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境内左の境内社。
左は瀬織津比咩神、速開都比咩神、気吹戸主神、速佐須良比咩神、市杵島比売神を祀る祓戸社。
右が倉稲魂大神、猿田彦命、大己貴命、天鈿女命、保食命を祀る出世稲荷社で昭和27年(1952)に京都の出世稲荷神社から勧請されたものという。
出世稲荷社には「えんむすびの神」の提灯が架けられ、そうした御利益もあるようです。
曇天の空の下で鮮やかな朱色と白の春日造りの社が印象に残る。
境内社や社殿は近年改修を受けているようですが修復履歴は分からなかった。
本殿域西側の眺め。
春日造りの本殿には井上皇后、他戸親王の二柱が祀られ、本殿左右には東神殿、西神殿がある。
西側から本殿、西神殿の眺め。
西神殿には伊豫親王、橘逸勢、文屋宮田麿の三柱が祀られています。
東側から本殿、東神殿の眺め。
東神殿には早良親王、藤原広嗣、藤原大夫人の三柱が祀られています。八所御霊大神と呼ばれるのは、祀られる八柱からそのように呼ばれるようです。

拝殿左の由緒。
「御霊(りょう)神社
御祭神 井上皇后、他戸親王、事代主命、早良親王、藤原広嗣、藤原大夫人、伊予親王、橘逸勢、文屋宮田麿。
由緒
当神社は延暦十九年(800)人皇第五十代 桓武天皇の勅命により御創祀された社。
御祭神の井上内親王は人皇第四十九代光仁天皇の皇后で聖武天皇の皇女にて称徳天皇の異母姉であります。
宝亀元年(770)白壁王が即位され光仁天皇と同時に井上内親王は皇后となり、翌年には御子他戸親王も皇太子となりました。しかし宝亀三年(772)天皇を呪詛した疑いをかけられ皇后位は剥奪、他戸親王も皇太子を廃され、大和国宇智郡(五條市)に幽閉、され宝亀六年(775)四月二十七日、母子ともに薨去されました。
薨去後、都や桓武天皇東宮に天変地異や疫病が流行したことから、母子の祟りと恐れた天皇は諸国の国分寺の僧侶六百人に金剛般若経の読経をさせ、墳墓を改葬して山陵とし、吉野皇太后の追号を贈り、手篤く慰霊された。
平安時代の人々は、無実の罪を着せられ非業の死を遂げた人の怨みの心が怨霊となって災いを起こすと恐れました。
しかしその怨霊を丁重にお祀りすれば御霊となり守護してくれる神になるという風に考えるようになりました、これが御霊信仰の始まりです。
奈良時代の混乱と政権争いの中で、光仁天皇の第一皇子で渡来氏族の高野新笠を母とする山部親王(後の桓武天皇)を擁立する藤原百川の策謀によるものと伝えられています。
薨去後、都に天変地異が相次ぎ疫病が流行した為、母子の祟りと恐れた天皇は諸国の国分寺の僧侶六百人に金剛般若経の読経をさせ、墳墓を改葬して山陵とし、吉野皇太后の追号を贈り、手篤く慰霊されました。
奈良時代、平安時代の人々は無実の罪を着せられて非業の死を遂げた人の怨みの心が怨霊となって災いを起こすと恐れました。
しかしその怨霊は丁重にお祀りすれば御霊となり守護してくれる神になるという風に考えるようになりました、これが御霊信仰の始まりです。本殿に井上皇后、他戸親王の神霊三座、東側社殿に早良親王、藤原広嗣、藤原大夫人の神霊三座、西側社殿に伊予親王、橘逸勢、文屋宮田麿の神霊三座をお祀りし、あわせて八所御霊大神と申し上げます。
奈良町の中心に位置し、県下唯一の広範囲である氏子地域七十余町を守護する氏神さまです」
拝殿から右奥に進んだ本殿脇に祀られる二社。
右が水蛭子社。海上安全、豊漁守護、商売繁盛の御神徳が得られる蛭子命が祀られています。