅れたせいか既に会ははじまっており、さっそくお話しさせていただく。政治を見る場合に大事な事は予算の使い方。県財政の現状とその分析、そのような中でどの様に使い方が変化したのか、またそのなかみはどうなったのかについてお話しし、皆さんが知りたいと思っておられる山口村の合併問題の基本と県議会や知事の対応、知事の人事政策などについてお話させていただきました。今日の新聞にも報道されているドクターへリのことや養護学校への看護師の配置についても報告させていただきました。皆さんの感想は「せっかくここまで前進させてきたのだから絶対後戻りさせたくない」ということでした。このところの信毎紙上での下水道工事をめぐる報道は大して問題にしなければいけないことでもないのに連日キャンペーンを張っており、異常です。「県政改革は道半ば」本当に全身全霊をかたむけて取り組まなければなりません。住民要望にしっかり耳を傾けながら政策提案をしっかり行い実現できるように頑張りたい。夜は帝ピス後援会の新年会。職場の労働環境がますます悪くなっている実態を伺い、予想以上のひどさにビックリ。週30時間40時間の残業は当たり前。労働協約で派遣社員は5%と謳ってあるのに今は職場の中に、半数近くが派遣。それも中国人が多いと。中国人も研修できている人と派遣できている人では賃金も労働条件も雲泥の差とのこと。能力別賃金も導入され、同じ仕事をしていても何万円も違い、その根拠もはっきりしない。あちらこちらで不満が噴出していると。皆で集まって職場の問題を話し合うだけでもほっとするといっていました。この状態も何とかしないと。
2005年01月29日
岡谷から列車や高速バスを乗り継ぎ、およそ5時間かけて昨夜新潟入り。沢山雪があると思いきや新潟市内は雪どころか雨。驚きました。今日は党県議団・「あおぞら」の林県議と朝9時半から新潟県立がんセンター新潟病院を訪問し、機能や役割について伺う。長野県出身の院長先生、事務長、看護部長が応対して説明してくださる。病床数500床、病床利用率93%の総合病院で入院患者の85%、外来患者の60~70%ががん患者とのこと。平均入院日数は15日。ほとんどガン告知がされており、クリ二カルパスを導入し、治療方針をしっかり説明して納得してもらった上で、在宅治療を行っているという。ドクターの充足率は140%ということで、ガンの早期発見やガン治療ではかなり権威のある病院。医学図書室も備え蔵書数も多い。また様々な不安をもつ患者のために、寄付された本がずらりと並ぶ「からだのとしょかん」も設置されており、自由に貸し出しができ、ボランテイアによって運営されています。また国立がんセンターや地方のガン研究をおこなっている病院とテレビ会議システムでむすばれており、研究発表や研修なども旺盛に行っています。今日の視察を長野県でがんセンター設置を考える参考にしたい。午後は新潟中越大震災の発生メカニズムや、生活再建、また震災と福祉について3人の大学教授による報告をお聞きし、研修しました。出版されたばかりの「大震災10年と災害列島」の本を買ってきました。このなかに「知事が語る大災害への備え」ということで、鳥取県の片山知事、高知県の橋本知事、それに我が長野県の田中知事のインタビュー記事が掲載されており、読み応えのある内容です。2月議会の一般質問では災害問題を取り上げようかなと思って、今資料集めをしたり勉強したりしています。今日の研究会はその意味で、災害対策の到達点や災害問題を考える上での重要な視点を教えてくれました。5時ころ新潟を出て家に着いたのは夜中の11時半。同じ北信越といっても交通の便が悪くなかなか遠い。
2005年01月28日
今井岡谷市議と一緒に諏訪養護学校を訪問。校長先生から概略と現状での課題をお聞きしたあと、校内をご案内いただきました。ここは小学部、中学部、高等部、訪問部をもつ学校で寄宿舎もあります。小学部では先生が模造紙一枚ほどもある大型の紙芝居を使って「3匹のヤギのがらがらどん」を臨場感一杯の声で読み上げていて数人の児童は釘付けになって集中していました。廊下では大きなダンボールで節分にちなんでか鬼を作ってありその中に先生が入って「わおーわおー」と子ども達と遊んでいました。中学部、高等部では作業学習の最中。木工、陶芸、籐細工と本当にプロ級の作品。指導する先生方の熱心さと、夢中で瞳を輝かせて製作している生徒の姿がとても印象的でした。