おやじのブログ
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みよし市三好町天王鎮座「天王神社」 市のほぼ中央、鬱蒼とした木々に包まれた天王公園の西側に今回掲載する「天王神社」が鎮座します。天王あるいは天王台の地名は、江戸時代の古い文書にもその名が見られる古くからの土地柄で、由来は定かではないが、天王神社に由来するものなのかもしれない。 神社周辺に駐車場はないので、三好公園第6駐車場に車を止め、三好神社・八龍神社を参拝し、天王神社まで歩くのがいいかと思います。 上が明治時代の地図(左)と現在の地図の比較で、当時は集落も記されない丘陵地帯ですが、急速に住宅地として発展した街です。 個人的にあまり縁のない三好ですが、かつてはスケート場やボウリング場もあり何度か足を運んだが、当時はずいぶん不便な田舎という印象が強かった。 現在は国道153号線が片側2車線に整備され、名古屋からのアクセスは格段によくなった。天王公園の西側に社頭を構える天王神社。 社殿の右側から斜面を上ると御嶽神社も祀られています。社標前から天王神社境内を眺めた第一印象は、鳥居や狛犬が視界に入らない点です。 鳥居についてはここから少し離れた場所に建っているのを見かけましたが、狛犬の姿だけは境内で見かけなかった。神社の由緒を調べていた際に「目で見るみよしの歴史」にたどり着いたが、そこに狛犬がない理由が記されていた。 それによれば「かつて狛犬を献上したら疫病が流行し、縁起が悪いとされ、境内に狛犬がない」ということ。時代背景は書かれていないが、丹精込めて造られたであろう狛犬。 打ち捨てられるとも思えず、その後どうなったのか興味が湧く。そういえば前回掲載した八龍神社は、当社の奉賛会が造営したとありました。 根拠はないが、その八龍神社には一対の狛犬が安置されていたのを思い出す。境内は西向きに社殿が建てられ、正面の社殿と右側に境内社を祀る覆屋が主なものになります。境内左側に切妻瓦葺きの木造手水舎。 境内右側の由緒碑には以下のように記されています。「天王神社(旧指定村社)神社庁十二等級鎮座地 西加茂郡三好町大字三好字天王四十六番地 境内地 1137.19平方米祭神 素戔嗚尊、倉稲魂命、天目一箇命 由緒 文禄4年(1595)8月牛頭天王として勧請される。明治元年(1868)御維新に伴い進雄社と改称されるも、同6年大政官布告の一村一社の令により廃却、村社八幡神社に合祀さる。 同6年大政官布告の村社となり廃却村社を合祀する。同9年復旧を許され津島社と改称する。 明治42年(1909)字仲ヶ山に鎮座の八龍社を合祀し、素戔嗚神社と改称する。大正14年(1925)名古屋市南区豊田町鎮座の村社稲荷社を合祀し、同15年村社天王神社と改称する。 当時の氏子数65戸。昭和9年(1934)八龍社を旧地に遷座する。 昭和46年(1971)までに拝殿・本殿他諸殿を新築する。平成2年(1990)天王神社奉賛会を設立し、祭事を所掌する。 現奉賛会員数540例大祭 10月第1日曜日、往古は旧暦6月15日 御神徳 五穀豊穣、疫病退散、病虫害駆除境内末社 金刀比羅社 祭神 金山彦命 天保元年勧請山之神社 祭神 大山祇命 寛文5年勧請 新屋神社 祭神 殉国戦士の霊 昭和25年勧請 奉祝御即位十年記念 平成10年12月吉日建立」文禄4年(1595)の勧請以降、時代の変化の中で幾度か社名も変わってきたようで、拝殿右側に歴史の名残を伝える「素戔鳴神社」の社標が残されていました。境内右の「山車塚」 由来は不明ですが、天王神社の祭礼は、昔から山車が奉納されてきたそうで、安政2年(1855)に建造され、市の有形民俗文化財の新屋の山車があった。