仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2011.12.05
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カテゴリ: 東北
十和田観光電鉄が来年3月で廃止されることが決まっている。新幹線開業と大震災が決定打になったが、利用者の8割が高校生であるなど、地域の大切な足であり代替交通の確保に自治体は知恵を出していただきたい。

時代の流れにはさからえないと言うことか。これで、南部縦貫鉄道、五戸電鉄(南部鉄道)ともに、旧奥羽街道に絡む鉄道がすべて消えることになるのは、それにしても寂しい。

■関連する過去の記事
南部縦貫鉄道 (09年3月21日)
鉄道めぐりツアーと七戸のレールバス (2010年3月29日)

さて、十鉄の10年前になる2002年に廃止された南部縦貫鉄道。旧奥羽街道沿いに南部地方を縦断してつなぐという悲願の一歩だったと思われ(当ジャーナル)、モータリゼーション社会全開を控えた1962年の開通だったことに一種の宿命があったと思う。そして、下記文献(廃止前の刊行)によると、その走り出しも恵まれていなかったようだ。

■青森県高等学校地方史研究会『新版青森県の歴史散歩』(新全国歴史散歩シリーズ2)山川出版社、1990年

南部縦貫鉄道株式会社が設立されたのは1953年。翌年工事が始まるが資金難で難行。しかし、むつ製鉄への砂金輸送により黒字経営の見通しが付き、工事が再開。足かけ10年ぶりで開通式を迎えた。

しかし、開通式と前後して、八戸青森間の直通特急バスが運転されはじめ、だだでさえ少ない沿線の乗客を奪い去った。65年には頼りにしていたむつ製鉄が解散、会社は翌年会社更生法の適用を申請した。加えて68年5月の十勝沖地震で大被害。

この頃、東北本線複線化工事が進み、野辺地乙供間は別ルートになるため、南部縦貫鉄道は接続駅を失う破目に陥る。この問題は千曳から野辺地までの東北本線を譲り受けることで解決し、レールバスは野辺地駅の社線ホームに姿を現すようになった。もとの千曳駅は西千曳駅と改称され、1891年青森県内で最初に開業した日本鉄道の旧線路をレールバスが走り出した。今や歴史的かつ貴重な存在となり、遠方から訪れる人が多い。



以上の記述は、まだ南部縦貫鉄道が走っていたときのものだ。現役の頃から既に歴史的な側面にスポットが当たっていたようだ。そして、鉄道は2002年に廃止された。





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最終更新日  2011.12.05 00:31:19
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