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2006.09.10
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ハーメルンの笛吹き男

~ちくま文庫、1988年~

 今朝の朝刊で、阿部謹也さんが亡くなられていたことを知りました。西洋中世史の大家で、専門は時代でいえば中世後期、地域はドイツで、研究領域としてはいわゆる社会史で有名です。私も中世西洋史を勉強してきていますが、もともとの関心は、政治史ではなく、名もない民衆の実態がどのようなものであったか、知ってみたい、ということにありました。そういう問題関心があったので、阿部謹也さんの著書や論文はいくつか読み、勉強してきています。知らせでびっくりしましたが、冥福をお祈りします。
 今日は家で休むと決めていたこともあり、また新聞で『ハーメルンの笛吹き男』が紹介されていたこともあり、本書をあらためて読み返してみようと思いました。

 現代知られている伝説の形は、主にグリム兄弟やブラウニングの詩からとられているそうです。
 1284年、ハーメルンに「まだら男」とも呼ばれる笛吹き男が現れた。当時市は鼠の被害に苦しんでいた。男は、報酬と引き替えに鼠を退治すると約束し、笛を吹いて鼠を連れて行き、市のそばを流れるヴェーゼル河に入った。男についていった鼠は、溺れてしまった。こうして鼠を退治したが、市は男に報酬を払うことを拒む。すると後日、再び男が現れた。このとき男が笛を吹くと、4歳以上の子供たちが大勢走りより、男についていった。そして山に着くと、男とともに消えてしまった。消えた子供の数は、130人であった……。
 そして、唖や盲目の子供は戻ってきて、できる限り状況を伝えようとした、また、消えてしまった子供たちは、ジーベンビュルゲン(今日のハンガリー東部の山地)に再び現れた、という逸話が、グリムの版では続きます。

 本書で重要な指摘は、現在の形となった伝説が確認できる史料は1565年頃に記された『チンメルン伯年代記』が最古であり、それ以前―1284年に近い、一次史料には、<鼠捕り男>のモチーフは見られない、ということです。本書では1284年6月26日の事件=<130人の子供の失踪事件>の復元と、その事件(とそれに由来する伝説)が<鼠捕り男>伝説と融合していく過程の二つが、解明されるべき大きな柱となっています。第一部、第二部が、それぞれに対応しています。

 まずは第一部「笛吹き男伝説の成立」から、自分なりに整理してみます。

(第一章 笛吹き男伝説の原型)

(1)ハーメルンのマルクト教会のガラス絵。
 →1300年頃の教会改築の際、<笛吹き男と子供たちの失踪>をモチーフとしたガラス絵がはめられたと考えられています。また、この絵には説明文が付され、130人の者が「引率者のもとで多くの危険を冒してコッペンまで連れてゆかれ、そこで消え失せた」とあったとされています。この説明文は後代に再現されているため、注意が必要です。
(2)ハーメルンのミサ書『パッシオナーレ』のタイトル頁に書かれたラテン語の脚韻詩。
 →1384年頃。この史料では、笛吹き男について言及がありません。
(3)ニューネブルクの手書本。
 →1430-1450頃。この史料は1936年に再発見された文書で、重要な価値が指摘されています。 1284年の「ヨハネとパウロの日」(6月26日)、30歳位の若い男が橋を渡り、ハーメルンに入ってきた。彼は上等の服を着ており、また奇妙な形の銀の笛を持っていた。この笛を町中に吹き鳴らすと、その笛の音を聞いたおよそ130人の子供たちが全て男に従って、東門を通ってカルワリオあるいは処刑場のあたりまで行き、そこで姿を消してしまった。子供らがどこへ行ったか、誰も知るすべがなかった。[……]同じくハーメルンでは、1347年、次のような事件が起こった。長い間鉄張りの戸で閉じられていた排水溝の中に、その戸が落ちてしまった。最初に落ちてしまった子を助けようとした三人の兄弟が、助け上げようとしてその中に落ち、みな窒息死してしまった。人は、この排水溝の中には竜[…]がいたというが、その中で閉じこめられていた空気が悪くなっていたと見る方がよいだろう。
 こういった内容です(31-32頁参照)。

(第二章 1284年6月26日の出来事)
 では、この事件に対して、これまでどういった解釈がなされてきたのでしょうか。ヴァンという研究者が、 25の項目に分類して整理しています。その中で阿部さんが検討に値するとしているのは、 (1)舞踏病、(2)ジーベンビュルゲンへの移動、(3)子供の十字軍、(9)1285年に偽皇帝フリードリヒ2世のあとをついていった、 (11)崖の上から水中に落ちて死んだ、(12)地震による山崩れで死亡、(17)1260年のゼデミューンデの戦いで戦死した、 (24)死の舞踏の叙述から派生した、という8つの説に加え、東方植民説です(項目の番号は本書にある番号です)。
 こうした先駆者の説を念頭におき、以下、(1)ハーメルンの都市の実態、(2)子供たちの状態、(3)笛吹き男がなぜ主人公か、ということが考察されていきます。

