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今日はホント、おかしかったのです。楽しいはずのインプロに行っても、気持ちは萎えるばかり。私、どうしちゃったの? 困った、、、とますます落込みました。こんな日もあるさと思い込んでも、鬱な気分に変わりはありません。それでも、こうしているわけには行かないのです。こんなときは、なんでも試してみます。よし、今夜は、カバカバティーいっときます!これはポリネシアのハーブで、飲むと「ま、いいじゃん。ぼちぼちいこか」気分になるというウワサです。いかにも南の島らしくないですか、、、、。こんな夜、すべてを話せるひとがいたら。私はできる。私には力もある。知っているけれど、めげるときがある。びびるときがある。腰が引けたりする。そんなときをたくさん迎えたからこそ、聴いてもらうことがどんなにパワフルでそれを得ていたら生きていきやすいのか、私は知っています。そして、聴いてもらえないと、こころを話せないとどうなるのかを私は知っています。だから。
2004.11.30
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PCが旅行にいっているので、空き時間ができました。ここぞとばかりに、その周囲にたまっているメモ書きや書類を整理しています。すると、約3ヶ月前に小さなノートに書いていた承認日記が出てきました。今はぜんぜんやっていませんがそのころは、寝る前に必ず、自分を承認していたのです。すっかり、忘れてました(^^;)では、どのように、自分を承認していたのか、承認ってどういう感じなのかあまみの承認日記の一部をお見せしま〜す。------9/3私は、感謝した私は、飛行機に間に合った私は、勇気を持ってコースに参加した私は、チームのメンバーに電話した私は、娘の話をしっかりと聞いた私は、言うべきことは言った私は、トランスパーソナルの本を一冊読んだ私は、臨席の人との会話を楽しんだ。私は、自分を大事にしてあげようと思った9/4私は、責任を取るためにがんばった私は、ルームメイトと調和を重んじた私は、相手の創造と自分の創造をクリアに見ようとした私は、自分が疲れていることを認知して、良く寝た私は、ドラマのひとつを認めた9/5私は、自分の眠気をちゃんと受けとめて、身体を大事にしてあげた私は、質問する勇気を持った私は、価値判断よりも慈しみを優先させた私は、相手の夢を聞いてエンパワーした9/7私は、対人関係で起こっているドラマを見る勇気を持った私は、ルームメイトとの創造を乗り越えた私は、眠い身体をよく寝させてあげた9/10私は、他者の創造を味わい愛でた私は、チームに心を開き、サポートを受けた私は、娘の学校でのドラマに気づいた私は他者のアイデンティティに反応しないことができた-----さてさて、振り返って見ると、専門用語ばかりで何ぞやという感じですが具体的には睡眠をとったことをほめているのが特徴的に思えます。睡眠をとることが、どうも、当たり前ではなかったようです(^^;それと、飛行機に間に合った、これも、当たり前ではなかったようです(汗)確か、出発5分前に座席に座ったような。。。あのときは、台風の中へ飛んでいったような。。ドラマとか創造という言葉は、参加していたセミナーの用語です。要は、人生のパターンや他者に投影している自分の姿という意味です。これは3ヶ月前、私が尊敬しているトレーナーが、承認日記を書いているという話を聞き、よおし、私もやろう!と思い立ったのがきっかけでした。人はまず、外部(他者)からの承認で自己像があきらかになります。だから、正しく承認されていないと、困ったことになってしまいます。さらに、他者からもらう承認は他者の視点というフィルターを含んでいるのが常なので、そればかりに揺り動かされたら、自分が分からなくなってしまうかもしれません。じゃあ、どうするのか。自分が自分を承認していくのです。自分が自分をいちばんほめて、認めて、受け入れていくのです。もちろん、他者からの承認はあったほうがうれしいし、欲しいものです。欲しくて当たり前です。だから、両輪、つまり他者承認を得る努力(これをほとんどの人はしています)と自己承認をする意識(これは習慣づけることは可能です)を両方、しながら動いたらいいのではないでしょうか。両方いけます。はい。
2004.11.28
