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バスターミナルで降りて、コインロッカーを見つける。500円のでも十分すぎるくらいだが・・・。それは、満杯。次は、1000円。これは、空港で預けるような大きなスーツケース2つくらい入る。これは、ガラガラ。でもこれじゃあ大きすぎる。外国人が多いから、空港から直行する人達の為なのか・・・。聞いてみると、一時荷物預り所もあると言う事。そっちに行くと、おじさんがいて、荷物を預かっていた。いくらですか?荷物によるよ。(それはそうだ!!)この荷物二つです。じゃあ、400円。荷物を預けて、身軽になって、郷の見学開始。合掌造りの家と薄。風情あり!!!お土産屋さんも覗いて見たくなるが・・・。後で。同じいろりだが、こちらは、レストランか・・・。コスモス畑が現れて、秋の日本、とてもいい感じ。和田家。大きな家の中を見せてくれると案内書に書いてあったっけ。ぽつりぽつり雨も落ちてきたので、じゃあ、中を見ようと言う事になって・・・。1573年以来、結構重要な役割を務めた家の様だ。どっしりとした屋根。家と言う感じ、とても頼もしく感じた。この厚い萱の屋根。外気の暑さ、雨をしっかり受け止め、暖を逃さないで、家族を守ってくれた事だろう。料金300円。磨きこまれた板の間に、靴を脱いで上がる。写真は撮っていいですか?勿論です。真ん中にある空間が、居間。X印が・・・この囲炉裏だ。平成30年10月17日と日付入りの入館記念のサインの前で、囲炉裏に当たる我が娘。炭火も赤々と起きていて、暖かい。天井までは高く、ゆったりとした空間。この上の天井は、格子になっていて、二階も温めることが出来るようになっている。あの屋根では、保温効果も抜群だろう。一階にも見るものは沢山あったが、まず二階に行って見ようと言う事になって・・・。階段を見上げる。踏み板の厚いこと!!急なので、手摺にしっかり掴まって上った。中二階は、お勝手道具の収納場所になっていた。消防団の提灯や、藁の雪靴は時代を感じさせる。さらに上って、二階に着いた。絹糸を巻き取る糸車などが置いてあった。此処は、囲炉裏の上。囲炉裏の暖はそのまま二階の暖にもなる。生活の知恵、とても合理的。その上の天井も板張りではにようだ。暖はさらに上まで。周りは、道具置き場になっているようだ。広い!磨き抜かれた床に、心が引き締まる。窓も大きく、採光にも心を配っている。
2018.12.02
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今朝は☂。早い時間なのに、友達がバス停まで送ってくれた。話は尽きず・・・。私たちの別れを悲しんで、天の涙雨。バスで、高岡駅まで20分くらいだったか。高岡駅では、まず、白川郷往復のチケットを買い、乗る場所を確かめた。それから、駅のコンビニで、🍙やらサンドイッチやらを買った。高岡と言ったらドラえもん。ドラえもんの腕を借りて、大きなドラえもんポストとツーショット。ドラえもんトラムなんてあるんだ・・・。と思っていると・・・。噂をすれば何とやら、ドラえもんトラムの到着。事務員風の女性が、ドラえもんのポストに手紙を入れた。本当に使ってるんだ!!!よく見ると、ポストの蓋がだいぶ禿いている。結構使われているのが分かった。雨の高岡駅前。向こうに、それらしいバスが停まっている。やっぱりそうだ。貸し切りと言う訳ではなかったが、乗客は少ない。富山には、大きい川が4つあるけど、その一つ、庄川。雨に煙っているが・・・。遠くの山の霧は上がっていたので、きっと午後から晴れると踏んだ。刈り入れの済んだ田んぼ。バスのモニターで、観光案内をしていた。城端祭。風の盆のように、土地の色々な伝統、文化をそれぞれの土地で保存しているのだろう。霧も大分上がってきた。もうこうなったら、後は晴れるだけ。山の霧が、速く流れていく様はとても神秘的で、秘境の山々を味わうにはちょうど良い。さっきの城端まつりの、城端駅。トンネルが沢山ある。白川郷が、古い文化を受け継いでこれたのは、昔は、他所と隔てられた秘境だったからと言う。沢山のトンネルを抜け・・・。霧のお陰で、深い山奥に入っていく感じがより味わえた。五箇山などを通り過ぎ・・・。その辺から、かやぶきや目の家も目に付くようになった。相倉口⇔白川郷は乗り降り自由。バス停でなくても乗り降り出来るとか・・・。この辺に一泊したら、このサービスを使って色々楽しめそう。庄川の上流。深い山間の、エメラルドグリーンの渓谷。御母衣(みぼろ)湖と言うらしい。遠くに発電所が見える。御母衣(みぼろ)ダム。湖も山霧の流れるのを映して、何とも言えない風情。霧は大分上がったようだ。橋がありトンネルがある。道路と並行して、とても古そうな鉄橋が見える。もうそろそろ白川郷と言うところで、法被姿の人達を見て・・・。懐かしい!!お祭り?いよいよ憧れの白川郷に到着。
2018.12.01
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今日は、予想外な事がいっぱい。幾つ目の予想外か・・・。1、聞名寺の民衆に支えられた堂々とした佇まいに、一目惚れ。2、風の盆の発祥地、日本の道百選の町道諏訪町本通りがすっかり気に入ってしまった。3、胡弓と言う楽器で踊る素朴なおわら節を目の前で見て、感動。4.それが旧友の公演だったとは!!聞名寺往復の間久し振りのおしゃべり。5、瑞龍寺がこんなに立派なお寺だとは知らなかった。これで最後か・・・。裏口から出ると、お寺の敷地の中なのか・・・。何だか素敵なところに出た。苔むした古い可愛い石像。ここまで来て、あ、あれは、山門。あの長い回廊の外だと分かった。空を見上げると、羊雲がぷかぷか浮いていた。高岡駅に出た。お友達は、またすたすた歩き始めたので・・・。何処行くの?大仏よ。高岡大仏。もう、6時過ぎてる、まだ開いてるの?外にあるから、いつでも見られるのよ。え~、そうなの!!途中で、歩いていた人に大仏は何処か聞くと、次の角、大仏通りを行くと直ぐですよ。あっ、あった!!確かに、日本三大仏とある。門は無かったが、仁王の様な像が左右に立っていた。大仏の碑右側の仁王大仏が一直線に入っているではないか。左側の二王。右側の仁王。奈良も法隆寺や、さっきの瑞龍寺の金剛力士と同じ手の形をしている。やはり、大仏様をお守りする金剛力士だ。灯篭や仁王様はもちろん銅器鋳造によるもの。この仁王に触ると筋肉質になれるという伝説があるそうだが、触っては来なかった。奥中央、すっかり暮れた空をバックに、いいお顔をした大仏様。高岡大仏は、鋳物の町高岡のシンボルだ。総高15.85m・座高7.43m・総重量65トン。日本三大仏に数えられる理由は、先ずこの大きさ。そしてルーツが今から780年前に作られた木造大仏にあるという伝統。鋳物の町高岡の威信をかけての技術の高さと芸術性の優位であるという。市民が寄せる愛着度の高さもぜひ理由のひとつに加えたい。ライトアップもされて、美男のお顔は、優しく微笑む。台座の下は、回廊になっていて、古い大仏の顔などが展示されていると言う事だったが、丁度6時過ぎ、係員たちが出てくるところだった。鎌倉の大仏の近くの歌碑には、与謝野晶子が詠んだ「かまくらや みほとけなれど 釈迦牟尼は 美男におはす 夏木立かな」とあるそうだ。でも、昭和8年に高岡を訪れた晶子は高岡大仏を拝し、「鎌倉大仏より一段と美男子」だと言ったとか。三大仏は、1は、奈良廬舎那仏。2は、鎌倉の大仏。此処までは確定。でも、3は、他にもあって、それぞれ自称だそうだ。3は決まってないと言う事らしい。でも、カズ姫は、この高岡大仏を3にしたい。他の二つがどこの大仏か読みもしなかったけど・・・。暗くなった道をバス停まで歩き、やっと来たバスに乗って、彼女の家に帰った。盛り沢山な、沢山の思いもよらない出来事が起こった、感動に満ちた一日だった。夕食をご馳走になって、お風呂に入った。最後、ワンちゃんも一緒に写真を撮った。一日全部が予定外。でも、予定よりずっと、興味ある楽しい一日だった。友よ、本当に有難う。
2018.11.30
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今日の本題に入る前に、長いブログ友であるリュウちゃんさんからは、いつも膨大な情報を含むコメントを頂いているが、昨日はこんなコメントを頂いた。***瑞龍寺、随分立派なお寺ですね。対の金剛力士像も彩色が鮮明で、リュウちゃんの地元・法隆寺のそれよりも断然新しく感じられます(もっとも、法隆寺の金剛力士像は日本最古のもので製作は西暦711年なのだそうです)***で、この前JRパスを使った時、確か法隆寺にもちょい寄りしたことを思い出して、法隆寺の金剛力士の写真を探してみたら・・・。あった!!!前では、女金剛力士が演じているが・・・。後ろに控える金剛力士、まさに金剛力士、がっちりとした体格に、勇猛な顔。最古の物には、敵わない❢顔もポーズもしっかり決めている???。後ろの像の迫力は凄い!!では、本題に入って・・・。左側が、入り口、突き当りを左に曲がると、禅堂。右は、昨日紹介した法堂内陣。中央奥の内陣には、二代藩主前田利長の御位牌が安置されている。(昨日の写真参考)法名は、「瑞龍院殿聖山英賢大居士」。今日は、この天井と、上の欄間をいかにご紹介する。中央二室の格天井には狩野安信の四季の百花草が描かれている。正面内陣の欄間には、高岡と言う地名の由来となった鳳凰が刻まれている。これは、瑞龍寺の模型。国宝山門国宝仏殿国宝法堂と手前から一列に並んでいる。左側で回廊で繋がっているのが、禅堂。右側で回廊で繋がっているのが大庫裏。我らは、右に行って、大庫裏に向かう。大庫裏に向かう回廊から見える、仏殿。仏殿の後ろに回廊で繋がっているのが、禅堂。延命地蔵菩薩。大釜、大鍋。何人分の僧侶たちの食を賄うのだろうか・・・。食堂だろうか・・・。大庫裏の前の回廊に立って、左側、この先には、浴室と言うのがある。大庫裏の前の回廊に立って、右側、今来た方。娘たちが覗いている辺から、仏殿や禅堂が見える。この突き当り、左に行けば、法堂。これから、右に行くので、大茶堂。建立当初に建てられたもので、その存在は全国的に類例は少ない。その構造は、外壁や軒下を土蔵と同じ大壁とし、内部を土天井とした大変珍しい防火建築物である。と言う事で、もっと時間を掛ければ、切りがない程の素晴らしい歴史が眠っているようだ。5時に閉門と言うところを、裏から出たら5時半まで見られると言うので、これから、裏口から出るところだ。
2018.11.29
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高岡までKさんが車でで送ってくれた。その間お友達が今朝出かける前に作った🍙を食べながら、おわら節やこれから行く瑞龍寺についてなど、Kさんが事細かに説明してくれた。歴史の本をすでに何冊か出しているそうで、その知識は素晴らしいものだった。おわら節の歌の文句が素晴らしく大好きと言う事だった。いっぱい歌はあるけど、どれも民の心がロマンチックに表れていて、本当に良いんだよ、もうしびれちゃうと言っていた。日本の楽器は胡弓だけど、中国では二胡。胡弓は江戸時代始めまたは、室町後期に文献に現れるが、色々説があって、起源は定かでないと言う事だ。胡弓と二胡は、似て非なるものと言う。確かに!!瑞龍寺の近くで降ろしてもらい、おわら節を見せて頂いた感動と感謝を心から述べ、再会することを祈りながらお別れした。総門の外で券を買い、総門をくぐるとお坊さんが居たので、一枚。山門を写真に撮ることはすっかり忘れてしまった。国宝山門左右の金剛力士国宝仏殿この仏殿は、屋根の色が鉛色。それもその筈、実際屋根は鉛で葺かれていると言う。仏殿正面仏殿の中に置かれていた像国宝法堂法堂正面法堂の扉から見た仏殿
2018.11.28
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堂内に案内されるともう多くの方々が来場していいた。堂内脱帽堂内撮影禁止のサインが先ず目に入り、カズ姫は、帽子を取ってカメラはバッグにしまった。だから残念ながら、堂内での写真は一枚もない。ご本尊が祭られている前には、かなり広い法要の場が有って、おわら節保存会のメンバーは、ここで踊るらしい。まず、副住職さん(女性)の『縁』についての講話が有った。日本人なら、縁と言う言葉は誰でも知っている。ちょっと古臭いと思っている方が多いだろう。でも、その日、カズ姫は、講話の詳しい内容は覚えていないが、縁て、宇宙のエネルギー同士の循環、出合いなんだと思った。古臭いと言うより、最先端の科学的用語ではないかと思った。なぜカズ姫が全く予想すらしなかったこんな所にいるのか!!縁が有った、宇宙のエネルギーが引き合った、というより他ない。優しい言葉を使ての素晴らしい講和だった。おわらの奉納始まり。聞名寺おわら奉納毎月16日午後2時より聞名寺本堂においておわらを奉納して居ります。まず、三味線を弾くリーダ格の方が、楽器の説明をして下さった。胡弓の音に合わせて踊るのが、おわら節の特徴です。では、胡弓をご紹介します。胡弓は二弦で、弓はバイオリンのようにぴんと張っていないで、こんな風に緩みがあります。胡弓の演奏者が、弛んだ弓を見せてくれた。このたるみを左の小指または薬指、中指で調節しながら弾くと言う。とても難しそうだ!!!まず短い部分を弾いてくれた。カズ姫はその始めの一弾きに鳥肌が立った。何ともなまめかしい、情緒あふれる音色、音調。人の感情がそのまま伝わってきた。一聴は百聞に如かず越中おわら節胡弓 デモ胡弓の楽器の様子、引き方などがよくわかる。おわら風の盆、鏡町の胡弓 富山県八尾町名人級の方の演奏らしい。それから三味線の紹介。歌も張りのあるとてもいい声での歌。おわら節は、嫋やかな女踊り、力強い男踊り男女共の踊りがあると言う。男女とも目深く菅笠を被っているので顔は見えない。始めは、男女ペアで踊った。一見は、百聞に如かず!富山県民謡 越中おわら節舞台での踊り。おわら風の盆 越中八尾美しき踊り子達路上での踊り。この日の踊りは、女7~8人、男5~6人くらいで路上の踊りの雰囲気だった。後で、お互いに話したところでは、我ら3人とも、この夫を踊ったのが、Kさんと思っていた。凄く上手で、短い間にこんなに出来るんだと感心していた。終わってから、KさんにあれがKさんだったの?笠が深くて顔が見えないので、誰だかよくわからなかったんだけど・・・。と聞くと、顔なんか見えたら、恥ずかしくて踊ってなんかいられないよ。と言う返事。え~、そうなの??始めのは、俺じゃないよ。あの人は、もぅ長くやっているうまい人だよ。え~、そうだったの?みんなKさんと思っていた。とっても単純だが、単純だから心がそのまま籠っている民謡おわら節の踊り。目の前で繰り広げられた、1時間近い公演をすっかり堪能させてもらった。衣装のまま、写真撮らせてもらいたかったけど・・・。堂内撮影厳禁!!九州の方からわざわざ見に来ていた方もいた。外に出て、もう一度、境内を回ってみた。風の盆の碑の心組みと言う題の碑が建っていた。実際の碑の文字は、とても読みにくかったので、写真に撮って拡大してみた。楽天画像にするとまた読みにくくなってしまったが、オリジナルでカズ姫は一回全部読んでみた。風の盆の碑の心組み越中八尾には、「風の盆」と呼ばれる風情ある言葉と風習が伝わっております。その八尾を美しく彩るのが、「越中おわら節」です。その風情に憧れや思いを抱きはるばる八尾を訪ねる人は少なくありません。で始まり、諸国に大勢の人々の好意で建立されたこの碑の前に立ちどまり、「生きる」と言う事を考える方が、叶うことなら百年後、二百年後、ひょっとしたら三百年ののちまでもあることを夢みつつ。平成六年風の盆楽日民謡の守門者 竹内〇〇で結ばれている。おわらを守るために人々の並々ならぬ情熱と苦労と憧れがにじみ出ている。不思議な事に、カズ姫の母みきちゃんは、今年の3月に他界したが、母は、ある時、風の盆に行って来たと嬉しそうに話していた。以来、カズ姫は、風の盆て何?風の盆に行きたいと長いこと心に思っていた。でも、それが何処でどんな事が行われるのか全く分からなかった。ただ、何故かうっすらと、白川郷に関係あると言う思いがあった。そうしたら、こんな形で、突然体験することが出来たのだ。今日は、おわらの発祥の地で、おわらを心行くまで楽しませて頂いて、明日は、白川郷。縁宇宙のエネルギーの引き合わせ
2018.11.26
