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2014.10.11
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 中世の代表的な異端運動について、聖書にさかのぼるその起源から、権力をめぐる問題をもあわせて論じた興味深い一冊です。
 著者の小田内先生は立命館大学教授で、西洋中世の異端運動について多くの論文を発表されています。
 本書の構成は次のとおりです。

ーーー
関連年表

序章 異端からのまなざし
第1章 正統と異端の地平
 1 「異端」―一つの言葉の誕生
 2 中世異端史の舞台の成立

 1 カタリ派の出現
 2 「身体」をめぐる抗争
 3 カタリ派の運命
第3章 「言葉」をめぐる抗争―ワルド派
 1 リヨンからヴェローナへ―「不服従の異端」への道
 2 神の言葉の支配をめぐって―俗人説教の問題
 3 キリスト教世界の周辺で
第4章 「富と権力」をめぐる抗争―フランチェスコ会聖霊派とベガン
 1 フランチェスコ会の清貧論争
 2 異端ベガンの誕生
 3 殉教への道

 1 「不服従の異端」の地平
 2 「悪魔の陰謀」としての異端
 3 新しい権力の形象
終章 権力の歴史へ

参考文献

あとがき
ーーー

 極端な二元論を唱えたカタリ派、俗人でありながら説教活動を展開したワルド派、清貧を理想とするフランチェスコ会の中で極端な清貧を唱えたフランチェスコ会聖霊派―これら3つの、中世西欧の代表的な異端運動を主要な柱として(そしてそれぞれを、身体、言葉、富と権力というキーワードで示し)、第1章でその前史と概念的な枠組みを論じ、終章では異端問題を権力関係というより広い視野で捉え直すという、構成もわかりやすい一冊となっています。

 特に面白かった点をいくつかメモしておきます。

 まず、もともとは異端は教義をめぐる問題だったのが、次第に正統派の権力に対する「不服従」の問題となっていく、ということです。

 そして、俗人説教の問題。本来は、説教を行うことは、聖職者に限定された職能でした。ところが、11-12世紀頃から、聖職者腐敗の改革が教会で行われたのと並行して、俗人たちが自分たちで説教を行おうとする動きが出てきます。ペトルス・カントルという神学者は、こうした俗人たちによる説教に一定の理解を示しました。しかし、それはけしからんという立場の聖職者たちも多く、いったんワルド派は異端宣告を受けます。その後、ワルド派の一部は、正統教会にうまく取り込まれていくことになります。

 面白いのは、彼らは異端宣告を受けますが、自分たちは社会をよくしようと思っていた、ということ。具体的には、大きな脅威とされたカタリ派を食い止めるために説教活動を行うこともありました。権力者の微妙なさじ加減で、異端にもなれば正統にもなれるという、これは面白い実例だと思います(堀米庸三『正統と異端』でも、ワルド派やフランチェスコに対する教会の立場を読みながら感じたことですが)。

 本書の第3章や第5章はまさに自身の関心事ですし、今後もじっくり読んでいきたい一冊です。





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Last updated  2014.10.11 22:08:15
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Comments

のぽねこ @ シモンさんへ コメントありがとうございます。 久々の再…
シモン@ Re:石田かおり『化粧せずには生きられない人間の歴史』(12/23) 年の瀬に、興味深い新書のご紹介有難うご…
のぽねこ @ corpusさんへ ご丁寧にコメントありがとうございました…

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