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どこかおかしい考え方を「あたりまえ」「世の中に通用する常識」と思い込んではいないでしょうか?
あれだけ話題になった履修漏れ、生徒に責任はないといいながら、まだ抜け道を考える先生って?
----ネットのニュースから(見出しのみ)
履修漏れ補習時間を転用=受験直前、世界史に充てる-広島の私立高
3月14日16時2分配信 時事通信
広島市東区の私立広島城北高校(田辺範和校長)で、今春卒業する3年生13人に対し、履修漏れのあった「地理A」の補習時間を使って、「世界史B」の受験問題の演習をさせていたことが14日、分かった。対象生徒のほとんどが大学入試の受験科目に世界史を選択していたといい、担当教諭は「センター試験が間近に迫り、生徒を思うあまりにやってしまった」と話しているという。
同校は広島県の指導を受け、既に4人に対し不足する11時間分の再補習を実施。残る9人には15、16の両日に完了する予定としている。
最終更新:3月14日19時1分
受験生のことを考えている=ルール違反の言い訳に使ってよいのでしょうか?
このあと、高校を卒業して、頑張っていく人たちの「経験の中に」=ルールを無視して頑張らなければいけないことがある
身近な人のためになることだったら、多少のルール違反はしても良い
競争を勝ち抜くためには、如何にうまく規則を破るか?
という考え方を、教えた事になりませんか?
個別の事情で、許してもらえると考えたのでしょうか?
責任者、監督者の代わりの人はなぜいなかったのでしょう?
----ネットのニュースから(見出しのみ)---
漢字検定、福島県の高校で1日前に実施...全員失格に
3月19日0時29分配信 読売新聞
生徒個人の常識に追加して、「社会の常識」を教えていくのも、教育現場の仕事ではないでしょうか?
先生がどこまで頑張ればよいか?限界などありません=すごく大変なことかもしれません
でも、普通に「規則を守ること」は難しくないと思います
若い人たちに接する先生方の最低限の「守るべきこと」ではないでしょうか?
正しいことをしていれば大丈夫、世の中そんなに甘くはないです。
でも、「抜け道」を教える前に、「規則を守ること」を教えていないのでは、「抜け道」が抜け道でなくなります
目先のことがうまくゆけば、それでよい。
最近の事件の根底にある考え方(?)に通じるような気がします
ボルトの頭が見えるのは「どこかおかしい」
と思いませんか?