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秋晴れの良い天気。気分の良い目覚め。お友達と娘と三人で朝食をとっていると、Kさんから迎えに行く時間は昨夜の予定の時間より少し遅れるけど、今、家になっていた柿を持ってきたから、下に取りに来てと言う電話が有った。お友達が下に行って、柿を一袋持ってきた。早速デザートに頂くと、少し小ぶりだが、とても甘い柿だった。ゴマはびっしりついていて、黒いようだった。もう渋さなど全く残っていなかった。後で、kさんがこの柿について説明して下さった通りだった。kさんのお宅の庭に沢山なっていると言う事だった。●西村早生柿の特徴西村早生柿は果実の大きさは220g程でそれほど大きくはなく、やや丸みを帯びた形で表皮は淡い橙色でつやがあります。果肉はやや硬く、程よく果汁はあり、糖度も15度前後にはなりますが、甘さはさっぱりとしています。また断面を見て分かるように、一面にゴマと呼ばれる茶色の斑点がみられます。このゴマが出てきたら食べ頃サインで、ゴマが少ないものは渋みが残っている場合が多いようです。Kさんが来るまでの間、彼女の一階にあるお店兼仕事場を見せてもらった。NY時代、彼女は趣味で沢山のアンティークを買い集めていた。日本に引っ越してきて、東京でもここ高岡でも住居の一階をお店にしてそれらを販売している。それから、彼女は、ステンドグラスの先生でもあり、教室を持っている。本当に素敵なアンティークが有り、うっとり眺めていると、12時半ごろKさんが迎えに来た。空気は澄み切り、それなのにそんなに寒くもなく・・・。素敵なドライブ日より。大きい川を渡ったので、川の名前を聞くと、庄川と言って、富山では大きい川だと教えてくれた。橋の柵の所におわら節を踊っている姿が写っている。ちょっと見にくいので下に拡大してみた。菅笠を目深にかぶった女の人の姿。Kさんがおわら節を踊っているなんて、夢にも思いませんでしたよ・・・。レストランをしていたNY時代は、仕事、仕事で何もできなかったから、これからは、好きな事をしようと思ってね・・・。本読んだり、書いたり、最近は、乗馬も始めましたよ。馬って本当にかわいいですよ。もう、そのバイタリティーに驚き。Kさんが属しているグループは、結構ホテルとかにも呼ばれ、公演しているという。凄いですね、板さんがもう民謡のプロになっているなんて❢❢❢今日の公演のあるお寺の名前は、聞名寺と言う。そうこうしているうちに着きましたよ。その立派さに思わず感嘆の声を上げてしまった。金吉良金がある訳でもなく、名高いと言うわけ訳でもなく、ひっそりとしているが、いかにも歴史と人々の温かみがある、どっしりとした大きなお寺。Kさんたちの公演は、2時から、今1時だから少し時間があるから、この先に、とてもいい所があるからそれまで、少しその辺を歩いてきたらいいよ、とその方向を教えてくれた。我ら3人は、そのいい所を目指して、歩きだした。本当に立派なお寺だ。浄土真宗本願寺派桐野山聞名寺これも立派な、味のある、寺銘。それもその筈、上人御真筆寺額の写しを依用せりと書いていある。それに、全国十ケ寺の一なりとも書いてある。やはり由緒あるお寺なのだ。現本堂は、京都の名匠柴田新八郎貞英の傑作。総欅造りの豪壮な差風は、堂内の華麗さと共に、本願寺様式建築としては全国白眉のもの。地区住民の誇りである、とあるではないか。白眉(はくび)とは、白い眉毛のこと。数あるものから、最もすぐれているものや人の例え。国宝とか、世界遺産とかそういう物とは違う、それ自体が隠し持っている、堂々とした佇まいに、一見したときからそのパワーと言うかエネルギーと言うかに圧倒された。地区住民の誇りこれもうなずける。寺の建築も一級の名匠、素材を使っているが、土着の民衆の熱意によって支えられてきたのだ。富山県八尾町。避難場所でもある、というのがまたすごい。こんな古い家並みが続いている。風の盆。こうして、おわら節を保存しながら伝統、住民の文化を守っているのが、またすごい。風の盆とは、普通お盆は、東京では、7月13日から。我が山梨甲府ん辺では、ひと月遅れの8月13日から。そして、カズ姫の生まれ故郷では、またそれから、十日遅れの8月23日から。それは、主産業が養蚕だからだ。蚕を飼い絹を作る繭を作らせそれを出荷している。生活を支えてくれる大事な蚕。お蚕さんとも、おぼ子さんとも呼んで、大切にしていた。ココ八尾町では、其れよりまた十日遅れの9月3日。二百二十日の秋風が吹くころ9月1日、2日、3日の三日間に行われる民謡行事、これを風の盆と言う。そして、何とこの道は、日本の道百選に選ばれているというのだ。町道諏訪本通り線古い街並みを少し行くと・・・諏訪社。ココでも強い気を感じる。青々とした真新しいしめ縄。こんなの初めて見た。もうすぐ、風の盆。一年の締めくくりの時期かもしれない・・・。樹齢の古そうな欅の木も傍らにある。素晴らしい街並み、町道。窓には秋の日を一杯に浴びた干し柿。軒につるされている風鈴が、ちり~ん、ちり~んと時折いい音を奏でる。また、ある家では、さり気ないお花のあしらい。町のに対する心遣い、愛の気持ちが現れていて、とても心地よい町道。街灯もこんな感じで、全く時代を忘れる。ココにも、ひっそりとした、でも、しっかりした意識を育んでいるお寺が・・・。屋根が左右対称ではないなんて、これも初めてで、とても新鮮。富山県から、うるおい環境とやま賞と言うのをもらっているんだ。ちょっとわき道にそれても、とても興味深いものがある。でも、1時50分までには聞名寺に帰らなければいけないので・・・おわら早乙女姿の人集まれと号令かけたら集まってきた早乙女達。月下美人を栽培している家も何件もあり、懐かしい人に出会ったような気分だった。あの森が、最後。そこまで行って、引き返した。行くときは撮らなかった若宮八幡社。由緒あるお寺や、社が日常の顔をして佇んでいるところがとても気に入った。カズ姫は、お酒は飲まないので・・・。この写真…没?と思ったが、ご常連様の中にどうもお酒をお好きな方が居られるようで・・・。アップすることにした。清酒おわら娘の醸造元と言うから、これも土地の人に愛されている美味しいお酒だろうか。白壁の土蔵造りだ。清酒おわら娘もいいけど、本物のおわら娘もいい??何て言われたらどうしよう><もう時間も気になって、スタスタ歩いていく。北陸第一銀行とある。時代を感じさせる建物だ。越中おわら発祥の地。わー凄い所を漂っているのだな~。時間ギリギリに聞名寺に戻って来た。鐘撞堂も本堂も総欅造り。それに加えて、時代の洗礼、人々の洗礼を受け、本当に堂々としている。Kさんが、お寺の正面で待っていて下さり、本堂内の会場に案内してくれた。桐野山聞名寺もうこれで、金沢とか高山とか全く必要もないと思う程、’ここまででも満足だった・・・・。これからがまた凄い!!
2018.11.25
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バスツアーが終わった後では、色々な事が分かった。乗ってよかったねと言いうのが二人の感想。霧はすっかり晴れて、青空も見えてきた。今度は、自分たちで、岩手山を見渡せるこの広々としたまきば園の中を歩いてみることにした。紅葉しかけた木もあり・・・。人々もちらほら。農場特産?、ハロウィンカボチャも売っている。お土産屋やレストランなどあちこちにある。遠くにモーモートレインも走っている。一号牛舎で見たエリート牛さんはもっと大きかったね。モーモートレイン?あれに乗ってみる?あれって子供用じゃない?ここを回っているだけだから、歩いた方が良い。花壇はあちこちで綺麗な花を咲かせていた。ここのお土産屋に後で入ってみた。岩手山は今日も雲をかぶっている。それでも、見えるだけ嬉しいね。地図を片手にあっちこっちを歩き回る。遊具も木製なのが素敵。緑色の遊具は??さっきのお土産屋に入ろうとしたら、こんな可愛い牛さんの取っ手。写真禁止のマークが有るが・・・、きっと中の事だよね。といいながら、牛さんを撮って・・。その隣の羊さんもパチリ。それにしても、お店で撮影禁止って???日本では、時々あって(@_@)。ミュージアムも撮影禁止だし・・・・。景色を見るだけでも、空気を吸うだけでもとてもリラックス、リフレッシュ!!あの緑色の遊具は、後ろに控える岩手山を模した山登り遊具だった。勿論、我が娘ちゃん、登る登ると言ってあっという間に頂上に着いた。ば〇と煙は高い所が好きとも言われているし・・・。ここで、ちょっとしたことが起こった・・・。高い所で楽しんでいると、一人の男の子が勢いよく上って行った。娘の話では、男の子は上に着くや否や、こわーい、こわーい!!と言って泣き始めたと言う。下にいたお父さんが、じゃあ、降りなよ。怖くて降りられないと泣き声。私は、もっと居たかったんだけど、その子があまりに怖がっていたので、だいじょぶだよ。全然怖くないよ。ほらこうして、おねーちゃんのようにしてごらん。と言いながら・・・誘導してし下りて来たところだ。少し上に、男の子もいるのが分かる。下に着くや否や、男の子は、家族の所に走って行った。お父さんが、ありがとう言ったのと言ってもそのまま走って行った。怖くて、ありがと所ではなかったね、きっと。下から見るとそうでも無いけど、上に行くと結構高く感じるんだよと説明してくれた。娘についていかなくて良かった。子供では可愛いけどね~・・・あの子じゃないね。こう少し大きかった。ソフトクリームの看板出ているところでは、寒いと言って食べなかったが。秋の日が燦燦と照ってきて、暑くなったね。じゃあエリート牛さんのソフトクリーム食べようか。ラーメンショップ?いや、下にソフトクリームって書いていあるよ。と言う事で、ソフトクリーム二つ買って、なめながら、うろうろした。何で、ソフトクリームの写真がないのかと思って、もい一度探してみたがない。ああ、ソフト持っていたら写真撮れないね。娘は、ケータイで手軽に撮っていたから、彼女のカメラには、きっと入っているだろう。可愛いバンパーカバーが有って、娘は、羊さんに、長い足。カズ姫はトロ馬車でトロトロ。本当のトロ馬車にも乗れる。色々楽しみがあるようだ。で、我らは、これに乗って、資料館、賢治の詩碑に行くことにした。片道10っ分とあるから、歩いてもいけるけど・・・。こう言うのに乗るのも面白い。小さなトンネルと通って、牧場に出た。この後ろ辺りに、狼森とか有るらしい。資料館に着いた。続きは、また明日?
2018.11.21
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バスツアーでもらったパンフレットにある21の国指定重要文化財の建物と自分が撮った写真の建物とを一致させるのに時間がかかっている。辛うじて、屋根の形で区別することが出来ることに気が付いた。始めlこの黒いビニール袋を見たとき、牛のふん?と思ったのだが、説明によると牛のえさが入っていると言う。こうして発酵させているとか。21.天然冷蔵庫明治38年(1905)建設小山を掘って作ったレンガ造りの貯蔵庫。電気を使用せず、自然の力だけで内部温度を約10℃に保つ。乳製品には冷蔵庫か欠かせない器具。こうして、自然をうまく利用しているのが素晴らしい。ここでも自然との共存。牧場内の荷物の運搬などを行った、トロ馬車。12.一号牛舎昭和9年(1934)建設当時最新鋭のスタンチョン式を取り入れた搾乳牛舎。現在も68頭収容の搾乳牛舎として使用。前には広々とした牧場が有り、搾乳する前にはここで自由にさせておくとか。向こう側に見えるのが、13.二号牛舎。明治41年(1908)建設病畜用の牛舎として建設。大正8年に現在地へ移築後、乳牛が子牛を生む分娩用牛舎として使用。16.種牡牛舎大正6年(1917)建設優秀な乳牛育成のための繁殖の元となる、エリート種牡牛を飼養する牛舎。平成15年ごろまで使用。今は、何位に使われているのだろう・・・。14.三号牛舎昭和10年(1935)建設子牛と種牡牛の育成用に設計された100m近い巨大な牛舎。牛の月例にあわせた多様な飼育室が特徴。前の牧場には、子牛が・・・のんびり遊んでいた。因みに、小岩井農場は、個人の経営では、日本一の規模の農場だそうだ。前に見えるうす水色の建物は、小岩井農場資料館。この辺でバスを降りて見学のお時間。20.秤量剪定室昭和11年(1936)移築牛尾体重測定や爪切りなどを行った施設。足を痛めると健康状態に影響が出るため削蹄は重要な作業。12.一号牛舎12.一号牛舎12.一号牛舎の中。ここの牛たちは、農場でもエリート中のエリートだそうだ。顔つきもいかにもエリート?流石エリート、その体格の良いことと言ったら!!母娘で、大きいね~とうなってしまった。お乳もたっぷり出そうだ!!軒下には、巣立ったツバメの巣が。きっとまた来年やって来るだろう。全てが自然の中で・・・。自然との共存。12.一号牛の中。牛たちは、朝のうちは表の牧場で草を食んでのんびり。搾乳時間が近くなるとこの搾乳牛舎、一号牛舎に入れると言う。牛たちは、寝そべったり、自由気ままにふるまっている。ストレスなし、健康な牛乳を提供してくれそうだ!!小岩井農場の敷地内で売られている、クッキー・アイスクリームなど全ての乳製品は、ここのエリートたちが提供してくれる牛乳を使っているそうだ。後でソフトクリーム食べようね にっこりする母娘であった。搾乳の時間には、ここで搾乳されるそうだ。15.四号牛舎明治41年(1908)建設産室を備えた搾乳牛舎として建設。現在はすべて搾乳用に改造。一階は飼育室、二階は牧草貯蔵庫。15.四号牛舎 内の牛たち。ここでも牛さんたちは思い思いの格好でのんびり。人間のエリートもこうして育てればいいのにね~。そうしたら、ストレス無し、使い物になる独創的なエリートリが誕生して、少しは楽しい社会になるのにね。資料館の前に咲いていた、白いシュウメイギクと赤い鶏頭。19.育牛部倉庫明治31年(1897)以前建設。本部第二倉庫と同様、確認される中では農場内最古の和小屋組みの建物。17.一号サイロ (向かって左側)明治40年(1907)建設レンガ造りの巨大サイロ。日本に現存する最も古いサイロといわれる。昭和50年代まで使用。18. 二号サイロ明治41年(1908)建設飼料用のトウモロコシを茎や葉ごと粉砕して貯蔵し、「サイレージという発酵させた飼料を作る。どちらも、今は使われていないそうだ。15.四号牛舎全景。さあ、ツアーも終わりに近づいて・・・。門を開けて入って、出発した所に戻った。ツアーバスに乗らなかったら、全く分からないことが沢山あった。ガイドさんと娘のツーショット。写真一緒にとってもいいですかと聞くと、気軽に応じてくれた。この後、賢治ファンとして、狼森、笊森、黒坂森、盗森って本当にあるんですか。ああ、ありますよ。この道を行って、ちょっと左に曲がると、見えますよ。でも、黒坂森は消えちゃったのか、どうなったか分からないんですが・・・今は無いんですね。という話。賢治の童話『狼森(おいのもり)と笊森(ざるもり) 盗森(ぬすともり)』の冒頭。小岩井農場の北に、黒い松の森が四つあります。いちばん南が狼森で、その次が笊森、次は黒坂森、北のはずれは盗森です。この森が何時頃どうして出来たのか、どうしてこんな奇体な名前が付いたのか、それをいちばんはじめから、すっかり知っているのは、おれ一人だと黒坂森のまんなかの巨きな巌が、ある日、威張ってこのおはなしをわたくしに聞かせました。ずうっと昔、岩手山が、何べんも噴火しました。その灰でそこらはすっかり埋まりました。そうだ、ここは、昔からこんなに立派な森があったわけではにのです。とガイド氏が言ったのを思い出した。草一本無い、火山灰の土地でした。この小岩井農場のすべての木は、植林によるものなのです。わー~~(カズ姫の感動の声)一本一本木を植え、土壌の改良そして、並々ならぬ先人の苦労があったからこそ、今この豊かな森と牧場があるのです。草木一本も生えていない火山灰地帯・・・。この豊かな牧場・・・。
2018.11.20