籐で編んだドライフラワーの壁掛けがとても素敵で、いつもはバザーが開催されたときに手に入れているのですが譲っていただけるとのことで、購入してきました。製作した生徒さんを先生が呼んでくれて、「素敵なのをありがとう」というとにっこり笑顔で答えてくれ大きな手を振ってサヨナラをしてくれました。県下どこの学校もそうですが該当する子どもが増えていてなかなか大変とのことでした。三台のスクールバスで2人の介助員が乗り込んで送迎するようですが、車内で発作を起こす子や隣同士つつき合って喧嘩したりなど、大変で増員できればありがたいとおっしゃっておられました。生徒数の増加にあわせて高等部の教室が2部屋今年増築されましたがプレハブだったことがちょっと残念です。廊下や教室の展示物がデジカメ写真なども沢山使って貼られておりとてもカラフルでした。時節柄力強い書初めの展示もありましたが「おきなわ」というのがあったので、伺うと修学旅行が沖縄なので、心待ちにしているのでしょうとのことでした。楽しみにしている気持ちが伝わってくるようでした。急なお願いに忙しい中対応していただいた校長先生に感謝です。
2005年01月26日
今日は珍しく半日自宅。先日ある団体の新年会にうかがった折、肢体不自由児を持つ方から受けた相談が気にかかっていて、1月21日に出された県の養護学校地域化に関する100ページにも及ぶ、最終報告をインターネットでとって学習。ノーマライゼーションが声高に叫ばれているなかで、障害のある人もない人も住み慣れた自宅にちかいところで、ともに交流しあいながら学校生活を送っていこうという理念には大いに共感できますし早くそうしなければならないと思いますが、そのための施設や人的配置などが十分できるかどうか、また専門的な対応が必要な子どもにその保障がキッチリ出来るかどうかなどが課題になると思います。相談の内容は脳性マヒで歩行出来ない子どもさんが、いまは自宅から花田養護に通学しているが、併設の信濃医療センターに入院してもっとしっかり訓練を受けたいのにベットがあかず、入れないというもの。適切な時期にきちんとしたリハビリを行えば必ず歩行が出来るようになると医者が言っているというのなら何とか早い時期に対応出来るようにしてあげたいとおもうのですが。障害児問題の実情はいったいどうなっているのか。もっとしっかり調査する必要があると思い、早速諏訪養護学校に電話し、明日伺うことになりました。
2005年01月25日
諏訪地方はこのところ大変な冷え込み。今朝もマイナス10度は越えていたでしょう。あまりの寒さに夜中に目がさめてしまうほど。今日は終日憲法9条を守るための署名と新聞購読のお勧め。ウール100%のズボンに背中にはホッカイロ。つるつるに凍った道を仲間の皆さんと一軒一軒訪問する。「ああ9条ね。昨夜もNHKで報道していましたね。いいですよ。」気持ちよく署名してくれることが嬉しい。憲法を改正したほうがいいと考える皆さんは69%、9条変えたい人39%、変える必要なし39%との結果もあるようです。憲法を変えるといったとき、その中心は9条を変えることにあるのだから是非ともこの9条問題を国民的な話題にして、守るという声を強めないと。訪問中、岡谷市内で3000坪の田んぼを持ち、ポニーを2頭飼育しているお宅にはじめて遭遇しました。話している最中に馬やを案内して頂きましたがその目のおだやかなこと!おじさんの目も負けず劣らず穏やかでした。諏訪湖に近い市街地でこのような光景に接するとほっとします。
2005年01月23日
今日は10時から長野県保育問題連絡協議会の皆さんと県庁で学習交流会。午後は子ども支援課に要望を出しながら懇談と言う事で長野へ。午後の部は諏訪で行事があり、とんぼ帰りとなり欠席しましたが午前中の学習交流会で最近の子ども達を取り巻く状況をうかがい、愕然。以前は育休明けで入所してくる子どもが多かったが最近は育休を丸々取らないで入所してくる子が多い(経済的に親がゆっくり休めない、あるいは職場に休める環境がないということか)、表情がない子が多い、要求行動をしない、はいはいができない、お尻の筋肉がなく立てない、お風呂にも入れてもらえない、朝ご飯も食べさせてもらえない子もいる、保護者が長時間労働でほとんどが夜6時、7時まで働いており、学童クラブの時間延長の要望が強い、不審者がうろうろしているので、園で子どもを散歩に出せないなどなど。