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生ききって満足して死んでいける人生とは ペットと人間の医療を同じにしては問題かもしれないが、最近、私は父の死に遭遇した。その父の闘病と死直前の1週間の入院生活。その前にわが家の愛犬ユメの腫瘍に最悪の場合を宣告され、すぐ手術しないと、ダメだと宣告されていた。ともに、この2つのケースの共通項は、老いているということである。老いと病気。このような場合、医療機関とどうかかわることが、生き物としての生を全うするにふさわしいのか、命の尊厳を守ることなのかについて、あれこれ思い悩み考える機会を与えられた。そのような思いにいる時に出合って本が、中島みちさんの次の本であった。 中島みち(著) 「尊厳死」に尊厳はあるか 岩波新書 2006年3月、富山県の射水市民病院で入院中の末期患者7人の人工呼吸器が取り外され、死亡していたことが明らかになった。マスメデアは、この人工呼吸器取り外し事件の実行者のX外科医師を「尊厳死」の実践者として祭り上げ、センセーショナルに取り上げた。しかし、実際には病院のなかで何が起きていたのか?著者・中島みちさんは、1年4ヶ月にわたる厳しい取材の末にたどり着いた現状を、この本のなかで、事実を積み重ねて、丁寧に追っている。なかでも、人工呼吸器取り外しされた7人の患者ひとりひとりのカルテの分析、どんな医療が行なわれていたかの事実の解明の部分に全体の3分の2ほどを費やしている。その一つ一つの事例のなかには、その当時、この医師によって行なわれていた高齢者患者に対する医療の現実に私は思わず「なんてひどいことを」、高齢の末期患者の「苦しみ、痛み」を思うと胸が張り裂けるほどであった。要するに手術好きの医師が、外科病棟を取り仕切っていることによって起きていた医療の「退廃」をそこに見るばかりだ。患者の家族たちも、この医師の言うまま、医師の言葉に「ご無理ご最も」と納得している。まぁ、これは田舎によくあることではあるが。自分で無用な手術を繰り返し、自分の都合で人工呼吸器を着けさせ、自分の都合で呼吸器をはずしていただけの現実なのである。このような現実に、何も声を上げない周囲の医療従事者。マスメディアには、この医師は「尊厳死問題に一石を投じた赤ひげ医師」として登場、院長や市と闘う姿勢を鮮明にした。マスメディアは「尊厳死」の話題性にとびついて、連日センセーショナルに取り上げた。それによって、「尊厳死法制化」をめぐる動きにまで発展したのである。この射水市の「人工呼吸器取り外し事件」の事件の真相が明らかにされないまま、ただ「尊厳死」という言葉だけが、ひとり歩きしているのである。この事件のなかには、今の医療が抱えている問題、現代社会の私たちの病にたいする問題などすべてが含まれている。真相を明らかにするとなしに「尊厳死」など語れない。むしろこの医師やマスコミが騒いでいる「尊厳死」は尊厳な命の終末を意味していない、ということをこの『「尊厳死」に尊厳はあるか」という本の中で、中島みちさんは告発している。 私の父の場合であるが、この本を読んで、改めて「あっぱれな死」であったと再認識した。死の1年前、2008年3月 父は、解離性胸部下行動脈瘤57mm、腎動脈下腹部大動脈瘤47×57mm が見つかった。この時の診断は、手術する危険と、このまま放置して残された命を生きていくかの選択肢を示された。医師は術後の危険、大変な生活を考えて、何もしないほうがより良いということを参考意見として述べた。しかし、選択は、本人家族にまかせる。といものであった。この時点で、すでに父の受けた医療行為は、「人工呼吸器取り外し事件」の外科医師よりは、高レベルなものであったことは幸運なことである。この時、この事件の医師なら、手術をするのである。さて、父は、その後1年間、普通に生活しながら、闘病した。