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5月23.24.25日と出雲の國を巡って来ました。
今回は初日のTOPIXを掲載する事にします。
Day1 前日に車検とタイヤ交換を終え、万全の態勢で往復1200㌔の遠征に出る。
名古屋を5:30に高速に乗り遠い出雲の国に向け走り出す。
今回の目的は、出雲の國の一ノ宮と意宇群に鎮座する六つの神社「意宇六社めぐり」を訪れる。
高速で移動するのでいつもの様に法定速度プラス10kmhで巡行。
車検直後という事もあり、V6エンジンは不整脈もなくスムーズに回ってくれています。
8:30 宝塚北SA着。
大阪の混雑に巻き込まれる事無く、一度もブレーキを踏む場面もなくスムーズに辿り着く。
ここで朝食を摂って一休みして再出発。
10:45 蒜山高原SA着。
岡山県真庭市蒜山西茅部の米子自動車道下りのSAで再び休憩。
SAから大山が一望できる絶好のロケーションにあり、快晴であればクリアに見通せるはず。
この日はなんだかスッキリしない天気。
蒜山SAの蒜山高原生クリームパンとジャージーソフトクリーム。
どちらもSAの推しらしく、まんまと引っかかるが、普通のクリームパンとソフトクリームの印象。
米子ICから西に向きを変え島根県松江市玉湯町のしんじ湖SA 12:30到着。
ここで昼食。
SAは宍道湖が見渡せる高い場所にあり、ここも天気が良ければ綺麗に見えるのだろう。
こちらのSA、定番の出雲そば以外にもTKGとシジミ汁のセットがあり、こちらを頂く。
みそ汁は普段の濃い味噌汁になれていると実に優しい甘みを感じるもので、TKGに付く醤油は辛いだけのものでなく旨味を感じるものだった。
しんじ湖SAから大田三瓶山ICで有料道を降り、国道375線に乗り換え、川合信号を左折してすぐ左に鎮座する石見国一宮の物部神社には14:32到着。
観光バスが連なるかと思いきや、意外に参拝客は少なくゆっくり参拝することが出来ました。
祭神は物部氏の祖神宇摩志麻遅命をお祀りする神社。
最初は神体山である八百山を崇めていましたが、天皇の勅命により継体天皇八年(513)社殿を創建し、その後、石見銀山争奪の兵火などで三度消失しました。
宝暦三年(1753)に再建され、文政元年(1818₎の修理を経て、安政三年(1856)宝暦時の規模で改修され現在に至っています。
県指定文化財で春日造の本殿は全国一の規模を誇るもの。
三瓶山から流れ出る静間川が平野に至る場所に鎮座し、11月に行われる鎮魂祭など独特の祭事が伝わる。
境内社の一瓶社は三瓶大明神を祀り、御田植祭では三瓶山から田の神を迎える神事が執り行われ、三瓶山信仰の面影を留める神社。
境内参道脇に狛犬の他に、拝殿前に「狛鶴」が安置されています。
宇摩志麻遅命は石東の地を平和で豊かな地域とするため、鶴に乗って降臨されたそうです。
その山は鶴降山といい、山頂には今も国見をされた場所と伝わる遺跡が保存されています。
この国見をされたおり、平和で穏やかな里「安濃郡( 旧 大田地方)」と名づけられた。
物部神社の神紋は「ひおい鶴」と呼ばれる鶴の紋。
八百山の南西に鎮座する社殿全景。
大きさを比較する対象がなく、写真を見ても大きさは伝わらないと思いますが、本殿を間近に見ると確かに大きなものです。
拝殿右から眺める拝殿と本殿。
本殿は春日造りとありますが、屋根から軒にかけての姿は見慣れた春日造りと少し違う印象を持つかもしれません。
県内では出雲大社に次ぐ大きさを誇り、春日造りとしては日本一の規模を誇ると云われ、石見銀山争奪の戦火で三度消失したと伝わります。
手前の拝殿は昭和12年(1937)に改築されたもの。
「亀は水を呼ぶ」ということから、火災予防の意味を込めて本殿の破風飾りには亀の彫刻が彫られています、あれで子どもの背丈ほどもあるという。
石見国一宮 物部神社
創建 / 継体天皇八年(513)
祭神 / 宇摩志麻遅命
境内社 / 後神社、神代七代社(東五社)、皇祖四代社(西五社)、一瓶社など
所在地 / 島根県大田市川合町川合1545
まずは石見国一宮参拝終了。
予定では物部神社参拝だけで初日を終える予定でしたが、ここまで工事渋滞もなく順調に辿り着けたので、時間に余裕があり石見銀山に向かいました。
