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いよいよGWが始まりました。我が家はとある離島に1泊で遊びに行く予定でした。以前夫がその離島を訪れた時、灰谷健次郎さんの家を偶然発見したそうです。わたしは灰谷健次郎さんが大好きで、今回その家を遠くからでもいいから見てみたい!と思っておりました。残念ながら今回は予定変更で行くのを止めたのですがまたいつか必ず行こうと思っています。灰谷健次郎さんの作品で、わたしが初めて読んだのは『太陽の子』でした。このお話の舞台は沖縄。最初読んだ時は小学校高学年の時だったのですが、ほとんど理解出来なかったように思います。ただ、何となく『沖縄』が抱えているもの・・・矛盾や哀しみや抜け出せない闇のようなものを小学生だったわたしは感じていたように思います。そのあとすぐに沖縄戦のことを知りたくなってタイトルは忘れましたが、母親が買って家に置いていたひめゆりの少女たちの本を読みました。信じがたい恐ろしく悲惨な話に涙が止まらず何日もひめゆりの少女のことを考え続けたのを今でも覚えています。それから20年後の今、不思議なご縁で沖縄出身の夫と出逢い結婚し、今こうして沖縄に暮らしています。住んでいる場所もひめゆりの少女の話の舞台でもあり沖縄戦跡の集中している本島の南部です。『太陽の子』を手に取るたびにひめゆり平和祈念資料館の前を車で通り過ぎるたびに「やはりわたしは沖縄にご縁があったのだなぁ・・・」と思えてなりません・・・。そして、今わたしがここにいる意味を考えずにはいられません。ご縁とは不思議なものですが必ず必要があって自分の目の前に現れるものだと思います。目の前に来たご縁を通り過ぎるか、つなげていくか、それによって人生が180度変わってしまうこともあるでしょう。一期一会の出逢いをつなげていく・・・大変ではありますが、そんな小さな出逢いの出発点がいつか大きな輪を描く線となっていろんな場所、いろんな世界へ広く深くつながっていくのだろうな、と思っています。以前義父がミャンマーを旅した時縁あって知り合った日本に憧れる女性のことを日記で書いたのですが(その日記はコチラです)なんとその女性が明日、沖縄に来ます。しかも義父母宅にホームステイして沖縄大学に留学します。日本に憧れ、いつか日本へ行きたい・・・と夢みていた彼女は、義父とのご縁をつなげて本当に夢を実現してしまいました!わたしも彼女とは来沖の手続きの件でここ数ヶ月の間ずっとメール交換していたので今、ちょっと感動しています。明日の午前中、沖縄那覇空港に到着します。今頃台湾かな・・・わたしはミャンマーの女性とのご縁をこれからどのようにつなげていこうかな・・・?とりあえず楽天日記でも今度その彼女のことを紹介したいと思います。出逢いって不思議!ご縁って素晴らしい!と実感し、感謝せずにはいられない今日この頃です。
April 30, 2005
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2歳3ヶ月になる二女は、最近スゴイスピードでいろんなことを吸収しているようです。ついこの前まで「ママ、パン、たいたいっ!」→ママ、パン食べたい!と片言でしゃべっていたのに「ママ、パンたべる!ちょうだい」と、かなり聞き取れる発音で、自分の要求を伝えることが出来るようになってきました。さらに、状況によって覚えた言葉を使い分けながら自分なりにその時々の対応を考えて実行しているようなのです。例えば、長男&長女が喧嘩を始めると「ダメ、けんかやめなちゃーい!」と2人の間に入って喧嘩を止めようとします。喧嘩に負けて、泣いてる長男に「よしよし、泣かない、にーにー強いね」と涙を拭ってあげたりしています。また、ゴミ箱のまわりにゴミが落ちていると「あー、パパ、もうー!すててよー」と言ってゴミを拾って捨ててくれます。ダンナはソファーに座ったままゴミ箱にゴミを投げ入れ、うまく入らず捨て損じることがよくあるのです。そしてわたしがブツブツいいながらゴミを捨てているのを娘は観察していて、真似をしているのだと思われます^_^;まだまだ上手に話せているわけではないのですが娘の言いたいことや心の動きは、本当によく伝わってくるようになりました。ただ家族の会話を真似ているだけのことも多いですが彼女なりに自分の気持ちを言葉で表現し、相手に伝える『コミュニケーション』能力が発達してきていることは確かなようです。わたし以外の家族もそんな二女の成長ぶりに気づき「これから何でも真似されるね~気をつけないと」と、我が身を振り返っています。