最後まで自分に与えられた仕事をやり抜こうとするその意志の強さ、頑固さには、周囲のものも半ばあきれ、半ば迷惑に思っていたが、今から思えば、誰にでも出来ることのない、あばれな生活ぶりであった。さて、死の1週間前、脳内出血が起きて入院した。この時、父のベットの姿に私は少なからずショックを受け、このまま、ずーと何年もこのような状態なら、たまらないと思った。しかし、残された機能をフルに回転させて、みんなにつぎつぎ別れの挨拶をして、し終えたら1週間目に静かに息をひきとった。入院に1週間は、皆に別れを言うためのものであったのだ。周囲の者たちは、このような状態ではまだ死なないというので、のんびりしていたが、あっというまに逝ってしまった。 私が見舞いに行った時、たまたま主治医の往診に出くわしたので、父の病状について、談話した。そのとき、私は、娘として、その若い医師に「これは、私自身についても思っていることですが、穏やかで静かに、自然に最期を迎えることが願いなので、過剰な医療はやって欲しくない。痛みなどで、苦しい場合は、緩和する治療はしてほしいのですが、とにかく、おだやかに最期を迎えたい」といったら、若い医師は「まだそのような時期ではない。これこれの治療をまだしなければならないが、もう治療がないという段階では、そうします」と言ってくださった。私のこの言い分がどのような影響があったかは定かでないが、父の入院した病院は、まあこの点でも、全うな医療を追求している病院であった。今の病院のレベルはこれなのか。(私がこのように医師にとっさに言えたのは、愛犬ユメの獣医師が、やたらに手術したがり、患部だけしか診ていない医者だったので、色々疑問感じ、悩んでいたので、人間界も同じことが起きているのではと思っていたからである。) いずれにしても、父の直接の死因は肺炎であった。最期まで、自らの意思で生を選びとり、死を自らの力で呼び込んで、静かに眠っていった。なんというあっぱれな死。父の死。これこそが「尊厳死」ではないか。私もこの父に学んで、死を自ら選び取って死ねるような「生」を生きて生きたい。 それに比べ、「人工呼吸器取りはずし事件」に登場する、高齢者の患者ちの最期は、医師の勝手によって傷つけられ、失敗し、治らず、人工呼吸器を取り付けられ、さんざん無理に生かされて、のた打ち回って苦しみ最期を迎える。まさに、生き地獄。それに対して、有難がっている田舎の人の良さ。無知さ。これを「尊厳死」と騒ぎ立てているマスゴミ。一人ひとりの死を法律で線など引けるのか? この中島みちさんの本は、私たちに今の医療の現実と命の尊厳とは何かを深く考えさせてくれる。
2009.04.26
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ことちゃん5歳のお誕生日おめでとう 5歳のことちゃんにばあばが望むこと (森のようちえんのkobaさんの提案で作られた、海上の森のこどもの遊び場。森に初心者の子どもにも森のなかで楽しく遊べるように森の木や蔓や葉っぱを遊具にして遊べるように整備されています。ことちゃん、ツルを縄とびの縄にして、大縄跳びをしています。軽やかに飛んでいます。) 4月19日ことちゃん、5回目の誕生日。 19日は最高気温26.4℃、最低気温12.8℃風かおる新緑まぶしい快晴の初夏の陽気となった ことちゃんの生まれた5年前の今日は春の嵐が日本列島を吹き荒れ春雷とどろく、暴風雨の日であった 激しい雨風が病院の窓を叩きつけていたこさむい夜であった あれから5年の歳月が経ちこんなに大きくしなやかに成長していますこの春からは 保育園の年中組、家庭ではもうすぐ2歳になるチーちゃんのお姉ちゃん 姉としての役割は少し重荷で無理していますけれどでも頑張っておねえさんもやっています。 繊細すぎて、少し気難しいことちゃんなんでも一番になりたくて場をとりしきること好きなことちゃん これらはことちゃんの優れた資質でもあるけれど弱点ともなる これから成長していく過程で出会うであろう困難に、打ち勝って前に歩めるしなやかで豊かな感性を耕し続けること必要だ。