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2007.03.04
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Michel Pastoureau, "Les proces d'animaux : Une justice exemplaire?"
Une histoire symbolique du Moyen Age occidental , Seuil, 2004, pp. 29-48.

ミシェル・パストゥロー『西洋中世の象徴の歴史』より、「動物裁判:模範的な裁判か?」を紹介します。

[序]
 過去、くだらないとされてきた動物の歴史は、ここ20年間の間に見直されています。それは、社会史、文化史、宗教史、法制史、象徴の歴史などの関心に関わる研究領域です。特に、中世の史料は人間と動物の関係についてよく語ってくれます。テクスト、図像、考古学資料、紋章、法律、民俗、ことわざなどが、史料となります。

動物に対するキリスト教的中世

 キリスト教的中世は、動物に多大な関心を寄せつつ、矛盾する思考・感性をもっていました。 (1)人間と動物を対立させる感性、(2)人間と動物の類似性を認める感性です。
 (1)が主流で、人間と動物が近しくなることを禁じます。たとえば、動物に変装すること、動物を祭ること、bestialiteが禁じられます。
 (2)は主流ではないものの、重要な感性です。動物も人間と同様の存在なら、死後に復活するのか、動物は日曜日に働くのか、道徳的な責任があるのか…といったことが問題となります。最後の問題は、裁判と関わることになります。
 動物裁判は、13世紀半ばから(もっと早い事例もありますが)、全ヨーロッパ的な現象として起こることになります。

ファレーズの雌豚


 これが動物裁判の例です。ここにはいくつか例外的な要素もあり、処刑の場に豚が大勢いたこともその一つです。裁判の主催者が、その公開処刑が「教訓となる」べく、農民を家族だけでなく豚も連れてくるように招待したと考えられます。
 動物の所有者は罪を問われず、罪があるのは動物だと考えられていました。所有者は、その動物を失ったことで、十分に罰を受けたと考えられたといいます。

期待はずれの歴史記述[Une historiographie decevante]

 現代では、まだ動物裁判についての十分が研究がないと嘆いた後、16世紀の法曹家シャスネChasseneeの見解が紹介されます。彼は、収穫物を害する「有害な動物」のリストを作り(ネズミ、毛虫、昆虫など)、それらの動物を裁判にかけること、齧歯類や昆虫に土地を去らせることなどが正当だと考えます。土地を去らせる手段として、悪魔払いや破門などがあります。
 「害虫」に対する裁判の事例もけっこうあります。それは、教会裁判権に関わっているのですが、教会は、最終的な破門などの手段をとる前に、予防的な儀礼として、悔悛、行列、聖水散布などを行ったということです。

裁判の類型

 パストゥローは、動物裁判を三つの類型に分けています。
 (1)男や女、あるいは子供を殺したり負傷させたりした個別の家畜動物に対する裁判(豚、馬、牛などが対象)
  →刑事裁判;教会権力は介入せず。
 (2)集団の動物を対象
  (a)人々に害を与える野生の大型哺乳動物(イノシシ、オオカミなど)…世俗権力による狩り
  (b)収穫に害を与える小さな動物(齧歯類、昆虫、「害虫」)…教会権力の介入が必要
 (3)bestialiteの罪に関わった動物を対象


 その具体例として、ミシェル・モランMichel Morinという気の毒な男性についてのエピソードが紹介されています。面白いのでここに書きましょう。
 ミシェルは、妻のカトリーヌにより告訴されます。彼が、bestialite目的で雌羊を買い、三回その行為をしたというのです。カトリーヌの愛人は、ミシェルが、妻よりも雌羊の方がいいと言ったと証言し、夫婦の召使いも、妻の側について、彼女たちの証言を確認します。ミシェルは否認し、これは自分の財産を奪おうとする妻たちの陰謀だと言うのですが、拷問を受け、「その目的で雌羊を買ったが、一度しかしていない」と「自白」します。結果、彼は雌羊とともに殺され、財産は妻が相続します。処刑の二年後、カトリーヌは愛人と結婚したとか…。
 とまれ、本稿の関心は(1)にあります。人殺しあるいは子殺しが、最も多く、最も重大な事件だったからです。動物に対する刑罰としては、絞首刑、火刑、絞殺、斬首、生き埋めなどがありました。

なぜ動物裁判に豚が多いか

 裁判にかけられる動物の9割が豚だったそうです。その優位性の理由は、(1)数の法則(豚が最も多かった)、 (2)豚は最も徘徊する動物であり、事故も起こりやすかった、(3)人間との近似性、の三つがあります。豚は、人間に最も近い動物と考えられたとか。豚を解剖して、人体の組織の研究が行われたそうです。それでは、豚や動物の精神的な部分も、人間に近いと考えられたのでしょうか。

動物の魂

 16世紀の多くの法学者は、人殺し、子殺しに責任のある動物を裁判にかけるべきだと考えていました。ピエール・エイロールPierre Ayraultという人物は、動物には理性がないが、その裁判の主な目的は見せしめである、と考えていたそうです。子供を食べた動物が吊されるのを見て、子供をもつ者は、子供を一人きりで残して外出しないようにするだろう、というのですね。


良い裁判[Une bonne justice]

 最後に、動物裁判は法的な儀礼の模範であり、儀礼的な「模範」exemplaだということが述べられます。そのため、法制史などの関心をひきますが、パストゥローは、より多くの分野の研究もありうると述べています。

   *   *   *

 本稿は、ミシェル・パストゥロー(松村恵理・松村剛訳)『王を殺した豚 王が愛した象-歴史に名高い動物たち-』筑摩書房、2003年のコラムの一つ「ファレーズの雌豚」(143-152頁)の内容を、拡大・発展させたような論文です。同コラムの全ての文章がほぼそのままこの論文で使われています。その意味で、訳出は楽でした。さらに、『王を殺した豚…』には注がないのですが、本稿には注もあり、いろんな研究を知ることができて有意義でした。
 なお、動物裁判に関する邦語文献として、池上俊一『動物裁判 西欧中世・正義のコスモス』講談社現代新書、1990年があります。数年前にわくわくしながら読んだものですが、あんまり覚えていません…。

(追記)
記事のカテゴリを整理するために更新しようとすると、楽天さんによる表現の検閲にひっかかってしまいました。仕方ないので、bestialiteと原語(フランス語)で書きました。全く変な意図はないのに、なんとかしてほしいですね…。全体の文脈から判断するとか…(無茶でしょうか)。むしろ、どんどんアドレスを変えてこれでもかと不快なトラックバック、コメントなどを送ってくるあれを規制してほしいですね。いやな相手先のURLは指定できますが、先にも書いたとおり、そうした相手先はアドレスを変えては送ってくるようですから。





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Last updated  2008.07.12 19:05:17
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