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ランチにはオーガニックの全粒粉のパスタをゆがいて、ウインナーとほうれんそう、そしてたまねぎを炒めて名古屋の友だちが持ってくれたヨコイのソースをかけて食べました。まったりとした茶色のソースは、香辛料がきいていて、おいしいです。なんとなく、ぴりっと辛い母の味のイメージです。食べながらよく噛んでいることに気づきました。全粒粉なので、やたらとコシがあるせいでしょう。玄米のときもそうだけど、固いものは自然とよく噛んでしまいますよね。これをおみやげに持ってきた友だちとは、コーチングの研修で出会いました。一緒に仕事をしたこともあるし、プライベートのこともお互いによく話しています。けっこう、遠慮なしでいろいろ言い合ったりもしています。間違えたり、相手に届かない言葉を投げたときは、伝え直したり、おしみなくごめんねと言います。最近、思うのです。関わり合いとは聴くこと、受け入れることがワンサイドだとしたら、伝えること、自分を相手に向けて開いていくことが、もうひとつの側面だって。片方だけ、つまり、よく聴いて、よく受け入れて、それだけでは足りないかもしれません。やっぱり、受け入れてもらった、という実感が人には必要です。欠点もなにもかも、開いた自分がありのままで、受け入れてもらえている、そう感じることが必要です。だから、どうしても伝えたいこと、分かってほしいことはそれを伝えきるまであきらめないでよそうと思います。例え、言いづらくても、それでも伝えていきます。嫌われるかもしれない。大人気ないかもしれない。相手はそれほど思っていないかもしれない。それがどうした?です(笑)傷ついてもいいじゃない。関わりを持てないことのほうが、数千倍怖いのです。それでも、その気まずさや空気の間合いが持てずに、理由をつけて去っていくとき、心の中では自分を責めてしまうのですからそれならば、いっそ、外に向かって大破してしまおう。最近はそう思うのです。きっと、そんなあなたを見て、誰かが絶対に分かってくれる。って、あれ?誰に向かって書いているのでしょう(笑)なぜか、思いがあふれて出てきました。インラケチでしょうか(マヤ語で、あなたはもうひとりの私という意味)
2004.11.26
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昨日はなんばでセミナーでした。ご参加ありがとうございました。なによりもうれしかったのは、最後に参加者のかたたちとお話ができたことです。改めて思いますが、男女のリレーションシップはつきつめれば、自分との関係に帰結するようです。目の前のひとは鏡。目の前のひとは教師。目の前のひとは宿敵。目の前のひとはソウルメイト。目の前のひとは教えてくれる。悲しみも憎しみも、喜びも癒しも、そして愛すること、愛されること、生まれてきた意味を。こんなにも、こんなにも、気づけば、必要な学びを携えて人生に登場してくれる他者です。出会いの意味がぜんぶ分かってしまったなら私たちは感謝のあまり、喜びに狂ってしまうのかもしれませんね。
2004.11.24
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私の職歴はほぼ、接客や相談を伴う仕事です。考えてみればとても不思議です。そもそもが人見知りで怖がりで、吃りでした。思うことひとつ言えなかった子供時代を持つ私はなぜ、対人相手のいる日々を送っているのか小さな私はきっと信じられないことでしょう。今はコーチングと出会い、人の素晴らしさを感じさせていただき、ありがたいことですがそれでも、私は基本的に自己表現が苦手です。受け入れることはいくらできても、自分をありのままに表現しようとすると、固くなってしまいます。でも、今日、コーチングを受けていてその理由がひとつ分かりました。私はどうも恥ずかしがり屋なようです(笑)素の自分は幼く未熟なので(というセルフイメージです)それを人に知られるのが恥ずかしくて自分を隠してしまうようです。これからの目標は、そのまんまでいることにします。かっこつけず、目線は90センチ。そして、深呼吸。吸って吐いて、吸って。感じて生きよう。今は、吐く時期。アウトプットのときですから。
2004.11.21