丈夫なからだとしなやかな心を育てる為に 5歳の女の子が5歳の時にやるべきことおともだちと、いっぱいぶつかりあって遊べる力美しい、しかし時には荒れ狂う自然の懐に抱かれて泥とまみれて感性を鍛えてゆくこと おばあはこんなことをことちゃんが日々の生活のなかで思い切りやりきって天真爛漫に大きく、まっすぐに延びていくことを望んでいるよ。 ことちゃんの未来は洋々と広がっているその未来に羽ばたく為の確かなる準備をしている今5歳の時は何をすべきかその人としての成長に必須のものを見失うことなく日々を積みかさねてゆくことをママやパパに望みたい ことちゃんのような子どもは育てるのに人一倍労力や困難を伴うこと肝に銘じて。丁寧に、ひとつひとつねばりづよくことちゃんの問題に付き合って 人としての成長の基盤をつくってほしい これが、育児の少しばかり先輩のお婆からのことちゃんのママ、パパへのお願いである。 子どもを比較してはいけないと、よく言われているが、姉のことねと妹のちさの違いには驚くばかり生まれ持った資質の違いというものは歴然とあるのだと改めて知る思いである。それぞれの個性にあった子そだてをとか教育をとか言われているがこれはなかなか難しい。まずは、こどもの姿を良く見ることここからはじめることが肝心であるがこれがなかなか難しい。 孫だから余裕をもって、幼子の様子を観察できるが自分の子どもの時は、あまりその差異など考えずにやっていたと最近になって、反省しきりなのである。めちゃくちゃに、ただ夢中にやっていたように思う。今振り返ればだが。
2009.04.24
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現在の世界を深く洞察する能力を 今年度の新卒の就職活動は、世界的な不況のなかで、困難を極めている。 今、30代前半の青年たちの就職活動を、世間は氷河期などと名付けて、就職難の象徴にしようとしたが、就職難はまたまた到来したのである。その氷河期以降、急速に青年たちの働き方に質的な変化が起きている。要するに就職難は頻繁に起きているのである。 この現状は、単に景気の動向によって起きている、青年の就職問題なのだろうか? もっと大きな社会全体・経済構造そのものにおきているシステム的な転換が底流にあり、それに起因するのではないか。 現在、自公の麻生政権が進めている景気浮揚策がたとえ、部分的に効果が出て、彼らの言う景気が好転したとしても、その後に又、今よりも、もっと厳しく深刻な社会混乱や景気後退が起きる事は必然のように思われる。 益々若者にとって、就職困難は今以上のものが来るにちがいない。 今、社会が若者たちに求めている能力は何か。資質は何か。 この問いに答える、自己分析をすることなしに就職活動をしても良い結果など期待できないのではないか。 今、社会は、歴史的にみても大きな転換点にある。 私たち親世代が生きてきた価値観、仕事観では、もう立ち行かなくなっている。 封建的社会が、近代的な市民社会に変化した時、社会がさまざまな革新、革命をおこして、次の社会に進んだ。それに匹敵するような質的な変化が、社会の中では起きつつあるのではないか。特に、資本主義が高度は発達しているような社会においては。このように考えていけば、青年達に求められている資質、能力は、自ずと親世代のそれとは異なるはずだ。 新しい価値観で社会を切り開く能力・度量・資質を、企業や社会は、青年に求めている。一流の大きな企業も中小の企業にも、真剣に今の状態を打破して生き続けようと思っているところはそうではないか。今の大学や高校の学校教育は、余りにもこの社会の要請に鈍感で、的はずれな教育しか行なっていない。特に、高校の教師のやっっている進路指導には激しい怒りを感じている。その親たちも、実に陳腐な価値観で子どもの進路を指導しており、うまく行かない原因がどこにあるのか、まるで的はずれなのである。