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2024.10.31
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カテゴリ: イマジン
新首相は石破氏選出の公算大きく 国民民主党が玉木氏に投票で…


国民民主党 玉木代表(30日午後)
「我々はやっぱり、国民民主党に期待してくれた民意に一番沿う形で投票行動するということであれば、1回目も2回目も玉木雄一郎*と書くのが一番、我々に託してくれた民意にかなうものだと」

「日本維新の会の藤田幹事長も首相指名選挙では『馬場代表』の名前を書くと明言しました。11月11日にも行われる見通しの首相指名選挙ですが、1回目の投票ではどの候補も過半数を獲得できず決選投票になる見通しです。その決選投票では、自民党の石破首相と立憲民主党の野田代表が上位1位、2位で進むとみられる中、維新も国民も2人ではなく、自分の党首に投票する方針を示したわけです。これで維新、国民の投票は無効票になる見通しで、結果、野田代表の票を上回る見通しの石破首相が選ばれる公算が大きくなったというわけです」

「野党第一党の立憲民主党と連携をするより自民党と連携を模索した方が、国民民主党が選挙戦で掲げた政策を実現できると判断したからとみられます。自民党は国民民主党と31日に幹事長らが会談を行い、政策協議を呼びかける考えです。玉木代表はこれまでに連立政権入りも大臣ポストなども否定していて、あくまで『政策実現』を求めてきました。玉木氏としては、こうした政策協議を通じて国民が掲げた『103万円の壁』撤廃などを政府与党に丸のみさせ、政策実現したい考えです。そのかわりに首相指名選挙では、実質的に自民党に優位になる行動をとる判断をしたとみられます」

* 玉木雄一郎
玉木 雄一郎(たまき ゆういちろう、1969年〈昭和44年〉5月1日 - )は、日本の政治家、大蔵・財務官僚。国民民主党所属の衆議院議員(6期)、国民民主党代表(初代)。

旧国民民主党代表(第2代)、同党共同代表、希望の党代表(第2代)、同党共同代表、民進党幹事長代理を歴任した

香川県大川郡寒川町(現・さぬき市)生まれ。祖父は大川農協組合長、父は獣医師で香川県獣医師会副会長をやりつつ兼業で農業を営んでおり、玉木も田植えや麦蒔き、肥料や農薬の散布を手伝った。農作業からは協力や共生の重要性を学んだ。 3兄弟の長男として誕生。



大学卒業後の1993年(平成5年)4月、財務省(当時の大蔵省)入省。主計局総務課に配属される。1995年(平成7年)、アメリカのハーバード大学ケネディ・スクールに留学。1997年(平成9年)、同校よりMPA取得。1998年(平成10年)、大蔵省接待汚職事件が発生。この事件を目の当たりにしたことと留学の経験が政治家を志す契機となった。 外務省への出向(中近東第一課)を経て、2001年(平成13年)より大阪国税局総務課長。2002年(平成14年)より内閣府へ出向[12]。第1次小泉内閣にて、行政改革担当大臣の石原伸晃の下で秘書専門官に就任。以降、累計3代の同大臣の秘書専門官を務める。第2代大臣の金子一義から「政治家にならないか」と誘われ、自民党幹事長(当時)の安倍晋三と面談した。しかし同党は玉木の地元である香川2区には既に別の国会議員を擁していたため、安倍は別の小選挙区からの立候補を提示した。玉木は「国政に挑戦するなら、先祖の墓のある場所でやりたい」と考え、出馬を断念した

同年9月の第44回衆議院議員総選挙(郵政選挙)に民主党公認で香川2区から立候補した。政権与党の自民党ではなく野党の民主党から出馬した理由は、「自民党内の派閥争いではなく、政党同士の争いで政権交代を実現すべき」と考えたからであるしかし、この選挙では小泉旋風によって自民党が大勝し、玉木は自民党前職の木村義雄に大敗して落選した

落選後、地元で広報活動に務める中で、かつて同地出身で内閣総理大臣を務めた大平正芳の長女である森田芳子を訪ねた。 玉木は大平の遠い親族 にあたり、大平家の協力を得たいと考えた。玉木は大平が率いた自民党とは対立する民主党の候補であり、森田芳子は玉木との接触を当初は躊躇していた。しかし最終的に面会に応じ、さらに芳子の長女(大平の孫)である渡辺満子を玉木に紹介した。その後、渡辺は2009年(平成21年)から玉木の公設秘書を務めた。渡辺は玉木を「大平の精神を受け継ぐもの」と認め、選挙区内の自民党支持者らに玉木への支持を訴えた。 2009年8月の第45回衆議院議員総選挙に民主党公認で再び香川2区から立候補。前回敗れた木村を下し、初当選した。この選挙で民主党は大勝して政権交代を起こし、政権与党の一員として政治家人生のスタートを切った。