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夕方、ほど良く混んでいる電車の中、座席に座りながら手帳のスケジュール確認をしていたときのことでした。横に座っているおっちゃんが話しかけてきたのです。「彼氏にラブレターでも書いているん?」その、いきなりの一方的&距離感を縮めて寄ってきた姿に、とっさに警戒心が発動。おまけに、は? ラブレター?こんな忙しいときにそんなどころじゃないわい!微妙に腹も立てました。しかし、相手に悪意はない様子。なので、軽く受け流したのです。が、、、、、流しても流しても話しかけてきます。ううーん、どうしよう。そのときに。ぴーん!そうか、これも未知との遭遇!自分との約束をしておくと、ちゃんと意識のどこかにあるんですね、これが。そこで、改めて横を見ると、日雇い労働者風のおっちゃんが片手にビールを持ち、ニコニコ座っている姿が見えました。ちょっとびびります。でも、未知との遭遇。まずは興味を持ってみました。すると、興味が強くなり、抵抗が薄れてきました。そして、降りるまでの二駅の間、よく喋るおっちゃんの話を聴くことができたのです。おっちゃんはこう言いました。「最近は男女平等だねえ、なんだかね。 俺らは親見て育ってるから、変なもんだよ。 母ちゃんは、親父をよく立ててからねえ。 最近は非行とか不良っていうけど、俺には 理解できねえよ。 親の背中見て育ってたら、そんなことできるわけが ねえよ」ふむふむと聴きながら、ちょっとしみじみしました。親の背中を見て育つという言葉はずいぶんリアルですよね。きっと、経済力や時代背景ではなくて、親が人間としてありのままに、いのちを開いて生きていれば言わなくても大切なものは伝わるのでしょう。私の父と同じ位の年に見えるおっちゃんの話を聞きながらそう思いました。そして、この人は親に感謝して生きてきたんだろうな。迷いもなく、それは当然のことだったんだろうな。その迷いのなさがステキ。おっちゃんはその一点でじゅうぶん幸せですよ。見ず知らずの私に、話をしているおっちゃん。本気で話しているおっちゃん。ホントに感じていることを話している、おっちゃん。そう感じたら、なんだか旅は道連れ世は情けみたいな感覚が蘇ってきました。あれ、ここはどこだっけ?環状線で旅気分です。じゃあ、ここで降りますので、と席をたった私に、おっちゃんは立ち上がり、「お嬢さん、親を大事にしなさいよ。 親はね、全力で守ってくれるんだよ、 いつだって! また、会おうな!」と、大きく手を振りながら叫びました。人情というのでしょうか。いやあ、グッときてしまいました。私も親になってみて初めて分かったことそれは、親は精一杯やっているということです。そんなことを、思い出させてくれたおっちゃんとの出会いでした。家に帰ったら、家族はいるのかな。おっちゃんも健康で幸せでありますように。
2004.11.20
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最近、目につく「あなたがつぶやく最期の言葉」をしてみました。http://marylou.m78.com/lastword/ すると、、、、私が最後につぶやく言葉は「うおっほっほっ」死期は元旦。餅をつまらせる108歳。なんか、こんなのばかりだな、、、、そして、総合運は、、、「基本的に楽天家でプラス思考のあなたは 自分の人生を、運命を受け入れ、 いかなることでもプラスへと変換し、 楽しむことができる人です。 うらやましいことです。 そんなあなたの最期は考えようによっては とてもドラマティカル。 108回めの元旦、お年玉をせびる孫に 入れ歯を披露したり、入れ歯を使って腹話術など、 家族団欒、楽しいお正月を過ごしていたのですが、 あなたが2杯目のお雑煮を食していた 時に事は起こります。 あれ、なんか飲み込めない。 ちょっと苦しくなってきたかも。 『うぉっほっほ』 そのままあなたは帰らぬ人へ。 まさか自分が、餅で...。 笑っちゃいますね。」笑わないで。お願い・・・・
2004.11.19
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HPのTopページをちょっとだけ変えてみました。やればできるって感じがうれしいです。HPの勉強もしておいてよかったです。少しづつでいいから、うまくなりたいと思います。いろんなことを、少しずつ少しずつ、できるたびに、喜びがじわりと涌きます。できなかったことができる喜び。それは、とても純粋な喜び。昨日、インプロに行く道のりで、ふと思いました。料理の素材には、おいしく食べるために下ごしらえがあります。こんにゃくは、一回湯がいてえぐみをとります。大根は、とぎ汁で煮るとほっこり焚けます。