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統一地方選挙が終わりました。
やっと穏やかな暮らしができる~と私を含めてみんな思っているでしょうね。
でも、かつて選挙に携わってきた側の者としては複雑な心境です。
私の父は東京で区議会議員をしていました。私が物心ついた時にはすでに議員をしてましたから、それが普通でした。
父が家にいることも滅多になかったし、一家団欒で食事なんてありえませんでした。もちろん週末も同じだったので、それが家族と思って育ちました。
学校では冷やかされるし、授業中に父の選挙カーが通ると全員の視線は私に!ポスターにはお約束のチョビ髭を描かれるは、「ちり紙交換」と間違われることも。
選挙が始まれば、子供の手も借りたいほど忙しくなるわけで、夕飯が終わると一仕事。
ビラを折ったり、配ったり・・・なんの疑問も抱かずに楽しんでお手伝いをしました。
父宛ての電話を受けるのも私達の仕事で、マスコミにもよく応対していました。
入学式や卒業式に壇上に父がいるって恥ずかしいもんです。
二十歳を過ぎたら「待ってました!」とばかりに「うぐいす嬢」として車に乗せられた。
最初は緊張して父の名前を自分の名前と間違えて叫んでしまったり><
「拡声器をもっての活動を終了します」と言うところを「核兵器」なんて言い間違えたり!
でも、名前を連呼しているだけに見えて結構大変なんです。
学校、病院の近くでは音量下げるとか、その地域に合った原稿を読むとか、
道や家から手を振ってくださった方や車の協力者への感謝も忘れてはいけない。
しかも車の中では、父がディレクターのように「あーしろ、こーしろ」とうるさいんです!子供が生まれてからも、母に預けて授乳タイムを取りながらやりました。
とはいうものの、慣れてくるとこれが気持ちいいのなんのって。
マイクで堂々と大きな声を張り上げられる経験なんて、そうないですよ。
だから、下手くそなアナウンス聞くと、「貸してみ~」と、マイク取り上げたくなるんです。
でも、朝8時から夜8時まで1週間、選挙活動って本当に大変なので苦労はわかります
でも、心のどこかにはこんな活動してどうなるんだろう?って思ってましたけどね。
だって、名前を連呼したからって、実績やマニフェストも伝わらないじゃないですか。
これが日本という国なのです・・・(悲)
大人になってから父に「なんでこの仕事しようと思ったか」って聞きました。
すると、知り合いが辞めるからむりやり後任にさせられた、そうな。
そんなんでいいのかよ~~!
でも、父の場合は熱血タイプでも野心家でもないので、これで納得したわ。
政治家って言ったら「金・嘘・金・嘘・・・」の世界かと思っていらっしゃるでしょうが、底辺を見れば細々とした仕事が多いわりにはそんなに甘い思いもしてないわけです。
結局身体を壊して、数年前に引退しましたが、父の人生、これでよかったのかな?先日も実家に帰って父の姿を見たらミイラのようにやせ細っていました。
肝臓をやられているため、覇気もありません。
薬以外にも肝臓に良いハーブをせっせと飲んでいますが、
この仕事が寿命を縮めてたと私は思っています。
そんな父の血を受け継いでか、私も息子のクラスの役員になっちゃいました。「あとひとり」がなかなか決まらず、転勤で逃げ切れたかもしれないのに・・・ね。
でも、楽しんでやってみま~す
そして、↑ミント (オーディコロンミント、飲食不可)
↑のように逞しく生きるのだ