仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2016.06.04
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カテゴリ: 宮城
ノンちゃん牧場が栗原市鶯沢にあったという。「ノンちゃん雲に乗る」を書いた石井桃子さんが友人の女性とともに開墾した。

■『せんだいノート ミュージアムって何だろう?』(2011年10月、仙台市市民文化事業団)による。

1945年8月15日に、狩野ときわさんと石井桃子さんが開墾を始める。1947年に『ノンちゃん雲に乗る』が出版される。いつしか牧場はノンちゃん牧場と呼ばれる。1956年に石井さんは鶯沢小学校5年B組で読書の授業をはじめた。お昼には牧場のノンちゃん牛乳を飲ませた。卒業まで2年間授業は続いた。

いま牧場だった土地は、狩野さんという方が守っている。ご主人とともに跡を継いでやってきたのだという。

宮城県図書館の資料(ことばのうみ、2000年7月)に、その5年B組で授業を受けた鶯沢町教委の課長さんの話が出ている。

担任の先生から、2年間読書の授業と牛乳の試飲があると知らされた。当時はまだ給食がなく、他学級に申し訳ない気持ちだったが、昼時間が待ち遠しかった。石井さんは週1回国語の時間に朗読。読書の習慣がなかったが、だんだん関心が高まり、1週間が待ち遠しくなった。

平成10年に、鶯沢小学校に「石井桃子文庫」コーナーを作ることに石井さんの了承を得て、教育長とともに東京に石井さんを訪ね、40年ぶりに会うことができた。小学校の文庫には先生から送られた本も並び、子ども達が楽しく利用している。

「ノンちゃん雲に乗る」というと、私には岩手県の小学校の図書室にあった記憶がある。図書室はあまり豊富な蔵書とは言えなかったと思うが、学校が子ども達のために買いそろえたり受け入れたりしてきたのだろう。先生方は読書指導にずいぶんと力を入れていたのだと思う。私も家に本など無かったから、いろんな分野の本をよく借りた。感想文の指定図書のようなものより、科学、地理、歴史やノンフィクションなどを広く読んでいたように思う。借りてきた本を自宅で祖父が読んでいて、続きを借りてこいと言われたこともあった。旧字体の本や、例えば日本がまだ国連に加盟していない段階の記述となっている書物などもあって、その分知識も広がったのかも知れない。

自分にとって「ノンちゃん」の印象だが、その内容(記憶にない)よりも、「つづり方兄弟」などあの頃図書室にあった本や児童文学シリーズ的な書物らとともに、なにやらあの頃高まっていたと思う読書や作文の指導教育の代表みたいに子どもながら受け止めていた。また、「ノンちゃん」が本当はどうか解らないが、教育の自由や戦争反対を掲げストライキもあった岩手県教組の活動とも自分の感覚ではつながっている。



さて、鶯沢小学校の石井さんの授業の話だが、昭和31年には石井さんは東京で活動していたのだと思うが、毎週鶯沢まで来ていたということになるだろう。新幹線もなく、来るだけでも一日がかりだ。誰かが車で送迎したのだろうか。石井さんの熱意もあってのことだろうが、支えている人たちもいたのだろう。そもそも、学校で、そのような授業をやることも普通ではないが、5年B組の先生が前向きで、また校長や教委の理解もあったからか。

「ノンちゃん牧場のこころみ」という映画が昨年、仙台で上映されたという。そう遠くない、今に繋がっている私たちの地域の歴史。

■関連する過去の記事
鶯沢・文字地区の新小学校 (2012年2月26日)





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最終更新日  2016.06.04 22:04:14
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