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2022.11.30
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カテゴリ: 報徳
報徳教師 荒木由蔵の報徳の実践

 由蔵の家は前々から不幸せが続いていた。父親は痰と咳の持病があった。また弟は7歳の時に天然痘にかかっててんかんとなった。2名のために由蔵は苦しんだ。数年間看護し、医薬を怠らず、神仏にも祈った。由蔵は17日間断食を行い、祖代々の墓石を磨き、施餓鬼供養などを行うなどもしたが、3年に及んでも効果がなかった。弟にてんかんが起こると始めは臥しているが、夜中になると、腹中から胸にかけてかたまりをつよくこみあげ、生気を失い、口から血を吐いて歯を食いしばり、手足は伸びて曲がらず、そのまま2,3日過ぎると、気が狂ったようなふるまいとなり、大酒を好んで近隣の酒店を走り回り、しまいには喧嘩口論となるありさまだった。手を尽くして家に連れ帰るのだが、月に2,3回このような病状となり、方法も尽き果てて、一家亡滅に瀕していた。
この時に、安居院先生が同家に来遊して報徳の道を教えた。
由蔵はその教えを聞いて、大いに悟った。これは神仏の罰ではない。祖先以来、自己の血統において蒔いておいた種が実って生長したものにほかならない。由蔵はそう気づくと、先祖伝来の丹精によって所有していた田畑山林、家屋敷をなげうっても、安心立命を基にすべきだと決心し、家財をあげて天へ奉献しよう。私の村の田は天水にたより、井戸や川の水で灌漑できている田はない。だからこの財宝によって水路を開き、耕田の用に供して村人の苦しみを除こうと決心した。
由蔵は先生に相談し、鳥坂村の名主と大内村の名主も門下だったことから、3名で発起し、安政3年12月から水路工事に従事し、田の区画整備、用水の高低を測量して、耕地の間には土手を築き、両村の境まで長さ90間の埋樋を設置するなどして、安政4年3月に竣工した。その工事の距離はおよそ300間だった。この工事費は由蔵の家財を傾け、旱害を除き、耕田に灌漑を開発した当時において未曾有の事業だった。その間、翁は朝は未明に出て、夜は夜半に至るまで、人夫を使い、帳簿を整理して、埋樋の大工、耕地開発の人足などの使用に心を尽くした。この事業に従事して100日余り、一日も休まず精励して、ついに家族の病気も忘れるほどだった。すると不思議なことに、父の持病も全快し、実弟の癲癇(てんかん)も次第に平癒した。
遠江国山名郡下久野村の仕法(「報徳に生きた人びと」八木繁樹編著p20-22)
 下久野村は現在の袋井市にあり、明治4年(1871)当時は静岡藩主徳川家達直轄の村で中泉代官が管理していた。年々不作が続き、年貢も2,3年滞っていた。明治4年は特に不作で、食糧の貸下げと稲作の調査を願い出て郡政役所から下久野村に役人が出張してきた。ところが調査の役人が来ると田の稲は刈り取られていた。役人は村の主だった者を役所に召して取り調べた上、手錠入獄に処した。
 その時、隣村木原村(現袋井市木原)に鈴木藤作という者がいて、「この上は荒木由蔵先生にお願いする以外にない」と下久野村の村民を説得し、了承された。藤作が駿河の大内村に訪ねて懇願すると荒木は「報徳の勤行(おつとめ)は容易なものではない。お前はもう一度村に帰って、報徳の御要旨はどのようなことがあっても、必ず実行して違背しないという誓約書に村民全員が署名連判させ、それを郡政所にも届けなさい」と命じた。藤作は村に帰って、一同にこの旨を話して、契約の連判状を作って郡政役所にも届け出た上で、再び荒木に懇願した。
 荒木はすぐに来村し、一同を集めて一同に言った

荒木「村の概要は藤作から聞いた。この村は年貢が2、3年未納となっている。これはもってのほかだ。この未納を全部上納した上で、報徳の勤行に励むことが斯道(報徳)の本旨である。」

村民「そんなことできるはずがない」

荒木「今、説明を始めたところだ。説明が終るまで黙って聞け」
「報徳の大道は、(1)往古神代のご丹精に立ち帰り、
(2)神明のご恩徳を報謝する道である。
(3)末世永続の方法に至るまで勤行し、村民共に苦しみ、その後に楽しみを共にする道である。
だから年貢の2,3年の未納はこの際に残らず上納しろ。家屋諸道具一切を売り払い、河原に掘立小屋を造ってそこに移住せよ。どうだ、一同、これを承服するか。」
村民は騒然としたが、結局荒木の言うとおりすることとし、連判状に調印した。荒木はこれを携えて郡政事務所におもむいて、重役藤沼牧夫に面会を求め、これまでの経過を報告し、未納分の年貢は全部上納すると上申した。

藤沼「しばらく待ってくれ」(3時間あまり待たせた上で)
「今すぐに家財を処分して未納分を上納しなくてもよい。人民も困窮しているだろうから食糧百俵と金二百両を下げ渡す。また手錠入牢者は直ちに放免とする。
村民によく報徳の道理を教示し、一日も早く下久野村が再起できるよう指導願いたい」

荒木がこの旨村に帰って伝えたところ、村民一同狂喜し、涙を流して感動し、報徳の教義を全村挙げて実践することを誓った。数年後に再興仕法は成功し完了した





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最終更新日  2022.11.30 16:33:25


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