国の保育基準を上回ってゼロ歳児は一人の子どもに一人の保育士をつけなければならないほど、小学校でも30人規模学級というのに、3歳児が30人に対し保育士1人ではとても条件が悪すぎて見きれないなど、最低基準の見直しに多くの意見が出されました。子ども達の保育状況が社会の変化とあいまって本当に劣悪になっていることを知らされ、何とかしなくてはの思いにかられました。児童虐待もあとを絶たず、ネグレクトされている子も多いとのこと。そういった子が集団の中にいるとどうしても全体が落ち着かず、毎日大変な思いで保育していることなど、切実な声もお聞きしました。最低基準を引き上げて「子どもの権利条約」で謳われている子ども達の当たり前の権利がきちんと守られる保育行政にしていかなくてはと痛感。心豊かな子ども達を育てるために精一杯頑張っている若い保育士さんたちには本当に頭が下がります。
2005年01月20日
諏訪食品衛生協会の新年会に参加したあと、隣のホテルで今度は諏訪消防協会の新年会。1月は新年会のオンパレード。組織ごとに多様な形態での新年会が行われ、皆さんと交流できるのも楽しい。飲食をともなうものなので、当然のこととして自費で会費を出して出席させていただいていますが、出費がかさんで?万円。毎日キャッシュカードで引き出しています。消防協会の新年会は昨年は都合がつかずに欠席でしたが、諏訪6市町村の消防団の正副団長、それぞれの首長と議会、市町村の消防職員、それに地方事務所関係者。監事は地方事務所生活環境課が担当しており、なかなかの盛況ぶり。このなかで県が平成17年度から廃止をしようとしている県消防協会への補助金のことが話題になり、「是非廃止しないでほしい」という強い要望が出されました。総額で1324万9千円ですが、その中身は県消防協会事務局長の人件費やポンプ操法県大会の運営費補助などです。若い団員を含む、消防団の皆さんの日ごろの献身的な活動には常々頭が下がる思いですが、常備消防だけではとても対応しきれないなかで、新潟中越地震の支援などをみても補助金を減らすという冷たい対応でなく、苦労を重ねながら、危険とも背中合わせで、実績も上げて頑張っている皆さんを激励していくことこそ必要ではないかと思います。消防団員の確保もたいへんで、岡谷の成人式では、壇上にたってそれぞれの分団の代表者がリレーでアピールするほどの事態で、「僕は今年成人式を迎えました。親が頑張っている姿を見て、自分も人の役に立ちたいと思って入団しました。」「私は公務員です。公務員でも団員になれます」など、その一生懸命さには心打たれるものがありました。皆さんの思いが是非叶うよう頑張りたいと思います。女性の団員もチラホラ目にするようになりましたが今日は私が紅一点。他市町村の方から新聞、テレビで見るより若い?と言われ、ゴキゲン。
2005年01月19日
長い間党活動を行って頑張ってきたTさんが、体調を崩して入院したと言うので、今日は諏訪日赤へお見舞いに。骨に転移してコルセットを作ってもらい出来上がったばかりだと脇において寝ていました。お声をかけると起き上がり、元気な声で病状や近況を話してくれました。思ったより元気でほっとしました。薬草などに造詣の深い方なので退屈しているだろうなと「信州の野草」という本を持って行くととても喜んでくれました。「まだまだ生きなければ。120歳まで生きる」とおっしゃっておられましたが、早く元気になることを祈るばかりです。11月に後援会のバスハイクに行ったときはこんな病気にかかっていることを本人も知らなかったのに、あまりに急なことで呆然。諏訪湖や周りの山々が良く見える病室で、静かな時間が流れていきました。
2005年01月18日
