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今日はこれから,バタム島沖合いにある、イルカ島に行ってきます。実際、インドネシア領なのでどういった影響を受けているのか気がかりです。が、今回のメインの目的なので遂行することに決めました。今年最後のネット接続なので、2004年のことを載せておきたいなと思います。2004年はあっというまに過ぎた、例年にないくらいのスピード感がある年でした。仕事では良いパートナーに恵まれ、思いを形にすることができた年でした。概して言えば、コントロールできないことを受け入れる。不完全さを受け入れる。自分を信じきったとき、、忍耐とは信頼であることを理解した。そんな言葉がぴったりの一年だったような気がしています。来年は関わっていただいたみなさんと、さらに新しい創造を繰り広げていきたいと思います。いのちをフルに使うために、人生を遊び倒したいと思っていますので、どうぞ、一緒に遊んでくださいませ。それでは、良いお年を。そして、望むことが形になるような、感謝にあふれるような素晴らしい来年になりますように。
2004.12.31
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今、シンガポールにいます。お正月休みをここで過ごすために娘ときています。シンガポールは、ほどよく都会です。不自由さとは無縁の整備された環境、アジアにありがちな貧困の不潔さもなく中国、マレー、シンガポリアン、インド、イスラムとたくさんの人種の数だけ、ありとあらゆる食事が用意されています。治安というか法的規制は日本より厳しいようです。空港や駅もきれいに管理されています。そのうえ、物価は日本の1/2 から1/3なのでアメリカにいるよりも、外食にお金がかりません。だから、過ごしやすいといえば過ごしやすいのですが。。。安全すぎると感じるのか、決まりきった感じがするのかなにかが足りないと思うのは子連れ旅行だからでしょうか。それとも、そういう年なのかな。。。そんな中、TVではプーケットやインドの大津波の被害が連日、放送されていて、見るたびに心が痛みます。大事な家族を失い、家屋を失った涙と慟哭が伝わってきます。こうして自然災害や人的な災害で、人の命がもろくも奪われてしまう。見れば見るほど、世界は理不尽に満ちているように思えてあまりにも痛みが大きすぎて、目を閉ざしたい気持ちがどこからかやってきます。ついた翌日にローカルのマーケットに行きました。マーケット大好きなのです。地元の人が食べているところに行きたいのです。ここはマーケットとしては有名なところだそうで(名前は忘れました。。)売り場は消毒液の匂いとドリアンが混ざり合って、頭痛がするほどくさかったです。そこで売られている生きた蟹を見ていると、彼らはもぞもぞと動いて一斉に顔をこちらへ向けました。おお!!伝わったのかしら。←何が?もう一度、見ると、また顔をこちらに動かして、目が合いました。うう!!この蟹ももうすぐ誰かに食われてしまうのですね。何のために生まれてきたんでしょうね。災害は人の命をざっくりとさらっていくけれど、私は魚も食べれば豚も食べます。蟹さん、あなただって大好物です。(さすがに今回は食べないけど)こうして、命をいただいて生きている生き物です。翌々日は中国の寺院に行きました。ともした線香を頭上にかかげてローカル人のやりかたを見よう見まねして祈りました。「私たちが、その命をまっとうするために 必要なものを得ることができますように」たくさんの祈り人がそこにいました。祈りの数だけ、それぞれが幸福を願っています。たくさんの祈りとたくさんのいのち。その重さは均等。蟹であれ、人間であれ、本当は均等。命の負荷は周囲がかけるものだけど命の意味はつけずとも燃え立つもの。だからこそ、端で転んで泣いている子供を抱きかかえてあやすように、目の前でやれることをやるしかないのです。その少しでも、波紋に似て全体に関与していくと信じてやるしかないのです。なぜかセンチな旅です。やっぱり大好きなプーケットが津波被害にあったことはショックだったようです。シンガポールは私にとって楽園というよりはなぜか死を意識させる街でした。私は死ぬとき、必ず二つのことを思うような気がします。頭をたくさん下げるでしょう。握りたい手がたくさんあるでしょう。加害者であり被害者であり、その、どちらでもない私がそこにいるような気がします。
2004.12.30
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今年のクリスマスは有馬温泉から始まって、ケーキのかわりに牛しゃぶです。そして、空中庭園ビルで温かいワインを飲んで、最後は北野教会の司祭のお話しでしめました。なんと、脈略のない過ごし方、、、、。空中庭園ビルでは星の短冊に願いごとを書けるようになっていて、その数おおよそ8万枚。それぞれがそれぞれの思いをこめて、星に願いをかけた夜、40Fに出て高層の風に吹かれていたら丸い月とムーンボウが見えました。聖歌隊が歌うSilent Nightが聴こえてきます。暖かくて神聖な気持ちになります。大切なひとを大切にしよう、と思いました。