「もし、なみ(二女)が嫌な事をしたり言ったりする時は きっとみんなも嫌な人になっている時かも・・・」と長女が言っていました。二女の成長ぶりを通して、自分の言動を振り返る長女は『子は親の鏡』の教えを自ら気づいたようでした。そこから話は膨らんで「ママがイライラしながら怒っていると、 素直に言う事を聞くにになれない」「なっちゃん(長女)がママの話を聞いていなくて 何度も同じことを言わなくちゃならないと、 ママもムカっときて、どんどん声が大きくなって 最後は怒ってしまう」などとお互いに話し合いました。長女は「だったら、ママが何か話しをしているとき わたしがちゃんと1回目できちんと聞けば、 ママもムカっときて怒らないんだね。 そしたらママもわたしも嫌な気持ちにならないね」と言っていましたが、さて、今後その思いを忘れず親子お互いが実行し続けられるかどうか?わたしも心に留めて、子供に接していかなくてはなー・・・聞こう!と娘が思う『伝え方』をわたしも学んでいく必要があるようです。さきほどの『子は親の鏡』ってのもそうだけど人間は『学ぶ』ということは、人を真似る、から始まるのかな?少し前に『学ぶ』は『真似る』からきていて『まねぶ』→『まなぶ』に変わっていった、と聞きました。実際いくら素晴らしいことを言ってるのを聞いてもその人が実践せずに口だけだったら全然伝わってきません。反対に、コツコツ坦々とやり遂げている人の姿からは何も言われなくても学ぶことが多かったりします。言っていることよりも、していること見なさい、ともよく聞くし。そう考えるとやはり子育てって理屈じゃなくって実践が大切なんだなー・・・と思います。何でも『真似ぶ』子供たち相手の子育てって親や子供の周りの大人たちは、子供に伝えたい事があるならそれぞれが自分自身の生き方から見せることが大切かな、と思っています。遠回りのようでも1番子供たちにリアルな情報として受け取ってもらえるのだろう・・・と感じています。そのためにも、常に自分を見つめ、自分と対話し、自分の生き方を真剣に捉えていかなくちゃなーと思います。わたしは自分の命を、人生を、本気で悔いなく生きてるかな?二女の成長を通して、そんなことを考える今日この頃です。
April 27, 2005
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昨日、久々に手のひらにマメを作りました。たかだか30分程度の作業だったのに・・・。マメが出来るほど、手のひらの一部分を活用することって大人になってからあまりなかったよな~で、何をしていたかというと、ベランダでDIYしてました~DIY・・・DO IT YOURSERF! ってヤツですね~以前ベランダで木製のコンテナ?みたいなやつをウッドデッキもどきとして使っていたのですが掃除や台風が来る度に片付けたりするのが面倒になって撤去したんです。それを解体して長いことベランダに放置していました。もともと会社で捨てられていたものを拾ってきたのでかなりボロっちいんだけど、この廃材を何かに利用出来ないかな?と捨てられずにいたんです。で、昨日洗濯物を干しているときにその廃材が目に入ってきて、突然、棚を作っちゃおうかな~♪なんて思いついて・・・。2歳の二女もベランダでままごとをさせながら、その隣でのこぎりでギコギコ、モクネジをグリグリやりました。すごくお天気が良くって陽射しも強かったので1時間半の製作中、汗だくになってしまいました。作り終えて「は~、いい汗かいたぜ!」と、冷蔵庫から麦茶のポットを取り出そうと取っ手を握ったら手のひらに小さな痛みが・・・何?と思って見てみると、ぷよぷよの生まれたばかりのマメの赤ちゃん。主婦になって初のマメかもしれません。いつも鉄棒を練習してマメを作っては自慢する長女に「見て見て~ママもマメ!で・き・た・のよ~ん」と見せると「おぉ~、ママも頑張ったんだね」とヨシヨシされました。そうよそうよ~、なんたって子供部屋のおしゃれコーナー用に棚を作ったんだもんね。んで、ダンナにも見せると「はぁ~っ、これでいかに普段楽な生活をして手の平が弱っちいか 証明されたね・・・」なんて言われてしまった・・・。しかも「あの廃材、俺が使おうと思っていたのにー まったくあんたはいつも突然やりだすよなぁ・・・」ですと。出来上がった棚に土日でペンキ塗りたいので、白ペンキ貸してね、と頼むと「こんな廃材にあのペンキはもったいない、100円ショップのでいい」とか言うし・・・。