昨夜来の雪は止むことなく降り続き、朝起きてみると一面雪に覆われ車もスッポリ。降雪時は隣近所総出で市道の雪かきをするので、5時半におきて家の庭からかきはじめ。水分を含んでずっしり重い。家が密集していて雪の片付け場所がなく、庭に山積み。7時までかかってようやく終わる。その後、商店街の真ん中に借りている事務所の雪かきをするために雪の中から車を掘り出し、乗り出すと主な国道、県道、市道は除雪車が入ってきれいになっており、ひと安心。事務所には岡谷市議団の皆さんもきていて、隣近所の商店の店先や、商店街の駐車場もついでにかきました。コミュ二ティの当たり前の勤めと思って降雪時はいつも雪をかいていますが、不特定多数の通る場所などをきれいにしておくととても喜ばれます。今日も商店の方々から「早くからやっていただきありがたい」と感謝されました。9時半から2つの会議を行い、そのあと仲間の皆さんと9条を守る署名や新聞「赤旗」のお勧めに。2人の皆さんが読んでくださることになり、署名も快く応じていただきました。住民過半数を取るためにはもっとピッチを上げなくてはなりません。今日は靴も靴下もズボンもびっしょり濡れて3回も着替えました。
2005年01月16日
今日は珍しく終日岡谷。年末の議会終了後、地元の共産党支部の方から、「長野県政がどうなっているかきちんと知らせるために、県議会報告を草の根でやろう」という提案があり、急遽13日の午後に私の住んでいる団地で行うことになりました。そんなわけで今日はチラシを持って訪問活動。kさんを訪ねると、「おじいちゃんはパチンコにいっている」という。「戦利品はありますか」というと「それが全然。家でコタツにばかりいても困るけどパチンコはお金を使うから腹が立つ」と言いながら顔は笑っている。長い間働きつづけてきたお連れ合いさんが、ほっとしてパチンコに通うのを口で言うほど嫌がってはいないみたい。足が痛いといいつつ、いつもの明るさで元気に応対してくれました。Mさんの所に行くと奥さんが出てこられて「その日は夫が入院する前日で床屋に行かなくてはいけないの」という。「どうなさったのですか?」と聞くと声をひそめて胃の辺りをおさえながら「ガンなの」という。ビックリ!「たいへんですね」というのが精一杯。「寒いときなのでお大事に」といって失礼する。一人暮らしのTさんのところへ行くと「あれ、毛利さん」と元気なお声。この方は昨年息子さんを50歳で亡くし、お墓を心配されていたが、救援会のお墓を紹介し、一安心してもらった方。「チラシがはいっていたので、Aさんと行こうと話しあっていたところだよ」と。いつもおいしい煮物などを持って来てくれる。Sさんは若くして脳梗塞になり、離婚されて息子と二人で住んでいる方。後遺症があり、若いのに歩行が困難。ドアをたたくと「中に入って」というので、ずけずけと上がりこむ。しきっぱなしのフトンのそばで、「この間勧められてとった赤旗はとてもいいことが書いてあり、読んでいて飽きない」と。「それはよかった。是非長く読んでね」という。春になるまで戸外は凍ってあぶないので、外出はひかえているとのこと。不自由な体なのに、出来ることをやりながら精一杯頑張っている。皆大変な中でも様々な困難を乗り越えて頑張っていることに心うたれました。こうした皆さんに支えられて私は議会活動をやってきたし、今もやっている。皆さんの思いに応えられる政治にしなければ。
2005年01月11日
今日は朝から行事で駆け回り。8時半から岡谷市安協の出初式。9時45分から市消防団出初め式。2時から岡谷市成人式。終わって第1分団出初め式。成人式はいつも華やいだ雰囲気と新成人のあちらこちらで固まって再会を喜び合っている風景が新鮮で活気があります。ひところ私語が多く主催者の挨拶も聞き取れないという時期もあったのですが、ここ何年かはそういったこともなく整然と行われています。今日もとても静かで参加者の息づかいまで感ぜられるほどでした。新成人の挨拶の中では、イラク問題、中越大震災、北朝鮮拉致問題、戦後60年など幅広く社会の出来事にふれられており、そのような複雑な社会の中で、自ら信じた道をまっすぐに突き進んでいきたいというもので、堂々たる主張に感動しました。何人か知っている子どもさんもいて、目があうとにっこり笑って挨拶してくれました。この子たちにとって本当に平和で希望ある政治にしていかなくてはという思いを強くしました。
2005年01月09日
山口村の越県合併問題は新年の知事会見で国への申請が表明されたところですが、手続きが完了したとのこと。この間の様々な経過や取り組みは本当にいろいろありすぎ、思いも複雑でとても書ききれない。この問題では私達は残念だけれども住民自治の尊重を第一に村民の皆さんの選択に従うという対応をしてきました。「それでも長野県にのこりたい」という叫びにも似た訴えも届いており、身を裂かれる思いですが、これ以上の混乱はもう避けたいという思いもあって申請が終わってほっとしたというのが偽らざる心境です。中津川に合併し、岐阜県民になることで、住民の皆さんの生活がいま以上に決して低下する事のないよう、要望や不安にきちんと応え、暖かく送り出してあげたい。
