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2025.09.23
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カテゴリ: 鈴木藤三郎
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「鈴木藤三郎伝」鈴木五郎著 136~137ページ
   世界一周終る

 そこで仏・独両国を十分に視察して、再びロンドンに帰った翌日の12月18日から、これまで手もとに集めた機械類の見積書や説明書の翻訳を、今井に協力してする一方、各国の機械の粋を集めた上、わが国の国情にも合う最新式な工場を設計することに、まず努力した。そして、それができ上がると、一種の機械ごとに、その製作を得意とする数ヵ所の製造所に命じて、詳細な仕様書を提出させた上で、競争入札をさせた。それでも、まだ高値と思われるものには、その落札額からなお適当な値引きを要求した。
 ある製造会社などは、2割5分の値引きを要求してやったところが、社長があわててロンドンへ出かけて来て、藤三郎に会うなり、2分5厘の間違いではないかといった位に、なかなかきびしいものであった。これには、この数年来、自分で鉄工部を経営してきた経験が、非常に役に立った。どの機械も、大よそ原価の推定ができるので、値引きの要求も、よく説明すれば先方を承諾させる力があった。現在残っている当時の契約書の控えを見ても、平均1割5分の値引きをさせている。これが主として。掛引きがないといわれているイギリスの工業家を相手としてであるから、相当やったものであるといわなければならない。ある製造家などは「開業以来の最低限で取引をした」とこぼしたそうであるが、東洋の鴨にも、たまには羽根の強いのがいることを示したのは、いささか痛快であった。

 当時、日本から機械購入に行った者は随分あったが、みな欧米人を、無批判に心酔したり恐れたりして、頭から呑まれてしまっていた。また欧米には、機械製造所も無数にあって、同一の目的に使用する機械でも多種多様のものが製作されていた。そして、各製造所は、自分の所の製品が最上の物であることを極力宣伝したから、よほど機械に精通している者でなければ、その選択に迷ってしまうのが通例であった。そこへもってきて、外国商人は巧妙なコンミッション政策で誘惑したから、多くはこれに引っかかってしまって、品質よりは情実を主として買い入れるようになるのが常であった。

 しかし、藤三郎は機械の選択には自信を持っていたから、遠慮なくビシビシやった。これに閉口した各製造所は、陰に陽にコンミッション政策を用い出したが、これは例の潔癖で、断然と拒絶してしまった。その排撃のしかたが、あまちに徹底していたので、コンミッションを当然と心得ている欧米人心理では理解できないで、一時は藤三郎が、真に会社の代表者であるかを、疑った位だった。

 その物の値打がほんとうに分っていて、しかも欲心に引っかけられることさえなければ、欧米人を相手にしても、決して卑下する必要はない。科学が段違いに進んでいたり、取引きの習慣が少しくらい違っていても、商業の根本では日本人も欧米人も、そう違うものではないということがハッキリと分った。それで、ちょうどそのころ、徳富猪一郎(蘇峰)が通訳の深井英五とともに、藤三郎と同じミセス・チャップパン方に沿っていたので、明治30年(1897年)2月7日は例の日曜日で、お互に暇があったので、午前10時ごろ、蘇峰と雑談をしたおりに、このことをいったら、蘇峰も大いに共鳴して、商業以外のことでもやはりそうだと。彼の経験を話した。 

  ここいらは、大いに士魂商才の日本少壮実業家の面目を発揮したのであったが、時々は、自分でも腹をかかえて笑うような、旅の恥はかき捨て式の赤ゲットのボロもあった。

  それはパリに行ったときのことであったが、ある日、ひとりで街を歩いた。ところが、正午近くなって空腹になったので、通りかかったレストランへ飛び込んだ。そして、もうだいぶ勝手も分って来ていたので、大きな顔をして椅子にかけた。すると、ボーイがメニューを持って来た。見たって、どうせ分りはしないのであるから、前のほうに書いてあるのを5皿ほど指でさした。ボーイが何かいったようであったが、ただ「ウン、ウン」と、うなずいていたので、向こうへ行ってしまった。しばらくすると、スープを持って来た。(シメ、シメ、洋食では、いつもスープが真っ先ときまっている)と思って、食べてしまった。そこへ、次の皿を持って来た。何かと思って見ると、前よりは少し濃いのであるが、やはりスープだ、(オヤオヤ、これは少し変だな)と思いはしたが、仕方がない。ままよと、それも食べてしまった。すると、次のも、またスープ! その次も、その次も、薄いの、濃いの、野菜のはいっているの、揚げたパンの小片が浮いているのと、いろいろに種類は違っていたが、5皿とも、みんなスープだった。これには、さすがに強情我慢の藤三郎も閉口し、ダブダブする腹をかかえながら、ホウホウの体で逃げ出した。



