今年の 4 月から施行された働き方関連法の数々で日本は働きやすい国になっていくのかということなのだが、そもそも政府は働き方改革で何をやりたいのかということで厚生労働省の HP によれば、「投資やイノベーションによる生産性向上とともに、就業機会の拡大や意欲・能力を存分に発揮できる環境を作ること」だという。ところが残業を減らすために昼休み返上で働くなど新たな問題も生まれ、政府の「働き方改革」に課題や問題点を指摘する声が続々と出ているそうなのだ。こういうお粗末な法律が施行されてしまいこれは日本企業と日本経済にとって大きなマイナス要因となるとの批判の中、「長時間労働」問題が一向に改善しない日本とは対照的に合理的な働き方を取り入れているのがドイツだという。
あるリポーターがドイツの残業実態についてひととおり聞いたあと、「労働者天国かのようにいわれるドイツでは、さぞかし革新的で効果的な残業抑制の施策があるのだろう」と聞いたところ、「ドイツでは最大労働時間が決まっているので、その上限を超えなければ残業しても問題ありません」と回答されたという。それでも残業しなきゃいけない事項や残業させられることに対してなおも「その法律を守らない企業に対してはどんな対策を」と質問を重ねると、事も無げに「それは司法の判断になります」と返ってきたという。「法律を守らない企業をどうするか」といえばそれはたしかに「法に則って対処する」という答えになるはずなのだが、それが法治国家というものだと雑誌に載っていたのだ。
しかし日本には「企業が労働法を守らない」という前提があり、「そんな企業からどう労働者を守るか」が議論の俎上に上がる。それが「そもそもおかしいのだ」と気付かされたやりとりだった。なぜドイツでは「企業が法律を守る」を前提に話ができるのかというと、それは「権利を侵害すると労働者がすぐに声を上げる」とか「労働環境が悪いと従業員が辞めてしまう」というのが大きいというのだ。ドイツには仕事内容はもちろんどこからどこまで責任があり、どんな目標を達成すべきなのかどんな権限をもつのかなどが細かく書かれた「ジョブ・ディスクリプション」とよなれる職務記述書があって、だからこそ労働者は「それはわたしの仕事ではありません」や「契約で決まっているので、それは拒否します」と堂々と言うそうなのだ。
仕事場では多少の融通を利かせる人が大半とはいえ労働契約に違反した指示や働かせ方を恒常化させていると、それだけでストライキや訴訟に発展する可能性があるという。そういった状況を許した上司もまた相応の処分を受けるという。しかも同一労働同一賃金だけでなく、求人は仕事内容を明確にした欠員補充が前提なので「どの企業で働くか」よりも「どんな仕事をするか」が重視されるというのだ。企業イメージが悪くなれば優秀な働き手がいなくなってしまうから企業も労働者の権利侵害には敏感で、「利益を上げる」といった話の前に「労働法を守らないことはハイリスクローリターン」だということが徹底されており、「法律よりもその場の空気や慣例を優先」はめずらしくない日本とは大きく違うというのだ。
つまりドイツはなにかにつけ「契約書」や「法律」を引き合いに出す国だから、「契約書にこう書いてある」とか「法律でこう決まっている」と言いやすいしそれが強い説得力をもつ国だという。ドイツのような契約社会と日本の人情社会ではそもそも価値観がちがうとはいえ、それでも日本は法治国家というのであれば、法律は守るべきだし守らない相手には抗議することが本来のありかただなのだということが抜け落ちているというのだ。つまりいくら法律を作っても経営者側はあいかわらずルールを破り、労働者はあいかわらず沈黙するそんな現状を変えようと奮闘している労働組合がたくさんいることも承知しているが、やっぱりすぐには変えられないだろうというのが実情のようなのだ。
「ドイツの労働環境がいい」というのはドイツという国に神が気まぐれで与えたものではなく、法律を整備してそれを破る者を罰し個々の労働者が理不尽に対して声を上げ続けた結果だということを理解し、「働きやすさ」を勝ち取るために自覚的に戦う人たちの多さもまたドイツの労働環境をつくっているという。「企業がルールを守る」という前提がないかぎり「どういうルールにするか」を考えたところで効果は限定的なので、平気でおかしなことを要求する人たちとその理不尽を受け入れてしまう労働者の存在が、そういった人々が集まる組織にいくら画期的な法律を導入したところで状況はたいして変わりはしないというのだ。それよりもまず「ルールを守らせる」ことを徹底すべきじゃないのかが問題だというのだ。
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