しかし、平成16年(2004)10月6日、山車蔵の火災から山車を焼失するも、平成26年9月には新たな山車が再建され、毎年10月第一日曜日には五穀豊穣を願い、太鼓・笛・三味線などの囃子方が乗り、囃子を奏でながら町内を曳き回されるという。 再建された白い土蔵造りの山車蔵は、天王神社から北に100mほどの住宅街にあります。拝殿と覆屋の全景、社殿は鉄筋コンクリート造。 愛知県神社名鑑に以下の記載がある。「十二等級 天王神社 旧指定村社 鎮座地 西加茂郡三好町大字天王四六番地祭神 倉稲魂命、素戔鳴命、豊玉毘売命、天目一箇命 由緒文禄4年(1595)8月4日に鎮座の無格社 素戔鳴神社に、大正14年(1925)7月29日、名古屋市南区豊田町字中ノ割268番地鎮座の村社稲荷社を移し祀る。 又、慶長11年(1606)11月25日勧請の字仲ヶ山の龍社を大正14年9月28日に合祀し、同15年2月15日、天王神社と改称した。尚、境内社の金刀比羅社は天保元年(1830)2月、山神社は寛文5年(1665)2月7日の勧請という。 昭和16年1月7日指定社となる。例祭日 十月十日 社殿 本殿 流造、幣殿、拝殿、社務所」との記載があります。 由緒碑の記載とは、祭神など資料によって若干の相違が見られます。拝殿の額は「天王神社」と記されている。 牛頭天王は、津島神社や京都の八坂神社などで信仰された神仏習合の神で、厄除けや疫病除けなどの神として広く信仰されてきました。明治の神仏分離によって牛頭天王を祭神として掲げることができなくなり、各地の天王社では祭神の変更や社名の改称が行われました。 当社も由緒碑によれば、明治元年に「進雄社」と改称され、その後「津島社」「素戔嗚神社」を経て、現在の「天王神社」となっています。 拝殿右の「素戔鳴神社」社標は大正13年に寄進されたもの。 大正15年(1926)に出版された西加茂郡誌では「無格社 素戔鳴神社 祭神 須佐之男命外一柱、創建 八月廿四日、例祭恒例余興 山車」と記されていることから、当時のものだろう。当時の記録では「須佐之男命外一柱」とあるが倉稲魂命、天目一箇命のいずれを指しているのか不明。覆屋の中には4社祀られています。 向かって右が新屋神社、左は金刀比羅社で、中央が山之神社と思われます。山之神社の左の赤い屋根の小社は社名がわかりません、並べて祀られていることから、周辺に祀られていた山神社がここに遷されたのだろうか。 この覆屋の右から山の斜面に続く小道があり、その先に御嶽神社が祀られているようです。 この時期ここを上るなら虫よけ対策は必須です。社殿側面の眺め、拝殿と幣殿は一体となり本殿に繋がるようです。本殿は流造とあるが、外から見えているのはコンクリート造りの鞘殿だろう。 棟には5本の鰹木と外削ぎの置千木が載せられています。神紋は軒丸瓦から見る限り、桔梗紋か木瓜紋のように見えます。参拝を終え社頭に向け歩いていると、正面の車道を越えた先に鳥居があることに気づく。 かつては参道が続いていたのだろうが、鳥居の北側は住宅が立ち並び、手前は車道で分断され、かつての参道の面影はほとんど残っていない。天王神社創建 / 文禄4年(1595)祭神 / 素戔嗚尊、倉稲魂命、天目一箇命氏子域 / ・・・ 祭礼 / 10月第1日曜日境内社 / 金刀比羅社、山之神社、新屋神社所在地 / みよし市三好町天王46八龍神社から徒歩アクセス / 三好公園第6駐車場から南西の天王公園まで約1.0km・約12分。参拝日 / 2026/09/12 関連記事・三好池神社・八龍神社
2026.10.02
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