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朝もやの中を歩くのは、本当に気持ちが良い。全てが生まれたての新鮮さ。美しさ。濃霧を確り纏った蜘蛛の巣も、素敵なシルクの天然の衣装。牛たちの群れが見えてきた。みんな思い思いに朝露に濡れた新鮮な草を食んでいる。身動きも出来ない狭い牛舎に押し込まれて、ホルモン漬けのえさを与えられている訳ではない。牧場は続く。牧の柵は、高く低く地形に素直に従って続いている。牛たちは、この手入れの行き届いた牧草地で、人間たちと共存している。牛も幸せ、人も幸せ。2 もう起き出した小舎小舎(こやごや)の あたりに高い人の声 霧に包まれ あちこちに 動く羊の幾群(いくむれ)の 鈴が鳴る鳴る りんりんとここは羊ではなくて、牛の放牧だが・・・。もしかして、カウベルの鳴っていたかもしれない。羊園はまた違うところにあった。右側は、見事な桜大木の並木。小岩井農場まであとⅠキロ。娘ちゃんは、ゴロゴロよく引っ張ってきたものだ。、小岩井駅にロッカーがなかったのは、実は幸いだったのだが・・・。起こることは全ていいこと。!!全てに感謝。1時間20分と地図には書いてあったが、我らは写真を撮ったり、霧の海を堪能したりで、1時間30分掛かった。着いた!!昨日泊まったホテルメトロポリタン盛岡の部屋には、小岩井農場の割引券が二枚置いてあった。お陰で、入園券一人200円の割引。+バスツアーも一人200円の割引だったので、結構得した感じ。今度は忘れずに、まず、荷物はコインロッカーに入れた。一時間半もゴロゴロ引いて来た娘ちゃん。まずは、牛君のベンチに座って、リラックス。娘曰く。お母さん牛の目はえらくリアルだけど、子牛の目は、漫画チックだね。見ると、全くそうだったので、二人で大笑い。もう、霧も晴れ、牛のベンチで✌サインを出すカズ姫の上には青空が広がっていた。岩手山は、相変わらず雲のベールで顔を隠しているが・・・。よく手入れされた花壇のあちこちにあり・・・。牧場は、広々と我ら母娘を迎えてくれた。我らの乗る、ツアーバス。小岩井農場物語。このガイド付きツアーには、A.酪農コースB.重要文化財コース二コースが有ったが、我らは、B.にした。小岩井農場には、国指定重要文化財が21棟あり、全て明治から昭和初期にかけての建築で、その多くが現役で使用されていると言う事だ。バスに乗って出発。牧園からゲートを開けて、さっき歩いて来た道路に出た。さっきの霧の牧場とは全く違う感じ。まず本部に向かいます。当時の環形はこんな感じで・・・。と古い写真を見せてくれた。1.本部事務所明治36年(1903)建設小岩井農場の中枢を担い続ける現役の事務所。4.乗馬厩(じょうばきゅう)昭和11年(1936)建設自動車のない時代、移動のための常用場や馬車曳用の馬を飼養した。16頭収容することが出来る。2.本部第一倉庫明治42年(1908)建設本部付属の倉庫として建設。雨の日でも作業できる広い下屋が特徴。現在でも倉庫として使用中。3.本部第二倉庫明治31年(1898)以前建設最古の台帳(明治32年)に記載があり、確認される中では農場内っ最古の建物。倉庫として使用中。5.倶楽部大正3年(1914)建設来客の応接・宿泊、従業員の集会施設として建設。一部洋室の和風建築。現在も会議室などに使用。古い井戸。霧の牧場も良かったが、青空の下に広がる牧場もいいな~。色々説明してくれているが、そんなおはあまり覚えていない・・・。><で、小岩井農場ってどうしてそう呼ぶか知っていますか?みんな???一目瞭然。この写真を見せるガイドさん。成る程、確かに小岩井になる。みんな納得。石碑には、市立小岩井尋常小学校私立小岩井中学校とある。この人が、農場経営に本格的に乗り出した人。7.旧耕耘部部倉庫明治38年(1905)建設家畜の飼料を作る耕耘部という部署の倉庫として建設。四階倉庫と連動して使用。反対側で、写真が良く撮れなかったが・・・。6.四階倉庫大正5年(1916)建設木造4階建ての巨大倉庫。家畜飼料となる穀物類乾燥庫として建設。電動昇降機が設置されている。8.玉蜀黍小屋一牛の飼料となるトウモロコシ(デントコーン)の乾燥・貯蔵用に建設。現在は、木材乾燥用に使用。奥の土台の方が狭くなっている建物10.トウモロコシ小屋三大正5年(1916)移築トウモロコシの乾燥・貯蔵用。四階倉庫建設の前後とみられる。写真は撮れなかったが、この左手に11、玉蜀黍小屋四玉蜀黍小屋三と同じ形その後ろに9、玉蜀黍小屋二明治末ごろ建設。屋根の上にまた細めの屋根がある。
2018.11.19
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朝食の事など気にもしないで、昨夜もぐっすり眠た。目が覚めて、カーテンを開けると、朝日が眩しい!!!今日も最高の一日の始まりだ。パステルカラーの朝焼けに霞む八戸の山々。パンだけでも貰って駅に行こう、とダイニングエリアに行って見た。食事は賄のおばさんたちが、運び込んでいるところだった。そして、既に沢山のお年寄りの列が出来ていた。まあ、カズ姫も向こうから見たら、お年寄りに見えるだろうが・・。自分の顔は見えないからいい気なもの。で、もう6:30am。アメリカ感覚でパンだけでもと言った我々の期待は裏切られて・・・ロールパンや、クロワッサンや、全粒パンやそんなものを期待していたが・・・。パンは、隅に置いてあって、食パンとマーガリンだけ。それでも、と誰よりも早くパン目がけて移動。そうしたら、そこに並んでいた人の視線が我らに集まった。パンを用意しておいたビニール袋に入れようとすると、部屋で食べちゃいけないんですよ!と鋭い声。ひるまず・・・。済みません、新幹線が6時40分発なので、皆さんとご一緒に美味しいお食事出来ないので、パンだけでもと思って・・・。人々の顔にそう言う事ならと言う笑顔が浮かんだ。カズ姫はホッとして、食パン何枚かを袋に入れた。すいませんと言いながら、急いでホテルを出て、駅に向かった。今朝は、盛岡で乗り換えなので、駅弁とか食べて居られない。それでもと思いコンビニで買っておいた🍙とさっき攫ってきた🍞をさっさと詰め込んた。そしたら、もう盛岡。大鉄瓶と言うのが目についたのでパチリ。重さが、330キログラムとは!!新幹線から、JR田沢湖線と言うのに乗り換えた。時間は、十分あったのに・・・なんの?先をお楽しみに。盛岡から小岩井駅まで二駅。ああ、もう、小岩井駅だ。八戸ではあんなに晴れていたのにね・・・。だって、あれは違う県だもの。それもそうだね。新幹線が速いから、そんなに遠くまで来たって感じしないね。天気はどう?え!!濃霧注意報だって!!やった~。何て附いているんだ、我らは。牧のあさ~のきり~の海♬(^^♪車窓から見える景色も、歌の通り。霧と言うだけでなく、濃霧注意報まで出ているなんて。わくわく、ドキドキ。濃霧の日は、晴れることを知っているカズ姫、ルンルン気分で・・・あっと言う間に霧深い駅に。小岩井駅のフォームに降り立った。今乗っていた電車を見送って・・・。そこで、あ~~~!!盛岡駅でコインロッカーに荷物入れてくるの忘れた!今まで、どんな小さな駅にでも、コインロッカーはあったから、ここにもきっとあるよ。そうだね。キョロキョロして見たがそれらしいものは無い。ない~。駅員さんに聞くと・・・。いかにも申し訳なさそうに・・・。小さい駅なものですから、場所もなくて、コインロッカーは無いんです。我が娘の引いているキャリーオンを見ながら、済みません。そう言う事なら、大丈夫、引いていく。さあ、行こう。まさに、宮沢賢治が詩・小岩井農場で表現していた通り、つつましく肩をすぼめた停車場だった。駅前通りも霧に霞んで・・・。賢治が下りた停車場でおり、歩いた道を我らも歩むのだ。左側の道を上って行く。小岩井農場の詩の中の一節がきれいな黒い石に刻まれていた。駅前通りをここで、右に曲がり・・・。小岩井農場に向かう。ゴロゴロゴロとゴロゴロを娘は引っ張りながら・・・。ゴロゴロゴロ♪♬カズ姫はご機嫌。牧場の朝作詞:杉村楚人冠、作曲:船橋栄吉1 ただ一面に立ちこめた 牧場の朝の霧の海 ポプラ並木のうっすりと 黒い底から勇ましく 鐘が鳴る鳴る かんかんと2 もう起き出した小舎小舎(こやごや)の あたりに高い人の声 霧に包まれ あちこちに 動く羊の幾群(いくむれ)の 鈴が鳴る鳴る りんりんと3 今さし昇る日の影に 夢からさめた森や山 あかい光に染められた 遠い野末に牧童の 笛が鳴る鳴る ぴいぴいと《蛇足》 昭和8年(1933)、『新訂尋常小学唱歌(四)』に発表。 作詞者は長い間不詳とされてきましたが、現在は、朝日新聞出身の文人で名随筆家として知られた杉村楚人冠(そじんかん)というのが定説になっています。 船橋栄吉は声楽家。 明治40年(1907)、福島県の元御料牧場・岩瀬牧場がオランダからホルスタイン13頭を輸入した際、友好の印として鐘が贈られてきました。その鐘が鳴る牧場の朝を杉村楚人冠がエッセイに書き、また詩に表現したものとされています。霧に霞む小岩井農場のサイン。たまらなく素敵。濃霧が蜘蛛の糸通りについて、これもまたたまらない。素敵な濃霧のネックレス。小岩井農場まで、5キロ。賢治もこの道を歩いたのだ。歩道も、舗装だれていたので、娘は、これなら問題ない。と、さっさと歩いて行った。草の中の道かと思った・・・。あのフクロウさんも目をまん丸くして、頑張って❢❢ホーホー。ほーい。小岩井橋の下には、澄んだ小川が流れていて、魚たちが素早く泳ぎまわっていた。霧も大分晴れて来たようだ。もう2キロ歩いた。あと3キロ。賢治の詩にも出てきた、小岩井農場本部のサイン。3 今さし昇る日の影に 夢からさめた森や山 あかい光に染められた 遠い野末に牧童の 笛が鳴る鳴る ぴいぴいとまあ、笛は鳴っていなかったが・・・。歌そのもの。とても牧歌的!!!
2018.11.18
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この川は随分川幅も広く、素敵な川だ。川辺には、遊歩道も付いている・・・。今は、南リアス線、北リアス線と別れているが、来年の3月23日からは、三陸鉄道リアス線と一本になるわけだ。そうなっても、絶景では停まって観光案内をしてくれるのだろうか・・・。この駅の向こうも海。もう大分暗くなってきたので、はっきり撮れない。でも、こんな感じで、海が見えたり隠れたり。反対側は稲刈りの済んだ田んぼ。この分だと、明日はいい天気かも・・・。そうこうしているうちに、久慈に着いた。同じホームに、JR八戸線八戸行の電車がもう来ていた。寒くなったし・・・。早く乗ろう!綺麗な電車!!でも、相変わらず人はあまり見かけない。外はもうかなり暗い。このままでは、外の景色な全く見えない。ここから、カズ姫は黒いジャケットをかぶって、どうにか海を見ようと奮闘。娘に笑われながら、それでも、暗闇を見つめていると、暗い海、暗い砂浜に、波が寄せるのが見えて感激。それもあっという間。すぐに真っ黒い森になってしまう。奮闘の結果、2~3回は、夜の波打ち際が見えた。何処の駅だったか・・・。いわて銀河鉄道とすれ違った。やはり、ここはイーハトーブ。賢治の故郷だ。もう、海は見えないよ。線路が海岸から内陸に曲がっているもの。そう言われて、ジャケットを取った。ジャケットを被ったカズ姫は何とかモンスターみたい、と言いながら自分の携帯で写真を撮っていた。何かお腹空いてきた。じゃあ、盛岡で買った梨食べない?賛成。バスの中で食べたリンゴよりは少し小さめだったが、普通食べる梨に比べたらずいぶん大きい。二人で丸かじり。ジューシーで程よい甘さ。 さすが盛岡の果物。これ’はしかみ’?読めない。もうすぐ八戸。2時間も乗るなんて長いと思っていたが、もう八戸?青い森鉄道と言うんだ・・・何だか素敵。色鮮やかな可愛い八幡馬と。トラから顔を出しているが・・・。その後ろに、なんで風林火山の幟が???虎舞とあるが・・・。八戸三社大祭・・。で、なんでバックが武田信玄?未だに分からないが。この後、駅の近くのホテルに。チェックインしてから、カウンターでこの辺のレストランを聞いたが、何と、もうみんな閉まってると思いますよ、いう答え。え~。まだ8時にもならないのに!!。隣の居酒屋なら空いているかもしれませんが・・。え~。居酒屋なんかに行きたくない!!娘は自分のスマホで色々調べてみたら、駅のビルにあるレストランが開いていそう。 八戸では、せんべい汁!と娘。え~。それ何?私も知らない。食べてみよう。と言う事で、娘は、せんべい汁といかめし。カズ姫は、ネギトロ定食。でも、定食の味噌汁は+幾らかでせんべい汁にしてくれると言うので、ネギトロ丼とせんべい汁。野菜いたっぷりの熱々なスープにこれがおせんべい?と言うような円いおせんべい状のl物が半分に折って入っていた。我が、故郷甲州なら、郷土食ほうとう。八戸なら、せんべい汁と言ったところか。娘は、食べ物は全部自分の携帯で写真を撮っていたが・・・。カズ姫は食べるだけ。寒い地方の野菜たっぷりの温かスープはビーガンのカズ姫にもピッタリ。美味しく頂いてホテルへ。明日の計画を綿密に練って、おやすみなさい。このホテルだけ、朝食付きだったのに、明日の新幹線は八戸6:40am発。ホテルの朝食は・・・6:30amから。私は、5分で食べて5分で駅まで行くと言って娘は寝た。カズ姫にはそれは無理だなと思いながら寝た。明日も盛り沢山な一日。なんせ、明日の夜は、富山県高岡市に宿泊なのだから。
2018.11.17
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もうそろそろ終わりかな・・・。月宮殿と言うらしい。素敵な名前。ここで、娘ちゃん、摩天楼をもう一回見たいと言って、また奥へ入って行った。ちょっと待って、どこまで行くの??ここの事かもしれない。上までずっと亀裂が入って、まるでスカイスクレーパー。かなり初めのころ出した写真だが・・・。もう一回掘り起こしてきた。やっと戻ってきて・・・。もうそろそろ出口だ!!最後は、ハートの窓。この下に、水が流れているようだ。入り口が見えた。ああ、面白かった。また来たい。出て来たばかりなのに、次の事を考えてる娘。元気だね。若いっていいね。この龍泉洞から流れ出ている水を追ってみよう。ちょっとした素敵な散歩道になっている。ポーズを決めています。まさに渓流。川の音を聞いているだけで、心が休まる。あの橋から、大分下った所で引き返し・・・橋の上で、ツーショット。橋の上の方の流れ。世界有数の透明度を持つ、日本の名水百選にも選ばれている、龍泉洞の渓谷ともお別れして・・・。コインロッカーから、荷物を出して、今度は、幻の魚、岩魚の串焼きを買って腹ごしらえ。来た時は、ドキドキ…何がある?帰りは、本当に良かった!!また来るね。岩泉小本行きのバスを待つ。もうちょっと経ったら、紅葉も進んで、こんなに空いてはいないに違いない。今日の最後の冒険は・・・。
2018.11.15
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照明は結構暗い。水が透明なので、何だか吸い込まれそうで怖い感じがする。フラッシュを焚こうとしても、暗すぎてカメラが焦点を合わせられない。適当にシャッターを押して、シャッターが下りたら儲けものみたいな写真ばかり。でも、お陰で何となく様子が写っている。来ました。第三地底湖、水深98m。そう聞いただけで、身震いがした。娘の後ろが第三地底湖だが、照明が暗すぎて、見えない。スラッシュを焚くと、娘しか写らない。透明度は世界第二とか。暗くて、深い水があると思うと、とても怖い。振り向くとこの階段!!これ登るの???そしたら、このお知らせ。あなたなら行く?戻る?勿論カズ姫は、階段の手すりにへばり付きながら上った。真ん中の暗い所が、第三地底湖。まだ、まだ上る???。だから言ったでしょう。自信なかったら戻って!と。え~、こんなところに山ぶどうワインの貯蔵庫が!!!やっぱり面白くて、前に進みたい。フラッシュを焚くと、こんな岩肌が見えるが・・・。実際は、後ろ位の暗さ。あまりよく見えない。三原峠とあるから、この辺が一番高いのだろうか。一センチ伸びるのに、何年とかかかるらしい。暗いから、足元に注意しないと!!!ここから、下りの階段か!!下りの方が大変そう。娘は、すごく面白いとか言いながら、上りでも下りでもすいすい。どうみても、ビーナスには見えないけど・・・。或いは、どこにビーナスがいるのやら。でも、説明の一番下を見ると、その図が描いてある。ああ、そう言われれば、そんな気もするけど・・・。皆さんは、どう?半分は過ぎた。元の所に戻って来たようだ。いや、はじめのころ見たのは、長命の淵。これは、長命の泉だ!!!何処いるのやら・・・。
2018.11.14
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日本三大鍾乳洞?1 岩手・龍泉洞龍泉洞は岩手県岩泉町にある鍾乳洞で、巨大な地底湖が有名です。この地底湖の水は世界有数の透明度を誇っており、1985年に龍泉洞地底湖の水として、名水百選にも選定されています。2 山口・秋芳洞秋吉台は、山口県美祢市東部の秋吉台の地下に広がる鍾乳洞で、日本最大規模を誇ります。内部を1キロメートルにわたって地下川が流れており、その侵食により複雑な鍾乳洞を形成しています。3 高知・龍河洞龍河洞は高知県東部の香美市にある鍾乳洞で、国の天然記念物および史跡、日本の地質百選に指定されています。洞窟内から弥生式時や炉のあとなど、人の生活の痕跡が見つかっており、とくに放置された土器が鍾乳石に飲み込まれたものが「神の壺」と呼ばれ広く知られています。と言う事で、1、龍泉洞は今来ている。2、秋芳洞は行ったことがある。3、龍河洞は行ったことがない。日本三景も、一つ行ったことがなかったが・・・。それでは、龍泉洞の探検を始めよう。始めネットでここを見つけたとき、行きたい!と思ったが、盛岡からバスで2時間もかかる。往復4時間。ちょっと無理かもと、諦めそうになったが、憧れの北リアス線に近い事が分かり、それに、バスはJRと言うから復活。外も中々風情がある。龍泉洞橋。龍が守っているのか。橋の真ん中にこんな一角が。カズ姫は、ちょっとカッコ良く撮ろうとして、ハートの真ん中に立った。写真を見ると、目より上しか写っていなかった><それに恋人の聖地?関係ないか・・・。ここも娘に譲ろう。天然記念物龍泉洞の入場?入洞券を買って、コインロッカーに荷物を入れた。いい匂いがしてきたと思ったら、渓流の魚の串焼き屋があった。カズ姫は、豆腐田楽を、娘は、渓流の女王、ヤマメを買った。ヤマメはとても柔らかく、岩魚は少しそれよりかためと説明してくれた。おばさんに川で取れたんですかと聞くと、いえ、養殖です。と言う答え。ありゃー、聞かなければよかった!!洞内は10.4℃外気温は16.4℃洞内には何種類かの蝙蝠がいて、天然記念物に指定されているようだ。入り口だ。ここは貸し切りと言う訳ではなかった。人は結構いたが、この瞬間人は消えた。或いは消えた所を撮ったのか・・・。日本の名水百選に選ばれていると言う龍泉洞地底湖から流れ出る澄んだ水。同の入り口にも小さな社が。ちょっと怖いような・・・。今行ける所よりかなり奥まで続いているようだ。夕方になると外に出て、虫などを捕まえて食べて生きているそうだ。暗くて、写真も中々うまく撮れない。本当に蝙蝠でも出そうだ。綺麗な岩肌。照明も暗いので、フラッシュなしでは写真は撮れない。フラッシュを付けると、そこだけが明るくなり、全体がよく分からない。でも、確かに淵が有る。亀岩。これは何だか分かるような。赤い涎掛けと帽子が有るから分かるが・・・。音無しの滝。感じは出ている。実際見たときは、どこが獅子なのか分からなかったが・・・。こうして、写真で見ると成る程と納得する。第三地底湖まで、洞は続く。い