2010年(平成22年)、民主党香川県連代表に就任。同年10月、民主党政策調査会長に就任した前原誠司の下で政調会長補佐に起用される

2012年(平成24年)12月の第46回衆議院議員総選挙では、民主党に猛烈な逆風が吹き荒れる中、香川2区で自民党新人の瀬戸隆一を僅差で破り、再選した(瀬戸は比例復活した)。しかし、民主党は大敗して自民党が再び政権を奪還し、玉木も与党の一員から野党に下った。 なお、この選挙において四国地方および中国地方、九州・沖縄地方(つまり香川県よりも西側にある17の県および71の小選挙区)のなかで、民主党候補が小選挙区で当選したのは玉木ただ一人であった

玉木雄一郎が語る、「大平正芳の精神」

1980年、衆参ダブル選挙の最中に大平氏が急死したとき、私は小学生でしたが、学校に弔意を示す半旗が掲げられたのを鮮明に覚えています。在職中の首相が亡くなることの重大性は、おぼろげに理解できました。

「香川(特に高松藩)は元々佐幕派で、明治新政府にいじめられた。香川県からは総理大臣は出ないと思っていたのに、大平さんがようやく総理大臣になった」

大平首相の就任時に学校の先生がそう言っていたことも記憶しています。われわれ香川県の人間にとって、大平首相は地元の誇りそのものでした。

私は自分自身を保守政治家だと認識しています。保守の本質とは何か。それは継続性に対するリスペクトではないでしょうか。長く繋がる鎖の一つとして、先達から受け継ぎ、次代へバトンをわたすという信条を土台に、物事を発想するのが本来の保守政治家だと私は考えています。その意味で「永遠の今」は、保守の思想を象徴する言葉です。

大平氏と私は、大蔵省の出身である点も同じです。大蔵省の役人は長期的なスパンで物事を考える癖が付いています。いまさえよければそれでいい、いまさえ安泰なら孫の世代のことは気にしないといった考え方を嫌うのです。こうした文化を持つ官庁で長く仕事をしたせいか、大平氏の座右の銘「永遠の今」に強く共感します。



一つのきっかけは、1995年に米ハーバード大学ケネディスクールに留学したことです。大学の講義自体も刺激的でしたが、アジア圏からの留学生たちにも強い衝撃を受けました。彼らは一個人としてというよりは、自国に貢献するために、国家を背負って留学していました。

明治時代に岩倉使節団として欧米に派遣された留学生もかくやと思われるほど熱意に溢れる彼らの姿を見て、日本が近い将来、アジアの新興国との熾烈な競争を強いられることは容易に想像できました。政治家が国際的水準に達していなければ国益を守れなくなるのも明らかでした。

このころから政治家になる道を探りはじめていましたが、すぐに決断できたわけではありません。2002年から内閣府へ出向し、三代の行政改革担当大臣の秘書専門官を務めましたが、二人目にお仕えした金子一義さんからあるとき、政治家にならないかと誘われたのです。金子さんに連れられて東京・永田町の自民党本部に行くと、そこにいたのは安倍晋三幹事長、現総理でした。

私は、「国政に挑戦するなら、先祖の墓のある場所でやりたい」と考えており、その香川二区に自民党は別の候補を立てていたため、せっかくの安倍さんのお誘いでしたが、自民党からの出馬を断りました。

結果、2005年9月のいわゆる「郵政解散選挙」で、民主党公認で香川二区から初出馬しました。中選挙区制から小選挙区制に変わった以上、国民の目に見えにくい自民党内の派閥争いによる擬似的な政権交代ではなく、政党同士の争いで政権交代を実現すべきだと考えたからです。しかし、このときの選挙では、自民党候補に3万票以上の大差を付けられての敗北でした。



後から聞くところによれば、芳子さんは私に会うことを躊躇していたそうです。当時、私は自民党と対立する民主党の党員で、しかも落選中の身でしたから、それも当然のことでした。

しかし、ありがたいことに芳子さんは私と会ってくれたうえ、長女で、元日本テレビプロデューサーの渡辺満子さんをご紹介いただきました。さらに満子さんには2009年から私の公設秘書に就いていただきました。同年8月の選挙で私が初当選を果たせたのは、満子さんが私を大平氏の精神を受け継ぐ者として認め、選挙区内の自民党支持者の方々に粘り強く支持を訴えて回ってくれたことが大きな力になりました。

大平氏は「楕円の哲学」という思想も残しています。円(真円)には一つしか焦点(中心)がありませんが、楕円は二つの焦点を持ちます。大平氏は、相反する立場の者が時に対立し、時に歩み寄り、適度な緊張感の中で併存する結果、楕円のように調和が取れ、世の中がうまく回ると考えていました。それが楕円の哲学です。

いま、日本だけでなく世界で、思想的にも経済的にも社会の分断が進んでいます。敵をつくり、相手を貶めることで、相対的に自分の評価を上げるような政治手法も蔓延しています。しかし、そのような時代だからこそ、楕円の哲学を語る意義があります。たとえ困難でも、大平精神に倣い、対立があっても分断を防いでバランスを取るような政治活動を続けていきたいと思います。





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最終更新日  2024.10.31 07:17:35


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