子供たちに適切な指導が出来ていないものがほとんどである。一番、滑稽な指導が、今の子はコミュニケーション能力が乏しいので、その能力をつけるための練習を課していることである。コミュニケーション能力など、その根底にある人間としての価値観や人生観と深く結びついており、付け刃的に教え込んでも世間で通用するものではない。採用する側には、足元を見られて弱みを見せているだけのこと。それよりも、若者が現代の社会を深く見る目、深く見通す力、その基盤となる教養をしっかり養うことの方が先決ではないか。そこからコミュニケーション能力などは、自然と溢れ出るもの。 社会の底辺を担うはずになる学校序列の中以下にいる若者の能力も、非常に問題あり、社会を背負っていく労働者としては、使い物にならないのが現実の姿ではないのか。余りにも真の意味での勉強をしていない。ひどい。 民営化の急先鋒、竹中平蔵氏などは企業が海外に出てしまうことの原因に、規制緩和が、生ぬるいことや税制の問題や社会が構造改革をやり続けないことを挙げているが、ただそれだけとは思えない。企業は日本の若い労働力の能力に失望し限界を感じているのだ。安くて優秀な能力の若者がいくらでも世界にはいるのだ。社会が深いところでシステム的に変化しつつある。そのような社会に対応でき、更には組織を切り拓いて行く創造的で柔軟な能力を啓発できる資質をもった青年を社会は要求している。そのような人材は不足している。そのような能力はどのようにして育つのか。これは子育てや教育の問題であるが、それに応える学校や家庭になっているかは、はなはだ疑問である。全国学力テストで競わせて子どもに知識を身につけさせるような学校のやり方では、このような社会が要請している学力や人格は育たない。それは親世代がすでに実証済みの失敗なのである。社会は、今後も混乱が続き、若者にとって困難な道のりになりそうだけれど、困難だからこそ、自らを鍛えるとき。就職し、仕事をすることで、次の社会が到来した時、存分に力発揮できるようなキャリアをつめる、組織や人と出会える選択を、就職活動を通してするように、自分を磨く必要がある。転職するたびに、社会から疎外されていくような選択はくれぐれもせぬように。今、自分のやりたいこと、やれることは何か。広い視野から考えて欲しい。もっと自分を大切にして、自分を成長させていくような選択をすることが必要なとき。 私の塾に中学から来て、すでに社会に出て、仕事をしているもの、今、就職活動しているものと多々あるが、なかなかうまく行かない。うまくいかなくとも、将来に向けて、自分の生きる道が切り拓けるような仕事の仕方を、切に望むのであるが、それも中々うまく行かないのが現実である。高校や大学の教育の在り方にとても疑問を感じている。現実の社会の困難をどう切り開くのか、その能力の育成などほぼなされていない。社会が好調なときに、受身的に生きることだけを想定して教育が行なわれているとしか思えない。あるいは、そのような教育は時間がかかり困難すぎて、放棄されているのかもしれないが。いづれにしても、「お上の言うまま」の教育や子育てでは子どもは大人になれないということだ。社会の風潮に翻弄されているだけでは、子どもは育たない。育っていない。
2009.04.23
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4月になると毎年真っ白な絨毯に辺りを染め上げる梨畑 今年の春もこんなに美しく咲いた梨の花 受粉作業も終わり1週間後には もう若葉の緑の世界となった その梨畑には 野の草繁茂する生垣が続く (梨畑の周囲を囲む農道の生垣、ミニ林となり、多様な植物が生え、生物の生態系の最低限を維持している砦でもある。) その生垣は 多様な生物が棲むための 最低限の砦。 春を告げる ツクシも ヒメジオンも タンポポも そして、林のヘリや林床には (ツルニチニチソウ:キョウチクトウ科。ヨーロッパ原産の半つる性の多年草。