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2024.02.23
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カテゴリ: 技術者シリーズ
信濃川改修工事 その6

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唱える所であって、今や大河津を開鑿して信濃川の水を日本海へ放流する時は、洪水の際は比較的土砂を混ずる事の少なき上層の水のみ寺泊の海に放流せられ、下層の土砂泥水のみ新潟に流れ来り、港口を游塞せん事を唱え反対したものである。元文二年新潟新田開発のため同潟の水を五十嵐浜へ落とさん事を請願したるに際しても、新潟は松ヶ崎の例を引いて反対し、その他悪水といえども新潟港以外の海へへ放流せんとする工事には極力反対したものである。要はなるべく多くの水を取入る事を望んだものであつて、これまたその当時においては当然の問題なれば当局においても大いにこれに留意して、大河津分水工事開始前において精密なる専門学者の調査を遂げしめたのである。その概要は大河津より寺泊へ向け新水路開鑿し、洪水量二〇万立方尺の水を放流し、新潟港へは平水のみを鑑みる事とし、更に港内在来の土砂八〇万坪を浚渫し、常に二〇余尺の深度を保たしむる事となった。ここに初めて新潟市民は安心せるのみならず、前途の発展を祝して大河津分水の計画に賛成するに至った。
 その後明治四十年に帝国議会の協賛を経て 々国においてその工事を施行するの機運に到達した。而して
 明治四十二年七月五日 信濃川治水に関する朝野の紳士を請じてその起工式を新潟県三島郡寺泊町海岸字白岩に挙行した。時の土木出張所長(元の土木監督署長)は内務技師小柴保人氏であって、同氏に次いで内務技師渡邊六郎氏所長となられ、上流古志郡妙見より以下大河津に至る即ち信濃川上流部の改修工事を加えて、この大事業の最大部分を完成せられた。後同じく内務省技師新開壽之助氏その後を受け保守継続大いに努められたが、不幸にして昭和二年六月突如として大河津自在堰の一部陥没の厄に遇い、直ちに応急工事を施し、それがほとんど成ると同時に同氏は職を引かれ、次いでその災害を補修せんがために信濃川補修工事が起工されたので、私が所長の職を継ぐ事になった。そこで同工事も明年を以て全く竣工するまでの運びに至った。又信濃川上流改修工事は今なお施行中である。

  〇⋯⋯河狀並びに計画の大要
 信濃川は遠くその源を中央山系である飛信甲武の深谷に発して、上流を千曲川といい、長野平野の川中島で犀川を合せ北流して越後に入り信濃川と称え、広大な越後平野を潤し数多の支流を合せて新潟港に注ぐのである。流路延長は実





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最終更新日  2024.02.23 10:00:14


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