こんなに素直にわたしの棚作りを受け取らない様子からして推測としては、ママ手作りの棚に子供たちが大喜びだったのできっとわたしにジェラシーなんだはず。しかも、いつも行き当たりバッタリでモノを作ってしまうわたしにしては今回寸法もきちんと測って、なかなか実用的なモノを作ったんでそれも悔しいはず。ここまで書いて、何だかわたしが思いこみ激しいヤツみたいだけど、ホントにダンナはいつもわたしに何かしら張り合います。(ま、わたしもだけど^^;)いつもレベルの低い争いをするのです、わたしたち。30過ぎてもお菓子を勝手に食べた、食べないで睨み合うくらいですからー_ー;でもまぁ、ダンナのおかげで廃材を利用してDIY♪なんて考えるようになったんだから、感謝ですがねー。ダンナは地球に優しく、わたしに冷たい(笑)ヤツなんですが環境についてはダンナと結婚したおかげで、何かと勉強させてもらってます。そんなダンナの指導のもと、我が家ではゴミ減らしに取り組んでいます。今年から生ゴミの再利用目的でEM菌による生ゴミ処理機も使い始め、それによって出来た堆肥を義父母の畑の有機栽培に活用しています。そして、その畑で出来た無農薬有機野菜をいつも頂いております。この循環に幸せを感じ、地球に生きていることに感謝しております。↓これと同じようなヤツを使っています。↓それから、台所用食器洗いはこの石鹸使っています。オススメです。■安全な珪藻土を使った石鹸■食品添加物にも使用されている安全な珪藻土を使った食器用石鹸です。ということで!今日はアースデイですよ~アースデイとは?詳しくはコチラhttp://www.earthday.jp/http://earthday-tokyo.org/2005-2/about.html
April 22, 2005
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昨日、清明祭(シーミー)という沖縄独特のお墓参りの行事が我が門中でも行われました。親族一同が集まって、それぞれ重箱にご馳走を詰めお墓に勢ぞろいしてお供えをし、その後皆でご馳走をいただきます。(興味のある方はシーミー、または清明祭で検索すると いろいろ出てきますよ。沖縄ならではの文化です) そんな中、沖縄に嫁いでから現在までのわたしの心の移り変わりをあれこれ振り返ってみました。わたしは24歳の時、出来ちゃった結婚で夫と入籍しました。それ以前夫とは丸6年間付き合っておりましてまぁ、長いことお付き合いが続いていたので「いつか結婚するかもな・・・」とは思っていました。でも『ヤマト』の人間であるわたしが、すんなり沖縄に嫁げるとは思っておりませんでした・・・。実際付き合ってる当時、夫は、「内地から嫁を連れてこないでね」「結婚するなら沖縄の女性にしなさい」などと両親から言われていたらしく、わたしもそのことを聞かされていました。「こんな考え方(ヤマトの嫁は反対)の親なんだよ」と・・・。でもまぁ、夫に言わせると「きっと結婚できないだろう」と言いたかった訳ではなく、「(嫌な思いをするかもしれないけど)覚悟しておいて欲しい」という意味だったようです。夫は長男で、後々は家を守っていく、という立場。夫と結婚するということは、いずれ沖縄に暮らし骨を埋める、ということになるのですから・・・。ですから、初めてわたしが夫に連れられて、彼の実家を訪ねたとき(出来ちゃった、の半年前位だったかな?)はかなりドキドキヒヤヒヤしていたのを覚えています。なんせ、事前に「内地の嫁はダメ」という考えを持ったご両親だと聞いていましたしね・・・。初めて夫の実家に遊びに行った時わたしはまだ会社勤めをしており全くこれっぽっちも「結婚したい」と思ってない時だったのですがそれでも「嫌われたくない」という思いでいたのを今でもはっきり覚えています・・・。それは「もしかしたら、結婚することになるかもしれないし・・・」というよりは「ただでさえ嫌われているだろうヤマトの人間だから これ以上、嫌なヤツと思われたくない・・・」という本土代表?のような気持ちだったような気がします。本土の人間ってことだけで、嫌なヤツばかりじゃないぞ!という証明に行くような、そんな気負いアリアリだったのです。と思っていたものの、初めて夫の実家に伺った時の状況は道中いろいろあってかなり疲れ果てた最悪のコンディション・・・。疲れきってボロボロ、しかもいい歳して半ズボン姿だし(ー_ー;)自転車に乗ってやって来るし・・・(MTBを飛行機に積んで行きました)今思うと、一般的に考えると常識無さそうな初対面の状況でした。