庭に栽培されていたが、現在は野生化し、道端や林のヘリなどに繁茂) ツルニチニチソウが 地面を覆って繁茂し地面に穏やかな湿りを保ち (浦島草:サトイモ科、林や竹やぶのへり草地、土手などに自生。花序の先に付属体があり、長く伸び、60cmにもなる。和名は、この長い付属体を浦島太郎の釣竿い見立てたもの。) 浦島草が ムラサキケマンが (ムラサキケマン:ケシ科ケマン属。紫色のケマン草の意味。やや湿った林のへりなどに自生。キケマンがやや乾燥した道端に生えるのに大して、湿ったところに生える。) ほどよい お湿りの大地で いのちを繋ぐ しかし その梨畑も近年、あちこちで梨の木を切り倒し 荒地となる (梨畑の梨の木が切り倒されて、荒地となった空き地。周囲のミニ林は荒れたまま手入れされず、消滅していく。空き地を好む野の草が次々に遷移して、草地にする。このようにして多様な生態系は破壊されてしまう。) 生垣の樹木で守られていた 多様な生き物たちの棲みかは 微妙な環境の変化に破壊されて (梨畑が消失し、生垣もなくなった道端に続くキケマンの群生) 忽然とこの春にはキケマンの花咲く 道端となったその長さ50mにも及ぶ。 キケマン(黄華鬘) (キケマン;ケシ科キケマン属、海岸近くの道端や草地。花が黄色のケマンソウの意味。ケマン(華鬘)とは仏殿の飾りのこと。) そして空き地はやがて整地されて 宅地となる この無残な姿。 梨畑の境界をなしていた 生垣の ミニ林は ビニールシートの囲いと変貌した。 これが 2009年春 都市近郊の農村地帯の 日本の姿である。 この光景は、Danjoseの住む東京近郊の現在である。私の住む名古屋近郊も全く同じ光景が起きている。一度、森や林が破壊されるとそこに生息していた生き物たちは、ことごとく消滅し、元の生態系に復元することは、ほぼ不可能。その荒地に、次々と荒地を好む草が群生する。しかも、毎年群生する草の種類が変わってくるのには驚く。以前、サンティアゴ巡礼街道でヒースについて、調べた時に出合った植物遷移の行き着いた先がヒースの群生する丘になるのを知ったが、まさにそのことが、私たち日本の都市近郊の林にも起きているのである。名古屋では、2010年に生物多様性条約第10回締結国会議(COP10)が開催されることになっている。 2008年にドイツ・ボンで開催されたCOP9の報告書、「生態系と生物多様性の経済学」において、森林の多様性が失われると、2050年に世界で最大500兆円もの損失があり得ると報告している。 このまま対策をとらないと、50年までに、いくつかの生態系は回復不能になると指摘している。近代的農業への転換、社会生産基盤の拡大、温暖化などで、自然地域などのうち11%が失われると警告している。 私たちの周囲に起きている光景はまさにその生態系破壊の一環なのである。
2009.04.17
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松葉海蘭(マツバウンラン)咲き乱れる私の朝の散歩道 昨年の春はこんな花が咲いていたのか気付きもしなかった花 (ポピーに混じって咲く松葉海蘭の群生) ほんの1cmあるかなきかの可愛らしい花地面からすっと真っ直ぐに伸びその先端に総状花序の花をつける 松葉海蘭(まつばうんらん) (ゴマノハグサ科ウンラン属;原産・北米、帰化植物。近畿以西に多く見られる。帰化植物としてはまだ日が浅い) 淡いブルーの花びらが春風に繊細に揺れる 松葉のように細い葉 何処から眺めても1本の松葉海蘭は弱々しいはかなげな野の草 その野の草が今年の私の散歩道には至る所で咲き乱れる異常な繁栄ぶりなのである 高齢のため主いなくなった屋敷の荒れた庭に群生している松葉海蘭 荒れた空き地にどこまでも続く松葉海蘭の群生 北米の海岸に自生する帰化植物だという近畿以西に多く見られるというが近年わが中部地方にも侵入してきたのかこの春は群れなして空き地に土手に庭にとあらゆる場所に咲き乱れているのである その繁殖力の旺盛さには驚かされる可愛らしい繊細な花ではあるがその異常発生は不気味である。 