 その地方で早くからキリスト教の布教に従事していたフルダ修道院が、その前進基地である聖ボニファティウス律院を設けました。これが、ハーメルン市の前身です。ハーメルンの都市は、軍用道路に沿って設立されました。ヴェーゼル川の東岸に位置しています。その経済はかなりの程度水車を使った製粉業に依存していたようです。ところで、水車と鼠は「切っても切れないパートナー」であり、ここに<鼠捕り男>がハーメルン市で重要な意味をもつ一つの根拠が見られる、といいます。
 文書では、1185-1202年にかけて、ハーメルン市という名称が確認でき、12世紀末には都市建設の大綱は完了していたとみられます。都市の建設の中心的な人物は、エーフェルシュタイン伯アルベルトだったようです


 上記仮説(17)に関する事件が、1259年に起こります。
 1259年、フルダは、実質的に自分の影響下から逃れたハーメルン市を、その都市が位置していたミンデン司教に売却することにします。フルダとミンデン司教は同意し、ハーメルンとエーフェルシュタイン家に伝えました。両者にとっては寝耳に水、反対します。
 そこで、1260年、ミンデンの司教軍と市民が激突します。司教軍は東側から市に近づきました。市民は市内での戦闘を避けるため、迎え撃とうとしました。こうして、若者たちは東門を抜け、ゼデミューンデで司教軍と戦います。これは、市民軍の壊滅的敗北で終わります。
 この事件が、笛吹き男伝説の原型とされる説が生まれます。笛吹き男はこの場合、若者たちの先頭に立った「らっぱ手」ということになります。この説は18世紀からほぼ200年間信じられてきたわけですが、これによれば、笛吹き男の伝説は「祖国のための戦死者」のシンボルとして位置づけられます。まさにドイツが祖国解放のために戦っていた時代だったからこそ、この説が支持された、というのですね。
 しかし、子供の失踪とは20年もずれていますし、この戦争には、<笛吹き男>や<鼠捕り男>伝説と結合すべき根拠はないとして、この説は退けられます。




(第三章 植民地の希望と現実)
 ここでは、東方植民説が検討されます。12、13世紀には、大量の人々の東方への移動が見られました。「都市の再生」、人口増など、当時は激動の時代であり、村では新参者が力をもち、階層秩序も変貌していきます。その状況に違和感を感じた、比較的富裕な人々が、好条件で土地を得られる東方へ移住していった、ということが指摘されます。
 この説の代表者として、また詳しく紹介されるのが、ヴァンの理論です(85-110頁)。
 いわゆる笛吹き男が属する「芸人」たちは、社会的差別を受けた存在であり、その衣服も規制されていました。上記史料(3)のように、「上等の服」を着ていると形容されるはずがない、というのです。ヴァンは伝説の笛吹き男を、植民請負人と考えました。ヴァンは1284年6月26日の前に市で行われた集団結婚で結婚した人々が、東方に向かった、と言います。(子供ではなく、実は成人した若者たちですね)。当時、市は土地不足、また人口過剰の問題を抱えており、東方での人民の需要とうまい具合に時期が重なっていたのですね。
 私は、1284年から1300年までの史料がないのは興味深い問題だと考えながら読んだのですが、ヴァンの理論はそれも説明します。働き盛りの人々がこれだけ人口が流出するのは市としても痛手でしたが、東方移住に抵抗すると流血沙汰になる恐れがあったため、とめることができなかった。ただし、市の当局の人々は、文字の読み書きができるのは彼らだけでしたから、二度とこう言った人口流出が起きないよう、噂を封じようとして公文書に事件の記録を残さなかった。「こうした処置が逆にこの話を伝説に転化させる結果を招いた」、というのです。
 阿部さんはこの理論を高く評価しますが、批判もします。わかりやすかった批判は、伝説につきまとう暗さを説明できていないことと、移住した若者たちと故郷の間に連絡がなかったはずがない、ということです(ヴァンは東方に植民領域を持っていた人物とハーメルンの関係の強さを指摘しているため、余計にですね)。
 同じく東方植民説を唱えるドバーティンは、しかしヴァンとは対照的に暗さも説明します。植民に行く途中で事故にあい、遭難したのだ、というのですね。彼は家系学に基づき伝説を分析しますが、鼠捕り男の問題も一緒くたに論じていることで批判されています。
 結局、阿部さんは東方植民説も否定しています。

 ちょっと長くなってきたので、いったん記事を終えるとします(現段階で、本書の三分の一くらいまできました。細かいのは、自分のメモの意味もあります)。続きは後日…。

紹介第二回(第一部第四章、第五章)の記事は こちら
紹介第三回(第二部)の記事は こちら





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Last updated  2008.07.12 20:53:19
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のぽねこ @ シモンさんへ コメントありがとうございます。 久々の再…
シモン@ Re:石田かおり『化粧せずには生きられない人間の歴史』(12/23) 年の瀬に、興味深い新書のご紹介有難うご…
のぽねこ @ corpusさんへ ご丁寧にコメントありがとうございました…

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