そんなふうに、人にも最適の下ごしらえの場があるのではないだろうか。その人のいのちが花開く、その人の素晴らしさが光ってしまう、そんな場が必ずあるんでしょうね。でも、そういう場にたまたま当らない人は、大変です。私も実際、なかったように思えます。それはそれとて、下ごしらえだったのでしょうがなかったころは、そういうことが人生であり得ることすら想像できずさえない日々を生きていたように思います。できないことが最悪なのではない、希望がないことが最悪なのです。そんなことを思いながらなにかができない、とか、やりたいけど無理、とか感じてしまうとき、ホントは単に、素材の引き出しかたを知らないだけで、やりたいならできるんだよとやっぱり言っていきたいと思いました。だって、できないことは想像できないから。だから、今、できなくても、あきらめないでほしいと思います。場は用意されています。それは、人であったり、情報、時間、タイミング、いろいろな方向から、いのちの光を照らすために、そこにあるのです。下ごしらえが終わったらきっと。きっと。きっと、できる。できないかもと感じているかたに強く伝えたいと思います。
2004.11.18
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日曜日、知り合いのかたがステージで踊ると聞いたので行ってきました。映画【地球交響曲第5番】もやっていたのでダブルでうれしかったです。いやー、それにしても、彼女の踊りはすごかった。古代、巫女さんはこうだったと思いました。見えないチカラとつながっている感じ、ぞくっとするような神聖さ。映画の内容は生と死、そして再生でした。私の大好きな本「分娩台よさようなら」の大野明子さんの助産婦院に通っている女性の自宅出産シーンが感動的でした。まっかな顔して生まれきた赤ちゃんと出会ったお兄ちゃんは顔をくしゃくしゃにして泣いています。。。生前のジャック・マイヨ-ルさんも出てきました。彼は海辺の家で、いのちには終わりがないのだと語っています。彼の魂のためにも、そう願います。そして、日本にきてくださったダライラマ法王。その笑顔を見ていると心がたまらなく震えてきます。その講演の中で、ある母親が質問します。「なんで、戦争はあるの?と子供に聞かれたけれど、 なんて言っていいのか分からないんです。」ダライラマ法王は言いました。「苦しみが、慈悲〔思いやり〕を育てるのです」と。良い映画、良い踊り。最高の贈り物です。ありがとう。
2004.11.16
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コミュニケーションのレベルと距離には5つの段階があります。最初は、挨拶 ↓次に、情報交換 ↓そして、質問 ↓次は、提案 ↓とうとう、リクエスト。距離とレベルは自然に一致していくものですね。とはいえ、まれに主観が強く、もしくは欲求と抵抗が大きくて、相手のそれと自分のこれがずれてしまうことがあるかもしれません。そういうときでもこの尺度に立ち戻ってみれば間違いはないのでしょう。いつもいつもというわけにはいきませんので間違いから学ぶということもアリですが。
2004.11.15
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私は最初からずっとmacユーザーで、手持ちのソフトもほとんどmac用。でも最近は、使いたいソフトもありwindowsの必要性が出てきました。来週はまず、macを直します。そして、時間の余裕があればwindowsにソフトを入れてみます。ほんと、PCが故障するってすごいストレスですね。でも、そうこうしているうちに、理解と知恵がついてくるという利点はあります。それにしても、エンジニアのかたって、すごいなと思います。不動の忍耐心の持ち主ではないでしょうか。
2004.11.13