2018.11.13
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昨夜は、親切なおじさんのお陰で、とても間に合わないと思っていた電車にも間に合って、盛岡駅に少し速く着いた。盛岡なら、じゃーじゃー麺を食べなくっちゃあ。と、娘。それ何?食べてみれば分かる。とそっけない返事。小、中、大とあって、我らは中にした。来た麺を見るとえらく大盛り。これじゃあ小にすればよかったかな・・・。初めてですと言うと、丁寧に食べ方を教えてくれた。テーブルの上には、ニンニク、酢、ラー油、醤油、練り味噌、からし等々、色々味付けするもの載っていて、自分で好みに味付けできるらしい。さっぱりしたのがお好きなら、ニンニクに酢。こってりがお好きならねり味噌にラー油。そして、全部食べ切らないで、少し麺を残しておいてください。最後にスープにします。麺は、腰の強い美味しい麺だった。結構食べられて、最後、麺はこのくらい残せばいいですか?とか聞きながら、スープにして貰う。最後の〆のスープも中々美味しい。全部食べてお腹いっぱい。ホテルは、駅から近く、おまけに部屋は結構広く、綺麗なホテルだった。コーヒーを飲みながら、岩手山を楽しみませんか?何て言う小さいチラシがった。8階のラウンジに、朝、セルフサービスのコーヒーやお茶が用意されていて、そこで、コーヒーを飲みながら、ゆっくり岩手山を眺めようと言う趣向だ。勿論、我ら母娘、行こう、行こう。それから部屋に行って、明日の計画を練った。オリジナルなら、明日は、小岩井農場と、龍泉洞、そして、北リアス線に乗って海を見ると言う計画だったが、バスの時間とか見ると、二つ行っていたら最後の海を見るころには、夜になって、真っ暗だよ!!と言う事で、小岩井農場は次の機会に。今日は、龍泉洞を見て、北リアス線に乗って絶景の海岸を見て、久慈まで行き、そこから、JG八戸線で八戸まで行き、そこで泊。計画はしっかり立てるけど、余裕,遊びもしっかり入れる。臨機応変。すぐにベッドに。ぐうすり眠れたようだ。朝、目が覚めた。まだ少しくらいが、カーテンをめくり、窓の外を見てみた。わー。岩手山が見える。車はまだライトをつけて走っていた。それからまた寝て・・・。起きた時には、岩手山の頭には雲がかかっていた。ここは七階。八階まで行かなくても見えるね。でも、美味しいコーヒーとか有るよ。と言事で、8階に行ってみる。眺めはほぼ同じ、でも、岩手山の雲はもっと厚くなっていた。お茶やコーヒーはセルフサービス。ゆっくり景色を眺めながら、モーニングコーヒー。男の人が一人来たけど、すぐに行ってしまった。大きな鏡が有ったので、娘とツーショット。上空は良く晴れていて、きれいな秋の空。9度C になるかもなんて、テレビで言っていた。新幹線、あれはこまちだ。この川は、北上川の上流らしい。この広いホール貸し切り。いい景色を堪能して、さて、身支度をして、・・・。歩いて、3分の盛岡駅へ。でんでんむし?市内ループバスだろうか・・・。まず、龍泉洞行きの切符を買い、バス乗り場を確かめた。このバスは、2時間掛かるがJRバスなので、運賃は払わなくていい。盛岡駅に行き、明日の新幹線の指定席の予約をして、おにぎりを買った。広場の真ん中で、産地直売所見たいなところがあり、元気のいいお兄さんたちが売っていた。リンゴ、世界一。わー、でかい。こんな大きいリンゴ初めて見た。顔くらいある。でも、旅の途中こんな大きいの食べられない。と言う事で、其れより一回り小さいと言っても、ふつう買うより凄く大きいリンゴと梨と柿を買った。全部で250円でいいよ。有難う。いよいよバスに乗り、龍泉洞に向けて出発。大分 山に登ってきた。盛岡盆地だろうか、その向こうに山が見える。バスは今度ん高度を上げていく。紅葉もちらほら始まり、綺麗な山道を行く。説明をしてくれたが、何の湖か忘れたが、とてもきれいな湖だった。沢山のトンネルを通って、山奥に入っていく。ちょっと、トイレ休憩が有ったが、外は、13℃。結構寒い。途中でさっき買ったリンゴにかぶりつく。二人で食べて丁度いいくらいだった。本場のもぎ立てリンゴ、ジューシーで甘くて最高!!沢山のトンネルを抜けて、綺麗な渓谷に出た。この辺で、柿を食べる。柿も美味しい。周りの山も、渓谷もとても美しい。バスの料金表がいっぱいになった。と思ったら・・・日本三大鍾乳洞龍泉洞の看板が見えた。
2018.11.12
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朝からあるき通し、結構疲れている。でも、賢治の詩碑は見逃せない。今日最後の目的地。歩いていると、豊沢橋と言う新しい橋が目の前に現れた。前は、ずっと回っていたけど、この橋が出来たのなら真っすぐにけばいい。と娘。ああ、助かった。橋の欄干鵺を見て驚き!!銀河鉄道だ。6,7人の生徒らが、口笛を吹いたりわらったりして、めいめい烏瓜の燈火をもってやって来るのを見ました。銀河鉄道の夜の一節が刻まれていた。これだけで素敵な絵!!!豊沢川は、傾きかけた日に眩しく輝いていた。鷺が一羽川の流れを見ていた。同心町の事も書いてある間違いなくこの方向!!綺麗な蝶が、ふじばかまの花に止まって歓迎してくれているようだだった。有難うちょうちょさん。この案内図をネットで見ていたので、これには入っていない、花巻農業高校内に移された、羅須地人協会の建物についてもう少しで見落とすところだった。でも、この地図で、賢治の詩碑に近い所にバス停が有る事が分かっていた。ああ、もう少しだ。あと一キロ。この道を真っすぐに行くと、女の人が犬の散歩をしていたので、賢治の詩碑はこっちですか。と聞くと、さっきの所を曲がるのが一番近いかもしれませんね。一緒に行きましょう。と犬と一緒に案内していくれた。次の角を左に曲がれば、詩碑にいけます。と、自分は、犬と一緒に元来た方に引き返していった。有難う御座いました。深く頭を下げる。と、まず目についたのが、同心屋敷。さっきの賢治の大三差路の説明に有った、同心家屋。われらは、賢治の詩碑が気になって、帰りにしっかり見ようと、先を急いだ。バス停がそこにあることを確かめ、左に曲がると、賢治文学散歩道と言う石碑が見えた。・・・・云はなかったが、われは四月にはもう学校にいないのだ恐らく暗くはげしいみちをあるくだろう・・・告別(1925,10,25)より抜粋春 1926,9,2陽が照って鳥が啼きあちこちの楢の林もけむるとききちきちと鳴る汚い掌をおれはこれからもつことになるメトロノームとチェロのモニュメント
2018.11.10
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北上川の土手から降りて、市内に入る。日本中、地方の町は何処も過疎。人はあまり見かけない。賢治の故郷花巻も然り。昔は、この辺はメインストリートで、にぎわっていたが・・・、今じゃあ・・・。と話してくれた人もいた。そんなことは、どこ吹く風。銀河鉄道は健在。あちこちにある、賢治のキャラクター。賢治の広場と言うから、外にあるのかと思っていたので、一回ここを通り越してしまった。無いね~。でも確かに賢治の広場と言うサインは見た。あれがそうだったのかも!!とちょっと戻って、今度は中に入る。まず迎えてくれたのは、風の又三郎の教室。周りには、賢治に因む興味深いオブジェクトがいっぱい飾られていた。お姉さんが出てきて、コスチュームも色々ありますよ。勿論、我が娘ちゃん、はーいと元気に手を上げて。賢治のオーバーコートを着て、帽子をかぶって・・・。髪の毛の青い、にわか賢治に成りすます。でも、やっぱり結構決まってる~。こんな簡単なポーズでも、いや、嫌簡単なポーズだからこそ難しいと言う事を、羅須地人協会の賢治の像の前で知ったので、コスチュームを付けてなんてとんでもない。と、カズ姫は固く辞退。じゃあ、賢治さんと一緒に。とお姉さんが案内してくれた。この像は、賢治が下の畑で取れた野菜などを、賢治の童話に出てくる動物や子供たちと、町に売りに行くところだとか。コスモポリタンな賢治、青い髪の賢治もすんなり受け入れてくれたようだ。後ろのリアカーには、花や野菜。タヌキやネズミ?村の子供たちがお手伝い。いかにも賢治らしい一場面。周りの壁には、賢治童話の一場面が展示されていた。雪渡りとても可愛かったし、下には線路。銀河鉄道だろうか。うちのボスは、いろいろ外国にも行っているので、外国からの方とお話大好きです。でも、誰かとお話し中ですね~。我らも、賢治の広場についてもっと聞きたかったし、お話もしてみたかったので、コスチューム着たりしながら少し待ったが・・・。我らもこれから、まだまだ賢治の足跡を拾わなければならないので、お礼を言って出てきた。産湯の井戸まで徒歩でほんの5分くらい。公開日時は、8月いっぱい。今は、10月、だめだね。でも、ちょっと見えるね。何て言いながら、またも、ぐずぐず、うろうろ、のろのろ・・・。あの自動車が止まってるんだから、誰かいるよね。昭和12年ごろの宮沢商店の門は、少し近代的になっているが、同じ構造だ。中の方は、全く古いままの様だ。それに車が同じようなところに止まっているとは。奥に井戸も見えるね。ちょっと覗きたいけど、この門より入ったらいけないね。ぐずぐず・・・。先の古い宮沢商店とフェイスは違っているが、全く同じだ。すると娘が、言った。「今だれか、このお店から出て、向かいのあのお店に入って行った。」カズ姫は、娘と話していたので反対側を向いていたから、分からなかった。呼び止めればよかった!!そこで、まだぐずぐず。すると、向かいのお店から人が出てきたので、こちら側の店に入る前に、今度は、空かさずカズ姫が呼び止めた。「すみません。ここのおうちの方ですか?」「ええ、そうですが・・・。」「実は、賢治さんの産湯の井戸を見たかったのですが・・。時期が悪くて申し訳ないのですが・・。ちょっと写真だけでも撮らせて頂けますか。」どうぞ、どうぞ!!思いのほか、大歓迎と言った口調。と言事になり、門をくぐって賢治の井戸のそばまで行った。後ろには、古い脱穀機が有り、その上にはフクロウさんが・・・。舞台装置は満点。井戸端に桶も置いてあるし・・・。でも、これだけなら、井戸には今でも水はあるのか・・・。今でも使えるのか・・・。また、ぐずぐずしていると・・・。画像制限!!続きは、また明日。
2018.11.07
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北上川の川岸をゆっくり下って行く・・・その時は、確かに北上川を歌った歌が有るとは思っていたが、全く思い出せなかったが、音楽や花、文学など多方面にわたって造詣の深い長いお付き合いのリュウちゃんさんが、<「北上夜曲:和田弘とマヒナスターズ・多摩幸子>北上夜曲を紹介してくださった。匂い優しい白百合の 濡れているよなあの瞳 想い出すのは想い出すのは 北上河原の月の夜 始めの部分を聞いただけで、すぐに思いだした。そして、この辺に来て、幾つかの説明が書いてあったので、色々納得。銀河鉄道の夜の生まれ場所だ!!!以前のイギリス海岸は、乾季には、こんな様子で、確かに白い川底が、いかにもドーバー海峡の白亜の海岸を思わせるのだった。今では、ダムが出来たり、川底が低くなったりしたので、乾季になっても、こうは見えないらしい。9月の賢治祭には、国土交通省や市等が協力して、水量を調節し、イギリス海岸の出現を試みているそうだ。過去4回出現に成功しているそうだ。なるほど…。これで、カズ姫の???可なり解決。長閑な、イギリス海岸の立て札。1970年代のイギリス海岸は、こんなだったのか・・・。川岸の道をのんびり川下に向かって歩く。カモたちも楽しく戯れていた。川岸の道はここまで。右に折れ・・・。土手まで上がってくる。今度は、土手の道を歩いていく。沢山の鳥たち、深い森。この橋が国道に続いている。暫く、北上川とはお別れ。市内に入っていく。
2018.11.06
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あと400メートル。憧れのイギリス海岸。あら、あら・・・こんな可愛い停車場が!!!賢治の国だ!!何処に行っても、八幡宮。深い杉の森。いかにも神仏に守られた国と言った感じ。しっかり案内図を見て、間違いなくイギリス海岸にたどり着きたい。瀬川と言うんだ。北上川の支流だ。賢治風なドッテテドッテテいいな~。ちょっと小さくて文字が読めないので、拡大。そう言う事。この時はしっかり読んでいなかったので、どこがイギリス海岸??の???ばかりだったが・・・。イギリス海岸の石柱。この飛び石橋を渡らないとあっち側にいけない。結構急流。でも、子供がお父さんに助けてもらいながら渡っていた。カズ姫も頑張って渡った。ぴょんぴょんと跳ねて渡ってしまった。何だか止まり切れないで落ちたらと言う恐怖が・・・。せせらぎを見ながら、階段に座って、おやつを食べた。沢山の魚が、急流を泳ぎ上っていた。途中流されたりしながら・・・何度も何度も試みていた。ここで、大騒ぎ。このトンボ、お母さんの頭から離れない。と娘。何時までも魚を見ていても仕方ない、と歩き出しても、まだ止まっている。ちょっと離れてもまた舞い戻ってくる。北上川の畔をトンボを頭の上に連れて歩いたなんて絵になる?成らない?瀬川と北上川の合流地点。え、此処がイギリス海岸??この小さい砂浜が???でも、北上川本流の方は波が荒い。だから、イギリス海岸???ちょっとした浅瀬では、魚が急流上りを楽しんでいた。ああ、何とゆったりとした北上川。確か北上川の歌が有ったと思うけど・・・全く思い出せない。娘に、こう言うのを滔滔と流れる川と言うんだよ。と教えた。ヨセミテ国立公園のハーフドームを目の前にして、「筆舌には尽くし難い」と言う言い回しを教えた。筆は、鉛筆とか毛筆とかですぐ覚えたが、舌(ぜつ)と言うのは難しい。でも、流石はアメリカ生まれ、筆ベロと宣った。確かに。意味は分かっている証拠だ。白鷺も羽ばたいて・・・。豊かな水を湛えて滔滔と流れる北上川。で、イギリス海岸は???つづく
2018.11.05
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羅須地人協会を後に・・・。国道に出た。前から団体さんのグループがやって来る。見ていると、花巻農業高校の門の中に入っていた。ガイドも付いていたから、きっと、羅須地人協会を見学に行く人達だろう。ここでも、羅須地人協会は、我ら母娘の貸し切りだった。ここを左に曲がれば、さっきの羅須地人協会の裏側の門。空も、雲も、山も森も家々も野原もみんな美しいイーハトーブ。茂った緑、遠い山並み。農地。きっと農業高校の管理下にあるのだろうか・・・。行くときは、随分遠かったように感じたが、帰りはあっという間。下りたバス停の所に着いた。二枚橋と言うバス停だ。二枚舌でなくて良かった!!反対側に行くバス停を探して、近くのゴルフ場のきゅおけい所のようなところで、軽くランチを食べた。すぐそばに、追分の碑と言うのが建っていた。この碑の反対側に、帰りのバス停はあった。こういうちょっとした歴史的建造物があちこちにある。境橋と言う橋を過ぎて、待っていると、ごとごと田舎のバスがやってきた。イギリス海岸に行くのに一番近いバス停は何処ですか聞くと、イオンモールだと言う。じゃあ、そこで降ろして下さいねとお願いしておいた。イオンモールで降りて、イギリス海岸の方向を聞いて、スタスタ歩き出した。と右側に、あれ何?公園のように見えるけど・・・。行って見る?行く行く!!橋を渡って・・・わー、長い階段。行く?行く、行く。登り切ったら、菱櫓跡。菱櫓と言うのは、平面が菱形の建物で、死角を無くし、視野を大きくする効果が有ったそうだ。金沢城公園には、実際の菱櫓が残っている。色々な跡が残っていて、ここは、本丸の井戸だた所。門は、修復されていた。内装もしっかりしていた。塀には、四角や丸の穴が開いていて、敵の襲撃に備えてあった。鉄砲は持っていなかったが、カメラで狙って討った。見晴らしも抜群。飛び入りの花巻城跡にもお別れ・・・さっきの階段を降り、通りに出ると・・・。青空に映えるコスモス。乱舞する野菊。たわわに実った柿と、秋の風物詩オンライン。気持ちよく歩いていくと・・・ありました。今日の第二のお目当てのサインが!!!