2004.12.25
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『この1年を、漢字一文字で表すとなんですか?』読んでいるメルマガに質問が載っていました。なんだろう?と考え込みます。質問はその人の中にある答えに焦点をあててくれます。だから、思いがけぬ質問には、思いがけぬ答えが出てきたりしてとても刺激的です。質問は、自分という存在にはまだ見ぬアイデアや考え、思いのネタがたくさんつまっているということを思い出せてくれます。『もし自分が殺されそうになって、 助かる方法を考えるのに 一時間だけ与えられたとしたら、 最初の55分は適切な質問を 探すのに費やすだろう』とアインシュタインは言っていますが本当に、適切な質問には適切な答えが返ってくるものなのです。ということで『この1年を、漢字一文字で表すとなんですか?』うーん、、、、。『愛』?それとも、『和』?いいや違うなあ、、。あ、、、うんうん!そうだ、これがぴったり、腑におちます。それは『挑』です。挑戦の挑です。今年は、トライ&エラーしようと決めた一年でした。失敗したら、やり直せばいいじゃん、いってみよう!みたいなノリでいろいろなことにチャレンジしたぶん、得るものが大きかったのです。なおかつ、失敗したことは一個もなかったように思えます。(気付いていないだけかもしれませんが 笑)でも、終わってしまえばなかったように感じていますがよくよく思い出せば、その中には、やめたいなとか、間違ったかなと感じたことはいくつかありました。そういったときはいつも、私が私に期待しよう、と思い返してやってきました。だからこそ、この年末は、自分が自分に喜んでいることをちゃんと認めることができるのかもしれません。
2004.12.23
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今日は午後から弁天町でラブマリセミナーを開催しました。今回のメインテーマは、聴く&伝える でした。伝えるというのは、とてもパワフルです。自分はこういう人間なんだと、相手に知らしめることです。聴いているときには起こらないリスクが伝える、にはあるものです。だから、エネルギーを使うし、ときにはとまどったり疲れてしまうこともあります。自分の中にある未消化の感情に邪魔されて、言葉にすらあがってこない、そんなこともあります。それでも、本当のことを伝えると決めて私もやります。「この思い、伝えたい」そう、伝えたい思いが私にはあるからです。たくさんあります(^^)やってみたいワークもまだまだあります。やりながら、次の発見もあります。伝えたい私に、届けられる場所がある。それが、有り難い今日このごろです。男女のコミュニケーションの差異を埋める・活かすラブマリセミナー、これからも続けていきます。今日も本当に、ありがとうございました。
2004.12.19
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来春に出版される本用のプロフ写真を取ってもらうために大阪城公園にいきました。なぜ、大阪城かと言うと、、、。1、屋外での自然な写真がいいなと思ったから。2、おすまししている顔よりも、フツーの顔のほうがいいと 以前カメラマンに言われたし、自分でもそう思うので、 お馴染みの場所にしました。3、大阪らしいから(爆)大阪城付近は、もうすぐ年の暮れだというのに、いちょうの黄色やもみじの赤が色鮮やかにはらはらと舞い落ちていました。その中を動きながら歩きながら撮ってもらい、気分はなんだか女優です!(笑)最後に200枚近くとった写真の中から選んでみましたがOKが出せるのってホント数枚しかないのです。自分の顔ってあんまり好きじゃないのかな(くすん)
2004.12.16
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私は今、コーチを二人つけています。ひとりのコーチは、私よりも大きな絵を描きます。彼がフツーに話している私へのフィードバックが、私にとってはいつも壮大です。そのうえ、スピード感が違うので、セッションが終わったあとはいつも広がった大きなヴィジョンのまとめに入る作業をしないと終始がつきません。彼がそうであるのは、きっと、それを現実にすることを、彼には「できる」からでしょう。だから、ためらいもなく、私にもできると思ってくれるんでしょう。自分よりも自分を信じて、見い出してくれる、そんな存在に出会い、側にいてサポートしてくれる。そのありがたさは言葉では表せないほどのものです。実際に私のプロジェクトが外に出て形になっていくのは、仲間や彼のようにサポートをしてくれるひとたちがいてくれるからです。夢を聴き出して、引き出して、信じていてくれるからです。そして、私が彼らを大好きで、彼らの声に答える自分でありたいと望み、動くからです。ホントにありがとう。人間としても、コーチとしても、先輩としても心から尊敬して、感謝しています。そして、仲間のみんなの中にある熱いものが大好きです。あなたたちを見ているとああ、人間っていいなあ、、、と、ホントに思うのです。
