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今日は非常に忙しい一日だった。尾燈のナンバー灯が点灯しなくなっていた。また、ヘッドライトのLEDのうち、外側の環をなしているLED群が点灯しなくなった。制動灯までならばまだ修理を先に引きのばすこともできるだろうが、さすがに前照灯が点灯不良となると夜間走行ができなくなってしまうので、修理をすることにした。 幸いにして、前照灯のLED素子自体には異常は無く、原因は接触不良であった。これを機会として、長く突き出たピンをミノムシクリップで掴むという奇怪な配線方法を改めることにした。この改良に加えて、ブレーキワイヤーの交換、制動灯を作動させるスイッチ機構の改良を本日同時に行うこととした。 必要な部品を手に入れるため、ヘッドライトを降ろした愛機で出かける。必要なものとは、ブレーキワイヤー一本、押しバネ一本、2Mのボルトナット、白色LED一個、2オームの抵抗、そして給電側と前照灯側の電線とを安定して接続する手段を提供してくれるなにものか、である。 ブレーキワイヤーと押しバネについては最寄りのホームセンター、トステムビバで購入ですることとして、その他の部品を仕入れるためにマルツーパーツ仙台五橋店を訪れた。あらかじめこれと決めていた部品についてはすべて入手できたが、「なにものか」を果してなににするかについてはしばらく迷ったすえに二種類の圧着端子と平ラグ板に決めた。 このあと、せっかく市街に出てきたからというので、片平の辺りにあるレインバンカーで、リアタイヤの右側面に提げる布製鞄を購入する。正価2100円であったが、メールマガジンに登録すると一割引となって1890円で買うことができた。 頃は既にお昼であったので、二件となりの中華飯店で餡かけのラーメンとチャーシュー丼を食べた。600円であった。北山を経由してトステムビバへ、そして部屋へと戻った。 すぐにブレーキワイヤー、制動索を交換する。極めて迅速に作業は完了し、自分でも驚く。 続いて改良部品の組み立てを行う。件の「電側と前照灯側の電線とを安定して接続する手段を提供してくれるなにものか」は、以下のような形になった。太い線が給電側、細い線がヘッドライト側の電線である。 これをフロントフォークにタイラップで固定する。 極めて導通良好であるが、防水に対する配慮が無い点が今後どういう結果を生むかが気になる所ではある。 制動灯のスイッチをブレーキワイヤー上に設置する部材は前もって太い針金を曲げて作って置いたのだが、針金の径が太くかつ一条であるために接触面が少なく、はんだづけに思いもよらず苦戦をするが、とにかく完成。早速ブレーキワイヤー上に設置してみるが、考えていたようなカラクリでは思うように動作しないことがわかる。 しかし、すぐに簡単な改良で当初案よりもずっと優れた特性の機構が作れることがわかったので、それを仕掛ける。 当初案というのがどういうものであったのかについては、それがあまりに幼稚で恥ずかしいので説明しないが、とにかく実際に施した機構は以下のようなものである。 マイクロスイッチをワイヤーに取り付けるフック上の二本の金具の間にあるバネの山はスイッチを開く力を生じさせ、一方スイッチの後方の山はスイッチを閉じる力を生じさせる。ここでバネを回してより多くの山を金具の間に送り込むと、スイッチを開く力は増大し、閉じる力が減少する。バネを逆に回せば関係は逆になる。これをもって、意図した条件でスイッチが閉じるよう調節を施すことが可能となる。押しバネの長さは、ワイヤーがアウターケーシンクから露出している部分の長さよりも若干長いため、両端の摩擦が走行中の振動によってバネを回転させてしまうことを防いでいる。 なかなかよい工夫であると、自分ではおもう。同様の機構を前輪ブレーキにも取り付けてある。 なお、2オームの抵抗は、ナンバー灯に用いた白色LEDへの給電電圧を抑えるために使用した。
2007.04.27
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年始に取り付けた制動灯であるが、これを作動させるためのマイクロスイッチの固定方法というのは針金をつかってブレーキワイヤーに当てゴムの上から巻締めるという簡単なものであった。 今日調べてみると、当てゴムが劣化して針金が直接ワイヤーに触れ、ワイヤーが痛んでしまっていた。 早急に対処が必要と考えて、とりあえず前後のマイクロスイッチを外した。
2007.04.23
