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2025.02.28
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カテゴリ: 報徳の歌
「報徳の歌ー二宮尊徳道歌から学ぶー」小関栄著 
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5 勤労の歌 (79頁)



 月日の数も知らで年経ん ​​

この歌も誠の道に徹して一生懸命に勤労に熱中すれば、月日のたつのも知らぬうちに一年は過ぎ去ってしまうという勤労の歌になっています。

「身を捨てて」は自分を忘れ、自分を越えることをさしていて、
「ここを先途(せんど)と勤む」とは真剣と緊張をもって無心で仕事に専念することを言っているのです。

この歌の題にも葉(しょう)公が、孔子の子路との対話の中で
「孔子は、憤慨したり、発憤したり感激して、食事をとるのも忘れる人だ
また、道を究めることを楽しんでは、憂いを忘れ、年を取ることも忘れている人だ」


岡田良一郎「二宮先生の七大誓願」

○文政12年3月先生祈願のことあり。
 千葉県の成田山に参篭して断食し祈願して21日にして感応があった。
物井の村中の人々はこぞってその過ちを悔いて、先生を出迎え、先生の教えにそむくことはないと誓った。
 私(岡田淡山)はかって先生の旧跡を尋ねて諸国を歴訪し、千葉の成田山新勝寺に参詣した。
そして、ある僧侶に面会することができ、親しく先生が断食祈願した当時のことを聞くことができた。
○はじめ、先生は成田山の門前の小川屋(先生が参篭された当時は「佐久良屋」といい、現在は信徒会館となっており、先生がここに泊まられた旨の立て札が立っている)に来てこう言った。
「余は心願のことがあって、成田山に断食祈誓しようと欲する者だ。
宿を借りたい」
宿の主は「どうぞ」といったん諾したが、
先生の容貌がただならぬことをいぶかって、住所と氏名を聞いた。

主は容貌がはなはだ立派なのに、衣服はひどく粗末、しかも大金を持っていることに驚いて、やっかいな事にまきこまれてはかなわないと思い、
宿に泊めるのを断ろうとした。
すると先生は大声で叱り飛ばして言った。
「いったん諾した後で断るとはなにごとか。
 余は心願があってここに来たって参篭しようとする者である。

その目の光は人を射るほどであった。
主は恐れおののいて先生に謝って、宿泊させたが、安心できないため、江戸の小田原藩邸に人をやって確かめさせた。
小田原藩邸の者は、「二宮は確かにわが藩の者で疑うべき者ではない。また、二宮は尋常の者ではないから、決して軽々しく扱ってはならんぞ。」と告げた。
当時、大久保候は老中であって、その声望は天下に鳴り響いていた。
その使いの報告を聞いて、宿の主はいったんは安心したものの、さきに尊徳先生の怒りをかったことを恐れて、新勝寺の和尚にこれまでのことを相談し、とりなしをお願いした。
 当時の住職の名前を照胤(しょういん)といった。
非常に学識があった。
主の請いを受けて、二宮先生のもとに至って、主の失言をわびた。
先生はにっこりとほほえまれて少しも気にしていないと丁寧に答えられた。

「あなたの心のひろいことは宿にとって幸いである。
 しかし、この宿は大変出入りが激しく、数日の参篭の間、はなはだ静座するのに妨げであろう。本寺に別寮がある。どうじゃな、そちらに移られて静かに修行されては」と和尚は先生に言われ、先生は喜んでその言葉を受け入れた。

○先生は、新勝寺の別寮に移られて、日々朝から晩まで水を浴び、お経を唱え、祈念怠ることがなかった。
 和尚は、間を見て、二宮先生に問うた。
「世に当山に祈願するものを見るに、あるいは自らの病気を治すため、あるいは貧乏を免れようとし、あるいは栄華や利益を願うためにし、あるいは愛欲をみたさんと願い、おおよそその私情私利の欲念のために祈願しないものはない。
 今、私があなたを見るに健康で病気でもない。衣服は粗末だが、貧乏を憂えてのことでもない、栄華利欲を祈るものでもない。言語もしっかりしており、とても危うい道を踏み行って災難に遭遇するとも思えない。心ひろくまっすぐで欲念や怒りをはらすためでもない。
 そもそも何を祈願することがあって、特に当山に来て、食事を絶ち、身を苦しめようとするのか」