2018.11.04
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一日の画像登録制限が有るとは知らなくて、昨日は何回も同じことをしてしまった。下の畑の黒板の傍に立って。娘ちゃんも写っている!!賢治の積りで、チョウクで黒板に書いております。この様に覗くと・・・中が見える。ここは、学生たちや農民を集めての講義室・音楽を聴いたり演奏したり・・・。賢治や若者たちの文化への、芸術への熱い思いで満ちていたことだろう。突き当りは賢治が自炊した台所だろうか。二階に上がる階段も手前にある。和室。居間と書いてある。立ち入り禁止とあるから、時間帯が合えば、きっと中にも入れたのだろう。ぐるりと一回りしてきた。この柵から出たところに・・・。われらに要るものは銀河を包む透明な意思巨きな力と熱である宮沢賢治心に染みる賢治の詩の石碑。後ろ側を通り・・・羅須地人協会、全体像を収めて。また逢う日まで。賢治の思いを心にしっかり刻んで。
2018.11.02
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2~30分はバスに乗っただろうか。バスの中で、強い気を感じて感動の渦に浸った。まるで賢治の霊に導かれているような・・・。バスの運転手さんも親切で、二枚橋と言うバス停で止まってくれ、どの方向に行くか、帰りのバス停は何処かなど親切に教えてくれた。バスを降りて、その方向に歩き出すと、背高ノッポの高校生のお兄さんが、しっかり案内してくれた。目指すは、賢治が理想郷を目指し、独立独歩の自炊生活をしていた羅須地人協会。国道沿いのすすきの茂った素敵な道路。賢治の愛してやまなかった。花巻の農村風景。畑や田んぼ、森や林、野原、透き通った空気。秋の青空。賢治の世界だ。賢治先生の家と言うサインが有ったのでそこで曲がった。確かに、それはあったが・・・。鉄の柵についている鉄の門は閉まっている。鍵もしっかりかけてある。学校にお問い合わせ下さいとあるから電話してみた。呼べども、呼べども、ただ呼び出し音が鳴っているのみ。今日何曜日?土曜日!!土曜日の朝の高校、誰も出ないはずだ❢❢二人で大笑い。こんな時でも、われらみーはー母娘は、凹まない、落ち込まない。ここからでも、見れただけラッキーだよ!有難う。と感謝を忘れない。飛び切りの笑顔で写真を取ったり・・・紅葉がきれいでラッキーだと喜んだり・・・。下の畑の黒板の写真も取れた。と大いに感謝しながら、うろうろしながら・・・。このサインの後ろに写ている車の方まで写真を撮りに行った。すると、車の持ち主が戻ってきた。ここって、今日は入れないんですか。いや、入れるよ。でも、鍵が掛かってますけど・・・。ああ、さっきの大通りをもっと先に進むと、そこから入れるよ。そうなんですか!!有難うございました。我らは、喜び勇んでそっちの方に歩いて行った。この、うろうろしているとか、もたもたしているってすごく大事。そのお陰で、ピンチを救われること多し。ありました。岩手県立花巻農業高等学校。前身は、かって賢治が先生をしていた、花巻農学校。立派な校門が有り、横の方は開いていた。校舎も立派だ。色々な高校の施設が有ったり・・・。あった~。羅須地人協会。さっきは後ろからよく見て来たが、今度は、正面から入れる。賢治が、農学校の教師を辞め、ここ、祖父の隠居所として建てられたこの家で、百姓を始め、理想郷を求めた家だ。賢治のあの有名な俯き加減の像と羅須地人協会の家。こういう時、すぐに演じてしまう娘。それが結構様になっている。実はカズ姫も同じポーズを演じてみたが・・・。これがなかなか難しい。全く様になっていない。何時ものように、ただ立っているだけで許してもらう事にする。賢治は、生き物はみな兄弟であり、生き物全体の幸せを求めなければ、個人のほんとうの幸福もありえないと考えていた。しかし、単に理念としてそう考えただけでなく、山野を歩き生き物や鉱石、風、雲、虹、星との関わりのうちに、しばしば我を忘れて没入する人だった。賢治はそうした自然との交感に至福を見いだしていたし、賢治の文章の豊かな活力の源泉も、そうした森羅万象との交感から得たエネルギーにあった。宮沢賢治とは誰かThere is no individual happiness before the whole world is happy (From "General information on farmers' arts")青空の下、世界の平和を願ってピースサイン。娘ちゃんも幸せそう。家と、井戸。このサインを、読んで頂きたい。不思議なこともあるものだ。始めは、賢治の詩碑が建っている、本当に下の畑が見える、そのオリジナルな場所に今でもあるのかと思っていた。でも、案内所でここにあると聞いて、ここに来た。この文字は小さくて読みにくいが、たぶん、同じような事が書いてあるようだ。ここまで、画像登録をしたら、本日の登録許容範囲を超えていますと出て、もう画像登録はできなかった。続きは明日。
2018.11.01
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昨夜は、北上のホテルに一泊。花巻に泊まりたかったのだが、花巻駅付近にはホテルが少なく、花巻温泉まで行かなければならなかったので、二駅手前の北上に泊まることにしたのだった。?。JR北上駅まつり?それも今日13日!!ミーハーなカズ姫、何が有るんだろうと興味津々。しかし今日の花巻を犠牲にするわけにはいかない。とてもいい天気だ。1~2両のローカル線に乗って・・・。また、日本の一番素敵な風景の中の人となる。わ~~、素敵な名前の駅。思わずシャッターを切った。そうしたら、もう花巻だった。そして、「むらさきの」って、村崎野と書く事が分かった。紫野だったら素敵だなと思っていたのだが・・・。花巻駅の駅長さんのお出迎え!!ミーハー母娘、かわるがわるに顔を出し、ホームの上で暫く楽しんで・・・。方言でのお出迎えにほっこり。JRでも仙石線の様な従来からローカル線だった駅とは違い、過ってのメインライ、東北本線の駅は、田舎の小さな駅でもすっかり改装されて、モダンなたたずまいを見せていた。駅前の彫刻。旅行案内所は、9時から。あと15分。おにぎりを買ったり、駅の売店で、賢治の「注文の多い料理店」のマグネットを買ったり・・・。持参の賢治の本にスタンプを押したり・・・。うろうろしているうちに9時になったので、案内所へ。かなり事前調査はして来た積りだったが・・・。他に、どこか賢治の所縁の地は有りますかと念を押して正解だった。少し遠いんですが、羅須地人協会がここにあります。え、あの下の畑の!!あの下の畑のそばに今でもあるものと思っていたが、今は、違うところに移されたようだった。バスの時間表をくれ、親切にバス乗り場や、下りる場所を教えてくれた。予定には入っていない所だったが、まず、バスでそこに行ってみることにした。荷物をコインロッカーに入れて、バス乗り場に行くと、バスは丁度出るところだった。これ以上ないという程の素敵な天気の日だった。
2018.10.31
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さっき小石が積み上げてあったお堂の横に細い道が下に降りていたが、きっとそこを降りたらここに出たようだ。こんな堂々としたサインが有るのに・・・。やっと能楽堂の正面入り口が見つかった。これは、釈迦堂か・・・。最後に地図を見てそうかなと思う。セコイアナショナルパークの巨木セコイアを思い出す。関山の杉。平らかな池の水は、心が休まる。白山神社能楽堂。やっとたどり着いたようだ。横からの眺め。丁度松の根元に日が当たっていた。幽玄な世界の入り口か・・・。能舞台の素晴らしい松の絵!!!松の太い根元に日が当たって何とも素晴らしい図になった。能舞台全景。花道と言うか・・バックステージに通じる道・・・そこに書いてある通りに、正しい方法で身を清め・・・さらに茅の環潜りをしてお参り。兎年のウサギ。山の上(関山)は見晴らしが良い。最後に讃衡蔵の国宝を沢山見て深い感動を覚えた。文化財の紹介塔の曼陀羅図は、全て写経で出来ているのが、実物ではよく分かった。ただただ驚き。心を惹かれながら、帰路に・・・。本堂。来るときは、法要を営んでいたようで、素通りしたが・・・。ご本尊様もしっかり写真に収めた。また、月見坂を下ってさらば、中尊寺!!!心躍る、沸き立つ、それでいて、静かな時間を有難う。最後に中尊寺境内マップを
2018.10.29
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中尊寺は、源義経のファンでもあるカズ姫には、一度は訪れてみたい所だった。今では世界遺産にも登録され、脚光を浴びているようだ。中尊寺駅前からるんるんループバスに乗ること10分。中尊寺のバス停に着いた。見上げると、結構上り坂!。キャリーオンをゴロゴロしている娘は、え~、此処を上るの???と、どこかからおばさんが現れて、そこのお店に預けていくと良いよ。往復4里はあるよ。娘は、良いよ、これ持って上る!!そう言ってますから、ご親切に有難う御座います。中尊寺の券は、此処で買うんですか。上で買えます。でも、よく見るとただの坂ではなく、階段になっているところもある。やっぱり預けていく。お店の人は、快く預かってくれた。身軽になった娘は、すいすい上って行く。もう、帰る人も多いと言うのに。杉の巨木に気を感じながら、快い森林浴をしながら上って行く。月見坂と言うらしい。平泉の町が一望できる。見晴らし抜群!こういうの全部見たいなと思いながら・・・。こういうのだけは、ちゃっかり顔を出して。両側に小さなお堂が沢山ある。やっと着いた中尊寺。門構えも立派だ。真ん中に緑鮮やかな松が。本堂の中では、何か法要のようなものが営まれていあので、そのまま通過。何処を取っても絵になる素敵な風景。讃衡蔵ここでチケットを買い、まず金色堂へ。それはそれは、目も眩むほど眩く、それでいてブルーの貝の柱が優雅で、何時までも見とれて居たいくらいだった。でも、残念ながら、写真厳禁。中尊寺金色堂↑必見❢❢この門は何だったか・・・。確か能舞台を目指していたが、プチ迷子になり、ちょっとうろうろしてしまった。これらの小石は、何のために積まれたのだろう・・・。みんなこの辺で迷子になるのかな。賽の河原でもあるまいし・・・。
2018.10.29
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本日3か所目の平泉・中尊寺に向かう途中の電車、人々、風景。同じ東北本線なのに、乗り換えが2回?始めは訝しく思っていたが、遠距離は、新幹線で早く、東北本線は、ローカル線として機能しているようだ。そんなことを思っていると、目の前に線路の終わりがこんな形で!!!いかにもローカルな感じがして、とても気に入った。それなのに、スピーカからは絶えず小鳥の鳴き声の録音が流れていた。やめてほしいな~。線路わきの景色。いかにも日本の鉄道と言った感じで、思わず頬擦りしたくなる。小牛田まで行きそこからピストン。小牛田で乗り換えと言っても、同じホームで、乗り継ぎ時間も便利に出来ているようだ。この後、窓からの景色から目が離せない。お寺と、お寺の竹やぶ。懐かしい風景だ。刈り取られた稲と田んぼ。点在する小さな部落・・・。この素晴らしい長閑な日本の風景。今、NYで反原発展をしている最中だが・・・。線量は大丈夫なのだろうか。まだ何も解決していないのに、まるで、もうなかったような感覚で忘れ去られようとしているのか・・・。カズ姫は、この展覧会に搬入して後は日本に来てしまったが、NYの日本人コミュニティーの新聞にも、山梨県の景色を見慣れていると、山が見えない景色って、とても珍しい。日本の穀倉地帯。広々とした平野と、豊かな水源。まだ刈り入れも終わっていない田んぼもあって・・・。とても長閑で素敵な景色。ゆったりとした河川。これらの川は、北上川の支流の様だ。どの景色も、余りに素敵すぎて、没に出来ない。ノンビルとした乗客。でも、あの新幹線の混みようから見ると、あまりに乗客が少ない。遠くに山々も見えてきて・・・。自分で、ボタンを押してドアを開けて降りるとは知らなかった。下りたら自分でドアを閉める。合理的だけど・・・。人が少ないのに驚く。マスクをしている人もいたが、これは、線量と関係が有るのだろうか。地道な活動だが、東京新聞にも、人々の平和な暮らしが、目に見えない所で脅かされていない事を切に祈る。中日新聞にも、記事が載ったらしい。この、取材を受けた日のクロージングレセプションにも、残念ながらカズ姫は日本滞在で出席できなかった。反原発と言う事で、中々会場なども貸してもらえなかったが、こうして、新聞社の取材を受けたり、少しずつ人々にも知られる様になってきているのは嬉しい。この写真は、ちょっとしたセルフポートレート稲刈りの終わった田んぼとにお。郷愁をそそられるが・・・。着きました。世界遺産平泉。娘ちゃんは早速お姫様に。駅も中々洒落ている。田舎の駅と言う感じではない・・・。ルンルンバスと言うのに乗って、中尊寺へ。
2018.10.28
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国宝瑞厳寺の9年かかった改装が丁度終わり、一般公開が行われていると言う。ここ松島には、沢山のお寺が有る。でも、海岸からとても近い、瑞厳寺一つに絞って、見学することにした。まだ、道の半分は、改装が終わっていないようだが・・・。歩いていくと、牛タン屋が。娘は食べるの大好き、仙台では、牛タン、牛タン、と言いながら、でも、仙台では牛タンを食べている暇もなかった。松島海岸駅に降りると、牛タンを食べさせてくれるレストランが沢山見えた。これから、平泉に行って、今日の宿泊地北上まで行くので、レストランでゆっくり食事と言う訳にもいかない。丁度いい、此処で、食べていくと言う事になり、500円の牛タンを目の前で焼いてもらう。ビーガンのカズ姫は、小さい一切れだけ味見。娘ちゃんはすっかり満足して、龍厳寺の山門をくぐる。本堂までの参道が真っすぐに続く。参道に並行して、こんな穴の開いた道も通っていたが、帰りに見ることにして・・・。参道を、さらに進む。大きな切り株の横には、新しい🌲の苗木が植えられていた。津波は、此処で止まったのか・・・。沢山の木々が被害に合ったのだろうか・・・。杉の大木を背に、可愛いお地蔵さまが。延命地蔵と言うそうな・・・。中門を隔てて、本堂が・・・。一般観光客は、この門はくぐらず、本堂には、横から入るらしい。やはり、津波の被害はこの辺の木々にはなかったのだろうか。鬱蒼と茂る杉の大🌲本堂への入り口。娘は、キャリーオンをごろごろしていたので、入り口の所で預かってくれた。修理を終わったばかりの、本堂の部屋部屋の襖絵は、本当に豪華なものだった。心の印画紙にはしっかり刻み付けてきたが・・・。でも、本堂内は写真厳禁。せいぜい、この立札の写真で気分を味わって頂きたい。裏側にも、横にも部屋が有り、どの部屋にも素晴らしい襖絵が描かれていた。墨絵の間とか菊の間とか・・・。それそれ出口と言うところに、石庭が有り、此処は外だから撮ってもいいらしく、みんな写真を撮っていた。中門を守る様に立派な杉の大木が美しくそびえていた。あの奥に、豪華絢爛たる襖絵の部屋が!!!帰りは、来るとき右側に見えた道を歩いてみる。どこかのグループにガイドさんが話しているのが聞こえてきて・・・。この岩のお部屋では、僧侶が座禅を組んだらしい。上にある部屋に入る僧侶程身分が高いとか・・・。その前には、千手観音とか色々な観音様やお地蔵さまがおわした。参道と同じ長さで、すっと続いていた。山門。いつも思うのだが、もっと時間が有ればと、心を残しながら、外に出る。この道の右側は、松島湾。左側には、レストランやお土産物屋が並んでいたが、我らは、JR 東北本線、松島駅を目指してスタスタ歩いた。25分ほど歩いただろうか・・・。目指す松島駅が。さっきのJR仙石線の松島海岸駅に比べたら、随分モダンな感じがする。古いポストが何とも言えない。公衆電話も結構見かける。
2018.10.27
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雨も上がり、そのまま歩いていくと、沖に浮かぶのと同じように優雅な小島に 瑞厳寺・五大堂が見えてきた。この橋は、透かし橋と言って、下の海が透いて見える。心を引き締め渡、清い心でお参りできるようにしたものらしい。今は、観光客の為に、板が渡してあるので、安全だ。橋は、奥にももう一つある。雨も上がって、少し青空も見えてきた。五大堂からの松島も少しはっきりと色まで見えるようになっていた。小さな社。五大堂の本堂。水たまりも鮮やかだが・・・。もう傘はいらなかった。鬼瓦は、いつも興味あるオブジェだ。軒にも沢山の木の彫刻が施されていた。これを鳴らして、お参りもした。これは鶏だろうか・・・。干支の動物達だろうか、色々な動物が彫られていた。透かし橋は二つあって、これは、奥にある橋。ピースサインでポーズする娘ちゃん。
2018.10.26
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仙台駅(Sendai Station) to 松島海岸(Matushimakaigan) with JR 仙石線 / JR Senseki Line 松尾芭蕉日本三景仙台を出て、 仙台駅はとてもモダンな広々とした駅だった。ローカルなJR 仙石線に乗って子供の頃からのあこがれの地に向かった。松島海岸駅に着いた。今乗ってきた電車を見送って松島海岸駅の歓迎を受け・・・松島海岸駅のサインがまた素敵これ、交番だって❢❢❢松島の歓迎を受けて、お喜びの娘ちゃん萩の花が咲き乱れていて、思わずパチリ。色々古い建物や博物館等あって、ちょっと中に入ってみたい誘惑に駆られたが・・・。目的地目指して、さっさと歩いた。憧れの松島海岸。仁王丸の遊覧チケットの割引券をプリントアウトしてきたので、割安でチケットが買えた。さあ、これから、曇り&雨の松島湾一周仁王丸に乗船。観光案内付きの約50分の松島湾遊覧。湾内から、少し外洋にも出て、流石に日本三景の一つ美しい風景を満喫した。日本三景って?⁂松島(今いる)⁂天橋立(行ったことが有る)あと一つ何??調べて見ると⁂宮島(広島に行ったが、宮島にはいかなかった)下船すると、びちょびちょと雨。休憩所で少し休んでトイレに行ったりして出てくる頃はもう雨は上がっていた。休憩所から出てくると・・・お祭りでもあるのだろうか・・・。若武者と僧侶が談笑していた。カメラを向けるとポーズして花を添えてくれた。風光明媚な松島湾をバックに、日本三景松島の碑の前で記念証拠写真。
2018.10.25