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前日、パンクしたチューブの修繕と同時に、燃料タンクの洗浄を行ったのだが、タンクをとりはずした際に、フューエルラインのパイプが割れてしまった。 水を使わずに、しかもプライヤーで無理にひっぱったのがいけなかったのだが、樹脂の硬化、収縮も進んでいるようだったので、これを機会にラインを交換することにする。 パイプを売っている所と言えば、さしあたり私がひいきにしている泉の、なぜかバイク用品も豊富に取り扱っているパソコンショップ以外思い浮かばなかったので、そこまでテクテクと歩いてゆくことにする。 途中、北根のあたりに中古バイク店を見付けたので、だめもとでたずねたことろ、品物それ自体はなかったものの、フューエルラインのパイプは日曜大工用品店で売られている耐油パイプそのものであり、それで十分間に合うのだという情報を入手できた。 それでは遠く泉までゆく必要もない、と道を引返して荒巻より北山に出て、そこのトステムビバに目当てのものを探すが、無く、中山の坂を登ってダインシンまで出向いてようやく入手することができた。 パイプは、本来使われていた内径4mmのものではなく、内径6mm外径9mmの太いものとした。 部屋に戻って、早速交換作業にかかる。 とくに問題もなく、あっさりと作業は終了した。キャブレターとの接続では若干緩すぎるようにも感じたものの、タイラップで十分締めつけたので、おそらく問題あるまいとおもう。
2007.04.10
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シーズンが到来した。 今日は手始めに、去年最初に訪れた塩竃神社へゆくことにした。 朝十時出発とし、八時に起きるつもりであったが、九時の起床となり、それから飯を炊き、具材を混ぜ、握り固めて海苔を巻き、昼食の握り飯を作った。 経路検索サイトで、塩竃までの最短経路を検索する。 既に準備の大部分を終えていたこともあり、朝十時出発の目標は果たされた。 燃料を限界まで注入して出発した。 今回は、増槽を搭載しなかった。携行したのはストーブ、コッヘル、カップ、漏斗、折り畳み三脚椅子、補修工具一式、そしていつもの雑嚢とPOLGAである。 前回は県庁付近までいったん出て、それから国道45号線を使ったが、今回は八乙女まで戻り、そこから隘路をとおって35号線に至り、以後この35号線を伝って進むという道のりを選んだ。 ひさしぶりに後輪側面に重量物をぶら下げての運転であり、多少車体の挙動に戸惑うところがあった。また、前面に装着した調理器具を詰めた鞄が、ワイヤーケーシンクを圧迫するために、ブレーキ、変速ベゼルが若干重くなった。 幾星霜重ねたかと思われる古い店構えの時計店のところで不意の分岐があり、そこから岩切駅前まできたことろで35号線を見失った。 地図は宮城全域の物しか携帯していないので、よんどころなく、岩切駅のNewDaysで地図帖を立ち読みして、進路を検討する。が、ともかく東に向かえばよいという程度のことが判明したのみであった。もっとも、振り返ればその程度のことがわかってさえいればよかったのだ。ついでに柚まんじゅうを二つ買って、一個をその場で食べた。 岩切のガード下を抜け、以後しばらく生活道路を走る。 右手に多賀城史跡が見えたので、いったん停車する。既に多賀城ということは、目的地はもはや目前である。まだ正午になっていない。 多賀城史跡を見学する。 多賀城があった場所は、小高い丘である。大路という名の長い長い階段が正門まで延びている。門のさらに奥には石の敷き詰められた狭い廷があり。その中ほどに二本の木が立っている。おそらくこれは発掘の以前からそこにあったものをそのままに残したものだろう。 この廷のさらに奥に、政庁建屋跡がある。何階建ての建物かはわからないが、柱跡から推定される床面積はかなり狭い。 これらが、人の背丈ほどの築地に囲まれている。 政庁建屋跡のさらに向こう、築地の向こう側に後村上天皇の行幸を記念する碑が立っていて驚く。こんな辺境の地へ天皇が? その碑のさらに向こうには舗装された道があり、その道をくだったところに駐車場と公衆トイレと史跡管理事務所をみつけた。 どうやら、史跡は広範囲に散在しているようである。 ともかく昼食にすることを考えて駐車地点まで戻り、道を探して史跡管理事務所隣の駐車場に車両を移し、そこで椅子を置き、荷を解いてストーブに火をいれて湯を沸かし、茶を淹れて昼食とする。 史跡管理事務所に水を借りようとしたが、おそらく使ったあとに水を止めない不届きものがあったのだろう。水飲み場の水が止められていて果たせなかった。 ともかく、水筒の水を沸かして茶を入れ、握り飯と柚まんじゅうを食べる。 ところで、平日の昼間であるというのに、史跡にはちらほらと人があった。みな老人である。 畑の中の小径を走って、鞘堂にかくまわれた空堀の跡を見る。空堀の跡であるとパネルにいうが、私にはそれが空堀の跡であるか、どうもわからなかった。 一点、気になったことがある。