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2025.12.03
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カテゴリ: 鈴木藤三郎
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「鈴木藤三郎伝」鈴木五郎著256~257ページ

藤三郎が、明治37年(1904年)春から小名木川の屋敷内に試験工場を設けて行っていた実験は、3年の月日と14万円の費用と、直接醤油醸造についての発明だけでも22件の特許を得て、翌々明治39年(1906年)8月に前記のような好結果を得て完成した。それは、何か特別な薬品を用いて、化学的に合成醤油を速製するのではなくて、新しいくふうによって醤油菌の発酵を促進して、物理的に醤油の醸造を促成する方法であったから、従来の醤油と品質も栄養価も、そう違うはずはない。しかも、その製品は、前にも述べたように、東京市内の有名料理店で試用の結果も、在来の一流品と比べて、決して劣らないという折紙をつけられた。たハワイのような熱帯地方でもカビないので、外国へ輸出の見込も十分についた。そこで、いよいよ本式に事業化することに決心した。

当時、藤三郎は、日本精製糖会社を辞すと同時に、自分の持株を全部処分したので、かなり莫大な現金を持っていた。

※日光市今市の報徳二宮神社に鈴木藤三郎が奉納した2,500冊に及ぶ報徳全書は、20人の書生を雇い、3年近くの年月を書けて9千巻余りの二宮尊徳の日記、書簡、仕法書類を謄写させた大事業であった。鈴木藤三郎が一人でその莫大な費用をまかなった。その費用の出所は実にこの日本精製糖会社の持株を全部処分したものであったように思われる。

「報徳道研修 いまいち一円会 通信第152号」 には、安西悠子さんの「金次郎の妻『岡田なみ』について」が連載中であり、そこに「静岡の報徳社員、鈴木藤三郎は、金次郎の遺徳を追慕し、明治39年(1906年)1月から同41年(1906年)1月から同41年(1908年)11月までかかって、相馬中村にて筆写事業を行った。金次郎の遺著を永久に保存し、教義の研究に資せんとした。それは、約9,014巻で、2,500冊に収め、236冊に合綴した。筆写完了後、今市報徳ニ宮神社境内に報徳文庫を建造し、これを納めた。明治42年(1909年)5月30日であった。すべて鈴木藤三郎の私費であり、木村浩会員によると『現在の貨幣に概算すると、約2億円以上になるかもしれない』とことで、巨額の推譲であった。」

そこで最初は個人的に、1か年6万石位を醸造する工場を建てて、事業を開始するつもりであった。

しかるに、藤三郎の醤油新製法の発明は、すでに世間の評判になっていたので、この事を聞いた人々は、誰でも

「こうした国益になる仕事は、個人経営などといわずにできるだけ大規模にやって、国民全般にその利益を被らすべきである」

と説いてやまなかった。藤三郎の心も動かないわけにはいかなかった。彼の心が動いたとなれば、計画は非常に大きなものにならざるをえなかった。

ことに彼の事業的手腕は、内地や台湾の製糖業の完成、自家経営の鉄工業の大成で高く認められ、一方近年続出する、各種の発明で発明王とまでたたえられ、全く超人的な頭脳の所有者として世間から絶対的信頼を受けていた。そこへ国運をかけた日露戦争が、未曾有の勝利で終局を迎えた余勢で、我が国の資本主義は飛躍的に進展したので、国内には起業熱が洪水のように興っていた。

※ 鈴木藤三郎が自分の信ずる事業に思い切った投資をし、事業を拡張する大胆さについて質問した人に対してこう答えている。(「黎明日本の一開拓者」359-361頁)
「私が事業を創始し又は拡張するについては報徳の教えを遵奉しているので拠る所がある。法とし道とするものがある。私は、それによって進んでいる。私は、それによって進んでいる。投資でも拡張でも心事においては綽々として余裕がある。殊更に人のように勇気を揮わそうと思ったことがない。ただ私は普通のこととして行っていることが、外から見ると非常に大胆に勇気があるように見えるのであろうが、自分には毫も勇気を出そうなどいう考えはない。

今日でも私を知らぬ者は、ただ事業が好きばかりで糞大胆なことをする、狂人みたいな男と思い、あんな人に金を持たせるのは危険であると信じているものすらある。然し私とても無法に大胆なことはない。無欲でもない。また、ただ事業を道楽にしているものでもない。 ただ二宮先生の教えに従い、事業は事業の力をもって興り拡張されるものであるということをかたく信じているから、事業から得たもの分度以外はいくらでも事業にかけてしまう。鈴木鉄工所のごときは最初3千円の資本を投じてから、利益があれば分外を事業に投じて事業の拡張に供した。創立以来殆んど20年近くなるが、私は未だ1文でも同部から利益配当を受けたことがない。 今日同部の資産が3,40万円の値打ちを有し、市内有数の工場といわれているのも、つまりこれが為である。利倍しても、あれだけには増殖することが出来ない。

私は最初砂糖事業を経営し、今は醤油と製塩をやっている。種類は異なっているが、事業という点から見れば同じことである。私は事業家である。他人のように書画骨董をいじったり、家屋を広壮にして楽しもうということはない。事業を営むのが私の本分である。事業に資本を投じて損失したとしても、事業で得たものであれば少しも惜しいとは思わぬ。私の仕事はたとい不成功に終ったとするも、その研究は後の人が承継してやってくれる。私一代にできなくとも、次の代、またはその次の代には何とかなる。結局は社会の利益となる。目的理論はいつしか徹底する機会がある。この機会がありさえすれば、事業から得た資本を投じて全く損失したとて、私の目的は事業のためには達せられたもので、少しも惜しいとは思わない。

こういう覚悟で資本を投ずるのである。外からはいかにも大胆に見えよう、勇気あるように思われるであろう。しかしそれは他から見るとので、私は必ずしも勇気を揮おうの、大胆なことをしようのというつもりは少しもない。ただ平気で事業家としてするだけのことをしているのである。例えば大工が仕事をするようなもので、墨がなければいかに注意してやっても真直ぐには出来ない。しかし墨を打ってやれば、鼻歌を歌いながらでも立派に出来る。 世人は規矩(きく)縄墨なしに仕事をしようとするから非常に勇気がいる。私は一定の拠る所があり、墨を打ってあるから別段に勇気を出そうとしないでも仕事が出来る。 出来たあとを見た人は、非常な勇気を揮ったように見るのである。しかし これは誰にでもできる。賢愚を問わずやりさえすれば必ずできる。私がこの大道に従い事業をすることができたのは自分に工夫したのではなく、一に先師二宮先生の賜である。 」(実業之日本明治41年10月10日号)






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最終更新日  2025.12.03 05:40:04


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