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2006.09.12
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阿部謹也『ハーメルンの笛吹き男』
~ちくま文庫、1988年~

 昨日、一昨日に続き、紹介と感想です。

 第一部 第一章~第三章 → 紹介第一回
 第一部 第四章~第五章 → 紹介第二回

第二部 笛吹き男伝説の変貌

 笛吹き男伝説は、第一部で見たように、もともとは<鼠捕り男>のモチーフを含まないものでした。これが<鼠捕り男>のモチーフと融合する過程、そして伝説に対する時代を反映した解釈について、第二部で論じられます。

(第一章 笛吹き男伝説から鼠捕り男伝説へ)
 まず、中世ヨーロッパにおける不作や飢饉の状況が語られます。そうした状況の中での人肉食についても、少しふれられます。飢饉、不作、疫病などによる人口減。こういった苦難は、中世においては繰り返し起こっており、したがってハーメルンにも、<笛吹き男>の事件の後もこれらの危機がありました。そのたびに民衆は、130人の子供失踪という事件を回想し、出来事を語り継いだと考えられる、といいます。先日の記事では書きませんでしたが、史料(3)には、ハーメルンでは、「子供たちの失踪から……日」という数え方がなされていた、という記述があるくらいなのです。


 笛吹き男は<楽師と見られる大男>で、彼が笛を吹くと子供たちは一緒に走り出し、カルワリオという山のところで沈んでいった。[…]母親たちが追いすがると、この男は、「300年たったらまたやって来てもっと多くの子供を攫うぞ」と脅したという。
 ここで指摘されるのは、<笛吹き男>が大男となっていること、300年後(日記が書かれた年の30年後になりますね)にまた子供たちがさらわれる、という話があるということです。前者からは、<笛吹き男>が魔術的な性格を帯びていることがうかがえます。後者は、16世紀になってもハーメルンが様々な不幸に襲われていたことを反映している、と言います。洪水、宗教改革後の混乱で恐怖に襲われていた人々は、300年前の大男がまた現れるかもしれない、と怯えていた、というのですね。
 ふっと、<ノストラダムスの予言>を思い出しました。恐怖の大王(でしたっけ)は来ずに人間社会はまだ続いていますが、 20世紀末、もっともっとこの<予言>をマスコミが面白おかしく(?)大々的に取り上げる平和な国々が困窮や恐怖や不安に襲われていれば、もっと切実に語られたかもしれませんね。様々な不幸な事件が続いたとき、その少し先に起こる不幸を暗示する予言があれば、それは信じられやすくなるのかもしれません。上記のハーメルンの場合は、逆に不安を生み出すための「予言」が後から加えられたわけですが。
 さて、<笛吹き男>は魔術的な性格を帯び、1588年の記録では「いかさま師」、1599年の記録では「魔術師」と記されているそうです。こうして、「共同体の蒙ったかつての痛みはローカルな体験から普遍的な世界へと飛翔していった」(228頁)と阿部さんは述べています。

 ところで、宗教改革の後、ハーメルンも市参事会と市民のイニシアティヴによってルター派に移行していました(222頁)。宗教改革はカトリックとの対立のため、「異境的慣習」の根強い人々を味方につけたのですが、改革が成功すると、今度はその味方につけた人々の生活を規制する必要がありました。その生活規制のため、ハーメルンでは伝説を利用した、とあります。先にふれたような災害に人々が恐怖している中、1556年には市の新門に、次のようなラテン語の碑文が彫り込まれました。
「1556年/すなわちマグスが130人の子供を町から/攫っていってから272年ののち、この門は建立された」(231頁)
 マグスとは「神秘的な隠れた世界の支配者」ということですが、この表現は明らかに市当局の作為による、と指摘されます。またこの頃には、子供をしつけるための教訓話としても、悪魔が子供を攫う話がありました。
 ところがこうなると、一つの問題が起こります。聖職者たちは悪魔が子供をさらうという話を利用したわけですが、ではなぜ神は、罪のない子供たちを悪魔が連れ去ることを許したのか、という問題です。阿部さんは、この問題に対する解答として、<鼠捕り男>伝説との結合を指摘します。