説明書きの写真が一枚だけ、削り取られていた。他の写真には特に異常もないのに、手の届かない程高い位置にあるのに、その左上の一枚だけが何が写されていたのかわからないほどに欠けていたのは、明確な意志を持って削り取ったこそであろう。 遊歩道を歩いて官舎跡を見、まわって駐車地点に戻った。 また、南門の跡を見る。また、他もう一ヶ所の遺跡を見て、これを最後に丘をくだって史跡群を離れ、塩竃に向かう。 しばらく進んで、商店街にあたる。 趣ある商店の合間を進んで塩竃神社を探すなか、その末社たる御釜神社を見付ける。 御釜神社は藻鹽焼き神事に用いられる四口の鉄釜がある神社である。 去年は訪れなかったので、ここを参詣することにした。 釜は拝観料が必要なのでこれを見ず、牛石は、これが沈んでいるとされる池の水が澄んでおらず、見たのか見ないのか、なんだかわからなかった。設置されていたパンフレットやフリーペーパーを洗いざらいもってゆく。 ひきつづき塩竃神社を探す。 塩竃駅にたどりつく。 ここまでくれば塩竃神社は目前のはずであるが、なかなか入口が見付からない。 山の麓を行きつもどりつして、ようやく「陸奥国一宮」の偏額のある大鳥居を見付ける。 「陸奥国一宮の大鳥居」と、長い長い階段、そしてその頂の唐門は実に絵になる風景である。 百年前のフランス人も同じ考えを持ったらしく、彼が描いた色入りスケッチのコピーが入口のかたわらに、ガラスのパネルにはまって展示してあった。 写真を撮ろうと思ってPOLGAを取り出したが、フィルムを忘れていた。 石段の登口の脇、植樹されたばかりと見える若木の隣に、わざとらしくも切株に偽装された消火栓があった。 長い石段を登って、側面から塩竃神社境内を目指す。 その長い石段の両脇、石段の手すりと石燈篭との間に、四十センチ程はあるかという大きな段差をもった石段が別に取り付けられていた。あるいはそれは、石段ではない、別の設備なのかもしれないが。 石段を登りきると、そこは砂利路であり、正面の門をくぐれば塩竃神社、砂利路を右に進めば志破彦神社である。 塩竃神社境内に入る。 手水舎で水筒に水を頂く。 境内での第一の関心は灯篭である。伊達氏が奉納した鉄銅合製灯篭を見る。とてつもなく手が込んでいる。関った人物の名が刻まれており、刻字は昨日刻まれたように明瞭であった。そこに片倉小十郎の名もあって意外な気がした。 松尾芭蕉もそれを見、記録に記したという古い金属製灯篭も見る。全体は鉄、しかし日輪と三日月の穴の空いた扉は銅である。 この灯篭はいかにも古いことは古いが、えらく単純な構造であって威厳無く、そのくせ昼間であるというのになにか妖しく恐ろしげな気配をもっておる。まして日が暮れればいかばかりか。 砂利路にもどり、志破彦神社へ。 砂利路の左手に、支えのおかげでやっと立っているばかりの朽ちかけた松の老木があって、そのたった一ふり残された枝に松葉が青々としげっていた。 志破彦神社の門前で、鋳銭に用いたという甑炉と再会する。この甑炉でどうして銅鉄が精製できるのか、どうしてこの形が合理的なのかが今もってわからない。 また、同じく門前の厩にて金龍号とも再会する。金龍号は七白の神馬との由。 前回も見学した史料館へゆく。この建物の前には捕鯨砲が一基展示されていた。屋外のこと故全体として錆びついているが、ただ一点、素材が違うのであろう、柄についたつまみだけは金属の輝きを失っていない。ところで、この捕鯨砲は火薬で発射されるのか、それとも圧縮空気を使用するのだろうか。 史料館へ入る際に、荷物を持った人のために扉を支えてあげたが、偶然にも彼がこの施設の受け付けであった。彼に200円の料金を支払って見学する。 施設の一階は、主に刀剣の展示である。私には、沸が何かがよくわからなかった。同じく算額も展示されていた。 二階が、塩と漁業の展示であるが、調整中なのかなんなのか、映像資料が全て観賞不能になっていて残念だった。 史料館を出て、茶店でコーラを買って飲む。250ml缶でありながら、130円もした。 七曲坂から塩竃神社を後にする。この坂を下りきったころ、ポツポツと雨粒が落ちてきたが、結局この日はこれ以上雨足の強くなることは無かった。 歩いて大鳥居のところまで戻るが、途中の郵便局に立ち寄って絵はがきを求める。しかし、塩竃の物はなく、あきらめる。もっとも、筆記用具も住所録も今回は携帯していないので、仮りに品物があったところでその場で差し出すことはできなかったろう。 「歳時記装置」なるもののある場所の横断歩道を渡って、駐車場所に戻る。 例のわざとらしく偽装された消火栓を、消防職員の方々がしきりに調べていた。 帰路につくこととする。 塩竃駅までまず戻る。駅のNewDaysで、土産物を買う。630円の出費であった。 国道45号線を伝って仙台へと向かうが、途中で東北歴史史料館の文字を見付け、そちらにゆくことにする。