にも関わらず、義母は笑顔で迎えてくれました。初訪問時は、わたしはとりあえず挨拶のため伺ったので「今日から近くのホテルに泊まります。今日はこれで失礼しますね」と言って帰ろうとしました。すると、「ホテルはキャンセルして、うちに泊まりなさい!」と言ってくださいまして、そのまま図々しくお世話になることになりました。本音を言うと、お盆のまっ最中で親族も集まっている時だったので、慌しい中ご迷惑だろうな・・・とも思ったし、本当に疲れ果てていたので、ホテルで1人気兼ねなくのんびりしたかったのですがね・・・。でも、義母の心遣いが素直に嬉しかったし、夫も「いちゃりばちょーでーの沖縄式だから、気にしないで泊まって」と言うし、ご好意を有難く受け、お世話になることにしました。それからもわたしの沖縄滞在中とても親切にしてくださいました。義母に比べると、当時義父の方はわたしことを「ヤマトの人間」意識で少々距離を置いて接しているのが分かりましたが、(でも、今では夫よりわたしの方が義父と仲良しなんですがね)初めての沖縄訪問で、事前に聞いた「嫌われているヤマト人」がまるで嘘だったかのように、ぐっと近い関係になれたような気がしました。この時から半年後、わたしは想定外に長女を妊娠して(笑夫と結婚することになったのでした。わたしの妊娠を知って、わたしの両親は大ショックで寝込んでしまいましたが^^;義父母は反対にと-っても大喜びしてくれました。「なんだ、ヤマトの嫁でも喜んでくれてるじゃない!」とすごくほっとして、嬉しかったのを覚えています。結婚してからも義父母にはとても大事にしてもらっています。まぁ、文化の違い?とかで戸惑いや孤独を感じたり、親族が集まると悪気はないのでしょうが、誰かしら言い出す「内地の人間というのは・・・」「ヤマトの人間よりうちなーんちゅが最高・・・」(わたしに対してではなく一般論なのですがね)にちょっと淋しくなったりもしましたがね。また、親族の中で本土出身の人間はわたし1人だけなので何かと注目されているのも感じます。まぁ注目される、というより、気に掛けてもらってる、という感じでしょうかね・・・。最初は気を使われているのが気になりましたが、今は逆に「わたしはうちなーんちゅじゃないから、わからない!教えて~」と、何でも教えてもらって喜んでいます。そんなこんなで、結婚生活も丸9年、沖縄に住んで丸4年が過ぎました。そんな中最近、自分の中で変化している想いがあります。沖縄に来た当初、いつかは「ヤマトから来たのに、立派なうちなーの嫁になったね」と言われるように、頑張ろう!と思っていました。それが、ここで生きていくわたしの道なんだと・・・。でも今は、そんな思いがなくなってきています。いくら頑張っても、沖縄の生活に慣れ親しんでも、やっぱりわたしは宮崎生まれ、福岡育ちの人間。沖縄は大好きだけど、うちなーんちゅになろう!とする必要はないかな、わたしは今のままで、自分の立場で自分らしく生きたい・・・と思っています。わたしが本土出身であるが故に、沖縄の行事や文化、方言等、わからないことに遭遇したとき、「本土の人だから」「本土では違うから」という区別される言葉を聞いても、以前ほど気にならなくもなっています。沖縄という小さな世界のことだけに囚われているのはもったいないな・・・と思うようになったからかな?世界を見渡すと、日本という国や、アジアという地域、もっと大きな視点で見ると地球という星・・・・そんな中に生きている、と思えば本土出身とか沖縄出身とか全くこだわる必要がないかな・・・と思うのです。だから、こだわるとしたらたった1つ、自分が今いる場所、状況で、どう生きていくか?かな・・・。そう思えるようになってから、素直に沖縄での暮らしを楽しめるようになってきたのかもしれません。『ヤマトから来た嫁』を1番意識していたのはもしかしたら、わたし自身だったのかもしれません。たまたま結婚した相手が沖縄の人で長男だった、それでわたしも沖縄で暮らすことになったけれどわたしは自分の故郷も、沖縄も大好きだしわたしはわたしのままで、この沖縄で自分を表現していく。それでいいじゃないか!と今は思っています。そしてそう思えるようになったことを幸せに感じています。それもこれもここ沖縄で、いろんな出逢いを体験し、地元で暮らしていたらぶつからなかったような問題について考える機会を得たからでしょう・・・。わたしの目の前にやってくる全ての出逢いに感謝!しつつこれからも、大好きな沖縄でわたしの根っこを伸ばし続けたい。そう思っています。
April 18, 2005