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10月11日から17日まで、JRパスを使ってJR(新幹線を含む)7日間乗り放題の旅に出た。弟夫婦が駅まで車で見送りに来てくれた。中央本線小淵沢駅(Kobutizawa station) 向かい側は小海線ホームスーパーあずさ6号/Super Express Azusa 6(小淵沢発 8:44am 東京着 10:53am)はやぶさ19号 東京発 11:20 仙台着 12:52)と言っても、はやぶさでは2つ続きの席が取れなくて、こまちと言う秋田行の新幹線に乗った。仙台までは、はやぶさとこまちは連結していると言う!!。こんなの初めて見た!!!ホームの下りたところで、初めて出会う、ネット友達が待っていてくれた。ひしとハッグ。ご主人が車で待っていて下さり、ご自宅に向かう。お庭には、トマトや枇杷の木、ブドウ、キーウィ、アケビの蔓まで伸びていた。ブドウも、アケビの皮も美味しく、愛情たっぷり、見た目も美しく、最高のお味のビーガン料理をご馳走になり、弾む話。最後には、ゆでたてトウモロコシもご馳走になった。暫くの楽しい時を過ごして羨ましい程仲良しの素敵なご夫婦。雨の中、ご主人の運転する車で、青葉城に。仙台は、緑多い、落ち着いたとても美しい町だった。紅葉も始まっていて、風情を添えていた。雨も降っていたが、そのうちに霧も出てきて、何とも幽玄な、仙台城跡。かの有名なる、伊達政宗公像横から。正面から。何か、ぐっと睨まれているような・・・。その下で、雨の中、雨傘も鮮やかに3人で記念写真。この後、ご主人のガイド付きで、プチ市内観光。ここが東北大…。これも・・・。ご主人は東北大出身で、このビルも、あのビルもとよくご存じで、その大きさに驚いた。思わず、我がお茶大は、敷地面積は、本当に小さな大学だった事が脳裏を霞めた。小さな敷地に、幼稚園から大学まで。ご自宅に戻って、娘共々マッサージ施術をしてもらい、夕食までご馳走になった。最後は、ホテル・グリーン・マークと言う、当日、他は、駅に近い所は満杯で、やっと予約のとれた、しょぼいホテルまで送って頂いた。ホテルでは、明日の電車のスケジュールを綿密に立て、北上駅に近い所にホテルを予約して・・・。バタンキュウ Zzzzz施術したので、きっとよく眠れると思いますと言った友の言葉通り、二人とも、ぐっすり眠れた。
2018.10.24
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10月10日は、甲府で荷物の整理をし、アメリカに持って行くものは、クロネコヤマトで成田空港に送った。甲府から富士見高原への帰り、富士見高原の近くの、冷たい水が豊富に湧き出ている湧き水に寄ってもらった。昔、まだ父が生きていた頃は、よくここから冷たい美味しい水を取ってきたものだった。水が冷たくて、長いことを手を入れている事は出来ない。水は昔のように澄み切っていて、冷たく今でも、水はとうとうと湧き出ていた。夜は、近くのリゾートホテル主催のハローウィーンショーがあるので、甲府から甥の家族が可愛いパンプキンを連れて、富士見高原に来た。富士見の家から車で15分くらい。円柱の塔にプロジェクトしたショーは一時間ごとに15分。あとは、飾りを見たり、自分の仮装を見せたり見られたり・・・。家族で楽しんでいた。魔女が多いね!と思ったら、その辺のお店でレンタルしているようだった。娘ちゃんもお祭り大好き、結構楽しんでいた。スターは、何と言っても1歳半の甥の一人娘。お父さんも笑顔が止まらない。彼女がしている、ビブは、アメリカからのお土産。アメリカでは丁度ハローウィンの季節、沢山のハローウィングッズが並べられていた。娘曰く、日本じゃやらないよね。母:いや、最近じゃ、商売で成り立ってるようだけど。と言う事で、子供たちには、ハロウィーングッズを買ってきて喜ばれた。フラッシュなしで撮ると、結構雰囲気出てる?この真ん中のウッチさん、はじめ全く動かず座っているだけだったので、え、作り物?とみんな思ったほどだった。あ、息してる!!他の人たちと写真を取たりしていたので、傍に行ったら、突然、立ち上がって、わ~と大声を上げたので、みんなキャーッ。きっとマスクの中ではニヤニヤしていただろう。我らも、記念写真を!ゾンビの屋台。お客さん怖がってこない?最後は、キューテストパンプキンやっぱりで締めよう。キューテストパンプキン手をあげ~。はーい。途中から雨になったが、ホテルが用意している傘があちこちに置いてあったので、傘を差しながらのハローウィーンもまたよし。娘が言っていた。子供たちが、キャンディー頂戴と言ってたけど、それは無いでしょう。やるんなら、トリック・オア・トリートのスピリットも教えるべきでしょう!と。
2018.10.21
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同時進行しようと思っていたけど、その日撮った写真さえ見れないほど忙しく、全くネットから解放されていた2週間だった。10月7日に、富士見高原の弟の家を後に甲府市内に向かった。約一持間のドライブ。空は秋色で色々な雲が調和してとても美しい宙だった。暫く行くと、遠くにかすんだ富士が見えてきて、とても素敵だった。甲府に近くなると,御坂山塊が屏風のようにそそり立ち、富士は、頭をのぞかせているだけ。でも雲がとても美しかった。一週間のうち、富士が見えたのは、この日8日一日だけだった。富士は毎日そこに佇んでいるが、夏はなかなか姿を見せないようだ。甲府の母の家で、家族でこの3月亡くなった母の荷物の整理をした。赤とんぼが沢山いた。母が手塩にかけて育てていた花たちも主亡くても健気に美しい花を咲かせていた。咲いていた花をもって、お墓参りにも行って来た。お墓参りが済んで、西の空を見ると南アルプスの方向に沢山の天使の梯子!!次の日8日、甲府から富士見高原への帰りの雲がまるで夏の入道雲。元気いっぱい、もくもくもく。富士見高原に帰って、夕方弟夫婦とプチ散歩。近場、信玄の棒道を歩いた。9日、弟の家のベランダからの眺め。富士見高原では、朝晴れていた。きっと今日も富士山が見えるかも!!と期待したが!!弟の家を後に甲府に向かったが、富士山は雲隠れ。結局、7日間のうち、富士山が見えたのは8日だけだった。気高い富士は結構気難しい・・・。9日、富士見に帰ってから、夕方、プチ散歩。すすきの道は、風情が有って、いかにも日本的。癒される道。紅葉しかけたカラマツ林の木々の間から差す夕日がきれいだった。暫く歩いていくと、後ろに、八ヶ岳の編み笠だけがちょっと姿を現した。幻想的な姿にうっとり。武蔵草の実が真っ赤に色づき始めていた。鹿の道の立て札は、1~20まであって、その日は、最後の部分を歩いた。古くなって朽ちかけたものは、こうして新しいものに変えていくようだ。日没も早くなって、家に着いた時はもう真っ暗だった。
2018.10.21
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2018.10.10
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5月25日(金)メモリアルデーウイークエンドの始まりの日、ラプンツェル(髪長姫)の塔 ?に娘と行って来た。午後から時間が少しあったので、新緑の美しい季節近場で良いからドライブしようと言う事になった。始めの計画では、昔娘が小さい頃はよく行っていた、家から1時間くらいのジャッキーホローと言うステートパークに行く筈だったが、ガソリン入れたり、途中メモリアルウイークエンドのラッシュにも出くわしたりで、時間が無くなってきた。もっと近い所にと言う事で、家から20分の何時も行きたいと思いながら、素通りしていたパークに行って見ることにした。何処に行くにもRt.80と言うメイジャーハイウエーを通っているが、我が家から20分くらいの所に、右側がパターソンという古い町、左側に小高い丘が見える所を通過する所が有る。我ら家族は、ずっとと前からあの丘の上に行って見たいねと言い続けていた。でも、そこを通る時は、いつもどこかに行くところだったので、そのうちにと言っているうちに10年も過ぎてしまった。ある日、今日こそはそこを目的地にして、行って見ようと一大決心をして、家族で出かけた。そしたら、何と、今は工事中で中には入れないという情報に出くわした。折角決心したのに・・・それからまた10年。渋滞に遭ったりして、時間が無くなったおかげで、急遽、そこに行って見ることにした。公園に着くと、ます、ドライブでぐるりと一回りして見た。ピクニックテーブルが置いてある芝生の広場。よく手入れされた広い芝生のプレイグラウンド。所々から森の中に入っていく小道。小さな湖。そして、ラプンツェルならぬ、このランバート タワーのある丘。それから、車で入れる見晴台。公園全体の様子を見てから、このタワーの近くの駐車場に車を止めた。道路から見えるタワー。中世のお城のタワーそのもの。近付くと、あのバルコニーからお姫様が手を振っているのが見えた。反対側からの眺め。まさにラプンツェルの塔。とても美しい。前のテラスには立派な藤棚が鬱蒼と茂っている。来年は、藤の花の季節に来ようね!!!と娘と約束。塔の周りをぐるりと回って、ちょうどよいベンチがったので、お姫様と一緒に写真を撮ろうとしたら、カメラを向けると、姫君はすぐに隠れてしまった・・・。今我が家の姫は、髪青姫。表のドアは閉まっていたけど、後ろのドアが開いている・・・。藤棚のあるフロントテラスでは、モデルとカメラマンが撮影を終えて帰る支度をしていた。守衛のおばさんがいたので入れるのか聞くと、上はとてもいい眺めだよと入れてくれた。鉄の階段が、ジグザグに上まで伸びていた。お姫様はいそうにない・・・・。途中の壁に、塔の由来が掲げてあった。一番上の階に行くところは螺旋階段になっていた。螺旋階段もあと数段と言うところで、ポーズを取って、爽やかな笑顔のカズ姫。嬉しそうだね塔のドームはぐるりと窓で、階段の部分を除いて360度素敵な見晴らしが楽しめた。我らみーはー母娘以外は誰もいない、貸し切り状態。爽やかな風が入り、暫く二人で床に寝っ転がっていたら、気持ちよすぎて、眠りそうになった。大変大変。下のドアを閉められちゃったら、此処にお泊りしなくてはならない❢❢❢本当に幽閉の姫君ならぬ幽閉のみーはー母娘になってしまう。鮮やかな緑。爽やかな風。素敵な眺めにうっとり。近くの美しい森。ニュージャージーの北の方。遠くにかすむのは、ニューヨークのアップステート・・・。ここからは、マンハッタンミッドタウンが見える。マンハッタン全景。ニュージャージーの豊かな緑の向こう、遠景の真ん中の高いビルが、エンパイヤ―ステートビル。360度の景色をすっかり堪能して、下に降りていくと、ガードのおばさんは、ドアを閉める所だった。次に来た人はもう入れなかった。まだ3時半だというのに。車に戻って、車で入れる見晴台に行った。車の窓、サンルーフすべての窓を全開すると、爽やかな風が入ってきて、本当に気持ちが良かった。持参の果物や野菜スティックやスナック等食べ、ティーを飲んで寛いだ。そして、シートを倒して風のそよぐのを聞きながら、リラックス。20分なら、本当につでも来られる。ここは、今日から我が家のバックヤードになった。娘は夕方からマンハッタンで仕事が有るので、4時ごろ引き上げた。長年の夢がかなった素敵な午後のひと時だった。
2018.06.05
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8・7・2014の1モーテルの部屋から、朝の眺め。デスバレーの乾燥を思うと、うそのような緑が飛び込んできた。宿には、何時も遅く着くので外は真っ暗。朝になって、初めてこんな所だったのかと思うのが常。支払いも済ませた。スーパー8は全米にあるモーテルだが、ラスベガスは、一番安かった。普通、格安旅行サイトで60ドルくらいだが、ラスベガスでは、今回の横断旅行で一番安い40ドル。大体この格安サイトで予約したら平均60ドル。本当に安いのか実験したことが有る。直接モーテルに電話して値段を聞いたら、80ドルと言われた。以後迷いなく、このサイトで予約。次の目的地、ザイオン国立公園公園目指して。真っ青な空の下にどこまでも広がる大地。でも、今日は木々の緑も見える。そして、今日はエアコン無し。窓を開け放って、風は十分涼しい。熱中症の恐れは全くない。ホッ!!!こんな台地地形も・・・。行く道々面白い景色がいっぱい。色々な色の岩山も楽しい。デスバレーの、死のイメージではない。でも、日差しは強い。薄手のブライスの袖で腕はガードして。まだヒリヒリ痛む昨日の日焼け。真っ赤から少し茶色っぽくなってきた。山の斜面に、アルファベットが白く書かれている。Hで有ったり、Lで有ったり。きっと、小型飛行機の目安だろうと娘は言っていたが。。。??わあ、かっこいい岩山。でも手前には緑が見える~~。雲も程よく出て、緑や民家も調和して、牧歌的な素敵な景色。しかし、山肌には、デスバレーで見た草のような植物が生えていて、砂漠風に乾燥しているようだ。よく見ると、デスバレーの草の様に白っぽくはない。生物にとっての環境はずっと穏やかかなのだろう。もっと上を見ると、緑の濃い木もある。次から次へと変わる岩山に見惚れていると・・・わあ~牧場!!!牧場が面前に開け、牛たちがのんびりと草を食んでいた。牛や馬の放牧地はとてもゆったりした気持ちにさせてくれる。道路沿いに幾つもの広々とした牧場があり、昨日のデスバレーと全く違う。緑は本当に心の安らぎを誘う。かっこいいピンクぽい岩肌の山。下の方に柵の木が写っている。この下も牧場だったかも知れない。頂きが雪のように白い岩山も。緑も深い。空は抜けるように青い。快適ドライブは続く。道路の両側には、民家や・・・深い緑の中には、モーテルなどもある。素敵な岩山をバックに、歩いている人々にも出会う。いよいよザイオン国立公園は間近の様だ。こぎれいなロッジ。ラスベガスから快適ドライブ3時間半。今日の目的地、ザイオン国立公園に到着。カズ姫は、ライフタイム・シニアパス(10ドル)と写真付き身分証明書(ドライバーズライセンス)を用意して、待つ。列はすぐに進み・・・次は、われら母娘。さあ、ザイオンとはどんな所か。わくわくドキドキ💓。
2017.12.06
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8・6・2014の12デスバレー横断道路のRt.190に戻った。丁度、アーティスト・ドライブの反対側か・・・。つまり、この写真では、今見える山を越え右側がアーティスト・ドライブの筈。砂漠の月、乾いた青空にクッキリと白さを増して輝き始めた。ちょっと走ると、ザビンスキー・ポイントのサインが。ここで下りて見たら、アーティスト・ドライブの反対側からの絶景だろうか。下りて見る?真昼ほどの気温ではないと思うが、今度は、目指すラスベガスまで行きつけるか・・・。言い訳でなく、時間がない。車は下りないで、写真を撮っただけ。特に名の有る所でなくても、絶景続き。この辺で、右腕を見ると真っ赤に日焼けしているのに気づいた。何時もは、エアコンはつけないので日が照っているとかなり暑い。だから、薄手の長袖のブラウスの前から袖だけ通し、腕の日よけにしてドライブしていた。でも、今日は、熱中症寸前でエアコン入れて涼しいし、それに、ハンカチを水に濡らして首に巻いたりで忙しく、腕の日よけの事はすっかり忘れていた。曲げた腕の外側は見るも無残に真っ赤。そして、ヒリヒリ痛む。内側はクッキリと普通の肌色。えええ~。何これ~~~。二人で大笑い。熱中症は防げたが、この日焼け!!!厳しいデスバレー無事に脱出できるか。そんなことを話しながらでも、見える景色は素晴らしい。何としゃれた色合いの山。模様が斜めに入って。このサインは、ダンテス・ビューへの案内。丁度黄色いサインが有る少し手前の道を右に折れると、13マイル(21キロメートル)走るとダンテス・ビューと言う1669mのピーク。眼下にバッドウオーターからデスバレー一帯を一望出来る、素晴らしい眺めのようだが・・・。時間がない。涙を飲んでパス。そして、この先で、デスバレーは終わる。もうこの辺は、デスバレー国立公園外だ。あと17マイルで、デスバレーを横断するRt.190 も終わり、Rt. 127 に続く、デスバレー・ジャンクションだ。小さい石ころで、こんな風に白い線が入った石ころは見たことが有るが・・・。山全体にこんな白い線が入っているのは初めて見る。アーテストドライブで見たことが有る山波に似ている・・・。こうした美しい山々を両側に見ながら・・・デスバレージャンクションまで、こんな風に、29Kメートルのほぼ直線道路が続く。おお~!!こんな山も!!!ここで、東西に走るRt.190 は終わり、南北にRt. 127 に変わる。デスバレージャンクション。我らは、そのまま真っすぐ進む。日も大分落ちてきた。影の中の景色と日の当たっている景色とのコントラストが美しい。この岩山には、右側に見える様な四角の穴が所々にあいていた。自然にできたもの?人が作ったもの?もし人工なら、何のために???高度はぐんぐん下がっていく。後ろの山の影が、前の山にくっきると映っている。我らは、影の中。まだまだ、谷間を通っている事が分かる。わー。ラスベガスの町が見えてきた。一気に下って町の入り口。遠くの山には、まだ日が当たって紫色に暮れなずむ山々が美しい。これから、モーテル探し。カズ姫が、前仕事で泊まったところは高級ホテル(ビジネスだから)で、すごく高かったので、ラスベガスと言ったら高いのかと思っていたが・・・。$13.99??えらく安いね。ラスベガスの外れは安いんだよ。それに、ギャンブルで稼いでいる町だから、安い宿泊料で人を呼んで、ギャングるで儲けるという算段らしい。ちょっと怖いね。あんまり安い所は泊まりたくないな~・・・。不夜城、ラスベガス。真昼のように明るい、ラスベガスの中心街が見えてきた。高速道路から見えるラスベガスの繁栄。シーザーズ・パレス。カズ姫は、この中で仕事をしたことが有るので、中の様子は良く知っている。こういう町は、ちょっと踏み込んだらヤバイと言うような所もある。娘は、携帯でこの辺に住んでいる友達と連絡を取り、安全圏を探し、宿の予約をした。西の空は、すっかり暮れなずみ、美しい色合いの夕焼けが残っていた。宿に着いた時は、もうすっかり夜。無事、デスバレー脱出
2017.11.24
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8・6・2014の11海抜マイナス85.5mのバッドウオーターを出て、来た道を戻る。同じ道でも、行きと帰りでは、また様子が違う。午後の空には、雲も広がり・・・・。素敵な山が姿を現す。そう、目指すはアーティスト・ドライブ芸術家が、筆を振るったような山々が姿を見せ始める。同じ色合いでも、描き方が違う!!下りて見るところがあった。下りて行って見る?行かない、ここで良い。忘れないで、外は47℃の灼熱地獄だと言う事。普通なら、ミーハー母娘何処にでも飛び出すが・・・。娘は行きたいようだったけど、熱中症寸前のカズ姫は、冷房の効いた車を降りたくない。時間もないから…と言い訳をして・・・。車に乗っているだけで・・・次から次へとこんな素敵な芸術が見られるんだから!!!誰に感謝していいやら・・。筆にたっぷり付けた黒い墨をポトリと垂らした様な・・・。次の瞬間んはまた別の絵。垂れた一滴の墨が、正に岩肌にしみ込んでいく様子までありありとわかる。そして、手前の黒い石。全体が絵になっている。最高の芸術家。青空の下、山の中腹、アースカラーの中のあの一本のブルーのラインが効いている。神と言う芸術家は、間違う事がない。偉大だ。わー、素敵なスロープ。色合い。マチエール。原発のメルトダウンで出来た、象の足のような・・・。もしかして、同じ現象なのかも。黒や灰色や茶色の中で、ブルーにはホッとする。まるで、宇宙空間に浮かぶブルーマーブル、地球。くねくねの道路を上ったり下りたり。道路の両側には、こんな砂漠の植物が。よく見ると、繊細でとても美しい。そう思って見ると、ほら、道路の脇にたくさんあるのに気づくでしょう。象の足も、巨大になって。青い空も、そびえる岩山も、石ころ一つもみんな調和している。無駄なものは一つもない。無駄な人は一人もいない。無駄な時間は一瞬もない。息つく暇もなく、次から次へと現れる芸術に、う~ん!!と感激のしどうし。わー、誰?青い絵の具を大胆にぶちまけたのは!!!そろそろ、アーティストドライブの出口か・・・。はるか遠くに横たわる太古の塩の川が見える。本当に楽しめたこのドライブ。偉大なアーティスト、神に感謝。来るとき、遠くに見えたファーナスクリーク・インを近くに見ながら・・・。いよいよデスバレーともお別れか・・・。