塩釜駅から約四キロの道のりである。 途中、やや思い出のあるセブンイレブンやホーマックを通り過ぎ、東北歴史史料館へたどり着く。 矮小な建造物を想像していたので、その広大な駐車場からしてその印象は私の意外に出たものであった。 受付嬢の丁寧な応対に恐縮しつつ400円を支払って展示を見る。 さて、展示物の傍らにヘッドホンのマークと時間を示すらしい数字が有り、ひょっとしてこれは聴覚教材の貸出しがあるのではと思ってパンフレットを見たが、それに触れた記述は無く、外国人見学者への翻訳サービスのものかと考えて受付に追求することをしなかったが、あにはからんや、見学を終えた後に受付の案内を確認すると、やはり聴覚教材の貸出しがあったのだ。まぁ、次回への学びとするよりしかたはないが。 展示はひとつの大きなフロアのみで、別棟、別階の展示というものはなかったが、それでも十分に資料の量は膨大であり、午前午後の機動もあって、すっかり疲れてしまった。ここはまた日を改めて訪れたい。 展示を離れ、博物館のもう一つの楽しみである売店にゆく。そこには絵はがきも売られていたが、どういうわけか天橋立の絵はがきがあって、多賀城の絵はがきが無く、残念だった。 建物をでて、駐車場にておやつにする。ストーブを使い、粉末スープとフルーツカクテルを食べる。 いよいよ本当に帰る。迷いながらも国道45号線をみつけ、これを辿って仙台に向かう。春とは言いながら、しかし、日も暮れると風は冷たい。 途中、警察官に尋問を受ける若い男を見掛ける。どうやら原付で人身事故を起こしたようである。他人事とは思われない。 花京院までやってきて、冷えた体を温めるために「ぶぅ。」にてぶぅちゃーと替え玉一つを食べる。 後は愛宕上杉通りを通っていつものように部屋へと戻った。帰宅の時刻はおよそ六時であった。
2007.04.04
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昨日の続き、錆落としを終えたマフラーに耐熱塗料を吹き付ける。まず、ブレーキクリーナーを一通り吹いて、表面の油脂を取り除いたのち、前日に調達した。ホルツ ハイヒート ブラックを、二回に分けて吹く。乾燥の間、麓のjoufullで昼食をとる。ドリンクバーが規格変更になり、値段が上がるようだ。ギアオイルの交換もしたが、オイルの粘度は十分にあり、この作業は必要なかったかもしれない。サイドバックをスポークから守るための金網を設置する。これは、案外と簡単に終了した。最後に、マフラーを取り付け直し、試運転してみる。さて、一連の作業が終わってから、燃料濾過器にだいぶ砂が溜っていることに気がついた。今度は油槽の清掃が必要でありそうだ。
2007.04.03
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私の誕生を祝して食事をごちそうしてくれると、勉三が言うので、午後九時すぎ、麓のJoyfullに出向く。ヤングステーキと、チョコレートパフェをごちそうされる。友人の結婚式への準備ついて、遅くまで話し合う。とても楽しいひとときであった。このお返しはいずれしなければなかろう。
2007.04.02
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掲示板に友人から誕生日祝いの書き込みがあった。今日の日を心に留めておいていただけたとは恐縮である。この場を借りて感謝申し上げる。さて、本日はマフラーの手入れを行った。前のシーズン中に塗装の剥がれた箇所から、冬の間に腐食が進んでしまったので、錆を落とし、再塗装を施す。まず、マフラーを取り外す。肉腫のごとく錆が盛り上がっているのがおわかりいただけるだろうか。せっかくマフラーを外したので、カーボンをかき落とした。やすいオイルを使っていたせいもあるのだろうが、結構溜っていた。なるほど、2ストの中古はマフラー交換だけで大分性能が回復されると言われる理由もうなずける。ワイヤーブラシを使ってみるが、当然そんなものでは間に合わず。レンチで叩いて錆の塊を落とすことからはじまり、棒ヤスリを買ってきてそれで削り、紙やすりをかけると、アバタのようになった鋼管の地の面が表れる。えぐれた部分は錆に変わって失われてしまったのだ。このあたりですっかり日がくれてしまったので、後は部屋で作業を続けることにする。アバタの窪みの中の錆を取り除くためにワイヤーブラシを入念にかけ、ようやく塗装前の作業は終わった。今日は行いたい他の作業もあったのだが、ついにこれに掛りきりとなってしまった。なお、錆取り剤もためしたが、まったく効果がなかったことを付け加えておく。
2007.04.02
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