物部神社から西に向かい、県道46号線で石見銀山公園駐車場まで約20分程移動します。
15:40石見銀山公園駐車場着。
世界文化遺産「石見銀山遺跡とその文化的遺産」のプレートと駐車場の光景。
ここから電動カートで観光施設「龍源寺間歩」を結んでいますが、便数が少なく銀山川沿いを30分程歩いて上流に向かいました。
歩き始めて10分程の大森小学校あたりの眺め。
観光客の車は通行は禁止で、地元の方と電動カート専用の生活道。
ここから先は民家もまばらとなり深い森に包まれた心細い道が続きます。
何が出たって不思議ではない、熊鈴を鳴らしながら下校する子供の姿が印象的だった。
丁度この時、地元名古屋でも猿が散歩に訪れたようだ。
16:10龍源寺間歩入口に到着。
戦国時代後期から江戸時代にかけて世界にも知られた銀山の入口とは思えぬ佇まいです。
石見銀山遺跡観光案内板。
銀を求める西洋と西洋の技術を欲した日本の橋渡しとなった場所は、標高僅か537㍍の仙ノ山を中心とした一画にある。
初めは鎌倉時代とも云われ、当時は銀が露出していたようだ。
それも掘り尽くされ、ついには鉱脈を求めて掘り進めるようになり、山中には至る所に間歩と呼ばれる採掘穴があり、その数だけでも600はあるという。
山肌には通し番号の入った小さな標柱が至る所で見られます。
その大きさは這いつくばって漸く入れるくらいのものばかり。
銀を求める執念のすさまじさが伝わってくる。
鉱石の採取に留まらず、灰吹法による精錬も行われ、精錬所跡や明治期の造られた精錬所跡も残る。
龍源寺間歩入口。
入場料を支払い左の坑道を散策します。
30分程歩いて火照った体が坑内の冷気で一気に冷やされる。
最初は四角く立ったままでも入れますが、少し進むと素掘りの坑道となり、屈まないと頭部を強打する高さになります。
坑道には鉱脈を追いかけて掘り進んだ間歩が縦横無尽に存在しています。
少し先で採掘を終えたところもあれば、延々と続く坑道も存在しています。
全ては蝋燭の明りを頼りに手掘りの世界、労働環境は劣悪で環境改善のための鞴やマスクなど健康面にも配慮される様になったという。
坑内には当時の絵図が置かれ、過酷さの一端が伝わってくる、鉱山の出入りも当然厳しくチェックされていた。
石見銀山の銀鉱脈はほゞ掘り尽くされたとされ、明治期に近代工法で再採掘されたが再三に乗らずシルバーラッシュは訪れなかった。
一時は世界流通の1/3が石見とされるだけに、人の限りない欲と探求心はそんな夢の再来すら描けないものなんだろう。
下の息子に谷川で金色に輝く黄鉄鉱を指し、「あれは砂金だ」と教えたら目を輝かせ拾い集めていたのを思い出す、そして正体を知り、価値がないと知るやさっさとやめた事が思い浮かぶ。
しかし、まだこの山並みのどこかに未採掘の鉱脈が眠っている、そんな夢は持ちたいものだ。
石見銀山間歩(公園駐車場)
所在地 / 島根県大田市大森町ハ199
営業時間 / 9:00~16:00
私達が最後の客とだったのか、出口から駐車場に戻ると、既に土産物屋や駐車場に我家の車以外駐車する車はなかった。
陽は傾き山間の夕暮れは早い、初日もこれで終わりかな、そんな気分になる。
今夜は道の駅キララで車中泊、町の地元スーパーで地のものや地酒を買い求め道の駅に向かう。
18:35道の駅キララ多伎到着。
既に店はクローズ。
近くに食事処などないので、こちらで車中泊する場合は予め晩御飯の買い出ししてから訪れる事をお勧めします。
この施設で見かけたマンホール。
丁度夕陽が沈むところ、期待はしていなかったがこんなに綺麗に見れるとはラッキー。
かみさんも表情を変える海の姿に見惚れていました。
そろそろ、車に戻り宴会モードに切り替えて美味しいお酒を飲むことにしよう。
島根県中部邑南町の山里にある創業120年の酒蔵「池月酒造」のお酒。
「誉池月 White 純米活性にごり」 爽やかな飲み心地のもので、美味しくて帰りに探したものの手に入らなかった。
DAY1 ルート / 走行距離約560㌔
、燃料消費量55liter、現地ガソリンレギュラー1liter170円
訪問日 / 2024/5/23
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