 第一部第二章でもふれられたように、ハーメルンは水車が特徴的な町で、鼠の被害も大きかったようです。ここで、史料『チンメルン伯年代記』が確認されます。年代記は、1538年と1557年の鼠の大被害についての記録の間に、ハーメルンの伝説を記しています。この話の中では、鼠が山に連れて行かれますが、そのほかの点では現在に伝わる形をしています。
 鼠による被害に対して、なんらかの対策を講じる必要があります。そこで、中世ヨーロッパには、職業的な技術者<鼠捕り男>が登場する、といいます。日本であるような鼠返しなどは、建築物の構造などから彼らには用いられなかったというんですね。
 さて、伝説では、鼠捕り男は笛を吹いて鼠を退治します。これに、退治してもらった市民たちは、いわば拍子抜けするのです。彼らは額に汗して働いていました。一方、結果はともあれ、鼠捕り男は笛を吹いただけじゃないか。報酬なんて払えない……というわけです。労働に価値を見いだした「合理的な」市民たちは、「過去の呪術的な世界からの使者」であった鼠捕り男の労働を低く評価したというのです。


 <笛吹き男>と<鼠捕り男>の伝説の結合。この理由として、放浪芸人と鼠捕り男の類似性だけでなく、当時の社会背景が指摘されます。当時ハーメルンは政治的、宗教的な抗争に巻き込まれており、苦しみを味わわされた人々は、責任を持つ都市上層部(市参事会)への憎悪をつのらせます。庶民にとって、<笛吹き男>や<鼠捕り男>は自分たちの怒り、悲しみを共有できる存在でした。また、<鼠捕り男>の復讐というモチーフには、庶民の怨念が表現されていた、というのです。

 やがて、<鼠捕り男>伝説と結びついたハーメルンの伝説には、市参事会の裏切りというモチーフがみられます。この伝説は事実であったと主張する者たちが現れ、市参事会は困ります。というんで、参事会は、そんな伝説は空想である、と主張するようになります。新門の碑文の頃には、伝説を利用した参事会ですが、伝説が自分たちの立場にとって好ましいものでなくなると、それを否定した、というのですね。いろいろ考えながらとても興味深く拝読しました。

(第二章 近代的伝説研究の序章)
 17世紀のショック(人名)やその弟子のベッカーなどは、伝説(<鼠捕り男>のモチーフは既に結合しています)は信じられない作り話、としています。二つのモチーフが結合した伝説はたしかに「虚像」ですが、啓蒙主義の思想家がそれを史実ではないと否定したことが、ここでは批判されます。彼らは、「民衆にとって長い辛苦のなかから滴りおちるようにして生み出されてきた虚像の方が、無味乾燥な「史実」よりも重い意味を持っているということを理解しなかった」(271頁)というのですね。
 ライプニッツ(1647-1716)は、この伝説の裏にいくばくかの事実を読み取ろうとしました。この姿勢が、現代まで保たれています、と言います。

 また、19世紀、ドイツは、多くの領邦が分立しており、国家統一をなしとげようとしていました。その際、ドイツの統一のよりどころとして、ドイツが帝国を形成していた中世が浮かび上がりました。このような背景の中で、19世紀ドイツでは中世史研究がドイツ民族共通の過去の研究として勃興したのです。また、ドイツ人の民族の一体性を明らかにするため、民俗学も盛んに営まれるようになります。
 このあたりでは、神話的な研究や心理学的な研究も紹介されています。
 ハーメルンの笛吹き男伝説について、本章で数世紀にわたる研究のあり方が外観されていて、研究のあり方(対象、目的など)が時代の影響を受ける、ということをあらためて実感しました。

(第三章 現代に生きる伝説の貌)
 ここでは、第一部第一章で紹介された史料(3)ニューネブルクの手書本を再発見した、シュパヌート博士について、詳しく紹介されます。教師として活躍、1912年にハーメルンの女学校の校長となりますが、後にナチスの統制をうけ退職させられ、その後民俗学や郷土史の研究に目を向けます。ハーメルンについて研究を深め、やがて、本書でも何度か名前があがるヴァンと協力して研究を行い、彼らは研究に重要な意義をもつ手書本を見つけたのです。

 三日にわたり長々と書いてきましたが、今回で『ハーメルンの笛吹き男』の紹介の記事は終わります。
 第二部第三章はまさに、現代の研究者に焦点が当てられていますし、第二部第二章、271頁の言葉をはじめ、阿部さんの目はつねに「生きた人々」に向けられています。民衆の実態、下層民の実態などでの言及ももちろんですが、飢饉、災害などの背景に当然あった人々の苦しみをきちんと見つめ、ハーメルンの笛吹き男という謎にアプローチします。
 この謎も、子供たちはどこに消えたのか? など、俗物的な意味でもきわめて興味深いものです。しかしその裏に、単なる知的好奇心ではすまされない、当時生きていた人々の苦しみを見ています。
 わくわくしながら読んだ一冊です。
 あらためて、阿部謹也先生のご冥福をお祈りします。





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Last updated  2006.09.12 21:22:24
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