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久しぶりに会った友だちとカラオケに行きました。曲を入れている間に、変なところを押したみたいで、画面に歌い終ったあとには点数表示が出ました。それは、80点とか76点と総合表示が出るほかに、声の幅、抑揚、そして、ビブラート、しゃくり、という項目があって、ビブラートは秒で表示され、しゃくりは回数で表示されています。ビブラートは、その波が画面で表示されるので、どのくらいうねっているのか、もしくはまったくうねっていないとかが、なんと分かるのです。それがおもしろくて、わざにびぶらせて遊んだらそりゃ演歌だと不評を買いました。そして、しゃくり。しゃくりってなんだろう?これだよこれと、誰かが顎を出します。そういうんじゃないよとつっこむ誰かが、ひゃくりをします。そんな感じで不明のままに、おお!10回しゃくってるねー!とか、この、しゃくり女王!!などとふざけていましたが画面の右上のアイコンに、しゃくりらしい図がのっていました!それは、急上昇する矢印でしたが。要するに、しゃくりとは、かなりめりはりのある声とか、いきなり裏声とかなんではないでしょうか。誰か、知っているひとがいたら教えてください。ちなみに私はビブラートの波が大きく長かったです。おまけにしゃくり回数も多かったのです。今日のメンバーでは、びぶしゃくナンバーワン!別にうれしくはないのですが。。
2004.11.12
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私は水が好きです。生まれ変わったら、水になりたいと思います。水になって、天上から地上、海、すべての生きとし生けるものを巡り巡りたいと思います。そして、水が好きな理由は色や質感に同調するのがたやすいからです。たとえば、海や川、湖、雫、雨、それに雪解けの音、霧の色、温泉の力、ついでにお酒(^^;)今日は朝から曇り空でした。水をゆったりと含んだ大気が、こころなしかすべてにまとわりつくようでした。江本 勝さんは水が情報を保有し伝達すると言います。今日、これらの水は空気に乗って、どこへ流れていくのでしょうか。。
2004.11.11
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傾聴力を磨くために本当に素のままの自分でいながら、知らないひとに興味を持って関わってみる、ということを時折してみようと思い立ちました。題して「未知との遭遇」作戦です(^^;)さっそく、今日、ワークショップの中で出会った、強い意志を感じさせる目をした人と一緒にワークをする機会があったので、それを意図して関わってみました。目を閉じたまま、手の平同士でコミュニケーションをするワークをしたときに最初はどきどきしましたがだんだんと、その人の手の動きを感じて、流れを感じているうちに、とても自由で力強い手の発動を感じるようになりました。踊るように跳ねるように、絵を描くようになめらかに動いていく手のコミュニケーション。私はそれに任せて心地よさを楽しみはじめました。コントロールせずに、ただ、伝わってくるものを受け入る、そして、返す。押しては寄せて引く波のように、おのずと動いていく。無言で、暗闇で。指先と手の平が感じる情報はよりきめ細かくて、多分、真実。目を開けて見える世界よりもその人らしさが伝わってくるのでしょう。そちらの感覚を信じられる自分にも、出会えたのでした。相手の言葉ではなくエネルギー、その自由さ。力強さ。ダイナミック。いのち。リズム。そんな感じを本当に感じて、関わるというよりももっと奥に浸透するようなコミュニケーションだったような気がします。相手の肉体やアイデンティティの内側にある、ピュアなエッセンスと出会ったのでしょう。考えないとき、私は私でいられます。この考えないときほど、自分でいられることは間違いがありません。考えない時間を、人生の中で増やしていこうと思います。
2004.11.10
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と、サブジェクトで謝っていますが、本当にメーラーがアウトでして、お返事ができていません。すんません m(._.)m 急ぎの仕事が終ったら、バックアップ&リストアすることにしました。ひえーーーっとりあえず、webメールに転送したりと急場しのぎで仕事していますが、不便!!!古い恋の思い出はもういらないわ。私、疲れたの、、、、。でも、、、いい思い出だけはとっておきたい。私とOSの関係は、今、そんなところでしょうか。使い慣れているものは愛着があります。でも、もう、手放しがたいような気がしますし、大きな変化でもなければ、新しい一歩に踏み出さないのかも。。。などとこじつけて思っている今夜、私の横では遊びにきた親友が「ピンチはチャンスだ!」と気合いの入った独り言をさけんでいるのでした。最近、とっても忙しく、とっても幸せで、相変わらず寝不足で、今、とっても朦朧としています。人生いろいろ!