2004.12.15
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「あなたはそれをやる人だと、僕たちは知っています」ずいぶん前のことです。そのトレーニング中、私は激しく動揺しました。自分の嗚咽に驚いて怖くなるほど泣いてしまったのです。なぜならば、私の中に見えたのは、青い空洞であり、そこにはあまりあまるほどの悲しみと苦しみがあったから。その穴は私の中にあり、外に向い、世界につながっていました。たくさんの飢餓と飢えて死ぬ子どもたち虐待の中、救われずに死んだ目になった子どもたち暴力と略奪、家を持てない逃亡者たちいじめにあってうつむいて歩く子どもの姿TVで、雑誌で、近くで見てきたそれらの哀しみと苦しみが一気に胸からあふれてしまいました。しかし、それまではずっと、そこに焦点をあてないようにして見たいものだけ見ると決めて意志の力で、無意識にコントロールしてきたのです。なぜならば、それを感じたところで私には何もできないからどうしようもないからそれにそれを感じたならば辛すぎるから痛すぎるからでも、見ずにはいられない私、感じてしまう私がいたのです。そして、それらを見まいとしていた私、感じないようにシャットアウトしていた私に私はその日、直面してしまったのです。だから、悲しくて悲しくて悲しみに胸がつぶれそうになりどうしたらいいの?私はこれを知っている。私はこれを見ずにはいられない。見て見ぬふりがもうできない!そんな私に、トレーニングのリーダーが言いました。「あなたはそれをやる人だと、僕たちは知っています」おじけづいている私にそう言ってくれたのです。私にできる?なにかが、できる?魂の渇望、そのものを承認してもらえた。それは記憶にある限り、生まれて初めての体験でした。そして、あれは、私にとって人生最大の承認でした。思い出すだけで、胸が熱くなり、今でも、泣けてきます。承認されてはじめてああ、そうか。私もこうしたかったのだと、あのとき、分かったのです。私は本当は「それ」をどうにかしたかったのだと。私はあのときから「それ」に対して無力ではなくなりました。世界にいくら「それ」があろうとも私にできることは目の前の人の力を信頼することです。本当に全体から観れば砂粒ひとつほどの小さなことかもしれない。それでも、やるのです。やりたいのです。砂粒でも集まればいずれ砂丘になるかもしれない。でも、そんなことよりも、「それ」を減らすことが「それ」を癒すことが「それ」を学び変換することが私の生きている意味となることを、私は私に認めたのです。私は人は変われると信じています。決して無力なんかではないと。どんな経験も必ず生きる未来があることも。そう信じて相談者様と関わるとき私にはすでにそのかたが成功している姿が見えてしまうのです。そのかたの悩み、それ自体が必要であったことや貴重な経験となることも魂の強さも、乗り越える姿の美しさも。答えは自分の中にありました。でも、その答えは誰かが認めてくれたから勇気をもらえたから自分にオッケーを出せる瞬間と出会えたのです。
2004.12.14
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朝、娘を学校に送るために駅まで歩きました。がさがさと枯れ葉を踏みながら、見上げた街路樹には黄色や焦げ茶色の葉っぱが残っていて、その上空には、まだ秋なのかと勘違いするほどに晴れ渡る青空が。ジャンバー1枚を着ただけでちょうどいいなんて、ホントに冬かしらと思いつつ、頭の中まですっきりと透き通るような澄んだ空気が気持ち良い。なにか、いいことがありそう。そんな気持ちよい朝。冬も好きになってきました。
2004.12.13
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男女のコミュニケーションスタイルについて考えています。おおむね、女性はニーズを要求するのが下手なようです。むろん、私もそうです(笑)こうしてほしいああしてほしいこうしたいああしたい言ってるつもりで、肝心なところをそっとオブラートにかけてラッピングしてわけわからんものとしています。差し出しているうちに自分でも分からなくなってしまったりします(笑)「私は○○が欲しい!」 文章にするとめっちゃベタな、この言葉を試しに口に出してみます。言葉よりも後から腰を引いたままのエネルギーが外にも漏れていきました。これは、照れ? 恐れ? それとも、、、なんでしょう?居心地悪いかも。それでも。ためらいながらもまっすぐに、外に向けてwant と叫びましょう。恐がりながらもまっすぐに、内に向けてwantを叫びましょう。疑いながら、恐れながら、それでもホントに欲しいものは欲しいと宇宙に叫びましょう。欲しいものを欲しいと心から言いきったとき、何かが変わりますから。
2004.12.08
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