仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2008.05.19
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カテゴリ: 東北
藤原三代を嗣ぐ泰衡は、義経を裏切り栄華を破滅に導いた暗愚の当主とされてきた。間違いなく四代なのに、藤原四代と呼ぶ人はない。

しかし果たして泰衡は卑怯で弱虫で侮蔑されるべき人物だったのか。義経は本当に平泉で討たれたのか。三好京三さんの『生きよ義経』は、誇り高き奥州独立王国の御曹司として立派に自分を貫いた泰衡の姿、そしてその庇護を受けて生き延びた義経を、生き生きと描いた。

平家を壇ノ浦に滅ぼした後、鎌倉から追われる義経は平泉を頼った。当主秀衡はじめ藤原一族はこれをこぞって歓迎した。年も近く青年期をともに過ごした嫡子泰衡も同じはずだった。文治3年(1187年)のこととされている。

そして義経は、藤原基成の住む衣河館にかくまわれる。この基成の館は政庁平泉館の北方1kmの高館にあったとされてきたが、今ではさらに離れた現奥州市(衣川区)にあったと考えられている。

秀衡は鎌倉からの催促を跳ね返してきたが、この実力者がこの年10月に没すると、頼朝も本腰をあげた。宣旨を下させ、基成と泰衡を脅す。しかし泰衡は、秀衡と同様に、これを無視するのだった。一般には泰衡は弱虫で頼朝の脅しに震え上がったと考えられている。しかし宣旨を無視したのは秀衡同様に豪胆で冷静だったからとも言えないか。

頼朝の脅しは強まり、ついに文治4年12月には義経追討の宣旨が下る。平泉側は宣旨と院宣が届くたび協議をしたはずだが、ここで平泉の弱点は秀衡の子達が兄弟仲が悪いことだった。無視するか受け入れるか、議論の末に四代の御館泰衡がまさに冷静に断を下した。

しかし、親義経派と反義経派に兄弟間が分かれていく。落魄の義経を迎えて2年が過ぎ、泰衡の腹は固まった。わが命より領民と平泉の文化が大事。もとより義経公の命はさらに大事。泰衡とて武芸にひけをとらないが、彼我多くの死者を出す戦争は避けたい。最早世の動きは見えた。頼朝が来るなら無血入城させ、平泉の領民と文物を守りたい。

これが危急を前に色めく兄弟たちには通じなかった。ならば成り行きにまかせるのみ。私が死ねばよいこと。

こんな泰衡に業を煮やした兄弟達が暴走を始める。年が明けた文治5年閏4月、泰衡(?)は衣河の館に義経を襲ったとされるが、反義経派の国衡あたりか。となると泰衡は愚鈍な兄の所業と我が身の至らなさを恥じる。



ついには7月、宣旨を待たずに頼朝は平泉追討を決め出発する。阿津賀志山の大将は国衡で泰衡は後方にいる。敗戦の報をうけると泰衡は逃げ出し、さらに頼朝に命乞いをした、と吾妻鏡は記す。そんなはずはない。泰衡は自分が死ねば戦いを避けられるという考えだ。泰衡に反抗して鎌倉のご機嫌を伺い、それでも攻められて戦ったのは国衡だ。戦わずに逃げたとすれば高衡か通衡か。いずれにしても愚かしい手紙を書くはずがない。これは勝者の創作としか言いようがない。

戦わぬ泰衡は、平泉館が炎上する様を、月山の中腹から見ていた。平泉で自刃しなかったのは、思いがけず義経生存の報を伝える者があり、幼い嫡子万寿を生き延びさせたい女達の懇願を不憫と思ったからだ。泰衡は月山に妻と万寿を残し、義経主従がたどった報に従って北上する。比内で泰衡は義経が生きて津軽を目ざしたことを知る。9月3日、苦渋が晴れた泰衡は河田邸で従容として自刃する。この首がとどけば戦が止む、と。河田次郎は恩賞を欲したか、自分が討ったと申し出たが、頼朝は逆に主人殺しの不忠を責めて次郎を斬罪に処す。

月山神社の奥の院が、泰衡の妻が聡明だった夫を秘かにまつった社だ、と地元は伝える。

■参考
『改訂新版 日本史の謎 闇に隠された歴史の真実を暴く』世界文化社、2005年(4-418-04172-9)

■関連する過去の記事(奥州藤原氏・平泉 関連)
生きよ義経 泰衡と月山神社 (08年5月11日)
奥州藤原氏17万騎消滅の謎 (08年4月29日)
平泉の優位性を考える
発進!平泉を世界へ! (07年9月30日)
骨寺村荘園遺跡 (07年2月26日)
都市平泉の予想図
平泉への道 (06年1月11日)
義経伝説と東北の歴史ロマン (05年12月8日)





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最終更新日  2008.05.19 06:09:30
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