仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2016.01.05
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カテゴリ: 東北
年末にふとしたことから日本語の起源や比較言語学上の論議に関心を持ち、大野晋のタミル語日本語同系説について読み直したのだった。
(『日本語以前』岩波新書、1987年)
(『日本語の起源 新版』岩波新書、1994年)

言語系統論としてのタミル語同系説は説得的であるが、学界の一般的支持を得ているとまでは言えないのだろう。音韻や文法でたしかに組織的に類似していることが立証されているが、考古学、文化人類学、民族学などの見地からの裏付けが困難なことが大きな要因なのだろう。

それにしても、東北各地の方言にみられる不思議な現象を、タミル語同系論の立場から説明しているところは、大変興味深い。例えば、次のような点。

日本語では、父、母、兄、姉を示す単語は8世紀以来変化がない。ただし、方言ではこれと異なる親族名称組織が、日本の東西の端である東北地方と南西諸島に体系的に見られる。

また、同一の語形が近接する地方で、父と母の異なる意味を表すという奇妙な現象がある。 アッチャ が、下北や岩手では「父」を表し、津軽では「母」を表す。 アヤ は、下北や秋田で「母」を、津軽や下北で「父」を示すというのだ。



すなわち、accha や aya という同一語形が地域により、父、母と語義を変えるのは、次の理由による。タミル語では「父」accan 「母」accal があるのだが、もともと日本語は母音の長短を区別せず、また語末の子音は脱落して母音で終わるのが原則だから、日本語ではいずれも accha となってしまう。さらに、タミル語に「父」ayya 「母」ayal があらうが、いずれも日本語では aya となってしまう。このため、方言で accha と aya がいずれも父と母の双方の意味を表現したわけである。
(おだずま注:文献にはさらに発音の点など詳しい分析がある。)

いったん、タミル語同系説は離れて、もともと東北北部で上記のような、地域によって父母を別々に示す同じ言葉があることが、まずは大変不思議だ。

■関連する過去の記事
縄文時代の言葉 (2008年11月24日)
東北はイロリの文化 (2007年2月14日)





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最終更新日  2016.01.05 22:24:48
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