2017.11.18
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8・6・2014の10さあ、デスバレー最高の見所、バッドウオーター・ベイスン。日射病寸前のカズ姫、生きてい帰れるのだろうか・・・。車を降りる。暑い!!!の一言。バッドウォーターは、西半球で最も海抜の低い地点として知られており、海抜下86m。岩塩が侵食で溶かされ流れ込んだ塩が再び堆積したバッドウォーター盆地にある。かつて、バッドウォーター盆地は塩水湖で、飲料水に適さない事から悪い水(バッドウォーター)と呼ばれるようになった。世界で最も気温が高くなる場所のひとつであり、記録は摂氏57℃である。その日は57℃はなかったが、少なくとも47℃以上。これでもう十分!!!この乾いた世界に、なんと、水たまりが!!これは、湧き水らしい。あの水のすぐ傍まで行けるようだが・・・ボードウオークが整備されていて、いくら暑くても、簡単に歩ける。右に行くと先の水たまり。真ん中に伸びているのは、一見川のように見えるが、今は、乾いた塩の堆積。歩いている人たちは、水の中を歩いているわけではない。海抜‐86メートルの湖、バッドウォーター・ベースンは、最大幅が8キロ、最大長が12キロとかなりの広さで、かつては塩水湖だったため、飲めない水=Bad Waterとして名付けられた。左側には、荒涼とした乾燥地が広がる。そして、な、何と「バッドウォーター ウルトラマラソン」気温:50度距離:217km制限時間:60時間そう、世界一過酷なウルトラマラソンである「バッドウォーター ウルトラマラソン」の開催地。ここが出発地点で、ゴールはシエラネバダ山脈の最高峰、ホイットニー山までとか。こんなのまである~~~。後ろの山の一番高いのが、マウント・ウイットニーかも。ここからそこまでマラソン???ついでに、2017 Badwater マラソンは、いいのわたる選手が優勝とか。24時間56分18秒で初参加、初優勝、日本人初の優勝とか。その時の様子をビデオで見ると、女性も沢山走っていいた。この灼熱地獄をマラソン。歩いて、あの塩の所までもいけないカズ姫。考えただけで、気絶しそうだ。暑すぎ。後で、しっかり読もう。遠くに見える、雪の峰は、きっと、来るときにその脇を通ってきた、4000メートル級の山が連なる、シエラネバダ山脈だろう。全く、乾いていて、暑い~~~。悲鳴を上げて居るカズ姫。ファーナスクリークにも紹介されていたが、世界には、海面下の土地は、こんなにあるようだが、ここは、北メリカで一番低い地点。この乾燥地帯で、ただ一つ水の湧き出ているところ。冬は、シエラネバダの雪山を映して素敵な池に早変わり。もう暑くて、沢山のサインが出ていたが、そこで読む気はしなかったので、しっかり写真に収めてきた。かっては、塩水湖の盆地であった、バッドウオーターベイスン。今は、乾いて、塩の堆積が流れる白い川のように見える。首に巻いたハンカチもあっという間に乾きいてしまう。飲んだり、ハンカチを濡らしたり、命の水の入ったペットボトルをしっかり持って離さないカズ姫。無理した笑顔で記念写真をパチリ。あの水まで行って見る?いい。塩の所まで行く?もう歩けない。ここで見るだけでいい。マラソンする人もいるんだけど・・・。人それぞれだ。もうフラフラなカズ姫。娘ちゃんは、えらく元気良さそう。私暑いの好き。7月7日、夏生まれ。そう言えば、カズ姫は真冬生まれ。では、ここが海面下85.8mと言うなら、どの辺が海面?海面の高さ。としっかりサインが出ていた。あそこが、海抜0m。じゃあ、85.5mって?駐車場から、見上げると。高い!!!ここは、海底85.5mと言う事。では、最後に・・・娘が撮った、バッドウオーター・ベイスンのパノラマ写真を、と思って、載せてみたが、小さい。そこで、反転の仕方がしっかり分かったカズ姫は、これを反転させてみた。グッドアイデア。ははは。上のパノラマ写真をしっかりイメージしながら、首を左にかしげて、見て頂きたい。こうして見ると、あの雄大さが幾分かは伝わるかな?ハハハハハとい訳で、行って見れば最悪なバッドウオーターを無事生き延び・・・。さあ、お次は。
2017.10.20
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8・6・2014の9熱中症も食い止め、今度は、エアコンゲンガンつけて・・・。目の前を通過する、奇怪な景色に見入っていると、ゴールデン・キャニオンと言うサインが目についた。行ってみる?うん。確かに黄金の岩山。トレールが有って、登って行くとこんな素敵な景色も見られるようだけど・・。それにしても暑い。きっとさっきより暑いに決まってる。下りて見るだけと、暑い中に踏み込んだ。濡らしたハンカチを首に巻いているが、そんなものはすぐに乾いてしまう。もう、乾燥機の中にいるようだ。ペットボトルの水で濡らしてもすぐに乾く❢❢❢歩いている人を見て、元気いいね!よく歩けるね。と驚きながら、暑い暑いとやっと歩く。でも、人から見たら、カズ姫もよく歩いてるねと映るのだろう。この暑さの中を、こんな所に登れない。あの青空の向こうにどんな景色が広がるのかと思っても、とても登る気はしない。暑さのために何時もの好奇心も萎えるズ姫であった。まあ、記念写真だけでも撮っておこうと言事で。高い所が有ればすぐに登る我が娘。まるで、暑さなど感じていない様子。上を見ると、あの石、落ちてきそう!!!暑さにも閉口だが、落石はもっと怖い無理して、濡れハンカチを首に巻き付けたカズ姫もポーズ取って。写真だけを見たら、元気そうに見えるけど・・・。もう一歩も歩きたくない。それにしても、この山頂から見える景色見てみたい!!疼く好奇心を振り切ってまた、路上の人となる、カズ姫母娘。エアコンが入っているので、車に入ると快適。ルンルン両側に広がる砂漠、山並み。飽きることを知らない。目の前に何処までも続く道路。こうして写真で見てみると、両側にそびえる山と山の間の谷。巨大な谷と言う事がわかる。山の切れた所を迂回しながら道路は伸びている事が分かる。デビルス・ゴルフコース?面白そう。行きたいね。うん。ゲートも開いてる。しかし、このでこぼこ道。ジープやトラックならいいが、乗り心地満点の腰の柔らかい大型セダンではやはり・・・我が家のスバルフォーレスタ―なら絶対に行けるけど・・・。サルトクリークの経験もあり、舗装道路以外は行かないと決めたのに・・・。揺らぐ母娘。今度うちのスバルで来ようね・・・デビルスゴルフコースと言っても、ゴルフコースがあるわけではない。こんな荒涼とした、ラフな地形でゴルフをするのは、デビル以外に居ないとして名付けられたそうだ。ここに青々とした芝生を想像するなら、いいゴルフコースだ。ナチュラル・ブリッジ。ネーミングもいいから、行って見たくなる。でも、ここも、でこぼこ道。パス。先程、遠くに横たわって見えた山が、目の前に迫ってきた。テレスコープ・ピーク。海抜11049フィート。何か見晴らしが良さそうだけど・・。?mえっ!3368ⅿ今日は、そんな所まで行ってる暇はない。目の前にそびえるテレスコープ・ピーク。美しい岩山。その名の通り、望遠鏡で眺めたら、見晴らし抜群だろうバッドウオーターまで、1/4マイルのサイン。ファーナスクリークでLOW: デスバレーの中心Badwater Basin(これから行く)は、海面下282Feet (86m)北アメリカではもっとも低い地域。と説明されていたところだ。
2017.10.07
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8・6・2014の8やっと、次の目的地に着いた。ファ―ナスクリーク・ヴィジターセンター。と、❢❢❢。温度計は、115℉(46.1℃)を示しているではないか。横には、190 feet(58m) below sea level海面下、58メートル❢❢❢のサインが。この暑さを体験している証拠の記念写真を撮ろうと、暑い暑いと娘は、温度計の横に建つと114℉、一度下がった。そしてすぐに、115℉の戻った。元気なあのポーズ見て~!!!全く~。暑くて、暑くて、急いで、ビジターセンターに駆け込む。HOT: デスバレーは地球上で最も暑く、公式世界記録134℉(57℃)を持つ。DRY: アメリカ合衆国ではもっとも乾いた地域。雨量年間平均2インチ以下。雨量0と言う年もある。LOW: デスバレーの中心Badwater Basin(これから行く)は、海面下282Feet (86m)北アメリカではもっとも低い地域。生き物にとっては過酷すぎる自然!デスバレーの地形模型。この過酷な地にも動物は住み、植物は生きているのだ。住む動物の剥製や植物なども展示されていた。もっと詳しく見たかったが、今日の宿泊地はラスベガス。あまりゆっくりしていられない。入るときは、暑すぎてウェルカムサインも見ないで建物の中に飛び込んだが、出る時、記念に一枚。今見ると、カズ姫の顔真っ赤。サッキの温度計の所に戻ると、気温は、116℉(46.7℃) になっていた。やはり、此処でも今写真で見るとカズ姫、顔は真っ赤。でもニコニコ元気そう。体調としては、全く気付かなかったが・・・。車に乗るとき、サイドミラーに写った自分の顔を見て、え~~~、顔真っ赤じゃん❢❢❢と驚いて素っ頓狂な叫び声を上げたカズ姫。カズ姫は、お酒を飲んでも、運動してもあまり顔色は変わらない。こんなに赤い顔を見たのは、生まれて初めてだ❢❢赤ん坊以来の赤い顔。娘も寄ってきて、あ、ほんと、真っ赤!!!これは大変と言う訳で、すぐに、ビルの中に逆戻り。別に気分が悪く成ったと言う訳ではないが、あの赤鬼のような顔色を見てこれはヤバイ!!!とびっくり。一番涼しそうで人がいない所を選んで、椅子の上に横になる。娘は、冷たい水を持って来てくれたり、水で冷やしたハンカチを顔にかけてくれたり、一生懸命介抱してくれた。お陰で、暫くすると顔も赤味が取れ、上気はしていたが普通になったので、まだ、見たいところも沢山あるからと、水に濡らしたハンカチを首に巻き、エアコンガンガンかけて出発。少し行くと、あの20頭のロバの引いた見覚えのあるワゴンが。すぐ近くにはボラックスミュージアムなどもある。それもパス。ファーナスクリークランチ。この辺は、砂漠のオアシスと呼ばれ、中にはゴルフコースや、プール宿泊施設など一大リゾート地となっている。これもパス。キャンピンググラウンドなどもあるようだったが・・・。今回は、すべてパス。ファーナスクリークインゆっくりこんなところに泊まって、全てを見たいものだ!!今回は、駆け足でどんな所かを体験横断旅行。すべて見ていたら、一か月あっても足りない。エアコンと首に巻いた濡れたハンカチで、時々鏡で見る顔色も普通。ホット一息。熱中症寸前で食い止めて、また、砂漠の中を何処までも伸びる路上の人。さて、次は・・・。
2017.10.01
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8・6・2014の7あ、やっぱり何かあるね。行ってみる?砂漠の中の遺跡・・・??。道路も駐車場もしっかり舗装されていたので、安心。車を止めて、整備された道を歩いていく。暑い❢❢❢柵の陰がクッキリしすぎていて、それだけで、目がクラクラする程だった。砂漠の白金(white Gold)と言われたホウ砂(Borax)が19世紀から20世紀にかけてはアメリカ大陸西部においてデスヴァレーなどの産出地が相次いで発見された。そうだ。ここは、かってのハーモニーボラックスと言う鉱坑跡らしい。ボラックスとは、ホウ砂の事で、精選してホウ酸ナトリウムを取り出すらしい。ホウ酸と言えば、昔お祖父ちゃんが目をあたっていたあれ?ウイキペディアによると水溶液は弱アルカリ性となり、洗浄作用・消毒作用があるため洗剤や防腐剤などに使われる。またホウ酸と同様に、目の洗浄・消毒に用いられる。やっぱり同じものだ❢❢その他にも陶芸用の釉薬溶解剤銀塩写真の現像液ホウ素の肥料原子炉の放射線遮蔽材などに使われるらしい。初めて知った!!!歩きながら、まあ、よくこの暑い所に!!!とフーフー言いながら歩いた。焼け付くような暑さの中を、自分も含めて、まあ、よく観光していること!!と言いながら、それでも広々とした砂漠と周りの山々は素晴らしい。おお、これは何だ!!ん、なんと、20頭のロバに引かせて、掘れたボラックスを運搬したらしい。一番の難事業が、此の運搬でもあったらしい。ロバたちも可哀そう。当時の物だろう。こんなのを見たら、もっと暑くなってしまった。このタンクには、水でも入れて来たのだろうか・・・。まさに命の水。ここでは、掘れたホウ砂を精選してホウ酸ナトリウム取り出していたらしい。歩いてみて回るだけでも、音を上げそうなのに、こんなところで重労働とは❢❢石を積んで、此の精錬所を建設するだけも大した労働だ。不毛に見えるこの大地から、少しでも有用な鉱物を得ようとした努力の跡。しかし、実際は、夏の気温が高すぎて、うまく採掘で出来ず、5年で閉鎖されたと言う事だ。過酷な自然との共存は、困難を極めた事だろう。空は、青く何処までも澄んでいたが・・・暑さにはかなわない。早く車に戻りたかった。それもの筈!!!その時の気温は・・・・。
2017.09.26
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8・6・2014の6さあ、砂丘を後に・・・。死の谷を彷徨う母娘。ここをこのサインの通り左に行くと、動く石て有名なレーストラックに行けるらしいが・・・。我ら母娘は右に曲がる。おお、なんという山並み❢❢荒涼とした風景の中を進む。エアコン無し。デスバレーの暑さを楽しんで??あ、なんかサインが見える。窓から見える山並みは美しい。あの遠くに見えたサインは、サルトクリーク。行ってみる?うん、行こう行こう。舗装されていない道を、右に曲がる。わー、まるで大海で大波に翻弄されているような、酷いでこぼこ道。あっちに車もいるし・・・。あのサインは何だろう・・・。好奇心につられて、ゲックン、ゲックンと進む。少し進んでみたが・・・。さっきの車、あんなところまで行った。でも、あれは、きっと4輪駆動の車に違いない・・・。我らが、ドッジフルサイズの乗用車では・・・。やばいんでない???それに、引っ越し荷物をトランクと後部座席内には山と積んでいる!!ヤバイ!ヤバイ!写真では、平らに見えるが、凸凹でっこんぼっこん。嵐の大海原の様だ。大石ゴロゴロ。タイヤがパンクすることだってありうる・・・。こんなところで、車壊れたら大変!!!Uターン。這う這うの体で引き返した。賢明な判断だった。もう、舗装道路以外は行かないでいようと、心に誓うお馬さん鹿さん親子であった。サルトクリークと言うからには、塩水の川でも流れているのだろうか・・・。次にも、横に入る道があったけれど、結構で~す。ひたすら、舗装道路を走る。あの、ストーンサークルみたいなのは何だ❢❢❢
2017.09.22
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1533. Day4-11 ヨセミテ国立公園を後に―アメリカ大陸横断の旅8・6・2014の5な何と、今日のヒート警報レベルは Extreme 最高忌々しいほどの空の青さと砂漠???お次は、その名も Sand Dune。砂丘。パーキングエリアに着いた。真ん中に人だかり・・・。何?枯れ木に人々が群がっていた。煙とお馬さん鹿さんは高い所が好き?成程大自然の中の自然のジャングルジムで遊ぶ人たち。~♪何だか、愛おしいね。勿論我が娘もお馬さん鹿さんの仲間。熱警報レベル最高の中で、ポーズする最高のお馬さん鹿さん。ヒノキ舞台ならぬ、砂漠の枯れ木舞台で踊るお馬さん鹿さん。砂に足を取られて、歩くだけでもよろよろしている母に、写真撮って❢❢ポンシェ。バレエ・ジゼルの中で白いロマッチクチュチュを着て、夜の墓場で踊る妖精たち・・・何だけどね~・・・。砂漠のど真ん中でも踊りたい我が踊り子ちゃん。でも、ポーズ決まってるよ❢❢❢まるで、大地のエネルギーを吸い上げているようだ。ブラボーアラベスク。何処に行っても広い所に出ると踊りたくなる我が踊り子ちゃん。日本で旅行した時も、九州は臼杵の古いお寺で、国宝姫路城のサインの前で、姫路城の4階の大きな広間で。踊り子の足跡を付けているのか???広さに於いて、暑さに於いて、不足なし。デスバレーの砂丘舞台で、さあ、次は何を踊ろうか・・・(^^♪お好きなものを❢❢❢❢。人生好きな事をする為にあるんだからね今度は何?ただ、写真撮ってるだけ。あ、そう。確かにカメラを抱えている。抜けるような青空をバックに、それだけで様になってるよあっちでもこっちでも、人々は広い砂丘にさまよい出て、記念の写真を❢❢❢白いなめらかな砂山。緑の灌木。多分45℃以上だと思うけど・・・。みんな元気。真っ青い空と山並みと砂丘。近寄ると、風紋の波。さらに近寄ると、砂には、様々な鉱物が混じっている。金色に光るのは砂金???月の砂漠を遥々と~♪カズ姫、実際は、灼熱の砂漠をよ~ろよろと~♪何だけどね美しい砂丘を心のカメラにもしっかり収めて・・・石ころが転がる、駐車場の方に戻る。お次は、何?何処??。
2017.08.20
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1533. Day4-11 ヨセミテ国立公園を後に―アメリカ大陸横断の旅8・6・2014の4乾いた空気焼け付く太陽抜けるような青空色彩豊かな山容そな中を伸びる舗装道路熱風の中をつぱっしる母娘後ろを振り向くと、さっきの川底と渡ってきた一直線に伸びる道路が見える。オリジナル写真ではよく見えるが、かなり質の落ちている楽天の画像では、よく見ないと見えない。かなりの急こう配な登り。先に行く車も苦しそう。ここからは、神の彫刻展。楽しもう!!!色合いと言い、カーブと言い・・・。自然の力を感じる。一体どんな意思が働いているのか。ひたすら感動。今度はこんな色。これらの写真は、エディットなしで端からから並べている。次から次へと思いもかけない岩山。切り立った岩山。まさに神の彫刻。大胆不敵❢❢❢と、砂漠の乾いた植物に覆われる。はげ山。こんな所でも生きている命の強かさ。感嘆の声を上げながら、ひたすら撮り続けるカズ姫。一枚とて同じ山はない。同じどころかあまりに個性的。我らが具着の億適地、ストーブパイプ・ウエルス・ビレッジまで18マイル。ひたすら下っていく。神の彫刻展は続く。ああ、目指すデスバレーが目の前に広がる。先のパナミント・バレーに似た風貌。でも、規模はずっと大きい。海抜3000フィート。一気に下っていくと・・・。ビレッジの建物が見えてきた。デスバレー最初の観光スポットとしての写真と説明。ここで料金を払う。我らは、生涯有効シニアパス(10ドル)を持っているので、パスと身分証明書を見せるだけでOK。中は涼しい。レインジャーは親切。地図を出して、デスバレーの名所を詳しく説明してくれる。そして、な何とここは海面と同じレベル。海抜0メートル。暑いわけだ!!!金鉱目指して、一攫千金を夢似た男たちの苦労話。古い車と記念碑。後ろは、ギフトショップなど。レストラン、宿泊施設、ガスステーション、キャンプ施設などの看板と雑貨店。西部劇の場面そのままだ!!
