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金曜日、元上司であるNさんの定年記念パーティーに参加した。久々にあったNさんは、口元にひげを蓄えて、ちょっとした紳士風である。そのことを言うと、ちょっと嬉しそうににやりと笑っった。Nさんのもとについたのは、つくばへの転勤が決まった時。当時の上司がそのまま関西に残ったため、一緒に転勤したNさんが新たに上司になった。尊敬していた先輩Uさんから、「Nさんはうちの会社では得がたい上司だ」といつも聞かされていた。そのこを実感するのに、全く時間を要しなかった。当時私が関わっていたテーマは、ある事業部から依頼された新規テーマだった。ところが、会社としても未知の分野であったため、技術の蓄積も経験者もなく、開発の方向性もままならない状況だった。Nさんはますそんな迷走状態にメスを入れた。テーマの方向性をきっちりと定め、さらに事業部に人の派遣を要請してスムーズにテーマ移管できるようにした。日々の業務においても、適切なアドバイスとタイミングの良い指示で、迷うことなく業務に打ち込めた。毎日仕事が楽しくて、今ではとても考えられないが休日出勤や徹夜も全く苦にならなかった。私のわがままで会社に在籍したまま大学院に行くことを、当時の所長に掛け合って認めてくれたのもNさんのおかげだった。一見クールに見えるNさんだが、話好きでよく冗談を飛ばしては周囲を笑わせ、和ませてくれた。奥様もとても気さくな方で、しかも料理がうまいものだから、当時Nさん宅に近かった寮から、何人もの寮生はがしょっ中お宅に押しかけてはご馳走になっていた。私も何度かお邪魔させて頂いた。しかし転勤から5年後だった。Nさんが突然本社へ栄転になり、上司から外れることになったのは。その時のショック、不安と寂しさは、入社以来味わったことのないほど大きなものだった。シングル級のゴルフの腕前はまだ衰えておらず、今では奥様と一緒にラウンドしているという。10月からは再雇用でまた職場に復帰されるNさん。これからも益々人生を楽しみ、仕事でも活躍されるに違いない。
2009年08月30日
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昨日はお盆だった。子供の頃のこの時期は、毎年のように父の実家である愛媛へ帰省していた。お盆を一緒に過ごした祖父、祖母、叔父、叔母、そして同い年だった従兄弟も、迎える側から迎えられる側へと旅立ってしまった。同じ時を過ごしたその家までもが、今はもう跡形もない。この日、両親は信州旅行に出かけるといいうことで、昼過ぎのまだ日の高いうちに迎え火を焚いた。紙につけた火がオガラに燃え移ると、みんなを招くように炎と煙が立ち上った。あまりに早いお迎えに、みんな慌てているのだろうか。それとも、早く帰れることを喜んでいるのだろうか。もっとも、せっかく家に帰っても、迎えるべき両親も私もみんな留守では、がっかりしてしまうだろうか。いやいや、そんなことはないだろう。まだまだ元気で旅行に出かける両親を、一緒に見送ってくれていたに違いない。こっちへ来るのはもっとずっと先だね、とか言いながら。
2009年08月14日
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今日から夏の甲子園である。最近こそ、あまりテレビでも見なくなったが、子供の頃は弟と2人で甲子園によく見にいったものである。見るのはほとんど、無料の外野席からである。初めて甲子園に行ったとき、テレビで見るよりも意外と狭く感じた。しかし、実際に試合が始まると、やはり広い。あれだけ広い外野に球が飛んで、ヒットにならない方が不思議に思えたほどだ。甲子園での楽しみのひとつは、飲み物を買うことだった。夏の甲子園といえば、「かちわり」が有名である。氷がビニール袋に入っていて、差し込んだストローでじわじわと溶ける冷水を吸うのである。しかし、私達がいつも買うのは、カルピスだった。背中にカルピスの入ったタンクを背負ったお兄さんが、コップに注いでくれるのである。家で飲むカルピスよりも、数段美味しく感じられた。弟はまだ小さかったせいか、時折、お兄さんはお代わりをいれてくれることがあった。そのこともカルピスを頼んだ理由のひとつなのだが。夏の甲子園の試合で一番印象に残っているのは、桑田、清原のKKコンビの最後の夏の決勝戦。相手は評判の左腕エース田上を擁する宇部商業だった。しかし、この大会に入ってから好投していたのは、右腕の古谷投手。決勝戦も確か彼が先発ではなかったか。確かに、外野席からみても彼の球の威力はそれとわかるほどの伸びがあった。しかし、最後の甲子園ということで期するものがあったのか、はたまた、お祭り男の本領発揮か、清原はなんと2本のホームランを放ち、KKコンビは有終の美を飾ったのだった。あれから数十年。桑田も清原も引退した。今年の大阪代表はPL学園。KKが活躍した年には選手達はまだ生まれていなかった。もはや彼等の活躍は、選手達には伝説でしかなく、今は自分達が新たな伝説を作ることに意欲を燃やしていることだろう。しかし、私の最大の関心事は東北勢の初優勝。北海道も沖縄も優勝した今、東北のみが春夏を通じて優勝していない。かつて東北に住んでいただけに、それがとても悔しいのだ。春の選抜で惜しくも優勝を逃した花巻東に期待しているのだが。それはそれとして、あの照りつける暑さの中、あるいは地面をたたきつける雨の中で一心不乱に白球を追う姿は、少なくともその瞬間は他のどんな時間よりも密度が濃いものだろう。悔いのないよう、精一杯、もてる力を発揮してくれることを願う。
2009年08月08日
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青空がみるみる暗くなった、と思った瞬間、雷鳴が大気を震わせる。それが合図だったかのように、裂けた天から滝のように下ってきた水流が地面をたたきつける。プラスにあった針が一気にマイナスに振れるような天気がここ数日、日本各地を襲っている。それは正に7月の自分を彷彿させる。青空のチャンスがないわけではない。なのにそれは長く続くことなしに、一気に暗雲に覆われて激雨となる。あろうことか、とうとう先週は丸々一週間、会社を休む羽目に陥った。禍福は糾える縄の如し、というが、その割合は必ずしも均等ではない。しかし、よくよく我が身を省みると、やはり原因は自分にあることに気付く。そしてその原因が、これまでも何度か繰り返していることに愕然とする。もういい加減、この繰り返しを、悪しき連鎖を断ち切らねば。禍福の割合が運命というならば、それを変えていかなければ。「努力は運命を支配する」名ラガーにして名バンカーであり、55歳で急逝した故宿沢宿広朗氏の座右の銘である。氏はこれをただの飾りの書とせず実践し続け、ジャパン代表となり、代表監督となり、三井住友銀行専務執行役員となった。東大教授にして富をも得た本多静六先生もいう。「人生は努力であって、努力なしに人生はない」。先に我が身を省みたとき、やはり真っ先に思うのは自分の努力不足、そして傲慢さ。ならば、この状況を変えられるのはひとえに努力、愚直に、謙虚に努力するのみ。何をすべきか、はわかっているつもりだ。あとは実行するかしないか。今日から8月。月末には報告するつもりだ。やはり運命を支配するのは努力だった、と。
2009年08月01日
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