2005年01月06日
午後長野で共産党県委員会の会議。2005年は憲法改悪反対と住民生活擁護、2大政党に打ち勝つ本当の実力をつける年。皆さんの意気高い活動報告と決意を伺い、私も腹がすわりました。今年もがんばります。夜はサンパルテ山王で新春党旗開き。木島日出夫さんや衆議院小選挙区予定候補者の中野さなえさん、岩谷しょうすけさん、三沢よしおさんの力溢れる決意表明がありました。来賓で参加していた田中木曽福島町長さんも挨拶されましたが特に「海を渡ったバイオリン」のバイオリン製作者陳昌弦さんとの無名時代の木曽川原で、生活の糧をうるための砂利採取をした思い出は心打つものでした。日本での過酷な労働の中ではぐくんだ友情と時代を超えて片や世界的なバイオリン製作者、片や共産党員町長というめぐり合わせ。過去の経歴や現在の激務の中で田中さんの苦労を苦労とも思わない誠実な話ぶりはとても共感の持てるものでした。朝鮮半島への日本の支配の歴史、偏見や差別もあったでしょうが、党員としての田中さんは人として陳さんと接し友情を暖めてきたと思います。終わって、長野市議の原田さんのお誘いで2次会。久方ぶりにカラオケで「舟歌」を歌いました。明日は団会議のため、公舎泊。
2005年01月05日
昨日は新聞休日でちょっとさみしかったのですが今日はどっさり来たので、朝からしっかり読んで、お昼はお雑煮。朝はまちまちに起きてくるので朝食はなし。普段は大人3人の生活ですが、長男、次男、長女とそれぞれ帰省していたので、久しぶりに賑やかな食卓となりました。それも明日まで。それぞれがまたちりじりに自分の生活に戻っていきます。昼食後、年賀状の返事を郵便局に出しながら母が「アピタ」に買い物に行きたいというので一緒に乗せてでかけました。穏やかな陽射しが注いでいました。これといって私は買いたいものがありませんでしたが、母の買い物を待っているうちに婦人服のお店をのぞいていたらかわいいピンクのスーツが目にとまりました。明日は岡谷市の新年祝賀会なので、昨年は白黒のチェックのスーツだったから今年は変えようかなと、気前良く買ってしまいました。春物なので、割引にはなりませんでしたが、去年頑張ったから自分へのご褒美にまあいいかと。新年初買いです。
2005年01月03日
今日は岡谷市議団と新春宣伝。昨夜議会報告作成のためにほとんど徹夜で、寝たのが6時だったため、10時の集合にぎりぎりセーフ。からりと晴れ渡り天気はよかったのですがひどい寒さで菅平ではマイナス25度を記録したとか。諏訪でもマイナス10度くらいにはなったでしょうか。ひなたを選んで市内一円を街頭宣伝してあるきましたが1箇所で「うるさい」と怒鳴られたのにはまいりました。諏訪湖の波も穏やかで、今年は白鳥がいつもの年に比べて少なく、目に入ったのは2羽だけ。そのかわりカモが沢山泳いでいました。今日の天気のようにすっきりした政治にしなくては。
2005年01月02日
新年おめでとうございます。昨年は、台風の上陸、新潟地震、暮れのスマトラ沖地震など、空前の災害に悩まされた年でした。暮れからの大雪で仮設住宅での生活はひときわ大変なことと思います。心からのお見舞いを申し上げながら一日も早い復旧を願ってやみません。今年も、多くのみなさんと手をたずさえて要求実現めざし、精一杯頑張ります。どうぞよろしくお願いいたします。今日は、恒例の諏訪大社上社、下社での街頭宣伝。木島日出夫前代議士、上田ひであき衆院4区候補者、諏訪地域のそれぞれの地方議員のみなさんと一緒に、参拝者に元気にご挨拶。「消費税をなくす会」のみなさんも大勢で宣伝・署名活動を行っていました。昨日の大雪とはうって変わって寒い中でもさわやかに晴れ渡った一日でした。知っている皆さんが次々通りがかり声をかけて下さるのも嬉しい限りです。教え子のお母さんが私の姿を見とめて、わざわざもどって、20数年ぶりに再会できたことも嬉しい出来事でした。親しい人からの年賀状で近況を伺いながら、今年も一年頑張ろうと新年の決意を固めました。
2005年01月01日
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