仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2006.07.11
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カテゴリ: 仙台
前回の日記では、明治に仙台駅を市街地により近い現在地に引き込んだ際に、反対論も根強かったということについて、その事情を若干調べてみたいと記した。その第一弾です。権威に弱い私?なので、まずは「正史」と、宮城県史を見てみました。以下は当ジャーナルの要約。

 ○ 『宮城懸史5』宮城県著、(財)宮城懸史刊行會編、1960年発行
 (1987年復刻版、ぎょうせい発行)p643- 「東北本線の開通」の項(佐々久)
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 明治15年11月に日本鉄道株式会社の事務所が県内に置かれ、株金を募集。松平県令の世話もあり、県下2,888人から3万株(1株50円)が集まる。
 なお払込み段階になって繭、生糸、米の価格下落があり、伊具郡の小株主から払込延期願。地元は今でも「汽車は本来阿武隈川沿いだったはずが反対したため白石に行った」と伝えているが、当時の情勢では国道沿いに白石を通るのが常識的な路線。伊具の全員から延期願いが出たのは、果たして養蚕不況のためか、あるいは昔語りの汽車反対説が流布されたためか。

 野蒜開発が進められ、汽車も野蒜まで敷設される計画であった。県の催促もあり明治17年12月に大宮以北着工。18年5月には会社が青森までの政府施行を申請し、6月聴き届けられる。政府が会社から仕事を請け負う特殊な形態となった。18年6月には宇都宮まで開通。19年3月白河まで着工。しかし、野蒜築港が絶望視されたのを受け、野蒜までの敷設は中止される。18年12月福島-仙台-塩釜の測量が開始され、19年6月起工。なお白河-福島は19年5月測量開始で8月着工に至る。

 明治19年春に鉄道局長官井上勝が視察に訪れ、仙台駅は、宮城野原の北端で榴岡の東南にほぼ決定。市内では用地買収の困難を見越しての決定だろう。これに対し松平県令は市街地に不便と反対、有志40名を集め、早川智寛土木課長に説明させ、「これで良いのか」と激励。大町や国分町の商人たちは、「仙台区興廃の分かれ目」とばかり、停車場引き込み実現によりより相談したという。

 4月から5月にかけて、停車場問題はさらに活発化、自由党員が中心になって、資産家や実業家を対策委員にした。市内引き込みに会社は6万円から7万円を要するから、3万円を用意して陳情すれば可能かも知れぬ、と寄附を募った。木村久兵衛の600円を最高に、藤崎三郎助、角田林兵衛、大倉定七、佐々木重兵衛、小谷利平衛など、各数百円。全市の小区長を動員して各丁(町)の請願をとりまとめ、会社に申し出、これが奏功した。


と、以上の通りなのだが、これだと市の大勢も市街地引込み案に賛成、とも読める。前回日記のような引き込み反対論(宮城野原賛成論)があったことや、開業後も議論が続いたとされる件は、言及がない。もう少し文献を見てみます。

なお、『宮城県の百年』という本がある。県政百年を記念して県が作成したようで、写真集を中心にコメントをつけた読み物だ。

 ○佐々久ほか編『宮城県の百年』、1972年、宮城県

このp15-p16に東六番丁に建てられた仙台駅の写真を載せてあり、次のような文章がある。この部分が佐々久さんの執筆かどうかは不明。
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 元来東六番丁と清水小路は南北に一直線をなしていた。駅を設置するためにこの大道をたち切った。さらに、東六番丁から蒲生に行く木道を駅の東裏に締め出してしまった。このために木道会社はつぶれ、鉄道は谷を作って仙台の町を二分し、今も発展を阻害している。道をつけ線路を引くとき、百年の大計を考えるべきであり、軽々の思いつきをいましめるべきであろう。
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エーッ!? 何デスと? 停車場を市街地に近づけた策が、百年先を見ない愚策とでも言うのか。確かに、例えば「駅東」地域は、不便で発展が相対的に遅れたかと思われるかも知れない。しかし、そんなミクロにとらわれた見方こそ近視眼だと、私は思いますが。

でもこれこそが、後まで尾を引いたという「反対論」なのだろうか。

というわけで、このテーマ(仙台駅位置論争の始末期)はもう少し深めてみます(編集長)。

■関連する過去の日記
仙台駅のはなし (06年7月10日)
 ○ 宮城県内の東北本線のルートの話 (05年11月27日)





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最終更新日  2006.07.11 05:44:51
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