今年の春旺盛に花咲かせて繁茂している草胡瓜草(キュウリグサ) (ムラサキ科キュウリグサ属;名は葉をもむと胡瓜のような匂いがすることから。別名タビラコ。) 数ミリの小さな小さな花淡いブルーの花を点々とつけている 目を近づけなければ見過ごす花 側溝のコンクリートの割れ目から石垣の隙間から又、道端に春の若草に混じってひっそりと咲いている。 梨木香歩さんの「西の魔女が死んだ」のなかで少女まいが登校できなくなり、おばあちゃんの所に、少し休養するために行ったその日に台所の土間で出あって感動し、生きる力もらう草でもあるキュウリグサその咲いている姿と花の形や色は確かに、はっと何かを気付かせる力を持っているキュウリグサ さらに人家の庭には小鳥がタネを運んだのかアケビのつるが花モモの木に巻きついて花を咲かせていたアケビ これは雌花すでに受粉はおわり花の時期は終っている この写真の先端部分の房状のものが雄花その下部にあるのが雌花 いづれも数ミリの花目立たない見過ごされてしまう花花の色は褐色幹の色にまぎれてしまう地味なアケビの花 今年の春は初夏の陽気の日が続き私の散歩道も春の花がどっと一気に咲き競っている。今、4月半ばで藤の花は見ごろとなり紫木蓮は若葉をぐんぐん伸ばして花と葉は同居して咲いている初夏を告げる山吹やモッコウバラやハナミズキもすでに色鮮やかに花の時期になっている。 2009年4月中旬の春はすでに初夏若葉の時期なのである
2009.04.17
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本土寺(千葉・松戸市)の春昨年の本土寺の春は桜とモクレンの淡いピンクユキヤナギの白の群舞と明るい華やかな春の色あふれる境内でしたが 今年の本土寺の春は (今年のユキヤナギの花は驚くほど早く咲き、3月半ばに咲き始め4月に入るとすでに花は終っていた。昨年は4/1日、ユキヤナギ満開。見事な白の世界を作っていた) ユキヤナギの白の参道は今年はすでに緑の若葉となり、もう、モミジや紫陽花は若葉を出してさくらの淡いピンクとの共演となっていた。 萌黄色の若葉と桃の花と桜の花のピンクの競演 華やかな ピンク色のグラディション 竹林と桃の落ち着いた深い色のコントラスト 今年の春は冬の冷え込みと初夏の陽気とが交互に訪れ 桜の開花時期もだらだらと続き花散るのを待たずに若葉がぐんぐんと伸びる 紫木蓮など葉に先立って花を咲かせるはずなのに若葉が出るのと時同じくして花を咲かせている さらに晩春から初夏に咲くヤマブキがすでに満開 鮮やかな黄金色が若葉にまぶしい ミツマタも咲いている 葉に先立って春先に花咲かせるミツマタ和紙の原料となるミツマタ今年は萌黄色の若葉のなかで、咲き続けている。本土寺の今年の春は早春・春の盛り・晩春が入り乱れ誠に無秩序な春なのである。 昨年の本土寺の春と比べてみるのも又興味深い。 三月初旬は、初夏を思わせる高い気温の日が続いたが半ばになると一転して、冬の気温、花冷えの寒い日が4月4日ごろまで続いた。桜も開花宣言は3月20日ごろからされたが、今、満開(6日~8日)。4/5日からは、夏型を思わせる高気圧に日本列島覆われ、夏日の日が続く。4/11日・最高気温29度を記録した地方(三重・亀山市)もある。この日は、この地域は軒並み28度を越えた。まさに初夏の陽気である。
2009.04.12