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4月半ばにして、今月初めての日記です!しばらく(いつものことだけど)日記もほったらかしでした。そろそろまた新しいことを始める時期が来ているようだわ!と、日記を書きたい気持ちになってきたのでまたマイペースでボチボチやって行こうかなーと思ってます。さて、最近のわたしですが。先月末の平井雷太さんを迎えての交流会&講座も終わりようやくほっ~と一息ついています。応援のコメントや、わざわざメールを下さった皆様・・・お返事できないままでしたが・・・ありがとうございました!平井さんや、参加してくださった皆さんからは、たくさんの気づきや学びをいただき準備期間中も含めて、本当に勉強になりました。生きている以上、学び続けなければ前には進めない・・・わたしが今いるこの地点はわたしにとっては通過点だと思うからこれからも前進あるのみだわ~!と思っています。学んだことを日記にも書きたいのですが、またそれはボチボチ。4月に入ってから、自分のやりたいことはひと休み状態でした。ずーっとイベントの準備や自分の活動中心だったので最近はどっぷり家族と家庭にはまっていました。家の隅々まで掃除をしてみたり子供のおやつを手作りしてみたり家族であちこち出かけたり・・・ここ数ヶ月の間忙しくて、なかなか手も、気も、回らなかったことを楽しみながら過ごしていました。そうしている間に長女は3年生になり、長男は教会付属の幼稚園を退園し、地域の公立幼稚園へ入園。皆それぞれ少しずつ生活パターンも変化して、生活時間も少しずつ変更。子供たちが新しい自分の世界を広げていく時期に自分自身のことをちょっとひとやすみ出来るタイミングだったのでゆっくり子供に寄り添えてよかったな、と思っています。子供たちもそろそろ新しいリズムにも慣れてきたかな?と思う今日この頃、そろそろわたしも新しい活動開始しようかな~と思っております。さてと!何から始めようかしらん。実は昨年お母さん仲間と立ち上げた、子連れお母さんが主役になる活動『てぃだ』ですが。主宰のosaru_mamaさんが転勤のため沖縄から旅立ちましてT_T/~ちょっと今踏ん張り時なんです。今後の活動の内容や方向性も含めて、残されたメンバーと一緒に考えていこうと思っています。このところ新しい参加希望者からの問い合わせも続いてるし託児サポーターも増員しなきゃなー・・・。NPOにしちゃう?という話も出ているしーパンフレット作成も途中で保留になっちゃってるしーHPも作らなきゃなー・・・なんて思っております。それから、わたし個人としても夢への第一歩を踏み出したいなーと思っております。専業主婦として9年間過ごしてきましたがそろそろ専業主婦で自分のやりたいことをやるのにも限界が・・・自分のやりたいことに使うお金は自分で生み出す工夫を考えなければならない時期に来ているような気がしています。1年前から計画中のことを、今年は具現化していきたいな~と思っております。今年度は、小学校でも幼稚園でもPTA役員をすることになっちゃったしーーー集団(特に女性)が苦手なのによぉぉぉ・・・てぃだの活動でちっとは女集団への苦手意識、克服しつつあるかもしれませんが、PTAはまたちょっと違うかも。はてはてほほーはてほほーです。(できるかな?の歌、知ってます?)でもまぁ、なんくるないさ~♪と思うことにします。話は変わりますが・・・昨日、今日と沖縄は1日中晴れてとても良い気持ちでした。本土の方はどうなのかしら。もう桜は散ったかな?スギ花粉は飛びまくっているのかな?わたしは昨日も今日も、家族5人分のお布団類を干したり・・・もうこれからの季節、出番ナシと思われる長袖衣類を洗いまくったり・・・などなどが、思う存分出来て満足♪このまま沖縄らしい夏に近づいていくのかな?なんて思っております。沖縄に住んで丸4年になりますが、今年の冬から春にかけてお天気の悪い日ばかりが続き、「沖縄の太陽はどうしちゃったんだろう?」と思っていました。それに各地で地震が起こったり、イヤな事件も何かと多いし、人類も、地球も、本当にヤバイのでは・・・?なんて思う事が多かった今日この頃。でも、お日様のにおいで満たされたお布団に顔をうずめるとやっぱり「平和だ~、幸せだ~」と思ったりしちゃうのです。こんな幸せがずっと続くといいのですがね・・・。
April 15, 2005
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