仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2008.04.29
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カテゴリ: 東北
文治5年(1189年)7月、鎌倉を出発した頼朝はわずか2か月足らずで、百年の王朝を誇った奥州藤原氏を征伐した。

地図の概念すらない時代に周到な進撃を企て、頼朝直卒の主力は中道(白河口)を、千葉常胤・八田知家率いる海道軍は現在の常磐線コースを、比企能員・宇佐美実政率いる北陸道軍は現在の上越・羽越線コースを、それぞれ北上した。

平泉四代将軍泰衡も、鎌倉勢主力と頼朝本陣が中央軍にあることを知り、現在の福島県北部の宮城県境に近い地域に防御陣地を設けて決戦に持ち込もうとした。ここは、西は安達太郎(良)山、吾妻山が迫り、東は阿武隈山地がせり出し、その狭い地峡を阿武隈川と東北本線、国道四号、東北自動車道がもつれながら通りすぎる。ここを押さえられると宮城県に入ることはできない。

ということは、逆にここを突破されると、仙台平野までは一気の下りで、さらに北上平野への侵入を妨げることは難しくなる。

泰衡が結集したのは精鋭の2万騎。対する鎌倉勢は北陸道軍も合して28万4千騎。誇張があって半分、さらにその半分だとしても7万騎。北陸道に2万を置いたとして奥州勢に正面から激突したのは5万騎だろうか。

この兵力の差を泰衡は、険阻な地形に頼ろうとしたのだろう。しかし奥州の騎馬隊も防御陣地に貼り付くようになっては兵力格差がいよいよ戦力差になってしまう。8月8日から10日の激戦の主導権はつねに鎌倉勢にあり(吾妻鏡)、西木戸太郎国衡、金剛別当秀綱も討たれ、泰衡は本陣を引き払って北方に逃れる。

この阿津賀志山の奥州勢には、有力な予備兵力を置かなかったようだ。そのため、前線の崩壊が全軍の潰滅につながったと思われる。

かねて奥州17万騎と恐れられた奥州騎馬軍団はどこに消えたのか。それを考えるに忘れてならないのは、当時の武士はすべて農民であり、鎌倉御家人と雖も戦闘は農閑期に行わねばならなかった。農業経営者集団である鎌倉御家人を秋の農繁期に7万余も動員できたのは、彼らが広大な耕地を有する大家族で構成された同族集団の集合体であったからだろう。人手が豊富であり、農繁期の長征にも耐えるセミプロ武士団を結成し得たのだ。

これに対して奥州勢は依然として武装農民の延長にあった。泰衡が動員可能な兵力は4万が限度だったろう。



寡兵の奥州勢としては、機動力にものを言わせたゲリラ戦しかなかった。なぜ泰衡は、戦っては退き、退いては戦いつつ、北を目ざさなかったのだろうか。この年は4月に閏月があったから8月といっても太陽暦では10月。現代の温暖化気候下の東北ではない。10月の終わりにはみぞれから雪になっていよう。頼朝が平泉に入ったのは実にその10月22日に相当する。なぜもうちょっとがんばらなかったのか。地元出身の私などは歯がみする思いなのだ。

しかし玉砕した泰衡は、それはそれで納得していたのかも知れない。

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以上は、光瀬龍さんの文章を要約したものだ。
(『改訂新版 日本史の謎 闇に隠された歴史の真実を暴く』世界文化社、2005年)
(4-418-04172-9)

光瀬さんは99年に亡くなられた。この本は05年発行だが、「改訂新版」とあるように、光瀬さんの文章はもっと早くに執筆されたのだろう。

文章の最後に「地元出身の私」と光瀬さんが書かれているように、光瀬さんは岩手県(奥州市)のご出身だ。岩手県人だった私(おだずま編集長)も子供の頃に聞かされて、同郷の作家を誇らしく思った記憶がある。

当時の記憶としては、NHKでもドラマ化された「夕ばえ作戦」だ。ずうとるびの山田と今村が出ていたはずだ。

奥州藤原氏に対する光瀬さんの思いが含まれた、2ページだけの文章に、引きずり込まれるように読み入っている。

■関連する過去の記事(奥州藤原氏・平泉 関連)
平泉の優位性を考える (07年11月5日)
発進!平泉を世界へ! (07年9月30日)
骨寺村荘園遺跡 (07年2月26日)
都市平泉の予想図 (07年1月28日)
平泉への道 (06年1月11日)
義経伝説と東北の歴史ロマン (05年12月8日)





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最終更新日  2008.04.29 03:39:27
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