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老僧逝く 願はくば花のしたにて春死なむそのきさらぎの望月のころ西行法師のこの歌そのままにさくら咲き乱れるしたで最期まで渾身の力ふりしぼりひとりひとりに別れを告げて穏やかに深い眠りについてしまった 釈迦入滅のさくら咲く如月の望月の日に。 享年90歳その波乱万丈、苦難連続の人生は爛漫と咲き乱れるさくらの花びらがはらはらと散る春の嵐が吹き荒れる日に閉じられた 崩れ行く意識のなかで残された脳細胞をフル回転させて静かに死にむかって死を自らの力で呼び寄せて息をひきとった 重荷から解き放たれて軽やかに浄土へと旅たった 最期には残された者たちに毅然と生ききるとはどういうことかを自ら体現して旅たった あっぱれな死に際その最期がこの老僧の人生のすべてを物語っている 死支度致せ致せと桜かな 一茶 桜の花にさそわれて見事な死への旅支度をして私たちの前から旅立っていった 幾重にも積み重なる満々と咲き満ちるさくらのむこうに谷深く渡る花爛漫の最果てに穏やかに逝ってしまった私の父 最期にはこう生きよと 私に教えて逝ってしまった あっぱれな死写真:嵐の吉野千本桜(by Danjose) The End ビートルズの最後のアルバムAbbey Roadの最後の3曲のメドレー曲Golden Slumbers, Carry That Weight, The End そのままにビートルズのメンバーたちも「The End」では、背負っている重荷をふっきったかのように、明るく力強く「love you」と愛を謳いあげている。 The EndOh yeah, all nightAre you gonna be in my dreams tonaight Love you, love you.Love you, love you. And in the end, the love you takeis equal to the love you makeAh, このビートルズのThe Endの歌詞そのままに大きな愛、それは慈悲ともいうべきものそんな大きな愛に満ち満ちて最後を全うして旅立って行ってわが父 わが父の法名は?照院智幸?はあまねくである。智恵や幸をあまねく照らし出すという願が込められている (初七日の4月7日桜満開:境内裏のさくら道、幼い日遊んだ小川はメダカやフナやドジョウなど豊かに生息する農業用水でもあったが、半生紀経た今はコンクリートで固められた堤防の桜道となっている。でも今日は、父の死を寿ぐかのように花爛漫・by fujiko) 父は、一年前、腹部に6ミリほどの動脈瑠が2つあることが見つかった。死の1週間前には脳内出血をおこし、脳の4分の1ほどは機能しなくなっていた。直接の死因は肺炎の併発ということである。 入院する3日前まで、檀家の法要を勤めていた。この不屈の意志には敬服する自分に残された機能をあくまでフルに回転させて尚、意志的にに生きようとする姿には感心する老いて行くものにこう生きよと手本を示してくれたわが父 しかも死の1年前に、自分の葬儀式のプログラムを細部に渡り、すべて作成していた。 商業的な請負葬儀を厳しく排除して、檀家、ご同行の人々の和を結集して自らの仏法に則って、質素に葬送するものであった。 喪主の長男(現住職・私の実弟)は、田舎の街の要職にあり、国会議員から地方財界まで、雑多なつながりがあり、その参列者多数いたが、香典や供物の花など一切お断りして、飾りつけは、祭壇の白菊とシキビのみである。質素ではあるが、檀家ご同行の固い結束で生前の父の生きざまがしのばれるみごとな葬儀であった 町の人々に葬儀とはどうあるべきか示した最後の人となるのではないかと思う 恐らくこのような葬儀はこれからは2度とみられない 祭壇の作り方まで、イラスト入りで指示されていた逝った人との深い慈愛で導かれた人々の和のなかで寄り合う昔あった葬儀。寺の境内はお義理で参列した町の要職者たちのものではなく「法」のもとに参集した人々で満ちた。 このような葬儀式はおそらくこれが最後である 享年90歳老僧見事な往生であった 合掌 「壮絶なる死への旅路」を書いた日より1週間で父は死はどうあるべきかのお手本を残して浄土へと旅立ちました。
2009.04.05
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