 先生はこうおっしゃった。
「わたしは病気があるわけでもない。
 しかしながら幼くして父母の病気にあって不幸にしてはやく父母をなくしてみなしごとなった。その不幸はいかほどか。
 思うに天下に私と不幸を同じくするものが少なくないことを知るゆえに、天下の人の父母たるものが無病健全で子どもが安心して生育できるよう祈願するものである。

 私は今貧乏を憂えるものではない。しかし、極貧の家に成長し、父母の艱難は言葉に尽くしがたいものであった。世の中で貧乏より悲しいものはないということを知った。
 ここをもって天下の貧者をみては、あまねくこれを救済して富者になさしめることを祈願するものである。

 私が生まれた年、天明の大飢饉であった。死者は何万人いたかわからないほど多かった。関東の諸州の死亡がもっとも多く、栃木の芳賀郡の村々が廃亡したのもこの時であると聞いている。
 今、ここの開墾の任務にあたり、飢饉の害ほど大きいものはないことを知る。60年前後に必ず凶荒のときがあると聞いている。あらかじめその備えをなして、天下に飢えた民がないことを祈願するものである。

 私は幼いとき、しばしば洪水にあい、所持の田畑は再三押し流された。その開墾のため、父母の苦労は筆舌につくしがたいものであった。元通りにしようとしても、容易には良田になしえず、数年の労力でやっと復旧しても、このために負債を生じて所有地を売り払うこととなった。一家滅亡したものも我が家だけではない。
 だから天下の水害をこうむって滅亡にいたるものを救助すること、私が自ら我が家をたてなおしたようにならんことを祈願するものである。

 天下にはさまざまな災厄をこうむって、借財を生じて、利息が累増し、元利を償還することができず、家財産を失い、逃亡する者も少なくない。あるいは家老の職にあってぜいたくになれて、負債のため職務を全うできず、厳しく重税をとりたてて国家危急にいたるものも少なくない。
 私はこれがために方法を設け、救い取ろうと祈願する。

 要をもって言えば、禍を転じて福となし、凶を転じて吉となし、借財を変じて無借となし、荒蕪を変じて開田となし、やせ地を変じて肥沃の地となし、衰貧を変じて富栄となし、困窮を変じて安楽となし、おおよそ人民のにくむところを除いて好むところを与えようと日々夜々に祈願するところなり

 わたしは君命を受けて、物井村にいたってよりここに七年、着々これを実地に施した。
しかしながら、民心はいまだにこれを理解せず、土地が開け、人民は豊かになってきて、しかも人心は喜ばず、かえって反抗をこころみ、よこしまな者どもは威力をたくましくして、良民はその志をのべることができない。
 すでに人民の困窮を変じて安楽の道をあたえ、すでに人民の貧を変じて富み栄させ、すでにやせ地を変じて開田とし、借財を幾度となく無借としてきた。しかしながら、人心の凶を変じて吉とすることがなしがたく、国家の禍を福とすることができない。
 どういう理由か、これは人民が私の誠に疑惑があるためである。
私は君命のために国家を復旧の道をたて、民を水火に救おうと欲するだけである。
天地神明いやしくもこの誠心を真実とせなければ、死ぬとも食をとらず、民を水火から救うことができなければ、この身を猛火になげすてよう。
 これが当山に来て祈誓するゆえんである」

 和尚はその誓願に感嘆し、
「あなたの誓願はまさに世を救う法であり、世間の教えの及ぶところではない。
 よくその誓願をたもって動くことがないならば、いかなる天魔や悪鬼の妨げるものあるもついにはどうすることもできないだろう。」
 そして不動経を与えた。

 先生はこの不動経を受持し、朝夕昼夜怠ることなく、毎時ごとに沐浴し、不動尊の前に礼拝し、誓願を唱えた。
 そして、実に21日目に感応があり、次の歌をよんだ。

身を捨ててここをせんどとつとむれば 月日の数もしらぬなりけり

 心あれば成田の山にこもりなん 石の上にも岩の上にも





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最終更新日  2025.02.28 07:00:17


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