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2025.03.31
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カテゴリ: 報徳記を読む
報徳記  巻之四  【2】中村玄順先生に見え教へを受く その3

報徳記&二宮翁夜話198

報徳記巻之四


【3】先生中村玄順に忠義の道を教諭す

天保3年(1832)某月、中村玄順は西久保の宇津家の屋敷において先生に面会して、25両の借金を申し出た。
先生はこう言われた。
今の時の負債のために心を苦しくするものはどうしてあなただけであろうか。
あなたの君主は政治を正しくして国を富ませ、民は豊かであるか

中村玄順は答えて言った。
「どうしてそういうことがありましょう。
領村は大変衰廃し、土地は荒れ民は困窮しています。
このため納税もまた3分の2を減じています。
主人の艱難はもちろんのこと、一藩の扶持も行き届かず、天下は広いといっても、このような貧窮は諸侯で一番でしょう。
私の扶持もわずかで名のみで、その実はありません。

願わくは先生、私の窮乏を憐れんでください」
先生は顔色を正してこう言われた。
ああ、あなたは過っている。
 人臣たるの道は、武士と医師との区別があろうか。
皆自分の身を顧みないで君家のために忠義を尽くすだけだ。
今、君主が艱難に迫り公務を廃して、国民を撫育する道を失って、進むも退くもともに窮しているのではないか。
人臣たるもの、身をなげすて、命も棄てて、君の艱難を除いてその心を安んじ、国民の困苦を免れさせ、仁政に浴させようと心から力を尽くすことが臣たるものの本意ではないか。
それであるのに上下の大きな患いを他人事のようにして、ただ自分一身の貧苦を免れて安心するために私に面会して借金を求める、これをどうして忠ということができよう。どうして義ということができよう。
私は小田原候の命を受けて20年万苦を尽くして、祖先以来の廃家を再復したのを残らず売り払い、これを種として野州の領村が廃亡したのを再興し、その民を安んじようとして日夜力を尽くしている。
それでもなお、行いが足らないとして未だに君の心を安んじ、民を救うことができないことを戦々恐々としている。
そうであるのにあなたはしばしば来て面会を求める。
てっきり君家上下の艱難を憂慮して、これを救助する道を問うためかと思った。
私は私の勤務があって、わずかな暇もない。
どうして他の諸侯のことを談話するいとまがあろうか。
このために再三あなたの面会の要求を許さなかった。
横山氏がしきりに一度面会していただきたいと求めてやまない。
今、あなたに会うことはあなたの請求に応じたわけではない。
横山の求めに止むをえず面会しただけだ。
なんということか、人臣として君家の憂いも顧みず、一個人の安心を求める言葉を聴こうとは。
あなたの求めるところは僅かな金銭ではあるけれども、その志は私の心に反している。
どうしてその求めに応ずることができようか。
すぐにここを去りなさい。
二度と来てはいけない

玄順は大変慙愧し、自分で大義をわきまえないで先生の教誨を聞いて、ブゼンとして失うところがあるように、ボウゼンとして酔ったようであった。
しばらく沈黙して感謝してこういった。
「ああ、私が過っていました。
私は不肖ではありますが、かって少しは道を聞いたことがあります。
君家の艱難を憂慮しないではありませんけれども、至らぬ私の及ぶところではないとして、わが身の憐れみを願い出たのはまことに浅ましいというか、愚かしいといいましょうか。
今、先生の尊い教えを聞くに及んで後悔する気持ちで身の置き所がありません。
私は愚かではありますが、今から卑しい心を洗い、すこしでも上下のために力を尽くそうと思います。
先生、私の失言を棄てて、これからもご教導ください。」といってふたたび拝した。
尊徳先生は笑って言った。
あなたの志が人臣の道ではないと思ったから一言申し上げただけです。
どうしてあなたを教える道を知りましょうか

中村玄順はますます恥じて、再会の時をお願いして柳原の屋敷に帰った。




巻之四【3】先生中村玄順に忠義の道を教諭す

于時(ときに)天保某(ぼう)年某月中村玄順西久保に於いて先生に見(まみ)え、二十五金の恩借(おんしやく)を請(こ)ふ。
先生曰く、
當時(たうじ)負債の爲に心苦(しんく)するもの豈(あに)子のみならんや。
子(し)の君(きみ)政事(せいじ)正しくして國(くに)富み民豊かなる歟(か)。