2017.08.01
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1533. Day4-11 ヨセミテ国立公園を後に―アメリカ大陸横断の旅8・6・2014の3これは、携帯で娘が撮ったパノラマ写真。雄大な風景をご覧頂こうと思ったけど。。。こんなに小さくされて、パノラマの意味もないか・・・。さあ、次は何に出会うか。出発。上ったり下りたり。くねくねとした道路を進む。何か碑が建っている。下に霞んで見えるのは、???最初の印象は乾いた湖?ファーザー・クロウリー・ヴィスタ・ポイント。思わず、♬そこ~は地獄の窯の中♪♩と口ずさんでしまった。見渡せば見渡すほど・・・地獄の窯の様相!!!あの石、転がり落ちたら・・・。色々考えてしまう。昔は、大昔、それよりもっと昔。ここは火山だったのだろうか。色と言い富士山の山肌に似ている。さあ、これから、あの乾いた川のようなところへ出発❢❢❢検索していると、こんな Youtube を 見つけた。Fifhter Jets at Father Crowley Vista Pointここは、スター・ワーズ・キャニオンともいうらしい。スター・ウォーズはデスバレーで撮影されたそうだ。動画で見るとまた臨場感がわく。戦闘機がこんな所で演習???道路はうねる様に曲がりくねっている。あの川底まで、こんな曲がりくねった道を進む。遠回りして、山を巻いて・・・。ぐんぐん標高は下がっている。あのか乾いた川はどうなているのか・・・。もうすぐ疑問が解ける!場所によって、山の色や形が全く違うので、記録係は、のんびりしていられない。わあ、きれいな山。川底まで、ああ、もうすぐだね。と思っていると人が歩くサインなどが見えてきた。こんなところを人が歩いているの??それもその筈・・・。レストラン通過。われら母娘は車の中でドライブしながら景色見ながら、しっかり食べたので、こういうところはいつもパス。だから、時間はばっちり使って、沢山の所が見れると言う訳。ここは、パナミント・スプリングス と言うビレッジ。レストランや(目の前にあるけど・・・)、宿泊施設もあるようだ。この谷は、パナミント・バレー。さあ、その谷をこれから渡るところだ。直線道路がかっこいい!!あ、もうほぼ川底と同じレベル。今通っている道路は,Rt.190。デス・バレー・ジャンクション(こちらから言えば、デス・バレーの出口)まで、あと83マイル。川底通過中。運転手側の窓からの川底と何とも素敵な色合いの山が近づいてきた。一見は百聞に如かず!!素敵な山!!!うっとりしてしまう。後ろを振り向くと、今通過してきたバレーが見える。冒険(?)は続く。
2017.07.30
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1533. Day4-11 ヨセミテ国立公園を後に―アメリカ大陸横断の旅8・6・2014の2デスバレーはあの山の向こうか?この辺はまだ緑もある。一つ山を越えたのだろうか・・・。さらに連なる山並みが見えてきた。それにしても暑い。真夏のデスバレーは105度Fにはなるから行かない方が賢明。等と言う記事も読んでいる。でも、この際、やはり行きたい。次は無いかも・・・。車の温度計はすでに105度。母:暑いね。娘 : エアコン入れる?母:とんでもない。折角のデスバレーの暑さ楽しもう!!。何か荒涼としてきた。開け放された車の窓からは、熱風。この暑さじゃ、保冷剤溶けるかも・・・。じゃあ、今のうちに食べちゃおう!!!おお~、この道は何処まで続く?山を幾つ越えたら~♪デスバレー♬平らに見えるこの砂漠、道路を見ると、上がったり下がったり凸凹。その向こうにもまた山。保冷バッグの中から、冷たい空気が。それだけでも生き返った気分。まず冷たい桃から。お・い・し・い~~~運転手:私にも桃。助手:はーい。運転手:ほんと美味しい~!!二人とも、この味今でも忘れられない。魂に焼き付いた美味しさ。景色は次から次へと見たこともない山肌や、色を見せてくれる。運転手:次、キュウリに味噌を付けてくださ~い。助手:はーい。と言って、お好みの物を運転手に手渡す。次、リンゴ。はーい。次、セロリにピーナツバター付けてくださ~い。はーい。食べながら、お給仕しながら、しっかり景色も見て、写真も撮って。ほら、さっきとは全く違う色の山。道路の大きなうねり。手前の黒っぽい山を越えるための切通しが見える。切通しの壁面。泥の中に石炭が混じったような・・・。じゃあ、ランチも済ましちゃおう。サンドイッチ一切れ。はーい。やはり切通しを越えると、下り坂。山一つ越えた❢❢冷たいお茶下さ~い。はーい。冷たい食べ物や飲み物のお陰で、一時暑さも忘れ、元気いっぱい。ああ、また、こんな素敵な山。砂漠の木ジャシュワ・ツリーも見えてきた。小さいけど・・・。厳しい自然のなせる業かも。それでも生きている小さな木たち。山の色もまた変わった。ローラーコースターなような道路は続く。綺麗だね。美味しいね。あっちを見たり、こっちを見たり。あれを食べたり、これを食べたり。どこまで続く~。割りと平坦なまっすぐな道路。食べ物に気を取られていたのか・・・。あ~~~。さっきの、ナショナルパークのサインじゃない。そうだね。戻る?車ははここに止めて、歩いて戻ろう。こうして来し方を眺めてみると、沢山の山を越えて来たんだね。Thank you for Experiencing Your National ParkPlease Visit Againと書いてある、帰る人へのメッセージサイン。ズッコケ母娘裏から徒歩でデスバレーに登場では、改めて表から母娘でカッコよくご挨拶。まあ、今は元気だけど・・・。暑いのなんのって!!!!灼熱と言う言葉がぴったり。
2017.07.28
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1533. Day4-11 ヨセミテ国立公園を後に―アメリカ大陸横断の旅8・6・2014の1昨日は45℉(5℃)今日は一気にデス・バレー。昨夜は、近くのスーパーで新鮮なオーガニックの野菜や果物を買い込んだ。一晩しっかり冷やして、今朝は、保冷剤を敷き詰めた保冷バッグに桃やら、リンゴやら、ブドウやらの果物、キュウリ、セロリ、ニンジンスティックやらの野菜、クラッカーやパン、そんなものをしっかり詰めて、さあ、まさに死の谷に向かって出発❢❢❢旅行に行って、ホテル生活を楽しみたい人もいるだろう。でも、われら母娘は、ホテルは寝るだけ。チーペストなモーテルでOK.。朝は結構忙しい。何回も車と部屋を往復して、引っ越し荷物を山と積んだ車から、今日必要な物を取り出したり積んだり。そんな仕事に大わらわの娘ちゃん。死の谷とはどんなところか・・・。さあ、出発。左に、シエラネバダ山脈を見ながら。ここは砂漠の真ん中、灌漑施設がなければ緑にはならない。手前に一直線に伸びているのは、散水機。山国(山梨県)育ちのカズ姫、山、大好き。アルプス並みの山々の雄姿を感嘆の声を上げながら、写真に収めるカズ姫であった。昔、大昔?ウオーターボーイズと言うテレビドラマを見ていた。ドラマには、山の姿は絶対に映らなかった。だから、舞台は何処か全くわからない。青々とした水田・・・。学校。日本中どこにでもある風景。でも、ドラマが終わって、最後の15分位いの編集後記みたいな番組に一瞬山が映った。ピンポ~ン☆彡これって我が故郷、甲府盆地じゃない?それで、当時甲府ではないが、甲府盆地に住んでいた弟に聞いてみた。ウオーターボーイズって知ってる?ああ、知ってるよ。撮影はうちの近くでやって、もう人が来て大変だった。学校も近くの学校。と言うことだった。右手にこんな山並みを見ながらひたすら南下。目指すは、遠くにかすむ山並みに潜む、死の谷!!💀右手には、3~4000m級の山々。♬甲~斐の山々~♪♬ではないが・・・。それよりはるかに雄大だ❢❢❢。武田信玄も雄大で美しい山並みの写真を撮りまくり。何処を取って絵になる。だから、後で整理が大変。全部で3機のカメラで6000枚。旅行記なんて、その写真を選択するだけで嫌になる。実際、嫌になった。でも意を決して、再開挑戦。で、このピーク❢❢❢この時は、美しすぎる❢❢❢とひたすら息をのんで撮り捲っていただけだが・・・。この横断旅行が終わってしばらくして、知り合いが、”99年の愛”と言うテレビドラマを紹介していくれた。 アメリカでの第二次大戦中の日系アメリカ人達の辿った苦難の愛の物語。マンザナー強制収容所で、その中に出てくる写真を見たとき、アッ、ここ知ってる。それで、すぐにこの時撮った写真群を見て、そして、地図を広げて見た。そしたら、ちょうど、今通っている所 Rt.395沿い、右手に入っていけば行けたのに。知っていたら、絶対に立ち寄った❢❢❢でも、その時は、知らなかったから、その横を素通りしただけ。苦労して築き上げて来た一切の財産は没収され、この砂漠の中の強制収容所に収容された同胞たち。あまりに美しい山容と、悲劇。多分、今走っている道路と,山の間の砂漠。あの電信柱はそれに関係したのもかもしれない・・・。それにしても、雄大で美しすぎ!!山好きにには堪らない。きっとこの電柱の立っている道路が、そこへ続くのかも・・・。美しい山並みに感動していると。Lone Pine と言う町に入った。強制収容所は、あのピークのあった辺り、北端はIndependenceと言う町から、南端の此のLone Pineまでの砂漠に急遽作られたバラック。此処での不合理で非人間的な生活。そんな悪条件の中でも少しでも環境を整え、生活を楽しもうと砂漠を緑の農場に変えた、わが同胞たちの苦難の道は、ドラマ"99年の愛"につぶさに描かれている。この山の西側は、何日か前に訪れた、セコイア国立公園とキングスキャニオン国立公園が広がる。もうすぐ、このRt.395から、西に分かれるRt.136に入る。この地点まで、ビショップから、57マイル。1時間弱。シエラネバダ山脈中最高峰の Mt.Whitney (14494Feet)を最後に、シエラネバダ山脈ともお別れ・・・。左にカーブして西に向かう。Rt,136。この青空の元、一路”死の谷”へ!!!さあ、どんな冒険?が始まるか!!!請うご期待
2017.07.25
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8/5/14 の10メドーの後ろにどっしりと構えていた岩山。ヨセミテの終わり、Tioga Pass Entrance 標高 9945フィート3031m は近い・・・・夕日に映えてひときは高くそびえるのはMount Dana 13057ft/3979m だろうか・・・。INYO National Forest のサイン。ああ、ヨセミテを出たのだ!!!振り向くと、Tioga Pass Entrance のサイン。ということは、標高 9945フィート3031m。寒いわけだ。写真を撮りに出ると、もう凍えそうだった。娘ちゃんのいかにも寒そうな表情。袖の中に両手を突っ込んで!!!カズ姫も寒くて寒くて、すぐに車に。車の寒暖計は”経験最低気温-42度F(5度C)at yosemite” を示している。周りをシエラネバダ山脈の高山に囲まれたTioga Lakeえ、白いの雪渓???見渡すと、あちこちに雪渓が点在している。寒いわけだ!!でも、そのときは肉眼では、”あれって、雪?””そうだよ、富士山でも頂上付近にはあったよね。”これらの山々は、富士山より高いんだ!!!とか繰り返していたが、あちこちに見えたので、雪渓だと確信。これから、こんな山々を見ながら、南に下っていく。山を巻いてこんな道を下っていく。今7時55分。今夜の宿と決めているBishop までは、あと、1時間くらいか・・・。もうだいぶ暗くなってきた。重なる山並みが美しい。ヨセミテを横断していたRt.120は、Rt.395と合流して、南下。さようなら、ヨセミテナショナルパーク。本当に楽しませてもらったよ。心がでっかくなったよ。本当にありがとう。夜の帳の中に沈みい行く、シエラネバダ山脈を右に見ながら・・・ただひたすら、Bishop 目指して突っ走る。澄み切った夕空が美しい。やわらかくピンクに染まった雲がしばらく目を楽しませてくれた。ビショップについたのは、9時過ぎていただろうか。”今日は早くついたね。” と喜んで、チェックインを済ませてから、近くのショッピングモールに食料の買出しに。アメリカでも、オーガニック食品に関心を持つ人が多くなり、地方のショッピングモールでも、オーガニック食品コーナーが充実しているのはとても助かる。この寒さから・・・明日は、灼熱のDeath Valley!!!!
2014.12.02
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8/5/14 の10横断山越えルートなので、森と湖と岩山の景色を堪能しながら、上ったり下りたり・・・・いま、海抜7500フィートあ、今度は8000フィートと標高サインを読み、高度が上がったり下がったりしながら、ひたすら進む。岩肌に西日を受けて、その光と影が素敵な堂々とした岩山。同じ岩山は一つとして無い。人の顔のように。突然なんとも優しい不思議な地形が。わー、ハーフドームだ!!!グレイシャーポイントの反対からの眺めだ。それにしても、手前は大きな石畳!!!大きな岩がごろごろ。あの写真撮ってる人大丈夫?下りてみたかったけど・・・車の中から、ハーフドームにお別れして、先を急いだ。またまた、こんな岩山が。これは、この形からして、もしかしたら”Clouds Rest"9926フィート、3025mかも。退屈することの無い眺めは続く。月と岩山とのコラボ。雄大だ!!こんな道を、くねくねと上ったり下りたり。気の抜けない山道。運転手は運転に集中。次から次へと現れる珍しい風景。カメラウーマンは、写真を撮り通し。ああ、おかげで、整理が大変だ。かなり大きな湖が・・・Tenaya Lake.暗くなりかけた湖はなんだか怖い・・・。わー、天を突くキャセドラル。やっぱりCathedral Peakと言うらしい。標高10949フィート、3335m。ありゃー、富士山に近い高さだ。近くには、4000m級の山も。広々とした草原が。Tuolumne Meadow.ビジターセンターもあったが、パス。メドーで下りて・・・可憐な草花を撮影したり、写真を撮り合ったり・・・少し遊んで・・・ずっと向こうの森まで歩きたい欲求に駆られたが、もう7時半。宿まで辿り着かなければならない。ああ、今日でヨセミテは終わりと思ったら、あと一日。
2014.12.01
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