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2007.06.29
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~御茶の水書房、2000年~

 神奈川大学評論ブックレットの第5巻です。
 本書は、アラン・コルバンの講演に基づく第一部と、彼へのインタビューをまとめた第二部の、二部構成になっています。
 アラン・コルバンは、1936年生まれ。現在はパリ第一大学(ソルボンヌ)歴史学教授。『娼婦』『においの歴史』『音の風景』『時間・欲望・恐怖』など、多くの著書が邦訳されていて、「感性の歴史」の歴史家として有名です。専門が近代史ですので、中世史が専門の私はあまりその著作を読んでいないのですが、本書のようにその方法論を語った書物はいくつか読んでいて、感銘を受けています。
 先に簡単にふれましたが、本書の目次は以下の通り。

第一部<講演記録> 民族歴史学と感性の歴史―歴史の一手法―
 歴史人類学と歴史の方法
 構造主義的人類学の影響

 社会の想像力と感性の歴史
 『娼婦』『においの歴史』『音の風景』
 『記録を残さなかった男の歴史』
第二部<インタビュー> 感性の歴史学―社会史の方法と未来―
 一 歴史学の方法と「感性の歴史学」
  博士論文と「感性の歴史」
  ミシュレとその影響
  パラン=デュシャトレと『娼婦』
  学生の博士論文とテーマ
 二 現代の問題と歴史学の方法
  歴史学と対象

  現代の問題と歴史叙述
  海岸景観保護の運動

 ここでは、(1)第一部から、歴史学と人類学(民族学)の接近について整理し、(2)アラン・コルバンの研究について、彼に影響を与えた人物などについてもふれつつ整理、(3)最後に所感というかたちでまとめていきたいと思います。

   (1)民族学と歴史学の接近

 フランスでは、1930年代以降、民族学者と歴史学者の間に緊密な関係が生まれてきて、歴史人類学の基礎が築かれました。

 次いで、第二次大戦後、人類学と歴史学のつながりが再び深くなります。特に、ここでは姻戚関係や親族関係に関する研究に関心が寄せられたとのことです。関連して、こうした研究の背景には、クロード・レヴィ=ストロースの影響があると指摘されます。
 構造主義的民族学の影響は、実地調査によって特徴づけられます。村単位で行われることも多いこうした研究は、地方史に影響を与えます。歴史学と民族学の相互の影響を示す雑誌として、コルバンは『フランス民族学』(Ethnologie francaise)を挙げています*。
(*)ル・ゴフやル・ロワ・ラデュリなども執筆しているそうですが、私は読んだことがありませんでした。
 こうした一連の流れのおさらいとして、コルバンは「身体の歴史」の分野を挙げます。加えて、宗教社会学の分野、そして、歴史人類学を作ろうとした歴史家たち。最後の例として、コルバンはル・ロワ・ラデュリを挙げています。

   (2)アラン・コルバンの諸著作

 コルバンの博士論文は、『19世紀リムーザン地方におけるアルカイズムと近代性』という研究でした。数量史で有名なエルネスト・ラブルースの影響もあった研究ですが(また、コルバンの直接の先生は、同じく数量史・経済史の領域の研究者、ベルトラン・ジル)、リムーザンには数量史的な方法は適応しづらかったため、心性の方に重点をおく形になったといいます。博士論文の目的は、リムーザンの労働者が一時的に移住した、その現象がどいう影響を与えていたかを書くことでした。
 この研究を進めているときから、コルバンは感性の歴史に影響をもちはじめます。まずは、一つの地方がもつ、地方が与えるイメージやアイデンティティという領域に関心をもちます。続く研究が『娼婦』なのは、リムーザンの出稼ぎ労働者が住んでいた地域が、非常に売春婦が多い地域だったということがきっかけにあるようです。
 そして、『娼婦』の研究を進めているとき、「感性の歴史」により興味をもったといいます。というのも、娼婦についての研究をする際には男性の欲望というのが鍵になり、そこから「感性の歴史」につながっていったというのですね。

 それでは、第一部で言及しているコルバンの著書について、簡単にふれておきましょう。
『娼婦』は、男性の性的な惨めさを、運に見放された女性たちに伝えることのロジックを追った著作。そのためには、男女間に置かれた関係様式の原動力として知覚された欲望のさまざまな形の歴史性を探る必要があったといいます。
『においの歴史』は、社会の想像力の歴史を人類学的な五感の歴史にまとめてみようという、困難な賭への挑戦だったといいます。においの評価体系の成立、さらには身体の飾り方などの分析が進められます。
『音の風景』では、鐘楼の鐘がいかにテリトリーを構造化し、共同体の機能を認可し、人生の初段階を区切ったのか、こういった問題が探られます。さらに、夜更かしの増加といったことまで指摘しているとか。
『浜辺の誕生』は、千年ばかりの断絶の後、なぜ海辺が魅力を獲得したのか、という問題を考察します。そのために、進学上の問題、美学や治療学、身体論などの調査も行ったといいます。
 そして、『記録を残さなかった男の歴史』。コルバンは、本書の重要な試みというのは、消え去ってしまった群衆の理解に近づくことができるかどうかを知ることだったといいます。コルバンは、ペルシュ地方のある小さな自治体で、一冊の目録から無作為に選んだ、ごく普通の一人の男、木靴職人だったルイ=フランソワ・ピナゴに焦点をあてます。しかし本書は、ペルシュ地方の農民や木靴食にの日常生活についてのお話ではなく、「過去の人間の皮膚の中にもぐりこんで、あたかも彼の目で、彼が生きた自然環境・人的環境を考察」することを目的としています。この試みは、従来のように「記録を残した」人物に焦点をあてるだけでは研究が不十分であること、単純化しすぎる視点だけでは不十分であることを明らかにしました。しかし、前世紀の普通の人々の主観を再構成することは、やはり無理な試みでもあります。コルバンは、このように、研究の限界をわきまえつつ、「社会史は、英雄化の拒否を基礎として築いていかれなければなりません」と述べています。
 ところで、この『記録を残さなかった男の歴史』は、フランスでベストセラーとなったそうです。コルバン自身がその理由を考えるに、「普通の人たち」が、自分の先祖たちもピナゴと同じように生きていたのかと思い入れを持ったりしたのではないか、ということですね。また、フランスでは(日本でもそうらしいですが)、自分の家系をたどろうとする人たちが割と多い。そうした人たちが、単に系図をたどるだけでなく、先祖たちがいかに生きたか、自分でも研究できるのではと思っているのかもしれない―このようにも、コルバンは述べています。

   (3)所感

 最後の話と関連するのですが、コルバンは、歴史が好奇心に応える分野である、ということを強調しています。歴史学は科学か?という問題は長く議論されていることですが、コルバンはあえて、「歴史は科学ではないのではないかと、極端に言えば思います」と述べています。もちろん、科学的な手法(史料にあたり、自分の説が検証可能であるようにすること)は重要であると思いますが、究極的には、コルバンも言うように、好奇心に応えることが歴史学の使命なのかな、と私も思います。ただし、好奇心を重視するあまり、「史実」を歪めてはいけません。そこで、先にもちらっと書きましたが、自分が示す歴史像は、こうした史料をこのように解釈した上で構築されたのだということが分かるよう、史料や根拠を示し、自分の説が検証できるようにすることが重要です。
 歴史学がなんの役に立つのか。難しい問題ですが、本書を読み、『記録を残さなかった男の歴史』についての評価を読む限り、このような研究領域が十分に人々にとって「役立っている」といえるのではないかと感じました。





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Last updated  2008.07.12 18:36:18
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