12月18日
 午前9時より今井氏と両人で市内に行き、高田商会・正金銀行・三井物産会社・郵船会社等諸店に行って、これより午後に至ってアーレンス商会に行く。セッフェル氏及び藤山氏にたまたま会った(同氏は特別の用で出てきて昨日ロンドンに到着したという)、これよりハミルトン会社へ行って、社長に面会する。そして午後5時に下宿に帰る。この夜より諸工場の説明及び見積書を取り調べる。
12月19日  小雪
 この日は今井氏と2人で早朝より説明書・代価表の翻訳を夜10時まで終日する。
12月20日  晴
 午前9時より午後5時まで説明書を取調べ、及びドイツ器械工場2か所へ電報及び郵便を発する。午後5時30分よりハミルトン氏の自宅へ行って、7時まで主人と談話する。これより下宿に帰って、この夜も注文品の草案を作る。
12月21日  降雪
 午後10時藤山氏が来て、器械の件について相談する。午後1時両氏が帰る。またロッカードハミルトン氏が来て、これまた器械の件を話す。午後2時より諸説明書を取り調べる。この夜8時三井物産会社の渡辺氏が訪ねてきて器械の件について相談する。また郵船会社の伊吹山氏が訪ねてきた。
12月22日  曇り
 この日、朝よりこれまで取調済みの諸工場説明書を整理して、購入する目的の器械を選択して、各部類を分かって、更に入札の手配をする。今井氏はこの書類を英文に翻訳する仕事に従事する。
12月23日  曇り
 午前10時シェムスブカナン氏が来て、骨炭キルンの件について終日相談する。この夜8時になって氏は帰る。この日藤山氏はまたベルリンに向かって出発した(この夜9時クック医師が来て、私が風邪気味なので診察を受ける)。
12月24日
 この日は前日より私は少し風邪気味で11時まで床にふしていた。正午より起きて日誌を再録する。今井氏は午後1時より市内に出る。高田・三井・アーレンスオスペ諸商店へ器械取調書を持参する。
12月25日  晴
 この日はクリスマス祭礼で、各戸は休業して七面鳥を料理するを例とし、あたかもわが国の元旦の式に似ている。この朝クック医師の来診がある。
12月26日  雨降
 この日も前日同様(ボリシングデー)と名付け、これまた大祭日である。この日午後より今井氏は外出する。私は精糖工場器械据付けに関する製図をする。
12月27日  日曜 晴
 この日もいつもの休業である。私は前日同様製図する。午後2時より3時までパウラメントヒルに行き散歩する。この日晴天なので市民もこのヒルに散歩するものがおびただしかった。大変にぎわっていた。今井氏はこの夜8時に宿に帰った。
12月28日  曇り
 今井氏は朝より市内へ行って、アーレンス店及びヒハミルトン会社へ行き、午後3時帰る。私は前日同様製図した。この夜8時よりハミルトン氏の自宅に行って、主人及び次男(インジニヤース)ハロルド氏と器械についての談話をする。夜11時、宿に帰る
12月29日  午前晴、午後曇る
 この日は前日同様製図及び翻訳をする。この夜渡辺専二郎氏が訪れて来る。また下条氏も訪れた。
12月30日  曇り
 午前10時より私と今井両人でハイストリート写真師キルクツク方に行き、写真撮影する。午後3時シャー会社(製鋼工場)技師ジェームズ・シーシャー氏及びヒロツカードハミルトン氏両人が来て、蒸留器械について相談する。そして7時頃帰る。
12月31日  晴
 午前10時より私と今井両人で三井物産会社へ行って、渡辺氏に面会する。ここでグリーノック氏(器械製造所)ジーヒウストン氏に面会する。これより同氏と市内で会食し、そしてハムステッドの下宿に帰り、同氏と製糖器械について数時間相談し、氏は帰る。直ちにプレーヤー・カンプペル及びヒマクリン会社長プレーヤー氏が来て、これまた無気缶の件について相談する。午後7時30分に氏は帰る。この夜ロッカードが来て、樽製造器の見積書を持参する。
以上11月1日より12月31日まで日誌はこのとおりである。

第九号日誌





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最終更新日  2025.09.23 01:00:05


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