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2006.08.23
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ミシェル・パストゥロー(松村剛・松村恵理訳)『悪魔の布―縞模様の歴史』
Michel Pastoureau, L'Etoffe du Diable : Une histoire des rayures et des tissus rayes
~白水社、1993年~

 西洋中世の色彩、紋章、図像の歴史の権威ミシェル・パストゥローの多くの著作の中で、最初に邦訳が出された著書です。13世紀から現代までの縞模様の歴史を、服飾の技術の歴史などともからめながら、特にその価値体系について描いています。
 簡単な目次は以下なとおり。

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 縞の秩序と無秩序
 第一章 縞模様の衣装をつけた悪魔(13-16世紀)
 第二章 横縞から縦縞へ、そして逆転(16-19世紀)

ーーー

 はじめに、ともいうべき「縞の秩序と無秩序」のところで、パストゥローはこの本を短いものにしたいと書いています。縞模様の歴史というのは新しい領域であり、その段階では、詳細な研究よりは総括的な論の方がよいだろうというのですね。

 第一章は、私の専門が中世史ということもあり、特に興味深く読みました。最近、彼の論文を何度か記事で紹介していることもあり、最初に本書を読んだときよりは、よく理解もできたように思います。
 まず、カルメル会のスキャンダルについてふれられています。カルメル会は12世紀にパレスチナで誕生し、ヨーロッパにやってきて、 13世紀に托鉢修道会に分類されることになります。
 托鉢修道会というのは、主に都市に住み、民衆への説教に従事した修道会です。民衆の懺悔(告解)を聞く役割も果たしたようです。 13世紀の四大托鉢修道会としてドミニコ会、フランシスコ会、聖アウグスティノ隠修士会、そしてこのカルメル会があります。
 さて、どういうスキャンダルだったのか。彼らはもともとパレスチナにいたのですが、聖王ルイが十字軍からパリに戻ったとき、カルメル会修道士を連れていました。そして彼らが、縞模様の外套を着ていたことが、スキャンダルだったのです。人々は彼らに「縞の坊主」というあだ名をつけてあざ笑いました。さらに付け加えれば、当時完全に修道女になるわけではなく、俗人としての資格のまま修道的な生活を営むベギンと呼ばれる女性たちがいたのですが、カルメル会修道士はベギンの女性たちと交流があまりに密接だ、と非難されたのだとか。ベギンは私の研究とも関わってくるので、興味深かったです。
 とまれ、ではなぜ縞模様が非難されたのか。教会会議では、聖職者が(縞であれ市松模様であれ)二色の衣装を着ることを禁じています。また、世俗の慣習法や規則の中で、縞模様は排斥された者たち―私生児、農奴、受刑者、ハンセン氏病患者、異端など―に着せられるように規定されています。また、文学作品の中では、不実な騎士や姦通する女、貪欲な召使いなどは縞模様の服を着ているといいます。このように、縞模様は、なんらかの理由で社会秩序の外部におかれた者たちに結びつけられていたのです。なので、東方からやってきた修道士が縞模様を着ていた、というのは、スキャンダラスなことだったのですね。
 さて、本書ではその後紋章について言及されますが、そこは割愛するとして、一つの指摘を紹介しておきます。想像上の紋章の中では、先にふれたように、縞模様をもつ紋章はほとんど全て否定的です。しかし、現実には縞模様を含む紋章は無数にあり、威光を誇る紋章もあった、というのです。たとえばアラゴン王国の紋章は、赤と金の縦縞をもっていたといいます。

 第二章では、中世では軽蔑的・「悪魔的な」意味をもっていた縞模様が、次第に肯定的な意味をもつ過程が論じられます。縞模様はまず、召使いの身分・従属的な役割の第一の記号になったといいます。
 さらに近代には、肯定的な価値をもつ縞模様が普及します。貴族や上流階級の若者たちが着始めるというのですが、重要なのは、それが社会から除外された者たちが当時課せられていた横縞ではなく、縦縞だったということです。たとえば、16世紀のフランス王フランソワ1世、イギリス王ヘンリ8世は縦縞の服をきた姿の肖像を描かせています。
 18世紀には、ロマン主義的・革命的な縞模様がはじまります。興味深かったのは、シマウマに対する評価の変化です。シマウマは、16-17世紀の学者には、危険で不完全な、あるいは不純な動物とみなしていました。しかし、18世紀のビュフォンという人物は、シマウマをもっとも調和のとれた動物の一つに数えているのです。 そして、アメリカ独立革命、フランス革命でみられる縞模様について。アメリカ国旗の紅白の縞は、自由にイメージと新思想の象徴として現れたといいます。フランス革命では革命に関するあらゆる舞台に縞の装飾なされました。三色帽章は遠くからよく見える「記章」としての役割を果たし、急速に国民軍の記章となります。また縞模様は共和制や愛国主義のイデオロギーを示すものとなり、縞模様を着ることは、そのイデオロギーに賛同することを誇示することでもあったといいます。