中村答えて曰く、
何ぞ然らんや。
領邑(りやういふ)大いに衰廢(すゐはい)し、土地荒蕪し民窮せり。
是(これ)を以て貢税も亦三分が二を減ぜり。
主人の艱難は勿論一藩の扶助も届き難く、天下廣(ひろ)しと雖も是(こ)の如き貧窮は、実に諸侯に冠(くわん)たるべし。
某(それがし)の扶持(ふち)若干(そこばく)名(な)のみにして其の實(じつ)なし。
是故に此の如く窮せり。
願くは先生某(それがし)の窮乏を憐み玉へと云ふ。
先生顔色(がんしよく)を正しくして曰く、
嗟呼(あゝ)子(し)過(あやま)てり。
夫れ人臣たるの道豈(あに)士と醫(い)との別有らんや。
皆以て己の身を顧みずして君家(くんか)の爲に忠義を盡(つく)さん而已(のみ)。
今君(きみ)艱難に迫り公務を廢(はい)し、國(こく)民撫育の道を失ひ、進退共に窮し玉ふにあらずや。
人臣たるもの身をナゲウち命を棄(すて)て、君の艱苦を除き、其の憂心を安んじ、國民をして困苦を免れしむるの仁政に浴せしめんと心力(しんりよく)を盡(つく)さんこと此れ臣たるものゝ本意(ほんい)にあらずや。
然るに上下(しやうか)の大患(たいくわん)を度外に置き、唯一身の貧苦を免れ、安心せんが爲に我に就いて此の事を求む、何ぞ之を義といはんや。
我は小田原君(くん)の命を受け二十年間萬苦を盡(つく)し、祖先以來の廢家(はいか)を再復せしを殘(のこ)らず沽却(こきやく)し、之を種として野州の采邑(さいいふ)廢亡を興し、其民を安ぜんとして日夜心力を盡(つく)せり。
猶(なほ)行ひ足らずして未だ君の心を安んじ、民を救ふ事のあたはざるを戦兢(せんきやう)せり。
然るに子數々(しばしば)來(き)て面會(めんくわい)を求るものは君家(くんか)上下(しやうか)の艱難を憂ひ、其の道を問はんが爲ならんと思へり。
我は我が勤務ありて寸隙(すんげき)なし。
何ぞ外(ほか)諸侯の事を談ずるの遑(いとま)あらんや。
是(こゝ)を以て再三子(し)の請(こひ)を許さず。
横山某(ぼう)頻(しき)りに一面會(めんかい)を求めて止まず。
今子(し)に逢ふことは子(し)の請(こひ)に應(おう)ずるにあらず、
横山の求め黙止(もだし)がたく面會(めんかい)せしなり。
豈(あに)圖(はから)んや、人臣として君家(くんか)の憂ひを顧みず、一己(こ)の安心を求むるの言(げん)を聞かんとは。
子(し)の求むる處(ところ)僅々(きんきん)たる金員(きんいん)といへども、其の志我が心に反せり。
何ぞ其の求めに應(おう)ずることを得ん、子夫れ速やかに去れ、請ふ再び來(きた)ることなかれ
 と。
玄順大いに慚愧(ざんき)し、自ら大義を辨(わきま)へずして先生の教誡を聞き、憮然(ぶぜん)として失ふ處(ところ)あるが如く、茫然として酔へるが如く、沈黙良(やゝ)久しくして謝して曰く、
嗟呼(あゝ)過てり、某(それがし)不肖なりと雖も曾(かつ)て少しく道を聞けり。
君家(くんか)の艱難を憂ひざるにはあらずと雖も、不肖(ふせう)の及ばざる所となし、一己(こ)の憐みを請ひたるは誠に淺(あさ)ましといはんか愚也(なり)と謂(い)はん歟(か)。
今先生の至教を聞くに及びて慚悔(ざんげ)身を容(い)るゝの地なし。
某(それがし)愚なりといへども今より卑心(ひしん)を洗ひ、聊(いささ)か上下(しやうか)の爲に心力(しんりよく)を盡(つく)さんとす。
先生某(それがし)の失言を棄て爾來(じらい)教導を下し玉へと云つて再拝す。
先生笑ふて曰く、
子(し)の志人臣の道にあらず。
我是(これ)を以て一言する而已(のみ)。
何ぞ子(し)を教ふるの道を知らんや
 と云ふ。
中村彌々(いよいよ)耻(は)ぢ、再會(さいくわい)の時を請ひ柳原の邸(てい)に歸(かへ)れり。





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最終更新日  2025.03.31 00:00:24


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