2004.11.09
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親戚の結婚式に参加するために千葉へ行きました。そのついでに連休を利用してディズニーランドに行ってきました。5年ぶりです。ぜんぜん変わっていませんでした。私は水が好きなので、ディズニーシーのほうが落ち着く感じがします。水路や港の景色、景色のまん中で急激にそびえたつ活火山からはときおり、轟音と共に炎があふれ出しています。石畳や坂道、古い町並みに、和風イタリアンのゴンドラエが歌うサンタマリアと出航の鐘の音が響き渡ります。エッセンスをたくみに真似した異国情緒に、不思議な旅人の気分になり、楽しかったです。
2004.11.07
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娘の学校で講演会とイベントがあり、朝早くに起きて家を出ました。子供のことや学校のことが知りたくて、父兄の集まりには何度か顔を出してみたのですが学校主催のイベント参加は始めてだったのです。一緒にいった友だちが、学校からの帰り道、「よかったね。転校してよかったよ。 あの子はいきいきしている」と言われた瞬間、思わず涙が出てきました。娘が行っている学校は従来の日本の教育とは違うカリキュラムで、選択の自由と責任が常に求められるような学校です。実は何の心配もせずに転入したわけではありません。今でも不安がないわけではありません。なぜならば、私自身が一般的な教育しか受けていない子供であり選択の自由など与えれず大きくなり、ただただ、つまらないなあ、早く大人になって自分の人生を生きたいなあと望む子供だったのですから。だからこそ、自分が経験したことのない教育スタイルは魅力的であり、また不安でもあります。それでも娘の顔を見れば、日に日に穏やかにそして優しくなってきていると感じます。甘えたがりでわざとぐずぐずもするけれど、以前のようにため息をつかなくなりました。ときどき、お友だちとうまくいかないときがあるようですが、それでも、学校が楽しいといって朝も迷わずに出かけていきます。どうか、自分が大好きだとこころから感じるような毎日を送ってほしいと願います。世界は信頼できる、そんな視点を見つけてほしいから。それは親のエゴだと言われても、私には譲れない娘への心からの願い。そのための環境整備なら、どんな努力でもはらってやるよ、母さんは(^^)
2004.11.03
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娘の学校のイベントに行ってきました。ご自分の戦争体験を話すために全国を回っている本多立太郎さんの講演会です。すでに90歳の本多さんはよく通る声ですくっと前を向いてお話をしてくださいました。その語りかける姿はとても情熱的で引き寄せられました。今回で、992回目の戦争体験出前噺だそうです。この出前噺、そもそもはご自分のお孫さん何かしてやれることはないかと考えたときに、自分の体験を伝えていくことが一番だと思いつかれたそうです。本多さんのお話は、60年たった今でもその当事の家族との別れ、そして友人たちの涙、目の前で死んでいくひとたち、川に浮かぶ血と油、死体、そういった情景が浮かんでくる、生々しいものでした。本多さんは今でも本気で話しています。回数を重ねてもなお、色褪せないのは本多さんが聴いている私たちひとりひとりの目を見て伝えようとする思いがあるからでしょう。「私はこの出前噺が 1000回に近付いてきて やっと言えるようになりました。 私も人を殺しました。 あのときのことを忘れたことなどないのだ。 もし、私が殺した人の子孫が、 どうしてもお前を許せないというのなら 私は今だって、やつざきにされてかまわない。 私はね、怒っているんです。 人を殺した自分に。そういう状況を作った政府に。 今でも怒っているんです」そうおっしゃる本多さんの姿にはいっさい悲愴感はなくただただ、真実を伝えるのだと決意した人の透明さがありました。そんな本多さんと、その人生に起きた別れの悲しみに共鳴し、会場内では大勢のひとたちの涙をふく姿、そして嗚咽を押さえる声があがりました。私も熱くこみあげる思いがありました。そして、戦争の、大量殺人の生々しい話を聴いているのに関わらずこんな思いが胸にこみ上げてきたのです。人間が好きです。なにしろ、人間が大好きです。この年になって本当にそう思えるようになってよかったです。こうして語る人がいる限り起こったことには意味があり続けます。私たちはそれを聴いて、心で聴かせていただいて次へ渡していきましょう。
2004.11.01
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