 一方、悪い意味の縞模様も存続しています。たとえば、囚人服ですね。ところで、囚人らの縞模様はアメリカから渡来したそうで、また、フランスでは徒刑囚に対して縞模様が用いられたことはなく、赤い上着を着せられていたのだそうです。
 また、面白かったのが語彙について。たとえば、近代フランス語のレイエ(rayer)という動詞には、「縞をつける」という意味と、「削除する」などの意味があります。縞をつけるとは除外することであった、というのです。そして長い間、縞模様の衣装をつけた人々は社会から排除されていました。ところが、この除外は、権利や自由の喪失ではなく、一種の保護と考えられたかもしれない、といいます。中世社会が狂人や愚か者に与えた縞模様は、彼らを社会から疎外する記号でしたが、同時に悪魔などから彼らを守る柵や格子の意味をもったのではないか、というのですね。

 第三章については、笑える意味で興味深い、あるいはへぇーっと思った話を紹介します。
 今までに何度か記事にも書きましたが、日本でいうアクアフレッシュなど、縞模様の歯磨きがあります。フランスではシニャル社の歯磨きが有名らしいのですが、パストゥローは、なぜチューブからきれいな縞模様が出てくるのか、チューブを分解したのです。引用しましょう。「シニャルの歯磨きチューブを分解し、解体しさえした(「めちゃめちゃにした」というべきだろうか)とはいえ、あのように二色の歯磨きがどのようにチューブから出てくるのか、私にはわからなかったと告白せざるをえない。シニャルの歯磨きは、私にはその謎を完全に保持しているのである。そのほうがよいのかもしれないが」(139頁注21)。さらに次の注で、彼はこう書いています。「…この歯磨きを称える文章を書くにあたって、シニャル社は私の「スポンサー」になってはいない。しかしながら、もしも本書の出版の後、縞模様の歴史についての研究に助成金を出してくれるというのなら……」(同頁注22)。パストゥローの茶目っ気が大好きです。
 それから、パストゥローのお父様はアンリ・パストゥローという方で、シュールレアリストです。ピカソとも交流があったそうです。あるときピカソと衣料店に行ったとき、ピカソは「尻に縞模様をつける」ために縞模様のズボンをほしがったが、縦縞のズボンがなかったので買わずに出てきた、というエピソードが紹介されていました。

 それから、縞模様は服飾の上で男性的な含みをもち、男性の縞の装飾と女性の散らし模様の装飾とが対比される場合がある、という文脈で、しかしこのことは体系的ではない、と。「水玉や花柄の下着をつけた男性―それは違反に近いものがある―に出会うのは稀だろうが、その逆は事実ではない。なぜなら、繊細で女性的な、きれいな縞のはいったパンティやブラジャーをつけている女性はおおぜいいるからである」(92頁)。違反に近いものがある、って…。面白かったです。

 そのほか、縞模様と境界の関係など、興味深い指摘も多々ありました。短く、上で紹介したような面白いエピソードも多くあり、とても読みやすい本です。

 私は単行本で持っていますが、現在は新書版も出ていて、そちらの方が入手しやすいかもしれません。新書版の画像はこちら↓。
縞模様の歴史





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Last updated  2008.09.25 21:27:51
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のぽねこ @ シモンさんへ コメントありがとうございます。 久々の再…
シモン@ Re:石田かおり『化粧せずには生きられない人間の歴史』(12/23) 年の瀬に、興味深い新書のご紹介有難うご…
のぽねこ @ corpusさんへ ご丁寧にコメントありがとうございました…

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