仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2010.10.24
XML
カテゴリ: 東北
■参考 渡辺信夫編『東北の交流史』無明舎出版、1999年 より
 渡辺信夫「東北の交流史」
 熊田亮介「古代東北の海道・陸道」
 入間田宣夫「平泉藤原氏と奥大道の開発」
■本記事は4回シリーズとしています。
東北の道 概説(その1 古代) (10年10月24日)
東北の道 概説(その2 平泉政権と奥大道) (10年10月24日)
東北の道 概説(その3 中世) (10年10月24日)
東北の道 概説(その4・完 近世) (10年10月24日)


平泉没落後の中世東北は関東からの武士移住で語られることが多い。官道東山道改め奥大道(おくだいどう)が奥州の幹線で騎馬の往来が多くなっったと思われる。13世紀の奥大道には、安積、船迫、益田(名取市)、河原(仙台市岩切付近)などの宿が発達し、定期市も開かれた。

武士が土着しやがて領主層に成長するが、城館を軸に村を結ぶ道の交流が本格的に深く進んだことで勢力を増した。地域の道は、さらに峠を越えて結ばれ、武家の道や信仰の道となった。福島から米沢に至る米沢(板谷)街道は伊達氏の米沢進出で開かれた。陸奥国滴石(しずくいし)城を本拠とした出羽角館の戦国大名戸沢氏も国見峠の生保内街道を越えて出羽に進出したのであろう。また、六十六里街道など出羽三山参詣道も中世から開かれた。のちに羽州街道の道筋となる上山市付近の村道や北上川下流沿いの道沿いに、多くの板碑が立ち並ぶ。

▼ (図)中世東北の道





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2010.10.24 13:14:37
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

コメント新着

ななし@ Re:北のキリシタン聖地-旧大津保村を中心に(その3 大籠地域)(09/10) 『1917年(元和3)年頃の統計では、佐竹藩…
おだずまジャーナル @ Re[3]:水の森公園の叢塚と供養塔(08/03) 風小僧さんへ 規模の大きい囲いがあった…

プロフィール

おだずまジャーナル

おだずまジャーナル

サイド自由欄

071001ずっぱり特派員証

画像をクリックして下さい (ずっぱり岩手にリンク!)。

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: