仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2007.04.06
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カテゴリ: 東北
斉明紀には、津刈、津軽、都加留の3種の表記がみえる。このうち、都加留は人種に対して用いているが、ツガルの音に充てた仮字で、津刈と津軽は、それをさらに宛字に漢語化したもので、地名として定着する。古代以降、津軽を正字とする。

すなわち、ツガルの名は、地名より先に人について始まったのだが、その語源は諸説ある。まず、エビスが津を借りて住んだ(津借)、というもの。しかしこれは、語からのこじつけに過ぎない。

また、ツガルに東日流と宛てて、日東の最果ての地の意味とする説もある。『礼記』の「千里の外、流と曰う」を引いて説明するのだが、エビスの実用語がそのような教養深い解釈であるとは考えがたい。

アイヌ語のトカリで、海豹(あざらし)の意味だとする説もある。後に平泉の藤原基衡が仏師にアザラシの皮を贈った史実があるが、これはエゾの貢納品だろうとし、この語義を推定するのだが、無理がある。

高橋富雄氏は、ツガルとは、「流」(流れ、ナガル)の転訛ではないかと説明しておられる。流とは、古代には殷周、また九州の外の荒遠の地の意味で、最果ての地だ。この意味の「流」の字の用法は実際にこの方面にある。元慶の乱の際に藤原保則を支援した坂上好蔭が、流霞道より秋田営に至った、とされる。この流霞道は、ナガレシグレ道で、七時雨山の名に名残がある。古代は岩手郡までがヤマト日本領で、この北は糠部(ぬかのぶ)と呼ばれた異人国だった。最果ての地の意味のナガレに行く道が流道。これに最北の地を示すに相応しいシグレを畳語として重ねて、最果ての荒俗の国に行く道を意味したのでないか。

■高橋富雄『古代蝦夷を考える』吉川弘文館、1991年

■関連する過去の記事  津軽とジャパン (06年8月28日)





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最終更新日  2007.04.06 06:03:10
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